部長motoいっぺい
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2002年10月31日(木) 急病発生!?@プリスクール

昨日の昼間、娘が通うプリスクールから僕の携帯電話に連絡が入った。
娘が腹痛を訴えているらしく、迎えにきてほしいとの緊急連絡であった。

僕の会社からプリスクールまでは、フリーウェイを使って約40分。
嫁はその時間、プリスクールが所属しているコミュニティー・カレッジで英会話のレッスンをしているはずなので、連絡をとってみると伝えたところ、何回か嫁の携帯電話に連絡をしてみたが、電源が切れているのかつながらないとのこと。

念のために僕も電話をしてみたが、やはりつながらない。

仕方がないので、とりあえず車に乗り込み制限速度プラス10マイル(警察につかまらないであろうギリギリの速度)で、プリスクールへと向かう。
途中何回か嫁に連絡をとろうとするが、やはりダメ。

そうこうしているうちに、プリスクールに到着。


プリスクールの入り口で娘をピックアップするための暗証番号を聞かれるが、覚えていなかったので運転免許証を提示したり、嫁の名前を告げたりして、なんとか中に入れてもらう。

【注】誘拐防止や、離婚した片親が勝手に子どもを連れて行かないように、暗証番号などを設定している。子どもの登録の時には、「法的に会うことが制限されている人」の名前などを書き入れることができる。


中に入ってすぐに目に入ったのは、




















元気に遊んでいる娘の姿。。。

先生に様子を聞くと、一時はお腹をかかえてうずくまったが、その後何事もなかったかのように遊んでいるとのこと。

娘と直接話したところ、

「痛かったけど、いまは痛くない」

「このまま、ここで遊んでいたい!」


という。

この状態であれば、特に連れて帰らなくても良いとのことだったので、あと1時間でお迎えの時間になることもあり、娘を置いて会社に戻ろうとしたところ、嫁から電話。
(あとから分かったことだが、なぜか嫁の電話の呼び出し音がならない状態になっていたらしい)


嫁に事情を話して、僕は会社に戻った。

疲れた出来事だったが、とりあえず何事もなくて良かった。


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2002年10月30日(水) 雑感@プリスクール

昨日Jack-o'-Lanternを作りにいった、娘のプリスクールでのこと。

娘が会場に入っていったところ、複数の友人が彼女に次々と声をかける。
彼女だけが特別ではないのは分かっているが、彼女がプリスクールの中で友人を作っているのを目の当たりにし、感慨にふける。

また、プリスクールの複数の先生が、嫁に声をかけているのを見て、「嫁も頑張って先生方とコミュニケーションをとっているんだなぁ・・」と、あらためて感心・感謝する。


帰り際、一人の見覚えのあるオジサンが話かけてきた。
以前に娘が誕生日パーティーに呼ばれたことのある、娘の友達の父親だった。

僕が、Jack-o'-Lantern作りが初めてだったことなどを話し、ハロウィーンの話題になる。

彼は、

「最近のハロウィーンは、僕達が子どもの頃とはずい分違っているんだよ」

「今はショッピングモールに行って、お店の人にキャンディーをもらうのが普通なんだよね」

「昔は、小一時間近所を回って、キャンディーがピローケースいっぱいになったものさ」

「今は、近所の知り合いしか回らないんだよね、危ないから・・・」


と、寂しそうに話してくれた。

安全そうに見えるこのエリアでも、地元の人がそういうのだから、やはり気をつけねばならないな、と久々に感じた話であった。


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2002年10月29日(火) Jack-o'-Lanternを作る

【問題】

下の写真の中に駐在2号。謹製のJack-o'-Lanternが一つあります。さてどれがそれでしょう?

答えは日記の最後に。。。




今日の夜、娘のプリスクールで、ハロウィーン用のJack-o'-Lanternを父親が作るイベントがあった。
(Jack-o'-Lantern作りは、どうやら「父親」の仕事らしい)

去年は赴任後の気忙しさが残る中でのハロウィーンであったため、Jack-o'-Lanternを作ろうとも思わなかったし、プリスクールやキンダガーデンで特別なイベントはなかったため、これが僕にとって生まれてはじめてのJack-o'-Lantern作りになる。

プリスクールのイベントがなくても、今年はJack-o'-Lanternを作ろうと思っていたため、道具セットは事前購入済みだった。
また、パンプキンは、先日行われたプリスクールのフィールド・トリップで娘が採ってきたものを使うことになっていた。

プリスクールに到着すると、ホールに新聞紙を敷いて、その上で既にJack-o'-Lantern作りは始まっていた。
道具セットの裏に書いてある説明書をみたり、他の父親が作っているのを見よう見まねで彫り始める。

作業は単純で、まず最初にパンプキンの上部を丸く切り取り、中身をくりぬいた後、目や口を彫るという順番になる。

最初に丸く切り取られた上部は、その後「フタ」になるのだが、僕はそのことを知らなかったため、最初に小さく切り取り、その後更に丸く切り取ると言うミスを犯してしまった。しかし幸いなことに、切り取った上部を寄せ集めてフタらしきものができたため、大事(子どもに非難される・・)には至らなかった。

他の父親は、もちろんJack-o'-Lanternを作ったことがあるようで、いろいろな形にチャレンジしていたが、僕は勝手がわからなかったので、道具セットに書かれているサンプルどおりの形を彫った。また自分に余裕がなかったため、息子や娘にあまり手伝わせることが出来なかった。

家にはもう一つパンプキンがあるため、今日の反省を生かして、明日ぐらいに子どもと「一緒」に、Jack-0'-Lanternを作ってみようと思う。


で、僕が作ったJack-o'-Lanternは・・・





















↑これです。。。
(最初の写真で行くと、手前の左から2番目)



明かりを消して中に火をともすと、
↓こうなります。




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2002年10月28日(月) サマータイム終了

10月27日をもって、今年のサマータイム(DST:Day light Saving Time)が終わった。

この切り替えは、土曜日の深夜、日曜日の早朝である午前2時を午前1時に読み替えることによって行われる。

ということは、例えば10月27日の午前1時30分は、2回存在することになるのだが、この時間に待ち合わせをする人はどうするんだろう?という疑問がふと湧いてきた。
誰か知っている人がいたら、教えてください。
(↑自分で調べろっちゅーねん)


週末に切り替えがあることは知っていたのだが、なんとなく月曜日の早朝に切り替えがあるような気がしていて、時計の調整はしていなかった。
日曜日の朝、起きてパソコンを立ち上げると、「夏時間が終了したので、時刻を切り替える」とのメッセージが表示されて、はじめて既に時刻が切り替わっていることに気がついた。

というわけで、朝から家中の時計(タイマー類を含む)を全て1時間遅らせる作業に熱中。

実は僕は時計がずれているのが昔から嫌いで、以前は秒針がついている時計が10秒ずれていると、気になったぐらいだ(この傾向はデジタル時計の時に特に顕著になる)。まあ最近は、30秒くらいまでのずれならば、それほど気にならなくはなったが。
サマータイムを導入すると、1年に2回は時計を合わせる作業が発生するので、家の時計の誤差が日本にいた時よりも少なくなり、大変気分がよい。


日本だと毎朝NHKなどで時報が流れるが、ここアメリカに来てからというもの、時報を耳にしたことがほとんどない。
毎朝通勤途中に聞くラジオで、朝8時「頃」からニュースが始まる前に、「ポーン」という音がなるが、僕の「正確な」腕時計と比べると、10秒前後ずれていることも珍しくない。

で、なぜ僕の腕時計が正確かというと、「電波時計」を使用しているからだ。
この時計は日本で購入したものだが、アメリカの標準電波にも対応しており、全米に発信されている標準電波を用いて、自動的に誤差が1秒以内にアップデートされる優れものだ。
この時計を買ってからというものの、時計の誤差にいらだつこともなくなり、精神衛生上大変よろしい(笑)


「30秒の誤差が許せないヤツなんて、ロクなヤツじゃない!」という声が飛んできそうだが、嫁によるとこれでも結婚前よりずい分と丸くなったとのこと。

まあ、人間、人によって気になるところが違うのでご勘弁のほどを。。。



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2002年10月27日(日) 僕が英語で電話に出る理由

僕のウチは日本人の家庭であるからして、かかってくる電話の80%位は日本語でかかってくる。
ということは、

「モシモシ」

と出ても良さそうなものなのだが、僕は必ず

「Hello, This is "Chuzai-2go" Speaking」

といって出ることにしている。

海外に住む他のエンピツ日記作家の方で、迷惑電話撃退方法として「モシモシ」を使っているという方がいらっしゃったが、僕は「Hello」派だ。

その理由は、




頭の切り替えがスムーズに出来ないから

つまり、日本語のつもりで電話に出て実は英語の電話だった時に、心の準備が間に合わないのだ。



このケースは、日本食レストランでも当てはまる。

多くの日本食レストランには、日本語を話す店員がいる。日本人の顔をしているからといって、油断して日本語で話かけると、

「I'm sorry, I can't speak Japanese...」

と言われることも、少ないことではない。
そんな時には、頭の切り替えが間に合わないのだ。


というわけで、最初から英語の頭にしておくために、僕は「Hello!」と電話に出ることにしている。


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2002年10月26日(土) フリーウェイ・デビュー

ウチの嫁は、日本にいる時は「路線限定」運転免許保有者として車を運転していた。

ここで言う「路線限定」とは、自宅を起点として、最寄の私鉄駅・JR駅、あるいはイトーヨーカドーといった目的にあわせた路線である。

日本にいたときの彼女の行動範囲は、基本的にはママチャリで賄える範囲だったのだが、子どもの成長にともない車で行かなければならない場所が増えるたびに、教官(=僕)とともに実地練習および検査の末、都度「路線」を拡大してきた。


そもそも彼女は車の運転が好きではない。っていうか嫌いだ。

しかし、ここアメリカではそんなことを言っている場合ではなく、生活の一部として車の運転が必要となる。
もちろん「路線限定」などという悠長なことは言ってられず、「行かなければならないところに、地図を見ながら自分で行く」という、日本にいたときの彼女としては信じられないほどの進歩をこの一年間で遂げた。

そんな彼女が、まだ経験したことがなかったのが、そう、


フリーウェイ

いわゆる高速道路での運転である。


しかしやはりその日はやってきた。

「いつかはフリーウェイを運転しなくてはならない」という覚悟がそろそろできていたところに、駐在3号の奥さんが運転免許を取得し(日本で運転免許をもっていなかったが、こちらで取得した)、かつ早々とフリーウェイデビューを果たしたのが、彼女の背中を押した。

また、娘のプリスクールのフィールド・トリップが迫っており、フリーウェイを使わないと、かなり時間がかかる場所であったため、先日練習ではあるが、フリーウェイデビューを果たすことになった。


結果としては、意外にも(嫁に失礼?)スムーズな運転で、きちんと車線の真ん中を走ると言う、意外と難しい基本をきちんとこなしていた。やはり短い距離ではあるものの、この一年間毎日のように運転したのが、彼女の運転をレベルアップさせていたようだ。

課題はカーブを曲がる時に、ハンドル調整が大きすぎてよろけてしまうことであるが、これも経験を積むにしたがい、早晩解消されるレベルのものだと感じた。



これでまた一つ、彼女の行動半径が広がるに違いない。


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2002年10月25日(金) 落ち葉対策

秋は、落ち葉のシーズンである。

僕の家は、こちらの家にしては庭が狭いほうだと思うのだが、去年までは庭に大きな落葉樹があったため、この季節には落ち葉を掃いても掃いても、上から降ってくる状態であった。

「去年までは」と書いたのは、半月ほど前にオーナーが作業員をよこして、その木を切ってしまったのだ。
(↑理由は不明、ウチは文句は言ってない)

とりあえずその木からの落ち葉はなくなったものの、庭の外にある木は健在なため、また今年も落ち葉との戦いが始まる。


当然ながら落ち葉はわが家にだけ落ちるのではなく、道端にも街路樹からの落ち葉がたまっていく。

秋になると、掃除機を背中に背負って(ゴーストバスターのような感じ)、歩道にたまった落ち葉を「処理」する作業者が散見される。

ここで敢えて「掃除」ではなく「処理」と書いたのは・・・



















落ち葉を吸い込んでるのではなく、落ち葉を歩道から吹き飛ばしているだけ!

だからである。。。



意味あんのか?アレ。

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2002年10月24日(木) 息子の抜歯

昨日、僕の誕生日に関する日記を書いたところ、掲示板でたくさんの方からお祝いの言葉を頂きました。この場を借りて、お礼申し上げます。

ン年間生きてきて会ったことがない方から、こんなにもたくさんのお祝いの言葉を頂き、
「日記を書いていて良かったァ〜♪」と改めて思いました。


ところで昨日の日記の投票ボタンは、僕の日記としては初めて「押すと続きが読める細工ボタン」だったのですが、これまで最高の得票である29票を得ることができました。
(↑思わずクセになっちゃいそうです・・(笑))

この件に関して皆さんへの質問なのですが、皆さんそんなに、



















他人の年齢が知りたいモンですか?(笑)



【本日の日記】

先月誕生日を迎えたウチの息子であるが、7歳になるまで一本も永久歯が生えてきていなかった。
息子と娘の歯は僕の歯に似たらしくとても丈夫であり、彼らはまだ虫歯を経験したことがない。

歯が丈夫なのはありがたいが、乳歯が抜ける前に永久歯が生えてきてしまった。

このまま放置したら、永久歯が変な方向に生えてきてしまうため、息子はさっそく歯医者に行くことになった。

駐在2号のワンポイント英会話:歯医者=Dentist(発音はデンティストというよりは、デニストに限りなく近い)


僕の住む街には、ありがたいことに日本人の歯科医が開業しているため、嫁が電話で予約をいれて息子を連れて行った。
(昨日は日本人スタッフがお休みだったらしく、予約は英語で行ったらしい>ヨクヤッタ、嫁。)


抜歯自体は問題なく行われたのだが、問題はお金。

僕の会社における海外駐在員家族の歯科治療の支払いは、受診者が一時立替払いをしなければならない。

で、本日の抜歯(2本)の代金はというと、



















478ドル。。。




月末にこの金額はイタイ。



【おまけ】

日本語補習校に提出する息子の日記

きょうは、はを、ぬきました。2ほんはを、ぬきました。ぼくのおとなのはが、へんなところからはえてきたので、子どものはを、ぬかないといけなくなりました。さいしょに、しゃしんをとりました。つぎにべっとのようないすにのりました。せんせいに、はをみがいてもらいました。
まずいたくないように、おくすりをぬりました。つぎに、はをぬきました。それで、おわりました。はをぬくのは、ぜんぜんこわくないです。




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2002年10月23日(水) Happy Birthday to ME!

今日は僕の誕生日であった。

そういえば、朝腕時計を見たときに、「あぁ、そういえば誕生日だっけ・・」と思ったような記憶があるが、その後思い出すこともなく一日を過ごした。

一日の仕事を終え、家に帰ったところ・・・





















子供達によりデコレートされたバースデイケーキが、そこに。
(ロウソクの数は実年齢とは異なります(笑))

おまけに僕の大好物の、




















湯豆腐!

が、嫁によって添えられえいた。
↑ケーキと湯豆腐の食べあわせがどうかという話題はおいておくとして(笑)


そういえば昨日の夜(日本では既に僕の誕生日)に「誕生日おめでとう」のメールがオフクロと兄貴から来ていたっけ。

思わず、























誕生日は明日なんだけど・・・

というメールを返してしまったけど(笑)




意外なほどいろいろな人に覚えていてもらった誕生日でした。




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2002年10月21日(月) Weather Channel

先日、ケーブルテレビのチャンネル割りが変更になり、これまで僕の住む地域では見ることが出来なかったWeather Channelが視聴可能になった。

Weather Channelとは、一日中天気予報ならびに天気にまつわる内容を放送している専門チャンネルである。



以下、嫁から聞いた話。



この前、何の気なしにWeather Channelをつけていたら、どうやらハリケーンに関する特集をやっていたらしい。

ハリケーンによって飛ばされる家や車を見た、ウチの娘は


「わたし、あそこにいってみた〜い」

「どうして? 風が強くて怖いわョ・・」

「だって・・・」




















「わたし、空を飛んでみたいの〜♪」




















一回、飛ばしてみたろか・・・




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2002年10月20日(日) 車の修理(後編)

ラスベガス旅行から帰ってきた翌日、旅行中に修理に出していた車を引き取りにいった。

修理項目は「歪んだドアの調整」であったのだが、あの程度の歪みであれば、アメリカ人から見れば

「どこが歪んでるの?」

と言われて、そのままの状態で戻ってくるという不安があったのだが、意外にも完璧に調整されていた。



その約1週間後のこと。

修理工場から手紙が届いた。
その全文を紹介しよう。

You've Made Our Day!

Thank you!
Customers like you are a pleasure!
We appreciate your business
and look forward
to serving you again.



これを意訳してみよう。

「あなた方が私達の飯の種です!」

あなたのような車をぶつけるお客様は大歓迎です!
私達はあなたが車をぶつけたことを讃え、
また車を修理させていただく日を楽しみにしています。




















こいつら、喧嘩売ってんのか?


まあ、See you soon!と書いてなかっただけ良しとするか(笑)




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2002年10月19日(土) ラスベガス旅行記(完結編)

4泊5日のラスベガス旅行も、水曜日が最終日。


ところで、僕達が宿泊したLuxorについて、これまでほとんど説明をしてこなかったので、最後に説明をしたい。

最初に書いたとおり、Luxorはピラミッド型のホテルである。
中は下の写真のようになっている。



つまり、ピラミッドの斜面に沿って客室が配置されており、中は巨大な吹き抜けになっている。
エレベーターは、ピラミッドの4辺に沿って設置されているため、当然斜めに上がっていく形になる。(写真中央に見える角の部分)

そのためだと思うが、エレベーターではなくインクリミネーターと呼ばれていた。



斜面に客室が配置されているため、客室内の窓側は下記写真のように斜面になっている。



なかなかユニークなホテルであった。
誰か人にラスベガスのおススメホテルを聞かれたら、ここを紹介したいと思う。
(ピラミッド館にはバスタブがついていないのが、弱点ではあるが)




翌日から嫁と子供達はいつもの生活が始まるため(すなわち、学校に行かなくてはならない)、夕方までには家に着くように午後2時発の飛行機でラスベガスを出発。

帰りは途中で乗り換えが必要であったが、乗り換え時間はたったの30分。本当にバスの乗り換えみたいだった。

帰りにはサウスウェスト航空から意外にも、子供達にオモチャのプレゼントがあったり、また飛行機では初めて見た「対面型シート」に座ることができ、子供達は大喜びであった。

というわけで、駐在2号。家のラスベガス旅行記は完結です。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。




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2002年10月18日(金) ラスベガス旅行記(マジックショー編)

カジノで10ドル稼いだ僕達は、とりあえず子供を託児所からピックアップしてホテルに戻った。
その夜は、ランスバートンのマジックショーがあるため、娘を昼寝させておく必要があったからだ。

ここ連日歩き詰めだったこともあり、娘は親の目論見どおり昼寝をしてくれた。


マジックショーは午後7時から始まった。

専用の劇場に入るところで記念撮影。特に買うつもりはなかったが、断わるのも面倒だったので、とりあえず写真だけは撮ってもらった。

座席は前から4列目のやや左側の絶好の位置。早めにチケットを買っておいた成果だと思う。

ショーは手先を使った古典的なマジックから始まり、徐々に大仕掛けのものになっていく。ステージ上の美女を抱き寄せてマントでくるんだら、その美女が消えてしまうマジックには大人の僕も本当に驚いた。
↑Do it again!という掛け声が客席の子供から出たくらい

ショーの中ほどで、「4−5人」の子供達の募集がランスバートンからあった。客席からぞろぞろと10人くらいステージに向かったため、僕は息子と娘に「行っておいで」といって送り出した。

結局ステージには15人くらいの子供達が上がった。
子供達は一列に並ばされたが、息子と娘は遅れてステージに上がったため、最後尾だった。
息子はちょっと緊張がちの顔をしていたが、娘はニコニコとしていた。

子供達をステージに呼んだのは、かごに入った鳥をハンカチで覆い、その外側を子供達の手で塞がせて、鳥を消してしまうというマジックを行うためである。
15人もいると、小さなかごにみんなの手が伸びず、ウチの娘はかごの周りの子供達の輪に入れずにいた。

するとランスバートンが、

「キックして中に入っちゃえ!」

とウチの娘に軽いジョークを飛ばした後、彼の近くのスペースに彼女を呼んでくれた。
ランスは子供達に囲まれた鳥かごの中の鳥を消すマジックを行い、子供達は皆、不思議そうな顔をしていた。

ランスバートンから子供達の協力に対するお礼があり、子供達は解散となった。
彼の一番近くにいたウチの娘は、またもやステージから降りる子供達の最後尾となった。

すると、ランスバートンはウチの娘に声をかけた。




「What's your name?」

すると娘は堂々と、


「My name is HANAKO!」(仮名)

と答えた。
さらに、

「How old are you?」

という問いかけには、ニコニコしながらで指を4本差し出した。
ランスバートンが冗談で、

「Are you married?(結婚してるの?)」

と問い掛けたところ、娘はその意味がわからなかったらしく、



















ニコニコ笑いながらうなずいた!

この時点で、会場は大ウケ。

ランスバートンは、娘の横に兄が立っていたことを覚えており、兄の名前を彼女に尋ねた。

彼女は、

「His name is TATSURO」(仮名)

と大きな声で返事をした。
ランスバートンは息子の名前を繰り返し、ステージに来るように息子に呼びかけた。

これはあまり知られていないが、アメリカ人は「ツ」の音が発音できない人が多い
(例:マツシタはマシュシタとかになりやすい)
ウチの息子の名前には「ツ」が含まれており、ランスバートンは息子の名前を上手に発音できなかった。

すると、娘はランスバートンに向かって、



















「NO! Ta-"TSU"-Ro!」

と発音の指導をした。
(娘の発音も、日本語の発音じゃなかったけど・・・)

娘に指導されたランスバートンは、もう一度息子の名前を言い直した。
すると、



















「NO! Ta-"TSU"-Ro!」

と、再度指導した・・・(汗)

この時点で、会場は爆笑。


そうこうしているうちに、息子がステージに上がった。
息子も名前と年齢を聞かれて、無事に答えることが出来た。

その最中、ステージ上の娘はというと・・・



















一人で陽気に踊っていた(笑)

それを見たランスバートンは、息子に向かって、


「Does she drink?(彼女お酒飲んでるの?)」

とツッコミをいれ、会場の笑いはさらに盛り上がる。



ランスバートンはステージにあがった息子の後ろ襟元に、紙テープの細工をしかけ、襟元から次々と紙テープが出てくるマジックを披露してくれた。
マジック自体は他愛も無いものだったが、もちろん息子と娘にとっては目前で繰り広げられるマジックに驚きを隠せない。

特に娘はマジックが終わったあとも、兄の襟元を覗きつづけ、これまた会場の笑いを誘っていた。


最後にマジックセットをプレゼントされ、ランスバートンとウチの兄妹の3人でポラロイドで記念写真をして、子供達は客席へと帰ってきた。
同時にデジタル写真も撮影したが、これは数ヶ月の間、開演前のスクリーンに映し出されるものらしい。
(数ヶ月の間にランスバートン・マジックショーに行く機会があるかたは、10月9日の「出演者」として映し出される日本人顔の兄妹がウチの子どもたちです。見てやってください(笑))


いやぁ〜、笑った笑った。


【おまけ】
いい記念になったので、おもわず入場前に撮った記念写真を買っちゃいました!




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2002年10月17日(木) ラスベガス旅行記(夫婦でカジノへの道−後編)

託児所のあるカジノについては、結局インターネットの検索で探し当てた。
場所はオーリンズホテル。ラスベガスのメインストリートからやや離れたところにあるホテルだ。

僕達は火曜日の午前中に、タクシーでオーリンズホテルに向かうことにした。

Luxorのタクシー乗り場に行くと、あいにくタクシーはいなかった。
タクシー乗り場で待ってまもなくすると、一台の真っ白なリムジンが玄関前に止まった。
リムジンから降りてきた運転手は、僕達に向かって

「空港にいくのか?」

と尋ねたため、僕は違うと答えた。
すると、その辺にいる人々に、

「ホテルに行く人はいないか?」

と呼び込みを始めたが、誰も反応しない。
すると再び僕達のところに寄ってきて、

「どこに行くんだ?」

と聞いてきた。
僕は、

ハハ〜ン、これは運転手の小遣い稼ぎだな

と直感したのだが、とりあえず正直にオーリンズホテルであることを伝えた。
すると、

「15ドルで行くけど、どうだ?」

と言ってきた。
Luxorからオーリンズまでは、普通のタクシーであれば10ドル程度だと思われた。
それがリムジンで1.5倍の値段。

僕は一瞬迷ったが、以前から息子が夢見ていた



















お坊ちゃまの車!

に乗れる絶好の機会だと思い、思い切ってOKを出した。
(嫁も、「まあいいか」と思っていたらしい)

所要時間約10分。
18ドル(チップ込み)のリムジンライドで、オーリンズホテルに到着。
リムジンでカジノ入りしたため、僕は大物気分。



子供を託児所に預けて、早速スロットマシーンに夫婦並んで挑戦。

僕達はとりあえず20ドルを上限に5セント・マシーンにチャレンジ。
↑リムジンでカジノ入りした割にはせこい堅実(笑)

嫁も僕のクレジット(残金)も、順調に減っていく。

そうこうしているうちに、僕は昨日と同じ360クレジット(120倍)を引当て、持ち金を20ドルに戻すことができた。
この時点では


夫婦合計投資金額=40ドル
夫婦合計獲得金額=20ドル

収支 −20ドル

である。

嫁のクレジットが底をついたところで、

「違うマシーンもやってみたい」

と言い出したため、違うマシーンに移動し、再度チャレンジ開始。
(ちなみに、当然ながら5セント・マシーン)


今度は嫁が10ドル、僕が20ドルでスタート。

開始間もなく、嫁が僕を呼んだ。



















「私も360クレジット(120倍)当たったわ!」



















「私、もうやめちゃおうっかな(笑)」
↑めちゃ、小市民。


結局、その後もゲームを続けた嫁は、90クレジット・60クレジットといった小当たりを続け、約3倍の600クレジット(30ドル)になった段階でゲームを終えた。

僕も嫁がゲームを終えた直後に、またもや360クレジットを引当て、元金である400クレジット(20ドル)を600クレジット(30ドル)に増やすことができた。



【収支】


投資金額=70ドル
獲得賞金=80ドル

収支 +10ドル




儲けは少なかったが、夫婦して1時間半楽しく遊んだことを思えば、価値ある10ドルだと思うが、いかが?





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2002年10月16日(水) ラスベガス旅行記(夫婦でカジノへの道−中編)

リオ・スイートには託児所がないことが分かったため、僕達は無料シャトルバスに乗って、とりあえず街中に戻った。
ウロウロ散歩をしていると、どうやらそこはベネチアン・ホテルと言うところで、ホテルの外が運河になっており、観光客を乗せた小舟が通っていた。
ホテルの中に入るとショッピングモールになっており、ホテルの中にも運河があり、これまた小舟(ゴンドラ)が揺られていた。

ゴンドラには一人ずつ「歌が歌える」船頭さんが乗っており、運河の折り返し地点で一曲披露して、ゴンドラの乗客と運河の周りにいる観光客の喝采を浴びていた。

乗り物好きの僕と息子としては、

「このゴンドラを外すわけには行かない!」

と意見が一致し、35ドルも払って家族4人でゴンドラ約15分の旅に出かけることにした。

僕達の乗ったゴンドラの船頭さんは、とても美しい(多分イタリア人の)お嬢さんで、美しい声を披露してくれた。




ベネチアン・ホテルを出たあと、近くにあるトレジャー・アイランドホテル前で行われるユニバーサル・スタジオ真っ青の「火薬いっぱい海賊船ショー」を大混雑の中見物し、ホテルへと戻った。




結局その日は夫婦でカジノへは行けなかったため、その夜子供を寝かしつけた後、とりあえず僕だけがホテルのカジノに行って、スロットマシーンを試しにやってくることになった。

スロットマシーンのルールは至極簡単で、スタートボタンを押してスロットの目をそろえるだけである。パチンコ屋のように最初にお金をコインや玉に交換する必要は無く、スロットマシーンにお札を入れるだけである。

賭金の単位は、5セント・25セント・1ドル・5ドル(それ以上は目撃できず)があり、それぞれスロットマシーンに明記されている。
またマシーンによって、同時に2口・3口または5口同時に賭けることができる。
(例:25セントマシーンで3口同時に賭ける事が出来る場合、1回のスタートボタンでは75セントを賭けることができるということ。もちろん1口25セントだけを賭けることも可能)

セコイ堅実な駐在2号。としては、とりあえず手始めに5セントのマシーンで、5ドルの負けを上限に練習してみることにした。

5ドル紙幣をマシーンに突っ込み、スタートボタンを押す。
当然ながら1回目では揃わない。

すぐに、2回目に挑戦。


が、マシーンが動かない。



















「あれ?」



















スロットマシーンをよく見ると、残金が0になっている。





















ヤバイ!5ドルマシーンでゲームしちまった!!


と気づいた時には時既に遅く、2秒で5ドルをスッていた・・・・(滝涙)




その後、気を取り直し、5セントマシーンに25ドルを投資し、30分ほど粘ったところで120倍という高倍率を引き当てたため、なんとか36ドルを稼ぐことができた。


合計投資金額30ドル
合計獲得金額36ドル

収支 +6ドル


2002年10月15日(火) ラスベガス旅行記(夫婦でカジノへの道−前編)

旅行三日目の月曜日。

前夜、グランドキャニオン観光の後だというのに、よそのホテルの無料ショーを見るために歩き回った僕達は、その疲れの癒しもかねて、午前中はホテルのプールで日光浴。

僕の住む街はもう完全に秋モードになって、トレーナーを着込み始めているというのに、ラスベガスではプールで日光浴。つくづくアメリカの広さを実感する。

ラスベガス3日目ともなると、夫婦ともさすがに
「ちょっとぐらいはカジノに行きたいねぇ」
という気分になり、子供を預けてカジノができるところを探そうということになる。

その地ならしとして、とりあえず子供の機嫌を絶好調にもっていくためにも、午後はサーカスサーカスという屋内遊園地つきのホテルに行くことにした。また、サーカスサーカスは家族向けのホテルであるため、子供を預ける場所もあるのではないかと僕達は話をしていた。
加えて、サーカスサーカスのBuffet(カフェテリア方式の食べ放題レストラン)は、他のBuffetよりも割安だったため、昼食も兼ねることにした。


サーカスサーカスへの移動は、Buffetの昼食料金時間帯が終わりそうだったので、Luxor Hotelからタクシーを利用。

途中、タクシーの運転手に、

「サーカスサーカスに、子供を預けるところがありますか?」

と聞いたところ、

「サーカスサーカスにはないね。よく分からないから、無線で聞いてあげるよ」

と言って、タクシー無線で本部に託児所のあるカジノを聞いてくれた。
この運転手は、のべつまくなしにしゃべるタイプの運転手で、

「俺はラスベガスは嫌いだ。この街はウソつきやいい加減なヤツが多すぎる!俺みたいにわかんなければ、こうやって無線で聞けばいいのサ」
と、熱く語っていた。

本部の女性はリオ・スイートというホテルに託児所があると答えたため、僕達はサーカスサーカスで昼食を食べ、遊園地で子供をあそばせた後、これまたタクシーでリオに向かうことにした。

リオ・スイートは、リオのカーニバルの「空中版」といわれる、マスカレードショーを行う場所と知っていたので、このショーを見た後、子供を預けて夫婦でスロットマシーンにチャレンジしようという話になった。




↑これが、マスカレードショー。夜景モードでとったため、ちょっと映像がブレているが、天井に吊るしたゴンドラに乗っているお姉さん達(写真左上)がダンスをしており、中央ステージ(写真右下)でもダンサーが踊っている

ショーの後半では、ゴンドラに乗ったダンサーが、ダイスをつなぎ合わせたネックレスを餅まきのようにバラ撒いており、我が家も3個拾うことができた。

娘は大喜びで、



















「私はBeachのお姉さんになる!」
(筆者注:ビーチのお姉さん=ダンサー)

と、熱い決意を語ってくれた。
↑本当にラスベガスのダンサーになったら、それはそれでスゴイことだと思うが・・・


娘のダンサーへの決意を固くしたショーも終わり、ようやく夫婦でカジノの時間がやってきた。

ホテルの入り口近くの係員に

「I was informed that you have Child Care(託児所があるって聞いたんだけど・・)」

と訪ねたところ、


















「No, we don't have」





「・・・・・・」
「・・・・・・」



確かにラスベガスにはウソが多い・・・。


2002年10月14日(月) ラスベガス旅行記(グランドキャニオン後編)

一抹の不安を感じながらも、飛行機は無事離陸。

嫁は最初青い顔をしていたが、途中で諦めたのか・・・



















寝てしまいました(笑)
↑ツアー代金に飛行機からの観光も含まれているんだけど・・・



世界で最大級のフーバーダム↑の上空を経て、飛行機は大きくゆれることも無く、1時間15分ほどでグランドキャニオン空港へ到着。


機内は観光バスのように、日本語を含む4ヶ国語の中から音声ガイドを選択することができ、日本人には至れり尽せり。っていうか、機内には日本人しかいない。

現地にもアメリカンジョークだかオヤジギャグだかわからない寒い冗談を連発する日本人ガイドがいて、完全にハトバス状態。


それにしてもグランドキャニオン、想像していた以上のスケールだった。行ったことのない人には、本当におススメ。(写真をアップしてもスケール感が伝わらないので省略)
(途中で昼食を食べたレストランのトイレの落書きに、Not so Grand!と書いてあったのには笑えた)

死ぬまでに絶対に行っておきたい場所の一つを制覇して、駐在2号。はご満悦。
ちなみにもう一つはナイアガラの滝。
↑これまたベタですみません・・・汗



帰りの飛行機に乗る前に、カタコトの日本語をしゃべるヒスパニック系のオジサンが息子に

「ナマエハナンデスカ」
と問い掛けたが、息子が聞き取れずに無言でいると、そのオジサンは「冗談」で

「What's your name?」
と英語で質問をした。

息子はすかさず、

「My name is ○○○!」
と返すことができたので、そのオジサンも含めた周りの日本人旅行客はビックリ。


娘の方はというと・・・
その飛行機のパイロットに、嫁が

「You have two boys, right?」(男の子二人なんだね?)

と問い掛けられたところ、すかさず




















「No! I'm a Girl!!!」

と直接抗議をして、周りの人々の笑いと驚きを誘っていた。
↑この日娘は合計3回も男の子に間違えられた(笑)

息子・娘が他人の前で英語を話していると、なんだかわからないが鼻高々になるおのぼり駐在2号。なのであった(笑)



帰りの飛行機でも嫁、娘、息子とも爆睡。
↑これなら機外の見にくい安いツアーでもいっしょやんか・・・と思ったことは内緒(笑)


2002年10月13日(日) ラスベガス旅行記(グランドキャニオン前編)

二日目の日曜日は、朝からグランドキャニオンツアー。

今回のラスベガス旅行を計画するにあたって、全面的に利用したのがラスベガス大全というウェブサイト。
その中でベスト(中身も価格も)とされていた、シーニック航空での半日パッケージツアーを選んでいた。

決め手となったのは、飛行機の大きさ。

ウチの嫁は、基本的に飛行機が苦手である。
グランドキャニオンツアーは、大きな飛行機でも46人乗り。小さなものだと10人以下の飛行機の利用もあるという。
その中で最も大きい飛行機を用いているのがシーニック航空であったため、少しでも大きな飛行機にしてほしいという嫁の希望により、少々お高めではあったが、ここに決めていた。


当日。

ホテルのロビーにてガイドのオジサンにピックアップされ、大型バスで一路空港に向かう。
(息子は飛行機よりも、高速バスに乗れたのが嬉しかったらしい(笑))
空港につくと僕達が乗ると思われる飛行機が、ターミナルの前に3機ほど並んでいる。







































どう見ても20人乗り程度だ・・・汗

ラスベガス大全の解説によると、約8割の確率で46人乗りの飛行機になるが、そうでない場合は21人乗りの飛行機になるという。。。


見事2割にご当選。


せっかく高いお金を出したのに、小さい飛行機。
「その上」窓が大きく、下がよく見える観光用の飛行機のため、恐怖心倍増(当社比)。


さすがに嫁も覚悟を決めたようで、搭乗開始。
座席といっても、遊園地の乗り物のような小さな座席であり、僕も思わず

大丈夫なんかなぁ〜

とちょっと不安になる。


2002年10月12日(土) ラスベガス旅行記(到着編)

無事ラスベガス空港に到着した僕達は、これもまたサウスウェストのウェブ経由で予約済みだったホテルへのシャトルバス乗り場へと向かった。

乗り場へ行く途中の、空港のコンコースで僕達が見たものは・・・



















立ち並ぶスロットマシーンの数々・・・

初めて見るスロットマシーンに子供達は興味深々。
大人二人のラスベガス気分も一気に盛り上がる(笑)


シャトルバスの料金は一人6.5ドルであったが、空港から近いホテルであれば、タクシーの方が圧倒的に安いことが後から判明。ちょっと損した気分。
(僕達の泊まったLuxor Hotelは、空港から最も近いホテルの一つなので、タクシーを使ってチップを払っても10ドル程度であった)

ともあれ、シャトルバスは一路ホテルへと向かう。


空港を出ると、間もなくLuxor Hotelがその姿を現す。
近づくにつれ、その異様な姿がどんどん大きくなってくる。



















かなり笑える

↑なぜか正面にそびえたつスフィンクス。

いったい誰なんだろう、ピラミッド形のホテルを作ろうって考えたのは。
是非ホテル建設前の企画会議に出てみたかったものだ(笑)


ホテルに入り、いきなりフロントの場所がわからず迷う。
予備知識で子供はカジノに入ってはいけないと知っていたので、カジノにはなるべく近寄らないようにしていたら、本当に迷ってしまい、危うく橋でつながれた隣のホテルに行きそうになる。
(すぐに分かったことだが、カジノへの子供の立ち入りは禁止されていない。ただゲームをしたり、ゲームをしている人のそばで見たりすることは禁止されている)

途中掃除のオジサンにフロントの場所を聞き、カジノの横をすり抜ける形でフロントにようやく到着。

Luxor Hotelの中はでは、誰もが迷うとは聞いていたが、フロントの場所を探すのにいきなり手間取るとは思わなかった。




恐るべしピラミッドパワー!!!(違)


Luxor Hotelには、本館であるピラミッド館と新館のWest Tower、East Towerがある。せっかくLuxorを選んだのだから、ピラミッド館にしてもらおうとフロントにお願いすると、あいにくの満室。


子供がピラミッド館に泊まりたがっているから!

という理由で、翌日以降ピラミッド館に部屋を移してもらうよう依頼する。
↑一番ピラミッド館に泊まりたかったのは、お前だろう!というツッコミはなしということで(笑)


部屋に着いた僕達は、早めにチケットを入手しておいた方が良い席になるというため、火曜日に行くランスバートン・マジックショーのチケットをとりに、Montecalro Hotelに向かう。


途中にはニューヨークの摩天楼を模したホテルNew York New Yorkがあり、これもかなり笑えた。

↑これがNew York New York。何故だかジェットコースターも走っている。


2002年10月11日(金) ラスベガス旅行記(往路編)

10月中の旅行となると、子供と嫁の学校を休ませねばならない。

月曜日から金曜日までは、息子・娘とも現地の学校
火曜日と木曜日は、嫁のカレッジ
土曜日は、息子の日本語補習校

と、スケジュールが詰まっている中、結局土曜日の日本語補習校が終わった後出発し、水曜日中に帰ってきて木曜日からは通常通り登校するというスケジュールとなった。

土曜日の午後、息子を日本語補習校でピックアップし、嫁の車を修理工場にドロップ・オフし、僕の車で空港に向かった。

空港近くの駐車場に車をとめ、シャトルバスで出発ロビーに移動。
シャトル・バスのドライバーから、

「どの航空会社?」

と聞かれたため、

「サウス・ウェスト」

と答えたのだが、シャトルバスを降りてみると、なぜかサウス・ウェストのカウンターは遥か彼方。。。


僕の英語が聞き取れなかったら、聞き返してくださいね!>シャトルのドライバー殿

無事チェックインを済ませ、出発時刻まで遅い昼食をとって過ごし、そうこうしているうちに搭乗開始。
ふと搭乗券を見ると、座席番号が書かれていない。
そう、サウスウェスト航空は、座席指定をしない珍しい航空会社なのである。
確かに中途半端な管理で座席指定をされて、家族がバラバラに座らされるよりは、座席指定をせずに、乗客にその調整を任せてしまうのも一つの方法ではある。また、これにより管理コストも大幅に減らせるのであろう。

意外だったのは、サウスウェストは低コストで有名な航空会社なので、ジュースもお菓子も出ないんだろうと思っていたのだが、両方とも出てきてびっくり。
サービス面では、米国の大手航空会社と遜色ないと思う。


僕達の乗った便は、ラスベガスへの直行便ではなく、途中1ストップする便だった。終点のラスベガスまで行く乗客は、途中の空港ではそのまま座席に座って他の乗客の乗り降りを待つことになる。
おかしかったのは、そこで乗客が降りた後、客室乗務員が残っている乗客の数を数え始めたこと。まるで・・・




















田舎のバスのようでした(笑)



ともあれ僕達を乗せた飛行機は、予定通り無事ラスベガスに到着したのであった。


2002年10月10日(木) ラスベガス旅行記(計画編)

この夏は仕事が盛りだくさんであったため、「夏休み」が10月になるまで取れなかった(ちなみに去年は赴任のバタバタにより、結局とれなかった)。

10月ともなると、僕の住む街はめっきり寒くなるため、この季節に旅行するならば、暖かいところにしたいねと夫婦で話していた。


ある日、テレビでメジャーリーグ中継をいつものように見ていると、サウスウェスト航空のコマーシャルで、「ラスベガス片道79ドル」キャンペーンを宣伝していた。
ここからラスベガスまでは、直行便で行っても2時間半、東京−沖縄くらいの距離はあるが、それがなんと79ドル。
(参考:某大手航空会社正規片道料金=250ドル程度)
子供料金は無いものの、家族4人で往復しても約632ドル!

というわけで、あっさり行き先はラスベガスに決定した。


ご存知の方も多いと思うが、サウスウェスト航空といえば低運賃・低コストを前面に出して、今世界で最も利益を上げている航空会社の一つである。
また、インターネットを使った予約・販売システムを早期に構築してコストを削減した会社でもあり、僕は早速サウスウェスト航空のホームページを見てみることにした。

すると、サウスウェスト・バケーションという名の、パッケージツアーも販売していることが分かった。パッケージといっても、搭乗便が制限されるわけではない自由度の高いものであった。またホテルも10以上の選択肢の中から自由に選ぶことができ(ホテルによって料金は異なる)、僕は僕の中でのラスベガスの象徴であるLuxor Hotelを選ぶことにした。
(↑日本名=ルクソール、英語発音=ラクソー("ラ"にアクセントを置く))

Luxor Hotelとは、巨大なピラミッド型のホテルであり、東側玄関には巨大なスフィンクスが置かれている有名なホテルである。
Price Guideでは1室1泊340ドルもする高級ホテルであるが、サウスウェスト・バケーションでパッケージにすると、4名・4泊航空券込みでなんと・・・



















1200ドル以下!!

単純計算でも、正規航空券代2000ドル+正規ホテル代1400ドルの合計3400ドルが約3分の1の1200ドル以下になっている。

こりゃあ、サウスウェストにお客は流れるわけだ・・・
と僕は妙に感心してしまった。

というわけで、早速ウェブ経由で予約・購入申し込みをし、後日航空券が郵送されてきたのだった。


2002年10月09日(水) ラスベガスで大興奮!!

何が興奮したって、

カジノで大当たりしたわけでもなく、いかがわしいお店に一人でこっそり行ったわけでもない(笑)

興奮したのは、ウチの娘と息子が・・・



















ランスバートン・マジックショーご出演!


いや、ステージに上がるだけなら、ランス・バートンに呼ばれた時にステージに上がることは誰でも出来るのだが、ステージからの降り際にウチの娘が彼に呼び止められて・・・



















天然ボケ炸裂!by 英会話 &
なぜかステージ上でダンス!


いやぁ、見てるこっちの方が腹がよじれるかと思うほど笑い、大興奮。


詳細は後日。


2002年10月08日(火) ラスベガスより

以前の旅行では、ダイアルアップ接続が出来なかったので、今回も仕事のためだけにPCを持ってきたのだが、ダメ元でトライしたらなんと接続できた。

やれば出来るじゃないか!>Qwest(電話会社)


これまでの旅行記(サマリー)

初日:到着&ランス・バートン・マジックショーのチケット引取りがてら散歩
2日目:グランドキャニオン日本語ツアー&ホテルの無料ショー巡り
3日目:Luxor Hotelのプール&ホテルの無料ショー巡り




これまでのカジノ戦績

投資=30ドル
リターン=36ドル



















基本的にお金つかってません!
↑夕食でさえ、家族合計20ドル前後だし・・・。



詳細は後日。

では。
↑BBS風(笑)


2002年10月06日(日) 秋休み〜

夏の間、休みらしい休みがとれなかったのですが、10月に入ってようやく1週間のお休みがとれました。

今、10月5日土曜日の午前。

息子は日本語補習校に行っています。
嫁は日本語補習校のPTA役員会に行っています。(←断われなかったらしい・・・)
娘はまだ爆睡しています(笑)


この後、

息子をランチの前に早退させます。
嫁の車を修理のためBody ShopにDrop Offします。
空港に行きます。

そして・・・



















ラスベガス&グランドキャニオンじゃあ〜!
↑めっちゃベタな旅行でんな。。。

私信:惜しまれつつ休載中のWindさんのホームページで紹介されていたアトラクションをまわってきまーす!


というわけで、日記は数日間お休みの予定です。


2002年10月05日(土) 車の修理(中編)

というわけで、ディーラーでは板金修理ができないことが判明したため、次の土曜日に僕は近所の板金屋を訪ねた。

が・・・



















どこの板金屋も土日は休み!

アメリカでなにか商売をしようと思ったら、土日休みの商売を探して、その仕事を土日にやれば絶対に儲かると思う(笑)


仕方がないので、平日の出勤前に、見積もりを取りに板金屋に再度向かった。

が・・・



















「見積もりを取るのにも、予約がいるわよ!」

といわれて、あえなく撃沈。

しょうがなく、翌日の朝に見積もりをしてもらう予約をして、その日は会社に向かった。


で、その翌日・・・



















無事、見積もり完了!
↑なーんだ、オチは無しかいとおもった貴方、その通りです、ハイ。


2002年10月04日(金) 車の修理(前編)

この日の日記に書いたように、嫁の手により嫁の車の後部ドアが損傷した。

ドアを開けたままガレージから車を出庫させたため、ドアがガレージ内の柱に引っかかったのだ。
その時そのドアの窓は開いていたため、ドア上部のフレームが大きくゆがんでしまい、ドア自体は閉まるものの、歪んだフレームによって生じた隙間から、雨水が入り込むことは明らかだった。

その日は娘のプリスクールの説明会の日で、僕は定時退社していつもより早めに家に帰っていたのだが、これにより僕は説明会を聞かずに、車を修理するためディーラーに向かうことになった。


ディーラーにて。


「これってドアを交換する必要ありますか?」

と僕が尋ねたところ、

「どうかなぁ〜」

とディーラーのオジサンは言いながら・・・



















グイッ!

と、歪んだフレームを元の状態に戻してしまった・・・(呆然)


「これでどう(笑)」


どうもこうも、直しちまったよこのオヤジ・・・

と戸惑ったが、このままで良いわけがないと思い、

「とりあえずはOKだけど、いつかはちゃんと修理しなきゃならないんでしょ?」

と聞いたところ、

「そうねぇ、やった方がいいかもね」

と気のない返事が返ってきた。

僕が、

「ちゃんと修理したら、いくらぐらいするか見積もってよ」

と尋ねたところ、驚くべき答えが返ってきた。



















「ここじゃ修理しないよ!」


「エッ・・・(絶句)」


彼が言うには、ディーラーでは板金修理などは取り扱わないという。
板金修理は専門のBody Shopと呼ばれるディーラーとは全く関係のない修理工場が行うという。

僕は、とりあえず雨漏りの心配がなくなった(しかもタダで!)車を持ち帰り、後日Body Shopに行くことにした。


(後編に続く)


2002年10月03日(木) バックギャモン

バックギャモンというゲームをご存知であろうか。

このゲームは、相手の邪魔を潜り抜けながら、自分の持ち駒をいかに早く自分の陣地に入れ込むかを競うゲームである。

別名、西洋双六とも呼ばれるこのゲームは、サイコロの目による運と自分の戦術の両方により勝負が決するため、必ずしも強い人が勝つとは限らない。


先日の息子の誕生日に、息子は友達からこのゲームをプレゼントされた。
箱には7歳以上対象と書かれていたのだが、7歳になったばかりの息子にこのゲームのルールは難しく、かつ僕たち夫婦もあまり把握していなかったため、夜な夜な夫婦でバックギャモンに勤しむ事になった。

結果・・・



















夫婦でハマッテしまいました(笑)

たまに頭を使うゲームも良いね、と夫婦で確認しあいました。


【参考】
日本バックギャモン協会ホームページ


2002年10月01日(火) Toilet Bowlの不思議

お食事中の方には恐縮ですが、本日はトイレのお話を。

英語と米語でずい分と表現が違うようだが、アメリカではトイレのことを

・Rest Room、または
・Bath Room

と呼ぶことが多い。

なお同じ北米圏でも、カナダに入ると

・Wash Room

と呼ぶことが多い。


日本でおなじみの

Toilet=トイレ

を使って

I want to go to Toilet.

と言っても通じないわけではないが、意味的には



















「私は便器に行きたい!」

というようなニュアンスになるらしいので、やめた方がよいと聞く。


確かにToiletという単語は、Bowlという単語と組み合わせて聞くことが多い。つまり、

Toilet Bowl=便器

という使い方だ。




アメリカのトイレは、下水管が細いのか知らないがよく詰まる。

悪いことに、アメリカの便器は水の容量が少ないらしく、詰まっていると1回の水洗でも簡単に溢れてしまう(日本では1回の水洗では便器から水は溢れないと思うのだが、我が家だけ?)


下水管が詰まっても、1回の水洗では汚水が溢れないようにという工夫を考え付かないのが、アメリカ人らしい。







【つけたし】

我が家の一階のトイレは、めずらしくシャワーなどとは独立した、いわゆるトイレなのだが、なぜか



















じゅうたんが敷き詰めてある




汚水が溢れると・・・・どうなるかって・・・




簡単に想像できますよね。。。