Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2009年05月23日(土) 韓国の 盧 武鉉 前大統領 が自殺



「 我々に運命の枠組みを選ぶことは許されていない。

  しかし、その中に入れるものは、我々のものである 」

                 ダグ・ハマーショルド ( 第2代国連事務総長 )

We are not permitted to choose the frame of our destiny,
but what we put into it is ours.

                              Dag Hammarskjold



自らの運命を嘆く人もいるが、その大部分は 「 自分の撒いた種 」 である。

努力が足りなかったか、誠実さに欠けていたか、そんなところだろう。


在任中の不正資金疑惑を追及されていた 韓国 の 盧 武鉉 ( ノムヒョン ) 前大統領 が、自宅裏山の高所から岩場に飛び降り、自殺した。

韓国 では、大統領が退任するたびに、過去の不正を追求する習慣があり、今までも数多くの 「 前大統領 」 が逮捕され、処罰されている。

クーデター で政権を奪取した国の場合には珍しい話でもないが、民主的な選挙によって宰相を選ぶ国で、こんなことが繰り返される例は他にない。

よほど 「 ロク でもない人間を大統領に選ぶのが好き 」 なのか、あるいは、よほど 「 権力が大きすぎて誘惑に負けてしまう 」 のか、原因は不明だが。

自浄能力があるのは良いことだが、在任期間中に 「 膿 ( うみ ) 」 を出せないのは問題で、三権分立が整備されていないのではないだろうか。


韓国 の検察庁による発表では、前大統領が自殺したことで、不正疑惑に関する捜査を打ち切り、実際に 約 6億円 を収賄した家族も放免される。

仏教国の共通思想なのか、日本 にも 「 死者に鞭打つ 」 ことを嫌う人や、悪人でも 「 死ねば仏様になる 」 などと、非科学的な話をする人が多い。

この 「 死ねば責任を問われない 」 という発想が、安易に自殺する馬鹿を増やす諸悪の根源になっており、自殺や犯罪の抑止を妨げている。

遺書には、「 多くの人 ( 周囲の ) を苦しめ、とてもつらかった 」 と書かれていたようだが、自ら悪事を働いておいて、その言い草はないだろう。

どこかの政党の党首のように、たとえ悪事に手を染めても、「 やましいことはない 」 と開き直り、代表の座を退いて、とぼけているほうが マシ だ。


犯罪や、借金を、「 死ねば水に流す 」 という思想は、一見、死者に対する思いやりや、人間的な優しさがあるようにみえるが、それは違うと思う。

責任や重圧から開放されたいと願う人間にとって、それこそが、自殺という手段に走らせる要因になっていることを、周囲は気付かねばならない。

自殺することで、生前の不名誉が払拭されるのではなく、不名誉に利子を加算し、「 自殺は、人間として最大の恥 」 という概念が、自殺を抑止する。

日本でも、年間3万人以上が自殺しているわけで、皆さんの周囲にも、その 「 予備軍 」 みたいな連中が、常に 「 楽に死ぬ方法 」 を模索している。

自殺者を丁重に扱うのと、悪口雑言で罵倒するのでは、これから自殺しようと考えている人間にとって、どちらが ブレーキ になるか、答は明白である。






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2009年05月17日(日) 鳩山 の語る 「 愛のある政治 」 とは



「 改革は外からではなく、内から生じなければならない。

  人が徳を規定することはできないのだ 」

                                ジェームズ・ギボンズ

Reform must come from within, not from without.
You cannot legislate for virtue.

                                 James Gibbons



一昨年、高給料亭 『 船場 吉兆 』 で、次々と偽装問題が発覚した。

記者会見では、頼りない息子の影から “ 囁く ” 女将の姿が話題になった。


民主党 は 鳩山 を新しい 代表 に据え、小沢 は新執行部に 「 代表 代行 」 という形で残し、岡田 を 幹事長 とする人事を発表した。

意のままに動かしやすい 鳩山 が 代表 になったことで、今後、小沢 による 「 院政 」 が敷かれるという説を聞くと、「 吉兆 の 女将 」 の姿が重なる。

代表選に負けはしたけれど、95票 を集めた 岡田 ( 鳩山 は 124票 ) が肉迫したことで、「 反 小沢 」 の勢力も小さくはないことが明らかになった。

その 岡田 を幹事長 に囲い込み、なんとか衆院選までは 「 挙党態勢 」 を維持できるだろうが、選挙に勝っても、負けても、先が思いやられる。

もともと仲の悪い者同士が、共通の敵を前にして手を組んでも、いづれは、不協和音が飛び交い、分裂、崩壊が避けられないのではないか。


代表選を終えてからの世論調査では、民主党 の支持率が大幅に急伸し、とりあえず 小沢 辞任 の効果で、国民の信頼を回復したようにも見える。

だが、代表 を辞任したからといって、「 西松建設 事件 」 に 小沢 が関与した疑いは晴れておらず、その説明責任は果たされていない。

見方によっては、代表の挿げ替えにより 「 党ぐるみで悪事を隠蔽した 」 と受け取られても、否定できないところだ。

彼らは、政権交代によって 「 腐敗した自民党政治 」 に終止符を打つことを訴え続けてきたが、これでは、何の変化もない。

鳩山 の代表就任演説では、「 西松建設 」 の問題に一言も触れておらず、おそらく今後も、彼らの口から語られることはないだろう、


野党である間はよいが、民主党が国家権力を掌握したとき、彼らの組織に 「 自浄能力 」 が無いことは、致命的な欠陥になり得るだろう。

いくら 小沢 が強弁しようが、常識外れに多額の献金が、違法であり、秘書の一存で行われたものではないことを、鳩山 も、岡田 も知っている。

それを隠し、目的のためには不問にすることが、彼らの言う 「 挙党態勢 」 であることを、我々は理解しておかねばならないだろう。

小沢 の資金力、選挙 ノウハウ を利用するために、内なる悪事を隠蔽した 民主党 を、良識ある有権者がどのように評価するのか、見ものである。

もちろん、自民党 にも 「 自浄能力 」 は乏しいが、鳩山 の語る 「 愛のある政治 」 とは、仲間の悪事を庇うことであることを、知っておくべきだろう。






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2009年05月15日(金) 草なぎ 剛 が芸能活動を再開



「 私の経験によれば、欠点のない者には、取柄もないものだ 」

         エイブラハム・リンカーン ( アメリカ合衆国第16代大統領 )

It has been my experience that folks who have no vices have very few virtues.

                                Abraham Lincoln



人材を登用する面接試験では、さまざまな質問が応募者に浴びせられる。

なかでも、回答に苦慮するのは 「 あなたの短所は何か? 」 という質問だ。


自分を売り込む機会に 「 長所 」 を語るのは簡単だが、「 短所 」 を尋ねられた場合、下手な回答をすれば、評価を下げ、自ら墓穴を掘りかねない。

かといって 「 短所はありません 」 などと答えたら、自信過剰で生意気だと思われるし、「 わかりません 」 と言うのも、芸が無さすぎる。

ベスト な回答は、「 致命的でなく、見方によっては長所とも考えられるような短所 」 を選び、一応、改善しようと心がけている態度を示すことだ。

たとえば、作業員系の志望者が 「 私の短所は “ 無口 ” なところです 」 と答えたら、無駄話をせず、真面目に働くと、好印象を受けることが多い。

営業職の場合、「 人と話すのが好きで、つい長話になってしまうんです 」 と答えれば、コミュニケーション能力が高く、適正があると判断されやすい。


誰にでも欠点があり、それは、その人物の 「 愛すべき人間らしさ 」 を示す部分でもあるということを、プロ の面接官なら心得ているものだ。

つまり、人材登用の面接試験では 「 職務能力 」 を知るために “ 長所 ” を尋ね、「 人柄 」 を知るために、あえて “ 短所 ” を尋ねるのである。

ただし、いくら正直に話してくれても、その “ 短所 ” が業務に支障をきたすほど 「 深刻で致命的なもの 」 では、適応能力を疑われてしまう。

たとえば、「 健康上の問題がある 」 とか、「 すぐに暴力をふるう 」 だとか、「 働くのが嫌い 」 などの “ 短所 ” では、マイナス面が大きすぎる。

そういう欠点は、「 改善してから出直してこいよ 」 と思われるのが普通で、ある意味 “ 人間らしい ” と言えなくもないが、採用はされない。


酒に酔って、深夜の公園で全裸になり 「 公然わいせつ罪 」 で逮捕された SMAP の 草なぎ 剛 が、約一ヶ月ぶりに芸能活動へ復帰する。

一ヶ月という自粛期間が、長いか、短いか、あるいは妥当だったのか、人によって評価は異なるだろうが、同情的な見方をする人のほうが多いようだ。

深酒を好む習慣は、どの程度かによって 「 致命的な欠点 」 か、それとも 「 愛すべき人間らしさ 」 なのか、判断が分かれるであろう。

罪状は 「 公然わいせつ 」 ということだが、裸になったかどうかよりも、酒による失敗で、どのような被害を世間に及ぼしたかが問題かもしれない。

事実、泥酔したが裸にならなかった 中川 財務省 は、更迭後、復帰の目処もついていないが、草なぎ 剛 の復帰を待ち望む人は、大勢いるのである。


個人的な意見として、彼の酒癖の悪さは、欠点かもしれないが 「 致命的 」 というほどではなく、むしろ 「 愛すべき人間らしさ 」 に近いと思う。

若年層の ファン も多いので、その影響力からみても、頻繁に繰り返さないほうが好ましいけれど、反省のため、禁酒、断酒までする必要はない。

彼にとって、適度な飲酒が ストレス 発散の手段であったのならば、世間の目を恐れ、禁酒、断酒することで、心身の調和を乱すほうが心配だ。

抑圧されて気を病み、クルクルパー になって精神科へ通うようでは、泥酔し裸になるよりも ファン が悲しむわけで、彼自身の責任が果たせない。

同じような失敗を繰り返さないため、もちろん反省はするだろうが、大袈裟に悩みすぎず、今後、また元気に活躍されることを期待している。






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2009年05月12日(火) 小沢 辞任 より 「 次は誰か 」 が重要



「 変えるには リスク が伴う。 変えなければ、もっと大きな リスク が伴う 」

                    ジョン・ヤング ( アメリカの宇宙飛行士 )

Risky to change. Riskier not to change.

                                   John Young



組織には、たとえ リスク を冒してでも、変革を迫られる時期がある。

概ね、その目的は 「 より大きな危険を回避するため 」 である。


西松建設 からの違法献金事件を受け、民主党内からも辞任を求める声の出ていた 小沢 一郎 が、ようやく代表辞任を表明した。

記者会見では、辞任する理由として 「 衆院総選挙での必勝と政権交代の実現に向け、挙党一致態勢をより強固にするため 」 と語っている。

違法献金事件については、再度、「 一点のやましいところもない 」 と主張したが、秘書が逮捕までされているのだから、どうにも苦しい言い訳だ。

小沢 の辞任が、すぐに民主党の信頼回復に繋がるかどうかは疑問だが、党内の批判に背を向け、問題を放置、長期化させるよりは好ましい。

人体と同じで、悪性の腫瘍が見つかった場合は、治療が困難になる前に、切除しないと、健全な部分にまで病巣が拡大する恐れは高い。


後任を決める代表選には、岡田 副代表、鳩山 幹事長 の両名が出馬する見通しだが、事態を早期に収拾させるため、16日には決めるという。

鳩山 幹事長 は、小沢 辞任 の連帯責任として、幹事長を辞めると公言していたのに、すぐさま代表選に出馬する姿勢は、ちょっと納得しかねる。

自民党が何度も総理を変えた ( 4年で4人 ) ことを批判してきた民主党が、民意を尋ねず、国会議員だけの投票で代表を選ぶのも問題だ。

今までは、たかが 「 野党の代表 」 に過ぎなかったけれども、政権交代が現実性を帯びた現在、それは 「 次期 総理 」 となる可能性も高いはずだ。

本気で政権を奪取し、新内閣を発足させる覚悟があるなら、党内を束ねるだけでなく、国民から 「 総理 」 として支持される人物を選ぶ必要がある。


小沢 が代表を辞任したことは、もちろん、賢明な判断だといえるが、本当に大事なことは、新代表を 「 誰にするか 」、「 どうやって決めるか 」 である。

冒頭の名言が示す通り、「 変えない リスク 」 よりは被害が小さいけれど、「 変える リスク 」 も存在するわけで、後任選びは、その最重要課題だ。

石原 東京都知事 は、小沢 辞任 の報を受けて 「 当然だろう、国民だって バカ じゃない 」 と発言したそうだが、同じように、民主党も バカ ではない。

党に 「 小沢 の代わりが務まる人材 」、「 次期総理の器に相応しい人材 」 がいれば、もっと早い時点で、小沢 に引導を渡していただろう。

世間では、今回の辞任発表で 「 民主党を評価する、しない 」 という議論も飛び交っているが、衆院選の投票は 「 新しい顔 」 を見て、決めるべきだ。






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2009年05月11日(月) インフルエンザ 報道にみる 「 マスコミ 」 への憤り



「 仮に太陽系と天体の全部が壊れたとしても、君が死ぬのは1回きりだ 」

              トーマス・カーライル ( イギリスの歴史家、評論家 )

The crash of the whole solar and stellar systems could only kill you once.

                                 Thomas Carlyle



暇な人間ほど、些細な出来事を大袈裟に騒ぎ立て、すぐに冷静さを失う。

忙しく働いていれば、騒ぎを広めたり、それに絶望したりする暇などない。


冒頭の名言が示す通り、すべての人間は 「 1回だけ死ぬ 」 という共通点があり、「 1回も死なない 」 とか、「 2回以上死ぬ 」 といった例はない。

つまり、自分を死に至らしめる原因というのは、たった一つしかないわけで、それ以外のことに 「 我が身の危険 」 を感じる必要などないはずだ。

もちろん、身の危険だけでなく、大切な財産を失うとか、将来の不安やら、心配の種は他にも考えられるが、「 死 」 以外のことは、やり直しがきく。

ある種の 「 取り返しがつかぬ失敗 」 は、人生設計を狂わせるかもしれないが、生きているかぎり、軌道修正を加えながらの再チャレンジは可能だ。

ちょっとした失敗で絶望し、人生を投げ出したり、死に直結しない心配事で気を病むような人は、考えが足りないか、よほどの 「 暇人 」 なのである。


今年の黄金週間は、自宅で テレビ でも観ながら過ごそうと決めていたが、他に話題もないせいか、新型インフルエンザ の報道ばかりで辟易した。

日本で、毎年 700名前後が インフルエンザ で死亡し、癌など他の疾患を持つ人が、インフルエンザ で死期を早める例は 10000件 ほどある。

それに対し、致死性が低いといわれる今回の 新型ウイルス が、どうして、天地をひっくり返したような大騒動に発展するのか、まるで解せない。

ましてや、インフルエンザ の ウイルス が好む 「 低温 」、「 乾燥 」 といった条件が整う冬は過ぎ、気候は夏へと移ろうとしているではないか。

不測の事態を想定し、日本政府が慎重な予防策をとる姿勢は評価するが、過剰に不安感を煽る マスコミ の執拗な報道ぶりは、常軌を逸している。


今回の騒ぎで思い出すのは、第四次中東戦争による “ オイルショック ” の際、日本中を震撼させた 1973年の 「 トイレットペーパー騒動 」 である。

発端は、大阪 千里中央 駅 にある 「 大丸ピーコック 」 という スーパー で、売場の担当者が トイレットペーパー の特売広告を掲げたことに始まった。

彼らは “ 安売りをしているから ” という意味で 「 早くしないと紙がなくなる 」 と書いたのだが、突然、300人 近い主婦の行列ができてしまった。

たしかに、原油価格の高騰は、紙の価格高騰に無関係ではないが、冷静に考えてみれば、それで紙の供給が減る危険は、まったく考えられない。

ところが、それを 「 物不足の恐怖 」 と曲解した買い物客の一団が殺到し、わずか 2時間 のうちに、店側の準備した 500個 は完売した。


それだけなら、単なる笑い話で済むのだが、その場に居合わせた “ 暇 ” な主婦が知人に 「 流言飛語 」 を伝承し、またたく間に騒ぎは拡大した。

わずかでも流通の知識がある者からみれば、これが “ デマ ” であることは明白だったが、当時の マスコミ は、混乱をいさめる良識を持たなかった。

各地に飛び火した 「 消費者の不安心理 」 を、マスコミ はいさめるどころか煽り立て、その後しばらく、全国的な紙不足が続くことになる。

当時、中学生だった私も、学校で使う ノート が入手し難くなったり、学校の トイレ から紙を持ち帰る輩のせいで、ちょっと迷惑した記憶がある。

この 「 新型 インフルエンザ 騒動 」 が、それと同じとは言わないけれども、国民の不安を煽るばかりで、冷静さを求めない マスコミ の本質は同じだ。


それでもなお、我が身に及ぶ 「 あらゆる危険 」 を排除したいのだと考える方々は、マスク の着用や、予防接種を受けられるとよいだろう。

ただし、危害が及ぶ確率論からいえば、新型 インフルエンザ 感染者より、たとえば、精神病患者を 「 隔離 」 したほうが、よほど安全は保たれる。

殺人事件を含む異常犯罪の多くは、精神病や、心身症など、自己の感情を抑制できない人物が加害者になっており、その大半は隔離されていない。

こういうことを書くと 「 偏見だ 」、「 人権蹂躙だ 」 と反撥される方も多いが、では、新型 インフルエンザ 感染者 の人権は守られているのか。

ほとんど、他人を殺害する危険も無いのに、隔離され、周囲の 「 さらし者 」 にされている彼らにこそ、もっと人権を配慮すべきではないだろうか。


映画化もされた韓国の小説 『 大統領の理髪師 』 の劇中で、お腹の調子が悪く 「 下痢 」 になると、警察に連行され、拷問を受ける場面がある。

たまたま、その当時 ソウル に潜入した北朝鮮の工作員が伝染病の保菌者だったので、ごく普通の民間人すべてが スパイ の疑いをかけられたのだ。

毎年、季節性の インフルエンザ に、無数の人々が感染する中で、致死性が低いとされる今回の感染者だけが、なぜ、その存在を晒されるのか。

もちろん実名は公表されていないが、カナダ に留学していた 「 寝屋川市 の 高校生 」 などと マスコミ に報道されれば、周囲には一目瞭然だ。

人々の、ごくわずかな 「 我が身に及ぶ危険 」 と引き換えに、無実の彼らに社会的制裁を与え、無用な不安感を煽る マスコミ の姿勢に憤りを感じる。






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2009年05月10日(日) インフルエンザ 報道にみる 「 マスコミ 」 への憤り



「 仮に太陽系と天体の全部が壊れたとしても、君が死ぬのは1回きりだ 」

              トーマス・カーライル ( イギリスの歴史家、評論家 )

The crash of the whole solar and stellar systems could only kill you once.

                                 Thomas Carlyle



暇な人間ほど、些細な出来事を大袈裟に騒ぎ立て、すぐに冷静さを失う。

忙しく働いていれば、騒ぎを広めたり、それに絶望したりする暇などない。


冒頭の名言が示す通り、すべての人間は 「 1回だけ死ぬ 」 という共通点があり、「 1回も死なない 」 とか、「 2回以上死ぬ 」 といった例はない。

つまり、自分を死に至らしめる原因というのは、たった一つしかないわけで、それ以外のことに 「 我が身の危険 」 を感じる必要などないはずだ。

もちろん、身の危険だけでなく、大切な財産を失うとか、将来の不安やら、心配の種は他にも考えられるが、「 死 」 以外のことは、やり直しがきく。

ある種の 「 取り返しがつかぬ失敗 」 は、人生設計を狂わせるかもしれないが、生きているかぎり、軌道修正を加えながらの再チャレンジは可能だ。

ちょっとした失敗で絶望し、人生を投げ出したり、死に直結しない心配事で気を病むような人は、考えが足りないか、よほどの 「 暇人 」 なのである。


今年の黄金週間は、自宅で テレビ でも観ながら過ごそうと決めていたが、他に話題もないせいか、新型インフルエンザ の報道ばかりで辟易した。

日本で、毎年 700名前後が インフルエンザ で死亡し、癌など他の疾患を持つ人が、インフルエンザ で死期を早める例は 10000件 ほどある。

それに対し、致死性が低いといわれる今回の 新型ウイルス が、どうして、天地をひっくり返したような大騒動に発展するのか、まるで解せない。

ましてや、インフルエンザ の ウイルス が好む 「 低温 」、「 乾燥 」 といった条件が整う冬は過ぎ、気候は夏へと移ろうとしているではないか。

不測の事態を想定し、日本政府が慎重な予防策をとる姿勢は評価するが、過剰に不安感を煽る マスコミ の執拗な報道ぶりは、常軌を逸している。


今回の騒ぎで思い出すのは、第四次中東戦争による “ オイルショック ” の際、日本中を震撼させた 1973年の 「 トイレットペーパー騒動 」 である。

発端は、大阪 千里中央 駅 にある 「 大丸ピーコック 」 という スーパー で、売場の担当者が トイレットペーパー の特売広告を掲げたことに始まった。

彼らは “ 安売りをしているから ” という意味で 「 早くしないと紙がなくなる 」 と書いたのだが、突然、300人 近い主婦の行列ができてしまった。

たしかに、原油価格の高騰は、紙の価格高騰に無関係ではないが、冷静に考えてみれば、それで紙の供給が減る危険は、まったく考えられない。

ところが、それを 「 物不足の恐怖 」 と曲解した買い物客の一団が殺到し、わずか 2時間 のうちに、店側の準備した 500個 は完売した。


それだけなら、単なる笑い話で済むのだが、その場に居合わせた “ 暇 ” な主婦が知人に 「 流言飛語 」 を伝承し、またたく間に騒ぎは拡大した。

わずかでも流通の知識がある者からみれば、これが “ デマ ” であることは明白だったが、当時の マスコミ は、混乱をいさめる良識を持たなかった。

各地に飛び火した 「 消費者の不安心理 」 を、マスコミ はいさめるどころか煽り立て、その後しばらく、全国的な紙不足が続くことになる。

当時、中学生だった私も、学校で使う ノート が入手し難くなったり、学校の トイレ から紙を持ち帰る輩のせいで、ちょっと迷惑した記憶がある。

この 「 新型 インフルエンザ 騒動 」 が、それと同じとは言わないけれども、国民の不安を煽るばかりで、冷静さを求めない マスコミ の本質は同じだ。


それでもなお、我が身に及ぶ 「 あらゆる危険 」 を排除したいのだと考える方々は、マスク の着用や、予防接種を受けられるとよいだろう。

ただし、危害が及ぶ確率論からいえば、新型 インフルエンザ 感染者より、たとえば、精神病患者を 「 隔離 」 したほうが、よほど安全は保たれる。

殺人事件を含む異常犯罪の多くは、精神病や、心身症など、自己の感情を抑制できない人物が加害者になっており、その大半は隔離されていない。

こういうことを書くと 「 偏見だ 」、「 人権蹂躙だ 」 と反撥される方も多いが、では、新型 インフルエンザ 感染者 の人権は守られているのか。

ほとんど、他人を殺害する危険も無いのに、隔離され、周囲の 「 さらし者 」 にされている彼らにこそ、もっと人権を配慮すべきではないだろうか。


映画化もされた韓国の小説 『 大統領の理髪師 』 の劇中で、お腹の調子が悪く 「 下痢 」 になると、警察に連行され、拷問を受ける場面がある。

たまたま、その当時 ソウル に潜入した北朝鮮の工作員が伝染病の保菌者だったので、ごく普通の民間人すべてが スパイ の疑いをかけられたのだ。

毎年、季節性の インフルエンザ に、無数の人々が感染する中で、致死性が低いとされる今回の感染者だけが、なぜ、その存在を晒されるのか。

もちろん実名は公表されていないが、カナダ に留学していた 「 寝屋川市 の 高校生 」 などと マスコミ に報道されれば、周囲には一目瞭然だ。

人々の、ごくわずかな 「 我が身に及ぶ危険 」 と引き換えに、無実の彼らに社会的制裁を与え、無用な不安感を煽る マスコミ の姿勢に憤りを感じる。






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