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■ 子どもを守ると言うこと
年が明けて仕事が休みの日に娘の迎えを再会したら、冬休み前より迎えも見守りの辻立ちも、真面目に出てきたこちらが萎縮するくらい疎らになってしまっていました。もう風化してしまったのか、と一抹の不安を覚えます。
さて、昨日は連続幼女誘拐殺人で最高裁の判決が出ましたね。今日は前回の続きです。
いか…知らない人についていかない の…他人の車にのらない お…おおごえを出す す…すぐ逃げる し…何かあったらすぐしらせる の「いかのおすし」やCAP(Child Assault Prevention=子どもへの暴力防止プログラム)と言った子どもの自衛意識啓発や対策は徐々に出来てきていると思いますが、でもそれは実際不幸にして不審者に出くわしてからの話で、その前の段階、善人悪人の見極め方、と言うのはさっぱり聞かない気がします。
善人悪人のごく大雑把で初歩的な見分け方。それは『甘言』ではないでしょうか。大辞泉によると「人の気に入るような口先だけのうまい言葉」とあります。 まさに悪い人、事はいつも自分に都合の良い言葉を並べて自分の心に入り込みます。本当に良いこと、必要なことは最初は受け入れ難いものです。
例えば車道で遊んでいるのを注意される。 「せっかく楽しく遊んでいたのに」と面白くない感じはするでしょう。 でも少し考えれば、本当の悪人なら子どもがどこで遊んでいようが関係ないものです。車が突っ込んできて轢かれても投げ出されても、痛くも痒くもない。本当に心配する、善意の人だからこそ注意するのではないでしょうか。
栃木の事件後新聞に、注意して帰るよう声かけをしたおじいさんが不審者として情報を流されてしまったケースが紹介されていました。おじいさんも自分の孫と同じくらいの年の子ども等が心配で声賭けをしたと言うことです。どうなってもいいなら、声なんてかけないって。 それを声をかけられた子どもが分からない(知らない)から、不審者と一絡げにしてしまった不幸なケースです。知らない人と距離をとるのは当然としても、そういう理を知っていたら防げたかもしれません。もっとも、悪人がそれを利用したら御仕舞いかな。
でも私は世の理としてCAPと一緒に、娘に伝えたいと思っています。
2006年01月18日(水)
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