hikachi's Diary
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2002年08月31日(土) 久々のピアノレッスン

さて、旅行から帰ると、主婦は大忙しです。

下界(?)の暑さに辟易しつつも、朝から洗濯、布団干し。
しかし、いっぱい休んだので妙に元気なのでありました。

午後からは1ヶ月ぶりにピアノのレッスンに行きました。
先生のお宅へは自転車で35分。電車でも行けるのですが、
うちからちょっと遠い私鉄の駅まで行って、
しかも更なるローカルな路線に乗り換えなければなりません。
それならいっそ自転車で行くほうが時間のロスがないのです。

が・・・

全身筋肉痛で、しかも炎天下の午後2時台。行く前からへばりそうでした。
らくーな服装で、タオルをしょって、むぎわら帽をかぶって
水筒持参で出発。こうなるとほんと単なるおばさんだわ(^^;
「ピアノのおけいこ」という、上品なイメージとは程遠い図なのでした。

さて、レッスンですが、これまで「良い音を作る」ことに重点をおいてやって来ました。
「良い音を作る」には、「良いタッチで弾く」ということです。
「良いタッチ」とは、無駄な力を抜いて、自然体で芯のあるポジションを
常に確実に保つことです。
しかしこれがなかなか難しい。
私の場合は、第3関節に対する意識が弱いのと、親指に力が入りやすいのが問題。
でも、何回かやっているうちに随分良くなってきました。

今回画期的に発見したことは、フレーズの終わりの演奏の仕方。
今までずっと、フレーズの終わり=デクレッシェンド(弱く)する、
つまり腕の重みをなくす、と習って来ていたのですが、
ただ脱力するのではなくて、一旦きちんと正しいタッチで音を出した後に脱力する、ということでした。
なるほど、確かにそのほうが全然美しく演奏できるのです。
なんというか、余韻が全然違って、音楽の流れが明確になります。なるほど。
うへえ、そんなこと知らなくて、ずっと生徒にもフレーズの最後は脱力して弾く方法を教えていたよ(^^;やばい。
・・・と言ったら、先生も「日本の音大の先生はみんなそうやって教えるのよ」と言っていました。
そうだよね、私もそう習って来たんだから仕方ない。
しかし今正しく教わってよかったあ。感謝。

ピアノという楽器は、音が減衰するので、長い音符に対する意識が薄くなりがちです。
でも、歌うときと同様に伸ばす音を意識することで、明確な響きが得られる、ということを学びつつあります。
考えてみたら当たり前じゃ・・・(ーー;

とにかく今私が目指しているのは、人に不快感を与えない、自然な音で、自然な流れの音楽を作ること。
むやみやたらと自己主張して押し付けるような演奏とか、
己の技術を誇るかのような演奏だけはしたくないと思います。
もっとも誇れるほどの技術はないんですけどねえ。
なんて考えていたら、

なんだ結局、ピアノも信仰生活と同じじゃん。

という結論に達したのでした。

自らを誇るのではなく、ことさらに信仰を主張するのではなく、
全てを主に委ねて日々みことばと共に淡々と生きる。
そういうクリスチャンでありたいと私は思います。
ピアノも、呼吸をするように淡々と心地よく演奏できたらいいな。


同日の過去の日記

2001年08月31日(金) ミニオフ会


2002年08月30日(金) 夏休みメモリーPart.4 奥多摩3日目

さてさて、最終日。

朝は、「おはようハイク」という、ガイド付きのハイキングに申し込んでいたので、ひか太と夫は6時半に起きました。
・・・というか、私が起こしたんですけどね。
どうも我が家の朝起きは主婦の仕事らしい。

私は昨日の半登山でくたくただったので、ハイクの申し込みはパスしていて、行きませんでした。
2人が出かけている間に、のんびり朝のシャワーを浴びて、着替えて、朝御飯のしたくをしました。
朝は納豆とインスタント味噌汁でした。
仕度ってほどのことはないんだけどね。

8時過ぎに彼らが戻ったので、すぐ朝食になりました。
食べたら、後片付けして、もう出発の仕度です。
10時にはチェックアウトしなければならないので、結構慌ただしかったです。

この日の予定は、川遊び。
宿泊したあたりの川は、上流なので環境保全のため遊泳禁止でした。
少し下流のキャンプ場で泳げるところがあるというので、そこまで車で移動しました。
ひか太は始め「泳ぎたくない」とか言っていましたが、川を見ると素直に水着に着替えました。
私も主人も順に着替えて、水着の上にTシャツを来て川遊びに入りました。
水は冷たいし、川の流れがかなり早くて、あまり「泳ぐ」というかんじではありませんでしたが、適度に暑くて日ざしも強かったので、水遊びには最適でしたよ。楽しかったです。
少し遊んで、カセットコンロでそうめんを茹でてお昼御飯にしました。
その後また川遊び。午後3時くらいまで遊んでいました。

それからシャワーを浴びて着替えて、出発したのが3時半頃でした。
また渋滞を覚悟していたんですが、帰りはそれほどのこともなく、7時すぎには自宅に帰りつきました。
夜御飯は自宅付近のファミレスでした。

あー、しかし下界は暑い。
早速の熱帯夜に、家族3人辟易するのでした。

そんでもって、主婦は洗濯物の山を片付けなきゃ・・・
入浴後早速、バスタオル類の大きなものを全自動洗濯機にかける主婦ひかちなのでありました。

でも眠かったので、早く寝ました。エアコンつけて・・・。

以上、何年ぶりかの(・・・いや、もしかしたら初めて?2回目かも)の、
親子3人の旅行の顛末記でした。
なにごともなく、平和にいって来れて何より。よかったよかった。
天候にも恵まれましたしね。

神様、楽しい休日を感謝します。


同日の過去の日記

2001年08月30日(木) ゴキブリ


2002年08月29日(木) 夏休みメモリーPart.3 奥多摩2日目

さて、続きです。奥多摩2日目・・・。

朝起きると、もう8時でした。一体何時間寝たんだろう(^^;
いやいや、日頃疲れ切ってる、ってことで(言い訳)。

昨夜のカレーの残りで朝御飯を済ませ、今日の予定を相談。
午前中に、宿泊施設の周辺で、1時間半くらいのハイキングコースを歩くことにしました。
それで、戻って来てお昼はバーベキューする予定でした。
(「予定」ってところに注目)

朝食の片づけなどをゆっくりやって、水筒だけ持って、10時過ぎに出発。
てくてくと歩き始めました。
天気はよかったけど、森の中は木で日ざしが入らないし、道は沢沿いに進んだので涼しく、歩きやすいコースでした。

が・・・

が・・・

行けども行けども、登り道ばかり。
しかも、90分のコースなのに、ちっとも戻り道に入った感じがしない。
はっ、と気付いたら既に2時間近く登り道を歩いていたのでした・・・。
つまり、道を間違えて登山道に入ってしまってたんですね。
早く気付けよ・・・って(^^;

そのうち、なんか変だぞとは思っていたんですが、真面目に息が上がって来て、歩くのがしんどくなってきました。
私が貴重品などの入ったリュックを背負っていたのですが、途中で夫にバトンタッチ。
涼しいけど、汗だくで、汗が冷えて咳が出るし、食べ物は何も持ってないし、
全然予定でない(つまり覚悟してない)登山をしてしまって、さんざんでした。

元気なひか太と夫に、どんどん遅れていく私・・・。
ついに見兼ねて、夫が「ここで待ってな」と道を確かめに行ってくれました。
軟弱な妻でごめんなさいいい。

しかしそこは、峠の頂上はあともう一歩のところだったんですね。
でも、最後がすごいハードな登りで、ひか太と夫は二人で行って、
私はその場で座り込んで彼らの戻りを待つことにしました。
その時点でもう12時半くらいでした。

峠からは別の下り道もあったようですが、夫が来た道を帰るほうが木陰で楽そうだというので、そのまま戻ることにしました。
つまり、帰りも2時間歩く、と(ーー;

でもまあ、足は痛かったけど登りのように息はあがらないので、なんとか歩けました。
下りは道が滑るので恐かったけど、落ちていた古木で杖を作って、それをたよりに歩きました。
しかし、岩場を沢山歩いて感じたこと・・・。それは

舗装道路ばっかり歩いてるから、足裏マッサージが流行るんだな。

ということでした・・・(爆)
だって、岩場歩いてたらマッサージなんていらないもん。
まじ、マッサージ的に痛かったんです。足裏が。

しかし、足に身体のつぼが集まっているというのは、神様が「歩く」ことで人間の身体のメンテナンスができるように考えてお創りになったからなのね。
ごつごつしたところを歩いていれば、知らないうちにつぼ押しされる、と。
神様って、素晴らしい・・・。
なんて、自然の摂理を妙なことで学んだひかちだったのでした。

さて、そんなこんなで、結局ロッジに帰り着いたのは2時半頃だったのでした。
お腹減ったよ〜。疲れたよ〜。
で、もう早速 バーベキューの仕度に入ったのでした。

夫は火の担当。私は野菜切り。
炭に火を起こしている間、野菜の準備をして、手際よくバーベキューが始まったのでした。
コンロなどは持参していて、そのへんは周到な夫。なれてるからね。
しかし、やはりドジなので、箸が2本しかなかったのでした。
3人で食べるっちゅーのに。

仕方ないので、交代で箸を使いましたが、前半はひか太が1組占領していたので、大人2人で1組の箸を・・・・(爆)
なんだか要領の悪いバーベキューになってしまったのでした。
最後に焼そばも作って、満腹になりました。
もう、昼御飯も夕飯もごっちゃ混ぜの、わけわからん時間の食事でしたが、美味しけれゃそれでいいや。

そしてまた、夜ははやーくに寝たのでした。9時半くらいかな。
この日は夫のほうが先に寝てしまって、(もちろん彼は夜中はかなり起きてたらしい)私が後片付けとひか太の入浴担当しました。
なかなかよい連係じゃん・笑。

疲れたけど、散策はひか太がとても楽しかったようで、喜んでいたのでよかったです。
子どもが喜んでくれたら、親は疲れ果てても、全身筋肉痛でも、何でもとにかく、良かった、って思えるものですね。はい。

しかし2時間近く足場の悪い登り坂を歩いた足と、下りで杖をついていた右手の筋肉痛はともかくとして、なぜ左の二の腕が痛いんでしょう・・・?
実は一番痛いのがその左腕なんですけど・・・?摩訶不思議。

そして、キャンプは3日目に続くのでした。


同日の過去の日記

2001年08月29日(水) ショッピング


2002年08月28日(水) 夏休みメモリーPart.2 奥多摩1日目

8/28(水)から30(金)まで、奥多摩に行って来ました。

この夏、旅行行きたいね〜といいつつ、金もない、暇もない我が夫婦。
観光旅行であっちこっち歩くのは、二人とも性に合わないので、
「どっかでのんびりしよ〜」ってことで、アウトドア派の夫がキャンプに決めました。安上がりそうだしね。
キャンプと言っても、テント張るのは大変なので、戸建てのログハウスに宿泊。
では、その旅の様子をば。。。
==============================
初日は朝7時半ころおにぎりを持って出発。
しかし、千葉から奥多摩に行くには、どうしても都心を抜けなければならないのでした。
つまり、渋滞がある。。。

母・ひかちは早速、グーグー睡眠。
息子・ひか太は友達に借りたポケモンのゲームボーイに夢中で、
運転手の夫はさぞかしイライラ・・でもなかったようです。(^^;
彼は本来渋滞はものすごく嫌いなんですけどね。

途中ちらほら休憩しつつ、そんでもってたまたま主人の母校(大学)の近くを通過したので、ちょっと寄ったりしつつ、奥多摩と呼べるあたりに着いたのがちょうどお昼頃でした。
河原のちょっとした滝の見える、お店で手打ち蕎麦を食べました。
奥多摩「一心亭」という旅館の食堂で、一見田舎のさえない店構えなんですが
お蕎麦もお魚もとても美味しかったです。しかも安い。

さて、昼食後、奥多摩の駅周辺で、食材の買い出しです。
3日間のおさんどんは夫がしてくれるつもりらしく、3食のメニューをメモしてあって、それに必要なものを買いました。
私は飲み物を選んだのと、レジでお金を出しただけでした。

ログハウスのチェックインは3時でしたが、2時半頃現地に着きました。
公営の施設なので、そういうところは融通がきかないかと思いましたが、
早めに行ってもちゃんとはいれました。

以前もそういうログハウスみたいなところに泊まったことはあるのですが、
布団がダニっぽかったりした記憶があり、内心ちょっとやだなーなんて思っていたのです。
ところが、今回のところは二段ベッドでした。
布団も衛生的で、快適〜♪ でした。よかったあ。

荷物を降ろして、早速そこらへんの散策に。
近いところだけでも、けっこう散歩道になっていて楽しめました。
気温はけっこう高めでしたが、沢のあたりは涼しくて水はものすごく冷たかったです。

さて、それから部屋に戻って、夕飯の仕度です。
夜はカレーライスで、作るのはほとんど全部夫がやってくれました。
えーっ、と思うかも知れませんが、うちの夫は実は一人暮らしの経験が長くて、たいていのことはできるんですよ。
できるくせに、普段ちーっともやらんから私がむかつくのでありました(爆)
夫の作るカレーは、私が作るのとは違って、具だくさんでした。

私はどういうわけかすごく眠くて、夕飯のときに飲んだぶどうのお酒で酔っぱらって、7時半には寝てしまいました。(爆)
アルコール分4%・しかも250cc缶の半分しか飲んでないのに。我ながら経済的だ。

しかし、夜中1時頃にさすがに目が醒めて、ベランダに出て夕涼みをしました。
夫は夕飯の後片付けも、ひか太の入浴もちゃんとやってくれたもようでした。
とーちゃん、あんがとー(爆)

もう寝られないだろうと思ったのに、1時間くらいしたら眠くなって、再びベットに潜ったら寝てしまいました。。。
だって涼しくて、心地よかったんだもん〜。

続きは明日の日付けの日記で。


同日の過去の日記

2001年08月28日(火) 最近はまっているもの


2002年08月25日(日) 就職について

えーと、実は日記とめている間に、転職が決まりました。
その成りゆきを、記録しておきたいと思います。

実は、ずっと転職を考えていました。
今の仕事(証券会社の営業事務)は今年で5年目です。
この3月までは週4日契約で、パートということで働いていました。
夫の帰国に伴って、実家から独立するにあたって、いろいろ考えて、
これまでやっていたピアノの出張レッスンを辞めることにし、
週5日フルタイムで勤務することを願い出ました。
それに伴って、パート扱いではなく、契約社員などの形式で
月給制希望、ということで交渉していました。

が・・・

思わしくないんですねえ。
社内には契約社員で働いている女性事務員が何人かいるんです。
それから、派遣会社から来ている人もいます。
その人たちは、私よりずっと高給で働いています。
私が要求しているお給料だって、その人たちと比べたら全然安いくらいなのに・・・。
今の仕事は、通勤1時間強。就業定時8時30分〜5時15分。
たいてい5時半まで働いています。
朝7時10分に家を出て、帰宅は一番早くて6時40分頃です。
子持ちの主婦としては、かなりハードな勤務体制です。
それだけ働いても、相応な給料が出ない。。。

仕事内容と、部署の人間関係はとても気に入っていて、
長く続けたいと思っていましたが、どうやらこの不景気で
部署縮小の気配も見られるようになってきました。
年内にも、部署廃止または他部署との合併の可能性が出て来ました。
そうなると、私の処遇もどう変わるかわかりません。

以上のような理由で、転職するための仕事探しをぼちぼち始めていました。

職探しの条件を並べてみました。
完全週休2日制、勤務9時〜5時程度、通勤なるべく近いところ。
月収目標、月○○万目標。営業でなく、事務職。

派遣会社を通じての仕事ならありました。
でも、「長期契約」で入っても、派遣は会社の都合でいつ切られるかわかりません。
若い人ならそれでもまた次を探せば良いですが、年令的にも35過ぎると派遣も斡旋が少なくなると聞いていました。
私はあと半年で35になります。今派遣で働くのは得策でないと思いました。

が・・・・しかし

不況のこの世の中、ないですね〜。厳しかったです。
実は面接に行ったこともありました。
船橋市内の仕事でしたが、話を聞いてみると営業職だったのでやめました。
派遣の登録会にも行きましたが、なんだか今一つでした。

もちろんクリスチャンですから、祈りつつ、みこころを求めつつ
仕事のことを考えていくわけなんですが、道が開かれないということは、
このまま今の仕事に留まるのがみこころなのかな、
と思って半ば諦めかけていたのでした。

さて、新聞には「折り込み求人広告」というのがあります。
これは近くの仕事が中心に出ているので、必須チェック項目でした。
毎週日曜日にこれが入ります。目を皿のようにして探していました(爆)。

ある金曜日の夕方。朝刊に挟まっていた折り込み広告を捨てようとして、
ふっ・・と目についたそれは、「タイミング」という求人広告でした。
「あれ、金曜の就職情報もあったんだ」と思って、選り分けておきました。
そして後で時間のできたときに、早速チェック・・・。

目に留まった仕事がありました。9時5時で、通勤もまあまあ近い。
給料はそれほど高くはないし、月給でなく日給計算だけど、
1年後には祈っていた月収○○万円達成見込み。
しかも、仕事内容も、昔勤めていた職種と共通する部分がある。。。
年令は33才くらいまで、となっていましたが、
1才くらいかまうことない、応募してしまおう!
そして、これまた運のよいことに、ひか太の誕生日で有休をとる予定でいた
7月31日の午後に面接をすることになったのでした。

面接に行ってみると、女性の多い職場で、年輩の女性も多くいました。
仕事内容を聞くと、だいたい予想通りの感じでした。
決してすごく好待遇というわけではないけれど、無資格の34才主婦にとっては
なかなか働きやすそうな感じの職場でした。

面接に行った時点で、断る理由は見つからなかったので、
採用決定したら、転職するぞ〜。と決めました。
そして、8月5日に内定決定の連絡が来ました。
その日のうちに、今の会社に退職を申し出ました。
退職は1ヶ月前に申請する決まりになっていたので、退職できるのが9月5日です。
でも、後任決定や引き継ぎのことを考えて、有休も消化したいし、
ということで、9月13日付け退職、と決めました。
そして17日から新しい職場に出勤です。

うわ〜〜〜〜、決めちゃったよ。大丈夫かなあ。
職場、というのは生活にとって大変大きな位置を占めます。
こんなに安易に決めていいのか???

しかし今回の転職については、ほんとに偶然のようではあったけど、
私の思いに叶った条件で与えられて、背後に大きな神様の導きを感じました。
今度の仕事は朝8時すぎに家を出ればよく、ひか太の登校を見送ってから出られます。
夕方も、定時上がりなら今より1時間早く帰宅できます。
ほんとに今の暮らしはギリギリで、朝起きて洗濯してお弁当と朝食作って出かけ、
帰って来てからは洗濯たたんで軽く掃除して、ゴミ出して、
実家で夕飯食べて、夫のおかずもらって、ひか太とお風呂入って、
学校の連絡事項チェックして仕度させて、はーみがいて寝せる。
はっ!と気付くともう寝る時間。
真面目な話し、自分の時間もテレビ見る時間もないという現状です。

朝1時間、夕方1時間時間ができたとしても、
何ができるというわけではないかも知れないけど、
体力との戦いから少しは解放されたい・・・。
生活は苦しいけど、節約する余裕もない(爆)
せめてそこから脱出して、安売りのチラシをチェックして
買い物に出かけることができるようになりたいです(爆)

しかし、新しい職場の仕事内容が私に向いたものでありますように、
それから人間関係があまりたいへんでないことを願ってドキドキしているこの頃です。
これも不信仰なのかしらね。ゆだねきれず明日のことを思い煩う(^^;


同日の過去の日記

2001年08月25日(土) 自治会のお祭り


2002年08月24日(土) 久々再開。夏休みメモリーPart.1

もー、どういうわけかものすごく慌ただしくて、日記止めてて、

はっ ・・・と気付いたら、1ヶ月以上経ってた・・・。

ここまで止めてしまうと、再開するのに勇気がいるな。(爆)
とりあえず、ここらへんで一度、夏休みのこれまでの総復習をしようかな。

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7/31(水)ひか太の誕生日

愛息子の8才の誕生日なんで、有給休暇を取ってみました。
そしたら、夫もバイトを休みにしてくれたらしい。
最近(ここ数年)フルートのことしか頭にないカッチン玉の彼も、
私がもっと家族のことも考えろーーと言い続けた結果、
少し変わりつつあるのかな、と思って嬉しかったです。

午前中、毋子でポケットモンスターの夏休み子供用映画を見に行きました。
そして夜は、我が家としてはほんとに珍しく、親子3人で家庭での夕食となりました。
ひか太になに食べたい?と聞くと、「グラタンー!」と言うのでグラタンを作りました。
そしたらどう言うわけか旦那は、自分で勝手に御飯をたいて、
寿司太郎のちらし寿司の素を混ぜて更にそれを鉄火巻に、、、
「グラタンなのに、なんでお寿司作るの???」って言いたかったが
「別にいいじゃん・・・おいしければ」とのことでした(^^;
ま、たしかになんでもいいけどねえ。

というわけで、海老マカロニグラタンと、ツナサラダと、寿司太郎の鉄火巻と、
チョコレートケーキというわけのわからないメニューで、
ひか太の8才の誕生日パーティーは無事に終了したのでした。(爆)
我が家らしいといえばそうかもしれないけど。

考えてみたら、親子3人で祝う誕生日は3才以来、5年ぶり。
その間、祖父母同居で、いつもみんなで祝っていたんですよね。
みんなで祝うのもいいけど、親子でしっとり祝うのもまた良いものです。
日頃料理しない母(ーー;ごめんなさい。
でもグラタン喜んでくれて、よかった。

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8/10(日)養老渓谷ハイキング

この日、教会学校に行く予定で準備していましたが、
朝食を食べながらひか太が気分が悪いと言い出しました。
とりあえず、横にならせましたが、吐きそうだとのこと・・・。
結局吐かなかったのですが、とりあえず教会はお休みすることにしました。
実は私も、なんだか頭痛がして、体調悪かったので、ちょっとほっとして
午前中はひか太の布団で二人でゴロゴロしていました。

そして慢性的に過労ぎみの私はぐっすり夢の中・・・。
2時間くらい寝てしまいました。
私が11時頃目覚めると、ひか太はすっかり元気になってしまっていて、
主人とパソコンで電車のホームページを見て盛り上がっていました。
そして、突然主人が「よし、これから出かけるぞ。」

え゛〜、教会休んでおいて、どっか遊びに行くなんて、やだ〜。

と思ったんですが、3人が家にいるなんてめったにないことなので、
一緒にでかけることにしました。
行き先は、養老渓谷。千葉の山の方です。
(千葉にも山があるのか! あるんですね〜。低い山だけど。)
とにかく彼らは、小湊鉄道という地方ローカル線に乗りたかったらしいのです。
午後1時頃出発して、内房線で五井まで行き、そこから小湊鉄道で養老渓谷まで。
距離的にどうなのかわかりませんが、とにかく電車でなくディーゼル車です。
五井までは大して遠くないのですが、小湊鉄道だけで片道1時間以上乗りました。
お尻が痛くなるくらいありましたよ。

さて、着いたのが3時くらいでしたかね。
帰りの電車はなんと6時25分とか・・・え゛ーっ、3時間もあるよ。
もちろん夫は最初から時刻表調べていたので覚悟してたみたいですが。
仕方ないので、そこらへんを散策することにしました。
ハイキングと言っても山道のハイキングコースではなくて、歩く所は舗装道路です。
なんかちょっと思っていたのとちがうんですけど・・・と思いつつ
コースに従って、てくてく歩いて行きました。
45分くらい歩いたら、河原に出て、キャンプごっこしてる人がたくさんいました。
とりあえず、そこに降りて、敷物を敷いて、ひと休み。
ひか太と主人は石なげをしていました。
私はごろんと横になって水音を聞いていました。
水筒とおやつは持っていたので、食べました。
まあ、日常から解放されて、のんびりできて、行ってよかったかな。
1時間くらい遊んで、また45分くらい歩いて戻りました。

もともと体調不良ぎみだった私は疲れたので、帰りの小湊鉄道では
ぐっすり寝てしまいました。
夫の肩枕で・・・って、なんだ、らぶらぶ夫婦やん。(爆)
でも、こんなことほんとに5年ぶりくらいなのでした。

相応の事情があったとはいえ、4年間の別居という時間はやはり半端な隔たりではありません。
一見らぶらぶで肩寄せあって生きているほほえましい夫婦の光景であったとしても、
その裏にある思いはさまざまです。
私たち夫婦も、現状はそれほど心が通じ合ってるとは言い切れないし、
いろんなわだかまりを抱えています。

でも、だからこそ、こういうほんのひとときのふれあいが大切なんだなーと
意味もなくしみじみした半日旅行でした。
迷ったけど、やっぱり行って良かったと思いました。


同日の過去の日記

2001年08月24日(金) 眼鏡の危険


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