昨日は神戸を歩きました、子供の頃このメリケン波止場で豪華外国客船を見ていたっけ、天気が良くてそんなに寒くなかったので、南京街からメリケンパークのポートタワーまで歩くことするか。南京町は未だ春節の余波が残ってたねー。まだそんなにお腹が空いてなかったので、港に向かって歩いた。 震災前は神戸の京町通りにあったオリエンタルホテル、子供の頃そこでオムライスを食べるのが大好きでした。あの頃の大人にとって大丸に行ってオリエンタルホテルで食事をするというのが、ある一つのステータスだったみたい。 母親が神戸で勤めていたのでよく話を聞かされていたし、実際連れていってもらった、外国の言葉を始めて聞いたのは幼稚園ぐらいだったかなー。 このホテル震災で再建不能となりこの絶景の地に越したそうです。 海が見えてゆったりでき、アーモンドエスプレッソが美味しかった、ホテルの従業員のさりげなく気を配る姿勢は旧ホテルと変わってなかって善かった。 最高の場所に最高の持て成し、いいですねー。 八ヶ岳が「高原へいらっしゃい」だったらここは「波止場へいらっしゃい」かな? では僕のサイト「高原へいらっしゃい」へいらっしゃい。
2004年01月24日(土) |
セ ボン マーニパドゥセヨ |
フランス語ではなく、韓国のソルラル(旧正月) ソウルに住む友人にメールを送っているのだけど、たぶん生まれ故郷に帰省しているのでしょう・・・日本の正月のように大移動となります、そしてそこは儒教の伝統が生きている国なので先祖を敬い年配者中心に親族が集まります。 この時期に韓国には行った事はないのですが、神戸の友人宅に招待された時に、ソルラルを見ました。僕の両親は鹿児島出身なので、祖父を中心に長男の長男(僕)順番に杯が交わされるのは同じだなーと思いました。 祖母や母、女性陣が大変な想いをするのは韓国も同じだそうです。
昨日、山本邦山先生(人間国宝)のリサイタルが上智大学の隣りの紀尾井ホールでありました。僕二部からで平井康三郎作曲、原作三島節子の「雷の落ちない村」と酉の「静寂と宴」に出演しました。 途中トークとして最近NHKの邦楽番組で活躍中の山田邦子さんと邦山さんの楽しいトークの掛け合いもありました。彼女の話の展開はさすがプロだなーと感心しました。
感動したのは藤井久仁江先生と藤井昭子さんと邦山さんが演奏した地唄「ゆき」でした。 ・・・聞くも寂しき独り寝の、もしやといっそ堰(せ)きかけて、落つる涙のつららより、辛き命は惜しからねども、恋しき人は罪深く、思わぬ事の悲しさに、捨てた浮き、捨てた浮き世の山かずら・・・
フランスのモリエールの時代と同じように思います。
今の日本人が忘れ去った日本語の美しさを懐かしく思ったのです、僕は神戸生まれなので近所から地唄や浄瑠璃の音が聞こえていました。谷崎潤一郎の世界でもあります。 僕の弟子も来てましたが、どう感じたのでしょうか、意固地になっても日本の古典音楽を伝え研鑚しかくてはいけないなーと感じた一日でした。
その後、あれはたしか日本音楽集団の定期演奏会の前日やったっけ・・・又お腹と背中が痛みだしたのです、まー以前に比べれば動けなくなるというよりは、鈍痛の少し強めという感じでした、それで以前病院からもらった痛み止めを飲んで、定期演奏会にでました、作曲家シリーズとかという、所謂現代邦楽というやつで、まー楽譜の難しい事・・・痛み止めを飲んでいても鈍痛はするのです、この状態というのは、普段は譜面の先々を見ていくのですが、これが出来ないのです、まー現代音楽やからええのんちゃう?だ!だれがそんな事言うてんねん!
辛うじて演奏会を終える事が出来ました、余談ですが尺八吹きで有名なM氏はその時ぎっくり腰で杖ついてた、お互い労わりあったっけ。
そしてその後、オ○ン○ンから石が出たのを確認出来ませんでした、それが後々祟るんです。
医学的注意事項 民間ではビールを飲んで石をだせ、なんて言われていましたが、とんでもないことやと解りました。
泌尿器科の先生のお話 そこでビールの飲み過ぎと結石形成の話です。まず、夏場は汗をかきますので尿が濃縮されやすくなります。確かにビールは多少利尿作用があり飲んでいる間は尿がたくさん出ます、ただし、その反動で夜間睡眠中は尿量が減ります。実は夜間睡眠中は通常でも睡眠を妨げないように抗利尿ホルモンが分泌されているうえに当然水分も摂取しないため尿が濃縮されやすい状態なのです。飲酒の翌日には尿が濃くなっていることはよく経験されている方も多いかと思います。そして、決定的なことはビールの代謝成分に尿酸という結晶の促進因子が多く含まれているということです。つまり、ビールの飲み過ぎは夜間睡眠中の尿を濃縮して結晶を形成しやすくしたうえ尿酸が尿中に多く出るため結晶の成長や凝集を促進して結石を造りやすい環境になるということです。『子供と結石は夜造られる』と覚えて下さい。これだけではありません、実は尿酸そのものも結石の成分となるのです。いわゆる高尿酸血症は痛風の原因として有名ですが、実は尿酸結石という腎結石の原因ともなるのです。
この様に尿酸の尿中への過剰排泄はシュウ酸カルシウム結石や尿酸結石の危険因子なのです。また、尿酸はビールだけでなくアルコール一般の代謝産物ですので『ビールがだめなら酎ハイだ水割りだ冷酒だ』などもだめですよ。その他シュウ酸カルシウム結石の危険因子としては動物性蛋白質、脂質、糖分、塩分、コーヒー、ココア、チョコレート、緑葉野菜(ほうれん草など)、緑茶、ナッツ類などの過剰摂取があり、これらを含むものをアルコールと同時に摂取するとさらに結石形成の危険が高まります。特に一度でも尿路結石の既往のある方はくれぐれも夏場のビールは控え目にして下さい。それでも飲みすぎたら寝る前にできるだけ大量の水分を摂って下さい。
皆さんも気をつけて下さい!
闘病史を書かなくてはいけないんだけど、又々やってきた阪神淡路大震災の日、あれから何年? 僕自身も失った事、それは筆舌に尽くせない、去年も一昨年にも書きました、当時僕の自宅は神戸市北区でした、東京にアパートを借りて言ったり来たりの生活をしてました、若かったんですねー、ちっともしんどいとは思いませんでした. 当日朝までワープロを打ってました、ちよっとテレビをつけると大阪で地震の模様だと、あーそーなんて寝ました、そしたら友人から電話がかかってきて「テレビ見てる、神戸が燃えているよ」???
そしてやっと三日目に大阪から歩いて実家の西宮まで辿りつきました、それから神戸に着くまで三日かかりました、ボランティアというか、崩れた家から人を救出したり、夜警をしたり、燃えている家を呆然とながめてた・・・人がいるのに・・・ 妻は言いました「今頃何しにきたん?」「皆助かってよかったやん、西宮や三宮 は悲惨やで・・・」 三宮センター街の入り口 飲み屋街ではマジでウイスキーの臭いが漂ってた。
魚住では消防士が袋叩きにあってたのを、止めたけど、なんか凄く気が引けたのはなんでやねん・・・。
そして妻と別れました・・・その年の11月にはオーケストラアジアの神戸公演を実現しました、民団、総連、南京街、華僑の人達と連携を取って実現しました、それは涙の嗚咽が木魂するコンサートになりました。
多分去年も一昨年も同じ事を書いたと思います、神戸文化ホールはコンサートの11月の一期前まで被災民の方々が避難していたという状況下でした、神戸の在日外国人の方々の尽力により、神戸市を動かしたのです。
今・・・未だ・・・なんでこうなったのか解りません、妻とは約1年話し合いました(いや、冷静な論議はお互いに出来なかった) 地震のその瞬間に居なかった夫?大事な時に何時もいない夫・・・だったんやと今は考えてます・・・が・・・たった一度の人生? 今度生まれてきたら、彼女の側を離れない・・・もう離れたくない・・・絶対に探し出して・・・・・・・
やっぱり、昨年11.12月とH医大に検査と入院手術というぐわいに、関係者に多大な迷惑とご心配をかけた事に対し、その経過と様子を書かねばならないと思ってなかなか時間が取れませんでした。 それは昨年の8月の終わりぐらいでしたか、そー、暑い夏がやっと遅れてやってきた頃でした、仕事の都合で関西に行ったついでに、疲れ易くなっている体を一度検査してもらおかいなと実家の近くにあるH医大の内科に行きました。 まー通説通りレントゲンを撮って結果を待ちました、そしたら水腎症の疑いがあると泌尿器科に回されました。 水腎症とは? 石による通過障害のために内圧が上昇し、腎盂、腎杯、尿管が拡張する病態をいう。腎杯頸部に結石が嵌頓した場合などで一部の腎杯のみに尿貯留のみられる場合を水腎杯症(hydrocalicosis)とよぶ。
思い起こせば、最初に尿管結石になったのは15年前のクリスマスの翌日、家族で美味しい料理を食べ、ワインを飲み、ケーキを食べ、それは楽しい楽しい一日でした。 26日、昼頃からお腹から背中にかけて猛烈に痛くなってきたのです、細君に「なんか悪いもんでもたべたかなー?」と聞いたら「皆なんともないよ、はよ病院いき」ていうし、まーがまんしながらタクシーで近くの総合病院に行きました。 待ち患者が多くてしばしほったかされました。「たぶん石やなー」なんて医者に言われ痛み止めの注射をしてからレントゲンを撮りました。 たぶん左の尿管やったと思うのです、石らしきものが管に在るのが解りました。 「そのうちチ○チ○から紙鉄砲みたいに飛び出して、便器にカチンと当るよ、まー水分をぎょうさん採って、縄跳びでもしなはれ・・・」なんて言われ、痛み止めの頓服と酸っぱい薬をもらって帰りました。 まー帰ってきても、痛いんです、そして・・・たぶん翌年の三月やったかなー、東京の仕事場のトイレでカチン・・・と・・・飛び出したのでありました。 まーこんな奴なんです、こいつが疼痛と血尿の主やったのです。 まー出て、よかった目出度し目出度し・・・ところがその後又・・・。
有識文化研究所の会都内高級ホテルで某妃殿下出席の下、古城大納言君達と記念演奏を致しました。皇室の装束や十二単を現代に伝える、高倉家の衣紋道等、僕にとってあまり馴染みのない事でしたが、日本の伝統文化を後生に伝える使命は同じです、雅楽の演奏やその様式を現代まで延々と伝えてきた皇室には頭が下がる思いがします。 又熱心に僕のような者に気さくにお話をしてくださった仙石先生に感謝します、
古城大納言氏のURL http://dynagong.com/ 今日は成人式です、着物を着る乙女達が街を歩むとは思いますが、どうか着物を着る心、その準備のための心得、歩き方等をこれから時間をかけて学んでいって欲しいと思います。 僕も着物で出かける回数が増えてきました、男物に凝り出すとお金が・・・祖父と父の着物を譲り受け、将来は息子に伝えたいと思っています。
有職文化研究所 http://www011.upp.so-net.ne.jp/yuusoku/top.html
2004年01月10日(土) |
ロイ・トバァイアス先生との出会い |
Roy Tobias ロイ・トバァイアス ニューヨーク・シティ・バレエ団出身 スタジオ・ベラーム バレエ主任教授 ベラーム・ステージ・クリエイト 演出・振付家 ソウル・バレエ・シアター 芸術監督
僕は、多胡先生の「くるみ割り人形」正月バージョンの歌舞伎版をこしらえました、今回最大の良い事はロイ先生と親しくお会いしたことです、現在は韓国のソウルにお住まいです、日本語が堪能でそして日本の伝統文化に対する造詣の深さには驚かされました、フランスのパリ時代には歌舞伎の六代目菊五郎のパリ公演のさい通訳をして、お礼にと着物をいただいたそうです、韓国のご自宅には日本の障子や蓑、番傘、浮世絵などを置いているそうです。
現在はご高齢で少し身体が不自由なのですが、多胡さんの師に対する接し方などを見ていて、バレエの世界ですが、日本の伝統世界が伝える、子弟の道が厳然と貫かれている事を感じました。
こういう方々と一緒に仕事出来る事を心から感謝しています、僕には何物にも変えがたい財産となるでしょう。
スタジオ・ベラーム http://www3.ocn.ne.jp/~belleame/findex.html
2004年01月08日(木) |
新春「くるみ割り人形」公演が終わった。 |
多胡寿伯子スタジオ・ベラーム新春公演「くるみ割り人形正月バージョン」 普通、クリスマスシーズンに各バレエ団が行うものですが、正月の2.3日にやるという事で、日本のお正月の風景(街の様子)からクララが夢の世界へと旅立つ内容になりました。 そこで僕は歌舞伎の手法である「着到」(ちゃくとう・・・お客さんが到着した、席についたこと)江戸時代の業界用語で、まるでJAZZミュージシャンみたいですね・・・。 指揮者が下手から現れ、オーケストラに向かって指揮をすると、宮城道雄の「春の海」が箏とフルートによって演奏されます。 しばし聞き入った指揮者は・・・今日はいったい何のコンサートだったか解らなくなり、気を取り直して指揮棒を振ると、やっと序曲が聞こえてきます、しかしそれは影絵に写ったドルセルマイヤー氏に取って代わられるという展開をします。 そして道行の江戸囃子と獅子舞、凧上げ、雪合戦、羽子板と日本のまー今では見られなくなった風景ですね、 有名な2幕の「花のワルツ」では途中から二十絃箏のソロになり、日本舞踊の乙女達が現れます、そして「中の舞」という能の音に乗って舞います。 あと三番叟の演奏も入ります。フィナーレではくるみ割り人形をプレゼントされたクララが又お正月の街角に戻ってきます。 グランフイナ−レは獅子舞と友に客席に下りて、オーケストラは「年の始めのためしとて・・・富士は日本一の山」を演奏して終わります。勿論和楽器も加わります。 こんなことを思いついて実行に移す多胡さんて、凄い人だなーと思いました。
Shinchanもずっと着物で通して、昨年の入院、手術の厄を吹き飛ばし?ました。 皆様今年も宜しくお願いします。
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