2010年02月13日(土) |
個性を尊重するという、逃げ |
聾者と聴者では日本語そのものの解釈が異なる場合がある。
と、以前テレビで観たのだけれど…。例えば、
「二時十分前に集合」と言えば 聴者は二時の十分前つまり1:50頃に集合し、 聾者は二時十分の前つまり2:07とか2:08頃に集合する。
という話だったのだが、本当なのかな?
聾者だけで構成された村のようなコミュニティで一生を過ごすのであれば 日本語の解釈が異なるということもありえるだろうけど、
聾者と聴者が混在したコミュニティで生きているわけだし、 小説や新聞なんかは聾者も聴者も同じ物を読んで楽しんでいるはずで。
そんな中で生きてきて、日本語そのものの解釈が異なるなんてあるの???
"その違いを統一しようとするのではなくそれぞれの個性を尊重し合って…" という番組の流れだったのだけれど、イヤイヤイヤイヤ そういうのはどちらかに統一していかないとダメじゃない?
お互いに、不自由じゃん。 無駄なイザコザが増えて余計に分かり合えなくなるだけじゃん。
腫れ物に触るようにして、それこそ"個性"の解釈を間違えてないか?
…という考えはさておき、本当にそんなことが起こり得るのかが ただただ純粋に疑問な今日この頃だ。
LINK:amazon『ろう者のトリセツ聴者のトリセツ』 ↑この本の紹介をしている番組内容でした。
昨日初めてポニョを観た。
これだけはありえないだろうと考えていた展開になったのでビックリ。 リサさん、これから大変だなぁ。宗介も、つまんない人生になるな。 と思った私はもういろいろと終わっているのだろうか。
しかし最初から最期まで誰かが喋るたびに声優の顔がちらついて…。 他の普通の声優さんのアニメなら、最初のうちは気になっても だんだん話に入り込んで中の人のことなんか気にならなくなるものだが。 ジブリは…なぁ…。頼むから専業声優使ってくれ。
ちょっと前にラピュタも初めて観たんだけれど、 宮崎アニメの男の子は、子どもなのにちゃんと男だよなー。 日本の成人男子であんなに頼りがいのありそうな人は見たことが無い。
近所のスーパーに 一人鍋セット を売っていて 便利だからよく買うんだけれど、 鍋ばかり食べていて飽きたので 「いろんな野菜の切れ端セットなんだから 野菜炒めにしてもいいんじゃね?」 と思って、味噌野菜炒めにした。
まぁ食えないことはないんだけれど、 やっぱり野菜炒めは白菜じゃなくてキャベツがいいなぁ…とか 野菜炒めに白ネギは要らないなぁ…とか、いろいろな感想は抱いた。
ジブリのホビーキットが届いた。 コインケースを作るの。 トトロと魔女宅。
いきなり完成。 作業途中の写真撮るの忘れた。 相方は革紐を引っ張りすぎて ブチって切れて激しく落ち込んでた。
中はこんなの。
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