内田先生がBlogで「日曜日だから剣でも抜いてみよう」と題して書かれていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・ 剣の操法でいちばんたいせつなことは、「剣を道具的に扱わない」ということである。 矛盾した言い方だが、剣にしても杖にしても、それぞれの道具にはそれぞれに固有の「生理」がある。動きたい線があり、動きたいタイミングがある。人間の身体は道具の動きを邪魔しないように、いわば道具の「通り道」をぎりぎりに空けるように動かなければならない。 剣を「自由」にさせるのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・
鬼島太鼓での古武術を応用した太鼓奏法の杖術の様子
跌踞(ふきょ)から抜刀する時も切ろうとか抜こうという意識が腕にあるかぎり速さも出ないし美しくないと思う。
太鼓演奏で言えば、太鼓の皮の動きと内田先生が言われる「通り道」 と皮の振動が同じだと思う、太鼓の皮が撥を弾いてくれているのを無理に殺してしまっている・・・撥の通り道があると思うのだ、それを知らない太鼓打ちの撥の軌道は必ず乱れているはずだ、そして音も。
これは川崎太鼓仲間「響」の方が投稿しているコメントより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・ 職場の先生が、前任校に呼んだ和太鼓奏者が「太鼓を叩くときは、手首を動かしてはいけない」と言ったのを聞いて(和太鼓は音楽じゃない!スポーツだ!!)と思ったと言っていました。 (どうも大太鼓の正面打ちをやった時のことらしいのですが・・・) 私は、それは違う!!!と言いましたが、ぜひ響のコンサートで和太鼓は音楽だと感じてほしいと思いました。
みんなで心を1つに、気持ちを合わせて作り上げるお囃子、クレッシェンド・ピアノ・フォルテが感じ取れる「清流」・・・等々。 きっと「太鼓は音楽だ!」と認識を新にしてくれると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・ 未だにこういう輩が太鼓の指導者として通用しているのが、和太鼓界の不幸の一因だ日本の伝統芸能が伝えることからまったく離れている、「汝の足下を掘れ!」
2006年05月15日(月) |
大阪のオーケストラ事情 |
在阪4オケ統合問題が提起されている、スポンサーの問題、助成金の減額、我が日本音楽集団も助成金がかなり減額され、今年排水の陣を引いている。
関フィルの平均年収は二百五十万円に満たない。一方、十六年度実績で大阪フィルハーモニー交響楽団が約五百五十万円、大阪センチュリー交響楽団が約五百四十万円、大阪シンフォニカー交響楽団が二百八十万円。四オケを支援する財界や行政の関係者はこの給与格差も問題視している。
その中で大阪フィル、故朝比奈隆さんの人脈もそう続かない、しかしだ新音楽監督の大植英次君・・・君なんて言えないのだが、桐朋時代、彼はホルンを吹いていた、そして少し苛めたこともある、その大植氏、レナード・バーンスタィンの弟子として来日した時には顔が変わっていた、もの凄い自己変革だと思った。 昨年、アジア人として初めて世界屈指の音楽祭の一つバイロイト音楽祭で指揮した。 大阪フィルは大植が指揮する定期演奏会は毎回、完売、補助席が出されるときもある。法人会員数とは逆に個人会員数は、九年度百九十八人が、十六年度で二百二十四人に増加した。
先月二十九日、大阪市の大阪城西の丸庭園で、「星空コンサート」と銘打った大フィル初の本格野外コンサートが行われた。当初、主催者側は三千人の動員を見込み、多くても六千人が来ればいいと踏んでいた。しかし、ふたを開けてみると、曇天の中、一万人近い市民が集まった。
朝比奈氏から大植氏へ。新たなカリスマ出現に期待が高まるということだ、東京でもオーケストラの統廃合が試みられている、石原都知事は「都響なんていらねー」と言っているし、新国立劇場の専属オーケストラ問題も専属はなくなった、新星日響と東フィルが合併されて新国立劇場のレギュラーオーケストラとして活動するが、本来国立劇場の所属のオーケストラを持つべきだ、民間企業の寄付を集めて運営するオーケストラという事も問題として指摘されている。
2006年05月01日(月) |
和太鼓は伝統を引き継いでいるか? |
和太鼓「仙」の新之助君が自らのBlob嬉しい事を書いてくれている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・ 和太鼓は、バチを握りストンと振り下ろせば、誰でも音が出せる、素晴らしい楽器です。誰でも出来て、しかも気持ちいい音が出る。だから人気がある。でも、日本に伝わる古典芸能や郷土芸能を知らなすぎではないでしょうか。 知らないと太鼓を打っちゃいけない、なんてことは全然ありませんが、太鼓を教えることを生業としている人たちに、その辺の意識がどれくらいあるのでしょうか。文化・芸能は、民族の歴史そのものです。太鼓の一打には、悠久の響が込められています。その民族の宝をメシのタネにしている、しかし宝の出自を学ぼうとしない。 学生時代、「勉強したければ原典に当たれ」と言われたことが、いまでも僕の指針になっています。響や仙の若い子達に、僕はそういうことを伝えていきたい、といつも思っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・ この画像の新之助は秩父での春祭りで、長唄の大鼓を演奏するときのものだ、普通は秩父屋台囃子を習ったりビデオを参考にして練習する人、チームは多い、しかしこのように現地の人と混じって、その源流を知ろうとする者は少ない、今回やる「仙」の「新屋台囃子」は後半に千葉の佐原囃子が出てくる、これは江戸時代に浅草や神田祭で一世を風靡した太鼓打ち、彼等はお江戸囃子とともに御神楽、長唄囃子もやっていた、そう今でいうとスマップのように江戸を賑わし、その名は樽前船によって地方まで伝わった、そして呼ばれ出かけた若衆が現地で恋に落ち土着したという歴史がある、秩父と佐原では今でも山車で長唄囃子をやっている、伝わるところによると、兄弟か同じ門下が分派したということだ、だから僕は秩父屋対囃子に佐原囃子を入れた。 現地の人達も既に忘れ去ったことにロマンを感じるのだ。
新之助君は山車の組み立てから参加している。
これは僕も真似出来ないことだ、素晴らしいではないか!
>太鼓を教えることを生業としている人たちに、その辺の意識がどれくらいあ>るのでしょうか。 という彼の意見には僕も堪える、能の血筋、黒御簾の専門家、歌舞伎座付き囃子方等、その道の奥義を極めようとする人もいる、僕はその道一筋にはならなかった、なれなかった、だから今和太鼓の世界で欠けている伝統の伝え、芸能の本流への回帰をしている、そして型が解るから崩せる、それを信じて新しい太鼓音楽を作っていきたい。
完成!
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