どんぐり1号のときどき日記
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実相寺昭雄氏が亡くなった。 なんだかこの人もしばらくは死にそうにないと、根拠もなく思っていたので、ちょっと意外である。 思えば、「ウルトラマン」の頃はこの人の独特な手法が理解できなかった。というより、むしろ嫌いだった。あまりに子供の好きな範囲を越えてしまっていたのと、根本的にギャグ(この場合マンガチックと言った方が良いか)のセンスが、あの当時ですら古かったのだ。つまり革新部分と古い部分が同居するという、良くも悪くもある意味ヤクザな映像作家だった訳である。 私は今でも、ウルトラマンでの実相寺作品は好きになれないのだ。
だが「怪奇大作戦」や「ウルトラセブン」での独特の雰囲気は、子供すら引きつける見事さだった。あの当時、メトロン星人とダンが四畳半でちゃぶ台をはさんで会話する映像など、彼以外の誰が思いつくだろう。 よしんば思いついたとしても、それを映像化できる人間などそうそういるものではない。しかもシリアスなのだ。
こうして考えると、おそらく世の中の実相寺ファンは、「ウルトラセブン」以降を認めているのではないだろうか。
今日は予約していたコナミの「サンダーバード・アルティメイトモデルシリーズ」のVol.1とVol.2が届いた。 届いたのはいいが、この箱の大きさはなんだ? まさにイノセンスのDVDハダリ・ボックスの逆襲である。予想以上の大きさだ。なにせ縦横高さが40×60×25なのである。もちろん単位はセンチだ。この中に二箱が収まっている。 届いた人は皆驚いただろうが、店頭で引き取った人はもっと驚いただろう。持って帰るのが大変である。私もサイズはこの半分以下だと思っていたのだ。なにせ元が食玩だからなぁ。
しかし中の箱も、無駄に豪華である。コナミもあまり意味のない事をしないでほしいものだ。しかも直接コナミで買うとエリス中尉が付いてくるというのも、なんだか卑怯である。 もっとも次の「謎の円盤UFO」は本気で楽しみである。余裕があれば二箱欲しいくらいだ。
mixiにもちょっと書いたのだが、とある人の日記に面白い事が書いてあった。 007の一作目「ドクター・ノオ」で、ボンドがサイレンサーを付けた銃が「ブローニングM1910」だというのは有名な話だが、実はこの映画では「ワルサーPPK」がまったく使われていないらしいのだ。ではPPKだと思っていたのは何かというと、すべて「ワルサーPP」らしい。
もちろんプロップ銃のあまり発達していない当時なら様々な制約があったのは充分判るし、おそらくサイレンサーが装着できるPPKが用意できなかったのだろうと想像は出来る。そもそも当時は、よほどスタッフがきちんと管理しない限り、製作側でもかなりいい加減な事をやっていた時代なのだ。
だがふと思ったのだが、PPを使ったのはPPKが小さすぎるからなのではないだろうか。 小説と違って、映画には見栄えが必要だ。だから現在のアクション映画では必要以上に大きな銃が好まれるのである(もっともサイズ的にはガヴァメントが一番だとは思うが)。 そういう意味でPPKは、護身用に持ち歩くには最適だが、映像的には小さすぎて見た目に迫力がないのだ。実際007の「ユア・アイズ・オンリー」ではPPKを両手保持して車を撃つシーンがあるが、あまりにも小さく迫力がない。 これ以後のアクション映画でPPKがあまり使われないのは、これがボンドの銃だというイメージが固まったせいもあるだろうが、それ以上に見栄えの問題であまり使われなかったのではないだろうか。 PPKで撃ち合うスティーヴ・マックィーンやアラン・ドロンなど、どうにも想像できない。彼らにはガヴァメントこそが相応しい。
だが、PPKにサイレンサーを付けると、これが突然精悍な顔になる。やはり007のスタッフはこれに気づいたから、ポスターなどにその写真を使ったのかもしれない。やはり映画にはそれなりのサイズが必要なのである。
ちなみにこれまた有名な話ではあるが、このポスターのPPKにはMGCの文字が写っている物もある。当時MGCのPPKは、モデルガンとしては空前の量である15万挺が売れたのである。 そのくらい映画の効果とは凄いもので、ダーティ・ハリーのおかげでSWのM29もバカ売れしたのだ。ただしこちらは本物の話だが…。
昨日、某局のトップランナーで、テーマが本城直季氏であった。 意外と本人は平凡な人で、人物としては今のところ魅力はない。だが彼の写真は、本物なのにミニチュアに見えるというあれで、写真集としてはかなり売れているらしい。確かに私も欲しいのだ。
しかし撮影方法は判っているのだが、何故あれをミニチュアのようだと感じるのだろう。 人間の目は本来、遠景はパンフォーカスで認識するそうだが、そうするとそこにボケが入った場合、自然の景色ではないと判断するのだろうか。そうなると、ミニチュアやジオラマを見た事がない人にはどう見えるのだろう。その辺が気になってしまう。 小さな物がはっきり見えるのとボケて見えるのとが混在する事で、自然ではないと脳が判断するのだろうか。それとも単純に、小さく見える事が最大の要因なのだろうか。 その辺の原理が知りたいものだ。
ところで。 公開中の映画で「トゥモロー・ワールド」がある。演出がメチャクチャと言う事でなかなか評判である。 まとりさんも「SF設定とドキュメンタリー風手法と物語とディテールへの拘り等々、すべてが微妙に噛み合ってなかった」と書いているし、他にも同様の意見を見る。 ただひとつ、非常に驚いたのだが、主人公の友人の住居という設定で、なんと「バターシー発電所」が出てくるのだという。しかも上空にはちゃんと「ピンクの豚」まで飛んでいるとか。さらにここでのBGMは「クリムゾン・キングの宮殿」が流れていると聞くと、本当にそんな映像が流れるのか? とにわかには信じられなくなる。 もちろん出典はピンク・フロイドの「アニマルズ」のジャケットだ。これはストーリーとは全然関係ないらしいが、ここまで描写すると、やはり意図してやっているとしか思えない。 というか、ムリヤリ設定した上で撮影しているとしか考えられない。 最大の問題は、何のためにやったのか、である。もしかしたら映像にしたかっただけで、本当に意味がないのかもしれない。まあ映像を作ると言うのは、そういうものなのだろう。
2006年11月26日(日) |
パワー・ブースター付きモデル |
近所の本屋を回ったが、欲しい雑誌は置いていなかった。困ったものだ。 その帰りに模型屋に寄って、スペース1999の「デラックス・イーグル・ギフト・セット」を引き取ってくる。なんだか恥ずかしい商品名ではある。 商品名はともかく、中身はラボラトリー・ヴァージョンのイーグルとレーザー・タンク、そしてこれが重要なパワー・ブースターとムーンバギーが付属しているのだ。もうこれだけでも買いだ。それにしても箱が巨大だが。
箱を開けてチェックすると、コンテナ部分が異様に重い。ここは元々全て金属なので、両サイドにはみ出した部分がそのまま重量増に繋がる。こうなってくると、やはり本体のフレームの強度が不安になってくる。しかもこのフレームの上にパワー・ブースターがそのまま乗る形になるのだ。本当に折れたりしないか、心配にもなろうというものだ。
しかし今回のモデル購入によって、通常販売のコンテナで持っていないのはフレイターのみになる(ネット限定で要人護送用コンテナも存在するが、流石にここまで欲しいとは思わない)。 そして良く考えると、フレイター・コンテナ部分というのは、案外簡単に自作出来るのではないだろうか。要はそれらしく見えれば良いのであり、外装が勝負の他のコンテナと違って、手抜きも可能なのである。これは意外と楽勝かもしれない。
そんな事を考えつつ、町中に出るというどんぐり2号に頼んで「おやじロック Vol.1」を買ってきてもらう。昨日見たのは一冊しかなく、しかも真ん中から折れた状態だったのだ。 実は初めて見た時、雑誌の題名があまりにアレなので内容は全然気にしていなかったのだが、昨日あらためて中を見たら、意外とマトモだったのである。これは題名で負けてるなぁ(つまり戦略的に負ける可能性があるのだ)。 とりあえず何号まで続くのか、お手並み拝見である。
今日は子どんぐりが、学校行事で清掃のボランティアなのだそうだ。 だがボランティアというのは、学校行事にするような物なのか? そもそも月曜日を代休にするようなものなのか? なんだか考え方がおかしいと思うのだが。 やはり戦後日本の社会に、考え方が根付かなかった物の一つが「ボランティア」であろう。そしてもう一つはもっと重要な「自由主義」だ。これらは明らかに変な方向に行ってしまったし、恐らく変更はもう望めないであろう。
それはともかく。 子どんぐりがDS用のソフトを机から落としたところ、読み込みができなくなったという。どうやら衝撃で内部のメモリーが飛んでしまったようだ。とりあえずヨ×バ×で修理が効くのか聞いてみたところ、修理不可なので受け付けないとの事だ。 …ゲームのソフト業界というのは、実に楽な商売だなぁ。昼寝しながらの高校生あたりで充分経営できるよ…。
ついでに本屋へ寄って「サンダーバード全記録6」を買う。これが最後なので一安心。他に欲しい雑誌が何冊かあったが、とりあえず様子見である。なかなか面白そうな内容なので、近いうちに買いそうなのだが。 そして模型屋からは「パワー・ブースター付きイーグル」が入荷したとの連絡が来た。明日にでも取りに行こう。ちょっと高いので困りものではある。
夕方はKCと会って、宴会の打ち合わせ。 色々な要素があり、検討した結果12月2日の開催しかないと判明。急だが仕方がない。この打ち合わせ自体はさほど時間もかからず終ったが、その後の無駄話(?)で2時間も過ごしてしまった。しかしあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。
先日青さん経由でKattaruiさんからもらったCD-Rを聴いていて、今自分が何らかのベスト盤を作るとしたらどういう内容になるのだろうと思ってしまう。 例えばプログレ・コンピを作ろうとしても、現在の自分の好みを考えるとプログレに絞るという作業は結構大変だと判る。そもそもプログレという範囲はあまりにも広大で曖昧なのだ。
という訳で、やはり自分の好きな曲という事でまとめる事になるのだろうが、ここに大きな問題が一つあった。一曲のランニング・タイムが長い曲が多いのだ。 例えばナイスの「ロンド」あたりでも8分、ドリーム・シアターの「メトロポリス・パート1」は9分、イエスの「燃える朝やけ」は10分、マイク・オールドフィールドの「オマドーン・パート1」は19分と、たった4曲で45分を簡単に越えているのだ。1枚のCD-Rにまとめるにはあまりにも長い曲が多いが、どうしたら良いのだろう…。やはり泣く泣く「オマドーン」をカットするしかないなぁ。
でも最近の曲は、コンスタントに5分前後の曲が多いようで、エヴァネッセンスの「ターニケット」も意外と短く5分もない。この辺になると編集しやすくなってくる。でもやはり内容が問題で、「謎の円盤UFO」と「秘密指令S」は必要だし、川井憲次や菅野よう子も入れたいところだ。1970年前後のポップスも好きな曲が多い。 こうなってくると、テーマの一貫性はほとんどない。あるのは「自分の好きな曲」というテーマだけになる。
だがこれとて、その日の気分で変わるので厄介だ。そもそも「クリムゾン・キングの宮殿」や「狂気」「危機」等がいくら名盤であろうが、毎日聞いている訳には行かない。その日の気分で聞きたい時もあれば聞きたくない時もある。あるいはレオン・ラッセルのように、好きなのだがコンピには合わないというタイプの曲も存在する。 音楽とはそういう物なのである。
結局コンピを作った時の題名は「×月×日の気分で作ったベスト盤」という感じになるのだろう。つまり本当の意味での「究極のベスト盤」という物は、絶対に存在しないのだ。
今日はとりあえず休み。午後になってから郊外の古本屋(萬葉堂である)へ行く。 ここで100円の投売り本コーナーがあった。持っている本が100円というのはなかなか悲しいものがあるが、読んでみたい本があると便利ではある。もっとも大した本がないから100円コーナーなのだが。 と言う事で、とりあえず10年前のとある経済評論家の本と、20年前の軍事用語集を買ってみたのだが、これが意外と楽しい。
経済評論の本は以前から参考にしている人ので、10年前の意見がどの程度合っていたのか比較してみたくなったのだ。もっともそう大きなハズレがないところがこの人の凄いところなのだが。 やはり北朝鮮や中国の動向に注目する記述が多いようだ。
後者は20年前の軍事技術がどこまで現実になったのか見たくなったのである。 例えばこの当時のOTHレーダーはまだまだ問題のある技術だったがゆえに、AWACSの必要性が説かれていたのだが、現在の日本やアメリカは両方とも実用化に成功して実戦配備している。このあたりのギャップや技術革新のすごさを比較すると言う意味でもなかなか面白い本だと思う。
ただ、この本が発行されたのが1989年というのが気になる部分もある。 実は化学兵器の章で神経ガスについての記述があるのだが、特にサリンについての記述がかなり詳しいのである。もちろん作り方ではないが、どういう原理でどういう効果をもたらすか、そして都内で使用した場合の効果など、もしかしたら1995年の地下鉄サリン事件の首謀者はこの本を参考にしたのではないかと思ってしまったくらいだ。 まあサリンの毒性と対費用効果については、軍事技術に詳しい人にとっては当時すでに常識だったので、別にこの本が犯行の参考になったとこじつける必要はないのだが。むしろそういう事が常識だという事は、当然悪用する奴が出てくると考える方が自然だし、それを知っていながら放置した群馬県警やマスコミの責任は、犯人と同罪であると言っていいほど大きいのだ。
そもそもこの事件の起こる前に、自衛隊が警察へ対サリン用に防毒服の提供をしている。つまり警察は松本サリン事件以後、オウム真理教がサリンを大量製造している事を100%把握しており、それが使用される事も内偵で把握していたのである。それでいて宗教団体だというたったそれだけの理由でこういう事件を見逃したのだから、この時点で警察は何の役にも立たない無能な集団だったと言っていい。もちろんマスコミも全く同じである。 この事件では10人以上が死亡し、5000人以上が被害にあったのだ。しかも無差別に、である。
そういう事をつい考えてしまったではないか。
昨日あげたESIFCONのアフター・レポートを読み返したのだが、なんだかどうも面白くない。何故だろう。スランプなのだろうか(何のスランプだ?)。
でもこれで一つ思い出した事がある。今回の「初の10代実行委員長」は、広川太一郎氏を知らないのである。どういう人かと聞かれ、全員が答えに窮してしまったのだ。 彼女は声優はそこそこ知っていると言うのだが、そもそもロジャー・ムーアもストレイカー司令官もエリック・アイドルも知らない世代なのだ。本人はもとより、声をあてた俳優自体も知らないのでは、本当に説明のしようがない。こういうところで世代の断絶を感じるのだった。 モンティ・パイソンでジェネレーション・ギャップを認識できるとは、なんと奥の深い作品なのだろう(いや、それは関係ないって)。
メールで、Kattarui氏からもらったCD-Rのライナーノーツが届いた。 実はある曲がピンク・フロイドそっくりなのだが、ビンク・フロイドにしてはちょっと違うし、誰かがカヴァーしたのだろうか、などと思っていたのだが、これがなんと「OVA版ジャイアント・ロボ」の「次回予告」という曲だったとは、ちょっと驚いてしまった。いいのか? でも中古で探してみよう。実はこういうのが結構好きだったりするのだ。
そう言えば「ビッグ・オー」のサントラにも、「謎の円盤UFO」そっくりの曲なんかが入っており、これはこれで楽しめるのだが、世間一般の評判は良くないようだ。 世間の認識の幅というのは、意外と狭いのかもしれない。
ついにドクトル・マンボウこと北杜夫氏が亡くなった、のではなく兄の斎藤茂太氏が亡くなった。90歳かぁ。 でも北杜夫も意外と長生きだ。遠藤周作が他界してかなり経つが、北杜夫の方が絶対先に死ぬと思っていたので、当時は結構驚いたものだ。まあ半端に病気を持っている人間の方が長生きするという事だ。 ちなみに私にとっての斎藤茂太氏は、飛行機マニアとしての認識の方が強い。これは仕方がないだろう。
ところで。 エヴァネッセンスが仙台にも来るそうだ。でも2月1日というのは厳しい。ZEPP仙台なので、場所的には無理がなくむしろ理想的なのだが、仕事の関係で行けないとなると、妙に悔しいものがある。やはり「ターニケット」は一度ライヴで堪能したいのだが。
そもそもまだセカンド・アルバムを買っていない。日本盤先行発売だったらしく、ようやく最近輸入盤が出回り始めたようだ。中古がまだ安くはないだろうから、こちらを見つけて買いたいと思っている。
谷山浩子の新譜が出たらしい。 今まで一度も買った事はないのだが、今回のアルバムにはモンティ・パイソンの「Decomposing Composers」を日本語でカヴァーした「偉大なる作曲家」が入っているので、買うべきなのかちょっと悩んでいる。アルバム・タイトルは「テルーと猫とベートーヴェン」だそうだ。 でもゲド戦記の挿入歌が入っているというあたりで、ちょっと引いてしまうあたり、難儀な性格だと思ってしまう。
しばらく油断していたら、栗コーダーカルテットの「ウクレレ栗コーダー」というアルバムも出ており、これは結構面白そうだ(なんと7月には出ていたらしい)。以前聴いた「帝国のマーチ」はほどよく腰が砕けて面白かったのだが、こちらは「ハイウェイ・スター」や「ボヘミアン・ラプソディ」が入っている。う〜む、どうしようか。 どうもこういうバカバカしいものに惹かれてしまうというのも、これまた難儀な性格である。
さて、今週はバカ営業のせいで、仕事が限界量を超えている。結局帰宅は12時前。昨日寝たのと同じ位の時間だ。そしてしばらく続きそうだ。 さすがにこれは、難儀な性格とは関係ないな。
2006年11月19日(日) |
ESIFCON 40の最終日 |
二日しかないのに最終日もないもんだ。
7時半に起きる。流石に2時間睡眠では辛い。なにせ連日仕事で帰宅が遅いのだから。ちなみに外は霜でまっ白だった。
朝は慌しく撤収、清算。やはり10時チェック・アウトというのはなかなか厳しいものがある。 実際なかなか起きられない人も多い。菅野さんは相変わらず押入れの中で寝ていたが、知らずにいきなり襖を開けたら、さぞや驚く事だろう。なにせ寝ているのは貞子だし…。
そんな中でもバカ話は続くのだった。やはり打てば響くようにバカ話の受け答えが続くと言うのは、本当に快感である。参加者のレヴェルの高さが見える一瞬だ。これがあるといつものESIFCONの朝である。ちなみに朝のバカ話時のパワーは、弥生さんが結構強い。いや、夜も結構強いのだが、という事はずっとパワーが落ちないと言うことなのだろう。大したものだ。
しかし池端1号さんには、いい年した我々の姿がどう見えているのだろう。ちょっとだけ気になってしまう。 出口の付近で集合写真。あまりに明るすぎて絞りをギリギリまで絞らないとシャッターが切れない。はたしてちゃんと写っているのか、若干不安が残る。まあチュウジさんがバックアップを撮ったから良いだろう。
その後去年と同じように、マルカンの食堂でくつろぐ。今年は13個の巨体ソフトクリームの注文である。 今回は最後の最後までESIFCON 40だった。どんな会話をしても、とにかく現在の18年後なのである。みんな元の時空に戻れるのだろうか。
駐車場で解散のセレモニー。 今回は「ESIFCON 40」なので、来年が「22」となり、実行委員長は徹っちゃん、副実行委員長はやよいさんと決まっているのだ。よってジャンケンはなし。41回目の実行委員長を決めても良かったかなぁ。
そして徹っちゃんと東京組を新花巻駅まで送り、あとは帰路に着く。疲れましたなぁ。
帰宅後、青さんから受け取った鶴田氏作成プログレ・コンピCD-Rを聞く。一曲目がいきなり「空手バカボン」だったので大笑い。さすがである。
しかしこの手のローカルコンに参加した後、昔は翌日への精神的鋭気を養えたのだが、去年今年と「仕事したくないなぁ」状態になってしまう。やはり今の職場は究極的つまらなさなのである。
今回はmixiのコミュも利用したが、意外と便利だ。 事前の情報収集や打ち合わせ、事後の報告など想像以上に利用できると判ったのだ。あとはどれだけの人が見ているかという、ただそれだけなのだが。 で、流石に12時前に寝るのだった。
2006年11月18日(土) |
ESIFCON 40の初日 |
いよいよESIFCONの初日である。結局何の準備も出来なかったのが残念である。
チャウチャウとチュウジさんを乗せて、花巻は大沢温泉へ向かう。大沢温泉には14時過ぎに着いたが、表の看板には「エシフコン40」の文字がある。さすがいわさきさん、ちゃんと手配していたのだった。 今回は22年目なのだが、何故40かと言えば、話せば長いが聞くと短い。
これは一昨年、「ESIFCONが40回目になった時、はたして我々は生きているのだろうか」という問題を提示したのがきっかけだった。この時池端1号さんが「40回目の実行委員長ならやっても良いよ」という、実にありがたくも心強い答えを出してくれたのだった。当然ノリの良い我われである、じゃあ大学が受かったら早速40をやってしまおうとなり、今年受かったので急遽今回を40回目にして彼女に実行委員長をやってもらう事にしたのであった。いや、実に臨機応変なコンヴェンションである(いきあたりばったり、とも言うが)。 しかも事前の電話での打ち合わせでは、「今年やらないと、10代の実行委員長じゃなくなるよ」という実に心強いお言葉をいただいたのだった。これはもう、実施するしかないではないか。
という訳で、ESIFCON 40である。 少し早かったが部屋に入れてくれたので、荷物の搬入から食事の下ごしらえなどをする。今回はチャウチャウから「いも煮」、いわさきさんから「さんまのつみれ汁」である。自炊部なので、皆で作るのだ。
相変わらずのバカ話をしていると、16時に「TAM」と「青さん」が到着。青さんが機械のセッティングを始めると、とたんに往年のESIFCONらしくなる。 そして17時頃に待望の「池端さん」と「池端1号さん」が到着。これで実行委員長が無事に着いた訳である。 18時30分頃、いわさきさんが東京組を連れて到着。今回岩崎さんはあちこち動き回ってくれている。東京組は「やよいさん」「ポンポン」「坂井さん」である。 徹っちゃんが18時36分に新花巻に着くというので、迎えに行く。ここはさすがにいわさきさんに甘える訳にも行くまい、という事で私が迎えに行く。でも途中で道を一本間違えたらしく、ちょっと時間がかかってしまったが、なんとか19時20分頃に帰り着く。という訳で、この間の記録はないのだった。
ここで実行委員長の音頭で乾杯。10代だがESIFCON 40なので37歳である。つまり乾杯のビールはOKなのだ。ちなみに池端さんが自家製のど××くを持ってきたのは内緒だ。
20時過ぎに「natsさん」「菅野さん」「たけふるさん」が到着。 これで全員が揃った事になり、食事も終ったところで、久々に全員の自己紹介である。久々なので結構真面目にやってしまったが、なかなか面白かった。そう言えばポンポンは、新宿では肉丸君だったなぁ。今でもだが。 ちなみに私はベイルートから密入国で参加したという事になっている。何故かは不明だ(どこが真面目だ)。
その後、青さんがテレビ東京の深夜番組である「ロック・フジヤマ」を録画したものを見せてくれる。これはロックで遊び倒そうと言うコンセプトで、実に面白い。L.A.のスタジオから中継、というセッティングで進むのがいい。スタッフも表に出るのは外人ばかりである。日本語が上手いけど。ちなみにこれを見ると、ローリーが意外とマトモなのが判る。 ロック・カルタはいずれやってみてもいいかも知れない。アルバムをコピーすればいいのだ。 しかしこの番組には、チュウジさんや池端さんも熱心に見ていたが、やはり70〜80年代にロックを聞いていた者にとってはかなり琴線に触れる番組なのかもしれない。 どうしてテレビ東京なんだよぉ。
21時過ぎに、私が「ウルトラヴァイオレット」の解説を少々する。 やはりまだソフトが出ていない関係上、youtubeでの映像で解説するしかないのだが、再生画面が小さいため、今ひとつ伝わり難い。坂井氏が少し設定をいじってみたが変わらず、あきらめるのだった。 事前準備が不充分だったのであまりうまく説明はできなかったが、映像の注意点を軽く説明し、日本の特撮やアニメ、時代劇等の影響が非常に強いと言う点は強調しておく。特に宇宙刑事の影響はもっと重視すべきである。 いずれソフトを見て判らない事があれば、私に聞くよう全員に行っておく。ただし服装の変化は別だ。 ということで、チュウジさんといわさきさん以外は「ドン引き」状態だったかもしれない。そりゃそうだよなぁ、いい年してこんなのに熱中しているんだから。
その後21時30分頃から青さんの「ビデオ・クイズ」。 結構昔ので、やはり正解者はほとんど同じ人間になってしまう。私はとりあえず、カップヌードルのオマケのアキラもどきをもらう。 私が持って行った「バルタン星人のウォーターガン」は、私が答えて実行委員長である池端1号さんにあげる(むりやり押し付けたとも言うが)。で、結局2個ともあげてしまったが、これで両手でバルタンが出来るのだった。
その後で、菅野さんが近々髪を切ると言うので「貞子」の写真を撮る。なんだか「行き倒れの貞子」という写真も撮られていた。私のはカメラが不調で、ちゃんと写ったかどうか、心配である。 この時池端1号さんもそこそこ長い髪なので、二人でふすまを開けるシーンを撮る。題して「ようこそ、貞子の店へ」で、ちょっと笑える。今回は何故かあまり怖くなかったな。
夜中に池端1号さんに、モデルガンだがガヴァメントの使い方のレクチャーをする(しかし何故これを持ってきている? 自分)。フィールド・ストリッピング程度は簡単に出来た方がいいと言う事で、結構真面目に分解組み立てをしている。意外とこの子はのめりこむタイプのようだし、飲み込みも早い。この辺は若さなのか本人の資質なのかは不明だが、若いだけでは器用に扱えないのは間違いない。 ちなみに実際に本物も撃ってみたいというので、新婚旅行でグアムへ行くべきだとアドヴァイス。 隣で池端さんは、母親の心配そうな目になっていたぞ(親を心配させるんじゃないっ)。
気がつくと、隣の深刻部屋では色々な話をストーブがないのに熱く語っている。 その中で、みちのくSF連合の同窓会が出来たらいいな、という話が出て、やるなら早いほうが良いと言う事になる。実際色々と会えなくなる可能性が徐々に高くなっているのだから。来年10月くらいに開催できるといいのだが。特にまさあきさんが参加できる形態にしたい。彼はみちのくSFコンヴェンションの恩人なのだ。
そしてPCの指紋認証の話題になる。 菅野さんのPCはこれが付いているのだが、寒くなってから認証されなくなったとの事である。色々と考えるとどうも寒い時に認証し難いらしい。もし仮に冷え性が原因なら、認証時に手を温めれば良いので、やってみるとの事だ。 つまり日本人の拝むという行為である。PCを使う前に拝みながら手を温めた後、おもむろに認証センサーに指を当てつつ、動いてくださいと念じるのである。傍から見たら、神サマに拝んだ後でPCを稼動しているように見えるのだ。
ちょっと冷えたので大部屋に温まりに戻ると、徹っちゃんと池端1号さんが何やら深刻な話をしている。 どうも学校での男子の話らしい。まああの年代では、オタッキーな男の気持ちと言うのは理解しがたいものがあるかもしれない。特にそれがエロゲーやメイド関係では尚更だろう。私でも理解し難いくらいだ。でも彼女にはそういうものを引き寄せるオーラがあるのかもしれない。がんばれ、若者!
また冷たい部屋に戻り、結局寝たのは5時を過ぎていたのだった。年寄りにはきついぞ。
またも訃報だが、仲谷昇氏が亡くなったそうである。 「天下御免」では田沼意次の役をやっていたし、「カノッサの屈辱」の教授役は、なかなかいい味を出していた。しかし岸田今日子氏と結婚していたとは知らなかった。ゴジラの昭和29年に結婚、53年に離婚だそうである。 こういう自分の知らない経歴は、亡くなった時点で始めて判ったりするが、実はこういう経歴というのは、その人の作品に深く結びついている事もあり、本当は分析する時に必要なのである。 私生活と作品は関係ないという人もいるが、それは間違いだ。その人の人生が作品に影響しない事などありえない。もしあるとすれば、それは評論に値しない作品なのである。
ところで先日亡くなった石川賢氏だが、mixiのコミュに遺族(息子と娘)が葬儀の案内と挨拶を書き込んでいた。これは数年前には考えられなかった行動である。もちろんこのコミュに書き込む人はマトモなファンがほとんどのようなので出来る事だ(そうでなければ荒れるだけなのだ)。 ネットは便利だが、なかなか厄介な内面も含んでいる。そもそも私には、荒らしをするような連中の精神構造が理解できない。精神的に弱い人間だとは判るが…。
いずれ石川氏のコミュは正常に機能しているという事だ。
さて、連日帰宅が24時過ぎなので、ESIFCON用の企画をまとめる時間がない。困ったものだ。ちょっとやってみたい事があったが、今回は無理だ。せめて「ウルトラヴァイオレット」だけでもキレイにまとめたかったのだが、行き当たりばったりでやるしかなさそうだ。
石川賢氏が亡くなったとの事だ。もちろんゲッターロボの作者だ。
58歳だが、突然死のようだ。まだまだ現役で素晴らしい作品を発表し続けているだけに非常に惜しまれる。これでもう「ゲッターロボ・アーク」の続きを読む事は不可能になった訳で、仮に誰かが引き継いだとしても、読みたいのは「石川賢氏のゲッターロボ」なのである。
安らかにお休みください、等という言葉は今は使えない。どうしてもっと長生き出来なかったのか、それが残念で仕方がないのだ。
いずれ近いうちに「完全版・ゲッターロボ全集」なんてのが出るかも知れない。今までのは持っているが、やはり亡くなってしまってからの全集なら欲しくなるだろう。彼の最大の功績なのだ。
今のマンガ界にとっては大きな損失だ。非常に残念である。
2006年11月15日(水) |
「いじめ」では軽すぎる |
物理的に不可能な量の仕事が来た。 もちろん土日はESIFCONなので、出る訳には行かない。しかしどうしてこの会社はこんなに計画性がないのだろう。だから赤字体質が改善されないのだ。 ちなみに十勝沖で地震があり、津波の警報や注意報が出たらしい。会社に24時までいると、そんな事にも気づかないのだった。
ところで武田鉄也がいじめ問題について、いじめられる側にも問題ありという主旨の発言をしている(石原都知事もそういうことを言っているが、彼の場合はいかにもと言う感じで、元々がそういう奴なのだし、それを選挙で選んだ訳だし)。
武田鉄也は昔から偽善者だと思っていたが(そういう人間が演ずる金八先生というのは偽善のカタマリであり、大嫌いなのだ)、これが証明されてしまった訳だ。そもそもこういう事を言ってしまったら、いじめる方、つまり加害者に免罪符を与えることになると何故気がつかないのだろう。これに気がつかないからバカだと言うのだ。
いじめというのは簡単に解決するような問題ではなく、ケース・バイ・ケースで根が深いのである。そもそも「いじめ」という言葉が本質を軽く見せている。 現状は、加害者が楽に社会復帰できるよう大切に扱うという考え方が問題なのであり、現実の状況、現場の苦労も知らないバカな俳優が自分の役柄を勘違いして簡単に公共の場で発言する、そしてそれを簡単に公表するマスコミのバカさ加減が問題なのだ。
2006年11月14日(火) |
VISTAは車かPCか |
会社で監査があった。 ところが工事関係で書類の不手際があり、2ヶ月間処理していなかったのだと言う。それを明日から我々が整理しなければならないのだが、なぜ事務にやらせないのだろう。そもそも本来は事務の仕事なのだが。 それでなくとも営業の不手際で、こちらはオーヴァーフローだと言うのに…。
それはともかくとして、WINDOWS VISTAの起動音が公開された。 今回はロバート・フリップ翁が担当したのだが、どうも彼っぽい感じがしない。言われていてすらピンとこないくらいだ。これだとWINDOWS 95のブライアン・イーノの方が、よほどソレっぽい感じがする。 そもそもフリップ翁はマック使いである。いいのか?
現在WINDOWSの起動オンは下記で聞ける。 http://www.winhistory.de/more/winstart/winstart.htm
2006年11月13日(月) |
海底軍艦も音楽が魅力的 |
ちょっと「海底軍艦」について調べていたら、「超星艦隊セイザーX」というテレビ番組の映画版に「轟天号」が出ているという事が判った。しかも「ゴジラ FINAL WARS」の物よりも、初代に近いのだという。これは見る必要がありそうだ。 なにせ「ゴジラ FINAL WARS」の「轟天号」は、その砲塔などがあまりにも初代からかけ離れており、私としては気にいらない。あんな形では空を飛ぶというイメージが崩れてしまうではないか。全体のフォルムが近いだけに、なおさら惜しいと思うのだ。 神は細部に宿るのである。
さて。 会社に来た生命保険のセールスが、ネットで応募するとiPodが当たると、チラシを置いていった。 どうせ当たる訳もないが(市内で1台だし、この手のは裏があるのだ)、昼休みに「iPodが欲しいから応募しようかな」と言ったら、「iPodをもらってどうすんの?」と言われた。話を聞くと本当に音楽には興味がない、というより全然聴かないのだそうな。音楽を聴かない人って、本当に存在する訳だ。 しばらくして、「まあ音楽を聞くと精神衛生上良さそうだけど」と言うのだが、別に健康に良いから音楽を聴いている訳ではない。当然ながら、好きだから聴いているのだ。
なんでも実利に結び付けないと理解できない思考回路って、虚しいなぁ。
2006年11月12日(日) |
ESIFCONの準備 |
来週はいよいよESIFCONである。 とりあえずタイヤの交換をしておかなければならないのだが、どうも天気が安定しない。午後になって、とにかく濡れてもいいからと作業を始めたら、小降りから晴れとなって、無事終了。空気圧の調整をしてもらいにスタンドへ行くと、帰る頃に土砂降りになった。つまりかろうじて運が良かったという訳だ。
昨夜はなんだか何もやる気がなくなったので、突然映画を見始めたらこれが止まらなくなってしまった。 まずは「東京湾炎上」、続いて「ワイルドバンチ」を見て、「イノセンス」である。脈絡がないが、なんとなくこんな流れになってしまった。なぜこんなに見てしまったのかは、やはり「東京湾炎上」のラスト近くのセリフが良くなかったためである。
これは、ゲリラがタンカーに仕掛けた爆薬がタンク内に落ちてしまい、自衛隊が特殊装備を用意して駆けつけた時、藤岡弘に向かって「君、潜ってくれたまえ」と本当に唐突に言って、それに対して彼もすかさず「はいっ」と返事をして潜ってしまうというものだ。別に藤岡弘は自衛隊員でもなければ、タンカーの船員でもない。単に中東で石油採掘の仕事をしてきたというだけの事だ。ここは自衛隊員がする事だろう。
この一言でなんだか口直しが欲しくなってしまい、こんな時は「ワイルドバンチ」の、特にラストの大殺戮シーンを見るに限るのだ(そのうち何人死んだか数えてみたいものだ)。その流れで、死んだパイクが腰に付けたまま最後まで使わなかったコルトS.A.A.のアップが来ると感動する。たったこれだけのワンショットで西部開拓時代の終焉を見事に表わしており、ある意味で古きよき時代、コルトS.A.A.同士の決闘でケリがついた時代は終ったと言っているし、それは映画界についても同じだという事を表明している。
そして「イノセンス」は、やはり素子とバトーの恋愛映画である。これは「パトレイバー2」と同じ図式で、メインの話が違うところにあるように思わせて、実は恋愛映画だという作りになっているのだ。惜しむらくは色々な映画のワン・シーンを真似ているため、どうしても興醒めしてしまう。これは実に惜しい。
という訳で、今日はなんだか眠いのであった…。
夜はいわさきさんとESIFCONの打ち合わせ。 今回は菅野さんも準備の時間がなく、結局いわさきさんに色々とお任せする形になってしまい、なんだか申し訳ない(やはり有給すらマトモに取れないというのが、問題のひとつではある)。 企画の「ウルトラヴァイオレット」の解説は、どの程度まですればいいのか、ちょっと迷っている。というのも現時点で見ているのは私といわさきさん、チュウジさん位のものだからだ。やはり映像をある程度見ていないと、解説しても意味が判らない部分が大きいだろうからだ。ましてや日本の特撮やアニメ等との比較はかなり難しくなる。 しかし「リベリオン」のDVDが見つからない。一体どこに埋まっているのだろう。困ったものだ。
今月の始め頃に報道されたが、9月に陸上自衛隊玖珠駐屯地(大分県)の武器庫から64式小銃や拳銃などが紛失した事件は、結局どうなったのだろう。今の日本で銃器が紛失するなどとんでもない事なのに、見つかったという情報は流れていないようだが、各メディアはニュースとして価値がないから、追いかけていないのか? それとも見つかったから、問題なしという事でニュースにしないのか? いずれにせよ日本の報道は、長期に渡るニュースの結果を報道しない傾向が強い。だからどんなに大事件でもあっさりと忘れ去られてしまう。 事件は風化するのではなく、風化させられているのだ。
などと憤りつつ、「スター・ウォーズ」のDVDを買った。もちろん公開一作目の、通称エピソード4である(この呼称は好きではないが)。 実はLDのボックスで、旧三部作とデジタル・リマスターの三部作は持っている。今更DVDのソフトなど買っても仕方がないのだが、なんと今回のソフトは「1977年の劇場公開版」(日本は1978年公開だ)と「劇場公開時の吹替えヴァージョン」が入っているので、ただそれだけのために買ったのだ。
確認したら、本当にオープニングに「エピソード4」の記載はなく、1978年に観たまさにオリジナルの劇場公開版である。これは素直に嬉しい。 そして吹替え版だが、当時は初公開時ではなく、ルーカスの意向を受けて子供たちも見られるようにと1980年の再公開時に作られた物だ(本当は「帝国の逆襲」の公開にあわせて旧作を見られるようにという、実に商売上手な戦略なのだ)。 声は奥田瑛二、森本レオ、森田理恵という布陣で、あまりうまい訳ではないが、当時これも観に行ったので(ガラガラだった)、記憶の補完が出来てありがたい。ただしこの吹替え公開版は、オープニングのあの文字も日本語だったのだが、それは収録されていない。デジタル・リマスター版は日本語吹替えにするとオープニングが日本語になるのに…。 そういう欠点もあるが、この価格(3,000円以下である)でここまでやったのだから、よしとしよう。
そう言えば、LDソフトで最後の意地を見せた高画質高音質の作品が「スター・ウォーズ エピソード1」である。 映画の出来はともかく、できればエピソード3の公開後に限定で良いからLDボックスを出して欲しかった。それほどに素晴らしいスペックだったのである。中身もちゃんと劇場公開版で、DVD版とは全然違っている。しかもこのLDは、日本のみの販売だったのである。スペックだけを考えると、究極のLDソフトを出したものだと感心したものだ。 比較的若い映画ファンだと、「エピソード1」の劇場公開版はLDソフトでしか観られないという事は知らないだろうし、ここまでDVDソフトが普及すると、本来の劇場用作品があったという事すら忘れ去られてしまっているのだろうと思う。 まあそれでもかまわないという程度の出来ではあるのだ、「エピソード1」は…。
来年の事を話すと鬼の撹乱…、ちょっと違う…。
待望の「ウルトラヴァイオレット」のDVDは1月1日発売。こんな日にソフト・ショップ、量販店などは開けているという事か? 大変だなぁ。それなら12月31日発売としてもらった方がマシではないのか? 実際は前日に入荷するのだし…。
またもキング・クリムゾンが活動を開始するらしい。そろそろフル・アルバムの製作に入ったらしく、そうなると来年あたり来日で、また東京まで見に行かなければならないのか? それは楽しみだが、金がないなぁ…。 ちなみに前回の来日時は「リベリオン」公開の年で、実にいいタイミングだった。これもめぐり合わせというものなのだろう。
アオシマの新世紀合金シリーズは、ついに「メーサー殺獣光線車」を出すようだ。しかも劇中の電飾を再現するとかで、これはもう恐ろしい価格になるだろう。でもこれに関しては、劇中で活躍するのが二台なので、やはり二台欲しいと思うのは当然の流れだ。一体いくらで販売するのか、非常に見ものである。 でも買えるかどうか、非常に不安だ。多分買えないと、絶対に後悔するだろうし…。
いよいよウインドウズも1月末にビスタが発売となる。 うちの機械は、OSは2000なのでまだ使えるが、機械自身のスペックがそろそろ限界である。だがここにきてペケピーなど買う気もない。来年はゆっくりと次の機械を考える事になるだろう。
なんだか意味もなく書いてしまったなぁ…。
アメリカの空母が入港するのを阻止しようとする人たちがいる。彼等は「空母の入港は北朝鮮を挑発する事になり、対話が出来なくなる」と、一見マトモに見えるような事を言っている。 だがこういう事を言っている彼等は、「私たちは国際社会に関しては不勉強です」と公言しているようなものだ。あまりにも不勉強であり、むしろ無知蒙昧と言った方が良さそうだ。 これはもしかして、必修科目の世界史を勉強していないと言う証拠なのかもしれない、などと思ってみたりする。
そもそも北朝鮮が現在恫喝している相手がどこの国なのか、それが判っていない。北朝鮮と言えども、99%はバカかもしれないが100%完璧なバカという訳ではない。だからアメリカを現在の核技術で恫喝したところで相手にされない事は充分判っているはずだ。 ではどこを恫喝しているのかと言えば、中国である。
核が一発あれば、どんな方法であれ中国国内にで爆発させる事は可能だ。アメリカなどは高性能の長距離ミサイルがなければ絶対に不可能だが、中国の場合、簡単なミサイル、あるいは片道飛行の爆撃機、またはトラックだろうが列車だろうが(へたをすれば人力でもいい)、とにかく運び込む事は難しくない。 それによって中国からガソリンや灯油、食糧をせしめるのである。なにせ9月から先、中国は北朝鮮向けのパイプ・ラインを閉じている。冬に向けて北朝鮮もそうとうに焦っている。もはや中国を直接脅すか、自分達から少し折れるか、どちらかしかないのである。 だが中国は胡錦涛政権がようやく政府の中枢を掌握できる状態になったので、これ以上北朝鮮の恫喝に屈するつもりはないと決断できた。流石の北朝鮮も時期が悪く、ある程度折れるしかないのだ。
つまり、いくらアメリカの行動を批判、阻止しようが、何の役にも立たないのが現状なのである。
2006年11月08日(水) |
バカは死ななきゃ治らない |
今年度の支店の赤字が決まりつつあるようだ。 何故判ったかと言うと、突然以前の上司が「客へ各種書類を送るのは切手がもったいない」という、実に意味不明の事を言い出したからだ。一体このオッサンは何を考えているのだろう。以前から時々社会常識から逸脱した言動が多くて困っていたが、思いつきのバカ提案は止めてほしいものだ。
じゃあ注文書や請求書の類はどうやって客に渡すのだろう。毎日都合よく営業が行く訳はないし、行かせたらそれこそ経費の無駄になる。こういう時、どうすればいいのかと尋ねると必ず「自分で考えろ」とい言うのだが、これは例えば「スーパーで買い物をしても金を払いたくないから、対策を考えろ」と言っているのと同じなのだ。やりたくても無理な事があるのだ。
そもそもこの人は、以前から経費を切り詰めようとすると、切手とか電気とか、どうでもいい事ばかり熱心に倹約しようとする。この手のはいくら倹約しても限度があり、計算すれば年間でどこまで浮くのか簡単に判る。 そしてこれよりももっと大きな問題がいくらでもあるのに、平気で接待費は私的流用をしている。バカですな。
2006年11月07日(火) |
ヘタな文章も数撃ちゃ当たる |
数を書いても、実は上手くなっていないのだが…。
昨日の日記を読み返してみると、最初に考えていた事の半分くらいしか書けていない。やはり勢いで書くとだめだと言う証拠なのだろう。こういう時、まとりさんあたりだともっと読みやすくて整然とした構成の文章が書けるのではないかと思ってしまう。 まあ、たまにはこういう激情型も良いだろう。とか言いつつ、普段から思いつきで書いているのだが、思いつきだからなんとなく続いているのだろう、私の場合は…。
ところで先日、雑誌「ロッキング・オン」買った。 今回は「渋松対談」が今ひとつ面白くなかったのだが、なぜかキング・クリムゾンの歴史をまとめていたので、一体この雑誌かどういうつもりでまとめたのか興味がわいてしまったのである。そもそも渋谷氏はプログレが嫌いなはずだが、書いたのは違う人だからいいのか。というか、何故この本で今ごろ? でもこの内容は、明らかにクリムゾンのファンで、なおかつ歴史を知っている人に向けて書かれたものだ。過去のメンバーへのインタビューを中心に、ファンには判りやすい構成と言えるだろう。
などとほのぼのしていたら、「THE ART OF MIKE TRIM」が出たという情報が入ってきた。 早速アマゾンで調べたら、3,195円だった。これは近いうちに買わないといけないが、しかし今の時代に良くこの人の画集などが出たものだ。 ちなみにMIKE TRIMは、JEFF WAYNE'S MUSICAL VERSION OF THE WAR OF THE WORLDSのアルバム・ジャケットでMARTIAN'S WAR MACHINEを描いているが、一般的には謎の円盤UFOのSIDなどをデザインした人と言った方が良さそうだ(どこが一般的なんだか)。
やはり趣味の世界は好景気なのだろう。とんでもない物が次々と出ている。悔しいなぁ。
先日買った文庫、「朽ちていった命−被爆治療83日間の記録−」(NHK「東海村臨界事故」取材班)を一気に読み終わる。 この事件は、非常に重大な事故なのにどうも世間一般の目が別のところにずれていったし、そもそも感心が薄いように感じたのだが(もしかしたらミス・リードが上手かったのかもしれない)、一部の週刊誌に治療の写真が載ったのを見るまでもなく、とんでもない重大災害だったのだ。それをNHKはどう取材したのか、という事で一気に読んでしまった。
まず、亡くなった人には悪いが、そもそも彼らは事故の加害者でもあるのだ。あれだけ危険な業務に従事しながら、その認識が薄かったというだけで、充分犯罪に等しい。 大内氏の場合はこれが初めての作業であり、未失の故意どころか未必の故意すら問えないだろう事は理解できる。しかし一歩間違えば、周辺住民が全員同じように被爆し、同じように悲惨な死に方をしたかも知れないのだ。それだけは忘れてもらっては困るし、もちろん大内氏達以上に彼等の上司、会社の上層部の責任はもっと重い。
それらを認識した上で、やはり彼等も原子力行政の被害者でもあるというのは正しいと言える。だからこそ事件の全貌を改めてきちんと見たいのである。とても世界で唯一の被爆国で起こった事件とは思えないほど、世間の認識は甘すぎる。 そして亡くなった彼等の遺体写真は是非とも公開すべきだろう。被爆するという事は、生体をたった二週間でこんなにも変えてしまう。放射線事故というのは不自然な事象だという認識を日本人は持つべきだし、全人類も同じだ。それを極秘扱いにするというのは、原子力政策の傲慢さの現われである。
しかし日本のドキュメンタリーとは、どうしてこうウェットなのだろう。こうしなければ、一般の人はその危険性が判らないというのだろうか。だとしたら、人間とはなんと想像力が欠如した生き物なのだろうと思う。 私はもっと淡々とした事実が知りたい。こういう本も必要かもしれないが、やはり事実の報告には感情の表現は不要だ。それはミス・リードに繋がるだけである。 多分この本を読んでしまうと、普通の人には亡くなった人を攻める事は出来なくなる。それほどに重い、悲惨な内容なのだ。それが判っているからこそ、ウェットな描き方は卑怯だ。これでは客観的な事故の評価は難しくなる。
現在の原子力行政には、危機管理意識がない。全くのゼロと言ってもいい。 今回のように20シーベルト以上を浴びたと推察された場合、LDは100、確実な死である。至近距離での臨界状態の被爆では100%確実に死ぬが、個別の違いはその時期が早いか遅いかだけである。 だがそんな状況のマニュアルを現在の日本の役所が作れる訳もない。日本では昔から、「対応できない事は、起こらない事として処理する」風潮がある。それは役所だろうが民間企業だろうが変わらない(起きてから考える、というあれだ)。 しかし原子力では、その影響が人知を超えて大きすぎる。遺伝子が破壊されてしまったら、新しい細胞が作られないのだから、治療は不可能なのだ。
事なかれ主義のおかげで、医療機関の人ですら、被爆という事に無知になってしまう。結局緊急時に大量の被害者が出てしまったら、医療としての対応は現時点では絶望的だ。今回の被爆事故では、東大病院がその全能力をあげて「たった一人を担当」してすら救えなかったのである。一度に数十人の被爆者が発生したら、多分全員が早々に死ぬ事になる。 今回の事故は、初めから救えないと判っている患者をどこまで治療するか、という非常に重大な問題も提示した。あの状態では、現代医学で救える可能性はまったくのゼロだったのである。いかに延命するかだけが目的となって、それが果たして患者のためになるのかどうか、現場の医療関係者にその命題を冷たく突きつけたのだ。
繰り返すが、被爆事故というのはあまりにも不自然な状況である。日本の発電事情が原子力に頼っているという現在、やはり誰も真剣に考えていないというのは、異常過ぎる。大量の放射線による遺伝子の直接破壊というのは、現時点では修復が不可能だ。だから予防措置が必要なのに、その対策はないに等しい。 それを恐ろしいと考えないのだろうか。
あとちょっと気になったのは、カルテの正確性は現在の日本では望めないという事がある部分から類推されるのだが、本当にそれでいいのだろうか。 患者や家族のためとはいえ、意図的に内容をごまかしているのはどうかと思うのだが、被爆という物の前には、それは些細な問題になってしまうのだろう。
あまりにテーマが重いので、単に書きなぐってしまったが、とりあえずはこの本を読む事は無駄にはならない。悲惨な内容だが、お勧めの一冊だ。
今日はストーブを買いに出る。 今まで使っていたシャープの物は、灯油をタンクから吸い上げて本体へ送り込むシステムのため、省力運転になると送り込みが不足するのか、しょっちゅう止まってしまい不便な事この上なかった。先週あたりから色々調べてさんざん悩んだが、結局はコロナのノーマルで小部屋モードのある物に落ち着いた。
某量販店で聞いた話では、消臭に関してはコロナが一番確実で、同タイプの他メーカーの物は、元々臭いが強いので、消臭システムが付いてもやはりコロナよりはきついとの事だった。問題はアラジンの性能が判らないという点だが、まあここにきて悩んでいても仕方がない。 ちなみに吸い上げタイプの灯油タンクは、中身を抜くのも一苦労である。その構造上、傾けて出すとどうしてもこぼれてしまうのだ。なかなか厄介なタンクである。
午後はゼロ・エックス号やレスキュー・イーグルの写真を少し撮ってみた。 さすがにゼロ・エックス号は場所を取るので、いずれは屋外での撮影を試みた方が良さそうだ。レスキュー・イーグルも、ノーマルのイーグルと並べると、流石に場所を取る。遠近感を出すためのコナミのイーグルなど、置く場所すら作れない。 しかしゼロ・エックス号が大気圏を離脱した後の姿というのは、ほとんどただの棒で、妙にマヌケである。これは初めて映画を見た時に結構がっかりしたものである。まあ宇宙空間に翼は不要だけれど、やはりデザインとしてもう少しアクセントが欲しいものだ。
そろそろESIFCON用に「ウルトラヴァイオレット」の企画用原稿をまとめ始める。 ただし使える映像がyoutubeしかない。ソフトの発売は2007年1月1日なので、当然間に合わないのである。映像なしでは話にならないので、一部youtubeからの映像を利用するつもりではあるが、編集が出来ないのだから、自ずと限界はある。どうすれば面白おかしくできるか、なかなか難しい。 最悪の場合は完全に割り切って、本当に自己満足の説明だけになるかもしれない。それでもおそらく日本で一番詳しい内容になるという自信はある。誰もそこまで真面目に見ていないからだが…。
2006年11月04日(土) |
機械にはメンテが必要 |
昨夜はNHKスペシャルの再放送、「サイボーグ技術が人類を変える」を見た。 流石はNHK総合、相変わらずの舌足らずと説明不足かつ演出の甘さが見られるが、サイボーグ技術の現状についてはある程度判った。 理論的には判っていた人間の脳に直接干渉して、パーキンソン病による症状の発現を抑える治療を、もう2万人以上の人が行っていたというのにはちょっと驚いた。脳の悪い部署が判ればそれを直接制御するところまできている訳である。 あるいはマウスの脳に直接干渉して行動パターンを決めるのも、可能だとは判っていても、実際に出来るようになっていたのには驚く。 今回もっとも驚いたのは、腕を動かす神経の動きをトレースして脳波を解読、腕の動きから物を動かすようにしたところ、腕を動かさずとも脳波だけで動かせるようになったという事例だ。これで脳の適応の凄さも判る。
こういった技術の紹介はとても素晴らしい未来を示している。ただし立花氏は例によって、悪用云々というが、悪用とは地位と権力のある人間が考える事だ。軍隊はその典型だが、本来科学者はそういう事をあまり考えない。むしろその分野での第一人者になる事を切望するものだ。優秀な人間ほど、悪用などしているヒマはないのが普通だ。悪用するのは、ほとんどが文系の役人、政治家なのである。
ただ、ある意味想像だけでマシンが動くという事について、法曹界は早めに対応策を考えておいた方が良い。想像だけで人を殺すという事態が起きる可能性があるのだ。実際に起きた時に動き始めるのでは、明らかに遅すぎる。法曹界の動きが遅い事例では、必ず悪用する奴が出てくるのだ。 しかも法律の改訂には恐ろしく時間がかかるし、そもそも有効な改訂となる保証はない。過去の例でも、時代に合わせた改訂が迅速に行われた試しはない。
そう言う事を考えつつも、実は今回、かなり気になる事があった。盲目の人が人工眼を装着したケースについての部分が、どうもすっきりしないのだ。 あまり気になったので、番組終了後ネットで調べてみたのだが、やはり番組ではほとんどのインタビューが放送されていなかった事が判った。もちろんああいう番組では、インタビューの一部しか使用しないのは当たり前だが、これに関しては、放送局の狙いとずれている部分がほとんどカットされていたように感じる。
あれはある意味で不幸な失敗の事例なのだが、それをもっときちんと紹介するべきだったろう。 アメリカドルで8万ドル(彼はカナダ在住なのでカナダドルで13万ドル)も支払っている。申し込んだ時に彼が選ばれたのは、確実に金を支払うという部分で決まったらしく、これではNHKも放映しにくいだろう。 しかも手術後半年で調整するはずが、その前に研究所の所長が「高齢のため」に死んでいるのだ。つまり今回はどうもだまされたような事例なのである。そしてきちんとした研究所でメンテナンスが受けられないと、かなり悲惨な事になってしまうという実例でもある。 なにせ目の接続の左右を間違えると意識を失うのだが、その間違いをそこの所長がやったというし、その防止対策を所長本人が嫌がったというのだから、なんだか能力を疑ってしまう。また接続ケーブル1本に傷をつけると、交換に1,000ドルかかるというのも異常だ。 そして現在、あの格好でアメリカを歩くと、バッテリーなどの装置が大きいため、自爆テロ犯と間違えられて射殺される恐れもあるとの事だ。そもそも現在の技術なら、もっと小型高性能の機械が存在しているという。つまり彼は自費で人体実験をさせられたといってもいいのである。 サイボーグとは機械を使用しているのだから、メンテナンスが出来なければいずれ機能しなくなるのは明白だ。 そこまで問題が山積みなら、誰かが支援しても良さそうなものなのに誰も助けようとはしていない。結局本人は、手術前と状況はあまり変わらないと言っている。
多分プロデューサーはここまで放送したかったのだと思う。だがそれでは「科学技術は素晴らしくなんでもできて未来はバラ色の可能性が大きいが、悪用されたらとんでもない事になる」という主旨から外れる恐れがあると思われたのではないだろうか(そもそも脳に直接手術など、失敗例も多かろうに)。 天下のバカNHKだから、そういう事態も充分考えられる。スタッフがどんな番組を作ろうと、放映決定権を持っているのは、世間の風が全く読めないトップなのだ(ここ20年ほどのバカさ加減は、明らかにトップに由来する)。
朝日新聞で連載した「カラシニコフ」も、連載時と単行本では主旨がまるで正反対になっていたという事例もあるし、マスコミにおける現場とトップの意識の乖離は、計り知れない所まで来ているのだろう。
今日は全国的に休日である。働いている人も沢山いるが、カレンダー上は休日である。 とりあえず私も休みだ。でも今日は、壊れかけているストーブを買い換えるための下見などであちこち動いているうちに終ってしまった。
今日は、あるストーブを中心に見ていたが、店によって価格はまちまちだ。やはり物によって得手不得手があるのは当然だが、ここまで差があると簡単には無視できない。まあ商品を販売するとはそういう事なのだが。
夜は例によってyoutubeで「ウルトラヴァイオレット」の映像検索。 今日はたった3秒だが、カットされたシーンを発見。例の司書室でポーズをつける時に、回り込む映像も撮られていたのだ。だがこれを入れると展開の流れが完全に止まってしまうのでカットしたのだろう、と思う。別にあってもいいような気もするのだが。
合間に「サンダーバード・テーマ・リミックス」を聞く。これはサンダーバードというより、当時のITC配給作品のテーマをハウス・ミュージックにアレンジした物だ。 内容は、かなりのマニアでないとちょっとつらいかもしれない、という程度の出来だが、スパイ物のテーマはそれなりになんとか聞ける。これはあまりオリジナルをいじっていないせいだろう。
でも日本で作ったライナー・ノーツは、贔屓目に見てもかなり酷い。恐らく作品もほとんど知らないまま書いたのだろう。全然説明になっていないのだ。 作品名の表記も「UFO」はちゃんと「謎の円盤UFO」になっているのに、ほとんどが原語をそのままカタカナにしただけで、「プリズナー」はまだしも「アヴェンジャーズ」「デンジャー・マン」「デパートメントS」「パースエイダーズ」はないだろう。 これではマニア以外は、一体何の番組か判らないという人も出てくるのは当然だ。もちろん曲を聴けばすぐに判るのだが、今回のようにハウス・ミュージックにアレンジされていると、物によっては判らなくなる可能性もありうるのだ。やはり商品という物は、それなりの知識がある人、あるいは依頼すればすぐに調べてくれる人にまかせないとダメだ。
ちなみに「アヴェンジャーズ」は「おしゃれ○秘探偵」、「デンジャー・マン」は「秘密命令」、「デパートメントS」は「秘密指令S」、「パースエイダーズ」は「ダンディ2 華麗な冒険」である(「秘密諜報員ジョン・ドレイク」は、原題が「Secret Agent」になっている)。
しかしネット普及の影で、「○秘」のフォントが使えなくなっているというのは非常に不便だ。今回のように作品の題名に使われていると、かなり厄介なのだ。
という訳で、結局今日はゼロ・エックス号の写真が撮れなかった。明日もできるかどうかは判らない。さて。
2006年11月02日(木) |
ゼロ・エックスとイーグル |
昨日、以前治療していた歯がとれた。ここはかなり根元がヤバイので不安定だったのだが、そもそも、かぶせていた部分はほとんど歯の体積と変わらないほど悪い部分なのだ。やはり今日になって医者に行ったら、多少時間がかかりそうな雰囲気である。しかも金がかかりそうだし…。
でも昨日連絡のあったミラクルハウスの「ゼロ・エックス号」は引き取ってきた。箱は想像していたのよりは小さい。 しかし版権の都合だとかで、ゼロ・エックス号は「キャプテン・スカーレット」名義でないと出せなくなったというのも不思議な話だが、今回は限定版という逃げ口を作ってなんとかクリアしたようだ。テレビの「キャプテン・スカーレット」の第一話では、火星探索機に流用プロップとして映画のゼロ・エックス号を利用していたのだが、これが35年以上経過してから役に立とうとは、誰も想像すらできなかっただろう。
今回買ったのはもちろん「劇場版サンダーバード・ヴァージョン」である。これにはガンジャのミニミニ・モデルがついているが、本当にミニミニだ。というかチンケである。あってもなくても変わらない、というところだろう。 なお色については「キャプテン・スカーレット・ヴァージョン」の方が旧イマイのプラモの成型色に近いので、当時の気分に浸るという意味では、こちらも捨てがたい。できれば両方欲しいところだが、さすがにちょっと無理だ。
ちなみに、買いに行った模型屋(知ってる人はすぐ判る、卸町のあそこだ)は現在決算セールをやっており、ネットの特価と同じ金額で出している。つまり特定の商品が半額とかになっているのだが、その中には非常に困った事に「レスキュー・イーグル」も入っていたりする。 これは1年以上「買うた、止めた」音頭を踊りつつ悩んでいた商品なのだが、これで止めを刺されてしまい、結局買ってしまったのだった。我ながら呆れてしまうが、仕方がなかろう。 やはりイーグルのコンテナ部分は、赤のストライプがいいアクセントになっているのである。
今年ももうあと2ヶ月だ。今年度は5ヶ月あるが…。
またもいろいろなDVDソフトが出る。 今月は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」に非常に興味があるのだが、基本的にソフトが高いので、なかなか買えない。でも今回のS.S.S.は3億6千万かけたというから、ちょっとした邦画並みである。しかも監督、脚本が今までどおりの神山氏なので、期待するなという方が無理だろう。
しかしテレビ・シリーズだった攻殻機動隊S.A.C.は、一話あたりの制作費が3,000万だったとか。これはマイティ・ジャックと同じだ、という比較は何の役にも立たないが、とにかく破格の制作費だったのは間違いない。 実際それだけの金をかけただけの事はある、素晴らしい出来だった。もちろん絵が綺麗とか言う話だけではなく、脚本に金をかけた結果の素晴らしさだ。これは神山氏の手腕が素晴らしかったという証明なのだが、とにかく最近は、ここまで脚本をきちんと作った作品などなさそうな気がする。
そして夜になって、模型屋からミラクルハウスのゼロエックス号が入荷したと連絡があったのだった。明日、引き取りに行こう。
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