「 レコードとは、ホールのないコンサートです。
レコードとは、持ち主が館長を務める博物館です 」
グレン・グールド ( ピアニスト )
A record is a concert without halls and a museum whose curator is the owner.
GLENN GOULD
好きな音楽に囲まれて暮らすのは、一種の快楽であろう。
その起源がいつなのか知らないが、多くの人にとって音楽は不可欠だ。
他の芸術もそうだが、音楽には 「 聴く 」 以外に 「 収集する 」 という楽しみ方があり、そちらに重きを置いている好事家も多い。
他の芸術作品、たとえば絵画だとか、彫刻とか、建築といったものに比べると、レコードやCDのおかげで、個人が音楽作品を収集することは容易い。
それでも、膨大な全てのの音楽ジャンルに亘って収集することは不可能に近いので、大抵の人は特定の分野にかぎった収集活動をしている。
ハードロックに特化する人もいれば、ジャズしか聴かないという人もいるし、浜崎あゆみが好きな人、クラシックにしか興味のない人もいる。
何が好きかは人それぞれだし、各々に聴衆を惹きつける魅力があるので、クラシックが高尚だとか、ジャズが粋だとか言うのは単なる思い込みだ。
また、効果音やBGMとして利用するために、CDを買う場合もある。
私の車には 「 12連奏CDチェンジャー 」 という装置がトランクに装備されており、予め準備した12枚のCDを連続して聴くことができる。
ここに、ジャズでもクラシックでもロックでも入れておけば、同乗者の好みや、その場の雰囲気に合わせて、相応しい音楽が聴けるので便利だ。
最近では、カウンセリングをするオフィスにも 「 ヒーリング系 」 の癒し感があるCDを準備しており、部屋の空気を和ませるのに役立てている。
以前に交際していたピアノの先生によるオリジナル演奏CDなども、ここで聴かせていただいているが、なかなか好評のようである。
私自身、音楽を聴くのは好きだが、特別に収集したいという意欲はない。
たぶん、一つのジャンルに固執せず、クラシックでもジャズでも、ロックでもポップスでも、気に入った作品は何でも認めるという気質のせいだろう。
このところは、J-POP にハマっており、オレンジレンジやら、ケツメイシやら、スキマスイッチやら、若いアーチストのCDをよく買っている。
車で何気なく聴いたり、カラオケの練習用に聴いたり、若い人との付き合いで話題に困らないように聴いたりしているうちに、好きになってきた。
そんな中で、いま、個人的に一番気に入っているのは、「 コブクロ 」 というアーチストで、最新曲の 『 ここにしか咲かない花 』 のCDも購入した。
彼らは、「 小渕 ( コブチ ) さん 」 と 「 黒田 ( クロダ ) さん 」 の二人組で、二人の名前を重ねて 「 コブクロ 」 と命名したらしい。
最初に名前を聞いたときは、「 焼肉みたいだなぁ ( 焼肉屋さんのメニューでコブクロとは、牛の子宮のこと ) 」 と思ったが、なかなか良い曲が多い。
以前から、『 轍 ( わだち ) 』 とか、『 blue blue 』 なんかはカラオケでよく歌っていたのだが、今回の新曲はさらに詩と曲が良い感じだ。
大阪の出身らしく、堺や難波や天王寺で、路上ライブをやっていたそうで、友達の一人がその当時から知っていて、彼に薦められて聴き始めた。
清涼感のある歌声、情緒的な詩を落ち着いたメロディに乗せたハーモニーは、年配の人にも受け入れられやすく、幅広いファン層を獲得できている。
いろんな音楽を手軽に楽しめる手段として、CDの役割は大きい。
ただ、映画の入場料金もそうだが、諸物価の変動に比べると、現在のCDの価格というのは少し 「 高い 」 ように思う。
特に、シングルの ¥1,200- などというのはアルバムに比べても法外に高く、せめて ¥800- ぐらいまでに抑えられないものだろうか。
購入者が少ないから値段を上げる → ますます買わなくなる → 業界全体が不振になる といった悪循環で、海賊版やコピーにシェアを奪われていく。
いまや、「 CDなど買わずにダウンロードする時代 」 なのかもしれないが、収集家の存在もあることだし、もう少し価格は検討の余地があるだろう。
「 タバコ、酒、そして愛することをやめる決意をしたところで、
実際に長生きするわけではない。
ただ、長く感じるだけのことだ 」
クレメント・フロイド ( イギリスの政治家、作家、放送家 )
If you resolve to give up smoking, drinking and loving, you don't actually live longer; it just seems longer.
CLEMENT FREUD
人生とは、ある意味 「 死ぬまでの暇つぶし 」 でもある。
退屈するよりは、楽しんだほうが得に決まっている。
タバコを吸うと健康に悪いと言われており、たぶんそれは事実なのだろうが、もともと生まれ持った健康の度合いは、人によって大きく異なる。
きっと、「 タバコを吸わない不健康な人 」 に比べると、「 タバコを常用する健康な私 」 のほうが、はるかに長生きできるはずである。
もちろん、同じ私がタバコを吸うか、吸わないかによっても結果は違ってくるのだろうが、その差は前述の個人差よりも小さいように思う。
酒に関しては、適量ならば健康に有益という説もあるし、恋愛をすることも、正しいスタンスで向き合っていけるなら、けして有害とは思えない。
つまり、お気の毒な話ではあるが、不健康な人は何をやっても不健康だし、健康な人は少々荒っぽい生き方をしても、それなりに長生きが可能だ。
もし、「 健康に害がある 」 とされる物質を摂取しない以外に、それ以上の健康法があるとすれば、それはやはり精神的なものになるだろう。
気の持ち方というか、心の構え方というか、そういったメンタル的な部分の対処法によって健康度は大きく左右され、その影響は身体面にも及ぶ。
サプリメントがどうとか、お酢を飲んだらどうだとか試すよりも、心の平穏を保つことが重要で、それは医学的にも証明されている。
特に、物事をネガティブに考えがちの人は注意が必要で、胃潰瘍だとか、心因面のバランスの悪さが身体に悪影響を及ぼす病気にかかりやすい。
人生を健康に過ごす秘訣は、ずばり 「 人生を楽しむこと 」 にある。
では、人生を楽しむにはどうすればよいか。
まずは、「 何事に対しても模範的で、人並み以上には出来る 」 ように修練を積むことが挙げられる。
苦手なことがあると、人間はストレスを感じるもので、できるだけ苦手なことを克服することによって、その手のストレスからは開放される。
自分は人並みになんでも出来るという自信があれば、怖いものがないわけで、人生を堂々と楽しめるのである。
ちゃんと勉強して、スポーツで汗を流し、幅広い趣味を持ち、可能なかぎり未体験なものに挑戦し続けていれば、そのための道は開ける。
次に、「 周囲に配慮し、他人を思いやる心を持つ 」 ことである。
たまに、前項の 「 自分に自信を持つ 」 という作業が出来てもいないのに、他人の顔色ばかりを窺う人もいるが、それは大きな不幸の原因となる。
あくまでも、自分を鍛え、自信を持ったうえで、他人への配慮や思いやりを持つように務めなければならない。
そして、「 前向きに、明るく、積極的に人生に参加する 」 ことである。
ネガティブな思想の果てに幸福などなく、もし運良く幸福が訪れたとしても、その存在に気付きもしないのだから不幸でしかない。
たまに、「 前向きかどうかは性格の問題で、どうしようもない 」 と仰る人もいるが、それは先の二項を疎かにしているせいである。
つまり、自分自身の実力を鍛えなかったから前向きになれないとか、周囲にまで配慮が及ばないとか、そういう結論に達するのだ。
うつ病の人や、メンタルに問題のある人物を何人も見てきたが、いづれも 「 鍛え方が足りない 」 部分があって、やはり自分自身に問題がある。
もちろん、病気になった直接的な原因は、過酷な仕事によるストレスやら、特殊な環境、家庭の事情など、外的要因によるものが多い。
しかしながら、子供の頃から心身を鍛え、甘えや妥協に抵抗することで強く成長できた人間は、そのような不幸に陥ることが少ないのである。
たまに日記で愚痴ばかりをこぼし、自分では 「 それによってストレスを発散している 」 と思い込んでいる人もいるが、それは大きな間違いである。
愚痴やストレスは、言葉にしたり、文字にすることで 「 増幅 」 し、根本的に問題を解決できないかぎり、けして発散されることなどあり得ない。
だから、どんな性格の人であろうと、楽しいことを考え、明るく生きる姿勢を示さないと、ストレスが改善されることなどないのである。
鍛え方が足らずに大人になってしまった人も、生きているかぎり、まだ時間は残されているのだから、今からでも勉強し直し、体を鍛えればよい。
そして人生を有意義に過ごせば、健康に楽しく生きることも可能で、少なくとも 「 人生を長く感じる 」 ことなど防げるはずである。
2005年06月26日(日) |
名誉や栄光のためでなく |
「 仕事は、選ぶものではなく、巻き込まれるものだ 」
ジョン・ドス・パソス ( 作家 )
People don't choose their careers; they are engulfed by them.
JOHN DOS PASSOS
感動的な仕事に出会い、それをやり遂げることは至上の喜びである。
そんな瞬間に立ち会えたことが、先週の最大の成果だった。
最近、某国営機関からの受託事業として、未就労の若者を預かり、彼らにカウンセリングを施した上で職業の斡旋をする仕事を請け負っている。
彼らは、はっきりと 「 ○○病 」 だなどと名付けられる精神病ではないが、それぞれに心の闇や、就労できない事情を抱えているケースが多い。
我々の目的は、治癒を目的とするカウンセリングではなく、就労意欲を湧かせること、その動機付けを行うことが主旨となっている。
しかしながら、あまりにもストレス耐性が低かったり、メンタル面の健康度が不足していたりする場合には、それなりの対応が必要となる。
世間から 「 落ちこぼれ 」 と見られることで、さらに傷つき、焦燥感を増している人も多く、なかなか簡単には解決できない。
学校を出てから30歳になるまで、短期のアルバイトしか経験したことのない若者を、どのように指導するか、どこにもマニュアルはない。
誰も作らなかったというより、作れないというのが実態である。
なぜならば、そこに至った理由も、解決する方法も、人それぞれに一様ではなく、何が正しいというベースなど存在しないからだ。
もしも、私が10歳若かったら、ただ叱責するだけで、彼らを見守ることも、根気よく指導することもできなかっただろう。
過去に体験した 「 ビジネスマンに対する教育 」 とは180度違う接し方で、向き合う姿勢が求められている。
その一人が、世界的大企業の一員として、活躍する機会を与えられた。
4月に初めて対面したときには、満足に会話も交わせないほど無気力で、自信のカケラもなく、暗い印象だった彼が、勝ち取った就職である。
良い方向に変わったキッカケは、アルバイトで経験した職務内容を事細かに洗い出し、職務経歴書に記入していった段階からだった。
何もできないと思い込んでいた彼だったが、客観的に分析していくと、社会で役立つ様々な経験を踏んでいることに、自分で気づき始めた。
自信を取り戻した彼は、見違えるほど明るくなり、自分の潜在的な対人能力や、認知していなかった職業適性にも、徐々に目を向け始めたのである。
就職が決まった直後、彼は真っ先に私のもとへ訪れ、礼を言ってくれた。
彼の人生に何らかの支援ができたことは嬉しいが、功績は彼自身のものであり、私は少し 「 背中を押した 」 だけのことである。
我々カウンセラーは、もともと彼らが持っている長所を見出し、それがうまく表現できるように導くことが仕事で、何一つ彼らを変えたわけではない。
それでも、大の男が半泣きになって礼を言うものだから、こちらまで目頭が熱くなってしまった。
こんなことぐらいで、いちいち感動していたら仕事にならないとは知っていながらも、単純に 「 仕事だ 」 と割り切れない自分がいる。
そのあたりについては、自分はまだ未熟だと思っていたが、女性スタッフの一人から、励まされる一言を携帯のメールでもらった。
それは、「 これからも若者たちに熱いハートで接してあげて 」 といった内容で、なんだか未熟者なりの良さというものを認められた気がした。
たぶん自分は 「 先生と生徒 」 という関係ではなく、これからも、彼らと一緒に苦労していくタイプのカウンセラーを続けていくだろう。
一緒に泣いたり、笑ったりしながら、人に教えることで自分も再び学ぶような、そんな仕事が自分には向いているのかもしれない。
他に収入源があるので 「 儲からないけど引き受けた仕事 」 だったけれど、しばらくは続けてみようと確信した、そんな一週間だった。
2点の理由から、今夜も日記は休みます。
① PC が絶不調である。
② 今夜も彼女が泊まりに来ている。
特に ② の彼女には、この日記のことを話していないし、過去日記を読まれると不愉快な思いをさせる危険もあるので、ちょっと問題である。
( いろいろ話していない女性が登場するので・・・ )
では、そろそろバスルームから戻りそうなので、今夜はこれにて終了。
やっぱり、自室に招くと不便なこともあるようだ。
昔から決めている 「 自分のルール 」 を破棄させるほど、たしかに彼女は魅力的だし、一緒に過ごしたい気持ちは強いが、やや後悔もあったりする。
「 私が人生で学んだことは、相手に嫌われたり、憎まれたりするのは、
こちらに欠点があるからではなく、才能があるからということです 」
バーナード・べレンソン ( 美術史家 )
Life has taught me that it is not for our faults that we are disliked and even hated but for our qualities.
BERNARD BERENSON
このところ私事に関わる日記が続き、「 仕事 」 ネタが滞っている。
久しぶりに経済概況など鑑み、気付いた点などを書いてみたい。
景気が良くなったり、悪くなったりという背景には、複数の要因が連鎖的に繋がって絡んでいることが多い。
中には意図的に仕組まれたものもあるが、大部分はちょっとした偶然や、経済とは直接に関係のない、たとえば外交や、文化などに影響される。
最近の市場動向をみると、明らかに日本経済は回復の兆しを示しており、雇用は伸び、株価平均もさらなる上昇の気配を感じさせている。
当然、景気云々という話は業種、業態によって異なるので、まだそのような実感が無いという人も多いが、総体的に上向いていることは事実だ。
総体的に上向いているということは、他の業種、業態にも少なからず余波を与え、やがてはプラスの方向へと誘引される率が高くなるはずである。
家電各社が相次いで、国内での大型投資を計画している。
コストが安いという理由から海外に工場を移転し、生産の拡大を図ってきたのだが、ここで 「 先端技術の海外流出 」 が、大きな問題点となってきた。
近年、韓国、台湾、中国などアジアメーカーの追い上げが活発化したのは、明らかに日本の技術力、生産ノウハウなどが伝播した結果によるものだ。
いわば 「 自分で自分の首を絞めた 」 ような形になっており、目先の利益を優先して追求した弊害が、このところ随所に現れてきたのである。
そのため、たとえコストは高くついても、生産や技術管理を国内に戻して、海外への技術流出を防ぐ 「 ブラックボックス化 」 の動きが進んでいる。
また、国内への投資が拡大している要因に、税収や雇用といった経済効果に期待する地方自治体の、熱心な企業誘致政策があることも大きい。
大型の補助金を各自治体が交付し、企業誘致を拡充する動きが全国的に盛んで、家電業界以外でも、海外工場の国内移転を検討する企業は多い。
もちろん、その大半はもともと日本国内にあった生産基地を海外に移した企業であり、今回の動きは 「 国内回帰 」 という現象にあたる。
生産の場を国内に戻せば、少子高齢化による国内労働力の不足といった課題が将来的に浮上するという説もあるが、実際にはそうともかぎらない。
雇用が伸びて、経済状況が明るくなれば、結婚して子供をつくりたいと願う若者も増えるはずで、むしろ少子化に歯止めをかける福音ともなるだろう。
春先に起きた中国での 「 反日デモ 」 も、それまで海外一辺倒だった企業の投資政策を見直させる一因になっているように思う。
いくら政府が経済援助を行っても、官民一体となった友好政策を推進しても、中国、韓国の日本に対する外交姿勢、国民感情は改善されない。
戦争終結から60年もの歳月が過ぎているのに、むしろ最近になってからのほうが、中国、韓国の政府、人民からの風当たりは激しさを増している。
過去に対する日本の謝罪が効をなさないのは、彼らが憎悪する対象が、我々の 「 非 」 にあるのではなく、発展的な「 成功 」 にあるからだ。
国家間でいがみ合っているのに、民間レベルで連携していくのには限界があるはずで、彼らの国民感情はさらなる 「 国内回帰 」 を推し進める。
「 どこへ行っても、( 妻の ) ナンシーは世の中をちょっと良くしてくれる 」
ロナルド・レーガン ( アメリカ第40代大統領 )
Everywhere we go, Nancy makes the world a little better.
RONALD REAGAN
そんなことが言える相手と一生を共にできれば、それ以上の幸せはない。
お金も、名誉も、仕事も、それに比べればちっぽけな話である。
現在の彼女も、一緒にいるだけで 「 世の中がちょっと良くなる 」 相手で、並んで歩くと見慣れた風景でも、なんとなく輝いて見える。
さらに付け加えると、一人で歩く町並みさえ、いつもより綺麗に見える。
よく考えてみると、もともと、私のオフィスがある周辺は、大阪の中心部では珍しい緑溢れる美観地域なのだが、今まではそれに気付かなかったのだ。
資料の詰まった鞄を下げて、せわしなく早足で過ぎていたから、周りの木々に目をやったり、草の擦れる音に耳を貸すこともなかった。
午後に外出し、橋の真中に佇んで、ぼんやりと川面を滑るボートを眺めたのも、今日が初めてのことである。
ある方の日記に、「 恋愛の成就とは、すなわち結婚である 」 という論説が記されているのを、先日、興味深く拝見した。
もし、そうであるならば、いくら恋愛経験が豊富であろうと、我々カップルは敗者であり、現在の交際は 「 敗者復活戦 」 みたいなものかもしれない。
ただ、この場合の敗者という立場は、それなりに居心地が良かったりもするので、なかなかそこから抜け出せないという側面を持つ。
男女間にかぎらず人間関係というものは、適度な距離を保っていたほうが冷静に対処でき、熱くなり過ぎず、相手を思いやる余裕も生まれる。
長い時間を共に過ごすと、お互いの溝に気付き、わがままを言って困らせたり、不快に感じたり、一番好きな相手を傷つけることもある。
仕事や遊びに関しては 「 前向き 」 を売り物にしている私だが、本気の恋愛や結婚という事柄には、かなり慎重で 「 後ろ向き 」 な部分もあるようだ。
誰だって傷つきたくないし、誰も傷つけたくはないものである。
一時の感情に支配されず、慎重に吟味しているといえば聞こえは良いが、実際には、そんなところを恐れているだけなのかもしれない。
何度も似たような恋をしてきたので、現段階で結論を出すのは早計だが、そろそろ、「 恐れに立ち向かうべき時期 」 のような気もする。
今まで、女性とは 「 ホテルで外泊 」 しかしなかったが、自分の部屋に初めて招き入れた背景を自己分析してみると、そのような自己認知に達した。
「 未成熟な愛は、“ あなたが必要だから、あなたを愛している ” と言う。
成熟した愛は、“ あなたを愛しているから、あなたが必要だ ” と言う 」
エーリッヒ・フロム ( アメリカの精神分析学者 )
Immature love says : “ I love you because I need you. ” Mature love says : “ I need you because I love you. ”
ERICH FROMM
ウイル・スミス主演の映画 『 最後の恋のはじめ方 』 を観てきた。
恋愛映画は趣味じゃないが、今回は観てもいいかなという気分だった。
タイトルに互いの想いを馳せ、劇場へと足を運んだが、館内は若いカップルと女性客の姿で埋まり、他に中年カップルは見当たらなかった。
仕事帰りの終演だし、暑いので缶ビール片手に鑑賞したせいか、なかなか面白い映画であったにも関わらず、途中、10分ぐらい眠ってしまった。
物語は、ウイル・スミス演じる 「 恋愛コンサルタント 」 と、ゴシップ記事狙いの女性記者による、軽妙な 「 ラブ・コメディ 」 である。
クライアントには効果的な恋愛の指南を施すのだが、いざ自分自身が本気で恋をすると、マニュアル通りにはいかない 「 もどかしさ 」 に苦戦する。
やや陳腐な話ではあるが、不器用な男女の誠実な恋が随所に織り込まれ、ほのぼのとした気持ちになれる作品と評価できるだろう。
ある程度、恋愛経験のある男女が観れば、共感できる台詞は多いと思う。
たとえば、人間の意志伝達の60%は言葉ではなくボディランゲージ、30%は声の調子で、つまり90%の会話は 「 言葉じゃない 」 という理論。
だから、口説き文句をいくら練っても、それだけで相手の気を惹けるものではないし、逆に、口下手でも相手の心を射止めることは十分にできる。
また、「 恋愛よりキャリアが大事 」 と言う女性の大部分は、相手の男性を傷つけないための 「 嘘 」 であって、本心は違うという話。
本音は、毎度の下手な口説き方に辟易しているのが実態で、裏を返せば、相手がどんな美女でも、口説き方、アプローチ次第で攻略可能ということ。
私が思わず頷いたのは、「 ファーストキスの印象によって、相手と上手くいくかどうかが決まる 」 というセオリーである。
これは、たしかに思い当たる節が多く、その通りではないかと思う。
自然に接近でき、お互いの気持ちが伝わり、しっくりした感触と、心地良い感動と余韻が与えられるような、そんなキスが望ましい。
劇場を出た後、「 この前のキスが、“ 最後のファーストキス ” になればいいと思ってる 」 と彼女に告げ、握った手を引き寄せた。
かなり 「 こっ恥ずかしい台詞 」 だが、たまには言ってよいだろう。
「 勇者にあらずんば美女を得ず 」
ジョン・ドライデン ( イギリスの詩人、劇作家 )
None but the brave deserves the fair.
JOHN DRYDEN
これは、彼の代表的な詩 『 アレキサンダー大王の饗宴 』 からの一節。
美しい女性と結ばれる資格があるのは、勇気のある男性だけだという話。
日本でも、「 一押二金三男 ( いちおしにかねさんおとこ ) 」 などと言う。
美女を得るには、押しの強さが一番で、二番目がお金で、男前は三番目にすぎないという意味を表しているらしい。
たしかに、言われてみれば思い当たる節もあり、自信を持って、やや強気に口説いたときのほうが、「 成功率 」 は高いように思う。
お金をかけたり、男前を磨くよりも、「 押し 」 が重要なのかもしれない。
私も含め、異性にモテた時期とは、すなわち 「 自分に自信があったとき 」 という人も多いのではないだろうか。
このところ、仕事が順調に進んでいて、次の展開が徐々に見えてきたような気がするし、仕事を通じて新しい人脈も拡がり始めている。
たいした財産も無いし、他人が羨むような男前でもないが、ちょっと自信が出て、「 押す 」 ことのできるときには、誰でもそれなりにモテるのである。
もちろん、モテた、モテない、が重要ではなくて、その後の愛し方や、互いの相性のほうが大事なのだが、モテないよりはモテたほうが人生は楽しい。
趣味や仕事とは別の部分で、恋愛は人生に潤いを与えてくれる要素だし、恋愛を制する第一歩は、まずは 「 素敵な異性と仲良くなる 」 ことにある。
そのためにも、モテないよりはモテたほうが、格段に便利なはずだ。
お金を投資するでも、男前を磨くでもなく、「 押す 」 ことが重要ならば、単に女性のお尻を追いかけるだけではなく、自信と勇気を持つ必要がある。
そのためには、仕事で実績を挙げるとか、スポーツやら芸術で良い評価を得るとか、何かの分野で 「 認められる 」 ことも大事なように思う。
優れた遺伝子を残すために、女性は本能的に 「 強い遺伝子 」 を求めて、男性は 「 美しい遺伝子 」 を求めるのだという学説もある。
稀に、弱っちょろい男性が、女性の母性本能をくすぐる場合もあるだろうが、それだけで成就するような例など、実際には少ないようにも思う。
そう考えてみるなら、「 仕事 」 のジャンルの日記で 「 恋の話 」 を書くのも、あながちピントのずれた話ではないのかもしれない。
2005年06月13日(月) |
40代カップルの想い |
「 年齢を重ねた女性と、もっと付き合ってみるといい。
僕は、女性は年齢を重ねるほど、きれいになると思っています 」
ロバート・レッドフォード ( 俳優 )
Spend more time with older women. I happen to think women get better-lookimg as they get older.
ROBERT REDFORD
よく女性は、「 男性は皆、若い娘が好きなのよね 」 などと言う。
たしかに、若い娘には 「 それなりの魅力 」 があると思う。
男女共に、年をとることは 「 醜さ、汚さ 」 へと向かうことでもあり、そういう意味では、汚れを知らない赤ん坊が、最も美しいような気もする。
しかしながら、よほど気合の入った変態でもなければ、幼児を見て欲情することなど考えられないわけで、「 美しい = 性的魅力 」 ではない。
となると、個人差はあるが、性的魅力というものは、ある程度の 「 汚れ 」 を伴って成立するものだという考え方も成り立つのではないだろうか。
ここでいう 「 汚れ 」 とは、実際に性交渉を体験しているとか、そういう意味ではなくて、見る側が勝手に 「 いやらしい目 」 で見るかどうかである。
身体的、あるいは情緒的に発育、成熟し、性別が顕著に認められるようになることで、男女はお互いに 「 そのような視点 」 で相手を捉え始める。
問題は、その兆候に 「 ピーク 」 というものが在るかどうかだろう。
前述の、「 男性は若い娘が好きなのよね 」 と仰る方々は、おそらく、その兆候にはピークがあって、それは 20 ~ 30歳 ぐらいだと推測しておられる。
そういう方々には、「 いやいや、私は 25歳 よりも 45歳 の女性が好みですよ 」 なんて言う男性なんて、よほどの好事家に映るのかもしれない。
その男性の年齢や、性癖にもよるのだろうが、年齢の高い女性に惹かれるからといって、特殊嗜好だとか、不健康だというものではないはずだ。
また、性的な魅力に年齢的なピークがあるとしても、それは人によって異なることもあるだろうし、けしてそれが 「 若いうち 」 だとはかぎらない。
冒頭の二枚目俳優による弁のように、「 年をとるほど美しい 」 とも思わないが、20代には20代の魅力が、40代には40代の魅力があると思う。
40歳を過ぎてからの約5年間を振り返ると、さすがに10代は無いけれど、20代、30代、40代の彼女が居て、それぞれに魅力的だった。
年上の女性も二人いたが、二人とも年上とはいっても1歳違いなので、別に 「 甘えたいから年上を選んだ 」 というわけでもない。
たぶん、それぞれの時に、自分がその年代の女性を求めたということより、それぞれの方が、その年代にあって魅力的にみえたという事実が大きい。
最近では、40代の女性を好きになる傾向が強いけれど、その年代にして魅力的な女性の大半は、既にお相手がいらっしゃることが残念である。
しかし、世間は狭いようで広く、探せば居るものである。
うまく知り合えれば、相手も 「 40代で、未婚で、特殊な嗜好や病歴もなく、肉体的にも精神的にもマトモな男性 」 を、希少なモノとして探している。
だから、若いときよりも、お付き合いに発展する可能性は高いようだ。
もちろん、条件が整えば誰でもいいというわけではないが、この年齢で一人でいること自体が、どこか 「 似たもの同士 」 な気がするのも事実である。
それに、こんな年齢で出会った二人は、お互いに 「 この相手と出会うのを待っていた 」 ような気分になったりするもので、それも、なかなか楽しい。
「 まともな男は、30歳過ぎたら恋なんかしないね。
体の方に、ガタがきはじめるから 」
H・L・メンケン ( 評論家 )
No normal man ever fell in love after 30 when the kidneys begin to disintegrate.
H.L.MENCKEN
けして 「 運命 」 など信じるタイプではないが、人生には 「 波 」 がある。
それが 「 バイオリズム 」 なのか、単なる 「 偶然 」 なのかはわからない。
少し前の自分には、軽い付き合いを始めたばかりの女性がいて、これから発展するかなと思いきや、別の女性の存在が浮上してきた。
最初は 「 気になる 」 程度だったが、( 自分にしては珍しく ) かなり思いつめた状態まで好きになり、この年になって 「 切なさ 」 に苦しんだ。
結果的には両方うまく行かず、諦めていたところに昔の交際相手から電話があり、会ってみると成り行きで 「 なんとなく 」 そういう関係になった。
で、実はそうなる前に、また別の女性と親しくなる機会があって、まだデートもしていないが、いつか会おうという約束をしている。
縁というものは、無いときには無いが、ある時には重なるものである。
さらに、友人主催のパーティで初めて会った女性から、その友人に連絡があり、私と連絡を取りたいというメッセージを受け取った。
年齢はさほど離れていないが、ちょっと 「 普通の人じゃない 」 という感じの目立つ美人で、私のような一般人が簡単に口説く気がしない人である。
聞けば、その昔、某有名ロックバンドのボーカル氏から 「 同棲しよう 」 などと口説かれたこともあるそうで、ちょいと 「 タダモノ 」 ではない。
そういう女性は苦手だし、適当に話を合わせてその日は退散したのだが、後日、連絡をとってみると、意外に普通のおとなしい女性だった。
実は、日記をたまに休んでいたのは、その女性と深夜 ( あるいは朝まで ) 一緒に過ごしていたせいで、一応、「 現在の彼女 」 と認識している。
そんなわけで、「 盆と正月が一度に来た 」 ような慌しさがあり、この一週間の女運は、史上空前の大当たりとなった。
30代前半の、もっとも自分が 「 ブイブイいわせていた時期 」 でさえ、このような乱痴気ぶりは経験がない。
日頃からモテまくっている人なら惑わないのだろうが、盛りを過ぎた普通の中年男が急にモテだすと、どうしても 「 一抹の気持ち悪さ 」 を感じる。
なにやら 「 不可思議な宗教に勧誘される 」 だとか、「 高額商品を売りつけられる 」 とか、「 犯罪の片棒を担がされる 」 みたいな不安である。
あるいは、自分はもうすぐ死ぬ運命にあるので、神様が最後に 「 褒美 」 を与えてくれているのかなどと、よからぬ心配は後を絶たない。
男性読者を敵に回して、「 どうしてこんなにモテるんだろう 」 などと書くのも生意気な話だが、滅多にないことなのでお許しを願いたい。
たぶん、それは偶然の重なりであって、この期を逃せばまた、何もない時期というものが訪れるはずである。
だから、楽しめるときはアレコレ深く悩まずに、楽しんでおこうと思う。
場合によっては、「 結婚 」 したりなんかする可能性も、まったく無いのだとは言い切れないし、その覚悟がないわけでもない。
まぁ、いつもだいたいそう考えて付き合っているのだけれど、そこまで成就した試しがないので、今回も 「 意気込み 」 だけで終わるかもしれないが。
2005年06月11日(土) |
自責で考えない無能者 |
「 重役の地位に定着する人間は、問題提起に解決のヒントを出すもの 」
マルコム・S・フォーブス ( フォーブス社長 )
Executives who get there and stay suggest solutions when they present the problems.
MALCOM.S.FORBES
逆に言うと、「 問題解決能力の無い者には、重役の資格なし 」 である。
そんな連中は、さっさと辞めるほうが世の中のためになる。
地球温暖化防止策の一例として、小泉内閣が音頭をとって提唱している 「 クールビズ 」 運動に対して、慌てふためいている企業、業界がある。
8日、「 日本ネクタイ組合連合会 」 は、小泉内閣の閣僚全員に要望書で、「 ノーネクタイ、ノー上着 」 というキャッチフレーズの中止を求めた。
個別商品の排除に繋がるという意見や、「 ネクタイを締めなければ地球の温暖化防止が達成できるのか 」 という物言いがついているらしい。
ちょうど、業界にとっては大きなイベントである 「 父の日 」 を控えた時期なので、余計に 「 なんとかしたい 」 という気持ちはわかる。
しかしながら、「 地球温暖化 」 や 「 省エネ 」 への予防策として政府が掲げたクールビズを、「 己の利益を優先させろ 」 とケチをつけてもよいものか。
気持ちはわからないでもないし、業界にとって逆風となることも事実だが、かといって恥ずかしげも無く 「 自己中心的 」 な主張をするのはどうか。
私がトップなら、クールビズという習慣に沿った商品開発 ( たとえば、涼感のあるネクタイなど ) を指示したり、販売にハッパをかけるだろう。
あるいは、「 猛暑で、誰もネクタイを絞めていない今だからこそ、オシャレなネクタイで差をつけよう 」 みたいなイベント、企画を提唱するはずだ。
逆風を妬んだり、障害を疎んじ、邪魔者を批難したり、攻撃することにのみ四苦八苦するのは、まさに 「 無能な愚か者 」 の所業である。
たとえ逆境の中にあっても、自分が出来得る最大限の努力をしない人間がトップにいるようでは、業界そのものが脆弱であると言わざるをえまい。
彼らの主張は、「 天候が悪いから売れませんでした 」、「 台風がきたので不振に終わりました 」 と言っているようなものである。
そんなことは、幼稚園児でも言える泣き言であって、まともなビジネスマンが吐くような台詞とはいえない。
ましてや、普段は現代の若者を指して、「 最近の若い奴は骨がない 」 などと呟いていそうな業界トップたるものが、なんとも情けない発言ではないか。
日本の経済が悪くなったのは、こういう 「 ぬるい 」 感覚が蔓延した結果であり、もう一度、気を引き締める必要があると思う。
特に、自分の境遇には泣き言ばかりを漏らしているくせに、弱者や若者を小馬鹿にする中高年連中は、ハッキリ言って 「 社会悪 」 である。
2005年06月09日(木) |
祝!日本代表ワールドカップ一番乗り |
「 今から二十年たったとき、このメダルを見てこう言える。
“ あの日オレは、世界一の四〇〇メートル走者だった ”
なんだそんなことと思う奴は、運動選手の胸の内がわかっちゃいない 」
ヴィンス・マシューズ ( ミュンヘン五輪の金メダリスト )
Twenty years from now, I can look at this medal and say, “ I was the best quarter-miler in the world on that day. ” If you don't think that's important, you don't know what's inside an athlete's soul.
VINCE MATTHEWS
日本代表が北朝鮮に勝利し、ワールドカップへの出場権を獲得した。
死闘を制した選手たちへは、心より祝福と賛辞を贈りたい。
スポーツの世界に限らず、歴史というものは 「 瞬間の繰り返し 」 によって構成されており、次の瞬間に何が起きるのか、誰も断言はできない。
いくら滞りなく準備を進めても、技術を磨き、心身を鍛えても、勝負事において確実な勝利など在り得ず、常にプレイヤーは不安を抱いている。
だから、その先に何が待ち構えていようとも、ただ目の前の勝利に集中し、瞬間を戦い続けることで、余計な不安に心を奪われないように務める。
今夜、柳沢が膠着したゲームの先取点を挙げたことも、大黒が相手の戦意を喪失させる二点目を挙げたことも、大抵の人はすぐに忘れる。
そのことは、他ならぬ彼ら自身が一番よく知っているのだろうが、それでも、瞬間の勝利者として頂点を極めることに、持てる力のすべてを尽くす。
スポーツに関心が薄い人、実体験を伴わない人の多くは、この “ 感覚 ” が理解できないようである。
たかが 「 球蹴り 」 などと小馬鹿にしたり、政治や経済の問題とごちゃ混ぜにして、「 サッカーどころじゃないさ 」 などと天邪鬼な意見を呟く。
あるいは、音楽や芸術などと比較して、「 スポーツの持つ瞬間的な感動よりも、芸術の普遍的な素晴らしさ 」 をことさらに主張する人もいる。
どちらが偉いだとか、立派だというものではないと思うが、そういった理屈をこねる人たちは、一つ、大きな勘違いをしているようだ。
スポーツも芸術も、「 感動に触れた瞬間 」 こそが人々の記憶に残るものであり、その瞬間を演出するために、プレイヤーは全力を投じている。
たしかに、スポーツが観客に実利を施したり、将来の安寧をもたらすことは少なく、国際間の紛争を平定したり、環境を改善する効果は薄い。
しかし、その感動が聴衆に勇気を与えたり、士気を鼓舞することはある。
日本代表の活躍はもとより、恵まれない不利な条件の下で必死に食い下がる北朝鮮選手たちの健闘ぶりからも、私は勇気を与えられた気がする。
自分も、違う分野で 「 負けられない戦いに挑む 」 という覚悟や、意気込みが高まったし、それは明日からの気力に繋がっていくだろう。
彼ら全員に感謝の意を表し、今夜は健闘を称えたい。
2005年06月06日(月) |
喉元過ぎれば熱さ忘れる二人 |
「 愛は心にあいた穴 」
ベン・ヘクト ( 作家 )
Love is a hole in the heart.
BEN HECHT
1950年代のハリウッド映画には、私の好きな作品が多い。
映画 『 サンセット大通り ( 1950 米 ) 』 も、その一本である。
売れない脚本家のジョー ( ウイリアム・ホールデン ) は、借金取りに追われる途中で、サンセット大通りの荒れ果てた屋敷に逃げ込む。
そこには、年老いたサイレント時代の 「 往年の大女優 」 ノーマ ( グロリア・スワンソン ) が執事と二人で、ひっそりと暮らしていた。
すっかりファンには忘れられた存在の彼女だが、今でも自分は人気があると思い込んでいて、脚本家のジョーに新作の執筆を依頼する。
徐々にエスカレートする彼女の狂気と、仕事を超越して支配しようとする情愛に嫌気がさしたジョーは、やがて屋敷を後にして出てゆく。
最後は、彼女がジョーを背後から射殺し、悲劇的な結末を迎える。
全体的に暗い雰囲気だが、虚構と現実が一体となったハリウッド内幕物の名作で、サスペンス的な作品として観ても、秀逸な仕上がりになっている。
オープニングシーンでは、射殺されてプールに浮かぶジョーの死体が、なぜこんなことになったかを回想する場面から始まる。
当初、このオープニングシーンは、死体安置所に並ぶ死体同士が、自分の死んだ理由を語り合うというブラックな映像を準備していたらしい。
しかし、試写会で観客から失笑を買ったり、悪趣味だという批判が多かったので、劇場公開を半年延ばして、撮り直したという逸話がある。
その結果、このような 「 プールにぷかぷか浮かびながら、ぼんやりと回想する 」 というオープニングが、完成したのだという。
今夜は、この 「 プールに浮かんでぼんやりと回想 」 という設定に、比較的近い感覚を持ったような気がする。
私の場合は 「 プール 」 ではなく 「 ベッド 」 で、水や死体の代わりに、もうちょっと温もりのある重みが、左腕に預けられていた。
なぜ、こうなったのだろう。
もちろん、記憶喪失でも痴呆でもないのだから、今朝起きてからそれまでのことを覚えていないわけではないが、ふと、そんなことを考えてしまう。
おそらく、それは 「 計画外の出来事 」 であり、なんとはなく成り行きでそうなってしまったから、そんな風に考えてしまうのだろう。
昔の恋人というのは、一度は惚れ合った関係なのだから、「 好きなタイプ 」 であることは間違いない。
しかし、一度別れたのだから 「 嫌になった理由 」 があることも事実であり、再び交際したところで、問題が解決されていなければうまくいかない。
二人とも、そんな単純な仕組みがわからないほどお馬鹿さんではないつもりだが、なかなか杓子定規には物事が運ばないものである。
さて、これからどうしたものだろう。
水のないプールにぷかぷか浮かびながら、ふと、自分たちに対して 「 喉元過ぎれば熱さ忘れる 」 なんて諺を思い出し、苦笑しつつ車で送っていった。
「 会話の名手とは、相手の言ったことを覚えている人ではない。
相手が覚えておきたいことを言う人である 」
ジョン・M・ブラウン ( 陸軍将校 )
A good conversationalist is not one who remembers what was said, but says what someone wants to remember.
JOHN.M.BROWN
言葉は意思を伝え、ときには相手に多大な影響を与える。
だから私は言葉を大切なものだと考え、強い関心を持ち続けている。
不用意に放った一言が、相手を傷つけてしまうこともある。
それを恐れて、あまり神経質になり過ぎてもいけないが、カウンセラーという仕事をする人間は、少し慎重に言葉を選ばなければならない。
自分の発する 「 言葉のコントロール 」 がよくないと、カウンセラーに適任とはいえないわけで、その点が極めて重要なところであろう。
野球の投手に例えると、それほど速い球は投げられなくてもいいが、狙ったところにピタリと投げ分けられる制球力が求められるのだ。
もちろん、それ以外のスキルも必要だけれど、この 「 言葉のコントロール 」 こそが、技術的に不可欠な要素ではないかと思うことが多い。
野球の投手と同じように、成果を挙げようとするならば、ストレート、カーブ、シュート、フォークボールなど、球種は多いほうがよい。
言葉の場合は、語彙、ボキャブラリーがそれに当たるだろう。
特に日本語の場合は、同じ意味合いを示す言葉でも、微妙に受け取られ方が異なったりもするので、場面に応じた繊細な使い分けが要求される。
言葉の文化が繊細なせいか、欧米人に比べると感受性や、神経の細やかさといった点も、総体的に日本人はデリケートな部分が多いように思う。
それを面倒がらず、巧みにコントロールしようとする気質は 「 対人能力 」 の重要な側面であり、そこに関心が薄い人はカウンセラーに適さない。
その点、言葉巧みにお客の関心を惹く 「 水商売系のホスト、ホステス 」 といった職業の人には、カウンセラーの素質があるかもしれない。
実際、繁盛店を切り盛りするクラブのママさんや、一流のホステスさんには、さほど親しくもないお客から、深刻な相談を持ちかけられる人も多い。
彼らは 「 信頼を与える話し方 」 に精通していて、お客の財布だけではなく、心を開く手法を心得ているので、自然とそのような結果に繋がっていく。
もちろんそれは、「 いい人 」 という証明にはならない。
水商売もカウンセリング業も、いづれも 「 商売 」 としてやっていることで、仕事と割り切っているからこそ、出来ることもあるのだ。
私の場合も、仕事では相手を傷つけないように万全を期すが、私生活では惚れた女性に不用意な発言をしたり、相手を傷つけたという経験も多い。
仕事のように冷静な判断が下せないのは、そこに自分の感情というものが在る証拠で、いちいち論理的に計算して付き合ってはいないからである。
なるべくなら相手を傷つけないほうが良いけれども、ロボットのように感情を持たず、お客をもてなすように接することが正しいとも思えない。
素直な自分自身を開き、たとえ相手の気分を害してでも、本当の気持ちを伝えることが相手への 「 誠意 」 となる場合もあるはずだ。
たとえストライクゾーンを外れて 「 暴投 」 になっても、計略などない素直な言葉を投げないと、相手の胸に届かない、記憶に留まらない言葉もある。
過去に交際した女性の一人から電話をもらったので、近況を話した。
カウンセラーをしていることを告げると、興味深く話を聴いてくれたのだが、「 熱くなる性格なので、相手を傷つけないか 」 ということを心配していた。
それは、相手に対して 「 個人的な、特別な想い 」 があったからそうなったのであり、いくら重要な相手でも、貴女とは立場が違うという説明をした。
釈明のつもりでそういう話をしたのだが、いつの間にか電話が 「 いい感じ 」 になってしまい、気がつくと今度の日曜日に会う約束をしていた。
何も計算などせず、目をつぶって投げても、無意識に偶然 「 ストライク 」 を投げていることもあるようで、言葉とはミステリアスなものである。
「 人格を計る最良の指標は、
(a) 自分にとって何ら役に立たない人にどのような態度をとるか、
(b) 自分に逆らえない人にどのような態度をとるか、 である 」
アビゲイル・バンビューレン ( アメリカの身上相談欄コラムニスト )
The best index to a person's character is (a) how he treats people who can't do him any good, and (b) how he treats people who can't fight back.
ABIGAIL VAN BUREN
世の中には、上の文と 「 正反対の人間 」 もいて、権威、権力には迎合し、相手が格下とみるや、一気に強硬な態度を示す者もいる。
そんな人間はストレスが溜まりやすい傾向にあり、精神障害、人格障害の症例を示す者が多いという統計も出ている。
いい大学を出ていようが、どんな資格を持っていようが、これでは人に好かれたり、一目置かれることなどない。
権威主義に走る者は、長期的な繁栄に縁がなく、いづれは滅びる。
そんな 「 嫌われ者、鼻つまみ者 」 を多く擁する企業も、悪しき社内風土がはびこって、大きな問題を抱えたり、破綻することが多い。
私の同僚に、70歳を目前に控えた男性カウンセラーがいる。
彼は突出して能力が高いわけでも、経験が豊富なわけでも、行動力が高いわけでもなく、いたって普通の好々爺である。
しかし、もっとも尊敬に値するのは、彼が 「 誰に対しても、まったく同じ態度で接している 」 という点であり、絶対に他人を見下すことがない。
これは簡単なようで、なかなか真似のできることではない。
初対面の相手と接したときに、その人物を 「 値踏み 」 したり、今後の付き合い方を検討する習慣を無くすのは、かなり修行の要ることである。
いつも彼は幸せそうに、ニコニコと笑っている。
自分に相当な自信があるわけでも、自分を底辺の人間だと卑下するわけでもなく、ただ単に 「 自分を訪ねてきてくれた人 」 が好きなだけだと言う。
だから、孫のような若年者にも、年上の相手にも同様の礼を尽くし、分け隔てない態度で迎え入れる習慣が身についている。
年をとってそうなったのかと尋ねると、けしてそうではなく、物心ついたときからそのように心がけてきて、現在も変わらないのだそうである。
最近、人格上で一番尊敬しているのがこの方で、見習いたいと思っている。
怒っているとき、不満が溜まっているときは、何もしないにかぎる。
感情を日記にぶつけて、他人まで不快な気持ちに巻き込んではならない。
これは、いつもの 「 著名人の名言 」 ではない。
私自身の 「 今夜の気分 」 である。
そういうわけで、今夜は日記をお休みし、気持ちが静まるのを待ったほうが望ましいと判断した。
誰だって、気分がすぐれない時はあるもので、そんな気分に陥らないことが正しいのではなく、そういう気分で日記を書かないことが正しいように思う。
怒りにまかせて何かを書いても後で後悔するだけなのに、つらつらと愚痴を並べ立てる人もいるようだが、そんな芸当は真似ないほうが良い。
最近、こういうときに 「 酒のありがたみ 」 を感じるようになってきた。
逃避と呼ぶ人もいるだろうが、つかの間でも、嫌な記憶をどこかへ置き忘れてくることは便利で、これを利用しない手はない。
どうせ明日になれば、過去の経験から 「 自分らしい対処 」 をするだろうし、自分に対して、その程度はやれるという信頼を置いている。
だから今夜は、ただ、酒を飲むだけでよい。
余計なことを考えたり、書き残したりする必要などないのである。
「 私の見方からすると、虹が欲しけりゃ、雨は我慢しなきゃいけない 」
ドリー・パートン ( アメリカのカントリーシンガー )
The way I see it, if you want the rainbow, you gotta put up with the rain.
DOLLY PARTON
グラミー賞も獲った人気歌手で、テネシーには彼女のテーマパークもある。
大きな虹のように広がった、彼女の人生を象徴するかの如き理想郷だ。
虹は誰でも好きに違いないが、「 素晴らしいもの 」 の象徴としての虹には、それを実現するのに貢献している雨の存在というものがある。
努力せずに他人の成功を羨んだり、憧れるだけに留まる人々の眼中には、虹を捉えることはできても、雨の存在を承認できていないケースが多い。
ドリー・パートンは、14歳で歌手デビューを果たしたが惨めな失敗に終わり、レコード会社との契約も破棄されてしまった。
しかし、それにもめげずに歌い続け、20代後半からは徐々に注目を浴びるようになり、グラミー賞受賞後は映画にも出て、オスカー候補にもなった。
冒頭の名言には、彼女の豊富な人生経験やら、苦労人ならではの教訓が込められているような気がして、「 今夜の気分 」 に引用させてもらった。
欧米では、夢想家や一攫千金を狙う人を 「 rainbow chaser ( 虹を追う人 ) 」 と呼ぶことがある。
アイルランドでは、虹が地面に接した地点に金貨の入った壺があるといった迷信が広く普及していて、多くの人々が今でも信じている。
虹を 「 素晴らしいもの、成功の証 」 と考える習慣は万国共通のようだ。
実際は、そんなところへ宝探しに行くよりも、コツコツと地道に努力を重ね、風雨に耐えた人間が 「 虹 」 を掴む確率のほうが、圧倒的に高い。
努力する人が夢見ているのは 「 幸運 」 であり、努力しない人が待ち望んでいるのは、単なる 「 偶然 」 であることを忘れてはならない。
ちなみに、虹の七色は内側から順に 「 violet, indigo, blue, green, yellow, orange, red 」 だが、アメリカの子供は面白い覚え方をする。
頭文字をとって 「 vibgyor 」 としたり、逆にして 「 Roy G.Biv 」 という人名になぞらえたりする。
私が虹の七色を覚えたのはこの方法で、現地の子供から教わった。
イギリスでは、「 Richard of York goes battling in vain. ( ヨークのリチャードが戦いに行くが敗れる ) 」 という文にして覚えたりもする。
七色を覚えていない人は、これらの方法で覚えてみてはいかがだろうか。
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