新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年04月28日(月) 新入生歓迎会

昨日、国立オリンピック記念青少年総合センターで日本打楽器教会主宰による、東京都及び近郊の格音楽大学の打楽器科新入生の歓迎会があった。

 進行役の百瀬さん(元NHK交響楽団ティパニスト、現国立音大教授)が、これだけの人数の学生から、何人ぐらいプロフェッショナルとして残っていけるのだろうか?という話をされていた。

 音大に入りたての学生はた夢と希望に溢れて、その顔はどれも輝いて見える、のでいささか百瀬さんの話は厳しいようだったが、現実はもっと厳しい。
 そして我母校である桐朋学園大学の学生もいた、他の学生は男女ともスーツネやクタイ着用できちんとしていたが、この桐朋と芸大の学生は普段着だった、何かここに学校の校風が現れているような気がした。

 桐朋の佐野先生(打楽器科教授)とも久しぶりお会い出来て、新入生とともに楽しい一時を持てて良かった。

 会半ばスピーチが回ってきたので、概要、このような話をした。
「先ほど百瀬先生から、ここに集まった人達はライバルでもあるという話がありましたが、目を国際的に広げると、各国の音大生やジャンルの違ったパーカッショニストはいったい何人いるのでしょうか?音楽的優秀性や個性を求められる時代です、一つ考えていただきたいのは、"汝おのれの足下を掘れ"という言葉です、自分の生まれた国の文化や古典を理解していなくては通用しない時代となっています、僕達の先祖が意固地になって守り通している古典文化等を、練習や勉強をやらなければいけないタイトな時間に縛られている皆さんですが、探求していっていただきたいと思います、頑張って下さい。」

 何故ならば打楽器奏者は国際的に民族音楽と接する機会が多いからだ、こう言う時自国の音楽文化を身に付けていないと音楽的会話も出来ない、オーケストラ作品と言ってもそれは国際的には極限られた範囲の音楽であり、世界は広い、例えれば国際会議場で活躍する通訳の方達が口を揃えて言う「自国語のエキスパートであれ」という事と合致している。

 いったい幾つぐらい日本に音楽大学が存在しているのだろうか?西洋音楽の教育に関してはそのレベルは高い、しかし日本の伝統音楽を専門的に教えているのは3校ぐらいしかない、僕が何度も言っているように、やがて雅楽や能楽を外国の先生から教わる時代が来るのではないだろうか、という事だ。

日本打楽器教会
http://www1.neweb.ne.jp/wa/daraku/


 



2003年04月24日(木) 先祖の遺産を忘れた人達

イラクで古代メソポタニア文明の博物館から約6000年前の遺品等を盗んでいる人達とそれを涙ながら嘆く博物館の職員の映像をフランス2で見た。


筆記用粘土版 楔形文字以前メソポタミア南部 ウルク第3期 紀元前4000年紀末
粘土

ドゥル・シャルキン(コルサバード)から出土した翼と人間の顔を持つ巨大な雄牛の像
これらが盗まれた、その日の食を得るためか?フセイン大統領の悪政への怨みからか?

 全く信じられない、今、何故この国に生きているのか?何故イラクなのか?「源遠ければその流れ長し」という世界に誇るべく民族であることを全く忘れ去っているかのようだ。

発掘開始以前のバビロンの想像図 
 
 古代メソポタニア文明、バビロンの血は何所へ行ったのか?その歴史的時間の流れに比べると、イスラム教でさえ新興宗教に思える。
 それに比べ日本でも卑弥呼の時代は新しいのにも係わらず、現在に至るまでその場所さえ想定出来ないでいる。

 イタリアのローマを歩いていると、近代的なブティックと遺跡が混ぜん一体となっていて、アッピア街道では古代ローマ軍の凱旋行進が聞こえてくる錯覚に陥る、古代競技場では「兵どもが夢のあと」を想う。

 戦争とは悲惨で残酷で文明破壊の魔物だとは思うが、現在の国家体制、宗教以前の文明を盗む対象にしてしまう現実が悲しい。


 
 



2003年04月21日(月) 創作バレエ作品「化身」

4月13日(日)
多胡寿伯子ダンス・コンテンポラリーVol.13で創作バレエ作品「化身」を上演しました、ヴァイオリン、シンセと雅楽楽器、能管、篠笛、小鼓、大鼓の音をパソコンで打ちこみ、なおかつ生音でそれらの楽器が入るという楽曲にしました、オーケストラピットには僅か三人しかいないのですが、出てくる音は凄まじいものがありました。
 今回特に実験ともいうべき事柄は男女二人のデュエットを能の中之舞いを用いた事です、最初はシンセのメロディーに能管、小鼓、大鼓を打ちこみで入れて、曲を仕上げました、それに多胡先生が振付をして、尾本安代さん桝竹真也さんがその振りをつかんだところで、生の能楽にしました。
 最初お互いに不安はありましたが、西洋のバレエは物の見事古典能にフィットしました、大変な驚きでした。

 それともう一つ舞台の中央に大太鼓を置き、祭の場面です、コスチュームはバレエのスパッツの上に半被ほ着るという簡単なものでしたが、そのフォーメーションは日本の祭に相応しく、日本舞踊を見ているようでした。

 このことは以前レニングラードバレエ団の太鼓作品の創作に付き合った時、もっと時間があればロシアの人達にも理解出来たと思うのですが・・・、現在、ロシアのバレエ団は日本の古典作品に大変興味を持っているのです、もし多胡先生が振り付けをすると今度は成功するかもしれません。

 今回感じた事はバレエ団に付き合うスタッフの体質が古いなーという事です、スーパー歌舞伎の音楽制作に付き合った経験かせ言うと、創作物の時は総合芸術として全ての舞台関係者がアーティストであるべきだと思います。
創作に「前例がない」なんていうお役所言葉はいらない!という事を強く思いました。
 前例のない物真似をしないという事が理解出来ない人達は、長くバレエの古典作品携わってきたからなのでしょう、今ヨーロッパでは日本で生まれた素晴らしい古典を学ぼうという機運が盛り上がっています。
 僕が予言しているように、やがて西洋の人に日本の古典を習う時代が来るかもしれません・・・。

※なおこの「化身」のサウンドトラックCDが完成しています、¥1,500-(送料別)です、ご希望の方はE-Mailで知らせて下さい。



2003年04月05日(土) 米英対イラク戦争の図式


 ハーバード大学の入江昭教授(歴史学)が25日付の日経新聞にユニークな論稿を寄せられていますので、ポイントを紹介したいと思います。
イラク戦争は「新しい戦争」であり「対テロ戦争」であるとのプロパガンダの下、ブッシュ政権には、世界が二度の大戦の反省から築き上げてきた国際規範を軽視する傾向があるように思われます。
第1次大戦も、1914年、オーストリアの皇太子の暗殺という「テロ」を引き金に、オーストリアがテロリストをかばう小国セルビアに調査団を派遣しようとし、セルビアが拒否したことを口実に、大国側が宣戦布告したのです。


サラェボに入る大公夫妻

 
 イラク戦争は、単なる「新しい戦争」ではなく、第一次世界大戦と類似している、と指摘しています。すなわち、1)覇権を巡る争い=パワーポリティクスの存在、2)軍備の拡張、3)愛国心にアピールする内政上の必要、4)経済活動のグローバル化(に逆行するにも関わらず開戦)、5)帝国主義の存在、6)ナショナリズムの高揚、の6つです。

もう少し具体例を引けば、第1次大戦も、1914年、オーストリアの皇太子の暗殺という「テロ」を引き金に、オーストリアがテロリストをかばう小国セルビアに調査団を派遣しようとし、セルビアが拒否したことを口実に、大国側が宣戦布告したのです。こうした歴史認識から、教授は、「現代の戦争が世界大戦にならないとは限らない」、と警告する一方、第一次世界大戦時代との違いは、組織化され世界規模で連帯する、国際世論の力強さであるとし、「六十億人の形成する国際世論」こそ歴史を創る力であると、一人ひとりの人間への期待を表明されています。

 だから今後考えられるのは、米国一国支配構図なのか、国連主体のイラク戦後構築の選択だと思います。
 石油の利権争いもありますが、太平洋戦争の敗戦国ドイツ・日本を民主国家にしたというアメリカの自負は、例えて言えば過去の亡霊の言葉に従って、そのノスタルジーに酔っている米国支配層の存在です。

 20世紀の反省と核抑止力による第四次世界大戦は避けられるかもしれませんが、それ以上のテロによる、罪のない民衆虐殺の信号は灯ったと思われます。

 21世紀は異なる宗教、イデオロギーを認め、一番大事な相手の痛みが解る価値観の共有だと思います。

アフガニスタンの若いお母さんの悲しい顔
 




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2003年04月01日(火) 妖変薄墨桜1

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 

僕はある秋の夜、天河大辨財天社の能舞台で鼓を打つため神社の一室で泊まっていました、東京から出発する日から気分がすぐれず、なかなか寝つけなくて何度も起きては煙草を吹かしていました、あーここには世阿弥が奉納した阿古父尉の面があったんだ、じゃー明日使うお胴も出しておこうと思い、枕元にお胴を置いてまた床に就きました。

 ・・・私しを愛でて・・・ねー愛でて・・・やっとここで会えたのに・・・
白拍子のそばで小鼓を打っているのは・・・僕だ・・・あれ!百合さん?
「・・・そんなわけあらへんよな・・・」・・・楓が百合に・・・
楓が百合?百合は楓?丑寅の鐘が遠くで聞こえる・・・たしかに小鼓を打っていたのは僕で、舞っていたのは五年前、国立劇場の地唄舞いの会の帰り、タクシーに乗っていて交通事故に会い、帰らぬ人となった百合子。
・・・すまん百合ちゃん、僕が一緒に帰っていたら一緒に死ねたのになー・・・
・・・私は昔からここにいるの・・・嬉しい・・・やっと会えた

ここは佐渡、流されて久しい新之丞は吉野に残した楓という白拍子のことを忘れる日はなかった。村人に猿楽を教授する世阿弥の助手として都の文化や言葉を伝える日々に、時として絶望を思うのだ「だめだ・・・こんな音ではない」
 世阿弥と共に佐渡に流され、若かったせいもあり、将軍の御癇気は高齢な世阿弥のみ許されて年若い自分には沙汰がなかった。
「新殿、必ず迎えをよこす故、くれぐれも短気を起さぬようにのう、天河のことも調べてみるのでな、たっしゃで精進されよ」
と言い残して行ったきり、都からも天河からもなんの文も届かない。

 新之丞は生まれは河内で、楠正成を叔父に持つ家系で、幼少から世阿弥の一座で修行を積み、謡いと鼓を受け持つようになっていた、世阿弥の妻は新之丞の母の従姉妹でもある、それが将軍の御勘気に触れて年老いた世阿弥の世話をするようにとのことで一緒に流されたのだ。

 
日本海の潮風のせいだろうか、鼓の音がよくない・・・謡いも舞も太鼓も都の猿楽士に負けないような芸を作れたと自負はするが・・・この小鼓は楓に預けた皮でないと鳴らないなー
 ・・・あの朝、楓の体に自分は間合いを作りながら、それは世阿弥の教えにある[序・破・急]の要素を女体に応用する事だ、女波と男波の波は違う、女波はゆっくりとその波を打つ、それを読んで、女波の質量が増えた時、わざと間合いを外す、そして波の要を時に優しく時に荒々しく拍子を変えながら鼓のように打つ、そして男波と女波が合体して龍が渦を巻いて昇るように二人して中に舞いあがった瞬間、精を放つのだ。そして女波はやがてゆっくりゆっくりと潮を引いていく、その時にはその引いていく拍子に会わせて又愛撫するのだ。正に能の成り立ちと同じなのだ。
 
 この教えは身をもって世阿弥が教えてくれた、高齢な師匠はもう女体を欲する事はなかった、しかし時に新之丞を床に招き、能の真髄を肉体から教えようとするのだ、それは男色を越えて、一つの肉体がもう一つの肉体に遺伝子情報とも言うべき過去、いやもっと古縁からの情報を伝えようとするのにも似ている。

 楓の肉体の周波数が痙攣から叙序に波を引いて、まだ高潮しているその愛らしい唇が開いた。
 「あなた様のお子は鼓打ちにしてもいいでしょうか」
「男の子ならそうしてくれ、女の子ならそなたの跡を継がせばええ、決して南朝方の武門に渡さぬようたのんだぞ」
「まー白拍子の子を武者がどうして迎えますか」
「それもそうやけど、今日一日だけの契りで授かるわけないわなー」

・・・でも、もう五年も絶えて噂を聞かない、都から政治犯として年に一度船が着く、しかし南北朝の南朝の噂はさっぱり入らなくなった、楓は死んだ叔父、楠正成の一族が保護しているという噂を聞いたのは四年前だ、それから・・・幕府の局に引き抜かれたとも聞いた。






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小鼓の胴は薄墨桜から造られます、鼓の胴はその時代の彫り士、漆塗り、革職人の手を経て一丁の小鼓として完成します、それはヴァイオリンのストラディバリのように何百年間、色々な鼓打ちを渡り歩き、又は代々親から子へと受け継がれてます、現代の能舞台や歌舞伎座で打ち鳴らされている小鼓は有に100年以上以前に造られたものです。
 もし愛する人が死んで薄墨桜の元に埋められて、美しい桜花を咲かせたら・・・


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