Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年10月30日(木) ネットゲーム比較

なんか最近暗い気分なので、ちょっと趣味の話でも。

趣味と言えるのかどうかは分からないが、ここ一年くらいずっとネットゲームをやっている。ラグナロクオンラインというゲームだ。いわゆるMMORPGという分野だ。同時に多人数が接続して一緒に遊ぶというやつだ。僕の知る限りだと、このジャンルのRPGにはゲームクリアがない。まあ、でなければ料金をずっと取りつづけることができないのだが…。知らない人に話すと「じゃあ、いったい何をするゲームなの?」と言われる。答えは、人それぞれと言うしかない。人が一生懸命戦っているのを支援することに喜びを感じる人もいれば、ずっとただ一人で戦いつづけるのが楽しいと言う人もいる。スタイルはそれぞれだ。どれがいいとか悪いとか言う人もいるが、ゲームとしてはどうやってもいいことになっている。ただ、この辺のスタイルにはゲームによって違いがある。

ここで、ファイナルファンタジー11と比べてみようと思う。まあ、ファイナルファンタジーのことはよく分からないので比べると言っても限界はあるのだが。

ファイナルファンタジーは、仲間と協調して戦うことに重点を置いたゲームらしい。コンビネーションに関する機能もいろいろあるようだ。それに対してラグナロクの場合、基本的にスタイルはプレイヤーにゆだねられている。よく言えば自由であり、悪く言えばファイナルファンタジーのような特殊な機能はない。で、その代わりと言っては変かも知れないが、かなりのスピード感がある。アクションRPGと呼ばれるようなゲームでも、今まで1秒間に1.5回も攻撃できるようなゲームはなかったと思う。ラグナロクではハンターがもっとも早く敵を倒せる職業なのだが、そのハンターの場合、かなり高レベルのダンジョンに行っても、敵一匹を3秒程度で倒してしまう。ハンターに限らず、そのスピード感をフルに生かした育て方が主流になっている、気がする。もちろん、そのキャラクターで何をやりたいかにもよるのだが…。

それだけ高速になると、支援役や前衛役にもかなりシビアなタイミングが要求される。特にウィザードの場合が顕著で、3秒ほうっておくと死ぬということがごく普通にある。その前に何らかの支援をしなければならない。その辺がおもしろいところではあるが、弱点でもあるのかもしれない。

ああ、頭が痛い…。なんだかひどく調子が悪い。何を考えていてもこれはどうしようもないようだ…。



2003年10月29日(水) 教職課程の裏技

毎日更新は無理だな、こりゃ。そろそろあきらめよう。

今日は、教職担当の教官に会って、おもしろい話を聞いた。おそらく、教育系の大学ではできないことだと思うのだが…。

本来教職課程では、教職に関する科目として教育実習も含めて計27単位と、文部省令で定める科目計8単位、さらに教科に関する科目として、職業指導を必修として計36単位を取得しなければならない。

ところが特例として、教職に関する科目の単位と、教科に関する科目の単位には互換性があるのだ。つまり、教職の単位の代わりに教科の単位を使ってもいいということだ。当分の間とされたまま、すでに40年が経過しているらしい。互換性があると、どういうことになるのか。

僕のように専門の大学で教職を履修する場合、通常の科目に教職を上乗せする形になる。専門の勉強とは別に教育学を学ばなければならないからだ。さらに、専門の大学では教職に対して冷たい扱いがなされている場合が多い。普通の授業とは別に教職を取らなければならないのに、時間設定が他の授業とぶつかったりしてやたらと履修しにくかったりするのだ。一方、教科については、職業指導以外は通常の卒業単位として計算されるために、教職のことなんぞ何も考えてなくても履修する。だから、上で述べた教職と教科では、教科の方がはるかに履修しやすいのだ。

教職と教科では教科の方が履修しやすい。そして、教職と教科の単位には互換性がある。ここから導かれる結論は、教職の単位を教科の単位で穴埋めすれば楽だ、ということになる。で、具体的に、何が楽なのか考えてみる。

まず、取りにくい教職を取らずに済むのが最大の利点だ。しかし、他にもある。教職の中で最大の難関は、人にもよるだろうが、普通は教育実習である。しかし、教科で穴埋めできるなら教育実習などしなくてもいい。うちの大学の場合、教科の指導法が通年で組み込まれている。普通は半年で取れる単位が、この科目に限っては1年必要なのだ。この指導法も取らなくていい。

この方法を使えば、理屈で言えばものすごい教師ができあがることになる。教育学を知らない教師だ。どの単位を穴埋めしたかによるが、例えば、教育実習をしていなければ、現場に出た経験のない教師ができあがる。専門科目の指導法を履修していなければ、教え方を知らない教師ができあがる。生徒・進路指導を履修していなければ生徒の生活指導や進路の相談ができない教師ができあがる。いずれにしてもあまり嬉しいこととは思えない。

詳しい事情を知らないので責任は持てないが、この原因としては、専門の大学出身の教師を増やしたいという事情があるのではないだろうか。教育を専門としている大学で学んだ教師は、教育学を熟知している一方、専門知識は本物の専門家に劣るという状況になりやすいだろう。一方専門の大学出身であれば、教育学はおざなりであっても、専門知識に関しては本物の専門家と同じ教育を受けていることになる。今は科学技術立国が叫ばれているし、昔だってモノ作りで日本は成り立っていた。特に理数系の科目に関しては、高度な専門知識を持った人間に現場に立って欲しいという経済界などからの欲求が強かっただろうし、今でも強いだろう。効果のよく分からない教育学よりも最高水準の専門知識が優先されていると言える。

ついでにその教職担当の教官に会った後、彼女に会った。最近、時々顔を合わせる機会があってうれしい。雑用を頼まれて事務へ行く、と言って笑っていた。後期の履修申請も出し忘れているようだし、最近余裕を失っているように見えて気になる。僕が書類を出し忘れるなんて日常茶飯事で大学院入試の出願ができなくなりそうになったこともあったが、彼女がそんなミスをするのは初めて見た。僕にだって余裕はないが、彼女はそれに輪をかけてきつい状況にありそうだ。まあ、それは研究室の環境が大きく影響しているのだと思うが。僕の研究室のように結果についてのみ論じていれば、精神的にそれほど動揺を受けることは少ないだろう。しかし、それに強い感情的な批判が加われば、精神的にダメージを受けることは間違いない。人間は感情の生き物なのだから、感情的であるのが本来の姿なのかもしれないが…。



2003年10月22日(水) 分かっちゃいたけど

今日は昼から書いてみたり。

今一度、肝に銘じておこう。卒論を書くのではない。仕事をするのだ。教授の言葉に出さない意思をまとめるのだ。教授はとてもアメリカナイズされていて、自分の妻をワイフと呼んだりするが、最後のところはとても日本的だ。もっとも大事な部分は言わない。だから、僕はその意図を汲み取って、教授が考えているものを推察して仕立てなければならない。阿吽の呼吸なんて考えたこともないが、今、僕はそれを要求されている。

「私のセクレタリー(秘書)ではないのだから自分で考えろ。」と言っていたのは建て前だ。だが、他の指示はすべて、アドバイスではなく命令なのだ。自分で考えた結果、教授の指示に反することは許されない。僕の作ろうとしているものはすでに教授の計画の中に組み込まれている。これは僕だけではない。今度やってきた修士の人も、やはり教授の計画の中にあるシステムを作ろうとしている。本来はそこまでも僕がやるはずだったのだが、それは無理だと判断したようだ。まあ、シミュレータなんて一人の人間が作るものではないし、妥当なところだろう。一人でダメでも二人なら作れるかと言えば、決してそんなことはないが。

教授にはビジョンがあって、それは阿吽の呼吸ではなく、明確に示された。だからそのビジョンから、今、自分がなすべきことを考えなければならない。難しく考えてはいけない。実際のところ、考えることは要求されていない。僕は下請けなのだから、指示された仕様を満たすことだけ考えればいいのだ。あらゆる状況に対応できるとか、不特定多数の人による任意の実装が可能とか、不可能な言葉が並んでいるが、その辺はごまかすしかない。本当に誰でも任意の実装をできるようにするためには、実装をする人がすべてやらなければならない。例えばプログラミング言語というのがある。これは、コンピュータにできるすべてのことを書けるように思われそうだが、実際は言語によって制約がある。プログラミング言語というものを用意した時点で、任意の実装は不可能なのだ。ただ、実装の幅が極めて広いだけだ。僕もそうやるのが良いのだろうか。実装の幅をなるべく広くして、それで「任意の実装が可能です」と主張するのだ。実際は僕が決めた枠の中でしか実装はできない。矛盾点は明確であり、第三者に指摘されれば反論はできない。しかし、それが教授の指示なのだ。反することはできないと分かった。

とは言え、ちゃんとした知識があればごまかすこともできるのだろうが、何も知らない僕が、いったい何をどうすれば幅の広い実装を可能にすることができるのだろう。



2003年10月21日(火) 考える方向性

ちょっと本気で考えてみたのだが、やはりまずかったようだ。まず、資料のまとめ方が致命的に下手で、何を書いているのかさっぱり分からないと言われた。そして、そのあとにはなんでそういう考え方になったのかと、今までの考え方はどうしたのかと問われた。自分なりに考えたつもりだったのだが、その辺は保守的であったようが良いようだ。分かってはいたのだが、自分で考え直してしまった。そうだ。この研究室にいる限り、それではいけないのだ。教授の方針が最初に示されたのだから、その方針には徹底して従わねばならない。僕の考えたことが不十分というのもあるが、それとは別にして、教授の意に反することをやるべきではないのだ。目的を達成するためにもっとも良い方法を考えるのではないのだ。そもそも目的が違うのだ。目的は教授の意に添った卒論を書くことであり、そのために卒論の目的を用意し、そのためにシステムを構築しなければならない。そしてシステムは、教授の意に添ったものでなければならない。それが目的だからだ。手段と目的を取り違えてはならない。卒論の目的と言っても、それは目的ではない。最後の目的、教授の意を反映させるための手段なのだ。最も重要なのは目的であって、手段ではない。忘れないよう、肝に銘じなければならない。

そのあと、大学院生の人といろいろ話した。割と哲学的なことを語っていておもしろかった。人それぞれ、価値観はいろいろだなとしみじみ感じる。「一度くらい大麻やLSDをやってみるといい」なんて、僕の頭からは逆さまにしても出てこない発想だ。タバコの害について、「本当にタバコに害があるのか」なんて深く考えたことはなかった。タバコの煙に有害物質が含まれることと、タバコの煙が毒であることは、同じことではないのかもしれない。タバコの煙として摂取された場合は毒にならないとか、どう考えても正しくないと思われることが真実かもしれないのだ。一般には屁理屈と言うのだろうが、柔軟な発想というのはこういうことなのだろう。結局のところ、一番印象に残ったのは、「社会ってのはきついんだよ」ということ。仕事がきついこともつらいかもしれない。でも、努力しても、仕事をしても満たされないことがもっとつらいのだろう。そうは言わなかったが、満たされないのが社会のつらさだと、僕は感じた。

社会もつらいかもしれないが、まずは目先の論文だ。提出する資料についてはいろいろ言われるが、研究の進め方については未だにはっきりとした話がない。断片的な話をつなぎ合わせて自分で何とか考えていくしかない。一昔前の職人のようで効率が悪い。世の中、そうしたものだろう。何も知らない人間に、一からモノを教えるのは面倒だからやっていられないのだ。目的と手段をしっかりと見据えることだ…。具体的な手順、スキル、方法論がわからないのだから、それしかない。



2003年10月20日(月) 明日になれば…

今日は研究室全体の集まりがあった。他の研究室と合同でやっていて、その全体で集まったのだ。なんと一ヶ月と半分がたっていた。ずいぶん長いこと集まっていなかったものだ。まあ、はっきり言ってみんながやっている卒論のテーマは、それほど難しいものではない。卒論の文章は別として、プログラムだけなら、僕なら3日で書けると思う。もちろん、オブジェクト指向うんぬんとかいう話を別にすれば、だが。

指導教官の関係で、その同級生たちはかなり特殊な方針で問題に取り組んでいる。科学の原則(?)として、なるべく不変的な法則を見出すべし、というのがあったりする。たった一言で自然のすべてを語るのが科学の理想なのだ。だからこそ、短い式ですべての物体や光について述べた相対性理論の評価が高かったりする、のだと思う。

にもかかわらず、その同級生たちは、なるべく問題を限定する方向で取り組んでいる。この問題だけでなく、こんなことやあんなこともこう考えれば分かる、というのを目指すのが論文の方向性のはずなのだが、その同級生たちはとにかく問題を限定するよう指導されているのだ。英語の問題を作っているのだが、とにかく余計な機能は一切つけない、きわめてシンプルなシステムを作ろうとしている。

これは、世の中で一般に言われるオブジェクト指向の考え方に反するものだ。一度書いたプログラムを何度でも再利用したり、変更に強いプログラムを書いたり、というのができないことがオブジェクト指向の生まれた背景であり、それをするのがオブジェクト指向の目標の1つである。しかし、そんなことは必要ない、今取り組んでいるこの問題を解決すれば終わりだ、という発想でプログラムを書いているのだ。

もちろん、一般に言われていることに反するからと言って、すべて悪いとは限らない。世の中一般に言われていることに疑問を呈するのも、考えるということだ。オブジェクト指向プログラミングのテキストにも載っていることだが、柔軟性を追及しすぎたプログラムは扱いにくい場合が往々にしてある。変更の必要がないと思われる部分まで抽象化し、具体的な実装を別にしているために全体の構造がつかみにくくなる場合があるのだ。もちろん、程度の問題であって、ある程度は抽象化すべきだ。だが、すべての処理を完全に決め付けてしまって、このプログラムではこれしかできない!というような考え方をするのも方法の1つではある。使いづらいプログラムになるが、開発が楽だからだ。もちろん、社会で通用する方法ではないだろうが。難しい技術など何もいらない。やりたいことを頭からズラッと書いていけばいいのだ。

さて、明日は自分の研究室だけで集まることになる。資料、書きあがるのだろうか。まだほとんど手をつけていないのだが。よく分かってもいない設計を延々とやるより、とりあえず書き始めてしまったほうがいいような気もする。教授の方針なんて置いておいて、まずは書いてしまうのも手かもしれない。



2003年10月19日(日) 先達のいない苦労

2004.1.30

過去の日記を埋めよう計画第2弾…。この頃にいろいろやっておけば、今ごろ苦労しなかったのだな、とふと思う。しかし、思い返してみれば、今よりこの頃のほうが苦労していたと思う。なんせ、何をしていいのかまったく分からなかった。やたらと細かいことを教授になんて聞けない。かと言って先輩なんていない。これからこの研究室に入ってくる後輩たちには、こんな思いはさせないぞと強く思ったりする。まあ、苦労したほうが後輩も成長するのかもしれないが、ただ、僕がしてきたのは無駄な苦労だったと思えてならない。どれほど苦労したって、結果が出なければ意味がないからだ。何か問題にぶち当たるたびに、些細な方法論でつまずいているようではまともに議論できないのだ。

それにしても、研究室でずっと待機しているのだが、ぜんぜん先生がこない。今日はこのまま帰っていいのだろうか。5時を過ぎたら帰ってしまおうとか思っているが…。まあ、いつかくるだろう。論文を修正しておけと言われたが、ようやく提出したばかりでとてもそんな気分にはなれない。にしても、こんな変なところに書いておいて、誰が読むのだろうか。

エンピツって、どの程度書き込みできるのだろう。なんかアンネの日記が何冊とかどっかに書いてあったが。5MBだったかな?まあ、そう簡単になくなることはないだろう。それにしても、タグがすべて利用可というのはなかなか使い勝手のいいことだ。無料版が使えるうちに参加しておいて良かった。有料版も高くないから、別に契約したっていいのだが。問題は、料金の支払いが面倒なことか。

この僕の日記を最初からずっと読んでいったら、いったいどれほどの時間がかかるのだろう。こんなに書いて、後で読み返すことがあるのだろうか、僕は。自分で読み返すときのためにと書いていたが、これほどの量になるともはや読めないかもしれない。まあ、どうでもいいや。



2003年10月18日(土) 天使の白衣

2004.1.30

卒論がとりあえず終わったので、日記の抜けている部分を埋めていこうと思う。1月30日に、前の年の10月18日の日記を書くというのはどういう了見かと思ってしまうが、まあ、細かいことはどうでも良かろう。

で、白衣だ。5月21日の日記で、ナースキャップについて述べた。…述べたって、卒論なんか書いてると言葉がおかしく…。それはいいとして、ナースキャップをあれだけ細かく観察したのなら、看護師の白衣についても考えて見なければならないだろう。なぜか?論文ではないのだから、動機などどうでもいい。気になっただけだ。ああ、「気になっただけ」ですべて片付くなんてすばらしい。論文だって、本当はみんなそうなんだろ?素直に認めろや。(ぉぃ

現状では、白衣についてはほとんど何も知らない。主に白と桃色であることと、裏地のない一枚の布でできていることくらいか。ちなみに、一枚の布ってのは、このエンピツのほかの人の日記を見て知ったことだ。それにしても、卒論が終わるってのはなんて開放感なんだろう。これほど気分がいいとは思わなかった。修正くらい軽くすみそうだ…ってまあ、きっとやり始めたらまた大変なんだろうが。

ナースキャップを手にしていながら白衣のことを知らないのは問題である。何度も言うが、論文ではないのだから論理展開に説得力がなくても気にしたりはしない。そこで、白衣について調べ、考察を加えてみようと思う。面倒なら調べるだけで考察はしないかもしれない。ただ、インターネットで調査をすると成人向けサイトが多数出てきそうで若干恐怖を覚える。人並みにスケベなものは好きなのだが、ああいうエロサイトってのは嫌いなのだ。それより問題なのは、今、ここが大学だということか。

検索をかけてみたが、意外とヒットするページは多い。そして、当初の危惧とは異なり、まっとうな企業のサイトがヒットしている。まあ、やばそうなのもあるが、その辺はあえてスルーしよう。調査している中で、気になる記述を見つけた。優れたドレープ性を持ち、透けもシャットアウトとある。これは企業のサイトから抜き出した記述である。そして、企業のサイトは製品の特長をアピールし、販売することが目的であろうと推察できる。このことから、一般に白衣と言うのは透けるものであると言える。なぜなら、一般の白衣が透けないのであれば、ここでこの白衣が透けないことをアピールする必要はないからだ。なんだかあまり適切でない方向に話が進みそうなのでこの辺はいいとして、やはり一枚の布で作ってあることは間違いなさそうだ。

調査の過程で、白衣そのものとはほとんど関係がないが、おもしろいページを見つけた。少々グロテスクであることを警告しておく。長崎の原子爆弾被害に関する科学的データと題するサイトの一部である。あちこちを読んでいるうちにずいぶん厳粛な気持ちになってしまった。原爆のことは、ある程度知ってはいるが、写真付きで実態を示されるとさらなる恐怖を覚える。何が楽しくてこんなものを開発するのだろうか。もちろん、忌むべきは原爆だけではなく、あらゆる兵器について言えるのだが。通常兵器と呼ばれるものもそうだし、化学兵器や生物兵器もそうだ。それに、拳銃や剣だって十分危険である。ナイフだって殺傷能力は十分すぎるほどである。

ところで白衣なのだが、意外なことに、宗教関係のサイトが多く引っかかる。どうやら、宗教活動にも用いられるらしい。その一方で、医療用の白衣がどのようなものなのかはなかなか分からない。やはりインターネットでは厳しいものがあるか。百聞は一見にしかずということなのかもしれない。

ということで、なにも新しいことは分からなかった。意外と調べるのは難しいと言うことが分かったくらいだろうか。詳細な調査は面倒だし…。

素材もよく分からないが、セーラー服と同じような素材なのだろうか。



2003年10月17日(金) ちょっと躁状態

今日も、昼くらいまでははかどらなかったが、3時くらいから調子が良かった。大学に来たときにとてもいいことがあったのだが、それにしては気分が乗らなかったな…。なんなのだろう。まあ、どれほどいい気分でいたって、研究室で一人さびしくやっていたらやる気も失せようというものだが。

はかどったとは言っても、今週やろうとしていたことが、清書まで終わらなかったので、明日も大学に来て清書をしなければならない。家でやってもいいのかもしれないが…。とりあえずノートを持ち帰っておくかな。

昨日の日記に書いた助教授、どうやら僕が帰った後に研究室に来ていたようだ。うちの研究室は教授の方針で、帰る時にスイッチに手が届く電気製品のスイッチはすべて切ってから帰ることになっている。常時スイッチオンが基本のサーバまで落としてしまうのだからかなりすごい。確かに24時間電源を入れっぱなしにしておく必要はないのだが。ちなみに、ワークステーションはどうしても24時間動かしっぱなしにしておく必要があるらしいが、こちらの方は空調まで24時間動きっぱなしだ。これはこれですごいものだ。この部屋でやたらと電気を使っているから、他の部屋では電気を使わないようにしているのかもしれない。

昨日もそうだったが、今日はキーを叩く調子がいい。やはり朝方の気分が持続しているのかもしれない。なかなかに好調だ。ようやく自分ひとりでも気分を盛り上げられるようになったのだろうか。それとも、生活環境が変わったのが大きいのだろうか。まあ、今まで窓のない部屋にいたからなあ…。窓の有無というのは人間に大きな影響を与えるものなのかもしれない。

で、助教授だが、そうやってすべてのスイッチを切って帰るはずなのに、モニタの電源が入っていた。日頃から電源を切って帰る習慣がついているので、僕が切り忘れたということはほとんど考えられない。だから、助教授が来たのだろうと思っているわけだ。

にしても、やっぱ人生やってればいいこともあるものだ。まったく変化のない生活なのに、どうしてこんな風に好不調の波が訪れるのだろう。物がすべて元素でできているのと同じくらい基本的な要素として、世の中のあらゆるものには波があるのかもしれない。ちなみに、物質にも波があるようなので、まんざら間違いでもないのではないだろうか。

それにしてもこのPCのキーボードは叩きやすい。Dellもなかなかいいキーボードを作ったものだ。まあ、音がうるさいのが難点だが、僕一人で叩いている分には気分はいいし、何の問題もない。そう考えてみると一人も悪くないかもしれない。CDでも持ってきて音楽をかけておくのもいいかもしれないな。教授も音楽をかけていいと言っていたし。そう言えば、彼女のノートPCはCCCDを再生できると言っていたな。WinMXの話にもなったが…。P2Pはおもしろい技術なのに、悪用ばかりされているような気がする。そう言えば、Asahi-NetがWinny対策かなんかで、極端に多いトラフィックを制限するとか言っていたな。プロバイダもなかなか大変だ。僕が見たのは日経の記事だが、その記事には、トラフィックを制限する話と一緒に、広告で高速の通信を謳っておきながら制限するとは何事だ、というような趣旨の意見が載っていた。確かに矛盾は感じるが、多くのユーザの利益のためにはやむをえない措置なのではないだろうか。まあ、PCでいくらがんばったところで何の問題もないくらいのバックボーンを整備してもらえればいいのだろうが、資金的に無理だろう。

昨日もそうだが、こんな風に割と長文を書くのは久しぶりのことだ。書いているうちにすいすいと文章が浮かんでくる。まあ、良い文章かどうかは知らないが。日記に書くことがないと悩んでいた数日前までの自分とはまるで別人のようだ。ここまですいすい書けるととても楽しい。なんなんだろうな。同じ人間でも、日によってここまで変わるのだからおもしろいものだ。人間なんて、そう簡単に測れるものではないのだな。ある意味では、これも1つの可能性かもしれない。たいしたことがないと思われていた人は、単に物事に集中する方法がわからなかっただけで、ひとたび集中して取り組めば大きな成果を出すことだって考えられるのだ。人間の評価なんて、同じ人間にできることではないのだろう。それは教育にしても言えることではあるが。ちょ



2003年10月16日(木) 今日はまじめかな

今日はまあまあまじめにやったかな。ただ、文献を洗いなおしてから図を描きなおすつもりだったが、文献を洗いなおすところまでしか終わらなかった。そう言えば、助教授が来るとか言っていたな。今、18時18分。この日記を書き終わっても来なかったら帰ってしまおう。

普段は何の事件もないこの研究室だが、今日は二件ほど小さな事件があった。昨日の日記に地震のことを書いていない気がするが、まあ、いいだろう。

一件目は、助教授からの電話だ。実はこの日2回目の電話で、1回目は最初に書いた研究室に来ると言う話だったのだが。ともかく、その2回目の電話で助教授は、プロジェクターの保証書を探してくれと言っていた。故障して業者を呼んだのはいいが、保証書がないらしい。来る直前になって連絡してくるとは意外と行き当たりばったりだが、おそらくは壊れた直後に業者を呼んで、それから保証書がないことに気づいたのだろう。

ちょうどそのとき、今週の月曜からこの研究室で一緒にやることになった社会人の大学院生がやってきた。講義を受けてきたところらしい。と言うことで、その人と一緒に保証書を探し回ったが、結局見つからなかった。この時が止まったような研究室の中に、新しいプロジェクターの保証書があるとは思えなかった。見る書類に2000年以降の表記がほとんどないのだ。そして、昭和が珍しくない。なぜ昭和の時代の書類がこんなにもあるのだろう。なぜこの研究室は時が止まっているのだろう。なぜお茶の賞味期限が4年前に切れているのだろう。ちなみに僕はそのお茶を飲んだが、特に問題はなかった。賞味期限が切れたお茶を飲むこと自体が問題だと言うのなら、僕はあえて否定しない。

結局、保証書は見つからなかった。おそらく、有償で修理したのだろう。もったいないことだ。それにしても、そういう保証書類を管理していた技官の人はどこへ行ったのだろう。7月末日付けでやめたとか聞いたが、詳しいことは何も分からないのだ。論文集を見ると、割と古いものに名前が載っていた。確か20代後半だったはずだから、就職してすぐこの大学に来たのだろう。ちなみに技官は国家公務員である。

で、2件目の事件は、その保証書を探しているときに起こった。まあ、起こったと言うと少しおかしいのだが。研究室に消防署の視察が入ったのだ。なぜか警察官もいた。教授が怪しい書類を隠しているのではないだろうな。ちなみに、この研究室の知識情報処理室の床下には30センチ近い高さの空間がある。もし隠し書類を捜すなら、その辺も探したほうが良いだろう。ただ、僕が見た限りでは意味不明の機械が置いてあっただけだったが。LANケーブルを探していたらしいが…。床下にLANケーブルがある研究室と言うのはどんな研究室なのだろう。ちなみに、床の上に何があるのかと言えば、堂々と2MIPS(めっちゃくちゃ遅い)と記された巨大なコンピュータや、巨大なディスプレイ制御装置(現在ではグラフィックボード1枚で事足りる)などである。ちなみにディスプレイ制御装置は8インチフロッピーディスクに記録された制御プログラムがなければ、動作しないようだ。

まあ、そのくらいかな。そう言えば、同じ研究室でやっている同級生の女の子が宮古島へ行ってきたと言って、お土産を持ってきた。シークアーサーのチョコレートという微妙な代物だったが…。何でも、就職するまでに遊びまくるのだそうだ。なんともうらやましいことだが、彼女が就職してしまえば立場は逆転する。多少研究がつらくても、彼女は僕の生活をうらやむようになるのだろう。

とりあえず、まじめにやってみて思ったのは、とりあえずやることをやってれば、それほどつらいとは思わないということだ。そして、そう思えるということは、僕の生活はまだまだそれほどきつくはないということだろう。社会人になれば、どれだけ仕事をしても、いや、仕事をしているからこそつらいと感じることになるのだ。きっと…。



2003年10月15日(水) せっぱ詰まって

やれやれ。だんだんせっぱ詰まってきたな。そろそろまっとうな手段はあきらめた方が良さそうだ。とにかくやるべきことを最短距離で片付けなければ。じっくり調べるよりも、何でもいいから形にして出すことだ。

今日は最新版の文献調査だ。夏休みにだいたい調べたのだが、ここ5年分くらいが見当たらなかった。それが別室にあることが分かったので、そいつを調べようと思っているわけだ。いろいろやることはあるのだろうが、あれもこれもと手を出すと何もできないことが分かった。とにかくできることだけやっていく心積もりでいたほうが良さそうだ。結局、分からないものは分からないのだから、無理して理解しようとするより、中途半端でも分かるところだけまとめた方がいいだろう。世の中、そうしたものだ。結局、参考文献として挙げたりしても、その文献のすべてを理解しているわけではないのだ。自分の研究に関わりがある部分を抜き出しているだけの話だ。それは妥協ではなく、知恵なのだろう。

日記を書くにも時間がかかる。あまりここで時間を費やすのも良くないかもしれない。そこまで忙しくない研究室を選んだはずなのに、なぜこうなったのだ…。



2003年10月14日(火) 選挙の理想と現実

もうすぐ選挙の時期だ。日付は14日だけど、実際に書いてるのは10月30日だからだ。

選挙っていろいろ理想は言われるけど、結局、自分が住んでいる地区の代表にしか投票できない。大選挙区の弊害は言われるけど、理想は大選挙区なんじゃないかな、と思う。すべて理想どおりに行けばそれが一番いいはずだ。候補者の中で自分の知る限り最高の人を選ぶのだ。

それができないのは、結局のところ現実的な問題だろう。大選挙区になった場合、候補者全員のことを把握しきれない。すべてを知った上で選択できないのだ。

にしたって、候補者の中で一人くらい、よく知っている人がいるのではないだろうか。みんなが自分の判断を任せられる人を選んで投票し、規定数(有権者全体の1%など)を獲得した人が議員になればいいんじゃないかとも思う。まあ、すべてはきちんと選べば、なのだが。よく考えずに有名人に投票する人が多くなったりすると成り立たないだろう。結局、選ぶ方がきちんとしてないと理想は成立しないのかもしれない。定数を定めて必ずその数を選ぶようにしないと利害問題も起きそうだし。難しいのは利益の調整であって、理想の選挙の構築ではないのかもしれない。



2003年10月13日(月) パソコンはいらない?

パソコンはいらないという本を読んだ。僕は日頃よくパソコンを使っていて、なぜパソコンはいらないと主張するのか、興味があったからだ。

1998年の9月に出版された本であり、特にインターネットに関してはだいぶ現在と食い違う点が多い。インターネットのインフラが整うのは数年先だと書かれているが、今年は2003年なので、この本が出版されてから5年経っている。現実にインターネットのインフラは、その当時と比較して整っていると言える。

だが、それ以外の点に関してはうなずけることが多い。最初に、ミラクルズとかいうグループの歌を紹介している。「きみのことは嫌いだけど、愛している。きみのことは欲しくないけど、必要なんだ。」とまあ、こんな内容らしい。矛盾しているが、その矛盾が現在のパソコンが置かれている状況を示唆しているという意見には全面的に同意する。この歌を引用して著者が指摘したかったことは、パソコンマニアと一般ユーザの心理である。前半部はパソコンマニアの心理だ。パソコンは何かとトラブルの多い機械である。パソコンを使っていて一度もトラブルに遭遇したことがないなら、ほぼ間違いなくその人はマニアではない。思いつくだけでも、画面全面が真っ青になるブルースクリーン、突然に起こる通信の断絶、なぜか処理が止まるフリーズ、何も悪くないのに責められる不正な処理、前触れもなく突然起こる再起動。これらはすべて、僕が日常的に経験していることである。もちろん、パソコンは多機能な機械だから、そのいろいろな機能を使うときに、いろいろなトラブルが起きる。これらは不具合であったりする場合もあるが、パソコン本来の仕様どおりに動作していても、使う側からすればトラブルとしか思えないことがある。そして、そんなトラブルを起こすパソコンなんて、嫌いなのだ。嫌いだけど、愛しているのだ。最初に書いた「パソコンはいらない」から一部を引用する。これは愛である。それもパソコンオタクの異常な愛情だ。「自分はこんなに苦しめられているけど、パソコンを愛してるんだ」。こうした倒錯した心理こそマニアの世界である。と、記されている。この本は、そうしたパソコンマニアには関心がないらしい。マニアがどれほど泥沼であがき、苦しんでいても、本人はそれを楽しいと思っているのだから、本人の勝手なのだ。僕自身、そう思うことはよくある。パソコンが自分の思い通りに動くことなんてまずない。それを、どうにかして動かすのが楽しいのだ。なぜ動かないのか原因を追求し、不完全ながらも動作する状態にして、いつまた止まるのか知れない不安におびえながら恐る恐る使うのだ。…僕もすでに、常人とは感覚が違っているのかもしれない。

で、問題なのは、僕を含めたそういう変な人ではない。残る大部分の一般の人々だ。何が問題なのか。それは、そもそもパソコンに価値があるのかという、かなり根本的な問題である。パソコンは多くの機能を持っているが、何でもできるわけではない。情報処理という多くの場面に適用できる機能を持っているために、何でもできるように思われるだけだ。では、何ができるのかと考える。そのときにこの本の著者は、結局のところパソコンがどうしても必要な事態は少ないのではないかと言うのだ。確かにそのとおりかもしれない。僕だってパソコンが相当好きで、大抵のトラブルではうろたえたりしないが、それでも使いこなせているかと言われれば疑問である。パソコンを使ってしている一番の生産活動は、おそらくこの日記だろうし。まあ、そんなようなものなのだ。



2003年10月12日(日) 閉塞感

うーん、ダメだ。まるでやる気がしない。仕方がないので休憩してきたが、なんだかんだでもう5時だ。今からがんばっても仕方がないし、このまま帰るか。次のミーティングは14日の火曜日。明日だけで資料を作れるのだろうか。

卒論なんてのはやれば終わるのだから、深く悩む必要はないのかもしれない。しかし、なぜか先の見えない閉塞感を感じる。なんなんだろな…。まあ、いいか。とっとと帰ろう…。



2003年10月11日(土) 第三者

最近、第三者が重要だとよく思う。何か問題状況があったとき、必ず当事者というのが存在する。その、当事者以外の人だ。

誰か人に相談しようと思ったとき、近しい人であれば何らかの利害関係が存在するだろう。恋愛の問題を考えると分かりやすい。恋愛で悩んでいて、それを親友に相談するとする。すると、親友は自分と近い立場にあるだけに、自分が取る行動によってその親友が大きな影響を受けることになるのではないかと思うのだ。自分が好きになった相手を親友も知っているとか、職場や学校で同じような生活をしているとか、そういうことだ。

それは、もちろん悪いことではないだろう。お互いを理解しあっているのはすばらしいことだ。ただ、それがために問題が複雑になってしまう可能性がある。同じ生活場所で同じような生活を送っていれば、誰かと付き合い始めた場合の生活への影響が分かる。生活への影響が分かるのであれば、それを考慮せざるを得ない。知っていて無視するということはなかなかできないものだ。

この点、関係の薄い人は無責任だ。親友であれば友人のために最善の道を探るだろう。そのために判断に制約を生じる。だが、利害関係のない第三者なら、そんなことは無視して好き勝手なことを言える。聞くほうだって第三者の言うことだと思って話半分に聞ける。突飛な考えが出やすいと思うのだ。

まあ、それでも親友の意見があれば、100人の第三者の意見よりもずっと参考になるのだろうが。



2003年10月10日(金) 自分の状況

生活に余裕がなくなってくると、周囲を振り返る余裕も失ってくる。ここらで一度、周りを見渡すべきだろう。

僕は今、毎日研究室へ通う生活をしている。ほとんど人には会っていない。長期的なノルマ、すなわち卒業論文を完成させるというノルマに追われている。自分の生活時間はかなり自由に決められる。基本的に好きな時間に研究室に来て、好きな時間に帰っている。平日の昼間に研究室にいるようにしているが、それは単なる僕の勝手であって、そのように強制されているわけではない。

この生活は、少なくとも去年までの学生生活と比較すれば苦痛であることは間違いない。それは分かっていたことだ。ただ、予想するのと体感するのとはまったく違うものだが。

では、世の中全体から見渡してどうなのか。楽しいかと言われれば決してそんなことはない。研究以外の時間が持てないわけではないからつらいばかりではないが、少なくとも研究が楽しいと思えないことは間違いない。しかし、そんな風に思っている人は世の中に腐るほどいるだろう。日ごろ、楽しいと思えることをしているならそれだけで幸せなのだ。研究なんて右も左も分からないが、右も左も分からない仕事をしている人だって多いだろう。いまどき、十年一日のごとく毎日同じ仕事をしている業種などそうはあるまい。

だから相対的に見て、僕の置かれている状況はそれほど悪くないはずなのだ。きついと言ったって社会人と比較すればまだまだのはずだ。にもかかわらず、どうしようもないほどの閉塞感を感じているのはなぜなのだろう。今までの生活が楽すぎたのだろうか。

僕はずいぶん前から、考えることに疲れてしまっている。物事を考えてみようと思えなくなっているのだ。それは、結局のところ僕一人が考えたところで何にもならないというあきらめだ。だが、論文は考えることが要求される。たとえ意味がなくても、何か考えなければならないのだ。この点が、社会人よりもつらい点かもしれない。問題の解決手段が極めて限定されているのだ。社会人として働いているなら、卒業論文とは違って、なんでもいいから書く、というものではない。学業の成果を示すという抽象的なものではない、利益と言う具体的な結果を目指して動くことになる。そのための手段は基本的に問わない。だから思考の自由度が広いのかもしれない。しかし、結局社会人にしても、社会人でなければ分からない制約が数多くあるのだろう。結局、同じことなのかもしれない。

今、つらい生活に慣れておけば、将来、つらいことに耐えやすくなるかもしれない。そう思って生活を続けていくしかないのだろうか。



2003年10月09日(木) 油断

教授に呼ばれていたのを完全に忘れていた。油断してたな…。メールをくれたらしいのだが、この研究室は必要最小限以外はすべてシャットアウトされている。で、メールサーバが変わったときにそのシャットアウトの設定を変更しなかったために、新しいメールアドレスが使えない状況なのだ。まあ、あとで別の場所からメールをチェックしておくか。

この研究室がこれほどまでに厳しい設定にしているのには理由がある。第一に、セキュリティの問題が挙げられる。最近はウイルスの被害がかなり多く、うちの大学もいくつかのウイルスに感染したことがある。つまり、大学のネットワーク内にウイルスが飛び交っている可能性は否定できないのだ。このために、ウイルス感染を避けるために余計なポートはすべてふさいでいるのだ。ウイルスでなくてもクラックの可能性はありうるし。しかし、それより大きいと思われるのが、学生、つまり僕の不正防止だ。僕の前にいた大学院生が、WinMXを利用して不正行為をしたらしいのだ。ただ、WinMXって、プロキシサーバ経由の通信もできたような気がするのだが…。まあ、うろ覚えだし、大学でWinMXを使おうとも思わないのでどうでもいいのだが。



2003年10月08日(水) 運命のレール

ジュノーパッチが実装されたので、ちょっと遅くまでゲームをやっていた。オンラインゲームはどんどん変わっていくのがおもしろいな。バグが消えていくのがさびしいと思うのは感覚がおかしいのだろうか…?入力してからキャラクターが動くまでタイムラグがあるのは常識だったのだが、最近、そうでもなくなってきた。快適になったが、少しさびしいものがある。

で、起きたのは10時ごろ。それから大学に行って、結局ろくなことをしていないな。また教授が痺れを切らすかもしれないが…。まあ、やれることをやるだけだ。きっと、がんばれば報われるんだ。社会ならともかく、僕はまだ大学生なのだから。そう思わなければやっていられない。

相変わらず生活に変化はない。おそらく、このまま卒業まで向かうことになりそうだ。卒論が終わった後、2月から3月にかけて時間があるはずだが、その間に何かできればいいのだが…。ゲームを作りたいというのもあるし、小説を書いてみたいというのもある。それに、友達と旅行に行ってみたいとも思うし、何かバイトをするのもいい。大学院生というのはすでに、そういう学生の生活は許されない存在なのかもしれない。だとしたら、とんだ見当違いということになってしまうが。まあ、人生に選択の自由がなかった昔を思えば、これでも十分に幸せだ。自分の思い通りに行かなくても、そういう運命だったと思って、できることをやっていくしかない。ああすればよかった、こうすればよかったなんて言っていたって物事は解決しない。自分に与えられた運命、選び取った運命の中で、限られた選択肢から選び取っていくしかないのだ。今後、おそらくはますますその選べる選択肢は減っていくことだろう。でなければ、レールを外れるか。レールを外れてまでやり遂げたいことが、果たして僕に見つけられるのだろうか。



2003年10月07日(火) パラサイト・シングル

図書館で調べ物をしているとき、パラサイト・シングルの時代という本を見つけた。ちょっと読んでみたのだが、だいぶのめりこんでしまった。正直、構成があまりうまくなくて、書いてあることが分かりづらい部分もあったのだが…。

パラサイト・シングルというのは、社会人のくせして親元にいる人を指す。人によって分かれるようだが、男女両方を指す場合が多いようだ。パラサイトというのは寄生のことだ。シングルとは、ここでは独身者という意味である。だから、寄生する独身者ということになる。誰に寄生しているのかといえば、親である。親の家にそのまま住んでいるから、家はいらない。食事も基本的に親に依存できる。衣食住のうち必要なのは衣くらいである。これだって趣味の問題だから、本当に最低限の服装でいいのなら、親に買い与えられた服を着ていても問題はないわけだ。さすがにそんな人はほとんどいないだろうが。つまり、自分で収入を得ている上に、生活の基本的なコストを負わない。だから、自分で自由に使えるお金が多いのだ。これは、この本の著者によれば貴族に類似しているのだそうだ。

で、このパラサイト・シングルはいくつかの問題を抱えている。まず、パラサイト・シングルは相対的に見て、自分の生活に満足している場合が多い。自由に使えるお金が多くて、家事をしなくて済むから自由に使える時間も多い。一人暮らしと比べれば、両親の家のほうが環境的にもよい場合が多いだろう。第一、人間は人とコミュニケーションする動物なのだから一人でないこと自体が満足につながる。

生活に満足していることの何が問題なのか。それは、生活を変える気力を失うことである。この点が、僕がパラサイト・シングルに興味を抱いたきっかけである。今の生活に満足していれば、それをあえて変える必然性が失われるのだ。結婚もしないし、独立もしない。収入を多く稼ぐ必要がないから出世しようとも思わない。結婚をしないということは、夫婦の数が減って少子化が進むということだ。独立をしないということは、世帯数が減って生活必需品などの消費が減るということだ。出世しようと思わないということは、意欲のある社会人が減るということだ。さらに、若者が変化を望まないことで社会全体が停滞するという問題もある。

そして、パラサイト・シングル本人にとっての問題として、そんな生活がいつまでも続くわけではないということが挙げられる。両親に基礎的な生活基盤を依存している以上、両親に収入がなくなればその生活は破綻する。このときに、自分一人でやっていけるのかという問題が生じてくるのだ。

問題があるなら対策を考えるべきだろう。しかし、これが難しい。そこで問題の原因を考えてみる。原因は、パラサイト・シングルが現在の生活に満足していることだ。将来の見通しがないにもかかわらず、変化することで相対的に自分の満足度が低下するから、その生活から抜けられないのだ。だから、パラサイト・シングルの満足度を低下させ、一人暮らしや夫婦の生活の満足度を上げることが対策となりうる。税金を取るとか、そこまでしないとしても控除を止めるとか、政策的な方法が考えられる。

とまあ、内容としてはこんな感じだ。これ以外にも、両親の生活に依存するのだから、両親の生活水準が、ダイレクトにパラサイト・シングルの生活に影響することになる。したがって、両親が裕福なほどパラサイト・シングルの生活も裕福になるという問題もあるようだ。

で、生活を変える気力が失われているのは、まさに今の僕の状態を指している。就職すれば生活がこれまでより悪くなるのは疑いようがない。年功序列なんてもはや風前の灯なのだから、未来に希望は持てない。これで未来を何とかしようなんて、僕には思えない。パラサイト・シングルと僕自身が重なると感じるのだ。今の世の中は、両親のもとを離れて自分ひとりで生活するという判断は合理的でないのだ。最も合理的な判断は、両親の収入が途絶えるまで両親のところにいて、両親の収入が途絶えたところで独立することだ。世の中、間違ってはいないだろうか。もちろん、不条理は山のようにあるが、この問題に関しては、対策できないことはないはずなのだ。

貴族の生活か。確かに、一部の若者の生活は、まさに貴族そのものかもしれない。すべての生活を親に依存して、自分は1日中好きなことをできるのだから。すべての人間がそうやって生活できるのが理想なのだろうが、きっと、それは不可能なのだろう。貴族の生活が幸せなのか。人それぞれに結論は違うのだろうが、僕は、それも1つの幸せの形なのだと思う。少なくとも、少なくない人が追い求める理想の形ではないだろうか。そこから抜け出すのが困難なのは、きわめてよく理解できる。それ以上の夢など具現化のしようもない。上昇志向もほどほどでないとやっていられないのだ。すでに幸せな生活を満喫した人間が意欲を失うのは、このように考えると、きわめて自然なことのように思える。

若いうちから理想の生活を経験できる社会がいけないのだろうか。そんな環境を提供する親が悪いのだろうか。そんな環境に浸かっているパラサイト・シングルが悪いのだろうか。それとも、そもそもパラサイト・シングルの問題が悪いとは言えないのだろうか。パラサイト・シングルの観点から考えると、定年退職後に理想の生活をできるのがよいのかもしれない。しかし、若いからこそできることもある。何が正しいのかは、結局のところ一概に言えないのだろうか。



2003年10月06日(月) 発破

卒論が遅れていると発破をかけられた。そらそうなんだけどな。分からないことを分かった振りをしてやるってのはなかなかに難しいものだ。もちろん適当にごまかすわけだが、それはそれで難しい。専門家がやれば30分で終わりそうな仕事が、何ヶ月かかっても終わらない。やっつけ仕事を積み上げているからそういうことになるのだが。

てなわけで、日記を書いている場合ではないな…。一応、過去の日記だけ埋めておくかな。

ああ、そうだ。ラグナロクオンラインジュノーパッチが明日だったな…。気にかかっていることとして、一応書いておくか。明らかに卒論よりもラグナロクの方に熱意があるよなあ…。就職先を探すときはこんなことにならないようにしなければ。ちゃんと生活できるのなら仕事に熱意なんて持っていなくてもいいと思うが、今の世の中、それなりにやる気がないとクビになってしまって終わりだろう。まあ、それ以前に就職できるのかどうか…。大学院でいろいろと技術を身に付けようと思っていたが、どうもそんなひまはなさそうだし。



2003年10月05日(日) PC故障の原因は?

月曜日に向けて資料を作ろうと思っていたが、PCが力いっぱい故障した。起動して自分の名前でログインすると、1分以内にストップエラーが出て落ちてしまうのだ。この原因がさっぱりわからず、1日を費やしてしまった。それでもゲームはやったが。なぜか、ゲームをやっているときだけ落ちなかったが、それと原因とは関係がなかった。

原因は、プリンタドライバ。それも、ネットワークだった。ネットワークでの利用はできませんと書いてあるプリンタドライバだったにもかかわらず、あると便利だからといって無理やりインストールしたら、インストールできてしまったのだ。で、それが金曜日で、そのときはよかったのだが、クライアント側が起動していない状態だとダメなのか、日曜日になって絶不調になってしまったのだ。変なことはするものではないな…。結局、プリンタの共有を解除したら直った。

そんなこんなで資料は作れず、月曜日の早朝に賭けることにした。まあ、朝だけではろくな資料が作れないだろうが…。



2003年10月04日(土) 復調

風邪で完全にダウンしていたから、一度9時くらいに起きて、それからもう一度寝て13時くらいに再び起きた。あとはのんびりゲームをやって一日を終えた。これでほとんど体調が戻ってきた。かなりひどかったのどの調子だけは戻らなかったが、それ以外はほぼ完全に治った。もともと気分が悪かったのは、ただの睡眠不足だったのかもしれないが。

9時に起きられたということは、この一週間で少しは生活リズムが早め早めに変わってきたのかもしれない。なかなかいい傾向だ。7時に起きるのが苦に思わない程度にはならなければ。そのためには、早く寝る必要もあるな…。テレビは見ていないのだから、後は早めにPCの電源を落とせばOKなのだが。ただ、夜中が一番集中力があって、調べ物をするとはかどったりもする。なんとも微妙なところではある。



2003年10月03日(金) 秋葉原

午前中に教授に資料を見せて、午後は友人と秋葉原に行った。しなければならない作業はあったが、風邪で脳みそが死んでいたので気分転換することにしたのだ。悪化しただけで何の効果もなかった気もするが。いろいろ見て回っていたが、疲れるだけであまり楽しいとは思えなかった。風邪を引いているときなんてそんなものかもしれない。

家のPCのグラフィックボードを換えようと思っていろいろ見ていたが、どれがいいのかさっぱり分からなかった。昔は興味があっていろいろ見ていたが、最近じゃ興味はあっても調べるひまなんてまったくない。ましてや、店をのぞく時間なんてあるわけもない。グラフィックボードを実際に見たのが半年振りくらいだ。いつの間にかビデオメモリが64MBのものからから128MBのものに移り変わっていた。技術の進歩は速いものだ。まあ、今でも使われるのかどうかは知らないが、とにかくドッグイヤーと呼ばれるこの業界では当然のことなのかもしれない。確か、犬は1年で人間の7年分歳を取ることから、IT技術の進歩はほかの技術の7倍速いことを言っていたのだと思う。と言っても、最近のIT技術はほかの分野との交流が盛んで、もはや明確に分類できる時代ではなくなっているが。そもそも、分類することに意味がなくなっているのかもしれない。分類はデカルト以来の科学の基本らしいが。デカルトを聞いたことがなくても、「困難は分割せよ」という言葉を聞いたことがある人はいるかもしれない。と言っても、僕だって大学の講義で聞いたくらいで詳しいわけではないが。話はそれるが、大学の講義でこういう科学の歴史を学ぶことは重要だと思うのだが…。特に方法論については、実際に研究で役に立つのではないだろうか。

今の家のPCが不調なので、最近はあまり性能に興味がなくなってきた。それよりも、安定して動いてくれることが第一だ。今の時代、どのPCだってそれなりに動いてくれるのだから。ちなみに、研究室には新型のPCが3台入って、僕が普段使っているものはその中で一番スペックが低い。グラフィックボードはRADEON 9700を搭載しているのでこの点では一番優れているのだが。ただ、ほかの2台がショップブランドなのに対して、僕が使っているのはDELLのものだ。…外国製だからって、マニュアルが英語ってのはいかがなものだろうか。まあ、どこかに日本語の情報もあるのかも知れないが。ああ、そう思ってのURLの8300の部分を8250に打ち換えたら出てきた。過去の製品はどうでもいいってことなのかもしれないな。サポート体制はいいのかもしれないが、ことWeb上だけを見る限り、そうは思えない。でもまあ、そんなことはともかくとして、このPCはかなり安定して動作する。残りの2台も、いきなりストップエラーが出てブルースクリーン、なんていう自宅のようなことにはならないが、それでも時々処理が止まることがあるのだ。OSがWindows XPかWindows 2000か、という違いもあるのかもしれないが。



2003年10月02日(木) 紹介

どうやらこの日記、2ちゃんねるで紹介されたらしい。気持ち悪いそうな。まあ、そうだろうな。自分で読み返してみても気持ち悪いと思うくらいだ。

このあたりからまた急ピッチで作業を進めた。金曜日からしばらく落ち着いたが、すでに睡眠不足と風邪でボロボロだった。まあ、単にきつい作業になれていないだけだと思うのだが。世の中、僕より苦労している人は大勢いるだろう。昼間はともかく、夜は自由な時間が欲しいなんて、たぶん贅沢なのだ。



2003年10月01日(水) つれづれなるままに

10月か。ジュノーパッチ、来なかったな。まあ、ガンホーが遅いのはいつものことなのだが…。この会社、オンラインゲームの管理会社として、何かのランキングで見事ワーストワンに輝いたそうで。

ところで、最近体調がだいぶ悪くなってきた。1日2回の超ハイペースで資料作成なんぞをしているせいではないかと思うのだが、ずっと咳が止まらなかったのに加えて、なんだか知らないが鼻血まで出てきた。どうやら僕に過酷な仕事はできないらしい。と言っても、やるしかないのだが。次回の提出は金曜日なので、若干楽かもしれない。もっとも、時間があるから今度は鉛筆書きではダメらしいが。作業が進んできて、だいぶ教授との議論も盛り上がってきた。先輩がいないから、そういう議論も教授とするしかないんだよな…。僕だけでなく、教授にとってもあまりいいことではないと思うのだが…。でも、仕方がないことなのかもしれない。社会人の人が修士の学生として入ってくるらしいのだが、それでどう変わるのだろうか。

今日から、僕のいる大学が東京商船大学から、東京海洋大学に変わる。だからと言って何が変わるわけでもないのだが…。行政の統廃合が叫ばれているが、少なくともこの大学に関しては、学生の目から見ても何の変化もない。せいぜい、大学名とメールアドレスが変わったくらいだ。ちなみに、メールアドレスは今年度いっぱいは古いものが使えるので、今年卒業してしまって大学に残らない4年生にはあまり関係がない。

大学に残らないと言えば、3年生まで話す機会の多かった友人たちのほとんどが大学に残るらしい。大学院進学で残る友人もいるが、留年して残る友人もいる。人生いろいろである。自分は大学院へ進学するわけだが、それで勝ち組と思えないのはなぜだろう。そもそも、留年だから負けとかいう考え方自体がおかしいかもしれない。物事を何でも勝ち負けで判断していけないのかもしれない。


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