どんぐり1号のときどき日記
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本調子ではないが、月末は休めないので渋々出社。そしてハードな一日である。 1〜2日にかけても、かなりハードな事になりそうだ。 本来、組織というものは歯車が欠けても動くはずなのに、それが全然機能していないという事は、この会社に組織という概念がないのかもしれない、と思ってみたりする。
さて、そろそろ年賀状のデザインを考えないといけない。今年は何種類作れるのだろう。
風邪をひいたのか具合が悪く、15時で早退した。明日は月末で絶対に休めないのだ。
こんな事してないで、さっさと寝ろ、自分。
モデルグラフィックス誌を久々に買う。鬼も笑う1月号だ。 しかし細かい情報はこういう雑誌の方が見やすい。その細かい情報で、コナミの平成ガメラが再販されると知ったが、これは素直に嬉しい。なんとしても飛行形態ガメラが欲しいのだ。 実は平成ガメラの中でも、この飛行形態が非常に気に入っている。もちろんあのふざけた回転ジェットではなく、海亀のように両手を広げて飛ぶタイプである。手が変形するというのは反則だが、カッコいいから許してしまうというあたり、マクロスのヴァルキリーと同列か? しかしなんだか煩悩だらけである。
ガメラといえばカメラの話だ。 とりあえず買うのは普通のフィルムを使用するカメラで良いかと思っている。 ここで問題なのは、80,000円程するEOS7sにしてしまうか、もう2〜3年して満足できる一眼タイプのデジタル・カメラが出るまでのツナギとして、耐久性能が著しく劣るEOS Kiss 7にしてしまうか、これは非常に悩むところだ。もちろんホールデイングを考えると、EOS Kiss 7は落第点である。
ただ最近知ったのだが、EOS7sの測光範囲はEVA1〜20なのだそうだ。なぜEVA0にはしなかったのだろう。この部分は退化しているが、やはりAFのスピードを上げるためには仕方がないのだろうか。扱いやすいボディなだけに、これは残念な点である。
昼の前後に全国大学女子駅伝が市内で行われたため、道路がとんでもなく混んでいた。駅前に出ようとしたのだが、あまりの混雑に途中で挫折する。困ったものだ。どうして郊外でやってくれないのだと憤ってみたりする。
14時頃、実家に置いてある本で不要になった物をブックオフへ持っていく。20冊で800円也。まあそんなものか。 そろそろどうでもいい本は尽きてきたので、選んで泣く泣く処分していかなくてはならないだろう。基本的には、現在文庫で買えるハードカヴァーとか、まだ文庫で流通している本は諦めるしかないが、問題はまず二度と入手が不可と思われる本だ。またそういう本がやたらと多いのである。 こういう時は、国会図書館が利用できるエリアに住んでいる人が羨ましい。
そして夕方になってから駅近辺へ出たら、東口(つまり寂しい方である)の展示会場(これまた古いのである)で「中古のCDとLPの即売会」をやっていた。今日までである。 どうせ大した事はなかろうと立ち寄ったのだが、中に入ると「ファー・イースト」という文字がある。もしやと思って場内を一周するとこれが看板に偽りあり、ブートの嵐である。しかもCDだけではなくDVDも大量にあった。 つまり欲しい物があまりにも大量だったため、絞り込むどころの騒ぎではなくなり、とりあえずなんとなく目に付いた3枚だけを買ってくる。
1.MIKE OLDFIELD [ADVENTURE IN VIENNA] 1981年7月20日 2.GTR [A TWO HEADEA "STEVE SHOW"] 1986年9月12日 3.EGG [STEP BACK TO THE EGG] 1970年と1973年のライヴのカップリング
これは思わぬ散財である。 もちろんもっと凄い内容の物もあったが、当然価格も高くなるし、各種DVDも安くはない。夕方だったので時間もなく、非常に残念である。もっと早く気づいていれば…、もっと散財したのかもしれない。
ちなみに。 「MIKE OLDFIELD」は、ファンとして脊髄反射的購入なので仕方がない。本当は他に欲しいブート・アルバムが沢山あるのだが、ネットで調べるといつも品切れだったり、高価だったりでなかなか入手できない。まあそんなものだ。 「GTR」は、国内盤はもとより未発表アルバムも持っているという事から判るように、実は意外と好みなのである。彼らの「Imagining」は結構いい曲だと思うのだが、あまり話題に上る事はないなぁ。 「EGG」は1st、2ndとも持っているがライヴは聞いた事がなかったので、つい買ってしまった。やはりイギリスはこういう音源がBBCあたりに意外と多く残っていて、どこかの国の某NHKとは姿勢が大違いだと思ってしまう。
やはり昨夜は派手に飲んだ人も多かったらしい。ヘロヘロの人も何人かいる。 で、会社に来て寝ているというのは、どう考えてもおかしい。だったら休めばいいし、休めないなら飲むのをセーヴすればいいだけである。バカだねぇ。 そしてやはり今日は仕事にならなかった。色々と他の仕事に時間を取られてしまったのだ。
さて、「小惑星探査機はやぶさ」の最後のチャレンジは成功したらしい。まさに世界初の快挙であり、あとは無事に帰って来て、サンプルを大気圏再突入まで制御できる事を祈るだけである。 もっとも機体内部にサンプルを採集したという事を直接確認する手段は持っていないとの事なので、中身はまさに帰ってきてからの「お楽しみはこれからだ」である。
帰宅してビデオにとった「Blood+」を見る。 やはり52話という長丁場を意識しているのか、要らない部分が多すぎる。今回は予想通りのムダの多さだった。私なら密度を高めて半分の長さで話を進め、合間合間にサブ・ストーリーを入れようと考えるが。 しかしサブ・タイトルが毎回何らかの作品のもじりというのは、「攻殻機動隊S.A.C.」のマネだ。今回は「ファントム・オブ・ザ・スクール」である。しかもモロそれを意識した画面作りまでしている。 ある程度はお子様相手だから別にいいけど。
今日は会社の忘年会なのだが、25日というのは忙しい日なのに早く終われと無理難題を押し付ける。別に会社の宴会など出たい訳ではないのだから、無理して切り上げる必要などなかろうに。
ところで、しばらく前に私の使用しているカメラがダメになったと書いた。 この機種はEOS630なのだが、調べてみたら、EOS55以前のEOSでは、高級機を除き全てにその症状が現われているらしい。つまりある意味でEOSシリーズの欠陥ではないかと思われのだ。 これは具体的には、撮影時のシャッター幕の開閉が正常ではなくなり、画面の下または上1/3ぐらいが未露光になったり、完全な未露光になるという症状である。これで厄介なのは、撮影時のシャッター音は正常に聞えるので、現像するまで異常に気づかないのである。
原因は意外と単純で、「ダンパーゴム」とか「シャッターブレーキ」と言われるゴムの部品が、経年劣化というには早いスパンで加水分解されるためらしい。これが溶けるとシャッター幕について、作動不良を起こす訳である。 私のEOS630は見事にこの症状が出ているのだ。まだ対策部品は多少残っているらしいが、問題なのは修理費が2万近くかかる事である。そこまで出すなら、新品のEOS7sの購入を検討した方が良い。7万以上するけどな…。
さらに問題は、フィルムの供給がいつまで続くのか不明確なのだ。やはり世間はデジタルに移行しており、フィルムだけでなく現像する場所も減りつつある現在、銀塩は絶滅危惧種なのである。 困ったものである。
ニュースで「小惑星探査機はやぶさ」が話題になっている。 小惑星イトカワの表面物質のサンプル回収という前代未聞の快挙となるかどうかの瀬戸際であり、これはアポロでは人間がやった事を機械のみで行うと言う意味では、人類初のサンプル・リターンなのである。 チャンスはあと一回だというが、ぜひとも成功してほしいものだ。
そして実際にサンプルをどうやって回収するのだろうと思っていたら、「惑星間軌道からの直接大気再突入と回収」というとんでもない大技を披露する事になっている。これはすごい、すごすぎる。 さらに「光学観測による自律的航法」という事までやっている。油断していたら、アポロの頃の夢物語が現実になっていたのだから、それは興奮もしようというものだ。
おまけにこの探査機がイオンエンジンを主推進機関とした惑星間航行、つまりイオン推進だとは知らなかった。ヒドラジンを利用した通常推進の10倍である秒速30キロというスピードで飛行できるのだという。もうそんなところまで来ていたのには驚いた。やはり工学の世界は面白い。
まあどちらも人体にとっては有毒ではあるが、ヒドラジンなんかは戦闘機はおろか旅客機にさえ使われているのだから、今さら気にしても仕方がない程に社会に浸透している。航空宇宙産業とは、色々な意味で危険と背中合わせなのである。
仕事をしなければならないのだが、会社の前まで行くと、上司の車があるし、他にも何人か出ているようだったのでさっさと逃げ帰る。なぜなら仕事にならないのだ。休みの日に出て他人の仕事を手伝う気はない。 結局夕方になってもまだいたので、今日の仕事は諦める。困ったもんだ。
という訳で、近所の模型屋に寄ると新情報。 スペース1999のイーグルがまた出るのだが、1/35のプロップ・レプリカで、気になるお値段は、なんと134,000円である。しかも予約分しか出さないらしい。魅力的だがお値段が一桁違う世界だ。 ちなみに注文用のネット画像を見せてもらったが、非常に素晴らしい出来である。あ〜あ…。
その後、日産に行って新型ウイングロードを見てくる。 内部についてはなかなか良く出来ている。色々とリサーチしたところが出発点だというから、もちろん不満点もあるが価格を考えるとまあまあの作りだろう。 ただし試乗すると、やはり所詮は1500ccのエンジンでパワーが足りない。このクラスでは格段にフケがいいらしいのだが、やはり2000cc以上ないと私には不向きだ。この程度のパワーでは、荷物を積んだ時にきびきびした走りは期待できない
ちなみに現在乗っているレガシーは、3年目の下取り価格が約850,000円なのだそうだ。たまたま私の機種の下取り価格が高いらしい。さらに色がパールホワイトだと110,000円増しになるのだとか。まあそんな色は嫌いだから仕方がないが、雪で潰されて大急ぎで買った割にはいい物を買えたという事になる。 実際あの価格で、ヘッドライトがHIDとか、オート・レベライザー装備とか、ステアはMOMOだとか、結構お買い得ではあったのだ。 そして営業が言うには、5年目でも650,000円位にはなるらしい。ふ〜ん…。
しかしこの時期で窓を開けても走れるのだから、仙台は暖かいと言える。本当にいつタイヤを交換したら良いのだろう。
先日の日経産業新聞の一面にZガンダムのプラモの写真が載っていた。バンダイのガンプラの話である。 これを読むまで知らなかったが、現在ガンプラはすべて国産なのだそうだ。昔は確かに中国でも作っていたが、現在中国に出すと品質に問題があり、歩留まりを考えると最終的に国産の方が安くなるらしい。さらに国内の情報から昔の金型を用意して製品化するまで2週間もあれば店頭に並ばせる事ができるが、中国だと2ヶ月くらいかかってしまうという。 あえて人件費の高い国産にする事で、ビジネス・チャンスを的確に掴んで儲けに繋げるのだから、この辺はさすがである。
メールをチェックしていたら、1/18に「キャンディーズ/キャンディーズ・トレジャー」とかいうDVDが出ると載っていた。一応未公開ライブ映像という事になっているが、要は「見ごろ食べごろ笑いごろ」からの映像だ。ちょっと微妙ではあるが、やはり欲しいと思ってしまう。他の2人はともかく、ミキの映像が見たいのである。 でもこういうのが出るのであれば、「ステージ101」も出して欲しい。ミックこと西令子の映像が見たいのだが、「天下御免」の映像を消してしまうスカポンタンなN○Kが大事に保存してあるかというと、期待する方が間違っているという事にしかならないだろう。この「天下御免」の映像を消してしまうなど、万死に値するのだ。
そして今日はようやく「映画秘宝」を買ってきた。しかし雑誌でさえ読みきる時間がなくなってきたとは、本当に困ったものだ。ワーカホリックが上司だと本当に困る。いや、困るなどというレヴェルの話ではないな。
気がつくと今週末は忘年会だという。 こんな早い時期に忘年会というのも、なんだかなぁ、である。12月になると営業が得意先との宴会で参加できないからだというが、だったら無理してまでやる必要はない。そもそも酒を飲む事が楽しみのホーカホリックと宴会をしても面白い訳がないし、もはや会社の宴会で楽しむのは、企画をきちんと立てられる人材がいない限り、不可能なのだ。 会社の女性が、「酒を飲むと楽しいと聞いて飲んだけど、全然楽しくない」と言っていたが、当然である。本来は酒を飲みながら色々な話をするのが楽しいのであって、酒は目的ではないのだ。
と私は思っているのだが、実際世の中の一般的意見はどうなんだろう。気になってしまったではないか。 まあ私の場合、楽しくバカ話ができればそれが一番というタイプなので、酒にこだわりはないので何とでも言えるのだが。
さて、今日もムダに遅くなってしまった。 10時前に帰れれば、本屋に行って「映画秘宝」を買う予定だったのに、全然ダメである。その他にも色々と欲しい本が出ているのに、本当に買い逃してしまいそうだ。
今日も今日とて寝坊である。 昨晩は87分署シリーズの「耳を傾けよ!」をようやく読み終わったのだが、あの終わり方だと、どういう続き方をしてもおかしくない。まあデフ・マンだからどういう事になっても読者は納得するのだろう。 しかしアナグラムによる展開が主なテーマになると、英語が苦手な私には手に余る。つまりそれを解ける事が一般的な事かどうか判断できないのだ。犯行当日にキャレラが見抜くセリフは、画期的なのか良く考えれば判る事なのか、はたまたバカでも判る事なのか、そのへんの判断がつかないのである。 でも人間模様はかなり面白くなっているし、まさかオリーに惚れる女性が現われるとは思いもよらなかった。早く続きが読みたくなってしまうではないか。
そして日中は雑用とか本屋で雑誌を立ち読みしたりで、あっという間に終わってしまう。 ちなみに買った雑誌は「カメラマン」12月号と「レコード・コレクターズ」12月号で、本当は「ストレンジデイズ」も欲しかったのだが、売っていない。どうやら駅前の巨大書店でなければ入手は無理のようだが、ここ仙台でもそんなにマイナー扱いの雑誌なのだろうか。
今日買った「カメラマン」は、「2005年カメラ界ニューモデル斬り」という座談会が載っている。これは毎年今頃になると載る、「一年を振り返る」という感じの座談会なのだが、過去の情報を読んでいると、本音が非常に良く見えてきて面白い。 さらにキャノンに限っても、なぜキャノンの製品が他のメーカーより一歩先を行けているのか、あまりに中途半端な「EOS 5D」の存在意義は何だったのか、どうしてキャノンは「ダストリダクション」を装備しないのか、等の謎が判ってくる。そして店で触った他メーカーの不満点も見事に書かれており、やはり私の感覚は間違っていなかったと再認識できた。
こと普及機のデジタル一眼タイプのカメラに関しては、まだまだ銀塩カメラには及ばないのだが、ギリギリ普及機に入るNikonのD200が、あらゆる条件で写真を撮れるという点でようやく銀塩カメラに近づいてきたというところだろうか。普及機といえども、カメラ本体だけで20万ではあるが。 でもこの作りで、あとはダストリダクションのような装備が付けば、ほぼ完璧だろう。問題はキャノンがいつD200クラスの防塵防滴+ダストリダクション装備のカメラを出してくれるかだ。
夜はマイク・オールドフィールドの「Exposed」のディスク1だけを見る。 この「呪文」に関してはほぼアルバムの再現であり、あまり編曲はしていない。ただ彼の映像を見ていていつも感じるのだが、「オレはギタリストだ」という主張が必ず出てくる。このDVDでも同じだが、やはり彼にはギタリストとしての誇りのようなものがあるのかもしれない。 さて、今度の休みにディスク2を見る予定だ。こちらは「チューブラー・ベルズ」である。
2005年11月19日(土) |
今日は「Exposed」 |
今日も素仕事。やはりいろいろと矛盾を感じると、やる気が起きない。
そんな訳でさっさと引き上げ(それでも外は真っ暗だ)、HMVに行きマイク・オールドフィールドの「Exposed」を買ってきた。 DVD二枚組で4,190円というのも、映画が1,000円以下で買えるという現状を考えれば高いのだが、やはりファンとして彼の作品を買い逃す訳にはいかない。 現在までの国内盤はLDで全て持っているのだが、今後国内盤が出る可能性は低いので、海外盤を細かくチェックしていないといけなくなったという事だ。こういう場合、輸入版の音楽ソフトはリージョン・オールが多いので非常に助かる。その気になれば安いソフトも買える訳だし。
ちなみに今回のソフトはマルチ・アングルで収録されているという事なので、色々な意味で楽しみだが、このマルチ・アングルを有効に活用しているソフトというのも、あまり多くないのではないだろうか。私の所有するソフトではキング・クリムゾンに次いで二枚目になるという、それだけだ。 要は鳴り物入りでデヴューしたDVDだが、誰も本気でソフトの質を考えていなかったというだけの話だ。何度も繰り返すが、LD時代のパイオニアのソフトは本当に素晴らしかったのだ。
その後、子どんぐりのために小型ストーブを買いに出る。閉店ギリギリという時間だが、空いていたので楽に買い物ができた。やはり極端に混んでいる店というのは嫌である。私はイナカモノなのだ。
2005年11月18日(金) |
買わなければならない |
子どんぐりと東京に行ってからそろそろ二ヶ月が経とうとしている。キース・エマーソンからはもう一ヶ月が過ぎてしまった。早いものだ。
ところでマイク・オールドフィールドのDVDが出ているそうだ。 輸入盤の「Exposed」で、とりあえずリージョン・オールだから、日本でも見られる(何故か音楽DVDはリージョン・オールが多い)。しかしこれは出ているのを全然知らなかったので明日にでも探したいところだが、あいにくと会社である。仕方がないから日曜日にHMVなんかを回ってみよう。なにせデビュー当時からの付き合いなのだから。 ちなみに現在のところ私が一番好きなのは「The Essential」である。非常に荒削りだが、全体にリズム感が素晴らしく、特に「オマドーン」は傑作であろう。彼の音楽はそのリズム感が重要なのだが、どうしても曲の美しさに騙されてしまいそうになる。
さて、今日は金曜日だが、帰宅してから近くのコンビニへ「木曜日のリカ」の2巻目を探しに行く。 幸い売っていたので、即ゲット。しかし2巻目は「火炎同盟」(もちろんブレザーズと読むのだ)がメインで、「小熊のミーシャ」は影も形もない上に、どうやらこれで終わりらしい。なんだか残念だ。 しかし火炎同盟は、映画化しやすいようにも見えるが、テーマが現代向きではない。押井監督なんかが料理したら面白くなりそうなのだが、おばさん好きの押井監督では無理だろう。なにせリカが高校に「生徒として」潜入するのだから。 やはり3巻目を出して欲しいが、無理なのだろうか。
2005年11月17日(木) |
ムーン・イリュージョンな日 |
今日の月はムーン・イリュージョンだった。 たまたま福島支店からの帰りに高速から見たのだが、非常に明るく大きかった。雲から半分だけ出ていたのに大きく見えたし、全部が見えた時は、思わず見入ってしまうほどに大きく感じたのである。 でも車のフロントガラス越しに車内の物と比較するとサイズは普通の月と同じだと判るのに、月だけを見るととても大きく感じるのだから、やはり不思議だ。 綺麗で不思議だから、人は魅了されるのだろう。
ところで、はかせとmixiで第三種接近遭遇できた。いわさきさんの時もそうだったが、いざコンタクトしようとしても方法が良く判らなかったのだ(勉強不足なだけとも言う)。 私がmixiに加入したのは、みちのくSFファンダムのコミュニティが作られたからで、当初はそれしか考えていなかった。そもそも仕事が忙しすぎて、自分の日記をつけるのが精一杯という状態だったのだ。 それでも最近は徐々にネットを徘徊するようになってきたが、落ち着いて考えると、mixiで友人を増やしすぎると制御不可になるのが目に見えている。これははかせも書いていたのだが、同意見である。ただ単にお気に入り感覚ならともかく、やはり友人として登録するのならそれ相応の対応はしたい。そう考える事がmixiではマイノリティなのだろうか。 現在のシステムでは、50人以上の登録をしてしまうと、どう考えても一人で制御できる量を超えてしまうと思うのだが。
さて、mixiに登録されている人も、いずれは自然淘汰されていくのだろうか。
最近、DVDソフトがやたらと安い。 あの「2001」や「ライトスタッフ」などの傑作群が1,500円であり、最初のLDの1/10の価格だ。なんでも「サブウェイ・パニック」も年末あたりに1,500円ヴァージョンが出るらしい。このLDソフトは、持っている物自体が歪んできたのと、一昨年の物を買いそびれていたので大歓迎ではあるが、やはり待てば待つほど安くなるDVDというのもなんだか変だ。 そしてついに「ワイルドバンチ」などは700円を切ってしまったし、500円シリーズのソフト群もある。
大量生産で安くなると言うのは判るが、その価格でリマスター等はきちんとできるのだろうかと、少々不安になるのも事実だ。実際画質を犠牲にしているソフトも多々見かける。LD時代のパイオニアのように、良いソフトは良い画質で、と考えるソフト関係者は、結局少数派なのだ。
そんな中で、CDが再販制度に引っかかる商品なので基本的に割引が出来ず、価格の変動がほとんどない。DVDは投売りできるのにCDはまったくダメ、と言うのは商品形態としては歪んでいると言える。映画のソフトが1,500円前後なのに、そのサントラが3,000円と言うのでは、普通の人なら納得はしにくいのではないだろうか。
でもこれだけ安いソフトが大量に出ているのに、欲しい作品がソフト化されていないという現状もある。版権問題とかもあるのだろうが、やはり良い作品は万難を排して出すべきだろう。
2005年11月15日(火) |
年賀状もウケないとつまらない |
会社では相変わらず矛盾した指示に悩まされる。当然の事ながら、自分で矛盾に全然気づいていないのだから、本当に困ってしまう。そして時間の無駄もいつもと同じで、また帰宅が遅くなる。なんとかして欲しいものだ。
それはともかくとして、そろそろ年賀状のデザインも考えていかないと、また切羽詰ってから慌てる事になる。 今回は親戚関係のネタをどうするか、悩んでしまうところだ。そろそろ子どんぐりの写真もネタ切れだし、そもそも見てかわいいという時期はとうに過ぎてしまっている。一昨年の三社大祭での侍姿は、可愛らしさとしては最後の晴れ姿だったと言えるし、実際かなりうけたものだ。
素材としての小物はいろいろと使える物があるのだが、いかんせん撮影する余裕がない。要は自然光を利用したいのだが、撮影する時間があまりないし、自由に撮影できる場所がない。物が物だけに、あまりひと目の多い所では躊躇われるのだ。 例えば、ノーマル・ケルベロスとかCG版ケルベロスとかシャドー・モービルとかスカイダイバーとか1/144サンダーバード2号とかエイリアンとかプレデターとか平成ガメラとか…、切りがないな。
でもその前に、カメラを買わないといけないな。 フィルムならキャノンのEOS-7sで迷う事はないのだが、そもそもフィルムにするかデジタルにするかで悩んでしまう。 デジタルでは、どの機種でも不満の三つや四つはあるのでなかなか踏み切れない。こうなるとヘタな知識などない方があっさりと決断できるのかもしれない、と思って見たりする。
昨夜はmixiでちまちまと遊んでみた。 4月には参加していたのだが、忙しかったのとシステムが良く判っていないのとで、あまり利用していなかったのである。
利用し始めると、確かに普通にネット・サーフィンするよりも、宣伝、広告が少ない上に比較的安全だと言う点で遊びやすい。次々とリンクしていくと、あっという間にヘンな所まで行ってしまうところも面白い。さらにクローズド・サークルも作れるので、これもなかなか楽しい(私が作った訳ではない)。 ただ、未だにmixiのシステムが良く判っていないので、これから少しは勉強しなければならない。つまり根本的なシステムをまだ理解していないので応用が全然効かないのである。幸い青さんがいろいろと参考になる物を提示してくれているので、徐々に読んでみたいと思っている。
しかしこのシステムは、ネットをさらに分割していくように感じる。 いずれ2ちゃんねるのように巨大化するのだろうが、あまり巨大化すると、そこから抜け出すのも大変になってしまうかもしれないのだ。 まあ暇つぶしと考えている人にはそれでもいいのだろうが、本来はもっと自分の視野を広げて知識の補完をするために利用した方が面白いと思う。
そう考えるのも、自分の人生の後ろが徐々に見えてきたからかもしれない。
そろそろ子どんぐりの部屋用の小型ストーブを確保しないといけない。それから「鉄腕アトム」と「ブラック・ジャック」を収納する棚も欲しいと言う。狭い部屋なので困ってしまう。
そんな合間を見て、「群像」12月号を買う。 元々この雑誌は文芸4誌の中では一番好きなのだが、今回の特集が「ロックと文学」で、しかも巽孝之氏が『これは「プログレッシヴ・ロックの哲学」の続編』というスタンスで50枚くらいの論評を載せていたのでは、買わない訳にはいくまい。 ちょっと立ち読みすると、冒頭ツェッペリンのエピソードから読者を引き込むという構成になっていて、こういうところはうまいなぁと感じる。さて、あとでゆっくり読むとしよう。 しかしさすがに文芸雑誌となると、近所の本屋ではお手上げである。町中に行くか郊外の大型書店に行くかしないとダメなので、ドライヴがてら郊外へ行って買ったのであるが、それでも2〜3個所回ればほほ確実に入手できるという状況は、明らかに八戸よりは便利だ。問題は、肝心の金がないという事だけである。
この時一緒に、早川版「クルクルくりん」の3巻目も買う。こうなると、続けて出る「るんるんカンパニー」はどうしようかと悩んでしまう。どちらも秋田書店版のノーマルと徳間書店版の完全版を持っているのだが…。
そんな合間をぬって、押井守の改訂版「TOKYO WAR」読了。 映画版では多分流れを重視したためにカットしたと思われる「東京を空爆したヘリの弾薬補給シーン」は、予想通り描写があった。あとは刑事である松井の考え方を、押井監督自身はどういう設定にしたかったのかが判ったのは収獲だ。映画とは多少印象が異なってくる。
ビデオに撮った「BLOOD+」も見る。今回は泣かせのシーンだ。実にありがちで言葉で聞くと「ケッ」てな内容だが、さすがはIGだけあって、見せ方はうまい。 ただ一回目から見ていて思うのだが、車輌の効果音が30年位前のステレオタイプなのは気に入らない。今の車にしてもバイクにしても、こういう音はそうそう出ない。これはサウンドのストックを利用しているのと、見ている人が実に判りやすいという判断なのだろうが、もう少し工夫が欲しいところだ。 そしてこれは、「イノセンス」の時に駐車場から出る車の動きか明らかにおかしいと思ったり「攻殻機動隊S.A.C.」での車輌の動きにぎこちなさを感じたのとも関係するが、IGでは車の運転を趣味とする人が少ないのかもしれない。 それなら一連の違和感は理解できる。納得はしないが。
2005年11月12日(土) |
どうせ仕事は進まない |
どうせ会社に出たところで自分の仕事は出来ないと判っているので、あえて休む。どうせ来週はイヤでも出なければならないのだし。会社で決めた休みって、一体なんなんだろうねぇ。
という訳で、一家揃って買い物など。 日曜は混んでいてなかなか行けないショッピング・センターに行く。この時電動のシュレッダーで2,980円というのがあったので、買ってみる。住所などの個人情報が載った廃棄書類が意外と溜まってしまっていたのである。 帰宅してから使ってみると、音はうるさいが、さすがは電動、かなりスピーディに廃棄処理ができる。
あとはコンセントと実家の電話子機の充電池を買いに電気屋を回る。 コンセントはともかく、充電池はあまり置いていないので、数件回ってようやく確保した。やはりメーカーが一度出した製品の充電池の保有期限は、法定年数では少なすぎる。数が少ないのはある程度理解はできるが、では逆にここへ行けば必ず置いてあるという店を作っておくべきだろう。それが難しいのなら、共通のプラットフォームを設定して、数種類の充電池で全て対応させるべきだ。携帯と違って、固定電話機のサイズは比較的大きいのだから、それは可能だろう。
と憤りつつ、新製品のオリンパスE-500に触ってみる。 さすがはカメラ・メーカーだけあって、使い勝手はそれほど悪くない。キャノンやニコンのユーザーならそう違和感なく使えるだろう。 背面の液晶画面も大きく見やすいが、肝心のファインダーがどうもスッキリしない。ピントの合い具合がどうも良くつかめないのである。あとはフォーカス・スピードや起動時間など、がんばってはいるが、微妙に遅いと感じてしまう。ただしこれは、銀塩カメラの一眼レフに触った事がない人なら全く感じないストレスだろう。その程度には早いのだ。そしてこの微妙に遅いというところが、なかなか踏ん切りのつかないところである。 ただしノイズ・リダクション・システムの魅力は絶大だ。E-500が欲しいと思う最大のポイントはこれなのであり、これがなかったら全然注目はしなかったと思うくらい欲しいメカニズムなのである。キャノンなら付けてくれると思っていたのだが…。
夜、何気なくテレビを見たら、マジックをやっていた。ちょうど車のドア抜けマジックを行っていたのだが、バックに流れていたのは「ブラックアウト」のサントラだった。音響担当が意識的に使用したのかもしれない。なにせ後半ではキース・エマーソンの「幻魔大戦」も使用していたのだから。
しかし観客であるタレント達の反応は極めて不快だ。マジックを見ていて驚いたという反応ではなく、明らかに不可思議な超常現象を見ているという反応なのだ。本当に不快である。マジックはマジックであり、それ以上でも以下でもない。マジックを見る時は、知的好奇心をもって当たるべきであり、いい大人が超能力を見るような目つきで見ているのは不気味だとしか思えない。まあテレビ局の狙いはそこにあるのだろうが、やはり不快である。
2005年11月11日(金) |
ポケ・ミスも高くなったものだ |
どんぐり2号がエド・マクベインの「耳を傾けよ!」を買ってきてくれた。 変な題名だと思っていたら、どうやら死んだ耳の男、つまりデフ・マンの話らしい。これは楽しみである。 でもマクベインは死ぬ前に決着をつけたのだろうか。それがとても気になってしまう。デフ・マンのストーリーは登場当時よりも現在の方が背景としては絶対に合っている。病んだ現在のアイソラを舞台にした話で読んでみたいのだが。
そんな今日の昼休み、アオシマから出ている「エアウルフ」の現物をようやく見る事ができた。 色は限定版がメタリック・ブルー、ノーマルがブラックである。だがブラックはイメージが違いすぎた。もう少し薄目の物を期待していただけに、なんだか残念である。これなら限定版の方が絶対に良い。もっともあのメタリックがどれだけ持つのかは、甚だ疑問ではある。 そしてこの時、タチコマがいつ出るのか聞いたら、初回入荷分は売り切れて次は月末だという返事で、これには驚いた。売れれば「タチコマンズ」が出るのも夢じゃないかも。
と、短い日記が続いているなぁ。
2005年11月10日(木) |
科学は面白い、はずなのに |
会社で、とある女性が「虹はどうしてできるのか」と支店長に聞いていた。まったく判らないのだそうだ。 詳しい原理は判らなくとも小学校あたりで普通は概略程度は理解するものだ。いい年をして知らないのかと呆れてしまったではないか。不勉強にも程がある、と思うのは異常だろうか。それでも聞くだけマシなのかもしれないが…。 私の場合、「科学の事など判らなくても構わない」などと平気な顔で言う奴というのは、どうも今ひとつ信用できないヤツが多いと感じてしまう。判らない事自体は構わないが、判らない事を平気で自慢するというのはどうかと思う。
ただし私も別に科学に詳しいという程でもないので、虹の発生メカニズムは概略では判るが、本格的な原理となると確かに心もとない。という訳で少しネットで調べてみる。グーグルで「虹 原理」あたりでヒットするのでいくらでも調べられる。 色々見ると、数式バリバリのところもあれば小学生対象に簡単な解説のところもあり、その表現方法は千差万別だが、根本的にはどこも同じである。科学の原理の説明なのだから、当然といえば当然ではある。この辺は、例えばムーン・イリュージョンのように根本的には原因の解明がされていない現象とは異なるところだ。
でもやっぱり面白いなぁ、こういう科学の解説をするページというのは。
頼んでいた年賀ハガキが届いた。 今年の正月は喪中という事で年賀状を出さなかったので全然頭を使わなかったが、今回はどういうネタで出そうかと悩んでしまう。
来年は犬年である。犬と言えば割と一般的にはグルミットとかドルーピーとか、あるいはブラック魔王のケンケンとか、著作権が厳しいものばかり浮かんでしまう。 ちなみに私の場合、犬と言って真っ先に浮かぶのは押井守だが、これは一般的ではないし、そもそも絵にならない。そうするとケルベロスという事でプロテクトギアあたりがいいかもしれない。 そういう訳でちょっと検索をかけたら、文字通りのケルベロス(三首の地獄の番犬の方)を、なんと折り紙で作っている人が何人かいると判った。人間の想像力というのは、実に凄いものだと感心してしまうが、まこさんもそう言えばキングギドラの折り紙という技を持っていたなぁ。 いずれ年賀状のデザインを、そろそろマジメに考えないといけない時期である事だよなぁ。
ところで、そろそろオリンパスからデジタル一眼カメラのE-500が出る。 現状では、ダストリダクション・システムという世界で唯一のシステムがついている。私はどのデジカメにもこのシステムが欲しいと思っているのだが、他のメーカーはゴミ問題をあまり気にしていないようだ。 オリンパスのデジタル一眼は、E-500になってようやく使えるものになった。もちろんキャノンやニコンにはまだかなわないのだろうが、トータルのバランスを考えると非常にいいところまで来たと思う。 一度現物に触って、ファインダー内部とシャッターの感覚をテストしなければならないな。
2005年11月08日(火) |
仕事が片付いた訳ではない |
会社で電気の点検に来た人が、電磁誘導を利用していると思われるテスターを利用して、非接触で電圧などをチェックしていた。なるほど、これは面白い。 昔はテスターにしても検電ドライバーにしても、接触タイプだった訳で、こういう非接触タイプだとどこでも検査できるのだから、非常に便利である。何に使うかと言われると困るが、ちょっと欲しいぞ。 とにかく電気関係では、なかなか興味深い物が多い。
今日は早く帰れという強制的指示が出た。もちろん仕事はたくさん残ったままだ。それでも帰宅は20時である。 これで明日は、何故こんなに仕事が残っているのだと怒るのは目に見えている。なにせ数十分前の事は忘れてしまうのだから。 そんな状況で帰宅すると、某国営系放送局の番組で、「溺れている人に浮き輪を投げるようなもの」というセリフをキャスターが発していた。 思わず「それって助かるじゃん」と突っ込んでしまう。番組でも、困った人がつい手を出してしまうという状況で出たセリフなのだから、キャスターが変な使い方をしたのだろうが、この人はベテランなのだ。 こういう細かい所に限らず、やはり現在の放送メディアはダメである。
で、たまっている「BLOOD+」を見る。 なかなか展開は面白くなってきた。そしてテレビのシリーズ物には必要な「手の抜き方」が、かなり巧妙になっている。これはいい事だ。ただ若者の声はヘタなので馴染めない。仕方がないが、やはりあまり気持ちのいいものではない。 そしてオープニングとエンデイングは、歌がいかにも今風で好きになれない。いや、今風だからというよりは、もっと単純に好きな曲ではないという事だ。作品のイメージに全然合っていない。 こうして考えると、攻殻機動隊S.A.C.というのは実にバランス良く出来た傑作だったと判る。おそらくああいうシリーズ物は、当分作られる事はないだろう。いや、もしかしたら最後の傑作シリーズ物になるかもしれない。
エキサイトのニュースの見出しに、「フィル・コリンズ、ジェネシス再結成に前向き発言」というのがあった。 読んでみると、「喜んでドラムを叩くし、ピーター(・ガブリエル)に歌ってもらいたいね。(再結成が)実現するのであれば私は参加するし、もし実現しないとしたら解決すべき問題が多過ぎたというだけのことだろう」という発言で、これがニュアンスとして正しければ、別に前向きでもなんでもない。ジェネシスに対してこだわりやわだかまりがなくなったと言うだけの事だ。 まあ年も年だし、ワンタイムの再結成はあるかもしれないが、事ロックに関して言えば、それは茶番でしかない。
いずれ再結成というものは、何らかの必然性があるかどうかが重要であり、例えば一晩だけの再結成など、仲間内の宴会と同義だ。それくらいなら、新グループを結成して玉砕した方が、ミュージシャンとしては絶対に正しいし、あるいは1980年代のイエスのように、売る事をメインに考えた活動をしてもいい。そもそも売るためにはそれなりに良いアルバムを作らなければならないから、そこで実力が物を言うのだ。
しかし今回フィル・コリンズはイスラエルでライヴをやった訳だが、これまでにジェスロ・タルやメガデス、スコーピオンズなどがライヴを行っているのだという。なんだか意外な感じがするが、イスラエルの音楽事情はどうなっているのだろう。非常に気になってしまうのだった。
デニス・クエイドが出ているので、昨夜は夜中過ぎまでかけて最後まで見た「デイ・アフター・トゥモロー」だが、まあかなりテキトーな映画だ。ラストは例によってのご都合主義的展開である。あまりに唐突で、それはないだろうと思ってしまう。 ただこれを見ていて、「なんだか『復活の日』と『日本沈没』を足して20で割ったような映画だ」と思ってしまった。つまり作り方によっては傑作になる可能性があった素材なのである(あくまで素材だ)。実にもったいない。
今日は昼頃に、一家揃って本屋へ行く。 ようやく押井守の改訂版「TOKYO WAR」を購入。当初は文庫版上下巻だったのに、今回はハードカヴァーである。まあ内容的には面白いので良いのだが、困ったものである。 ついでに早川文庫から出たとり・みきの「クルクルくりん」も購入。こちらは最初の版も愛蔵版も持っているが、今回書きおろしの「後書きくりん」が載っているので買ったのである。こちらも困ったものだ。 おかげで87分署シリーズの最新刊「耳を傾けよ!」を買い忘れてしまったではないか。まあどうせすぐには読めないだろうが、やはりリアル・タイムでずっと読み続けているのだから、早いところ買っておかなければならない。作者も亡くなった事だし、あと数冊で終わりなのだ。
夜は雨の中、まっちゃん宅へ行く。例のほにゃらら計画のためである。 とりあえずLDプレイヤーを持っていく。箱がない上にでかくて重いのだから、とにかく持ち歩きには不便である。 結果として、色々やってもらって綺麗な物になったが、帰宅して確認するとウチではだめだった。やはり機械が古いのかもしれない。さてどうしようか。 DVDブレイヤーを買い換えるか、DVDレコーダーを買うか、悩むところだ。
会社で用事があり本店に電話したが、ついでにTさんと話をする。 この時に「最近会社のグチを書いてないけど、状況が改善されているとは思えない」と言われたが、意識して書いていないのだと答える。そうしないとキリがないからなぁ。でもおかげで少し気が晴れる。
先日、何も考えずに「リーグ・オブ・レジェンド」のオマケと認識して買った「デイ・アフター・トゥモロー」だが、これまたなにも考えずに少し見た訳である。 見ていてなんだか主役の顔に見覚えはあるものの、すぐに思い出せずにいたのだが、笑った瞬間「あ、ゴードン・クーパーだ」と判ってしまった。つまりあの名作「ライトスタッフ」でゴードン・クーパーを演じたデニス・クエイドなのである。そこそこ老けたとは言え、あの独特の笑い顔がそのままなのには驚いたが、おかげですぐに判ったのだから、やはりかなり特徴のある笑い顔なのだろう。彼が出ているのだから、とりあえず最後まで一度は見てやろうじゃないか。
という訳で見始めたが、昨夜は1時30分までかかって半分だったので諦める。 内容は、数千年規模の自然現象を数週間で起してしまうというムチャクチャを平気でやってしまう、いかにもハリウッド的災害パニック映画だから、別にあせる必要はない。しかしこの「理屈としては間違っていないが、ありえない」というのも変な話である。擬似科学としてすら納得できないのだから、これはSFではないのである。
さて、復刊ドットコムの情報によると、望月三起也氏の「ケネディ騎士団」(ケネディ・ナイツと読む。念のため)が復刻されるらしい。全4巻というから、そこそこの厚さになる訳だ。ずっと待っていただけに、これは嬉しい。高いけどな。 しかし最近はこういう中年狙いの復刻が、実に多い。これでは本当に金がいくらあっても足りないではないか。
2005年11月04日(金) |
バングラデシュのコンサート |
アマゾンを見ていたら、「ジョージ・ハリスン & フレンズ コンサート・フォー・バングラデシュ」というDVDが出たと載っていた。ちょっと待て、なんだこのタイトルは。 やはり「バングラデシュのコンサート」は「バングラデシュのコンサート」以外の何者でもない。当時のLPもこれだったし、そもそも映画の題名がこれなのだから、変えてはいけないのだ。 もちろん売る方は、ジョージの追悼コンサートである「コンサート・フォー・ジョージ」(もちろん素晴らしい作品だ)と同じような題名にしたかったのだろうと容易に想像はつくが、こんな素晴らしい作品のタイトルを、当時とは違うものに変えるなど、安易であり、無能な奴のやる事だ。
この作品は高校の頃に映画館で見て、ジョージもそうだがレオン・ラッセルを始めとして、みんなカッコいいうえに、内容が素晴らしく、とても感動したものだ。これで高校生だった私は、ロックはヴィジュアルだと100%納得したのだった。そんな思い入れの強い大好きな作品の題名が変わっていたのには、かなりのショックを覚える。LDでは持っているので、こんなタイトルのDVDでは買う気が起きない。
そもそもジャケットも変だ。デラックス・パッケージ (初回限定版) のジャケットがオリジナルなのだから、これで通常版も出すべきだ。これでは売れないという営業判断なら、それはジョージたちの本質をまったく理解していないという事に他ならない。何のためのコンサートだったのか、それが判らず理解できないのなら、むしろ封印してしまえばいい。 とにかくオリジナルに意味がある場合、それをないがしろにしてはいけない。これは当時のままで出すべき意義をもつ作品なのだ。そこのところを勘違いしないで欲しいが、腐りきった音楽ビジネス業界の連中には、馬の耳に念仏だろう。
と、つい興奮してしまう事態だったのである。
休みなので(会社に行く気は全然起きない)、11時近くまで寝倒してしまった。でもぐっすり寝たという感覚はないし、疲れがとれたという感覚もない。つまり半日無駄にしたという感覚しかないのである。
午後、久々にNODAYAに行くと、1/200のサンダーバード1号が半額の4,000円強だった。一応ノーマルと限定版の両方あったが、着陸脚はソリッド・タイプが好きなので、ついつい限定版(汚し塗装版だ)を買ってしまう。 ちなみにエアウルフも出ていたが、そういう訳で諦める。さて、ロータス・エスプリはどうなっているのだろう。
本屋に行き、ようやく「モンティ・パイソン正伝」を購入、税別3,800円也。高いが450ページもあるので仕方がない。 実はこれを買うまで30分近くかかってしまった。まず最初に店内を探したが見つからず、店員に聞くと店内にあるという事で探してもらう事15分、ようやく探し当ててきたのだった。しかし彼女達はモンティ・パイソンが何者か全然知らないらしく、どこの棚を探せばいいのか判らず苦労したらしい。それで私にどういう人なのかと訊いてきたのである。そんなものなのだろうか。 でも全然知らない人に簡単にモンティ・パイソンを説明するのは、意外と難しい。イギリスのコメディ・グループでテレビ・シリーズや映画を作った…、って間違ってはいないが全然説明にはなっていないような気がする。 人に説明する場合、ある程度の基礎知識があればそれなりに説明できるが、まったく知らない人に一から説明するのは、なかなか大変である。
ついでに、面白そうなので「福井晴敏×樋口真嗣 爆発道場」も買う。こういうバカバカしいノリの映画の見方が大好きなのだ。
帰りに寄った万代屋書店では、ケルベロスのプロテクト・ギアが13,000円、人狼のプロテクト・ギアが17,000円で売られていた。何故人狼版の方が高いのだろうと悩んでしまう。やはりアニメ系の方が高値がつくご時世なのだろうか。ケルベロス版ならもうひとつ欲しいとは思うのだが、ちょっと高いしなぁ。
この時、とり・みきの「たまねぎパルコ」が105円だったので、きれいではなかったが買っておく。あとは「バラの進さま」だけである。これも本人が死ぬまで復刻は難しいかもしれないが、ほぼ同じ年齢なので、現状では死ぬ事を期待しても意味がない。だがこれさえ揃えばとり・みきの本は全て揃うのだ。 リアルタイムで読んでいたので、あの時は絵柄の点でさすがに買えなかったのである。後悔…。
うちの近くまで戻って来て、会社で履く靴を買い、来年新調予定の眼鏡の下見をしておく。乱視と近視がここまで進んでは、眼鏡が役に立たない状況なのだ。もしかして老眼もなのかもしれないが…。 それなりに良さそうなレンズは見つかったが、あとは価格の問題だけである。
2005年11月02日(水) |
知識が想像力を補完する |
忙しい一日である。
会社で、エアガンの事件について話していたら、ある人が「ゲーム(この場合、サヴァイヴァル・ゲームの事だ)エアガン撃っている連中は、だんだんと人が撃ちたくなって事件を起こすに違いない」と言っていた。明らかに方向が逆なのだが、その物事についてよく知らない一般人というのは、こういう明らかにおかしい発想をするのだろう。
そもそもエアガンでもなんでも、一般に武器と言われるものはその怖さが判ると、おいそれと人に対して使えなくなるのは、その効果、結果が想像できるようになるからだ。つまりそういう想像が出来ない阿呆が事件を起こす訳で、想像力の欠如と言うのは人として致命的な欠陥であると言える。 大昔、まだモデルガンが改造可能だった頃(現在は絶対に不可能である)でも、その材質の脆さを考えるだけで、改造は危険だと想像できる訳である。
つまり物を知らないという事は、想像力が致命的に不足しているという事で、それは現在の社会では色々と危険な状態である。他人に対しても自分に対しても。 やっぱり仕事一筋ではいけないのだ。
もう11月である。そろそろ「霜」とか「初氷」とか「初雪」なんてセリフが聞こえ始めている。 朝が早くて夜が遅いと、異様に寒い思いをするし、そもそも太陽を見ないまま一日が終わる事も多くなる。これなら吸血鬼になってもやっていけそうだ。吸血鬼になってまでこんな仕事はしたくないが。
しかし最近は、色々と本やDVDを買っても、なかなか読むヒマも見るヒマもない。先日始まった「BLOOD+」もビデオにとってはいるが、全然見ていない。なんだか自分がおバカになっていくような感じがしてしまうのは、妄想なんかではないと思うぞ。 私の原動力は「趣味」によって補強されており、金の問題を除けば、仕事がなくてもなんら困らない。というか、そもそも趣味がないと生きていけないのである。
その趣味の世界でも、ネットが様変わりしているように感じる。ブロクのおかげでホームページの絶対数が少なくなってきたような気がするし、ミクシィの台頭で「巨大かつ閉鎖的サークル」が増えているように感じてしまう。さらには自由資本の参入で、現実の社会と変わらない、というよりそれ以上の社会に変貌しつつある。 これらは錯覚なのかも知れないが、やはり流れがなんとなく変わっているのは間違いないと思う。これからネット社会がどうなっていくのか、非常に興味のあるところだ。
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