新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2011年11月04日(金) 小林先生が逝かれました。




享年八十八歳でした。

小林美隆先生、元NHK交響楽団ティンパニスト、19歳で旧新響に入団され、数々の初演をされました、故ローデンストック氏の指揮指導は大変厳しかったと聞いています。

桐朋学園大学と武蔵野音楽大学で教授として多くの弟子をお育てになりました、叩き上げの演奏家が教授職に就くのは特別のことらしいです、いかに素晴らしい音楽性を持たれてたが解りますね。






又ストラビンスキー作曲「春の祭典」では本人の指揮により絶賛されたそうです。
又カラヤンから是非ヴェルリンフィルにとスカウトされたそうです「ドイツには納豆も味噌汁ないから断ったよ」とおっしゃってました。

荻窪のご自宅ではよく汽車の模型勿論手作り!戦艦大和、そしてティンパニーマレット!ヒッコリーをゲイジで図りながらガラスで削るという細かい作業をされていました。
 それは元ボストン交響楽団のティンパニストビックファース氏にも影響を与えたそうです。





著書に"私は基本を徹底して教えたにしか過ぎない、弟子たちが音楽的に迷ったら立ち戻れる原点を指し示したとも言えるかも知れない"

その基礎奏法とは普遍的であったと海外をあまた歩いて実感しました!


それと小林先生はどこか歌舞伎役者というか日本の伝統芸をされているような容貌をされていました、N響の方々は「後ろに小林先生が座っているだけで安心した」ともおっしゃってます。


チャイコの「悲愴」最後に一発のドラ・・・の音を聞いた太宰治はその感動の手紙を送ってきたと聞いています、今日は「悲愴」を聞いて寝ます、先生あの世のオーケストラで打楽器を響かせて下さい。



師の存在は大きい、改めて心から感謝します





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