Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年12月30日(火) 日本人にとって、不景気より深刻な問題



「 成功者とは、自分に向けて投げつけられたレンガを利用し、

  強力な土台を作れる人間だ 」

               デビッド・ブリンクリー ( アメリカのジャーナリスト )

A successful man is one who can lay a firm foundation with the bricks others have thrown at him.

                                  David Brinkley



逆境にあっても、それを糧として飛躍できる人間が、必ず存在する。

いちいち落ち込んだり、傷つくばかりでなく、強い心を持ち続けたいものだ。


未曾有の好景気に沸いた昨年末から、たった一年で株価は半減し、急速に円高、ドル安が進み、世間は大不況の様相を呈してきた。

おそらく、いまも90%の人にとっては、所得が減ったわけでも、職を失ったわけでもないはずだが、人々の将来に対する不安は増すばかりだ。

必要以上に不安を煽り、騒ぎたてるマスコミも悪いが、そんな報道を受けて過敏に反応し、右往左往する大衆の方にも、反省すべき点はある。

多くの人は、一昔前、かの ホリエモン に対して 「 守銭奴 」 と罵り、人生は 「 お金がすべてではない 」、「 もっと大切なものがある 」 と悟ったはずだ。

それなのに、不況になった途端、「 お金がなくなったら、この世の終わり 」 のごとく大騒ぎしているようでは、ちょっと矛盾しているのでないか。


一部の宗教家や、運命論者らに言わせると、「 試練は、それを乗り越えられる者にしか訪れない 」 のだそうである。

実際、誰の身の上にも試練は平等に訪れるのだが、知恵や、精神力などによって、誰でも 「 心構え一つで克服できる 」 という教訓なのだろう。

これほどの大不況に陥れば、自殺が増えて当然と仰る人もいるが、過去に日本人は、敗戦、ドルショック、オイルショックなどの危機を経験した。

あるいは、四肢や五感を喪失したり、大病を患っても希望を捨てない人々、災害や事故、犯罪で近親者を亡くしながら、気丈に生きる人も珍しくない。

つまり、逆境に耐えれるかどうかの境目は、どれほどの不幸に見舞われたかではなく、その人に、どれだけ 「 立ち直る力 」 があるかどうかで決まる。


不況や、それに伴う人員削減、政治不信、環境問題など、いま起きている 「 現象面 」 ばかりをマスコミは取り上げるが、問題は別のところにある。

最近の日本人に最も深刻な大問題は、過保護に甘やかすことで精神力が低下し、本来、誰もが持つ 「 立ち直る力 」 が養われ難くなったことだ。

いくら世界が平和でも、どれだけ政治家が真面目に働いたとしても、逆風、逆境は、どこかで必ず訪れるし、永遠に好景気が続くはずもない。

生きている間に、良い時代があれば、悪い時代も来るのは自然の摂理で、すべての人に、どんな環境からでも 「 立ち直る力 」 が求められる。

来年が、どのような年になるのか想像し難いけれど、精神を鍛えた者には案じる必要などなく、そうでない者には、いつまでも明日がみえないだろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月23日(火) クリスマス・イヴ



「 愛のない人生は、花や実のつかない木のようなもの 」

                  カリール・ジブラン ( レバノンの詩人、画家 )

Life without love is like a tree without blossoms or fruit.

                                   Kahlil Gibran



花や、実のつかない木も、だからといって存在価値が無いわけではない。

だが、それは人間からみると、やはり 「 寂しい 」 ということになる。


愛する人がいなくても、けして生きられなくはないが、愛する人と共に生きる幸福感は、人生を豊かにし、より素晴らしいものにしてくれる。

多くの日本人にとって クリスマス は、本来の宗教的な意味よりも、愛する人と充実した時間を過ごす楽しみとして、定着しているように思う。

この日ばかりは 「 景気 」 のことなど忘れ、美味しい 「 ケーキ 」 に舌鼓を打ち、雑事や喧騒から逃れ、ゆったりと温もりを感じていたいものだ。

ある女性が、「 クリスマス は、なんとなく優しい気持ちになれるから好き 」 と言っていたけれど、たしかに、そういうものかもしれない。

あるいは、キリスト の最大の功績とは 「 クリスマス の習慣を遺したこと 」 ではないかと思うのだが、それは、信仰心の薄さによる冒涜であろうか。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月22日(月) スポーツ難民化の時代



「 汗は達成のコロン 」

        ヘイウッド・H・ブラウン ( アメリカのスポーツ・ジャーナリスト )

Sweat is the cologne of accomplishment.

                               Heywood H. Broun



短い文章だが、スポーツの醍醐味について、如実に表した名言だと思う。

種目を問わず、似たような経験をした人は、誰もが共感してくれるはずだ。


けして 「 スポーツマンに悪人はいない 」 とまで言わないが、スポーツには、どうしようもない奴でも、少しは マトモ な存在に変えてくれる効果がある。

どの程度、真剣にやったかにもよるが、子供はスポーツを通じて、ルールを守ること、フェアプレイの精神、あきらめない強さなどを学ぶ。

学生時代にスポーツの経験がある者と、無い者では、単に体力だけでなく、協調性、組織順応力などに 「 差がある 」 と答える人事担当者も多い。

勉強も大事だが、文武両道から 「 武 」 が欠落した育て方をすると、どこかバランスの悪い人間になる危険が大きく、大人になって困ることになる。

人生において、一度も失敗しない人間なんていないわけで、つまづいたり、転んだりしたときに 「 立ち直る力 」 も、スポーツが教えてくれるものだ。


汗をかいて動き回り、芳しい結果が残せない人より、空調の完備した部屋に座り、電話一本で成果を挙げる人のほうが、はるかに優秀である。

だが、同じ成果だった場合には、体を動かし、汗をかいて成果を得た人のほうが、達成感、やりがいを感じることは多く、それが次への活力になる。

汗をかかないで、労力を伴わぬ小手先の技術で結果を出しても、手応えに乏しく、仕事を好きになったり、情熱を高めていくことは難しい。

そういった 「 スポーツの “ ノリ ” 」 みたいなものも、仕事を楽しむ術の一つであり、言葉では言い表し難いが、長丁場の仕事では重要となるだろう。

団体種目だけでなく、個人競技経験者でも、仲間と成果を称えあう習慣は身についており、そういう “ ノリ ” が、苦境を乗り越える原動力になる。


アイスホッケー男子のアジア・リーグに参戦している 「 西武 」 が、親会社の業績不振を理由に、今季限りでの廃部を正式に発表した。

今季限りでの解散を発表したアメリカンフットボールの 「 オンワード 」 や、女子サッカーの 「 TASAKI 」 も、同様の理由で休部を決めている。

米保険大手 「 AIG 」 はテニスのジャパン・オープンから、「 ホンダ 」 はF1から、「 スズキ 」、「 スバル 」 はラリー選手権から、それぞれ撤退する。

実業団スポーツの存続が、スポンサー企業の経営動向に左右されるのは仕方のない部分もあるけれど、「 連鎖反応 」 のように廃部が続いている。

この流れは、どこかで歯止めをかけないと、単にスポーツ振興のみならず、健全な青少年の育成にも悪影響を及ぼしかねず、国家的な大問題である。


そもそも、日本の実業団スポーツは、スポンサー企業が 「 支援 」 するのでなく、「 所有 」 しているところに問題があり、抜本的な改革が必要だ。

概ね、維持費に比べて広告効果は薄いので、いくら強豪チームといえども、親会社の業績が悪化すれば、たちまち廃部の憂き目に遭ってしまう。

チーム運営は、企業だけに頼らず、地域の自治体と、文部科学省の歳出を充てるべきで、これこそ 「 正しい税金の使い方 」 ではないか。

お金が無いというのであれば、それに充当する予算として、文部科学省は、たとえば 「 私学への補助金 」 をカットすればよい。

少子化で子供が減り、公立学校数が十分にある現状で、大学はともかく、私立の小・中・高など不要であって、国が補助金を出す理由などない。


最近、日本で 「 韓流ブーム 」 に ハマ る女性も増えているが、たしかに、韓国の俳優をみると、なかなか気骨のある男性が多いようにみえる。

これには 「 徴兵制の有無 」 に依るところが大きく、いまさら徴兵制を導入しろとは言わないが、せめてスポーツぐらいは、全員にやらせたいものだ。

ノーベル賞も栄誉なのだが、国として、五輪でメダルを獲ることにも注力し、健全な身体と精神を養うスポーツの啓蒙活動に、もっと予算を割くべきだ。

精神科が繁盛し、自殺や、異常犯罪が絶えない実情も、文武両道の復活によって、緩和され、改善されていくのではないだろうか。

実業団スポーツが衰退し、実力のある選手たちが 「 スポーツ難民化 」 していく状況こそ、日本の将来を暗いものにしているようで、なんとも虚しい。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月17日(水) 企業が本当に斬りたいのは …



「 人の幸福は、他人の不幸の上に築かれている 」

                    イヴァン・ツルゲーネフ ( ロシアの作家 )

Every man's happiness is built on the unhappiness of another.

                                  Ivan Turgenev



誰もが幸福に暮らせる社会こそ、近代国家の理想である。

だが、それは 「 皆が同じ努力をした場合 」 という前提に、基づいている。


実際には、努力する人、怠慢な人、積極的な人、消極的な人、誠実な人、自分本位な人、様々な人がいるわけで、当然、その運命は違ってくる。

また、誰かの犠牲により幸せを掴む人もいるのだが、概ね、そういう人は、自分が犠牲を強いている相手のことを、あまり意識していない。

わかりやすい例を挙げると、たとえば、親のスネをかじる馬鹿息子などは、親が自分のために、どれほどの苦労をしているのか、興味すらない。

貧しい後進国から買い漁った食糧を、粗末に捨てる日本人も、ある意味、同じようなものだから、反省が必要だろう。

大半は、どこかで己の過ちに気付き、自分が犠牲にした人々への感謝や、贖罪の気持ちを抱くものだが、稀に、いつまでも気付かない人もいる。


最近、あちらこちらの企業が、派遣労働者など 「 非正規雇用 」 の人々を大量に解雇する現象が広がり、大きな社会問題になっている。

一昔前までは、非正規雇用で生計を立てる人が少なく、どちらかといえば、副業的な収入を得る手段として、非正規雇用を選ぶ人が多かった。

代表的なものとしては、世帯主である旦那の給料だけでは物足りないから、奥さんがパートに出たり、大学生の子供がアルバイトをするような例だ。

ところが、ライフスタイルの多様化によって、学卒後も正社員に就かない人が増え、それに対する 「 うしろめたさ 」 も、徐々に薄れてきた。

小泉政権下で、「 派遣業法 」 が緩和され、やたらと派遣社員が増えたことも大きな要因だが、非正規雇用を選んだのは、各人の意思によるものだ。


当初、非正規雇用に従事する人々が解雇されても、どちらかというと各企業の労働組合は無関心で、救済のために行動を起こす団体は少なかった。

彼らは、あくまでも 「 正社員のための組合 」 であって、企業にとって雇用負担の少ない非正規雇用者は、むしろ、自分たちの敵だったからである。

実際、アルバイトでも事足りるような仕事すら、高額な退職金や福利厚生の必要な正社員にさせていた企業では、非正規雇用の増加は脅威に感じた。

一部の職場では、正社員が非正規雇用者を 「 目の上のコブ 」 とみなし、露骨な嫌がらせをしたり、反目する状況さえみられたほどだ。

同じ仕事をしていても、仲間意識はなく、正社員にとって非正規雇用者は、まるで 「 自分たちを脅かす存在 」 のように、毛嫌いされる傾向にあった。


ところが、不況が深刻化し、非正規雇用の大量解雇が始まった途端、今度は手の平を返したように、多くの組合が彼らを庇い始めた。

企業による非正規雇用者の大量解雇を許せば、「 次は自分たちの番 」 になるかもしれないという不安が、一気に拡がったせいである。

非正規雇用だけならまだしも、正社員までクビにされたら困るじゃないかと、にわかに慌てふためき、態度を豹変させたとみて間違いない。

たしかに、彼らが 「 次は自分たちの番 」 という危機感を抱きはじめたのは正解で、おそらく、これから正社員を対象にしたリストラが進むだろう。

だが、「 非正規雇用だけならまだしも、正社員まで 」 という認識については、残念ながら、「 問題の本質を理解していない 」 と言わざるを得ない。


冷静に少し考えればわかる話だが、いま、企業が本当に解雇したいのは、非正規雇用者でなく、正社員のほうである。

もちろん、給料に見合う働きをする人材は貴重だが、能率の悪い正社員、育成計画から外れた戦力外の正社員は、企業の足かせとなっている。

たとえていうと、「 30年前のエアコン 」 みたいなもので、まったく冷えないのに、電気代ばかり無駄に喰うような代物だ。

しかし、正社員の場合は非正規雇用者と違い、複数の法律で地位が守られており、条件が整わないと、そう簡単には解雇できないのが実情である。

そして、その整えるべき条件の一つに 「 非正規雇用者を全員解雇したか 」 という項目が含まれることを、ご存じでない方が多い。


つまりは、極論から言うと 「 1人の正社員を解雇するために、10000人の派遣労働者を先に解雇する 」 という対応が、必要な場合もある。

非正規雇用者が大量解雇される報道を、お気の毒そうに眺める正社員の中には 「 本当は自分が狙われている 」 ことを、知らない人もいるだろう。

企業は、狙いをつけた正社員さえ解雇してしまえば、景気の回復に伴い、新たな正規、非正規の採用を再開することが可能で、何のリスクも無い。

けして、正社員の方々に対し、不安を煽るつもりはなく、各人が企業の業績に貢献できる 「 価値ある人材 」 になれば、まったく問題はないのである。

逆に、その 「 価値 」 が無いのに正社員として居座っている人は、意識していないところで誰かを犠牲にしていることを、深く反省すべきだろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月16日(火) ゴーン に足りない 「 経営の美学 」



「 勇気とは、窮しても品位を失わないことだ 」

                  アーネスト・ヘミングウェイ ( アメリカの作家 )

Courage is grace under pressure.

                               Ernest Hemingway



今夜は、これを読まれた皆様に、ある問題の解決策を考えてもらいたい。

喫煙者の方は喫煙者の視点で、そうでない方は非喫煙者の視点で。


あるところに、従業員1000名の会社があり、その一割にあたる100名が喫煙者、残りの900名が非喫煙者で構成されている。

昼食や休憩に利用する社員食堂は禁煙だが、隅の一角に喫煙スペースが設置されており、そこで喫煙者はタバコを吸うことができる。

ずいぶん景気の良い頃に建てられた社屋なので、食堂にも、喫煙スペースにも、大型のテレビが据え付けられ、社員の憩いの場となっている。

ある日、喫煙スペースのテレビが壊れ、修理するにも部品が無いために、喫煙者の代表が新品購入を陳情したが、不景気のせいか、断られる。

会社の備品とはいえ、業務の遂行に不可欠な代物でもないので、社長は、「 社で負担しないが、皆で費用を出して購入するのは自由 」 との意見だ。


喫煙者の代表は、仲間の強い要望を受け、全社員に対し 「 新しいテレビを買うとすれば30万円が必要、皆で300円づつ負担して欲しい 」 と訴えた。

すると、非喫煙者の中から 「 おいおい、非喫煙者にとっては何のメリットも無いテレビに、なぜ、費用の負担を迫るのか 」 という不満が噴出した。

喫煙者たちは、社長の言う “ 皆 ” とは 「 全社員 」 を指していると解釈し、非喫煙者たちは 「 全喫煙者 」 を指していると受け止めたようだ。

喫煙側から、「 仲間の一割が困ってるんだから、これは全体の問題だ 」、「 300円ぐらい、生活に影響ないだろ、ケチ! 」 などの反論が上がる。

非喫煙側は、「 テレビが観たいのなら、タバコをやめろ 」、「 喫煙者だけで負担したって3000円だろ、生活に影響ないはずだ! 」 と、やり返す。


議論のポイントは 「 全体の一割 」 という対象者数を、どのように評価するかというところにあり、それで判断が分かれるといっても過言ではない。

喫煙側も、非喫煙側も、一割という数字を 「 量的に少ない 」 と感じてはいないが、「 一割の問題は、全体の問題 」 と思う、思わないの差がある。

また、「 数が多いから、全員で救済すべき 」 という発想と、「 少数派でないなら、自分たちの力だけでも解決できるはず 」 という発想に分かれる。

現在、アメリカの自動車業界や、金融業界に対する 「 公的資金の投入 」 について賛否両論あるが、これも、似たような話ではないだろうか。

業界を立ち直らせることに異議はないが、税金を原資とする公的資金は、本来、誰もが平等に利益を享受できる 「 公益 」 に、使用は限定される。


日産自動車 の カルロス・ゴーン 社長 は、「 雇用の一割を担う自動車業界は、国にとっても重要で、欧州並みの政府支援が必要 」 と語った。

日本の自動車業界から、同様の声が上がらないことについては、「 問題を抱えていると見られたくないので、誰も言い出さない 」 と、不満を述べた。

たしかに、そういう面もあるだろうが、日本の良識ある産業人たちは、まず、「 自分たちで努力するのが先 」 という認識が強いのも、事実である。

従事する者が多いのなら、広く国民の支援を仰がずとも、人件費の抑制をはじめ、自分たちで出来るコストダウンの方法が、いくつか考えられる。

日頃は社員に、実績重視、能力評価主義などと語っておきながら、赤字になりはじめた途端、国に物乞いするような 「 依存心 」 の強い者は少ない。


景気回復のため、主幹産業を救うため、安易に 「 公的資金を投入しろ 」 と語る人もいるが、税金を私企業に注入するのは、よほどの覚悟が必要だ。

規模が大きいために、影響を考慮して国が救済するという前例をつくると、買収、合併を繰り返し、やたら図体だけデカい 「 無能企業 」 も現れる。

それに、税金を使うということは、たとえば 「 愛する我が子を自動車事故で失くした親 」 からも、自動車会社の救済資金を、強制徴収することになる。

以前、公的資金で日本の銀行を救済したときも、「 銀行から融資を断られて破綻した経営者 」 の税金が、銀行救済に使われる理不尽もあった。

業況が厳しいことは理解できるが、冒頭の名言が示す通り、苦しいときこそ品位を失わず、経営の原点に還って努力することを、ゴーン に求めたい。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月14日(日) 「 ビッグスリー は救済すべきでない 」 という正論



「 倒産のない資本主義なんて、地獄のないキリスト教みたいなものだ 」

                  フランク・ボーマン ( アメリカの宇宙飛行士 )

Capitalism without bankruptcy is like Christianity without hell.

                                  Frank Borman



その国の文化や、民族気質を知るには、しばらく住んでみるのが一番だ。

遠くから想像を働かせるだけでは、正確に理解することが難しい。


アメリカ人にとっての [ fairness ] という概念は、日常生活の中に深く浸透し、老人から子供まで、とにかく “ フェア ” に扱われることを期待する。

どのような “ 理由 ” があろうとも、それが守られなかったと感じた場合は、不満を抱かせることになるので、説明に多くの時間を費やさねばならない。

アメリカ人の親が、子供にスポーツを体験させたがるのは、「 規則に従い、相手に対して不当なことはしない 」 ことを学ばせるためでもある。

これは日本でも同じだが、スポーツの世界では “ フェア・プレイ の精神 ” が強調されており、勝ち負けや、健康な体を作るだけが目的ではない。

スポーツの経験が少ない人は、どちらがゲームに勝つかという 「 結果 」 に拘るが、プレイがいかになされるかという 「 公正さ 」 も、重要なことである。


先日、「 米自動車大手 ( ビッグスリー ) 救済法案 」 が事実上廃案となり、景気のさらなる悪化と、金融危機の深刻化に対する懸念が広がっている。

ビッグスリーのうち1社でも破綻すれば、大量の失業者が発生し、世界的な金融市場、自動車産業の混乱に繋がる危険性が高い。

現在、アメリカだけでなく、各国が進めている景気後退の回避努力も、彼らが破綻することで、そのすべてが、暗礁に乗り上げてしまう懸念さえある。

ならば、「 なんとしても救済すべきだ 」 という意見が出ても当然なのだが、「 破綻企業の救済を、納税者に頼るべきでない 」 という意見もある。

アメリカ議会で法案が通らなかったのは、まさしく、後者側の意見が前者を上回ったからで、そこにはアメリカ人の根強い [ fairness ] の意識が潜む。


いくら破綻した場合の影響力が大きいといえど、ビッグスリーは民間企業であって、一部の取引先などを除けば、大半の国民に直接的な利害は無い。

もちろん、そこの従業員や、下請けの人々が路頭に迷うと、経済全体へのダメージは発生するが、かといって 「 他人事 」 に変わりはないだろう。

街角の小さな商店が苦境に陥ったとき、ビッグスリーが支援してくれるわけではないのに、逆の場合だけ、救済を援助するというのも不条理な話だ。

誰もが 「 公正さ 」 という観点での矛盾を感じながら、現実的問題の大きさから、ルールを度外視して救済しようとする人、それに抵抗する人がいる。

どう考えても、倫理上は 「 税金を使って救済するな 」 という意見が正しいわけで、たとえ世界経済が混乱しても、その意見を非難はできない。


そもそも、ビッグスリーが肥大化し、業績が悪化した背景には、金融不安の問題だけでなく、彼ら自身の 「 怠慢 」 に依るところが大きい。

本来、製造業の基本は、売上を拡大するために、地道な市場調査を行い、知恵を絞って商品開発し、営業が汗を流して必死に売り込むものだ。

ところが、手っ取り早く売上を獲得するために、市場で実績のある企業を M&A で買収したり、傘下に加える手法を、近年は多用し続けてきた。

その中には、明らかに赤字から黒字転換できそうもないような企業も含まれたが、市場占有率を上げる効果ばかり狙い、闇雲に肥大したのである。

商品開発に力を入れず、肥大化した彼らは、遅かれ早かれ没落する運命にあったわけで、サブプライムローンの影響と、その問題は無関係だ。


かつて日本では、不良債権処理に苦しむ銀行に対して、国民からの反対を押し切って、巨額の公的資金を注入し、これを救済した歴史がある。

結果的に、それで金融不安が解消できたのだから、これを 「 成功例 」 に挙げる人もいるが、はたして、そう言えるだろうか。

国民に助けてもらった 「 恩 」 など微塵もなく、儲かっても利益を還元しないうえ、いまだに法人税も支払わず、過去の失敗に対する反省もない。

これだけ世界が 「 サブプライムローン 」 で大騒ぎしているのに、“ 日本版サブプラ ” ともいえるサラ金会社を掌中に収め、荒稼ぎを続けている。

資本主義の健全性は、「 潰れる企業は潰す 」 ことで保たれる側面が強く、一時的に回避しても、いづれ、さらに大きな問題の火種となるだろう。


最初に挙げた [ fairness ] の話に戻るが、仮にビッグスリーが破綻した場合に損失を被る金額は、当然、人によって違うはずである。

ビッグスリーが破綻すると 「 世界中が苦境に追い込まれる 」 ように語る人もいるが、それは デタラメ な意見であり、まったく正しくない。

たとえば、北朝鮮の貧民にとって影響があるかといえば、まったくそうでないし、お金持ちの ビル・ゲイツ が生活に困るかといえば、そんなこともない。

国家の一大事に、忠誠を誓って奉仕するのは国民の務めだが、私企業の救済に、影響の大小を度外視して納税負担を強いるのは、不公正である。

さらに株価が下落し、景気が減速することを望まないが、たとえそうなったとしても、私はアメリカ人が [ fairness ] を重視する姿勢を尊重したいと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月10日(水) 大不況で “ 切り捨てられる人 ” を招いた 「 社会の選択 」



「 仕事 と キャリア の差は、週に40時間働くか、60時間働くかの違いだ 」

                       ロバート・フロスト ( アメリカの詩人 )

The difference between a job and a career is the difference between 40 and 60 hours a week.

                                   Robert Frost



長く働けばよいというものではないが、ときには、ハードワーク も必要だ。

才能があっても、楽ばかりしていて、人並みの成果が得られることはない。


人それぞれ、「 仕事 」 に関する意識や定義付けは異なり、どれだけ労力を尽くしたかという意味での 「 一生懸命やりました 」 と語る水準も違う。

自分に厳しい人は、長時間労働に耐え、必死で働いても、思わしい結果に到達できなければ、「 こんなのは “ 仕事 ” といえない 」 と猛省する。

自分に甘い人は、人並みの働きが出来なくても、「 俺は “ 一生懸命 ” に、汗だくで通勤してるんだ 」 と、人並みの報酬を受け取る権利を主張する。

企業にとってみれば、その人が 「 業績に貢献できたか 」 が重要であって、「 どのような苦労をして職場に来たか 」 は、まったく興味の無い話だ。

公務員なら、あるいは通用するかもしれないけれど、こうした発想の人物が民間企業に就職した場合、企業も、個人も、不運としか言いようがない。


昨今の世界的な不況を、「 世界恐慌以来の大不況 」 などと形容する人もいるが、「 資本主義が始まって以来の大不況 」 になる恐れも十分にある。

連日の報道で、世界的シェアを誇る企業の大規模な人員削減や、期間工、派遣労働者などの解雇が伝えられ、不安を切実に感じる方も多いだろう。

私の仕事として、企業の人事部をサポートする役目も仰せつかっているが、このところ、「 リストラ 」 にまつわる作業依頼が殺到し、とにかく忙しい。

闇雲に首を切るだけなら簡単だが、退職者の再就職を支援する責任もあるので、不況時に解雇するというのは、なかなか大変な作業になる。

すぐにも再就職が可能な “ 売れ筋 ” の社員は、もともと整理対象になっていないわけで、解雇された社員には、厳しい現実が待ち受けている。


それでも、製造業の場合には、経験の 「 蓄積 」 が評価され、生産部門の管理者や、業界に精通している営業経験者などは、引き合いがある。

彼らの豊富な知識や経験、仕事を通じて培われた技術を新卒者に求めた場合、相応の育成コストが掛かるのだから、価値が認められて当然だろう。

ここで問題になるのが、「 仕事 と キャリア の違い 」 であり、単なる労働としか仕事を捉えなかった人と、情熱をもって働いてきた人の違いである。

新卒者の採用では、学歴の優劣が モノ を言うけれど、中途採用の場合には、職歴と、その人の 「 仕事に対する姿勢 」 が、大きな判断材料になる。

採用の業務も経験しているので、「 各企業の面接官にウケる面接術 」 を伝授するが、仕事に関する当人の意識は、会話の中で ボロ が出やすい。


年の瀬に解雇され、社宅や寮を引き払い、「 明日から住むところも無い 」 と嘆く非正規雇用の人々や、中高年退職者の姿が、ニュース で映される。

彼らの生活を顧みず、労働力だけを利用した企業側や、制度に歯止めをかけなかった政府の無策ぶりについて、一様に マスコミ は批判的だ。

だが、自らの意思で正社員の途に就かなかったり、長期的な雇用を避け、自らを労働力として 「 切り売り 」 する途を選んだ人も、多いのではないか。

同僚が休まず働くのを尻目に、「 必死で働くだけが人生ではない 」 などと、自らは競争に参加せず、年功序列に甘えた中高年社員も数え切れない。

つまり、大不況になれば 「 たちまち切り捨てられる人々 」 が現れるのは、労働の多様化を求めた “ 社会の選択 ” であることも、また、事実なのだ。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月06日(土) 戦力外社員の雇用負担に苦しむ企業



「 世の中は、やる気十分の人で溢れている。

  働く気十分の人がいる一方、働かせる気十分の人がいる 」

                       ロバート・フロスト ( アメリカの詩人 )

The world is full of willing people.
Some willing to work, the rest willing to let them.

                                   Robert Frost



言葉の持つ印象で、すべてを決め付けてしまう人がいる。

また、自分の立場や価値観でしか、物事を判断できない人もいる。


運転免許証の講習では、「 たぶん歩行者が飛び出さないだろう 」 などと、注意を怠る “ だろう運転 ” の危険性について、指摘する教官が多い。

車を運転するときは、「 ひょっとすると、人が飛び出してくるかもしれない 」 と、絶えず注意を集中させる “ かもしれない運転 ” が善しとされている。

安全運転を心がけることに異論は無いけれど、未来の可能性を予測する 「 だろう 」 と 「 かもしれない 」 の語句を、善悪の対比で使うのはおかしい。

たとえば、「 運転をする場合、常に安全確保を配慮すべきだろう 」 と考える “ だろう運転 ” なら、けして悪い意味に解釈されないはずだ。

逆に、「 制限速度を大幅に超えた場合も、事故を起こさないかもしれない 」 などと考える “ かもしれない運転 ” では、危険きわまりない。


この 「 だろう 」 や 「 かもしれない 」 以上に、「 経営者 」 と 「 労働者 」 という言葉には、それだけで、貧富の差を分かつかのような印象が強い。

実際には、高給を稼ぐ大企業の 「 労働者 」 もいれば、切り詰めた生活を余儀なくされている零細企業の 「 経営者 」 も多いはずだ。

会社を維持するために、自分の給料を 10万円 に抑えている経営者が、月給 40万円 ほどの従業員から 「 給料が安い 」 と愚痴られたりもする。

雇用されている以上、労使間の 「 力関係 」 は存在するものの、恒常的に経営者が裕福で、労働者は困窮しているという定義は、当てはまらない。

冷静に考えれば当然の話なのだが、前述の “ だろう運転 ” と同じように、誰かが 「 経営者は搾取し、労働者は苦しむもの 」 と、常に洗脳している。


最近の雇用を巡る報道では、たとえば、不景気によって内定を取り消した企業などが 「 悪者 」 扱いされ、取り消されると 「 被害者 」 扱いされる。

従業員は、いつでも好きなときに辞めれるが、雇用する側は、労働基準法の定める 「 正当な理由 」 が無いと、解雇できないことにもなっている。

労働者の権利を守ることも重要だが、企業や経営者に 「 いつでも余力がある 」 という “ 幻想 ” を抱かせるのは、大間違いだと言わざるを得ない。

近代社会は、「 資本家 」 と 「 労働者 」 の階級に分かれているわけでなく、誰もが自由に起業でき、その気になれば、人を雇うことができる仕組みだ。

だから、企業や経営者を目の敵にして、労働者ばかりを手厚く保護し過ぎると、経済全体に悪影響が及び、それはいづれ、すべての国民に返ってくる。


ある企業では、業況が急落したにも関わらず、世論の猛反対に遭った為、新卒者の内定を取り消せず、仕事も無いのに、人件費が大幅に増加した。

しかも、2004年に改訂された労働基準法で、病気を理由に解雇できない ルール から、病気欠勤中の数名の社員に、給与を支払い続けている。

病気は主に、うつ病などの精神疾患だが、実際の戦力となる健康な社員への負荷が増えたうえ、業績が悪化しているので、さらに厳しい傾向だ。

企業には、もちろん 「 従業員に対する責任 」 があるけれど、この会社では下手をすると 「 従業員を守って潰れる 」 という危険が浮上し始めた。

本来、国で救済すべき 「 戦力外の労働者 」 への責任まで、闇雲に民間へ押し付ける昨今の風潮が、企業の体力を奪い、不況の一因になっている。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月02日(火) 麗しの アラフォー 世代



「 年齢を偽らない女性もいます。

  ただし、そういう女性は、年齢の話を一切しません 」

                                   英語のジョーク

There are some women who won't lie about their age.
They just refuse to talk about it.

                                   English joke



概ね、タブー とされている話題は、ジョーク の ネタ にされやすい。

以下に、「 女性の年齢 」 を ネタ にした、秀逸の ジョーク を紹介する。


18歳の女性は、サッカー の ボール。
22人の男が、彼女を追いかける。

28歳の女性は、アイスホッケー の パック。
12人の男が、彼女を追いかける。

38歳の女性は、ピンポン の ボール。
2人の男が、彼女を押し付け合う。

48歳の女性は、ゴルフ の ボール。
1人の男が、彼女の後をトボトボと歩く。

58歳の女性は、ドッヂボール。
みんなが、彼女を避けようとする。


さらに、高齢な女性は 「 ボーリング の 球 」 で、消え行く後ろ姿を見送り、周囲は、残した数字の大小に一喜一憂するというのが、話の オチ だ。

私は、どちらかというと30代〜40代の女性のほうが、10代、20代の女性よりも魅力を感じるけれど、これは好みの問題かもしれない。

確率的にみると、20代の女性では30%ぐらいが可愛く、30代の女性では10%ぐらい、これが40代になると、3%以下ぐらいにまで減少する。

だからこそ、年齢を経てもなお美しい女性というものは、希少価値があり、風雪に耐えぬいた 「 本物の美貌 」 を、携えているようにも感じられる。

いまは若くて、チヤホヤ されている女性も、大半が、いつか、異性の関心を失うことを思えば、「 20代の美人より、40代の美人 」 に軍配が上がる。


この一年、話題になった名言や、新語などを選出する流行語大賞に、40歳前後の女性を指す 「 アラフォー [ around 40 ] 」 という言葉が選ばれた。

男性も女性も、40歳前後あたりは、見かけの “ 若さ ” に個人差が激しく、極端に若く見える人もいれば、すっかり枯れた印象の人もいる。

男女雇用機会均等法が定着したことで、社会進出を果たす女性が増える一方、晩婚化が進み、40歳を過ぎ、家事や育児に追われる女性も多い。

両者とも、異なる種類の 「 疲れ 」 を感じていたり、「 癒し 」 を求めていたりするのだが、それぞれに、同世代の男性たちよりは、元気そうにみえる。

仕事や家庭に対する責任感が強く、将来への不安を少なからず抱えながらも、活気に溢れ、力強く頑張っている女性が多いのは、この世代の特徴だ。


まるで自分たちが受賞したかのごとく、「 アラフォー 」 が流行語大賞を獲得した “ お祝い ” をするから来いと、女友達から誘いがあった。

この世代の女性は、ちょうど 「 バブル世代 」 と重なるせいか、自分たちの飲み会に、都合の良い “ スポンサー ” を召集することに慣れている。

渋々に、引き受けて顔を出すと、「 アラフォー 」 というよりは 「 あら、まぁ 」 とか、「 あら、そぉ 」 と口々に賑やかな、女性たちで盛り上がっていた。

お酒が入ると大胆になるご婦人も多く、「 今夜、お持ち帰りできるとしたら、誰を選ぶ? ( 既婚、未婚は度外視で ) 」 など、キワドイ 質問も出る。

丁重に、「 いや、昔から “ アタリ ” の無い クジ は引かない性格なので 」 とお断りし、身の危険を感じつつ会計を済ませ、逃げるように家路を急いだ。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2008年12月01日(月) 「 うつ病 セレブ 」 と 「 うつ病 難民 」



「 その経験を賢く活用するなら、何事も時間の無駄とはならない 」

                   オーギュスト・ロダン ( フランスの彫刻家 )

Nothing is a waste of time if you use the experience wisely.

                                  Auguste Rodin



ロダン といえば、頬杖をついて座る 『 考える人 』 の像が有名だ。

これが単独の作品でなく、ある作品の “ 一部 ” なのは、ご存知だろうか。


彼の代表作 『 地獄の門 』 は、上野の国立西洋美術館など、世界7ヶ所に展示されているが、上部に飾られている群像の一つが 『 考える人 』 だ。

銘文には、「 この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ 」 と書かれているが、一部の研究者らは 「 あるがままに現実を受け入れよ 」 と解釈している。

認めたくない現実から目を背けず、逃げずに平然と受け入れるのは、強い精神力を要し、まさに 「 地獄の入り口 」 へ足を踏み入れる覚悟が要る。

病気というものも、認めたくない現実の一つだが、絶望に暮れるだけの人、現実逃避する人、治療に励む人など、その反応は人それぞれだ。

また、当事者の置かれた環境によっても、病気という現実を受け入れやすかったり、受け入れ難かったりするので、一概に患者の問題だけではない。


精神科医 香山 リカ さん の近著 『 「 私は うつ 」 と言いたがる人たち 』 を読むと、「 うつ病 セレブ 」、「 うつ病 難民 」 という記述が登場する。

最近、大企業や公的機関などでは、社員の 「 メンタルヘルス対策 」 に力を入れるところが増え、以前に比べると、休職、復職が容易になっている。

医師の診断書さえあれば、長期休暇が取得でき、体調が悪いのであれば、遅刻しても、早退しても、それが原因で解雇されることはない。

そのせいか、大企業に勤め、少し体調が悪いと精神科医を訪ね、そこで 「 うつ病 」 と診断されなかった人の多くが、ショック を受けているという。

現在の診断基準では、一定の うつ症状 が二週間以上続けば 「 うつ病 」 と診断されるが、そうでなければ、別の診断結果が下される。


逆に、中小企業に勤める人の多くや、非正規雇用者の場合は、精神科の疾患という診断を下された時点で、もう、その日から仕事を続けられない。

法的には、病気を理由に解雇できないが、遅刻が多い、職能が低いなど、別の理由で 「 職務遂行困難 」 と判断し、辞めさせることは可能だ。

だから、彼らは精神科医に対し、たとえ 「 うつ病 」 でも、「 胃潰瘍 」 とか、何か別の診断書を書いて欲しいと頼み込むらしい。

実際は別の病気なのに 「 うつ病 と書いてくれ 」 と頼む人がいる一方で、「 うつ病 と書かないでくれ 」 と頼む うつ病 患者がいる。

彼らは、本人の 「 心の問題 」 でなく、書類を提出する 「 職場の問題 」 によって、正しい治療や診断を受ける機会が、大きく左右されているのだ。


同じ病状でも、まわりの顔色をうかがわず “ 私は うつ病 です ” と公言できる 「 うつ病 セレブ 」 と、口に出せない 「 うつ病 難民 」 が存在する。

前者の中には、長期休暇を利用し、海外旅行やレジャーに行く人もいるが、「 治療やリハビリの内容に口を出すな 」 と言われ、上司は何も言えない。

うつ病 であることを 「 マイナス の アイデンティティ 」 として ブログ などの プロフィール に書き添え、会社はサボっても、更新は欠かさない人もいる。

同僚や上司、あるいは家族が、「 遊んだり、ブログ の更新が出来るなら、仕事だって頑張れるはず 」 と思っても、最近の風潮が批判を許さない。

精神医学的には、無気力で何も出来ない人も、仕事中だけ無気力な人も、どちらも 「 うつ病 」 と認定でき、けして仮病の類ではないからだ。


以前のように、精神病であることを隠さなければいけなかった時代と比べ、病状を公言し、治療に専念できるようになったことは、好ましい状況だ。

ただし、一部で 「 うつ病 だと主張しすぎる人たち 」 が増えて、精神疾患で苦しむ人たち全体が “ ゴネ得 ” をしているような誤解も生まれている。

これが、先に述べた 「 うつ病 難民 」 と呼ばれる人たちにとっては、適切な治療を受ける機会や、安心して就労できる機会の喪失に繋がる。

近頃は、「 うつ病 と言うと、なんでも許される社会 」 と形容されているが、それは 「 うつ病 セレブ 」 の世界に限られ、病人にも 格差 が存在する。

病気の現実を受け入れることや、周囲が協力することは大事だが、良識に照らし合わせ、慎ましい態度をとることも、患者の使命ではないだろうか。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加


 < PAST  INDEX  NEXT >


Oldsoldier TAKA [MAIL]

My追加