笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

また雨 - 2003年04月30日(水)

自分で言うのもあれなんだけれども、先日凄くいい曲ができた。
2年ぐらい前から自分で曲を作り始めて、やっと見えてきた及第点というかなんというか。
とにかく凄くいっぱいの感情が詰まった缶詰のようなこの曲に、
「murmur」というタイトルをつけてやろうと思う。


声にならないような呟き声やざわめき声が、ずーっと遠くから聞こえてくるような、そんな、そんな曲。



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バイト探さなきゃ - 2003年04月27日(日)

昨日までの重苦しい梅雨のような曇り空が消えて、
僕のアパートの屋上からは比叡山や嵐山の山々が大パノラマで見える。


色々な人と知り合って、色々な講義が始まって、
あっという間に4月が終わりそう。
マイペースに、マイペースに、流れの緩やかなこの土地で、
ボーっと陽だまりのような暮らしがいつまでも続いていくのかなぁ、と思ったり。


来週はゴールデンウィークか。


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みんな一緒 - 2003年04月24日(木)

雨が降ったり、綺麗な青空が浮かんだり。
窓の向こうに見える白い壁に、白い空と白い雨が同化していた午後3時。
車の走る音だけが聞こえる無の世界がすぐそこに。


昨日、比較文化論の授業に出ていたら興味深い話が1つあって、
それは、世界レベルで幼少体験が同一化しているということ。


例えば、任天堂のゲームであるとか、ポケモンのテレビアニメだとか。
数十年前なら考えられなかったように、1つの商品が日本ならずとも全世界で流行し、
多くの子供達が同じゲーム、テレビ番組を見て子供時代を通過しているらしい。


これを聴いて、少々ゾッとした。
と、同時にちょっと面白い話だと思った。


確かに、グローヴァリゼーションによる世界の画一化は怖い。
ましてや、その発端を担っているのがこの弱小国日本だというのも更に怖い。
まあ、そんなに画一化が進むのならば、とっくにこの日本は崩壊しているのだろうけど。


でも、現在の世界の共通言語は言うまでもなく英語で、
それ以外はなに1つ接点がないわけなんだから、
そこに仮にゲームという要素が加わったら、相当スリリングな関係が生まれるんじゃないかなぁと思ったり。




でもやっぱ想像できないなぁ。
そんな彼らが大人になった頃を。


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難破船 - 2003年04月23日(水)

家から救援物資が届いた。
それも段ボール一箱分。


フタを開けたら、源氏パイのファミリーパックが出てきて思わず大笑いしてしまった自分。
何でうちの親は、家にスパゲッティーを茹でる鍋がないのを知っておきながら、カルボナーラソースを送ってくるのだろう。
大きなさやえんどうはどうやって調理すればいいのですか。
鮭フレークでおにぎりでも作ろうかな。


僕が中学1年の時に体験したかった“故郷”を、この歳になってやっと体験できた気がした。
僕がずっと待っていたのは、故郷の匂いと、沢山の食べ物が詰まったこの箱だったんだよね、きっと。
あの時僕は、大きな段ボール箱を前に自慢する友だちたちのそばで、必死にモソモソしていた気がする。
僕も何か自慢したかった。


今じゃ周りには、僕の子供じみた奇声へまともに耳を傾けてくれる奴なんていない。
消費される食料は、何処にも爪痕を残さない。


誰にも共有できないこの喜びを、僕はこうして文章化することによって、自ら消費する。
文章化することによって、ある種の共有を求めているようで、実は違う。
ただの感動的な話であるようで、実は非常に閉鎖的な、排他的な喜びなのです、この喜びは。


いじけてるんです。




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黒 - 2003年04月22日(火)

日記の書き方を変更。
図書館じゃ永遠にリズムを掴めないことが分かったから。
これからは、毎晩自分のPCに日記を書き込んで、翌日フロッピーにコピー&図書館でペーストって作業をしよう。
少しはマシになるはず。


最近、自分が死んで葬式が執り行われている場面を空想していることが多い。
やつれ果てた両親の姿と、沢山の昔からの友人達。
一番仲のよかった友人が涙ながらに弔辞を読み上げて、何故か僕が生前作成していた曲が流れ始めて、参列者全員が号泣。
棺桶の中から必死に参列者の数を数えている僕。


ダメだ。


きっと、きっと、きっと、いつか
きっと、きっと、きっと、いつか
きっと、きっと、きっと、いつか
きっと、きっと、きっと、来ない





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たこせん、ってやつを作るのね - 2003年04月21日(月)

あっ、と気がついたら掲示板に昨日の日記と同じこと書いている・・・。


昨晩作ったポトフが尋常じゃないくらい美味く、
これからはこれをベースに野菜を摂取していこうかと作戦変更。
高いトマトはしばらくさらば。


僕の通っている大学じゃ、今週の土曜に新歓祭典っていう友達作りましょう的なイベントがあって、各クラス毎に模擬店(たこ焼とか焼きそば)を出展しなきゃならんのです。


やでしょー。これ。


そんな沢山友達作ってもなぁ。


それより同じ日に京大西部講堂で行われるボロフェスタに僕は凄く行きたくて、
凄いという噂のROVOとかASA-CHANG&巡礼を見たいのね。


はぁ。





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タクタク - 2003年04月20日(日)

あと5分で図書館が閉まってしまうので、まじダッシュっ。

昨晩はイースタン京都公演に行ってきました。
吉野さんが「木造家屋っ」と呟いていたように、本当に四方を木材で囲まれた素敵なライブハウスで、イースタンの鳴らす音楽がその木を伝って大きな空へと流れていくようでした。

詳細なライブレポは現在作成中なので、そのうち上げます。

新たな出会いもあったりして(乙女系ではない・笑)、なんか調子がよいこのごろです。


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味噌汁バーニング - 2003年04月17日(木)

汗ばむ陽気です、ここ京都では。


時速55キロで金閣寺の門前を爆走した時、交差点にいたアメリカ人女性の腋からはほのかな汗の匂いが。
和食のおかげでしょうか。


なんて、うそ。


1週間前に作った小松菜のおひたしからは、異様な臭気が。
2週間前に買ったジャガイモからは、大きな芽が。


半月で食費は8000円でした。


インターネットに繋げる必然性並びに興味が、相当薄れてきたような。
ある種のネットに繋げておかなければ世界情勢に付いていけない、といった脅迫観念から解放されつつある自分がいる気がします。
身勝手だな。






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買って下さい - 2003年04月15日(火)

自己PRって難しいですよね。
今、バイトの面接用にそんなものを作成しているのですが、いざ自分をプロモーション、自分を1つの商品として売り出す、そんな謳い文句を書けと言われるとなかなか難しいもんです。得てして、企業なんかに就職するには自分にはこんな資格があって、こんな経験があってと目に見える形での自分の能力をアピールすることが事を優位に進めるのかもしれませんが、そういった資格なんかが通用しない現場では、感情論のみでしか自分の熱意を伝えることができず、はて困ったなぁと。


「俺は熱いっー!」とか、冷め切った頭の持ち主から見たらこれほどウザイもんはないですしね。







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ピコンピコン - 2003年04月10日(木)

鴨川の河川敷に咲き乱れている桜が美しいです。


あまりにも静かな毎日が、もう今日で18日目。
僕のことを少しでも知ってもらおうと、崩れそうな笑い顔で話しかけてみたり、
君のことを少しでも知ろうと、ダンボのように耳を膨らませてみたり。


サークルに勧誘しようと多くの学生がビラを配っていたのですが、その人数が半端じゃなく、またそれを受け取る学生の数も半端なく、何度か息が止まりそうになりました。
でも、なぜかそんな勧誘ムード一色のキャンパスで、僕はビラを一枚も貰わなかったんですね。別に、自分が無視されていると思って憤ったわけでもないし、貰わなかったのは外見が新入生に見えなかったからだろうなぁと思ったのだけれども、ただちょっと考えたら面白いことが一つあって。


僕にとって、ビラを配っている人は敵で、最悪で、とっとと消えろと思っていて、凄く病んだ気持ちになって、不快極まりないんだけれど、ビラを配っている人から見れば、僕はすでに視界の外にいる存在なんですね。そう、そこには空白があるだけ。


もっと掻い摘んで言えば、同じ時、同じ場所を共有しておきながらも、必ずしもそれ以外の点で共通点を所有している必要はないんだな、ってことを思ったのです。何も一致団結するのに円陣を組む必要はないし、全員で丸坊主になる必要はない。何か形式的なもの、儀式的なものに対する憧れが、素敵な幻想を作っていただけだったんですね。


話がそれました。


結局、僕は君に見えているのか、それともただの空白があるだけなんだろうか。
そんなことが、凄く気になるのです。


「ワラをも掴む想い」


って素晴らしい言葉ですよね。
fOUL的な世界観でもあると思います。


でも、ワラでさえ掴めない人にはどうしようもありませんね。




しばらく文章を書かないうちに随分とリズム感を掴むのが難しくなりました。
ってここは、図書館だしね。
周りには150人の生徒がいるんだもん。


またいつか書こうっと。




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