hikachi's Diary
DiaryINDEXpastwill


2002年10月27日(日) 礼拝

2週間お休みしたので、久々の礼拝でした。

いや、やっぱ礼拝はいいものです。
同じクリスチャンたちと、共に祈り、共に賛美する。
新鮮な感動がありました。
自分でも意識しないうちに、自分が渇いていたことに気付きました。

いっぱい示されることがありました。
後でみことば日記と、メールマガジンでちょっとずつ紹介しますね。

午後は教会学校の「子供大会」でした。
ゲームをやったり、讃美のダンスをしたり(私が伴奏)
紙芝居を使ったメッセージがあり、最後には工作で
ペットボトルを使ってマラカスを作ったりしました。
みことばもしっかり語られましたよ。

結局家に帰りついたのは4時半ころでした。
疲れたし、旦那は仕事で地方に行っていたので、
夜はひか太と二人で外食してしまいました。。。


同日の過去の日記

2001年10月27日(土) ひか太&パパ、新潟へ


2002年10月25日(金) 眼鏡やさん

愛用の眼鏡やさんが しばらくお休みしていましたが
新装開店したので、のぞきに行きました。

っていうか、フレームが歪んじゃったので調整してもらったんですけどね。
私は同じメーカーの全く同じ型で同じ度の眼鏡を予備として2つ持っているんです。
色は違うから服装とか気分で使い分けてるんですが、
よほど観察力のある人でないと、気付いてくれません。
一個は赤茶(濃い)で、一個はグレーっぽいベージュ(薄い)。
並べてみると、全然違う色なのに。
・・・ちなみに、夫も気付いてません(爆)

久々に都会にいって、よい気分転換でした。
なにしろ、今度の職場は都内とは呼びたくないほどの千葉県境なので(^^;

そうそう、昨日書いたホームレスの方は、今日はいつものところにいました。
ちよっと安心したりして。
一応公団住宅の敷地内は公団の私有地なんで、法的には不法侵入ということになるんでしょうけどね。
ホームレスも、これから冬は大変ですよね。


同日の過去の日記

2001年10月25日(木) 青空給食


2002年10月24日(木) 不審者

小学校の界隈で不審者があらわれたらしく、
今日から下校は複数でしてください、との連絡がありました。
どんな不審者だかは、まだ詳細は聞かされていません。
働く母はどうしても学校関係の情報が入りにくいので・・・。

学童保育の子供達は、普通の子たちよりも帰宅時間が遅いので少し心配です。
でも、5時に帰る子は8人もいるそうで、(帰る時間は親が指定)
ひか太たちはもとから集団下校のようにまとまって帰るのが習慣のようです。
でも、学童保育の子たちは低学年ばかり。

やっぱり少し心配ですね。。。

ところで、最近実家の前の公園で、屋根付きのとこでホームレスの方が寝起きしていました。
いつもひか太と実家から帰るとき脇を通っていたので、ある意味顔なじみなんですが、今日はいませんでした。
不審者事件で、警察でも巡回に来て、注意されたのかなあ。

あの方が、今日安全なところで寝てるといいなと思い、密かに祈りました。
結局、いつも見て見ぬふりの私たちは、よきサマリア人ではありませんね。。。


同日の過去の日記

2001年10月24日(水) 美容院に行きました。


2002年10月23日(水) ワン切り

最近、深夜に携帯にワン切り電話がかかります。
4日くらい連続しています。

しかし、熟睡している私は、朝起きて着信履歴を見るまで
全く気付かないのでした(^^;

チャット仲間の某友人は寝てても反射的にとる、って言ってたなぁ。

まー、ほとんどメール専用機と化してる私の携帯は、
かかって来る可能性低いというせいもありますが、
そのくらい爆睡できる私は、もしかしたら幸せなのかも知れません。

いや。ただ単に疲れてるだけか・・・?


同日の過去の日記

2001年10月23日(火) ひか太不調


2002年10月22日(火) 生活科の電車実習

と、いうわけで今日の日記です。(ふう、おいついた)

今日はひか太の学校で、生活科の電車で外出する体験日でした。
行き先は、一つ隣の駅から歩いて10〜15分の大きな公園です。

この公園というのは、実はいつも教会の野外礼拝で行く公園なんです。
だから、ひか太は自転車でなら行き方を知っています。
(自転車だとほぼ一本道で、迷わない)
でも、今回は電車に乗るのが目的の半分なので、電車で行きました。
1班4〜5人ずつ、時間差をつけて学校を出発します。
朝からランドセルではなくリュックと、水筒を用意してはりきっていました。
「ドキドキするう〜」といいながら登校しました。
でも、先週から教会に1人で電車で行っているのですから、
なんてことないと思うんですけどねえ。
ちなみに、今回行った公園は教会とは別の方向ですけど。

帰ってから話を聞くと、先に出たはずの1班は、どういうわけか駅に辿り着かず、
次に出た2班ものろのろ(?)していたらしく、3班と同じ電車で
同時にゴール地点に辿り着いたということでした。
「1班は何していたんだろうね?」とひか太に聞きましたが、
「知らない。一番最後に来たんだよ」と言っていました。

帰りは全員揃って帰って来ました。とても楽しかったようでした。


同日の過去の日記

2001年10月22日(月) 主人のバイト


2002年10月20日(日) 不調な週末

先週からの風邪をまだ引きずりながら迎えた週末です。

一旦治ったように感じていたんだけど、やはりまだだめみたい。
金曜日の夕方、帰宅してちょっと横になったら、

ぐるんっ!

とめまいが来て、起きれなくなりました。
一瞬メニエールの再発か?! と焦りましたが、メニエールのような
回転性のめまいではなくて、なんとなくふわふわする感じ。
とりあえず、そのまま実家に電話して、ひか太をあずかってもらうよう頼みました。
とにかく眠いし、そのまま何もしないで、夜8時には眠っていました。

翌土曜日、午前中になんとか布団から這い出して診療所へ。
お医者さんによると、リンパ線が腫れているので、めまいもおそらくそのせいだろうと言われました。
なるほど、三半規管って耳だもんね。
メニエールも内耳の病気らしいし、リンパ周辺が腫れたら関係ありそうだよね。
たっぷりお薬をいただいて帰り、そのまま布団に倒れ込み爆睡。
ほとんど一日中眠っていました。(^^;

そんでもって、日曜日も礼拝に行けそうもないので、牧師に電話しました。
ひか太は先週に引き続き、1人で行く気になっているし、
でもやはりちょっと心配だし・・・。ということで、
向こうの駅まで教会の方にお迎えに来ていただくことになりました。
でも電車は1人で乗って行きましたよ。えらいなぁ〜。

そんでもって、その日はファミリー礼拝ということで、大人の礼拝に
子供も同席する日だったので、そのまま礼拝も出席して、
お昼のランチサービスまでしっかり食べて来ました。
いや、体調の悪い母としては、お昼の仕度するのもしんどいので
大変に助かりましたが、大したものです。感心感心。

私はというと、日曜日も「よくこれだけ寝れる」と言うほど寝ました。
たぶん薬のせいもあったと思うのですが、昼寝に加え、夜もしっかり寝て、
寝まくった週末でした。


同日の過去の日記

2001年10月20日(土) 新生児のごとく


2002年10月17日(木) 職場の健康診断

日記って、どうしてこう滞っちゃうんだろうねえ。
掲示板には毎日書き込みしているのにねえ。
「日記」というだけで、改まった気持ちになってしまうのはなぜかしら。

というわけで、久々の更新になってしまいました(^^;すみません。
ここらへん、まとめ更新です。

先週17日(木)は、職場の健康診断でした。
病み上がりで、体重が2キロ減ってた。。。
っていうか、うち体重計ないから、最近測ってなくて病気のせいだか
どうだかわかんないし、前日夜9時から水とお茶以外禁止で、
お腹空いてたせいもあるだろうけどね。

やったのは、
 ●聴力(耳鳴りのせいでちょっと聴こえにくいからドキドキ・・でも正常値だった)
 ●視力(裸眼はほとんど何も見えないからドキドキ・・・でも矯正視力だけの測定だった)
 ●尿検査・血液検査(やや貧血かも)
 ●血圧検査(普段低血圧な私にしてはわりと正常値だった)
 ●心電図(以前先天性異常の疑いをかけられたことがあり、ドキドキ)
 ●レントゲン
という項目でした。
いやー、ちゃんと検診したのってもしかして大学以来???
(過去小さい会社もしくはパートでしか勤めてないのでやらなかった。)

日頃虚弱な私としては、実はどの項目もドキドキなのでした。
結果は1ヶ月後くらいとのことです。


同日の過去の日記

2001年10月17日(水) 夫の耳の不調


2002年10月14日(月) 靴下のナゾ

今日はひか太はじーちゃんが アンデルセン公園という
市内の施設に遊びに連れて行ってくれました。

母・ひかちは相変わらず 頭痛でしたが、なんとか少し元気が出て、
シーツも洗ったし、布団も干したし、夕飯も久々に作ったし、
夜にはお掃除もしました。

で、今日はあまり話題がないので、『靴下のナゾ』でも書いてみよう。

ひか太の靴下は、よく片方が行方不明になります。
でも、必ずどこかから出てきます。

【その1】

靴下が片方なくなって、どうしても見つからず、1週間ほど経ちました。

ある日、台風が来ました。
台風一過で、ベランダに出てみると・・・

泥だらけの靴下が 一足。

そう、あのなくなっていた靴下の片割れなのでした。
なぜだぁ〜?どこから出てきたんだ?

うーん。

【その2】

またまた靴下の片方がなくなりました。
3〜4日たって、忘れたころ・・・。

洗濯を干していると、片方だけの靴下が。

そう、なくなったと思っていた靴下なのでした。
うーん。

なんだよ、よく見て洗濯機に入れて、よく確認して干せよ〜
と言われそうですが、

私としては、いつもしっかり見てるんですよ。
特になくしたときは、ありそうな場所は何度も確認するんです。。。

謎だぁ〜。


同日の過去の日記

2001年10月14日(日) 西船礼拝


2002年10月13日(日) ひか太、教会に1人で行く。

今日も私は相変わらず不調で、朝からガンガンの頭痛・・・。

ひか太はなんだかやる気で、「ぼくは1人でも教会に行く!」
おおおおっ?
そんなに教会に行きたいとは・・・
その気持ちはとーちゃんに少し分けてやってくれ。。。(笑)

教会までは、電車で一駅なんです。
一駅とはいえ、かなり遠い一駅。
しかも、うちの駅はともかくとして、教会の駅は
JRと地下鉄のちょっとしたターミナル駅です。

うーん、うーん。
母は悩みました。

しかし、2年生。
私立の小学生は、毎朝ラッシュに乗って通学してる・・・。
しかも、教会へは毎週通いなれた道です。
甘えん坊のひか太が、せっかくやる気になったんだもの、行かせてみようか。

幸い、回数券が手元にあり、切符は買わずに済むようです。
本数の少ない電車なので、時刻表をしっかりチェックして、
行きと帰りの時刻、発車番線をメモに書きました。
小銭を少しと、テレホンカードも持たせました。

「緊張する〜」と言いつつも、元気に出かけて行きました。

それでもって、何事もなく、無事帰ってきました。いや〜。よかった。
帰りは教会学校の先生に、向こうの駅までは送っていただいたとか。
いつも面倒を見てくださって、ほんとに感謝です。

ふがいない母ですみません・・・(ーー;

来週は母子揃って礼拝に出席できますように。


同日の過去の日記

2001年10月13日(土) 浅草へ


2002年10月12日(土) ふぁうちゅんドッグス

「ふぁうちゅんドッグス」というのは、土曜日の朝9時半から、
東京テレビでやっているアニメーションなんです。
もとは少女漫画みたいなんですが、ひか太が気に入って見ています。
ストーリーは、犬の友情物語というか、冒険を通して成長して行くお話。

今朝の話は、要約すると、こんな感じでした。
主人公の犬が旅の途中で、ある犬と友達になります。
友達の飼い主はとても犬を大切にしてくれて、
犬たちにいつもたくさんのごちそうを食べさせてくれます。

でも実は、その飼い主は強盗みたいなことを生業としていて、
飼われている友達(犬)も、その手助けをしていることが
あきらかになります。
そして警察に居所を見つけられて、友達の犬は飼い主とともに逃走します。
そしてその、友達の犬と別れるとき、主人公の犬が叫ぶんです。

「きみが、どんなおとうちゃん(飼い主のこと)と一緒にいたとしても、
 ぼくはきみの友達だからね!!」


それを見たとき、私はあれっ、と思いました。
どんなにごちそうをもらえて、大事にされても、そんなご主人と
一緒にいてはいけないよ、そこを出てぼくたちと一緒に旅をしようよ。
そういう展開ではないの・・・?
子供向けの番組としては、そうでないとだめなんじゃない・・・?

それがどうしても気になって、長い間そのことを考えていました。

そして、考えるうちに、
でも、実はこの話って、素晴らしいじゃないか!!
と急に思えました。どうしてかというとね。

どんなにだめな人でも、神様は愛して下さる。

この真理と通じるんじゃないかと、ふと思ったのです。

友達の犬はきっと、ご主人が悪いことをしているのは知っていたんだよね。
でも、それでもご主人のことが大好きだったに違いない。
そのことが、よくわかったから、主人公の犬も、友達の犬のことを
裁いたり、さげずんだりしないで、「きみはぼくの友達だ!」と
言ったに違いありません。

 いつくしみ深き 友なるイエスよ
 罪 とが 憂いを とりさりたまわん
 世の友 我をも 捨て去るときも
 祈りに答えて 慰めたまわん

罪は罪であり、いけないことですが、、、
罪を犯しているからといって、その人に価値がないというわけではない。
そんなあなたのことも、大好きだよ・・・。

一番にこの悪人のご主人と従う犬を裁いてしまったのは、この私です。(^^;
主人公の崇高な心に、完全に負けました。

ううむ、あなどれない、子供のアニメ。

・・・というわけで(なにがだ)
ひかちは今日も頭痛とリンパ線の腫れに悩まされるのでした。
ちくしょーーあたまいてーーー!!!うう。

早く元気になりたいものです。


同日の過去の日記


2002年10月11日(金) 更に休み。

更に体調不良は続くのでした。

さすがに今日は医者に行きました。
左耳の下、リンパ線も腫れてきて、頭痛がします。
完璧に風邪です。。。って最初からわかってたけど。

午前中病院に行ったので、今日は昼くらいから
午後4時くらいまで寝ていました。
しかし、寝てもちっとも症状改善されないのでした。
なんでだろう。。。

こういう、なかなか治らないあたりが
私の基礎体力のなさというか、免疫力の弱さなんですよね。
これは体質だから仕方ないけど、我ながら情けないです。

吐き気止めをもらって、とりあえず食事は少し食べていますが、
完治にはまだしばらくかかりそうです。


同日の過去の日記

2001年10月11日(木) バイト面接


2002年10月10日(木) 快晴

10月10日はかつての体育の日・・・。
やはり快晴、よいお天気でした。

昨日の不調が治まらず、仕事はお休みしました。
とにかく胃が痛んで、食べられない状態です。

近くの診療所は木曜休診なので、とにかくひたすら寝ることにしました。
朝はとりあえず一旦起きて、ひか太を学校に出し、職場に電話して
食べられないのでとりあえずお茶飲んで梅干しを食べて、
9時頃から布団に潜りました。

起きたら2時でした。

しかし、さっぱり良くならないのでした。

実は今日は、職場で歓迎会をしてくださる予定で、
お店の手配もされていたんですよね。
私と、もうひとり10月に入社したので、2人分ですが
結局いったんでしょうかね。キャンセルしたのかな。

はた迷惑な 新人です。すみません。(^^;


同日の過去の日記

2001年10月10日(水) 回転寿司


2002年10月09日(水) 体調不良

朝からなんとなく不調ではありましたが、
夕方から急にひどく具合が悪くなり、会社を早退しました。
症状は腹痛、嘔吐、下痢です。

転職してからずっと、疲れがたまっていたのかな。
朝は遅くなったし、通勤は近いし、時間的には楽なはずなんですけど
やはり慣れない仕事で神経が疲れたのでしょう。

昔から持病はないんだけれど、基本的に体力がないので、
普通の人が普通にできることが、私にはできないんですよね。。。

とにかくゆっくり休みます。


同日の過去の日記

2001年10月09日(火) 大切なもの


2002年10月08日(火) 哀しいこと。

今日は哀しいことがありました。
ひか太の同級生の子の妹が亡くなったのです。生後2ヶ月半でした。

生まれてすぐから、新生児がかかるはずのない風邪をひき
肺炎、腎盂炎のような状態になって入院。
ミルクアレルギーの疑いもあり、ずっと点滴で生きている状態でした。

お母さんから電話で知らせを受けましたが、
なんと言えば良いのか、言葉がありませんでした。

この子が生まれたことに、どんな意味があったのかな。
それは神様にしかわからないけど・・・。


同日の過去の日記

2001年10月08日(月) 水入らずの時間。


2002年10月07日(月) 今日はこんな一日。

今日は朝起きたら大荒れの天気でした。

大雨ザーザー、大風ビュービュー・・・。

しかも、朝起きたら夫は帰っていませんでした。
おーい、あんたどこ行ったのよー。連絡くらいしろー!!!

携帯にメールすると、もうちょっとで帰る、とのこと。
車で埼玉の奥まで仕事に行って、打ち上げで飲んだので
車で寝てから帰ってきたとのことでした。
いいんだけどね・・・。心配するぢゃないの、ねえ。(ーー;

ひか太も私も、長靴で出かけました。

が!!!

すぐに雲は晴れ、風は強かったもののお昼頃には晴れていました。
なんてこったい。。。
帰りの電車は超間抜けでした。

仕事は少し慣れて、今日はちょっといっぱい働いたので充実感がありました。
充実できるほど働くのもなかなか気持ちいいもんです。疲れるけどね。
今まで(前職)暇すぎたものね。
いや、暇だったのは株不況のせいなんだけどもね。

*=*=*=*=*=*=*=*=*=*
夜 帰宅してからは、実家でじじ・ばば・ひかち・ひか太で
NHKの「ふしぎ大自然」という番組を見ました。
オーストラリアの有袋類、ウォンバットの生態について
ひか太にも分りやすいように詳しく説明されて、なかなかおもしろかったです。

帰り道、外灯の電気が切れているところがありまして、
そこらへんの一帯が暗くなっていました。
「でも、あんな高いところどうやって玉変えるのかねえ。
 はしごかなあ。恐いよねえ」
と私が話し掛けると、ひか太は・・・

「やっぱはしごでしょう。
 それか、松の木に登って変えるか

確かに、外灯の隣には登りやすそうな松の木が。
しかし(^^;それ、真剣に言ってるのか・・・?
思わず、大人のおじさんが作業着で松の木によじ登る姿を
創造して爆笑した私でした。

久々に笑わせてもらいました。
しかし、このくらいの子供って、、、、(^^;


同日の過去の日記

2001年10月07日(日) 西船礼拝


2002年10月06日(日) 主の計画は量り知れない。

昨日の日記を書いた後、主人と夜遅くまで話し込んでしまいました。

会話の内容は、なんと、信仰の話!!!

この前の演奏会でバッハのブランデンブルグ協奏曲をやって以来、
すっかりバッハづいて、一日中バッハばかり聴いていた主人。
しみじみと「バッハってすげーよな・・」と何度もつぶやいていました。
何を今さら、、、と思いつつ、私も「そうだねえ、格が違うよねえ」
などと適当に(^^;相槌をうっていたのですが、
そのうちぼつぼつ、彼が語り始めたのです。

実はその演奏会で、主人の同級生のオーボエ奏者のクリスチャンの方と
会う機会があったのですが、その後の打ち上げで、その方が
「どう、最近教会行ってる?」と聞いてきたそうです。
それで、最近自分が感じていること、なんで教会に行かないのか、
などなどいろいろ2時間近くも語り合ったそうです。
2時間って、すごくない・・・?

彼の言っていたことを私なりに解釈して要約すると・・・。

「この世界を統括して、秩序を保っている神の存在は感じるし、
 信じてもいる。神の子イエスが人々を救うために来た、
 というのも理解できるし、イエスが神だというならそれも信じてもいい。
 でも、神に従うことは自分にはできないし、教会で礼拝したり、
 聖書を読むのははっきり言って苦痛だし、めんどくさい。
 それと、教会で教えられる細かい部分については
 納得できないことがたくさんある。それを納得するところまで
 追求するほどの求めは自分にはない。」
・・・と言ったところでしょうか。

でも、それだけでも、少し前のアンチ・キリストとも言えるほどの
否定的な思想からものすごく脱却したと私は思いました。
そのお友達は、
「お前がどう思っていようと、神様がお前を愛してるという事実は
 事実であって、変えようがない。お前の抱えてる矛盾や気持ちは
 ものすごくわかるよ」
と言ってくださったそうだけど、きっとその2時間の会話の中に
大きな主の働きがあったのでしょう。

神様、ほんとに感謝です。
神様はいろんなところにいろんな人を置かれ、いろんなアプローチを
してくださっているんですね。
最初に主人がが教会に行くきっかけを作って下さった、師とも呼べる
大先輩のクリスチャンの方は若くして癌で天に召されてしまったし、
ある意味「私には手に負えない」と絶望していた私です。
このところ家族伝道についての集会に出たり、学び会があったり
立て続いたので、ようやく真剣に祈り始めたところなのに・・。

というか、実のところ祈ることすらできなかった愚かな私です。
そんな中にあって、私たち家族のために祈って下さった方は
多くあったに違いないけど。。。

涙が出るほど感謝です。

そして、2時過ぎまで話していて、礼拝眠いんじゃないかと
心配していましたが、礼拝は年に2回の野外礼拝でした。
習志野市の香澄公園という市営の大きな公園があり、
バーベキュー広場もあって、外で煮炊きできるところがあります。
私の家から教会と反対方向に自転車で20分くらいのところです。
(・・・つまり教会より近い場所。教会には電車で行くので)
その自然の中で礼拝した後、芋煮パーティーをするという企画です。

公園内には、アスレチックや、子供が入れる池(下はコンクリート)
もあって、教会の男の子・小学生3人は頭からずぶぬれになって、
水遊びの域を超えて、完全に「泳いで」いました(ーー;
ちょっと寒かったろうに。。。
もちろん着替えは持っていましたが。

まあ、なんにしろ たのしく、リフレッシュできる一日でした。


同日の過去の日記


2002年10月05日(土) 家族な一日。

今日は珍しく旦那が終日休みでした。
そんでもって、私も終日予定なし。
そんでもって、隔週でじいちゃんのテニス教室やってるひか太も予定なし。
・・・そして、天気がよく、ひかちの体調もよかったのです。

と、いうわけで、今日は家族な一日となったのでした。

朝はけっこう寝てたけど、起きてから活動開始。
布団干して、2回洗濯機まわして、上履き洗って、
台所片付けて、掃除して、洗面台も風呂掃除もしたっ!!
更に夫婦でワックスがけまでしたのでした!!!

夕方は三人で買い物に行き、食事も家族揃って。
いや〜、当たり前の家族の光景なんだけど、
我が家にしてみればこんなことは1年に数回しかないんです。
たいてい夫は土日関係なく仕事なもので。。。

新しい仕事もなんとか少し適応してきたらしく、
先週のやる気のなさはどこへやら、元気です。
絶対先週末って鬱だったと思う。
「2週間以上続くなら受診を」って新聞に出てた症状モロ出てました。
続かなかったからよかったようなものの(^^;

心の病を持つ人のしんどい気持ちが、すごく理解できました。
それと、今心身共に健康であることを神様に感謝。
夫婦関係にも親子関係にも、万事うまくいっているというほどではないけど、
最近はそこそこ平和な我が家です。(註・努力してんのよ、一応)

いや、でも、何よりも神様に感謝です。ほんと。まじです。


同日の過去の日記

2001年10月05日(金) 不良主婦


2002年10月02日(水) 台風一過

台風が過ぎ去って、秋晴れとなりました。
朝自宅に帰ると、自宅も特に異常なく無事でした。

いや、一つだけ・・・。

ひか太の靴が、洗って干してありました。

転職して2週間、私はほんとに疲れきっていて怠けまくっていました。
洗い物も、掃除も、必要最低限しかやっていません。
朝食の洗い物を翌日の朝やったりしてました(^^;
帰宅したらぐったりでね・・・。

なのに、なのに、夫は全然知らんぷり。

引っ越し直後はよく掃除してくれましたが、
最近はたまに見兼ねてダイニングにクイックルワイパーをかけてくれる程度。
ふざけるな〜。私より家にいる時間長いくせにぃ〜。

しかし怒る気力すらもない私なのでした。
そもそも夫が帰るまで起きてないし、朝は私が行く時間まで夫は寝てる。
怒る時間もないのでありました。

金曜の夕方、ひか太は靴を泥だらけにして帰宅。
めんどうなのでお風呂場に放り投げておいたら、
夫がバケツにつけてくれてありました。
たぶん洗剤を入れて・・・。
(いや、もしかしたら入ってなかったのかも。)

で、土日は日記にも書いた通り、私はほとんど鬱状態で、
何もできませんでした。
ひか太の給食の割烹着だけは洗ってアイロンもかけましたが、それで精一杯。
あと上履きも洗ったけど、靴は代えもあるし、そのまま放置してたんですね〜。
だらしない母です。ごめんちゃい。

そんでもって月曜日そのまま置いてあったのでした(^^;
そしたら、遂に見兼ねて洗ったらしい。。。
おおっ、それで台風か???

後でお礼を言うと、「水にかびがはえてたんだよ」

なんとっ!Σ( ̄ロ ̄lll)

なにはともあれ、洗ってくれてありがとさんでした(ーー;
不衛生な母です。ひか太ごめん。

ま、そういうことも〜あるさ〜〜〜♪

おかげさまで、今週はだいぶ元気です。


同日の過去の日記

2001年10月02日(火) ひか太の一行日記、その後


2002年10月01日(火) 3日間の学級担任

ひか太の新しい担任の先生が着任されました。
若いけれど、なかなかしっかりした先生のようです。

ひか太談「怒ると校長先生より恐いよ・・」
おお、厳しい先生結構ではありませんか。。。
(もちろん程度によるけど)

学校だよりに校長先生のエッセイが載っていました。
その中で、3日間ひか太たちのクラスの担任をしたことが書かれていました。
著作権があるかどうかわからないけど、許可を得ていないのでそのまま掲載できないので要約します。

まず休み時間が終わったとき、2人の生徒が4分遅れて教室に戻ってきました。
注意すると、1人はすぐ「この次からは守る」と返事をしました。
ところがもう1人は、「守れるかわからない」と言いました。
校長が「守れるよう努力する、とかがんばってみる、とか言わないと赦さない」と言うと、彼はしぶしぶ「やってみる」と。。。

次の昼休み、チャイムが鳴ってから校長室を出て教室へ向かう校長を、
後者の生徒が待ち構えていて、
「校長先生、遅いよ」と教師の遅刻を指摘・・・。
一方、前者の即答した子は、平気でまた5分遅刻して来たとのことでした。

私はわりとよく、子供に「あやまりなさい」と強要している気がします。
しかし、あまりそういう風にしていると、その場しのぎに口先だけ
謝る子が育ってしまうこともあるんですね。
また、自分自身も、日頃安易に「ごめんね」と言い過ぎていないか?
口先だけ謝っても、心から悔い改める気持ちがなければそれは意味がないことですね。

『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』(マタイ3章2節)

とバプテスマを授けるヨハネのもとに、パリサイ人やサドカイ人が大勢やって来たシーンを思い出しました。
真実謙遜な人間になるということは、非常に難しいと感じました。
そしてまた、子供の素晴らしさを知ったのでした。

*=*=*=*=*=*=*=*=*=*
ひか太のものもらいは、町の診療所で目薬をいただいて、
少し良くなってきましたよ。お祈り下さった方、感謝です。

夕方から台風で大荒れの天気でした。
職場からの帰り、私が乗った電車が、定刻に動いていた最後の電車だったようです。
実家で夕飯を食べているうちにどんどん悪化し、たとえ徒歩3分でも、
台風の中子供を連れて外に出るのは危険だと判断して
ひか太と二人で実家に泊まることにしました。
主人は泊まりの仕事でちょうど留守だったのでラッキーでした。


同日の過去の日記

2001年10月01日(月) ぞうきん、ぬえるの?


hikachi |MAILHomePage

My追加