2024年08月31日(土)
暑かった8月の締めくくりは台風
ゆっくりゆっくりずっと同じ場所にいた
関東の雨は降ったり止んだり

先週、choriが亡くなったと知った
もう20年近く会ってないし
その活動を追っているわけでもないのに
なぜかXでお知らせが流れてきて。

これって、本当に、あの?
びっくりしすぎて飲み込めなくて何度も文章を読み返した

ちょりを知ったのはここ、エンピツだった
詩なんて読む方じゃなかったけど
ちょりの書く詩もそれ以外の言葉もおもしろくて
詩のイベントもたくさん行ったし
音楽の話もいっぱいしたよね
何度も夜通し酒飲んだり、笑ったり、叱られたこともあった。
京都でも東京でも
ちょりの仲間のおもしろい子たちにたくさん会えた
凡人の私が、学生時代に受けたたくさんの刺激の中に
ちょりの存在は大きかったんだよ

やたら人生達観したような顔してる日もあれば
好きなことにわくわくしてる子どもの顔の日もあって。
訃報を読んで真っ先に浮かんだちょりの顔は
同志社の卒業式
私が持ってるカメラに、卒業報告してきたときの笑った顔だった
なんであのときなのかわかんないけど
なんでだろうね。


人が亡くなるときって
本当にあっという間で、あっけなくて
ただ、もういないんだ、て事実を飲み込まないといけないんだね

あのね、ちょり
きみが空へのぼった少し前に、私の父も、そちらへいったんだよ。
本当にあっけなくて
これでもう話すこともできないんだ
って目の当たりにしても実感わかなくて
つらいや悲しいもどれも違うような気がして
いつかは親を見送る日がくるんだと思っていたし
その日がきたんだなという気持ちとか
お父さんは後悔しないでいけたかな、と思ったり
どういう表現が、これを表せるのかな

39歳なんて若すぎる、早すぎるよ
そういうときみは、長さじゃないなんて言いそうだけど
でも、父の葬儀を一通りして実感したんだ
自分より若いひと、子どもを見送るなんて、
とてもとてもつらくて直視できないことだろうな、って
そう思ったばかりだったから
ご両親や妹さん弟さん、パートナーの方
近親者のみなさんを思わずにいられなかった。
早すぎるよ、なにしてんだよ

もう会うこともなかったかもしれないけれど
長く生きていれば、いつかまた会ったかもしれないのに
長く生きて、きみが発するたくさんのことばを
また聴く機会が訪れたかもしれないのに。

いちばん驚いて悔しいのは、ちょりかもしれないよな
きっと。
私のことも憶えてないかもしれないしなあ
だとちょっと寂しいけど

この場所に書いてきた私の記憶は、ずっと残ってるからね




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