どんぐり1号のときどき日記
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2008年10月31日(金) 金曜だが、木曜日のリカ

 今日は昨日よりは多少暖かい。というか日中は少し動くと暑いくらいだ。そのくらい昨日とは気温差があるという事だ。

 ふと「木曜日のリカ」を読む。
 この作品は脚本レヴェルで破綻しているところがあり、作品としてみた場合は欠点だらけである。なにせ、リカが出てこなければここまで事件は大きくならなかっただろうという話もある。これではまるで水戸黄門だ。
 また銃器や車に関しても、かなり頭で書いている、という感じの部分が多いが(つまり矛盾、無理がとても多い)、これはまあ時代を考えると仕方のない事かもしれない。
 それ以上に、そもそもノーベル殺人賞という訳の判らない設定からして無理があるが、だからこそ主人公の美木本リカはあれだけの活躍が出来ると読者は錯覚できるし、やはり何かと魅力的な作品なのだ。
 ひばり書房版1巻目のカヴァー・イラストなど、いかにも当時の私が好きそうなものである。

 そしてまだまだ学生運動を引きずっている頃の作品なので、いかにも押井監督が好きそうな題材もある。
 例えば「ゼロ管制SOS」や「火炎同盟」などは押井監督が手を加えればかなり面白いものになりそうな作品だったのである。特に「火炎同盟」はストレートに学生運動のテーマも絡んでいるため、10年前なら彼の作品として大幅なアレンジを加えれば、かなり面白いストーリーになっただろうと予想できる。おそらく現在は興味がないだろうが、あのガン・コンで短編としてなら復活させる事が可能かもしれない。もっとも予算制限がシビアだから、その段階で無理だとは思うが…。
 いずれテーマは銃と女である。当時はこれに車も絡んでいたが、押井監督は車に関しては今ひとつだから、やはり銃の部分だろう。
 本当に大幅にアレンジした「押井版・木曜日のリカ」が見たかった。

 関係ないが、「月曜日のユカ」という映画があるそうだ。若かりし頃の加賀まりこ主演で、残念ながら見た事はない映画である。ネットで調べればどういう映画かは判るので「木曜日のリカ」とまったく関係はないと断言できるが、こういう題名が流行っていたのだろうか…。


2008年10月30日(木) 年末ビデオ

 年末に向けて、今夏公開された映画のビデオ・パッケージが次々と発売になる。
 だが肝心の「スカイ・クロラ」のビデオ・パッケージは年末に発売予定が発表になるのだという。発表という事は発売は来年の春くらいになる可能性もある。現在は押井監督以下、鋭意格闘中との事なので、まあ待つしかないのではあるが、あの傑作「ダークナイト」の発売があっという間に決まってしまったのと比較してしまうと、やはり早く見たいと思ってしまう。
 なにせ、まだ3回しか観ていないのだから。

 そんな夜にチャウチャウと電話。
 山形はこちらよりはるかに寒いようで、仙台か暖かいという言葉にちょっとばかり驚く。自分もすっかりこちらの気候に慣れてしまったという事か。
そしてここにはまだ書けない懸案事項について、長々と語る。やはり色々とやらなければならない事があるのだ。

 ところでジャンプ・スクエアに連載している「クレイモア」の現時点での話を読んだのだが、なんというか、無理があり過ぎないか?
 あの設定でこの展開は明らかにオーヴァー・スペックだろう。これではノーチラスが最後に宇宙へ飛ぶ「ナディア」を笑えなくなるではないか。やはりジャンプ系で長く続くと、新たな敵が必要になり、結局は初期の魅力的設定がメチャクチャになるという事か。


2008年10月29日(水) 立読みができる

 ウチから歩いていける距離にTSUTAYAが出来た。別の場所にあったのが移転したのである。
 今度は前より大きくなり、以前と違って本が多少置いてある。チェックしたら毎月目を通すカメラ、音楽、映画、航空機、模型の各月刊誌はそこそこ置いてあったので、立読みはいくらか楽になりそうだ。ただし何故か「GUN」だけは置いていない。これを見られないと一番困るのだが。
 もっともしばらくすれば、いくつかの雑誌は売れないという理由で淘汰されるかもしれない。TSUTAYAレヴェルの店ならストレートに売れるかどうかだけで決めるから、そういう事態になる可能性が高い。所詮本屋ではないのだから。
 それでもとりあえず、立読みできる環境が近くにあるのは助かる。

 そんな今日、立読みした本の中で、聖火リレーはナチ政権下のベルリン・オリンピックから始まったというのを目にした。ナチスの残したものはアウトバーンやフォルクスワーゲン、大衆操作から原爆まで、とにかく現代社会で使われているかなりの有象無象に絡んでいるのは事実だが、オリンピックの聖火リレーまでがナチスの創造だったとは、うかつにも知らなかった。
 もちろんナチスがベルリン・オリンピックを宣伝の一環として十二分に利用したのは事実であり、これらをきちんと検証する事も、本当は必要な事なのだ。だが現在ではナチスに関するものは全て封印されてしまう。新しい事実など簡単に報道されないし、過去の事実も封印されつつある。
 だが戦争というもののメカニズムと功罪は、ナチスを分析すれば実はかなりの事が見えてくる。そういう研究の場も奪い去ってしまうのがなんとなく怖いと思ってしまうが、実際問題としてナチスの残虐な部分を野放図に公開していては、これをマネする人間が必ず出てきて集団を作り始める。そうなるとなかなか止める事は難しくなるのだ。それほどに人間とは弱い生き物なのである。
 そういう意味でもナチスのやってきた事の研究は必要だろう。

 ちなみにナチスとは蔑称だから、当人達は決して使わない言葉だ。第二次大戦中に日本人は自分の事をジャップと呼ばないのと同じである。

 そしてこれを書いている0時54分、地震があった。最初に突き上げるような感じで揺れ始め少し焦ったが、程なくおさまる。震度は2程度のようだが、やはり最近多いと思う。


2008年10月28日(火) 製作と販売は相容れない

 昨夜、NHKの「日本とアメリカ 第2回 日本アニメ vs ハリウッド」を見た。
 アニメのビジネス・スタイルをハリウッドに学ぶという内容なのだろうが、これを見る限りでは何を今更、である。この手の特集物としては久々に製作側の不勉強さが判るつまらない内容だった。
 今までハリウッドが行ってきたのはグローバル化などではなく、どんな知能程度にもあわせて大ヒットさせるための方法であって、けっして映画を作っている訳ではない。それは1980年代後半からのハリウッドがとっくに証明している事で、観客動員数を1人でも多くするために、その作品が持っている重要な事項を削っていく、それがハリウッドのやってきた映画制作の実態だ。

 そもそも日本のアニメが素晴らしいレヴェルを保っているのは、それが基本的に日本という狭いエリアで勝負しているからに他ならない。世界を相手にするという事は、文化や価値観の違いを克服しなければならないが、そんな事は不可能だと人類の歴史がとっくの昔に証明している(文化と価値観の相違があるからお互いに自分が正しいと信じて行動し、結果として戦争はなくならないではないか)。
 ましてや娯楽の世界における価値観の相違は決定的だ。文化の違いはまだ頭でカヴァーできるが、価値観というのは感覚に近いから、溝を埋める事はまず不可能だし、それが娯楽の世界では尚更だ。
 だからこそ日本という、文化も価値観もそう大きく違わない文化圏でアニメは成長し、一部では高度な内容を得るまでになったのである。ハリウッドを追いかけていたのでは、売れる作品はできるかもしれないが、映画としてまともな作品は一切期待できなくなってしまう。
 ハリウッドの映画を動かしているのは、映画を直接作っている人達ではなく弁護士や会計士である、というのは至極名言だろう。

 そしていかに日本アニメのレヴェルが高くとも、若手が育っていない状況では本当に素晴らしいアニメ映画は作られなくってしまう。文字通り物理的に不可能になっていくのだ。
 ましてや異文化との摩擦を解消しながらアニメを作るなどといったら、しり込みする人間の方が多いだろう。つまり「映画を作れる人間が育たなくなる」のである。

 等と書いている夜に、いわさきさんから電話。
 EM米の話で盛り上がる。やはり「チュウジさんがこれを食べて、あまりのおいしさにEM信者になってしまう」という件が最高だ。もちろん彼はきちんと系統立てて論証し、各方面に誤りを指摘しているという真面目なバックボーンがあるからこそ、笑えるネタになるのである。つまりこれは、ありえないシークエンスを創造して笑うというパターンだ。
 さて、11月のESIFCONか楽しみである。

 そういえば日中会社で、八戸にいた頃良く集まっていた連中から、忘年会のお誘いがあった。仕事の都合さえ何とかなれば、これは行きたいものである。宴会の席は、楽しく騒げるものが一番なのだから。


2008年10月27日(月) 金融危機

 大騒ぎになっている世界規模の金融危機は、ほぼ解消されたようだ。もちろんこの場合の金融危機とは、銀行間の、という意味で、それ以外の何物でもない。
 かつての大恐慌の際には国同士どころか、各国内であっても共同姿勢はとらなかった。いや、とれなかったのである。だが今回は文字通り世界中の金融機関が国を越えて協力するという、人類史上初めての事態になった。これは当然で、ヨーロッパでは大手の銀行すら潰れて国家管理になったりしていたのだ。放置すれば自国に被害が及ぶから、嫌でもなんとかしなければならない事態に陥っていたのである。
 だがドルの一極支配である世界経済で、そのアメリカも危機的状況に陥っていたのだが、それをなんとかできたのは、今回全くの無傷で残っていた日本の銀行である。日本は不良債権を処理し、ハイリスク・ハイリターンの投機をせず、低金利運用を続けたおかげで、世界でも稀なほど頑強な財務体制になっていたので、今回の恐慌にもなんら心配がなかったのである。

 つまりこれは、小泉首相時代の不良負債処理が非常に大きく効いていた結果である。あまり日本のメディアは取り上げないが、今回の事態で日本の金融界は世界中から注目されている。大恐慌一歩手前ですら、日本の金融界はまったく揺ぎ無く世界中の金融を援助した。これはあの時の処理がうまく機能していた証拠である。
 犠牲は大きかったがそれでもああいう形で強行しなければならないほどに、日本の政治経済、それを司る役所は腐りきっていたので、やって大正解なのである。

 確かにそれで景気の向上はなかった。だがそれは当たり前である。やる前から痛みは全体へ渡ると彼は明言していたのに、本気にしていなかった連中が痛い目にあっただけだ。
 この処理について、実はアメリカのバックアップも凄く、不動産絡みで暴力団が確実に関与してくると判っていたため、その対応策すら作っていたのである(つまり、直接的妨害工作への対処マニュアルが存在する事を意味する)。その時のメンバーには、アメリカの民間金融機関と情報機関の他に軍関係者も関与していたが、これは日本の銀行では不可能だし、現在の状況ではなおさら日本単独では不可能だ。これが大きく取り上げられない理由の一つは軍の関与があったからだが、暴力団相手に頭脳戦を行うには、日本の銀行では無理だし、日本の政府でも力不足だ。なにせ最悪の場合、直接行動が必要になるからだ。この時のアメリカ軍は、戦後の占領下統治の手法を応用していたとの事だが、そんな大々的な計画を認めさせたのも小泉首相の功績だ。メンツを大事にしていては、この計画は実行すら出来なかっただろう。
 つまり小泉とブッシュのつながりはイラへの派遣だけではないのである。不良債権処理に関しては、本当にアメリカの力が大きく、不良債権を実際に買い取る第三勢力まで動かし、それでいて景気を気遣い、実質表面上はあまり派手に動いていないような工作までしている。だから小泉はイラクへの協力を惜しまなかった訳である。

 結局、きれい事だけでは現実の経済は理論通り動かない。だからあの時の不良債権処理を失敗だという評論家のいう事はあまり信用できない。少なくとも現実的処理と長期的視野に欠けるという事を証明しているのだ。
 私は信頼できる情報を見ていたから、景気は上向かなくてもやる必要があったと当時から理解していたし、それが上手くいきつつあるという実感もあった。だがそれを話してもほとんどの人が理解してくれなかったが、それは直接自分の周辺の景気向上につながらなかったからだ。まあ民衆とはそういうものだろうから仕方がない。
 残念ながら、自分の利益と長期的視野はまったくの別物なのだし、ましてや国家の腐敗を正そうとした場合には、かなり大きな犠牲が伴うのである。日本は長く社会主義国家として成功した唯一の国なので、役人をなんとかするのは至難の業なのだ。

 結局、そういう大局的な考えの元に行動を起せる政治家は、多分小泉が最後になるだろう。今後ここまで政治家として一流な人間は出てこない。なぜなら利害が直接絡むようにしがらみを持っていては、国家の事など考えられないからだ。そしてたとえそういう考えを持っていても、行動できなければ意味がない。
 だから小泉は、運も良かったが政治家として天才的だったといえるのだ。それが理解できない日本人は、明らかに利害関係で物事を見ている。そして現在の政治家は全てそうだ。極めて矮小である。


2008年10月26日(日) 本も高い

 一週間ぶりで町中に出る。
 やはり週一だと、本屋もCDショップもなかなか状況がつかめない。しかも買う予定でいたものを買い忘れていると思う。そして26日が日曜というパターンでは、雑誌も微妙に入荷していない。なかなか地方都市は不便である。
 結局「ストレンジ・デイズ109号」と「ビートレッグ・マガジン100号記念特集」を買うにとどまる。やはり欲しい本は何かと高いのである。

 ところで今回の「ビートレッグ・マガジン」は西新宿の特集である。いかにレコード街が変貌したかを検証している。私も上京する度に店がなくなっていくのを見るのは悲しかったものであるが、そんな中、今でも当時のまま現役の「新宿レコード」は偉い。何度行っても当時の雰囲気のままだ。
 そして西新宿といえば海賊版も多かったが、業界の人間が匿名で海賊版について述べているページもあった。
 結論から言えば、海賊版は根絶しなければならないという、いかにも優等生的内容だ。まあ内部が腐りきっていると判っていても、あまり本音は出せないのだろう。
 しかし現在の音楽業界に、海賊版をなくせという権利はあるが、それを言う資格は全くない。海賊版をなくせというのなら、過去の音源は全て買えるようにしてもらわないと困る。出さないからコピーが必要となる。そしてライヴ音源を全く出さないという姿勢も問題だ。もちろん音楽業界とて新聞社や放送局と同じく株式会社などの企業である以上は利益を出す必要があるから、利益が出ない物は出さないと考えるのも当然だ。しかしそんな自分の都合で出さないのだから、少なくともライヴの海賊版は認めるべきだ。音質など問わない。出せば買うのだから。
 例えば3年前のキース・エマーソンの新宿厚生年金会館初日のブートは、非常に楽しいライヴだったの是非欲しいアイテムだ。また当時行けなかったマイク・オールドフィールドの渋谷でのブートは入手したが、当時チケットが入手できず都内を走り回った事を思い出すとともに、こんな内容だったのだなぁ、と感慨にふけるのだ。
 これらは本来、音楽業界サイドが提出するべきものなのである。それが出来ないからブートがどうのこうのと言う資格などないと言うのだ。

 結局、海賊版対策は少数の良質リスナーの消滅を意味する。売れるものだけを押し付けているから、自然と音楽離れが進むのだ。買い切れないほどの良質な音楽が世の中に溢れていれば、良質のリスナーが育成され、音楽業界も質の高い仕事が出来るのに、それをやらないしやる気もない。現在の経営者は右肩上がりの利益という幻想に取り付かれているから、音楽の事が判っていてなおかつ利益とのバランス感覚が得られている経営者は、渋谷氏くらいのものだろうか。
 いずれ良質のリスナーは、1980年代中頃で絶滅したと考えてよい。個々では優秀であっても、集合体としてはまったく無能になってしまったのである。

 ついでに、今日は買えなかった物。
「デジタル一眼レフ ストロボテクニック 工夫とワザ!」
 学研だからCAPA系の雑誌だが、さすがは馬場信幸氏の本である。この人の本は毎回何かしら役に立つテクニックが公開され、目から鱗がポロポロ落ちる。
 今回はちょっと立読みしただけだが、コンパクトデジカメで縦位置撮影する時にストロボの影を消す方法は、本当に鱗が2枚ほど落ちた。今の時代だからこそ出来るテクニックではあるが、やはりこういう柔軟な思考は大切だ。
 その彼も1944年生まれなのでもう60歳は過ぎているが、この人の発想にはいつも何かしら驚かされる。本当の年寄りとは、必要な事をさりげなく若者に伝授できる、こういう存在なのだ。
 これはある程度写真を撮っている人にこそ必要な本だろう。特に報道関係者は必読だ(最近の報道写真は、あまりに下手すぎる)。

「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX TACHIKOMA'S ALL MEMORY しょく〜ん!」
 これは極々一部で大人気のタチコマ本だ。タチコマの視点で作るという事に特化した本で、実に面白い。
 だが3,000円である。装丁、紙質が良すぎるのだろうが、この価格では二の足を踏んでしまう。いずれ近いうちに買いそうな気はするが、せめて2,500円は切って欲しかった。この内容なら本当は2,000円がベストではあるのだが、きっと色々とあるのだろう。
 だが少なくともタチコマ・ファンにとっては本当に楽しい内容だし、あの「be human」(「AI戦隊タチコマンズ」が入っている)の解説も少しあるから、内容だけで考えれば価値はある。要は高すぎるのだよ…。

CD「難波弘之6タイトル」
 雑誌の広告で見たが、とりあえず「飛行船の上のシンセサイザー弾き」「ブルジョワジーの密かな愉しみ」の2枚は買っておきたい。
 でも例によって限定盤をこうやってまとめて出すとは。しかも有名どころの売れ筋等は限定の後になっても売れれば何度でも出すが、難波氏のアルバムとなると、なかなか全部を揃えるのは難しい。
 相変わら音楽業界はふざけている事だよなぁ…。


2008年10月25日(土) またも久々の床屋

 またも粗仕事で出社。本当に営業は全員やる気がない。全土曜日を営業日にしているから無駄がどんどん増えていくだけだ。そんな状態なので、17時が過ぎると10分もしないうちに全員が会社を出てしまう。まあ当然だろう。
 私もその足で床屋へ向かう。前回は7月18日だったから、3ヶ月ぶりである。やっぱり髪を切りたくなるのは3ヶ月ペースのようだ。

 ところで、マンガ版の「クレイモア」を何度も読み返しているが、作者はあまり運動に関しては詳しくないのかもしれないと思ってしまった。
 例えばクレア達の訓練時代に、重い大剣を振り回して肩をはずすシーンがある。だがシロートではなく多少訓練をした状態で大剣を振り回したところで、肩がはずれるはずがない。痛めてしまうのは、肩より手首である。刀や剣を扱う時、瞬時に切り返す必要があるから手首の強さの方が重要なのだ。野球のバットを振り回すのとは全然違うのである。
 あと、クレアの少女時代のエピソードで、脱水症状を起して水を飲むシーンがあるが、あの場合は直後に物を食べる事は出来ない。文字通り何も食べられなくなるのだ。こういうのは経験がないと理解は難しいかもしれないが、やはり知っている人には違和感があるだろう。
 個々の知識はあるのだろうが、それが複合的に組み合わされた時にその積み重ねになるとは限らないというのが判らないのかもしれない。まあストーリーの都合というものもあるだろうし、ある程度は仕方がないが、やはり知っていると違和感を覚えてしまうのも確かなのだ。

 以前いわさきさんとKCに渡したコンピに「FACE OF FACT」を加えて作り直してみた。
 とりあえず4曲追加して2曲カットしたのだが、多分KCにはますます暗くなったと言われるだろう内容になった。
 前回ので言われて初めて気がついたのだが、すべてマイナー調の曲だけだったのだ。KOTOKOなど元気いっぱいなので、全体に暗い雰囲気だなどとは全然思ってもいなかったのである。
 私はマイナー調の曲が好きだから、プログレの一般的評価である「暗い、重い、長い」曲がまったく苦にならないタイプであり、どちらかといえば暗い感じの曲が好きらしい。言われるまで判らなかったなぁ…。


2008年10月24日(金) はたして捕まるか

 朝から激しい雨である。昼頃には、ほとんど台風ではないかという程の風雨になった。
 今年の夏はほとんど台風が来なかったが、台風のような風雨は何度かあった。こうなるとトータルの雨量は例年とそれほど変わらないのではないかと思う。

 ところで大阪のひき逃げ事件だが、どうも停止状態から動き始めて、その後一気にひき殺したらしい。多分目の前にヨッパライがいつまでもダラダラしていたから、頭にきてひき殺したというところだろう。
 確かに泥酔状態のヨッパライというのは始末におえない。人として生きている価値などないと思うほどだ。だから世間一般では殺した方の肩を持つ奴も出てきそうだが、こうやってひき殺すようなバカは、擁護する価値など全くないただのバカである。こういうのは普段の状態であっても、横断歩道上の歩行者を平気ではねる手合いであるから徹底的に糾弾する必要があるし、場合によっては交通弱者のためのスケープゴートにする必要もあるだろう。
 いずれどちらにも同情などする必要はない。

 しかし低速から一気にはねたという事は、現場に遺留品がないという事を意味する。日本車はいろいろと優秀なのだ。
 今回、車の損傷は多分ほとんどないだろうし、ましてや通常では残っている塗料やプラスチックのカケラも何もないだろう。つまり犯人が捕まらない可能性もあるという事だ。あとは警察のやる気と執念の問題だが、まああまり期待は出来ないし、時間帯を考えると目撃情報も少ないはずだ。カメラ情報もあくまで偶然の産物だから、大きく役立つ可能性は低い。
 そして犯人が捕まらなければ同様の事件は起こるし、そういった犯人はすべて逃げるようになる。バカの連鎖反応だが、バカとはそういうものだから当然である。
 結局のところ、ほとんどの人間は低い方へと流れて行くものなのである。


2008年10月23日(木) メディアマーカーは使えるのか

 現在放映中である「七瀬ふたたび」のサントラだが、結局発売される事になった。またほぼ同じ時期に「KILL」も出る。えらいこっちゃ。
 しかし実家のビデオの調子が悪く、七瀬が録画できないでいる。タイマーが働かず、仕方がないので手動でやろうとしても録画状態にならない。つまり録画機能がまったく働かないのである。最近実家の機械が次々と壊れているのだが、何かの祟りかもしれないぞ。
 そんな訳で、結局第一話を見た後はすべて見逃しているのである。まあいいか。

 ところで、てつこさんやKCがテスト的に使い始めたメディアマーカーだが、実際の使い勝手はどうなのだろう。
 そもそもアマゾンはじめネットに存在していない本やCDは、データは自分で入力するにしても、データ・ベースとして整合性が取れるのだろうか。というかそれ以前に、どうも根底がデータ・ベースではないように感じている。なんというか、ただの備忘録のように思えて仕方がない。つまり自分にとっての活用方法がこれといって思い浮かばないのである。
 試しに使ってみても良いが、途中で投げ出すようなレヴェルのものでは、それまでに費やす労力が無駄になってしまうし、そもそも自分の持っている本や音楽関係、映画関係の外の数は半端ではないから、やはり入れようと思うだけで嫌になるのも事実だ。本にしてもISBNを入力すれば簡単らしいが、このコードがない本もかなりの数にのぼる。

 結局のところ、労力に見合う結果が見えてこないのである。多分途中で投げてしまう人も、かなりの数になる予感がする。入っているデータが50かそこらでは何の参考にもならない訳だし。


2008年10月22日(水) 「FACE OF FACT」届く

 帰宅すると封筒が二つ届いていた。
 一つは岩平君からで、お盆の時に弘前で行われた小学校の同窓会の写真だ。何枚かの写真をB4サイズにまとめて、コーティング(いわゆるパウチ)したものである。これはなかなか良い記念になる。
 現在はちょっとしたものなら簡単に編集、作成できるから、本人のセンスが良いとかなり楽しいものが出来上がるし、普通程度のセンスでも充分良いものが出来る時代になった。だから私もESIFCON等の時には色々作ったりしたものである。最近は少し怠けてしまっているが…。

 もう一つは密林から、KOTOKOの「FACE OF FACT」が入っているアルバム「IVE04」が届く。
 こちらは当初から予想していたが、「FACE OF FACT」以外はほぼ全滅だ。俗に言うバラード調が多いが、そもそもこのコンピに入っている連中の曲は、派手なエフェクトをかける事で成立するものも多く、バラードなどやっても面白くはないのだ。さらに言えば、こんなコンピの大部分が気に入るようでは、そもそもリスナーとして終わりである。
 しかし「FACE OF FACT」は良い曲だ。バックのエフェクトが一部不要に感じるが、全体として実に上手くまとまっている。ちなみにこの曲には「RESOLUTION ver.」があるのだが、エフェクトが派手すぎるため個性が消えてしまい、明らかにこのアルバムに入っているオリジナルの方が良いと感じられてしまうほどに変わってしまっている。
 そしてこの曲が載っているyoutubeと比べると、いかに音が落ちてしまっていたかが良く判ってしまう。

 考えてみればプログレ等を聞く時、youtubeでライヴは聞くが、オリジナルは持っているからわざわざ聞く事はなかったので、どれだけオリジナル・アルバムと違っているか気にした事はなかった。ライヴ映像は音が悪くて当たり前だと思っていたし、私はそういう世代なのである。
 今回はyoutubeで初めて聞いた曲だったので、オリジナルをCDで聞くまで、本当の状況は判らなかったのだが、ここまで違っていたとは。あぶない、あぶない。


2008年10月21日(火) 歩行者は弱者である

 またも密林でポチッとな。
 結局DVDで「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 2.0〈通常版)」を頼んでしまう。もちろんブルー・レイなどという外道な物には手を出さない。
 そして同じくサントラも頼む。ただこちらは通常のCDの他にSHM-CDも出るのだが、ブルー・レイDVDがオマケに付くというふざけた形態なので諦める。SHM-CDは魅力的なのだが、外道なシステムを今のところ買う気はない。
 そしてついでにCDの「IVE04」も注文する。

 最近、ひき逃げが多い。
 単にニュースで大きく取り上げているだけではなく、飲酒運転をした場合、逃げた方が点数が低かったりしたし、なにより警察は横断歩道上ではねられても、歩行者の過失を問うようになったからだ。あるいは黄色信号は、そのまま突入しても良いと勝手な拡大解釈をするアホウも多いが、これは赤信号状態で向かい側の横断歩道上を通過する事になる。ここまで来ると免許システムがいかに無意味になっているかの証明でしかない。知能程度の低い運転者などは逃げるのが得策だと勘違いする訳である。
 先日も人をはねた犯罪者が、「横断歩道で自転車に当たったと感じたが人は跳ねていない」と主張していた。そもそも横断歩道上で自転車に当たったなら止まって確認するのが普通の人間だ。それをしないという事は、よほどのバカである。そもそもこういう知能レヴェルの人間が運転免許を持っている事が不思議で、こういう能無しに免許を与えた自動車学校と警察の担当者も断罪するべきだろう。本当に事故を減らしたいと考えるなら、それが当然だ。

 だが現実には事故を減らすような違反の取締りは行われていないし、警察関係者の責任追及もない。つまり現在の警察に事故を減らそうという考えが希薄だという証拠である。今後、交通弱者の歩行者はどんどん追いやられていくだろう。もっと端的に言えば、犯人が捕まろうが歩行者は殺され損になるのである。


2008年10月20日(月) クレイモアを少し分析

 今日も歯医者に行く。
 見てもらった結果では、炎症はほとんど治まっているらしく、実際痛みはほぼ引いている。ただし怖くて奥歯で固い物は噛めないが。あとは来週、確認の意味で行く事になった。

 ところでマンガの「クレイモア」を何度か見直している。
 この作品、実はサイズが大きい方が良いのだと気がついた。何故なら結構絵だけで表現している描写が多いのである。例えば血を流しながら歩くシーンなど、絵が小さいと血が落ちているのに最初は気がつかないので、後のシーンの伏線になりにくい。こうなれは仕方がないので、何度も見直すしかないのである。
 そういう意味では、本来一冊にまとめる時は雑誌と同じサイズの方が良いマンガも確実に存在するし、過去そういう形態でのマンガもあった。問題は少し高くなるという事なのだが、やはり編集部が有能なら、その辺の使い分けはして欲しいものだ。

 そんな中、ピエタ以降を描いている現在の「クレイモア」において、実はクレアのチームが「七人の侍」だと気がついた。別にメンバーが7人だからだという単純な事ではない。各人のキャラクター設定が近いのだ。

 もちろん最初からミリアは勘兵衛だと思っていた。自身の戦闘能力以上に戦略家として天才的であり、集団戦をやらせたらメンバー随一だという設定、しかも彼女を慕っている人間も多いとなれば、これはもう勘兵衛そのものだろう。
 他には立ち位置と武器からすると、性格は違うがヘレンは七郎次、デネヴは久蔵にあたる。とりあえずの主役であるクレアは、これが菊千代なのである。性格ではなく、戦闘時におけるその行動パターンがそうなのだ。そしてちゃんとユマという勝四郎もいる。多分ある時点から、作者も何かと「七人の侍」を意識していったのではないだろうか。
 
 これは当然だが盗作とか言う意味ではない。ある程度まねをしても、自分なりに昇華させてしまえば良いだけの話だ。石森章太郎の作品など、その最たるものではないか。あちこちパクリだらけだが、それを上手く自分のフィールドに引き込んでしまっているから、結果として石森カラーの作品に仕上がっているのである。

 それはともかく、ピエタでの生き残りを七人にした段階で、多分作者は「七人の侍」を意識している事を無視する事は出来なくなったはずだ。だからうまく処理をして欲しいと思う。
 もし最後の方になってクレアが死んでミリアが生き残ったりしたら、影響は明らかだ(勝ったのは我々ではない、等とふざけた事を言ったら怒るぞ)。


2008年10月19日(日) 万博のMGC

 実家でチマチマと小物の整理をしていたら、あっという間に夕方である。なんだか色々な物が発掘されてしまう。

 ところで1970年の大阪万博の会場に、実はモデルガン・メーカーMGCの販売用ブースがあったのだが、何故か現在までその公式写真を見つける事が出来ないでいた。
 ブースがあったのは間違いないのだが、どんな公式資料にも掲載されておらず、広告もブースのイラストだけであり、結局当時の記憶しか頼るものはないのが実情だった。
 だが日記の足跡から探ったあるサイトで、その謎がある程度解けた。当時予想はしていたが、やはり運営側とのトラブルというか確執のせいである。

 長年の謎だったブースの位置だが、日曜広場と呼ばれたエリアにあった日本館・電気通信館の前に、同じ形状で4つ並んだブースの南端だった。
 実は当時万博に行った人でもこのブースを見つけられずにいたらしく、まして知らずに行った人は全然気がつかなかったようだ。そもそもMGCの社員ですら探すのが大変だったというその理由も、ここで理解できた。要は最終的に目立たないようにせざるを得なかったという事だ。だからモデルガンとは関係ない別の商品をブースの前に大量に置いて、少なくとも通行人からは判りにくくしていたのである。
 理由は単純で、運営側には事前にモデルガンの販売だとは気付かないようにしていたためだ。

 そもそもどういう経緯で万博でモデルガンの販売をしようとしたのかは不明だが、そのMGCですらモデルガンの名前ではすんなりと協会のOKが出るとは思ってもいなかったらしい。そこで申請時に「モデルガング」として書類を作成したのだ。これならモデルガンも模造刀剣も売れるし、実際協会側はブラモデルや玩具でも販売するのだろうと、意外なほどすんなりと許可が出たそうだ。
 許可が取れればしめたもの、しかもMGCにはかなりの知恵者がいた。開催直前の3月12日までディスプレイもせず夜中から荷物の搬入をし、開会式の予行を聞きながら飾り付けをしたのだそうだ。そしてショーウインドウの飾り付けが終了したのが13日の午後10時、そこですぐにブースに幕をはり開会を待ったそうである。
 開催当日の14日になって目隠しの幕を降ろして開店したわけである。さすがに夕刻になって協会の人がすっ飛んで来たとの事で、しかも協会の担当者は反戦運動化として有名な左翼運動家らしい。
 あとは簡単に推理できるだろう。以後の公式記録からMGCの文字が一切見当たらなくなっているのである。

 40年近く経って、ようやく当時の疑問がほぼ解決したのだった。忘れなければ、いつかは疑問が解決するものだと感心した一日だった。

 ちなみにこれが記載されていたのは下記のサイトである。これ以上詳しい事については写真以外載っていない。
 http://expo70-web.hp.infoseek.co.jp/mokuji2.html


2008年10月18日(土) キース・エマーソン出演

 まだ口の中は痛いし、そもそも口が上手く開かない。不便である。

 そんな今日は粗仕事。
 しかし営業は休みを取ったり出かけたりで、残っている者も少なく苦労する。さすがに一部の人間が上に文句を言っていた。もちろんその程度の苦情で何かが変わるはずがないのがこの会社の特徴だ。

 そんな事はともかく。
 17日のフジテレビ「とくダネ!」にキース・エマーソンが出演したと話題になっていたが、この時の映像がようやくyoutubeに載った。こういう時、本当にネット社会の恩恵を感じる。以前ならたまたま録画した友人を探して、それが見つからないと絶望的な気分に陥ったものである。

 http://jp.youtube.com/watch?v=tD12QjW0VpM

 この映像でのプレイはマーク・ボニーラのアコギと一緒の短いメドレーだったが、こんな番組でやったという事に驚く。
 しかし、3年前のライヴと比較してはいけないのだろうが、ちょっと指が上手く走っていない感じではある。少しばかり無理をしているように感じてしまった。
 でも現在の彼とマーク・ボニーラが見られるのだし、そもそも楽しそうな彼の演奏を見ているとこちらまで楽しくなるから、これはこれで良いのだ。つまり元々のファンのための映像なのである。

 そしてその後、ある事を調べようとブックマークしているサイトに言ったら、閉鎖するとの案内が出ていた。
 もちろん有用価値があるからブックマークしているのだし、私にとってはかなり便利なところだったのだが、どうも最近はこうしたパターンが多くなっている。どうも維持に手間隙かかりすぎるためらしいし、実際そういう理由の所が多い。
 でもそんな事は最初から判っているはずだ。特にある事柄を研究したり調べ上げるサイトはかなりの労力と協力が必要になる。そんな規模になったサイトを、自分の都合だけで閉鎖するのは無責任であり身勝手というものだろう。もちろんただのブログ等ならむしろない方が良いものも多いが、ある事象の研究サイトなどは、なくしてもらっては困るのである。
 閉鎖するくらいなら、後継者を探すべきだし、そうでなければ最初から開設などするべきではない。どうもサイト開設に対しての考え方が甘いのだ。

 こんなことも多くなってきたから、ネットの情報はあくまで趣味レヴェルでの活用にとどめるべきで、仕事で使ってはいけないとも実感する。信頼していたのにある日突然なくなっていたら、どうしようもないだろう。


2008年10月17日(金) まだ痛い

 やはり歯の痛みは引かない。夕方歯科へ行き、レーザー治療をして、抗生物質まで出されたが肝心の鎮痛剤の数が少ない。大丈夫だろうか。なまじレーザー治療したせいか、薬が切れたらやたらと痛く昨日より酷い。どうも医者も考えあぐねているようだ。困ったものである。

 ところでチュウジさんがネットで紹介していた、某ヤ×ダ電機の受付の話、これはかなり深刻な自体だと思う。
 マニュアル通りの対応をするにあたり、マニュアル通りの受け答えという事ばかりに専念して、その内容が明らかに間違っている事に思い至らない。この場合は価格が違うという事を想像する事すら出来ない程に視野狭窄している訳だ。自分が正しいと絶対的に信じて対応するから、間違っていると想像すら出来ないのである。
 だから後で店長が「そんな対応をしていたとは知らず、本当に申し訳ない」と平謝りしたというが、苦情を言ったから対処してもらえた訳で、何も言わなければ、この受付は同じ事をずっとし続ける事になるし、最終的には店長レヴェルでは解決できない重大な事態になる。
 多分今の社会は、マニュアルという意味自体を間違って理解しているのだろう。

 自分の会社でも、やはり自分の考えが絶対正しいと信じて話をする奴が多いので、話をしていても疲れるのは当然だし、そもそも仕事の改善が不可能になるから困るのだ。つまり改善すると「自分の考えと違ってくる=間違いである」と短絡思考する。色々なレヴェルの話を全て同一ラインに持ってくるからおかしくなるのに、それがヘンだと考え付かない。まあ端的に言えば頭が悪いのだが…。
 こういうのが多くなっている現在の会社は、やはり業績が伸びる事はありえないと思うし、常識的な人間なら誰でもそう思う。日本が不景気から脱出できない理由はこんなところにもあるのだ。


2008年10月16日(木) 久々の歯医者

 一昨日から奥歯をかみ合わせるとやたら痛い。というか、そもそも物を噛む事すら出来ないのである。今日になって炎症を起したのか、口を開けるのも苦痛になり、つばを飲み込んでも痛い。という訳で、夕方早々に退社して歯医者に行く。

 レントゲンで歯並びを見たが、一番奥の下に立派な親知らずがあって、これが上の歯を斜めに押しているという。
 じゃあ何故今まで痛くなかったのだろう。親知らずとはそういう物なのか? なんだか良く判らない世界だ。というかそもそもあの歯が親知らずだったとは、全然知らなかった(シャレでも何でもない)。
 いずれ押されていた歯の根にヒビが入っている可能性もあるとの事で、今日は上下を少し削って痛みが出ないようにし、鎮痛剤をもらう。とりあえず明日もう一度来いとの事だが、確かに対処療法てあり、原因が確定できない曖昧な状況になってしまった。
 つまり明日まで痛みが続くかもしれないという事だ。

 というか、鎮痛剤が切れてきたら、かなり痛くなってきた。4時間くらいしか効かないようだが、これはかなり辛い。


2008年10月15日(水) 衝撃的作品とは思えない

 あちこちで、衝撃のラストとか言われている「喰霊−零−」をyoutubeで見た。
 だが何がそんなに凄いのだろう。そもそもラストと言っても第一話である。最初からこんな事をしたら、続きが読めてしまうのだが…。元々アニオタと言われている連中は、他のジャンルを知らない人間が多いので、実は他のジャンルでとっくの昔にやっている事に驚いたりするから、こちらとしては呆れてしまう事の方が多い。

 もちろん他のジャンルでは似たようなものがあったにせよ、それを自分なりに昇華してしまえばそれは名作になる。例えば「伝説巨人イデオン」はSFネタとしては特別珍しいものではないのだが、それでもとんでもない作品に仕上がってしまった。もちろん富野監督のただの開き直りという見方も出来るが、ありとあらゆる事を差し引いても、快作だったのは間違いない。こういう作品こそが衝撃のラストだと言えるし、そこに至る過程がとんでもなく面白かったのだ。

 だが「喰霊−零−」は一話のラストでこんな事をやってしまったのでは、当然展開の幅が狭くなる。なんというか、だから? という感じになってしまうのだ。しかもあえて言ってしまえば、「LA大捜査線 狼たちの街」という先例があるからなおさらだ。ちなみに1985年の作品なので、もう20年以上前の作品だ。
 この「LA大捜査線 狼たちの街」という映画はJamanyaと映画館で観たのだが、本当に観客の狼狽が判ったし、私自身もこの展開には驚いた程だ。当時、かなりのインパクトがあったのは事実である。ウイリアム・フリードキン監督作品だけあって、映画としてもそこそこ面白いものだったから、この展開には本当に驚かされた。
 一般的な人間はこういうもので鍛えられるから、映画の真似ばかりしているアニメでは、驚く事などまずない。だからこそアニメ業界の人間は勉強しなければならないのだ。

 冨野監督や押井監督は、パクリの名人なのだが、それを自分の中できちんと消化して、その上で別の映像にして出力できるから巨匠たりうるのだ。これは映画の勉強をきちんとしていなければ、到底無理である。今の若い監督と言われる連中はそういう勉強をしていないから、特にどうという事もないものに驚いてしまうのだろう。
 アニメの未来は灰色だ。


2008年10月14日(火) 「かまいたち」の系譜

 11日の正明さんお見舞いツアーの後、鶴田家で食事しながらある番組を見た。
 福山雅治主演「ガリレオ」の第一章「燃える」である。最初はまるでブラックアウトだと思っていたら、なんと正当な怪奇大作戦ではないか。なかなか良い物を見せてもらった。
 ちなみに私は「怪奇大作戦」の大ファンである(「霧の童話」と「かまいたち」の2本がこのシリーズの最高傑作だと思っている)。そして実はこの作品のファンはかなり多く、テレビ業界とて例外ではない。だからいずれ何らかの形でリスペクトされるのは当然なのである。とりあえずその流れを簡単にまとめてみた。

 すべては「怪奇大作戦」第16話「かまいたち」から始まった。
 公開された1968年当時、動機のない殺人事件というのはかなり異質な存在で、だからこそこういう作品が作られたのである。普通の人間なのに何を考えているのか全く判らない恐怖。怪奇大作戦の中でもベスト3に入る傑作だ。
 そして犯人は通り魔的に人を殺すため、ある装置を作り上げる。その装置を使って犯罪を繰り返し、対するSRIはその仕組みを解明する。たった30分の番組の中でこれほど密度の高いドラマ展開もそう多くはないだろう。

 そしてそれから30年近く経った1995年、「BLACK OUT」Futurity 2「プラズマ」が公開される。
 これは明らかに上記の「かまいたち」がベースである。ネットを使った子供たちが独力でプラズマ兵器を作ってしまい、それで殺人を繰り返す。動機は希薄だ。ドラマの構成もほぼ「かまいたち」と同じだが、さすがに30年も経っているし、1時間枠でもあり、科学的にも面白いドラマに仕上がった。
 キャラクター設定も現代を意識しており、例えば沖野という腕利きの女性法医学者など、死体フェチで解剖フェチという設定だし、主人公の華屋はなんとテルミンを演奏する。とにかく一癖も二癖もあるキャラクターばかりだが、傑作といえる作品に仕上がっている。

 オリジナルの怪奇大作戦からほぼ40年後、「BLACK OUT」からですら12年後の2007年、ついに「怪奇大作戦」を名乗る番組が公開される。
 その名も「怪奇大作戦セカンドファイル」第1話「ゼウスの銃爪」である。
 だが所詮はNHKの製作だった。期待が大きすぎたのかも知れないが、やはり内容は貧弱で、なんら納得できる内容ではない。とにかく説得力に欠けるのだ。多分スタッフは視聴者の知識を読み違えている。
 結局この作品の唯一の成果は、「怪奇大作戦」のテーマが普遍的だと証明したという事だが、これで当分「怪奇大作戦」もしくはそれに類する作品は作られないだろうと落胆したのも事実だ。

 だがそんな思いは簡単に覆された。
 それが2007年に公開された「ガリレオ」第一章「燃える」である。
 ベースは「かまいたち」よりは「BLACK OUT」の「プラズマ」に近い。特に「BLACK OUT」がベースだと感じたのは、キャラクター設定が同じだからだ。城ノ内などは完全に「BLACK OUT」の沖野である。性格設定や人物配置もそっくりなのだ。
 それでも話が進むと「怪奇大作戦」だと気がつく。それは「犯行に使われた機械の誤差」を問題にしたからで、これはテレビとしては非常にユニークだ。 もちろん工学部出身の私からすればそんな事は当たり前なのだが、テレビという限られた時間と予算の中、ここまで誤差を問題にした作品というのは珍しい。
 「怪奇大作戦」でも、科学犯罪をテーマにしている以上、いかに視聴者を納得させられるかを、アイデア、演出、演技など考え付く限りの範囲で説得力を持たせていた。
 この「ガリレオ」第一章「燃える」にはこれがあった。視聴者も単純な説明では納得しない時代であり、それを巧みに利用した演出だ。ここが「怪奇大作戦セカンドファイル」第1話「ゼウスの銃爪」と大きく異なる点なのである。傑作だ。

 ちなみに2004年、BSフジで「怪奇事件特捜チームS・R・I 嗤う火だるま男」という作品が公開された。これが「怪奇大作戦」の続きという設定らしいのだが、BSという事で、当時知ってはいたが見る事ができなかった。一体どういう作品に仕上がっていたのか、非常に興味があるのだが…。


2008年10月13日(月) 色々と無事終了

 午前中に正明さんの入院先に電話し、DVDプレイヤーが届く旨を連絡し、セッティングを依頼し、延長コードなどで不足するものがあれば連絡して欲しいと言っておく。

 昼に実家できりたんぽ鍋。
 先日両親が大館に行ったが、いつも買っている店で比内地鶏が入手できなかったので、ガラだけ買ってきたのだった。という訳で、今日の鶏肉は普通の物で代用する。
 それでもダシを比内地鶏でとったので、味としてはなんとかなっていた。

 午後、正明さんからDVD到着の連絡あり。看護士さんが後でセッティングしてくれるとの事だった。
 やはり一昨日のお見舞いでは「ちょっと疲れたけど、楽しかった」との事だったので、体力的には少しきつかったかもしれない。適正なお見舞い時間はやはり60分くらいというところか。これは我々の反省点だろう。 
 ちなみに午後は冨木さん一家がお見舞いに来ていたそうである。

 そしていわさきさんから無事帰還の連絡もあった。
 これで連休中の「正明さんお見舞いツアー」と「いわさきさん来仙宴会」は両方とも無事終了である(うちに着くまでが宴会だ)。皆の協力に感謝である。

 さて、そして次はいよいよESIFCONである。こちらも色々と考える事はあるが、まずは続ける事だ。


2008年10月12日(日) 岩崎さん歓迎宴会

 午前から昼過ぎまでチマチマと雑用。
 意外と時間の経つのが早く、少しばかり焦ったが、メドがついたところでいわさきさんから電話が来た。実は職場がらみで昨日仙台に来ていたので、宴会を組んでいたのだ。
 という訳で、15時にジュンク堂で合流する。
 しかし気がつけば復刻版、ヘンな本、珍しい本(ベスター「ゴーレム100」の単行本もあったが、多分今では読めないだろう)、等々、二人でキャーキャー騒ぎまくる。本屋というのは、1人でも楽しいが、複数でも楽しいものなのである。

 そして17時に仙台駅で集合して居酒屋へ移動する。今日は私の他は、いわさきさん、チュウジさん、ハカセ、チャウチャウさん、鶴ちゃん、青さん(この順で合流したりする)という前日とあまり変わらないメンバーだったりする。したがって当然昨日と同じように、バカ話に花が咲くのだった。
 青さんは遅れて来るとの事だったので、21時に場所を替えて合流する。最終的に解散は23時30分。楽しい宴会だったが、少し重い話もしたので色々と考える事もあった。また、ちょっと早めに動いた方が良い内容も含まれる。
 いずれ山形主導でKOMECONも始動してもらたいのだが、この辺はチャウチャウとも相談である。

 しかし仕事やしがらみとは全く関係ないこういう集まりというのは大切だし、得がたいものだとつくづく思う。これは多分、死ぬまで続く関係だ(全員が一度に死ぬ事はないのが問題だが)。
 いずれどちらも、集まってくれた皆に感謝である。

 帰宅するとさすがに疲れていたので、ネットにはほとんど入らず、「クレイモア」を読んで寝たのだった(なんだ、そりゃ)。


2008年10月11日(土) 正明さんお見舞い作戦

 今日は本当は出社日である。
 でも「正明さんお見舞いツアー」を組んだのは私なので、行くのであった。
 今回はチュウジさん、チャウチャウ、KC、Jemさん、鶴ちゃん、青さん、そして私の7人という少し多い人数でのお見舞いだ。都合でKCとJemさんは現地集合、我々は山形経由で米沢である。

 8時過ぎに出て、万代書店へ行きお土産を探し、とりあえずは逆襲ゴジラにする。そこでチュウジさんと合流、鶴田家へ行き、青さんとも合流。そのまま山形へ向かい、チャウチャウと合流して、一路米沢へ。
 予定では14時と病院に伝えてあったが、13時20分にはJemさん以外が集合したので、緩和ケア病錬に行く。ここの待合室は立派で、液晶だかプラズマだかのテレビが壁に設置されていた。ここでビデオ・クイズが出来そうだ。

 正明さんと会った感じではそれほどひどい状況には見えなかったが、はっきり言ってこういうのは見た目では判らないので、本当は医師の話が聞きたいところだ。だが今日の状況ではそれも望めないから、あとはお見舞いに徹するしかない。

 もちろんこのメンバーが集まったら、コンヴェンション並みのノリになるのは必然であり、これしかできないといっても良い。だが少なくとも我々が正明さんに接する時にはこれで正解だと思う。
 どの位一般的なお見舞いではなかったかといえば、少し遅れて来たJemさんが看護士さんに病室を聞いたところ、「盛り上がってますよ」と言われたというくらいだから、推して知るべし。だがこのセリフで我々のお見舞いの主旨は成功したと言って良い。そしてJemさんはやおら針と糸を出して「もう少しで完成だから」とお土産のカードというかマットを完成させる作業に入った。もうこれこそがコンヴェンションのノリだ(ちなみにこのマットには愛と勇気と放射能という意味の英語が書かれていた)。
 なおTampoさんから「神社の掃除をしているサンタクロースのカード」が届いており、これもネタにして皆で楽しんでしまった。みんな良い人ばかりだ。

 こんな流れだったので「これだけの人数が集まったから、プレESIFCONだなぁ」と言ったら、正明さん本人が「いや、僕の病室だからKOMECONだよ」と言ったので、今回は「総勢8名のプレKOMECON」としたい。ちなみに正明さんも、当然ながら参加者である。
 いずれ我々と延々バカ話をして楽しそうだったので、お見舞いとしては意味があったと思う。

 なんだかんだと2時間半もいただろうか、さすがに正明さんにも疲れが見えてきたので、退去する。まずは盛況のうちに無事終了である(どんなお見舞いだ)。
 次回はビデオ・クイズを用意してESIFCONとして開催したい。そのための準備はほぼ終わったのだ(だから、どんなお見舞いだ)。ちょっと遠いが、出来れば時々行ってあげたいものである。

 その後近所のファミレスで1時間ほどお茶した後、チャウはそのまま山形、他のメンバーは3台の車で福島まで行って別れる。しかし栗子のスキー場跡のあたりは真っ暗で気がつかなかった。どうなっているのか見たかったのだが…。

 仙台に着いて、正明さんへ送るDVDプレイヤーを探す。小型の物が見つからず、結局TSUTAYAで見つけた物を送る事にして、ソフトも少し付け、チュウジさんに任せる。
 そして鶴田家へ行き食事。ガリレオの第一話「燃える」が結構秀逸で楽しめた。ここを最終的に退去したのは11時30分、トータル約300キロの旅だった。なお最後はほとんど心眼で走っていた事は秘密だ。
 眼鏡を新調しないと、本気でヤヴァイかもしれないなぁ…。


2008年10月10日(金) 次のレガシー

 昔なら体育の日で休みなのだが、連休を作るという政府の方針で普通の日になってしまった。

 それはともかくとして、来年あたり5代目レガシーが発表になる可能性があるらしい。
 次期レガシーは、現行の3ナンバー・サイズよりさらに大きくなるという噂がある。実際、現行の4代目は3ナンバー・サイズになると早くから噂が流れていて、結局その通りになったので、今回の噂もそれほど大きく間違ってはいないだろう。
 だがこれはとんでもない話だ。レガシーという車の本質を、現在のスタッフは勘違いしている。レガシーは5ナンバー・サイズでこそ意味があるという事を完全に忘れ去っている。それでなくとも狭い日本の車の環境は、5ナンバー・サイズに特化されているといってもいい。スーパーの買い物にミニバンなどの巨大な車で来るのは、はっきり言ってバカのする事だ。
 そんな環境で、レガシーの2代目というのは傑作だった。サイズ、デザイン、乗員スペースの広さ、カーゴ・スペースの広さと使いやすさ、そして決定的に他の車と違ったのは、ステーション・ワゴンとは思えない走りの良さである。荷物を積んで高速走行が楽な車など、他には存在していなかった、唯一無二の車だった。
 一言で言えば、使い勝手が良くそれでいて走りにも徹していた最高の車だったのである。

 現在私が乗っている3代目はまだその流れを汲んでいたが、4代目になってついにサイズが大きくなってしまった。この時点で買い換える時の候補として私はレガシーを諦めた。確かに走りの部分では素晴らしい進歩を遂げているのだが、肝心の使い勝手が切り捨てられた。ルーフ・レールもなく、サイズも大きいのでは意味がない。
 そしてデザインがミニバンに近くなったのがどうしようもなく悲しい。スバルには良いデザイナーがいなくなったと証明されてしまったのである。
 考えてみれば2代目レガシーは日本のデザインではなかったので洗練されていたのだが、それでいて日本の実情にあった使い勝手に仕上がっていたのは、他のスタッフも優秀だったからだ。おそらくそういうスタッフはどんどん退職しているのだろう。あるいは国内紙販売市場が小さくなり、頭の悪い営業の意見だけが通るようになったせいもあるだろう。結局、経営陣に良い物を作るという発想がなくなった、ただそれだけの事だ。

 ちなみにこれは景気とは関係ない。良い製品は景気が良くなった途端に出てくるものではない。景気が悪い時にこそ良い物を作ろうという発想と意思があるから、結果として景気が引っ張られるのである。それが今までの景気の本質だ。株価だけで全てが決まっている訳ではないのは当たり前の事なのだが、それが判っていない経営者が多すぎるのだ。
 何度も言うが、営業上がりだけが支配している歪んだ日本の構造がそもそもの間違いだ。彼らは経済の本質を理解していないし、そもそも不勉強なのである。


2008年10月09日(木) 何度目かの七瀬

 NHKで「七瀬ふたたび」が始まった。
 原作の3部作は大好きな小説だが、現在のNHKには期待していない。木曜のNHK20時という枠でどれだけ面白いSFドラマになるかと言うと、傑作にはなりえないのは目に見えているからだ。あとはその枠内でどれだけマシになっているか、だけである。
 そもそもこの時間帯で面白いSFドラマがつくれるとは誰も考えていないだろう。結局は1979年にやっていた、多岐川裕美主演の少年ドラマ・シリーズが、実は原作に一番近い傑作である。少年ドラマと銘打っているが、あそこまでシビアな作品になるとは、当時は本当に驚いたものだ。

 それに比べれば20時前後のドラマ枠というのは、金の無駄遣いかもしれない。後世に残る作品などまずないし、あっても「天下御免」のように抹消されてしまうのがオチだ(というか、この作品が全話放映されたという事自体が奇跡に近い)。
 いずれ私が今回の七瀬に注目しているのは、単に川井憲次が音楽を担当しているという、ただそれだけだ。そこそこ出来が良ければ、サントラが出たら買うだろうが、多分NHKでの仕事では、ごく普通のBGMだろう。
 と言いつつも、とりあえずは見てしまうだろう。七瀬なのだから…。

 ちなみに、多少予算のあるこういう時間帯の作品ですらまともな物がない状況で、2011年の地上デジタル完全移行をする意味が全く判らない。いや、何のためにやるかは充分判っているが、少なくともソフトの充実という意味では何の役にもたたないのは明確だ。
 そもそも、ひと足早く多チャンネル化を果たしているCATV等は、過去の名作を流すだけならまだましで、新しく名作を作り出す事もできず、経済活動の大元の実績すら上がっていない。ソフトという観点から見れば惨状であるといえる。
 つまり地上デジタル移行はこれと同じ事なのだ。チャンネル数を大幅に増やしたところで、予算が多くなるわけではない。経済活動という観点から見ても、最初から限られた枠内の金を奪い合うだけでしかないのは明白だ。
 そんな状況で、ソフトとして名作が出来る可能性は限りなく低い。年に1本あればマシなところだろう。


2008年10月08日(水) ESIFCONの存在意義

 正明さんが入院している米沢の病院へ電話した。
 特にお見舞いの時間制限はないようだが、とりあえず11日の14時に行く事を伝えてもらう。やはり何らかの直接通信手段が欲しいと思うが、正明さん本人は携帯電話を持っていないし、病室にネット環境もない。突然の入院だから当然なのだが、やはりすぐ近くという訳ではないので、少しばかり不便である。

 いずれこの病棟に入院したという事は、もはや希望的楽観は許されないという状況なのだが、まだ詳しい事は判らないのだし、そもそも我々はSF仲間である。基本的に本人の前で悲しい顔は見せたくないと考えているし、本人もそれを望んでいるのではないだろうか。
 おそらくは昨年OB−CONを開催したのは非常に良いタイミングだったと思う。それも我々がESIFCONを続けていたからだという自負はある。少なくとも正明さんを引っ張り出すきっかけを作ったのは間違いない。
 だからこれからもESIFCONは、正明さんが復帰できる機会を維持するためにも続けていくつもりだ。もちろん単にそれだけのために続けるのではなく、これからも何らかのきっかけの場として維持し続けるのは、ある意味とても楽しい事でもある。まあ年々縮小されているのも事実だが…。
 さて、さしあたってお土産をどうしたものだろうか。

 そんな事を考えながら、ネットでようやくミラクルハウス製「海底軍艦」のノーマル・ヴァージョンの写真を発見した。予想はしていたが、やはりこちらの方が雰囲気は遥かに良い。汚し塗装ヴァージョンは本当に汚し自体がオーヴァー・スケールなのである。オーヴァーな汚しは汚いという印象になってしまう。それくらいならノーマルの方が遥かにマシであろう。
 この辺はガンプラあたりの製作でも普通に語られている事なのだが…。


2008年10月07日(火) 一日仕事

 安全運転管理者の講習で七北田へ行く。
 会社にある車輌の数によって一定の人数が義務付けられているのだが、こんな一日かがりの講習を毎年受けなければならないというのもどうかと思う。そもそもあまりたいした内容ではないので、この程度なら半日あれば充分である。
 実際問題として、講義を聞いていれば事故が減らないのも判る。飲酒運転や無免許を知っていながら検挙していないのだし、そもそも免許制度というものの意味を成していない。そして免許を持っている人間が法規を全然マスターしていないのである。そしてそれを許しいてる日本の免許制度は最早崩壊している。事故がなくなるなど絶対にありえない話だ。
 つまり、あくまで警察関係者の老後の雇用を確保するための構造でしかない。事故を多少減らす事は可能かもしれないが、ベクトルは根絶に向かっていない。そんなものだ。
 なお受講にはSDカードの申請が必要で、これまた意味がない行為だろう。調べれば記録等簡単に判るのだから。ちなみに今回で、私は21年間無事故無違反という事らしい。早いものである。

 そんな夜、荒から着信があったのでこちらからかけてみた。実に久々である。直接会ったのはちょうど地下鉄サリン事件のあった時だから、やはり随分と経ってしまっている。
 今日はかなり長い時間話してしまった。30分位だろうか。ちなみに彼はKCも覚えていた。やはり若い頃の繋がりというのは大切だと感じる。しかし離婚していたとは知らなかったなぁ。


2008年10月06日(月) 「クレイモア」漫画版

 昨日買った「クレイモア」を読んでいるのだが、やはりアニメでは展開上不自然なところがあったが、それがマンガ版だと結構細かく説明されている。この辺はマンガの強みか。
 また最近の漫画にしては珍しく、絵だけで感情を表現しようと試みている部分がある。もちろんそれが100%成功している訳ではないが、この努力は買っても良いだろう。
 なお表紙カヴァーを外すと、それとは別の絵が描かれているが、これが誰だかさっぱり判らない。そもそも男なのか女なのかすら良く判らない絵もある。こういう部分で、基本的にこの作者はキャラクターの書き分けがあまり上手くないのだろうと想像される。極端に言えば「マンガとしての絵があまり上手くない」とも言える。これはジャンプ系お得意の「イラスト系」にありがちだ。そういう意味で、漫画としてもイラストとしても素晴らしかった鳥山明は天才だったのだ。

 ところで現在、正明さんのお見舞い、ESIFCON開催の準備、いわさきさんの来仙宴会という3本を同時進行している。これがやってみてから初めて判ったが、想像以上に精神的に疲弊するようだ。確かにお見舞いと宴会ではベクトルが正反対だから当然と言えば当然なのだろうし、そもそも私も若くないから持久力と集中力に欠ける部分もあるのだが、まあ動き始めたからには仕方がない。
 いずれEIFCONはまた少し余裕があるので、まずは2本だ。


2008年10月05日(日) 嫌なものを見た

 かなり涼しくなった。もう秋である。

 現在、実家にレガシーの冬用タイヤを置いているのだが、4本を積んだままにしてあるのもなんなので、今回タイヤ用のラックを買ってみた。
 とりあえずラックを組み立て、置いてある場所を整理して掃除する。そして台座代わりにしてある板を取り除いたら、予想はしていたが小さい虫がかなりいた。場所が場所だから仕方がないが、皆わらわらと逃げていく。そしてその下にあるブロックを取り除こうとしたら、ここには予想すらしていなかった 「かまどうま」の巣があった…。
 今日は涼しいのが幸いして、動きが鈍かったが、それでも時々40センチ位跳ねる奴もいる。他の虫ならともかく、かまどうま、しかも単体ではなく群れである。これはかなり気色悪い。どうもかまどうまというのは、その体型、模様、動きなど何もかもが気色悪く、つぶした時の感触もゴキブリの比ではない。私は唯一、生理的に絶滅して欲しいと思っている生き物だ。

 すぐさま殺虫剤と棒を使い非情なるバーサーカーと化す。幸い今日はかなり涼しかったので奴らの動きも鈍く、かなり冷静にバーサーカーできたが、真夏だったらこうはいかなかっただろう。暑い時の奴らの跳躍力は半端ではないのだ。実は密かに「仮面ライダーのベースはバッタなどではなく、かまどうまだ」と思っているくらいである。
 格闘約30分、殺虫剤のスプレー缶を空にして、ジェノサイドは終了。微生物その他に後処理を任せる。

 しかしかなり久々とはいえ、嫌なものを見てしまった…。
 あまりに嫌なものを見たので、その足で「クレイモア」の1〜14巻を全部買いに行く。何故「クレイモア」かというのに深い意味はない。
 本当は古本で安ければそれでも良かったので捜していたのだが、ほとんど見つからない上に、あってもほぼ定価である。これなら新刊で買った方が良いので、某書店に電話して14冊全てを用意させて、さっさと買ってしまう。だが14冊は重かった…。

 ただこの時に「銃の基礎知識」という本も見つけてしまい、当然のように買ってしまう。
 これはNRA、つまり悪名高い全米ライフル協会が出している「GUN FACT BOOK」の翻訳なのだが、内容は銃器に対する正しい知識についてであり、何故バイブルとして読まれているか良く判る。これは現在の日本人にこそ必要な本かも知れない。
 ちなみに翻訳が小林宏明氏だったので買ったという部分が大きい。彼の訳でなければ、信用できるかどうかの判断を下すまでに時間がかかってしまうのだ。そういう意味でもほぼ安心して勧められる本だ。


2008年10月04日(土) 意外な雑誌

 とりあえず粗仕事。
 本来は休みの日なので午前中に切り上げる予定だったが、どうしても長引いてしまい、結局14時過ぎに逃げ出す事にした。黙っていたらいつまでも仕事が回ってくるのだ。

 その後駅前に出て、「キャラクター・マガジン」Vol.1と「鉄腕バーティー」20巻を購入。
 もちろん20巻というのは20巻目という事だ。雑誌が休刊(実際は廃刊だ)となったので、大急ぎでとりあえずのまとめに入ったようで、かなりの急ぎ足になっている。
 だが作者も書いているが、スピリッツ・ネタを先に完結させたのは、今となっては大正解だった。この話か半端では、またもまとまらない話になってしまうところだった。そういう意味では休刊の時期もある程度は運が良かったという事になるかもしれない。
 そして雑誌が変わって連載は続くというが、さてどうなる事やら。

 もう一冊の「キャラクター・マガジン」は、学研がこんな雑誌を出すとは意外だった。まあ模型雑誌と懐古主義を混ぜて企画すればこういう方向に行くのは判る。まさに私の年代がドンピシャのターゲットになりうるのだ。
 ちなみにこの雑誌に載っているプラモは、ほぼ全て(当然ムーンバスは除く)作っている。ゼロエックスやムーン・ランスポーターのような王道SFメカから、キング・シャークなどの裏街道SFメカまで、多分作っていないプラモというのはそうないはずだ。
 だからこの雑誌の主旨も内容の正確度合いもきっちりと判ってしまう。手を抜くとすぐばれるのだという事を、出版社は肝に銘じて続きを作って欲しいものだ。

 しかし「シャドー81」が新潮から早川に移動して復刊されていたとは驚いた。
 この小説は、当時としてはかなり斬新な手段でハイジャックを行う。もっともこの手段も現在では難しくなってしまった。やはりベトナム戦争という背景があって初めて成立するネタなのだ。だがそれを差し引いても名作だと断言できる。少なくとも読んで損はない出来なのは間違いない(ただ当時は日本でのみヒットした小説らしい)。
 そして刊行当時、ハリウッドで映画化という噂もあったが、結局立ち消えになった。個人的には当時消えた企画としてはこの「シャドー81」と山田正紀の「謀殺のチェスゲーム」を是非映画化して欲しかったと思う。
 この2作をまともに作れたら傑作になるのだが、まあ実際問題としてそれだけの腕を持つ監督は少ないし、そもそもこれをきちんと理解しているプロデューサーなど存在しないだろうから、いまさら期待しても仕方がないか。


2008年10月03日(金) ESIFCON始動

 いよいよ今年のESIFCONが始動する。たがみさんが声を上げてくれたのだ。
 さすがに今回はスタートが遅かったので、11月22日〜23日という日程くらいしかないだろうが、問題ははたして宿が押さえられるかどうかだ。

 さらに予定している同じ場所でたけふるさんのチームが三連休で40人規模の合宿を行うらしい。つまり残りのキャパは僅かしかない可能性がある。
 でも一緒に開催できれば、これはこれでかなり面白い事になる。やはりこういう集まりは、ある程度の規模があった方が楽しみは増えるし、予想外の展開があるかも知れない。

 さて、日程と場所さえ決定すれば後は何とでもなるのがESIFCONだ。まずはこの2点を早急に決定しよう。


2008年10月02日(木) 高い、安い

 名取方面に行く用事があったので、某万代書店に寄ってみる。「クレイモア」のコミックが置いてあるか確認したかったのである。
 珍しくここにはあったのだが(もちろん全巻ではない)、価格が高い。なんと1冊20円も引いていないのだ。これは明らかに高い、高すぎる。この程度なら新刊書店で新品を買った方が絶対に良いと誰もが思うだろう。なにせ14冊買ったところで280円も差がないのだから。
 しかし何故こんなに高いのだろう。別に絶版になった訳ではないから、定価で良ければその辺で簡単に入手できるのである。実に不思議だ。

 そして某所でプロテクト・ギア都々目紅一ヴァージョンが9,800円で売られていた。こちらはほぼ半額である。
 これが「紅い眼鏡」ヴァージョンだったら即買いなのだが、残念ながら「人狼」ヴァージョンだった。もっともそれを補って余りある完成度には驚いてしまう。さすがに顔の造形はもう一歩だが、サングラスで目を隠せばそこそこ良い雰囲気になるから許そう。
 マシンガンもMG34なのは当然として、出来自体が素晴らしく、またバックパックからのカートの表現も素晴らしいし、予備のバレルもきちんと装備されている。ここまでこだわって作っているのだから、本来ならば買うべき物なのだ。
 だが先日「海底軍艦」を予約してしまっているから今すぐには買えないし、そもそも1体しかなかったからそのうち消えてしまう事だろう。残念也。

 ちなみにこには66式メーサー車のリモコン版が置いてある。こちらは残念な事に定価だが、半額になる事はないのだろうか。かすかに期待をしてしまうのだった。


2008年10月01日(水) KOTOKOのライヴ

 KOTOKOのライヴがyoutubeに載っている。現在は2004年と2006年が見られるのだが、どうも2004年の方が楽しい。
 2006年は、これが本当に同じ人なのかと思うほどにヘタだし、そもそものライヴ演出がとんでもなく平凡になってしまっている。いや、演出に関しては2004年の方が平凡であまり凝っている訳ではないのに、何かストレートに訴えかけるものがある。やはりライヴとはこうでなければいけない。
 とりあえず下記の3曲がお気に入りである。前にも挙げたがさらに1曲増え、この3曲を続けて聞くのが楽しい。

 http://jp.youtube.com/watch?v=pvvAB9YVDzw&feature=related
 http://jp.youtube.com/watch?v=0bR5xYO-u2E&feature=related
 http://jp.youtube.com/watch?v=W4FQd6QXw1s&feature=related

 なんというか、この「元気一杯のマイナー調」というのが、とても心地良いのである(ちなみにこの曲を教えたいわさきさんには「どうしちゃったんですか」と言われてしまったが…)。

 ついでだから3曲の戦闘機ヴァージョンも付けておく。
 http://jp.youtube.com/watch?v=F8XXbSGLqWI&feature=related

 しかし本当に2006年版は声が出ておらず、現在はどうなっているのか不安になる。元々が高音域を多用するタイプなので、これが出なくては意味がない。そもそもそんな状況なら、ライヴでやるべきではないだろうに…。


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