Vandwelling - 2021年04月30日(金) 緊急事態宣言下でのゴールデンウィーク。 一日ぐらいどこかに出かけようと、下調べついでに食べログを眺めていたら、四条大宮時代毎週モーニングを食べに行っていた喫茶店が閉店していることに気付く。 あまりにも悲しい。 胸が締め付けられる。 自分史の中でもとりわけ印象に残っている場所の1つであり、今後の人生の数少ない手札の1つでもあって、羽根をもがれたような気持ちでいっぱいだ。 傷心のまま首都圏近郊の地図を眺め続け、最終的に横浜で映画を見ることにする。 映画館に行くのはコロナになって初めて、多少の恐怖は感じるものの、宣言下の都内では存分に時間を潰すのも困難と思っての判断だった。 記念すべき作品はノマドランド。 アカデミー賞を軒並み受賞するような作品だとは知らなかったが、内容は素晴らしかった。 題材自体、決して対岸の火事とは思えず、自分のそう遠くない未来と重ね合わせて地の底を感じつつ、一方でこれをしっかりとエンターテイメントに昇華した制作陣に感激した。 鑑賞後、帰宅がてら東白楽で下車し、古本屋を3軒はしごしながら妙蓮寺まで歩く。 この界隈を歩くのは3度目ぐらいだが、不思議な魅力がある街である。 決して栄えているわけでも、特出すべき店があるわけでもないが、六角橋商店街の猥雑なアーケードをくぐるたびに、他の街では感じえないような高揚感と不安を感じる。 地元民から見れば、それは日常の営みそのものだろうが、私のような外様が迷い込むと、まるで作り物の世界にいるような感じさえするものだ。 - Parking Lot - 2021年04月20日(火) 友だちに誘われて公園に行ったものの、知らない子がいるのを目の当たりにして遊びの輪に加わることが出来なかった、と言う息子の話を聞いて、ああ情けないと思った束の間、誰よりもそのような人生を歩んできたのは自分ではないかと気付く。 想定外のシチュエーション、自分のことを知らない人間の視線、徐々に積み上がる居心地の悪さ、沈黙、そう言った場面に出くわす度に心が委縮していったのではないか。 自分から殻を破って誰かの胸元に飛び込むような経験なんて、もうほとんど記憶に残っていない。 事故のように出会ってしまった瞬間に、苦虫を噛み潰すようにただ耐えた記憶だけが残っている。 何と声を掛けるのが正しいのだろう。 壁の先に未来があると諭すのか、それとも、それでいいと背中をさするのか。 - Atlantic - 2021年04月07日(水) かつて自分がやっていたバンドの界隈にいて、すでに亡くなった友人たちが4人いる。 どんな最期だったのか、自分から聞く勇気はとても無くて、結局断片的な話しか知らないものの、おそらくそこには円満な死などないんだろうなと勝手に思っている。 何となしにYoutubeを見ていると、そんな彼らの姿を目にすることがたまにある。 今の自分には生に対する大した渇望もないのだけれど、永遠に会うことが出来ない彼らを目にすると、今自分が何となくでも生きていることに対して、噛み締めなければいけない何かがあるような気がしてならない。 Youtubeには、かつて大切な友人だった者たちのたくさんの姿が詰まっている。 彼らは彼らの人生を生きていて、自分から歩み寄らない限り二度と会うことはないのだろう。 だから、それはすでに人生を終えた者たちとの距離感とさほど違わない気がするものの、それでも思い出とは違う何かを感じてしまうのは、まだ何か奇跡のようなものを感じているからなのか。 -
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