2004年03月29日(月) |
レコード館でのコンサートその① |
新冠町・レコード館でのコンサートが終わりました、コンサートの模様は後日に譲るとして、優駿、競走馬の産地としての新冠町の事に触れたいと思います。
オグリキャップなど過去優勝馬を生んだサラブレッドの町です。明治時代にと皇室の馬や日露戦争に行った馬を育てた牧場が現在でもありました。
国民年金で作られたグリーンピアがずさんな計画なため破綻している所が多い中この新冠ではレコード館、温泉ホテルなど黒字経営を続けているそうです、それもそのはず役場の若手の方々が地場産業と地域参加型の文化行政に取り組み、その深い洞察力によって成功しているのです。 レコード館振興係りの堤さんの発想には斬新なものがあります、色々ありがとうございました。 http://www.niikappu.jp
U-23代表チームアテネへの切符ダッシュ、よかった、よかった!万歳!
今になって山本監督が、UAEラウンドではメンバーの体調がよくなく、点滴を しながら試合に出てたと言ってましたよね、オーストラリアでの暑さ対策を兼ねた合宿をしても中東では腹痛に襲われて大変だったと。
これは外務省でも商社でも困っている問題なのです、一度経験すると免疫が出来て平気になるのです。でも若い人が中東諸国へ行ってチームで仕事をしなければならない時、この腹痛、じわーと効いてくる人や、いきなり倒れて、使い者にならなく人が出て、仕事に支障をきたします。
同じ経験を僕もしています、まず香港公演で・・・僕はほとんど朝食以外はホテル外の屋台で食べてました、しかし他のメンバーはホテルだけで食事していたはずなのですが、腹痛になり、点滴を受けながらの演奏でいつもの調子ではなかった、そしてトルコ、オマーン、イランに行った時もそうだった。
これは僕の個人的経験なので、なんの医学的根拠や科学的実証があるものではありません、僕は若い時まずヴェトナムに行きました、空気感染で歯が痛くなるのです、日本にはない細菌が飛んでるのだとフランスの軍医から聞かされました、それとバリ島では腹痛になりました、その時は常にピーピーなのですが、さほど憔悴はしませんでした。
それ以来アフリカや中近東へ行っても、仲間が腹痛で苦しんでいるのに僕はなんともないのです。
 カスバの女ではなく城壁 サッカーのアジア予選が中東諸国と闘わなければならないのだから、今後も問題ですよね、どんなに日本からコックや日本食を用意してもだめなのです。トルシエ前日本代表監督が言っていた事。 プロならば一人で現地に来て、衣食住全て一人で賄え! まーそうは行かないとは思いますが、僕は仕事で海外遠征するときは、立場的に先乗りし、終われば仲間を送って、一人で違う場所に行くことを常としてます。
一人で知らない場所に行くというのは、感が鋭くなるのです、危険の察知、未知の食べ物の安全の見分け方、ミネラルウォーターを過信しない、実際にサバイバル訓練を受ける、傷の手当ての方法等、 サッカーの選手に其処まで求めませんが・・・。 ここで自転車で世界を駆けた毅史君サイトを紹介します、彼の母親のきょうちゃんの【風のように】にあります。 http://www2.ocn.ne.jp/~khongo/index.html
2004年03月17日(水) |
大田市立東中学の卒業生の皆さんありがとう |
偶然ですがあなた達の学校での卒業式の模様が画像配信されていました、何度見ても涙が流れ、止まりません。 今時の中学生とか言うらしいですね、でもあなた達は青春の区切りとしての卒業式をこのような素晴らしい歌で「旅立ちの日に」・・・一生の思い出になると思いますよ・・・。 けなげにタクトを振っている君、ピアノ伴奏している君・・・全員が同時に激昂してくるのが音楽的に伝わってきます・・・後奏のピアノのメロディーに涙している君、君、そう耀いている、素晴らしい。
このような風景が今の季節あちこちであるのでしょうか?
小学校の卒業式では3年連続でピアノを弾かされ、記憶にない、中学の卒業式は・・・これ又記憶にないのです・・・クラブも一生懸命やりましたでも顧問の先生は卒業時にはいなかった・・・音楽高校受験のため、それどころではなかったのかも知れません・・・おかげで中学時代の友人は誰一人現在どうしているのか全く解りません、
・・・懐かしい友の声 ふとよみがえる 意味もないいさかいに 泣いたあの時・・・
そうあの時の映像は今でもはっきり蘇ります、でも・・・卒業式で君達のように感動する経験はない・・・これって非常に寂しい~んだなー。
こんな事を言っている僕ですが、娘の卒業式には出てやることが出来ませんでした、悪いパパだよね・・・。 僕が教えている筑波大学附属盲学校での卒業生は一人だけ(音楽専攻科なので) その子に歌ってあげたい、皆で歌いたい・・・そう娘にも・・・心の中で・・・二度と会えなくなるかもしれないのだから。
・・・今 別れの時 飛び立とう 未来信じて はずむ 若い力 信じて この広い この広い 大空に・・・
太田市立東中学の卒業生在校生の皆さん、先生方、配信を制作しているあなた! 本当にありがとう。 http://www.gunma.schoolnet.gr.jp/ota-higashi-j/movie/
2004年03月15日(月) |
筑波大学附属盲学校の生徒に・・・ |
卒業おめでとう・・・
それはこの詩、曲、歌にこめて・・・
旅立ちの日にを聞く 「MIDI制作山岸健一」
旅立ちの日に 小嶋 登 作詞 坂本 浩美 作曲 松井 孝夫 編曲
白い光の中に 山並みが萌えて 遙かな空の果てまでも 君は飛び立つ 限りなく青い空に 心ふるわせ 自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる 意味もないいさかいに 泣いたあの時 心通った嬉しさに 抱き合った日よ みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り この広い大空に 夢を託して
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて はずむ 若い力 信じて この広い この広い 大空に
やっと手に入れた! 監督: ブリュノ・ニュイッテン 出演: イザベル・アジャーニ【カミ-ユ・クローデル】 のDVD、いやー手にするまで大変時間かかったなー。 映画撮影監督である12歳年上のブルーノ・ニュイッテンと20歳の頃より同棲、未婚の母になるがブルーノとは別れる。(89年、イザベル自らプロデュース・主演した映画『カミーユ・クローデル』の監督にブルーノを要望し大作を完成させている。)その『カミーユ・クローデル』のプロモート中に知りあったダニエル・デイ・ルイスと恋愛関係にあったがルイスの女癖があまりにひどいため別れる。まあ他にも「ザ・ドライバー」で共演したライアン・オニール、「イシュタール」で共演したウォーレン・ビーティー,「王妃マルゴ」で共演したヴァンサン・ペレーズなど、どれも共演者と浮名を流している。 現在は、シンセサイザー・ミュージシャンのジャン=ミッシェル・ジャールと恋愛中。(ジャン=ミッシェル・ジャールは、世界的に有名な映画音楽作曲家モーリス・ジャールの長男) 子 供 Children : 1979年3月、ブルーノ・ニュイッテンとの間に男児バルナベ。1995年4月、ダニエル・デイ・ルイスとの間に男児ガブリエル・ケイン。(2児とも未婚のまま出産) ほんまに女優さんやね。
あの危ないおっさん、ゲンズブールがアジャーニのCDを制作してますねー、又これがバーキン女史の時のような作り方で・・・
あの時代19世紀末は丁度エッフェル塔建設と万博に密接な関係があるのです、僕の巴里時代、作曲の先生が「あの時、金属を打つ音(溶接機はなかった)がセーヌに鳴り響きその水渡る音がフランス近代和声を生んだ」なーんて言ってました。その時クローデルは石とロダンと格闘していたのですねー。
僕の友人でcite de la musique, Paris社のディレクターをしている、クリストフが父君(写真家)の1020年代のパリ下町の写真集をわざわざ送ってくれました、それを見ると、今のパリとは違って人々の服装や町の感じが貧しく、暗く(モノクロやし)感じました。 その風景と映画の雰囲気がマッチしてるんです、映画そのものが陰影を多用した彫刻的造りになっていたのは、さすがフランス映画ですなー。
女優というのは凄い、可憐な少女から大人へやがて発狂していくカミ―ユを演じ分けている、女優という人種がいるというのは解るね(経験者やし?)
2004年03月09日(火) |
出雲の春音楽祭2004 |
 3月7日、日本音楽集団の指揮者であり、代表である田村拓男さんに誘われて、出雲の春音楽祭に出演しました。 【「韻 ひびき」-美しい日本の歌-というテーマに従って、日本古来の曲から唱歌、そして出雲讃歌という現代曲まで、演奏(邦楽、管弦楽)とソロ・合唱を交え、出雲ならではの演奏会です。チラシより】 田村さんが島根出身という事もあって実現した仕事でした、島根には田村さんの一番弟子であり僕の出た桐朋学園大学打楽器科の先輩、小山さんに大変お世話になりました、前日、リハーサルが終わってから、出雲の名所を案内してもらいました、雪が舞う海岸、灯台、ウミネコの岩、勿論出雲大社に行きました。その様子は又の機会に譲って・・・。
過去、出雲でも東京でも共演したメゾソプラノの青山恵子さん。この日のために増本伎共子さんが作曲された【古事記より須佐男命、須賀の地にて読める、出雲八重垣】と同じ増本さんの作品【中世風の三つの歌より】から「はやしことば・シテテン」本当に素晴らしいかった。 彼女は西洋の声楽のみならず邦楽の唄を長唄の西垣勇蔵氏、筝曲および能の謡を平井澄子先生、民謡を本條秀太郎氏に師事し、「日本歌曲の歌唱法の実践的研究~伝統音楽の接点」で学術博士号を取得しているのです、日本のオペラ歌手が日本語で歌うとその歌詞はほとんど聞き取る事が出来ません、でも青山さんの歌は明確に歌詞が届くととともに、美しくも懐かしく響き聞こえるのです。
えんぴつShinchan日記を訪れてくれる合唱関係の方々には是非一度青山さんのレクチャーを受けて欲しいと思います、やはり日本の古典を探求し、師匠について教わらないと、日本語の変遷や時代物としての発音は決して音楽大学で学べる事ではないと思うのです。それは打楽器奏者としての間合いも全く同じアプローチが必要なのです。
そして出雲の邦楽合奏団、合唱団、オーケストラによるフィナーレ【頌歌(ほめうた)天地(あめつち)のるつぼ】作詩大岡信、作曲鈴木輝昭、は圧巻だった。
なにはともあれ出雲の春音楽祭は雪の中で行われ、僕達が演奏したのが、長沢勝俊(日本音楽集団名誉代表)作曲【冬の一日】だったので出雲の神々が微笑んでくださったのかと嬉しく?思いました、人々の心ねもよく、蕎麦とお酒がこれまた最高、感謝感謝の音楽祭でありました。
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