新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年10月28日(火) 太鼓!!沼盲太鼓の勇姿

僕の弟子で筑波大学附属盲学校の卒業生で現、上智大学に在籍している片岡君が頑張っている地元の沼盲太鼓同好会が静岡わかふじ国体のスポーツ芸術のイベントに出演しました。

沼盲太鼓同好会の理念
 県立沼津盲学校の卒業生・在校生で構成された7人のグループです。授業、部活動として8年間、そして沼盲太鼓同好会になって今年で5年になります。太鼓の一つ一つの音を大切に、時には楽しく、時には力強く打ちたいと思っています。

画像ははっきりしませんが、二台の太鼓をクロス奏法で打っているのが片岡君です、笛の瀬戸君も筑波の附属出身で、それは素晴らしい音色の笛を聞かせてくれました。
一番素晴らしいと思ったのは、目の見えない彼彼女たちのフォームと音の美しさです。
僕が和太鼓の世界で以前から言っている、型から入るため、力が抜けず、音色が汚いという事を彼らは、いい音のするフォーム(奏法)を追求しているため、それが綺麗なのです。


このポスターのデザインは片岡君のお母さんがデザインしたものです、素晴らしいですね、お母さんはプロのデザイナーで沼盲太鼓の世話を一生懸命にされています、そしてイベント終了後も全体の後片付けを彼らと一緒にされていました。








東海大学開発工学部ラート体操部「輪の中に」





全体の流れも、地域に根ざした芸能と太鼓を構成した、太鼓で押し通しながらも、東海大学の学生のスポーツショーなども中に入れ、太鼓で客席とも応答するという楽しい企画も素晴らしかったです。

才能や技術、境遇を超越した熱と力の団結がこのように感動のウエーブを起こすのたなーと改めて思いました。
良い一日でした。
彼等の太鼓演奏にアマもプロももう一度、真摯に聞いて、向き合わなくてはならないのではないかと思います。



2003年10月23日(木) 盲学校の定期演奏会

 今年も筑波大学附属盲学校の定期演奏会があった、本番は仕事のため今年も聞く事ができなかった、残念!
今回は名嘉睦稔さん作詞作曲の天河原の「夜間飛行」を編曲してインドネシアの竹のアンサンブル楽器アンクルンと沖縄のエーサー太鼓、三線(さんしん)を入れました。



アンクルン
インドネシアの竹製の民族楽器「アンクルン」は、インドネシア・ジャワ島の西ジャワより広まったと
言われている。ハンドベルのように一人が1個づつ持って、ゆすってカラカラと音を出す仕組みで、
ピアノの鍵盤のように3オクターブくらいの音を出すことが出来ます。
バリ島では火葬の儀式で葬送曲を奏でられます。
沖縄エーサー太鼓
最近特に、よさこいソーランと対峙するように全国的に人気のあるエーサー太鼓、盲学校の学生が丁度修学旅行で沖縄を訪れて、三線(さんしん)や沖縄舞踊、エーサー太鼓に触れたため、説明はしやすかった。

それにしても名 嘉 睦 稔(なか ぼくねん)さんは素晴らしい版画家という枠を越えた空間を詩や音に展開できるアーティストだと思う。
名 嘉 睦 稔さんのサイト
http://www.bokunen.com/
定期演奏会の出来もよかったようだ、丁度僕が病気の療養のため、彼等に時間をかけて接する事が出来なかったのだが、それが危機感を呼び自主性を発揮して放課後練習に励んだそうだ。
 盲目の彼等は普段物理的に縮こまっているのだが、エーサーの太鼓を叩く事で大きな動きをしたという事も今後、ピアノ、ヴァイオリン、声楽等専攻している学生に必要な要素ではないかと思うようになった。
 又障害者や身障者に太鼓療育方も進んできているようだ。
今月の25日は卒業生の片岡君が静岡の国民体育祭で盲目の仲間と太鼓を叩くので行こうと思っている、このグループにも卒業生がいて素晴らしい篠笛を吹く、楽しみだ!


 



2003年10月21日(火) 夭折の音楽家

 僕は関西で病気治療をしていたとき、芦屋の松林を散歩しました、その日は天気がよく気持ちの良い日でした、阪神淡路大震災のため古くからあったお邸はもうなくなっていました、そして海の方へ歩いていたら、芦屋美術博物館に辿り着きました。
 そうしたら「夭折の音楽家、貴志康一さんの記念展を開催していました。

昭和12年、2.26事件の翌年に28歳の若さで亡くなられてます。

僕は驚きました、僕が音楽の勉強を始めたのが阪神間で、よく芦屋や宝塚、大阪にレッスンに通ったものです、しかしこの日まで貴志さんのことは全く知りませんでした。

 ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者、画家、映画監督までやった方です、その多才さが命を縮めたかどうかは解りませんが、美術館で聞いた交響曲「仏陀」のスコアーは、もしリムスキーコルサコフが日本を題材にしていたらこういう曲になったかなーという曲です。

 僕が教えているスイスジュネーブ国立音楽院への留学、ヴェルリンへの二度の留学、自作をヴェルリンフィルで指揮をしてのSPレコードの製作等、戦前、このような天才的音楽家が阪神間に存在したのかと、驚いています。

貴志康一さんのサイト
http://www.konan.ed.jp/~art/kishi/html/home.html



 < 過去  INDEX  未来 >


Shinchandazo [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加