平素に在り

2011年05月27日(金) 仕事

最近、能書きが多すぎる。

曰く「お客様のため」、「復興のため」、

私自身はなにも変わっていない。
震災前も後も。

ただ目の前のやるべきことを果たすため。

なんか、鼻につくんですよね。
そういう節電してます、とか
被災者のため、とか。

会社の会議で、そう言ったら
誰も反論しなかった。

結局、みんな自分の気の済むように
やってるだけでしょ。
ウォシュレットの電源切って
何の意味があるの?

普通に働いて、税金と政策で救済
されるべきものでしょ?

百円二百円で、いいことした気になっている
人がおかしい!!!!!

こんなときに、首相変えろとか
被災者のため、をうたって
自己満足してる軽薄な輩。

そういう私は、普通に会社の女を口説き
いままで通りの生活だ。

でも、なんだ。
どうでもいい募金やボランティアでいいことした気に
なっている輩より、税金も払っているし
恐るべき消費もしているし
何より、「自分は役だっていない」という
自覚がある。

純粋に経済面(つまり金)なら、私は
その辺の偽善者より貢献している。

ようするに言いたいのは、
この機に、税制も、社会保障も
国の根本にかかわる問題も、便乗して
解決せねば意味がないのだ。

日本人は、災害を含む外圧でしか変われない。
逆に、外圧で劇的に変われる。
この機を逃したら、日本の繁栄は300年くらい
来ないだろう。



読売も産経もくたばれ!



2011年05月25日(水) 家を建てる

一戸建てを建てることにした。

それは妻と子のためである。

私自身は社宅でもかまわないのだが。

すでに地鎮祭を終え、
基礎工事が始まった。

どうして、貯金のない私が
一人前に家が建てられるのか自分でも
不思議だが。

いい家が幸せを呼ぶとは全く思わない。
あくまでも器であり、
親子4人で温かい雰囲気があれば
私はなにもいらないのである。

東京から30分以下のJR駅近辺にしては
田舎なのだが、最近の住宅設備を見ると、
社宅と比べて
ずいぶん贅沢に感じてしまう。

・・
震災以降に思うのは、死ぬときに後悔しないようにしよう
ということ。実は、すでに後悔だらけの人間なのだが。
せめて今後後悔の種はつくるまい。

死ぬ寸前に、「もっと働けばよかった」とは
思わない。
自分は「もっと家族で幸せを味わえばよかった」
「妻によろこんでもらいたかった」とか
思うに違いない。妻には苦労かけたし。




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