前回の日記が鬱だったので、少しでも明るい話をして上書き上書き。
地震が起きてから、まぁ色々ありましたが。
お腹の子は順調に育ってます。
ぼっこぼこ蹴られてますよ〜
昨日検診だったのですが、先生からも「お腹キレイですね」とほめられた(´∀`)わーい。
そして昨日、親父さまの声を聞くことができました。
親父さまは相変わらず。でも元気で良かった。
また遊びにおいで〜 との言葉に思わず笑顔になってしまいました。
あと、相方の家族とも連絡をまめに取るようになったのですが、
ちょっとだけ、お義母さんに甘えられる人間になった気がします。
いつもは無意識に気遣いとかしてて。
ちょっとした不安を口にするのも申し訳ないなぁと思ったりしたのですが。
今回の地震が起きてからちょくちょくと情報交換をするようになって、お互いの話を聞いていくうちに、距離が縮まった気がします。
血のつながりはないけれど絆はある。
家族になっていくって、こういうことをいうのかもしれません。
まだまだ私たちの周りは不安定で、問題は山積みだけど。
しっかりと大地を踏みしめていこう。
少し弱音を吐かせて下さい。
ひとりでいる時間が今は辛い。
相方は朝早くに出社し、夜遅くに帰ってくることが多いです。
昼間はともかく、私は夜遅くまでひとりでいることがほとんどです。
まぁ職場結婚だったので、相方の仕事はわかっていたし、いつものことだと割り切ってはいるのですが。
自分が妊婦であること、このたびの地震の影響でかなり不安になっているようです。
私の住んでいる場所はかなり揺れたものの、家も道路も無事、生活への支障はまだ小さいものでした。
でも近所の川沿いから数キロ離れた隣市の一部は、道路が液状化の上、水道管も損傷していて未だ断水状態とのこと。
たった数キロの違いでこんなにも差が出たこと、家にいられず避難している人もいるとの情報に心中は複雑です。
助かったけど、素直に喜べないというか。これでいいのかなというか。
そのくせ、自分の身にもしかしたら……と思ったら怖いという。
人前では気を張ってるけど、お腹の子や相方には大丈夫だからね、と言っているけど。
本当は一人でいる時間が怖いです。
その証拠に私は必要以上にテレビやネットを巡り、外では人とのつながりを求めてた気がします。
今日まで近所の人や友達、ネットで知り合った人たちの無事を知ることで自分を落ち着けていたのかもしれません。
特に幼なじみからの「電話もメールも繋がらなくて心配した」の言葉が心に染みました。彼女は故郷にいたのですがどんなに救われたことか。
ウチの実家は外房で、震災時、母は海辺のすぐ近くにある建物にいたそうです。津波の被害には逢わなかったものの、もし襲ってたとしたら……想像するだけでも恐ろしいです。
父は職業柄ゆえ不安定な所や高い場所にいる可能性大(震災時は一階にいて無事だったそうですが)いつもなら何かと電話かけてくるのに、地震以降声を全く聞いてないのが逆に不安です。
兄や義姉は地方公務員のため緊急時は役所に詰めなければなりません。防災無線を担当することもあるので自分達の事はどうしても後回しになってしまいます。解放されたのは深夜すぎでした。
甥っこは初めての震災にかなり怯えていて、夜はなかなか寝付けなかったそうです。
母からそれぞれの無事を知らされ一度は安堵したのですが、それでも心が晴れないのは私がその場に一緒にいられなかったからなのかもしれません。
本当は震災の翌日からウチの実家に行く予定だったのです。これから遠出できないから今のうちにって思ったんだけど。このぶんだと延期だねって、メールや電話で親と話して納得してたんたけど、本当は自分が思ってた以上にショック受けてたのかも。
今日ありあわせで作った夕飯食べながらFM聞いてて。AIの「ストーリー」とかアンジェラアキの「ふるさと」聞いてたら泣けてきました。
そして今、この文面を打ちながらゆずの「雨と泪」をラジオ聞いてまたうるっときてます。
こんなにも故郷が恋しくていとおしいと感じたのは初めてです。
きっとこういうことがなかったら気付かなかった気持ち。
音楽は偉大だね。
東北関東大震災が起きてから、3日ほど。
自分の気持ちが少し落ちついてきたのと。
今更ながら言われようもない不安とか、もどかしさとか、自分の弱さとかを感じてしまって。
ここで吐き出そうと思う。
地震が起きてから、様々な情報が飛び交ってる。
私もできるだけ確実で役に立つ情報をと思って、ついったから幾つか発信していたのだけど。
どうしても気になる現象がひとつ。
私の地域、計画停電が決定してから買いだめする人達が更に増えた。
食料品はもちろん、懐中電灯、乾電池(単1と単2)、蝋燭、ティッシュ、トイレットペーパー、ガソリンなどなど。
これは私が生まれる前に起きた「オイルショック」の状態に似ているのだろうか……
で、こうなった理由を色々考えて、私なりの見解をひとつ。
これは当たり前のことかもしれないけど。
情報が多い所は、被災してなかったり、比較的被害が少なかった場所だ。
ライフラインが生きてるから、TVやネット、電話からも情報が取れる。
そこに住んでいる人達はあまりの情報量、特に現地の映像に少なからず影響を受けているのだと思う。
だから必要以上の懸念を抱えて「次は自分か?」「もしかしたら」と想像を広げて、結果「買いだめ」といった行動に走ってしまってる気がする。
とりあえず今は大丈夫だけど先のある未来なんて約束されたわけじゃないから。
今も続く余震に安全なんて言葉が効くかどうかも怪しい。
だから少しでも長く生きる術を捜している。「物」で「安心感」を買っているというわけだ。
まぁ、私もその気持ちは分からなくもないし、実際スーパーに駆け込んだのもあるから。
そして、被災地に居る方の方が、情報が全く入って来ない状態だということだ。
どんなに情報が欲しくても、電話回線は途切れていて、ネットすら見れない。
孤立して安否の連絡すらとれない状態の人がどれだけいるだろう。
地震に遭い、津波で家を失い、着の身着のままで避難所にたどり着いた彼ら。
でも彼らは自分の命があること、家族が生きていてくれただけで救われている。
少ない物資の中でも、なんとかやりくりして生き延びようと努力している。
離れてしまった家族や友人を探すことで、自分を奮い立たせている。
「物」ではなく「人の存在=安心」であり拠り所となっているんだ。
どちらもそれは人間の本能で、今までにない危機感が彼らをそうさせたのかもしれない。
情報の量と人間の行動がこういう形で表れてしまうと、被害の少なかったこちらの迷走ぶりが浮き彫りになってしまって、なんだかなぁ、というか。
「自分にできること、相手にできることを」と言いつつ、少しの事でパニくってしまった自分が恥ずかしいやら情けないやらで……
自分でも何やってるんだろうというか、改めて反省することがちらほら。
ちょっと落ちついて疲れが出たのかもしれない。
冷静な判断ができるまで「情報」と距離を置こうかと思う。
こちらでの日記が滞りがちになってますが、
生きております。
私の住んでいる所は震度5で
幸いにも大きなものは倒れず、家は無事。
減水制限があるものの、ライフラインも生きていております。
ただ、海岸部では液状化現状が起きているとの話。
相方は帰宅難民になりましたが、翌朝無事に帰宅しました。
お互いの実家も無事だとの確認が取れています。
日曜日、スーパーやコンビニでは食料を求める人でいっぱいで、
レトルト系やカップ麺、パンの陳列棚は空っぽでした。
昨日まで、TVから流れる余震や津波情報に体を強張らせ、
緊急地震速報が出るたびに緊張し、眠りも浅かったりするのですが、
更に大きな被害を受け、津波で家を失い、
家族や友人と連絡が取れない人がいる。
物資が届かなくて、凍えている方もいる。
今も先の見えない不安におびえてる方々がいるのだと思うと……
とても心が痛みます。
震災・津波被害に遭われた皆さまに、改めてお見舞いを申し上げます。
今日から首都圏を中心に計画停電が始まります。
一日のうちの3時間だけ、電気が止まる。
情けない話ですが昨夜、懐中電灯の場所すら忘れてしまう、電池のストックがない現状にパニくってました。
たった3時間で不安を感じてしまう自分がいます。
でも、今更あがいても仕方ない。
今自分にできることを。
今、相手にできることを。
本当につらくて厳しい時ほど、相手への心配りを。
これからが私たちの戦いだと思っております。