Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年12月26日(金) 更新は義務か責任か

気づけば更新が途絶えていました。なんだか研究室のモニタはやたら揺れています。どうやら寿命のようです。ご愁傷様。廃棄処分したいところですが、代替品がありません。卒論が終わるまで、慢性震度1のこのモニタでがんばるしかないようです。リフレッシュレートを下げるとむしろ不安定になって、レートを上げると安定するようです。違和感はありますが。なぜか分かりませんが、そうなのだから仕方がありません。リフレッシュレートは85Hzで行くことにします。なんだかボヤッとしていますが…。

今日は家族と出かけてきました。回転寿司なんて食べたりして。最近睡眠不足で、物理的に視野狭窄の状態だったのでこういうおちついたことができると健康を取り戻せる気がします。やはり、多少問題があっても寝ることは大事ですね。痛感します。



2003年12月23日(火) 親戚の友人の弟

マイエンピツに登録させていただいた方に自己紹介。分かる人にしか分からないと思うのでラグナロクに興味のない方は、適当に読み飛ばしてください。

前回、前々回とSESSIONSの方に助っ人として参加させていただいたシークです。と言っても、おそらく分からないのではないかと思います。なんせ2日とも、1回も会っていませんから。寧々さんの知り合いと言えばなんとなく伝わるでしょうか…。それでも、親戚の友人の弟くらい遠いですが…。

ちなみに、普段はSESSIONSさんとはなんの関係もなく暮らしています。たまたまSESSIONSさんの方に空きがあると聞いて入れさせてもらったわけです。普段はPrismatic Shootというギルドでまったりやっています。ちなみにレベルは75…。帰れって感じですが、ハンマーフォールかますだけなら誰でもできるわけで…。ついでにBSは、攻撃時も防衛時も狙われにくいお得な職だったりします。攻撃時は前衛職が狙われて、防衛時は後衛職が狙われるわけですから、どちらでもないBSはいつもフリーなのです。ちなみに21日の防衛時、こっちは結構忙しかったですよ。僕は斧なんざただの1回も振ってませんが。

そういうわけでほぼ他人ですが、同じエンピツを使ってるってことで登録させていただきました。どうかよろしくお願いします。…にしても、過去一ヶ月ほどさかのぼって読ませていただいたんですが、SESSIONSが比較的まじめな雰囲気だから…と思っていたら…。いや、なんでもありません。



2003年12月22日(月) 食は万物の根源

今日はあまり作業が進みませんでした。木曜日までにデモンストレーションできるようにと言われましたが、大丈夫なのでしょうか。さすがに、昼食を抜いて作業したのはまずかったようです。なんだかボーっとします。

明日は休みですし、電車に乗る時間ももったいないので、家でじっくり調べ物をしてみようと思います。インターネットで分かることなら、あえて大学に来る必要もないでしょう。

とりあえず、今日の収穫は、食事をしないとだめだということですね…。収穫と言えるのかどうか…。



2003年12月19日(金) 生誕を祝福するものは誰ぞ?

今日は、研究室の大掃除をしました。PCに向かっていなかったのは久しぶりです。なんだか気持ちがいいものですね。卒論が終わったら、一週間に一度くらい、ディスプレイ系統のものを見ない日があるといいのではないかと思えます。とは言っても、掃除中にPCで音楽を鳴らしたりしていて、その時にPCを操作したりしたのですけどね。それ以外にも、夜になって同級生の手伝いをしたりしたから、結構見ていたかも知れません…。というわけで、帰ったのは結構遅かったりします。

体を動かして気分は良かったですが、それだけですね…。あとは、夜に父と話をしました。かなり久しぶりのことです。父の会社は、最近新しく自社ビルを建てたそうです。そのあたりの話をいろいろと聞けました。マスメディアの事情はいろいろとおもしろいものがあります。電通の意外な過去を聞くことができたり…。

別に秘密でもなんでもないと思うので書いてしまいますが、戦前の日本には同盟通信社という通信社がありました。通信社とは、簡単に言えばマスメディアの卸業者です。彼らの記事が直接消費者に届くことはあまりありませんが、間接的に様々な新聞を通して、僕たちは通信社の記事を見ているのです。国内の記事には記者名や通信社名は載りません。もっとも、毎日新聞の場合は記者名が載っているそうですが。ところが、戦後のGHQによる統治の中で、マスメディアの戦争責任も問われる形になりました。そこで、財閥解体などと同じようなタイミングで、この同盟通信社も解体されることになったのです。…と、思って調べてみたら、どうやら責任追及を恐れて自主的に解体したというのが事実のようです。もっとも、インターネットの情報なので定かではありませんが。さらに調べてみると、ポツダム宣言の意図に反して無理矢理解体されたというような話もあるし、いろいろです。

で、その同盟通信社が分かれて、時事通信社共同通信社の二社が設立されました。時事通信社は株式会社であり、共同通信社は多くの新聞社が加盟することによって成り立つ社団法人です。組織体系だけでなく、その目的も異なります。時事通信社は一般法人向けの情報提供をその目的としていました。その当時、情報という概念に今ほど価値はなかったと思われます。その中で情報が重要だったのは、経済に関係する企業でした。株価、相場に関連するニュースなど、一刻も早く、多くの情報を入手する必要があったのです。これは、今でも変わらないどころか、情報の重要性は増すばかりと思われますが。一方で、共同通信社は新聞社による社団法人なので、その運営も新聞社のために行われました。つまり、記事を作るのが仕事です。本来の通信社の仕事は、共同通信社が受け継いだのです。もっとも、そんなことでは時事通信社の方がつぶれてしまうので、現在では時事通信社でも記事の配信を行っています。時事通信社と共同通信社の間で決定的に異なるのは、ビジネスとして取引先に情報を提供するという立場と、自社に資金を提供する加盟社に情報を提供するという立場です。時事通信社は企業間取引を行っており、共同通信社は新聞社のコミュニティによる情報交換を行っていると言えるでしょう。もっとも、「社団法人共同通信社」には「株式会社共同通信社」という子会社が存在します。このような事情もあり、現在でははっきりした区分けはないとも言えます。

で、その二社以外にも同盟通信社から分離して現れた会社があります。それが、電通なのです。もともと電通は同盟通信社が設立される直前にくっついたようで、いわば、一度くっついたものがまた離れたと言えるでしょう。資本の割合としては、共同通信社が5に対して時事通信社が3、電通が2程度であったと言われています。これ以外にも同盟通信社から分離して現れた組織があったため、電通の資本はもっと少なかったとも考えられるでしょう。この当時、テレビはほとんどなく、ラジオを相手に活動を行っていた電通が現在のようになるとは、だれも想像できなかったのです。時事通信社は自社の関係者のみが株式を保有していましたが、電通はそれでは株がさばききれなかったのか、共同通信社と時事通信社が株を保有する形になりました。が、今では、共同通信社や時事通信社のことなんて知らなくても、電通なら知っているという人が大多数を占めるような状況になりました。時事通信社を知らなくてもおそらく問題はありませんが、電通を知らないとなると常識を疑われる可能性があります。

で、電通は数年前に株式公開を行いました。それまでは自社関係者及び、共同通信社、時事通信社で株を持っていたのですが、電通の規模から考えて、そのような状況は適切でないと考えたのでしょう。そして、商法の関連でごたごたもあったようですが、結果的に時事通信社は、公開されたあと当然のように跳ね上がった電通の株を売却し、多額の売却益を得ました。まるでインサイダー取引のような話ですが、不正に株を入手したのではなく、そもそも株式公開前から関係者だったわけです。そして、その売却益を使って銀座に本社ビルを建てました。共同通信社も汐留に新しいビルを建てたようです。おそらく同じような事情があったのではないでしょうか。

それにしても、気になる点が二点ほどあります。一点目は、共同通信社のURL…。営利団体ではないのに、なぜ"co.jp"なのでしょう?まあ、URLなんて好きに付ければいいのかも知れませんが…。二点目は、僕の日本語FEPの古さ…。汐留という文字が変換できませんでした。どうやら、僕のFEPが作られた時にはまだ、汐留はなかったようです。ちなみにFEPとは、OSとユーザとの仲立ちをしてなんらかの処理をするソフトウェアの総称のはずです。そのうち日本語FEPと言えば、入力を日本語に変換するソフトウェアを指すはずです。日本人同士でFEPと言えば日本語FEPを指すことが多いようですが、そのあたりは判然としません。

ところで、12月19日は僕の誕生日なんですね。いやはや。これで22歳ですよ。この歳になると誕生日も寂しいものですね。



2003年12月18日(木) 閉塞

うーん、ますます閉塞感が…。さすがに毎日毎日同じことをやっていると、思考が麻痺してきますね…。価値観もおかしくなってくる気がします。物事の善し悪しを考えようにも、ほとんど卒論以外のことに触れていないのですから。卒論が終わればこの感覚から抜け出すことはできるのでしょうか。じっくりと自分の好きなことをやってみたいとずっと願っていたのに、どうやらそれを実現することはできそうにありません。この調子では、卒論が終わっても何らかの形で制約が残ることでしょう。

ま、いいか…。今日は寝ることにしましょう。明日は研究室の大掃除で、作業はできません。ずっとPCに向かってばかりだから、この機会にじっくり休ませてもらうことにしましょう。



2003年12月17日(水) 集中力

進んでいるのかいないのか、よく分からない状況が続いています。研究室に来てから帰るまで、ほとんどずっとPCに向かっていて、最近はインターネットのニュースもサラッと流す程度しか見ていないはずなのに、なぜか作業にそれほど時間を費やしていないような気がするのです。集中力が欠如しているのでしょうか。

昨日、夕食を食べていて、久しぶりにニュースを見ました。ニュースステーションなんて見たのは久しぶりです。その時間は、ちょうど食事が終わって風呂に入っていたり、とっとと自分の部屋に引き上げていたりでなかなかテレビを見る機会などなかったのです。テレビを見ておもしろいと思えないことが最大の原因ですが。ニュースでは、いろいろなことをやっています。で、いろいろ言われると、いろいろ考えます。そのたびに、思うのです。僕が考えることなんて、無意味だなあ、と。何の力も持たない学生が何を考えようと、何もできないのですから。テレビの前で真剣に考え込むくらいなら、この日記にその一部だけでも記した方がマシというものでしょう。最近は、強く訴えたい自分の意見なんてないのですが。昔は世の中のことに関して真剣に考える余裕があったのですが、最近はそんなことをいちいちまともに考えていられません。世の中がどうなろうと知ったことではありません。僕は今、目の前の卒論で手一杯なのです。ただ、自分のことを棚に上げてしまうのはどうかと思うのですが、こんな教育でいいのでしょうか?最低限、朝刊くらいじっくり読める余裕を持って生活できるようにすべきなのではないでしょうか。もっとも、たかが卒論程度で、ここまで追い込まれている僕がおかしいだけなのでしょうが。

横のつながりがなくなって、ほとんど他の学生の話を聞くことはなくなっています。しかし、それでもかすかに聞ける噂によると、僕のように余裕を失って毎日毎日よく分からない作業を続けている学生はそれほどいないようなのです。大学院に進む学生でもそうだと言うから、そういう学生が不真面目なのではなくて、卒論というのは本来、こんなハードな生活を強いられるようなものではないでしょう。

とにかく、余裕を取り戻す時間もないまま集中し続けなければならない状況で、僕の集中力は低下の一途をたどっています。高校生の頃、ボーっと授業を聞いていたときだってこれほどひどくはありませんでした。刺激が足りないのか、僕のやる気がないのか。やる気のことは今に始まった問題ではないので、単に疲労なのかも知れませんね。まあ、疲労していようが体調がおかしかろうが、一日の半分以上モニタを見つめ続ける生活から抜けることなどできないのです。考えてみれば、下手すれば10時間以上も毎日毎日モニタを見つめ続ければ、おかしくならないはずはないのです。しかも、大学のモニタも家のモニタも、どちらも寿命を過ぎており、かなりちらつきが激しくなっています。家のモニタはコントラストが異常に低下しており、大学のモニタはしばらく経つと画面が揺れ始めます。



2003年12月16日(火) 理想と目標

なんだかひかれる友達がいる。立派なわけでも特徴があるわけでもないが、なぜか魅力的に感じるのだ。

しばらく考えてみて、それがなんなのか思い当たった。彼は、僕から見て1つの理想を体現しているのだ。決して良いと言える状況でなくても、物事をクールに見て、余裕を持っているのだ。どうしてもあくせくあくせくしてしまう僕とは、この点がまるで違う。人間には能力の限界というのがあって、どれほど焦ってもできないことはできない。できることなら焦ったりしなくてもできる。いや、心に余裕があった方ができるものだ。ギリギリ、すれすれではない考え方に、魅力を感じる。

そもそも僕は、賭け事のたぐいや、考え方が嫌いだ。リスクというのが嫌いなのだ。…そう言えば、口調が元に戻っている。

だから、星空を見たとき、誰かに会ったとき、よく会う人であっても普段しない話をしているとき、そんなときにフッと余裕を感じられるようにしていたいのです。ちょっと変わったことをしたときに、何かに追われることなく、ゆっくりとその時間に浸れる、そんなふうに過ごしたいと願っているのです。それが1つの夢でもあります。お金を稼いで成功するだとか、地位だとか名誉だとか、そんなことに興味はありません。お金はないよりあった方がいいのでしょうが、毎日苦労を重ねてまで積極的に稼ごうとは思いません。少なくとも僕自身の価値観において自然体であること。これが僕の人生の、当分の目標でしょう。大きなことなど成し遂げる必要はないのです。ただ、物事に追われることさえなければ。



2003年12月15日(月) 星空

着る服がなくて、ベランダに干しっぱなしになっていたトレーナーを取りにいった。そして、そのベランダからフッと狭い星空を見上げた。すぐそばの隣の家との間に、かすかに見える星空。雲もほとんどなく、冬の澄んだ空気は、星をきわめてきれいに見せていた。

にもかかわらず僕は、その場をすぐに離れた。明日も早く大学に行かなければならない。卒論はこれからが本番なのだ。それに、今日はまだ帰ってから食事しかしていない。もう少し家でゆっくりしたいと。平たく言えばゲームがしたいと。ほんのわずかの星空を見上げる余裕すら失って、いったい人生の何が楽しくて毎日を過ごしているのだろう。そうは思ったが、そんなことを言っても仕方がない。いったい何のために、やりたくもない卒論をやっているのだろう。こんなことを多くの学生にやらせている世の中って何なのだろう。卒論って、何の目的でやるんだろう。できあがったって、中途半端な出来になることは目に見えている。そんなものを一生懸命やって、いったい何になるのだろう。苦労したね、がんばったね。だから社会に出てもがんばってね、と送り出すのだろうか。

卒論が終わったらどうなるのだろう。その後もなお、星空を見上げる余裕すらない生活が続くのだろうか。こんな、1つのことを毎日やり続ける生活なんてうんざりだ。刺激のない生活は仕方がないが、ずっと同じことだけをやり続けるなんて、いくらなんでもひどすぎる…。きっと、今だけだ。2月で終わるのだ。そう信じてやるしかない。



2003年12月14日(日) GvG

知っている人でなければ何のことやらまったく分からないであろう略語です。何かと言えば、ゲームの用語です。たぶん今日の日記は最後までゲームの話です。

GvGとは、ラグナロクオンラインにおけるギルド攻城戦のことです。アジトがあって、その争奪戦を行うのです。なぜそれがGvGなのかははっきり分かりませんが、おそらくGuild vs Guildだからだろうと思います。

で、今日、そのGvGに参加してきました。これは、実はそれなりに大事件なのです。なぜなら、アジトを奪取することは、このゲームの1つの大きな目標であり、多くの人が目指しているからです。そして、多くの人が目指す目標であるということは、その人たちの中にはとんでもない人たちもたくさんいるということなのです。平たく言えば廃人です。僕の一番レベルの高いキャラクターは75レベルで、このキャラクターは4月からずっと使い続けています。つまり、4月からずーっとやりつづけて75レベルということです。ところが、1ヶ月程度でこのレベルを軽く越え、このレベルまでの経験値の10倍、20倍と稼ぎ、最高レベルの99まで行ってしまっているような人たちが、かなり多くいるのです。そして、そのような人たちがいるGvGに参加したということは、僕もまた、廃人への道を踏み出したことになるわけです。

と言っても、レベルがレベルなので、ゲスト参加のような扱いでした。多くのゲームと同じように、このゲームにもキャラクターごとに特技があります。で、僕はたまたまその特技のあるキャラクターを持っていたために参加することができたのです。で、経過を細かく書いても仕方がないのですべて省きますが、結局勝利することができました。並み居る廃人たちを片づけて、僕たちが勝利したのです。まあ、僕は最前線にいたので、勝利した瞬間は状況がよく分かりませんでしたが。多くの人たちが参加するために、このGvGはひどく混乱します。その中で、比較的統制の取れた行動ができたと思っています。

やっぱゲームの話をここで書いても仕方ないんですよね…。



2003年12月13日(土) SETI@Home

一昨日あたりから、SETI@Homeを使い始めました。詳しい内容は分からないのですが、簡単に言えば、地球外から来た電波を解析するためのツールです。ただし、それが本当かどうか、僕自身で確認したわけではありません。電波を解析すると言いながら実はトロイの木馬であったとしても、僕には分かりません。ただし、比較的有名なソフトウェアなので、おそらくそういうことはないと思うのですが。とにかく、これで僕のPCは、基本的に無駄なく動き続けることになりました。SETI@Homeは、PCの余剰能力のすべてを使って演算を続けるからです。

ちなみにこの余剰能力は、今後大きな可能性があると言われています。世の中にはPCがたくさんあって、そのPCのほとんどが、余剰能力を持っていると言われています。特に、クロックスピード2GHzを越えるようなPCになると、通常時には3%程度しかCPUを使っていないと言われています。インターネットに使われているTCP/IPは、クライアントに高度な性能を要求すると言われていました。しかし、それも昔の話です。今のPCにとって、TCP/IPの処理など重い処理と呼べるようなものではありません。メールや、WWWの閲覧だけであれば、すでに十分すぎるほどのPCが登場しているのです。このような状況で大量に余っているCPU資源を利用しようとする試みは、未だかつてないほどに注目されているのです。グリッドコンピューティングという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

ただ、グリッドコンピューティングよりも、目下の課題は卒論です。で、プログラムなのですが、とりあえず順調に動作しています。しかし、なかなか実装は進みません。細かいことが気になってしまっているのです。とりあえず動作だけ確認したら、どんどん書いていかなければならないのですが。来週の月曜日にセンサー部分は完成させる必要があるでしょう。まあ、土日はじっくり寝て、英気を養う方がよいでしょう。ウィークデーは、これからますます、PCの前でプログラムを書き続ける日が続くことになるのですから。

ああ、一週間過ごしたあとに、3時半まで起きているとさすがに眠いですね…。



2003年12月11日(木) エンピツの機能追加

どうやら、機能が追加されたようです。ほとんどが有料版に対する機能の追加のようですが。年900円ですし、有料版に変更してもいいかも知れません。ただ、お金を支払うのが面倒なんですけどね…。ウェブマネーで払えるのなら900円くらい出すのですが。

ただ、新しい機能のほとんどが、現在のままでも自分の工夫次第で使えるものです。画像のアップロード機能はどこかにフリーのサーバを借りてしまえばいいですし、草稿もブラウザ以外のエディタを使えば問題ありません。アクセス解析は、僕のこの日記にもついています。左上に表示されているのがそのアクセス解析の画像です。とは言え、すべてこのブラウザの中で使えるのは非情に便利ですね…。日記画面に直接書き込めるようなインターフェースだと理想的なのですが、それをブラウザで実現するのはかなり難しいでしょうね…。インターネットエクスプローラには編集可能ページという特殊なスタイルがあるのでそれを利用すれば可能かも知れませんが。

卒論の方は、ようやく問題が解決したので、これからどんどん書いていかなければならないのですが、なかなか難しいものです。再利用可能なクラス構成っていうのにかなり興味があるのですが、とりあえず今回は、そんなことよりも書いていくことが大事かも知れません。

最近、朝が弱くなっています。それは単純に、夜更かしをするからだと思うのですが。早めに寝るよう、心がけなければいけませんね…。あとは、休みの日にしっかり休むようにすべきなのかも知れません。気分が盛り上がることがほとんどないので、きっかけなんてなくてもまともに動けるように、常に英気を養う必要があるのでしょう。



2003年12月10日(水) アイスター

いろいろ書いていたのですが、突然不正終了してすべて消えてしまいました。やる気が失せますね。

言いたかったことは、アイスターの宿泊拒否問題についてです。ハンセン氏病元患者の方々が、60人ほどで旅行へ行こうとしたところ、ホテル側に宿泊拒否されたという問題が起きたのです。

で、僕の意見の結論としては、宿泊拒否は正しい判断だったのではないか、ということを言いたかったのです。この病気を理由に宿泊拒否をすることは、科学的にも道義的にも大いに問題があるでしょう。しかし、ホテルはくつろぎの場所です。そのような場所にこういう話題になった病気の関係者が大勢でやってくれば、建前がどうであれ、本音では不愉快であることはほぼ間違いないでしょう。少なくとも僕だったら不愉快に思うでしょう。この病気の関係者に限ったことではありません。僕は、お世辞にもきれいな格好をしているとは言いがたいものがあります。髪は目にかかっても面倒だからと言って放っているし、ファッションにも気を遣ったことがありません。しかし、おしゃれに興味がないだけで、それ以外は特に問題のない普通の大学生でしょう。しかし、そんな大学生ばかり60人もやってきたら、他の人は不愉快に思うに違いありません。病気そのものが問題というわけではないのです。そのイメージ、印象が問題なのです。そして、そのような悪印象を避けようとするホテル側の判断は、正しいものであったと思います。人権侵害であることは疑いようがありません。科学的、道義的に言って間違っていることも、おそらく否定できないでしょう。だからこそ、このホテル側の判断は価値があると思うのです。建前だけで議論する人間には強く批判されることであっても、それを恐れずに言っていくこと。なかなかできることではありません。

人権侵害は確かに問題かも知れません。しかし、世の中に人権侵害はあふれかえっています。会社員で人権をまったく侵害されていない人がいるとは思えません。サービス残業という言葉が大手を振って世の中に蔓延していることだけを考えても、法律が定める理想が現実と乖離していることは疑いようのないことなのです。だからと言って、人権侵害を認めるべきではないのかも知れません。ただ、この問題に限ってここまで大きく取り上げる必要性はなかったのではないでしょうか。

問題なのは、宿泊を拒否したホテル側でも、まともに情報を伝えなかった県側でもありません。世の中にあふれかえっている人権侵害の、たった1つの事例であるこの事件を、これほどまでに大きくとりあげるマスメディアが最大の問題なのです。これは、科学的、論理的、法学的、倫理的に間違っていても、それがまかり通ってしまう世の中の現実を物語る、たった1つの事例に過ぎないのですから。

ちなみに、科学的な考え方や論理的な考え方がすべてであるとは思いません。だからこそ、僕はホテル側の方が正しいと感じるのです。では、科学的な考え方や論理的な考え方でないものとは何かと言えば、それは人間の感情的なものです。人間はどれほど非論理的であろうとも、感情を捨てることはできません。押し隠したりがまんしたりすることは頻繁にありますが。人間は感情を持つから人間なのです。感情がどれほど非論理的であろうとも、それが人間なのだから仕方ありません。そして、その感情が否定するのであれば、ホテル側はそれを最大限に尊重すべきです。感情は価値観の源泉であり、ホテルが提供すべき満足もまた、この価値観、感情を源にしています。日頃は世の論理に屈していても、休むときくらいは自分の感情の赴くままに過ごしたいと願うのは当然です。ホテルにいるときくらい、非科学的でわがままに過ごしたいのです。その感情が否定する人間など、まわりにいて欲しくないのも自然な感情です。このホテルは、いつしか真正面から議論されることのなくなった、人間の素直な感情を尊重しているのだと、僕は感じています。



2003年12月09日(火) とりあえず問題解決

毎日書くと言ってわずか1日で挫折したシークです。こんにちは。

あいかわらずプログラムの進展はなく、そろそろ危機感を感じてきたところでした。でも、それはそれとしてミーティングがあるので、今日は地道に資料の準備をしました。ここ数週間は資料の内容についてあまり言われなくなりました。内容が良くなったのではなくて、細かいことを言っている余裕がなくなったのでしょう。確かに、プログラムが動かない段階でいくら言っても、どうにもなりません。

ミーティングの後、地道にプログラムを読み直してみました。で、あれこれやっているうちに、ふと、GUIの起動画面が気になりました。このプログラムではサーバに接続するために、ホスト名とポート番号を記述します。で、そのポート番号なんですが、その番号が、僕のプログラムに書いたものと違うのです。長い間悩んでいたのは、ポート番号の指定ミスだった、というわけです。なぜポート番号を間違っていたのに動作したのか…。まるで分かりません。

とりあえず問題は解決したのですが、その先は多難です。何より、まだ卒論の文章にまるで手をつけていません。目次すらどうなるのか定かではないし、タイトルもはっきりしていません。これから、どうなるのでしょうか。



2003年12月08日(月) 新たなる決意

とりあえず、日記を自宅で書くことと、毎日書くことをもう一度心がけようと決めました。それから、いつまで続くか分かりませんが、丁寧語で書いてみようと思います。もともとこちらのほうが好きなのです。論文口調に慣れようと思っていたのですが、あまり練習にならないし、日記の時まで論文を意識するのは嫌なので…。

今日は、あまり調子がよくありませんでした。11月下旬くらいがピークで、最近はまた下り坂という感じです。研究のほうも進展がありません。とりあえず、そろそろ動いてもらわないと困るのですが、シミュレータをどう使えばいいのか未だに分かりません。やはり他人が書いたプログラムを使うのは難しいですね。それも、海中ロボット用のシミュレータを船舶用に使うのですから、ますます難しいというものです。

キーボードは研究室のほうが使いやすい気がします。と言うよりも、研究室のキーボードを使うことが多かったので、自宅よりもそちらに慣れてしまったのだと思います。まあ、いい傾向と言うべきなのでしょうか。それにしても、口調を変えるだけで、キーを叩く手の動きまで丁寧になるような気がします。こういう些細なことが、意外と大きな影響を与えるのかも知れません。

家で日記を書くということは、それだけ寝る時間が遅くなるということを意味します。その点をどう解決していくかが問題になりますが、研究室での時間をこれ以上日記に費やすわけにもいかないので仕方のないことでしょう。まあ、自宅にはこだわらず、毎日更新を心がけるべきかも知れませんが。それとも、日記は時間の無駄なのでしょうか。やっていて楽しいと思える限りは続けようと思っているのですが。

毎日毎日、研究室に行って、帰って、寝るだけという生活も単調で嫌になりますね。人と会っていろいろ話せればいいのですが、なかなかそんな機会もありません。話と言っても、卒論の話ばかりになってしまうこともしばしばです。明日はゼミがあるので、発表資料を準備しなければなりません。早く寝ますか…。



2003年12月03日(水) 久しぶりの夢

久しぶりに夢を見た。こんなに落ち着いたのは久しぶりのことだ。

今日は大学へは行かなかった。ただそれだけで、こんなに落ち着けるとは思わなかった。土日は休んでいるはずなのだが、土日に休むのと平日に休むのとでは意味合いが違うのかもしれない。

夜、ずいぶん久しぶりに夢を見た。なぜか千葉の高校に入ってしまう夢だ。もう詳しい内容は覚えていないが、最近は夢を見る余裕なんてなかった気がする。余計なことを考えていられなかった。でも、今日は一日完全に思考を切り離せたから、いろいろと考えることができたのだと思う。

集中しようとすればしようとするほど、だんだん集中力が低下してくる。1年前なら分かったことが、今は分からない。昔からあった記憶力の低下傾向は、最近さらに著しくなった。もはや前の日の夕食を思い出すことも難しい。夕食の内容をかろうじて思い出すことができても、その前後に何があったのかまではとても無理だ。何時ごろ家に帰ったのか、何時ごろ食事を始めたのか、自分の部屋に戻ったのはいつ頃か、そして、それらのできごとの順番はどうなっていたのか。断片は思い出せても、それらがつながることはない。

デザインパターンを勉強して、これは使える、と思っても、2日、3日たって、資料にまとめようとする頃には忘れている。デザインパターンそのものを忘れることはない。本に書いてあって、読んだ内容については覚えている。それを見て、自分が何を考えたかということを忘れてしまうのだ。自分が考えたことに対する価値観が低いのかもしれない。確かに僕の考えることなんてたいした事はないが、それでも、忘れてしまっては卒論も書けなければ今後の生活も危うい。何とかならないものだろうか。

宗教は、すべてを救ってくれるのだろうか。最近、少しずつクローズアップされているような気がする。



2003年12月01日(月) 久しぶりに

前にも紹介したが、結城浩氏のWebサイトをもう一度読んでみた。Java言語で学ぶデザインパターン入門のページを見るためだ。おかしいなと思ったところがあったのだが、やはり訂正されていた。で、それはそれとして、このサイトはかなり大きなサイトだ。いろいろと考えさせられる部分があるので、時間のある方は、目を通してみるといいのではないかと思う。キリスト教に関する意見については、説得力はあるのだが、僕は、神様を信じる気にはなれない。自分の目に見えるもの、自分の手に触れるものしか信じられないのは、おろかなことかもしれないが。とりあえず今は、卒論をやっていてそんな余裕はないのだ。

ここに限らず、世の中にはさまざまな役に立つ文書がある。それらに目を通すことは、多くの場合、自分の成長を促すだろう。しかし、ひたすらに文書に目を通しつづけている限り、自分はなにも作ることができない。これがジレンマというものなのかもしれない。

そう言えば、Web日記を書く心がけも非常に参考になった。ただし、参考にはなったが受け容れるつもりはない。誰のために、という点で決定的なずれがあるからだ。この日記は未来の自分のためのものだ。基本的に他人に読ませるものではない。ただ、もし読んでもらえるなら読んでもらえたほうが嬉しいというだけのことなのだ。

世の中には、難しいことを当然のこととしてやっている人がいるものだ。そう、強く感じさせられる。僕もそうあるべきなのかもしれないが。確かに、困難なことを成し遂げるときには、信仰は強い力になるのかもしれない。原因不明の気の迷い、意志の弱さなど、よく分からない問題はいろいろ起こる。信仰はそれらから脱する力になるかもしれない。人を愛すること、人を信じること、人を好きになること。何かを強く願うこと、祈ること、思うこと。そうなれればいいなと思いつつ、現実にそんなことにはならない。人を好きになることで、自分がどれだけ強くなれるかということは、自分自身がよく知っている。それでも、そう簡単に人を好きになるなんてできない。自分の心なんてよく分からないのだ。

そんなときは考えればいい。自分の心と向き合い、正直に逃げずに考えるのだ。だが、考えたくない。思い出したくもない。思い出せない。どれほど抽象的なことを言ったところで現実は容赦なく迫る。心の中で何を考えていても、結局は現実と向き合うほかに道はない。

大抵の場合、答えは決まっている。自分のなすべきことは決まっている。神様が定めたかどうかは知らないが、ほとんどの人は誰かが決めた、やることがある。ただそれを、従順にこなせばいいのだ。


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