Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年02月28日(金) 夢に見る遠き人

2003.02.28 (Fri) 11:58 Viewer: 7 Access: 6476
彼女の夢を見た。
会う機会がなくなっても、そう簡単に忘れるものではないらしい。
そのうちストーカーに化けそうだ…。
自分で言うのもなんだが、
普段は行動力がないくせに、
この方面だけはやたらと動けるからな…。
偽善者のつもりはないが、
とにかく自分のためには動けず、他人のためなら動ける。
ただし、他人のためというのは、
他人の益になることとは限らない。
他人に関わることならすべてだ。
良いことにしろ悪いことにしろ、
他人に影響を与えられることならできるわけだ。
だから、何か行動をするときは、
すべて他人に関連づけている。
ゼミの課題は教官に言われたからだ、など…。
これでは、とても自主的とは言えないが。
明確なビジョンというのがないから、
自分のためという理由では動けないのだ。
まあ、そもそも、
僕にとって、自分という存在は軽い。
全力を賭して磨き上げるべきものでもないし、
守るべき存在でもない。
そんなものにたいして、何かをしようとは思えないのだ。

課題を処理するために、
かなり高濃度のコーヒーを飲んだ。
おかげで頭が冴えまくっている。
もちろん、「かなり高濃度」のコーヒーは
苦くて仕方がなかったが。
ちなみに、意図して高濃度にしたわけではなく、
単に分量を間違えたのだ。
コーヒー豆の粉末をザーッとコップに注ぎ込んで、
「こんなもんかな」とか思いながら
適当に牛乳を入れて、
あとは電子レンジのホットミルクモードで加熱しただけ。
まあ、簡単なものだ。

夢で見た彼女の姿は、
相変わらず近くて遠かった。
すぐ手の届く距離にいて、お互いの声は届くのに、
想いは何一つ届いていない。
あるいは、届いていても、それを受け容れてくれない。
僕にも、受け容れてもらおうという強い意志がない。
その夢で見た彼女の姿は、
あらゆる意味で理想化されていた。
僕は肩の少し上くらいのショートカットが好きなのだが、
もっと長かった彼女の髪は、
夢の中では見事にその長さに切りそろえられていた。
最後、僕は彼女を追って階段を上っていた。
僕は用のある階にたどり着き、そこで立ち止まったが、
彼女はさらに上へ上へと登っていった。
これは現実の反映なのか、それとも本当にただの夢に過ぎないのか。
僕の夢はいつも曖昧で、
ほとんど記憶に残らない。
なぜ彼女を追っていたのか、なぜ階段を上っていたのか。
よく、覚えていない。

僕だけではない。
すべての人があるべき姿を求めて、
着実に歩みを進めている。
年齢が上の人を見ると、
その先の姿が見えてくる。
一見、何も違わないように見えたり、
時には自分より下に見えたりしても、
注意してみれば、その自覚は隠しようがない。
僕のように他人に依存しているわけではない、
明確な自信、それを裏打ちする努力を、
みんな持っている。

自分が悪いとは思わないが、
自分よりさらに優れている人は、世の中に多くいる。
その中で一体僕は、何ができるのだろう。

…まあ、やるべきことをやるだけだ。
なにもすることがないならともかく、
今はとりあえず、やることがあるのだ。

2003.02.28 (Fri) 12:36



2003年02月27日(木) 先延ばしする日々

2003.02.27 (Thu) 20:21 Viewer: 9 Access: 6457 Letters: 617
今日は、やけにアクセス数が多かった。
過去の日記から順番に見てくれた人がいて、
その延べ人数は100人を超えていた。
たまにはそういうこともある…。

それにしても、やろうと思うことはたくさんあるのに、
なにひとつできていない。
ゼミの課題はもちろん、PCのセッティングもやり直そうと思っている。
ハードディスクをフォーマットして、
きれいさっぱり、1からやり直そうとも思っている。

今日は、新しいゲームを買ってしまった。
Star Ocean Till the End of Timeという名前だ。
ゲームの中では割と有名だから、
この方面に興味のある方は知っているかも知れない。
なかなかすごい勢いで売れていたが、
売り切れにはなっていなかったから、
人気はそれほどでもないのかも知れない。

まあ、さすがに、
3月3日にゼミの課題のしめ切りが迫った今、
ゲームをやろうとは思わない。
なんとしても発売日に買おうと思っていたから買っただけだ。

それだけか。
ここ1週間ほど、
家族以外の人間には、友人1人にしか会っていない。
こんな状況が続くと、さすがに気力も出てこないな…。
このタイミングでゼミの集まりがあるというのは
運が良かったのかも知れない。
まあ、それだけに、そのゼミで醜態を曝すわけにはいかない。
醜態も何もプログラムだから、
動けばそれでいいのだが…。

2003.02.27 (Thu) 21:03



2003年02月26日(水) ボーっと過ごす日々

2003.02.27 (Thu) 20:03 Viewer: 21 Letters: 530
日記と言っても、書くことは特にない。
休みの日はずっとそうなのだが…。

最近は、1日が恐ろしく早く過ぎる。
ゼミの課題も余裕があるかと思っていたが、
もうすっかりなくなってしまった。
800行以上のプログラムのうち、
まだ30行ほどしか書けていないのに…。
やったことのある方は分かると思うが、
30行のプログラムと言うと、
ほとんど何もしていないに等しい。

日記も、本当にひっきりなしに書いているような気がする。
まるで、日記に1日のほとんどの時間を費やしているような印象だ。
そんなことはないはずなのに。
とにかく、1日が異常に短い。

だから、何もない。
さすがに、考えていることというのも…。

ああ、そう言えば、
官僚はなぜ政治家の言うことを聞くのだろうかと、
疑問に思ってしまった。
政治家の言葉に従うのはなぜだろう、と。
あれだけ問題になることが多いのだから、
何か原因があるのだろう。

そのくらいだろうか。
みんな一生懸命やっているのに、
自分だけこんなことでいいのだろうか。
しかし、なんにしても
こんなことをやっていられる時間はそうはない。
楽しめるときに楽しむべきなのかも知れない。

2003.02.27 (Thu) 20:20



2003年02月25日(火) 久しぶりの外出

2003.02.26 (Wed) 0:12 Viewer: 12 Letters: 295
この日起きたのは、15時40分。
さすがにこれはまずい。
ここは1つ、例の手段で。

ということで、徹夜することにした。
だから、24日に起きてから、
今この日記を書いている今まで、
ほとんど一睡もしていない。
家庭教師をしているとき、少し居眠りしてしまったが。

この日は、見事にゲームしかしていない。
よって、書くべきことは何もない。

何かきっかけがあれば、
前日の日記のようにいろいろ書けるのだが。
何かあるのだろうか。

なんて言っている場合ではない。
31時間も起きていたのだから、
さっさと寝なければ…。

2003.02.26 (Wed) 0:23



2003年02月24日(月) 最短の日記

2003.02.26 (Wed) 0:12 Viewer: 12 Letters: 295
この日起きたのは、15時40分。
さすがにこれはまずい。
ここは1つ、例の手段で。

ということで、徹夜することにした。
だから、24日に起きてから、
今この日記を書いている今まで、
ほとんど一睡もしていない。
家庭教師をしているとき、少し居眠りしてしまったが。

この日は、見事にゲームしかしていない。
よって、書くべきことは何もない。

何かきっかけがあれば、
前日の日記のようにいろいろ書けるのだが。
何かあるのだろうか。

なんて言っている場合ではない。
31時間も起きていたのだから、
さっさと寝なければ…。

2003.02.26 (Wed) 0:23



2003年02月23日(日) 廃人生活疾走中

2003.02.24 (Mon) 15:57 Viewer: 25 Access: 6389 Letters: 4729
えーっと。
朝起きて、ゲームして、寝ました。
起きたのは12時で、寝たのは次の日の7時です。
ちなみに、15時40分に起きてこの日記を書いてます。
…ダメだ。廃人生活爆走してる。
ゼミの課題はどうした…?

たぶん、風呂にも入っていない。
起きて、ゲームをして、やりながら昼食を摂って、
夕食だけ普通に食べて、
それからずっとゲームをしていた。
毎日徹夜で睡眠時間1時間という人ほどではないが、
それでも、僕は十分に廃人だと思う。
今日は課題をやらないと…。
でもそれ以前に、PCや家から離れるべきかも知れない。

う〜ん。止まってしまった。
他には何もないぞ…。

しょうがないので新聞の話でも。
書いたような気もするが、
先週から、今まで読んでいた朝日新聞以外に
日経も読むようになった。
サンプルをもらえるようになったのだ。
販売店が同じで運が良かった…。
これ、書いた気がする。絶対どこかで書いた…。

それで読み比べたわけだが、
やはり論調を見ても紙面の構成を見ても、
日経の方がよいように思えてならない。
日経の方が高いようだが、それはやむを得ないだろう。

まず、記事の内容が具体的だ。
朝日新聞だと、「韓国の企業が…」という記述しかないところ、
日経にはきっちり「サムスン電子」とか書いてある。
また、内容が公平で冷静だ。
朝日新聞は、どうも自分の社の方針に合うような
記事が多いような気がする。
社説だけでなく、全体的に左寄りなのだ。
父はこれではバランスを欠くと、
朝日新聞と一緒に、朝日新聞に批判的な雑誌も読んでいたが…。
確か、週刊文春だったと思うが。
しかし、あれはあれで、
内容がどうも煽動的であるような印象がある。
雑誌の多くは、内容が刺激的で冷静さを欠く。
視聴率至上主義のようなテレビと同じ問題を抱えているのだろう。
新聞は、よく言えば規模が大きくて安定している。
悪く言えば読者の意志を反映しなくても、何とかやっていける。
そういう意味で、あまり売れる紙面づくりにこだわっていない気がする。
おかげで、今や新聞が一番読み応えのあるメディアになっている気がする。
もちろん、一般の本の中には
もっと読み応えのあるものが山ほどあるに違いないのだが。
それにしても、読者の意志を反映しないことで
内容が優れたものになるというのも皮肉なものだ。
これは、結局読者のレベルが低いことを意味するのだろうか。
はっきり言って、バラエティ番組やワイドショーを見ると
このような番組を喜んで見る人間の
レベルは低いのではないかと疑いたくなる。

新聞に、バラエティ番組を好んで見る人間は、
基本的に批判的精神に富んでいるという論説が載っていた。
番組自体を見ておもしろいと思っているのではなく、
その裏を見て楽しんでいると言うのだ。
つまり、ヤラセであることが分かっていて、
その表現をどうするかってことを楽しんでいると言うのだ。
僕が見る限り、周囲の人間がそんなことを考えているとは
どうしても思えないのだが、それはいい。
だが、それが批判的精神に富んでいると言えるのだろうか。
そもそも批判とは、何らかの意見、主張に対して、
自分の意見を述べることだ。
そもそもの由来は、臣下の提出した書類に
天子や大臣が善し悪しの判定をすることから来ているらしい。
つまり、高所からその考えについて見下ろさなければならない。
そして何よりも、全体を見据えた判断が必要なのだ。

さらに言えば、批判は悪口ではない。
日本語として批判を悪口という風に解釈する場合もあるが、
それは違う意味であって、ここで言う批判は、
善し悪しなどについて、論理的・科学的に検討して判定することだ。
否定的な意味に使う場合は確かに多いが、
だからと言って否定的でなければならないわけではない。

バラエティ番組を見て、
一体何を検討しているのだろう?
どこが論理的なのだろうか。
それに何らかの意義があるのか。
すべてに、疑問符が付くのではないだろうか。
確かに、バラエティ番組から検討できることは山のようにあるだろう。
話術でもいいし、人間の感情に関する問題でもいい。
でもそれは、あえてあのような形で検討すべきものなのだろうか。
そして、あのような番組から論理的な検討をすることは極めて難しいだろう。
そもそも、番組内容自体が、論理的考察を否定している印象を受ける。
さらに意義だが、これは難しい。
検討課題によっては意義を見いだすことは十分に可能だからだ。
だが、これについては検討課題の選択と同じことが言える。
つまり、あのような形で提示する必要性があるのかどうかだ。

ここで僕が取り上げている問題は、
バラエティ番組を好んで見る人間に、
批判的精神があるかどうかだ。
今まで挙げてきた要因を考えると、
バラエティ番組は、批判するのに適した題材でないと言える。
差別だとか偏見だとか、いじめだとか常識に反した内容とか、
負の意味での批判には適しているのかも知れないが、
結局のところ、このような行為は、やめればよいという性質のものだ。
このような行為を批判することは、批判的精神を養うことにはならないだろう。

だから、結論として、
バラエティ番組を好んで見る人間に
批判的精神があるとは言えないと思う。

確かに僕はバラエティ番組が嫌いだが、
ここで言っているのは、バラエティ番組そのものについての是非ではなく、
バラエティ番組を見る人間に批判的精神があるかどうかということだ。
ちなみに、同じような理由で
バラエティ番組を見て批判的精神を養える、ということは否定できる。
これにはさらにいくつか挙げるべき点があるだろう。

まず、番組の構成自体が、
視聴者の考えを1つの方向に導くよう調整されている。
平たく言えば、すべてはオチに向かって収束しているのだ。
このような状況では、多様な考えを持つのは難しい。
さらに、よく言われることであるにもかかわらず
僕が論理的に説明することはできないのだが、
「脳味噌を預けている」という問題だ。
少なくとも僕は、バラエティ番組を見ているときに
字幕などの手段によって、
極めて明確に番組作者の意図を読みとることができる。
そして、それがあまりに明確であるために、
考察の余地がほとんどないのだ。
小説などでよく言われる、自分のイメージというのを
広げる余地がないのだ。
だから結果として、作者の考えをそのまま受け取り、
それについて自分で考えるというコトをしなくなる。
ちなみに、その作者の考えそのものが
あまりにひどいとも思う。
どんなに押しつけられたような手段でも、
内容が優れていればいくらでも考えることができる。
例えば、テレビや映画はすべて、
映像と音で伝えるという点において、
バラエティ番組と同じだ。
だが、その内容に天地の差があることは、
誰しもが認めることだろう。

バラエティ番組は優れているが、映画はくだらない?
もしそう思うのなら、僕の価値観とは根本的に相容れない。
こんな日記を読むのは、やめた方が良かろう。
だがそれは、
おそらく世の中の、ほとんどの人の価値観とも相容れない。

多くの人は、作者のテーマについて考察の余地が
極めて少ない作品について、強い興味は覚えないものだ。
バラエティ番組に考察の余地があると言っても、
それは上にも述べたように話術や番組内容の倫理的是非、
人間の感情などの問題であって、
番組作成者が提示したものではない。
むしろ、番組作成者の意図しないところで発生した派生的な問題だ。
一方で、優れているとされる映画などの作品には、
強いテーマ性がある。
見て笑えばそれでいいということではなく、
見ている人に訴えるものがあるのだ。
このような作品にこそ価値がある、と考える人は多いだろう。

寝ぼけて書いている割には
ずいぶん調子よく書けた気がする…。
やはり、日頃から不満を持っているテーマについては
よく書けるものなのかも知れない。
このようなマイナスの感情が
人間の行動に対して大きな原動力となるのは悲しむべきことだと思うが。
だが、人間はもとより、
多くの生物は、マイナス要因から逃げることで存続してきたのだと思う。
食物連鎖の頂点に立つ肉食動物ですら、
飢えという苦しみから逃げるために他の動物を狩っているに過ぎないとも言える。
そう言う意味では、マイナスから逃げることは
生物の本能と言えるかも知れない。
だが、それにとどまらないのが、人間の価値ではないだろうか…。
また、欠点でもある。

マイナスから逃げるだけでなく、プラスを求める。
要するにそれは、欲深いということだ。
良く言えば、環境を受け容れるだけではなく、
それを改善していく意志を持っているということだ。
欲深いと言っても改善すると言っても、
印象こそ違うが、本質的な意味は変わらないと思う。
つまりどちらにしても、環境に訴え、変えていく意志を持っているということだ。
…どうも、中性的な表現にすると、意味をとらえにくい気がする。
人間は感情で意味を把握しているのだろうか。

これが価値だというのは、よく分かるだろう。
人間は、現状から逃げて生き残るだけでなく、
現状を変えて、新しいものを生み出して、
それを蓄積していく能力を持っているから価値があるのだ。
では、なぜ欠点なのか?
それは、歯止めが利かないからだ。
逃げるには限界がある。
もっとも安定するところに落ち着けば、
環境が変わらない限り、そこにとどまればよい。
だが、環境を変えはじめると、それには限界がなくなる。
もっと良くなるはず、まだ改善の余地がある、
と言って、いくらでも進んでしまう。
それは何度も言うように、価値でもあるのだが、
欠点とも言える。
目的のために、他のことを見落とすからだ。

でもそれは、人間の能力的な限界なのだから
仕方のないことだろう。
できることは、なるべくいろいろなことを見落とさないようにして、
自分の行為で、逆に環境を悪化させないようにすることくらいだろう。

ちなみに、ここで言う環境は
一般の環境であって、地球環境ではない。
つまり、宇宙も社会的な状況も、自分の体調も含む。
自己以外のすべてだ。
自分の周囲を取り巻く状況、と辞書にはある。
システムに置ける環境の定義をご存じの方は、
それを想起していただいてもいい。
「システムは、要素とそのつながりからなる全体である。
要素がつながり合うことで要素単独ではできないことをする。」
というものだ。
そして、要素とそのつながりからなる全体以外のすべてを環境と呼ぶのだ。
例を挙げれば、
コンピュータは、ディスプレイやPC本体、キーボード、マウスからなるシステムだ。
これらは相互に接続されて、仕事をする。
それら単独では、文字を入力して処理をして表示をする、
という一連の作業をこなすことはできない。
すべてを配線で繋いで、初めてそういう仕事ができるようになる。
そして、そのコンピュータの外部からキーボードを叩いたり、
ディスプレイの文字を読みとったりする僕が、「環境」なのだ。
ちなみに、僕自身をコンピュータシステムの一部と考えれば、
環境から何の刺激もないにも関わらず、
勝手に日記を書いてしまう自動システムとなる。
コンピュータだけでは、環境から何もされないのに
何か仕事をするということは、通常ない。
あらかじめある時間に何かをするとセットされていれば別だが、
それは別の時間に環境から影響を受けたと考えられる。
ちなみに、環境は外部と言い換えると分かりやすいかも知れない。

起きて2時間ほどなのに、もう眠くなってきた。
なぜだろう…。

マイナスから逃げるだけでなく、新しいことを求めるのが人間の価値。
最初に結論を言うと、最後にどうすればいいのか困る…。

2003.02.24 (Mon) 17:25



2003年02月22日(土) 同室者の影響

2003.02.23 (Sun) 6:20 Viewer: 17 Access: 6361 Letters: 662
今日は、昼頃起きて、
そのままずっと家にいた。
だから、書くことは特にない。

今日から、ゼミの課題をやり始めた。
簡単だと思っていたが、
思ったよりも複雑なプログラムで、
結構読みこなすのが大変そうだ。
これからどうなることやら…。
今はまだ、渡されたC言語のプログラムを
そのままJavaに書き換えればいいのだが、
これをちゃんと理解して、
Javaの特性を生かして書き直すとなると、
これは大変な作業になるかも知れない。
もっと練習が必要だ…。

このゼミの課題に限らず、
僕の生活のほとんどはPCに依存している。
この日記にしたってそうだし、
音楽を聴くにも、PCにデータとして保存しているものを使っている。
もちろん、音質はそれなりにしかならないが、
そんなこと、いちいち気にしたりはしない。

だが、僕は弟と相部屋だ。
だから、いろいろとトラブルが起きやすい。
今、この時間にこうして日記を書くのも、
部屋に弟がいたらできなかった。
キーを叩く音がうるさいらしい。

でも、このおかげで僕は
救われてきたのかも知れない。
ゲームをするにしろ、まじめに勉強するにしろ、
情報工学を専攻する以上、
僕は1日のかなりの部分を、PCの前で過ごすことになる。
そういうときに、そういう感覚を理解できない弟が近くにいることで、
僕は、極端な依存から抜けられるのかも知れない。

ああ、ダメだ。
ボーっとする。
さすがにこの時間はまずいようだ…。
とっとと寝ることにしよう。

2003.02.23 (Sun) 6:38



2003年02月21日(金) 異なる価値観は受け容れるべきか

2003.02.22 (Sat) 18:34 Viewer: 21 Access: 6344(+38) Letters: 2544
一度書いたのだが、
突然不正終了とか言って消えてしまった。
しかも、バックアップが出てこない。
なんなんだ、まったく…。

確か、計算物理学のレポートを書いたという話を書いて、
そのプログラムを友人に見せて、
Cでかくと思っていたのに
Javaのままそいつが出してしまうかも知れないとか
そんなようなことを書いた気がする。

しかし、消えてしまうとなんともやる気が失せる。
同じことを二度書くのもなんだか間抜けな気がする。

この日は、
友人の家に行って、
なんか聞きたいことがあると言うから、
少し話を聞くつもりだった。
しかし、僕は今週の金曜日だと思っていたのに
向こうは来週の金曜日だと思っていたらしい。
今度の金曜日と言って
なぜ2回目の金曜日になるのか理解に苦しむが、
そういうふうに考える人もいるということだろう。

あとは、ゼミの課題がある。
たいしたことではないが、とにかく量が多い。
早めにやらなければ、終わらなくなってしまう。
やればできる気はするが、
いざやろうとすると、気分が乗らない。
この調子で行くと、本気で危険だ。
僕は最近、追い込まれてもやる気がしないし…。

このくらいか…。
なんか最近、浮世離れした感覚が抜けない。
なんか、世の中から少し離れているような気がしてならないのだ。
そして、現実のすべてに、リアリティを感じない。
昔から、そういう傾向はあった。
中学2年くらいからずっとそうだ。
その頃から僕は眠っていて、
今やっていることも、すべて夢なのではないかと思ってしまう。
なんか、中国のことわざにそんなものがあったような気がするが。
なんという言葉だったかは忘れてしまった。
ってことで、例のごとく辞書を引いてみた。
ああ、そうだ。盧生(ろせい)の夢だ。
邯鄲(かんたん)の夢とか、邯鄲の枕とも言われるらしい。
人生の栄枯盛衰の儚さをたとえているそうだ。
そんなことを言われてもなあ。
別に栄えることなど興味はない。
立身出世なんてしたくもない。
そんなことになったら疲れそうだ。
今のままでいい。これ以上、なにも望むものなどない。
ただ、今の生活を守れればそれでいいのに。
なぜ、進まねばならないのだろう。
時は、どうして止まらないのだろう。

すべての人が変化を望まなければ、
世の中は止まるのだろうか。
でも、きっとそんなことはあり得ないだろう。
世の中のほとんどの人が、
満足するということをしていない。
それはなぜなのかは人それぞれだが。
よく分かる状況であることもあるが、
僕よりもずっと恵まれているはずなのに
さらなる変化を望む、理解に苦しむ人がいる。
でもそれは、それぞれの価値観なのだから
僕がとやかく言うことではないのだろう。

僕は基本的に、
異なる価値観であってもなるべく受け容れるようにしている。
あまりに違いすぎると、受け容れようにも理解不能だったりするが…。
でも、それで弊害が現れてきた。
他人の価値観に影響されすぎて、
自分が見えなくなってきたのだ。
変わりたくなんてないのに、
人に影響されて、短時間で僕の価値観はコロコロと変わってきた。
それでも、自分でもよく理解していない
自分の根幹をなす部分は変化していないと思いたいのだが…。
それとても、よく分からない。

ちなみに、あまり関係はないが、
僕とはまったく違う考え方の人がいる。
価値観は比較的似ているのだが、考え方が違うのだ。
どう違うのかと言えば、
その人は、異なる価値観を受け容れないのだ。
僕と違って器用な人なので、
見た感じ、相手に、その人の価値観を受け容れていると思わせている。
でも実は、丁寧に応対していながらも、
その人の価値観を拒否しているのだ。
価値観が合わないもの同士はそのまま離れていきそうなものだが、
この人の場合、その建前が見事なために、
価値観が合わないにも関わらず、
長く続く人間関係を築き上げている。

これはもしかしたら、
その人が女性であることも関係しているのかも知れない。
男だったら、いつも当たり障りのないことばかり言っていたら、
おもしろくないと感じられるかも知れない。
しかし女性であれば、割と古風な価値観、
すなわち、おしとやかで清楚なイメージに当てはまることになる。
もちろん、こういうのが好きでない人もいるだろうが、
ある程度受け容れられている価値観であることは確かだ。

この人と話していると、
僕はちょっとした恐怖を感じる。
恐怖と言うと大げさか。
微かな不安とでも言うべきだろうか。
その人は僕に、他人の価値観は受け容れられないのだということをいつも話す。
でもそれはつまり、僕の価値観をも拒否するということではないか。
そう感じてしまうのだ。

だから僕は、
悪口が好きになれないのかも知れない。
他の人は、悪口を聞いていても、
それが他人のことを言っていると確信できるのかも知れない。
しかし僕は、悪口を言っているのを聞くと、
それがいつ自分に向くかと、不安に思ってしまう。
誰かに第三者の悪口を言われたとき、自分は言われないのだという
保証はどこにもないのだ。
僕の知らないところで、
同じように僕の悪口を言っているかも知れないのだ。

きれい事でも構わない。
偽善と言われても結構だ。
それでも、僕は憎しみをぶつけ合うべきではないと思う。
人間は悪意を持たずには生きられないなんて嘘だ。
常に前向きに物事を考えていれば、
すべてのことをプラスに受け容れることができるはずだ。
もっとも、それだって環境によるが…。
いつもいつも悪いことばかり起きるような環境だったら、
どうしようもないかも知れない。

どうも、同じようなことばかり書いているような気がするな…。
物事の考え方なんて、
変わるとは言ってもそんな急激なものではないのだから、
毎日毎日自分の考えを書いていたら、
同じようなことになるのも仕方ないのかも知れない。
でも、あとから読み返せば、
これで自分の変化を読みとることができるのかも知れない。
変化のきっかけがこの日記に残っていれば、
あとで見たとき、おもしろいと思えるのかも知れない。

まあ、それでもいい。
漠然と考えるのではなく、
こうやって文章にすることには、
何らかの意味があるだろう。
そう思いたい。

2003.02.22 (Sat) 19:06



2003年02月20日(木) 試験終了

2003.02.21 (Fri) 2:50 Viewer: 20 Access: 6306 (+36) Letters: 1241
今日から、ちょっと工夫を加えてみようと思う。
たいしたことではないが…。
うまくできるかどうか分からないが、
デジカメを買ったきり使っていないので
写真を貼ってみようと思う。

今日は、線形代数の再試験があった。
たいした問題ではなかったが、
どこかで計算ミスがあったらしく、
答えがおかしかった。
あれで単位をもらえるのだろうか…。
必修を最後まで残してしまうのは
さすがにまずいと思うのだが…。

それから、文学のレポートのしめ切りだったが、
さすがに必修を残している状態で
そんなことをやっていられないので
あきらめてしまった。
昨日のうちにやっておけばよかったのかも知れないが…。

大学へ行く途中、
いつも気になっている店があった。
シルバーミトンという、ケーキ屋だ。
東京駅、丸の内南口の近くにある。
結局、東京カラメル焼きりんごタルトという、
少々長い名前のタルトを衝動買いしてしまった。
700円…。決して安くはない。
そのタルトがこれだ。
東京カラメル焼きりんごタルト
りんごの絵が描かれたカードは、
本来は別の位置に貼ってある。
見やすいように、箱の上に貼ったのだ。

結構大きなタルトで、
あまり人の多いところで食べたくなったので、
自習室で食べてしまった。
その光景も写真に撮ってみた。
…自習室に人がいないって、どういう大学なのだろう。
きっと、試験期間が終わっていたからだろう。
そうに違いない。
で、これがその光景だ。
大学の自習室
見ての通り、はっきりと飲食禁止と記されている。
机のまわりに転がっているのが僕の鞄で、
いすの上に置いてあるのがコートだ。

この背景色に写真ってのは
かなり無理がある気がする。
縁でもつけておくか…。

日記に載せる写真を撮ろうと思うと、
意外と撮れないことに気づく。
上の2枚は、誰もいなかったから撮れたものだ。
人のいるところで突然デジカメを取り出してシャッターを切るなんて
なかなかできるものではない。
それでも、やろうと思えばやれないことはないが。

そのあと、図書館で本を借りて、
教育用計算機室に寄ってから、
線形代数の試験を受けた。
線形代数は、ご丁寧に復習までしてくれたが、
残念ながら、どんなにやり方を理解していても、
計算ミスばかりはどうにもならない。

書くことはこれだけだ。
写真には、特に加工も何もしていない。
やはりそれでは重いのだろうか。

まあ、余裕があったら
見やすいように編集することにしよう。
今日はもう、4時を回っている。
明日は一応、友人のところに出かける予定があるし、
それほど余裕はない。

2003.02.21 (Fri) 4:02



2003年02月19日(水) 裁かれない殺人者

2003.02.20 (Thu) 2:35 Viewer: 18 Access: 6270(+19) Letters: 1377
今日は最後の試験があった。
…必修、再試になってしまったから
実は明日もあるのだが。

流通統計管理論。
解答用紙に「単位、お願いします」と書くと
単位がもらえるという、伝説の教官が担当している。
書いてある問題文の日本語が理解できなかったが、
まあ、それほど難しいとは思わなかったが、
試験後に話してみた感じでは、
僕も含めて軒並み落ちているか、
ほとんどの人が通っているかどちらかだろう。
あまり厳密なことを問うてはいないはずなので
おそらくは通るだろう。

実際の内容は、
現代経済論とでも言うべきものだった。
取引の内実、為替取引の種類などを扱った。
最初の方では流通の話もいくつかあったが。
中間流通機能の役割だとか、
そんなような話だ。
卸売りなんて中間でマージンとってるだけなんだから、
いない方がものが安くなっていいじゃないかと思うが、
そんなことをしたらすべてのメーカーとすべての店が
直接取引をすることになって
取引の数が膨大になって、パンクするじゃないか
というのが大まかな理屈だ。
専門用語では流通チャネルの削減、と言うそうな。
専門家のはずなのに他人事のようだ…。

今日の電車の中。
知的障害の人がいた。
よくある偏見のイメージ、あのままでほぼ間違いない。
僕は扉の側に立って
窓の外を見ていたのだが、
いきなり後ろから当たってきて、
僕が立っていた場所に割り込んできた。
いちいち争っても仕方がないのでその場を離れたが、
なんだか気持ちの悪い声で何かをつぶやいている。
それも仕方がないので、
一度電車を降りて、違う場所へ行った。

普通の人がやったら、
明らかにマナー違反だろう。
しかし、知的障害だから許される。
…これって、おかしくないか?
精神障害の殺人もそうだと思うのだが、
本人の状況なんて関係ないだろう。
病気かも知れないし、何かの間違いかも知れない。
しかし、その人は明らかに
問題となる行動をしているのだ。
評価されるべきはその人ではなくて、
その人が取った行動ではないのだろうか。
そして、行動を評価するときに、
その人の病気だとかなんだとか、
そんなことをいちいち考慮する必要があるのだろうか。
迷惑をかける人に例外など考える必要はないだろう。
子どもも、酔っぱらいもそうだ。
最低限のマナーも守れない人間は、
電車に乗るべきではない。

だが、電車くらいならいい。
被害者が我慢をすればいいのだ。
確かに理不尽だし、泣き寝入りというやつだが、
それこそ知的障害者ならともかく、
まともな社会人ならそんなことは、日常茶飯事だろう。
なぜなら、すべてを結果で判断されるからだ。
どんなに努力をしていても、結果に結びつかなければ評価されない。
そのときに他人に邪魔をされたりしていても、
バレなければないのと同じだ。

でも、殺人の場合はそうはいくまい。
被害者は命を失っているのだ。
それが、犯人は精神障害だから無罪です。
では救われない。
精神病院は牢獄のようなものだから、とかいう問題ではないだろう。
犯罪者は、例外なく法によって裁かれるべきなのだ。
それを言ったら子どもの場合も同様だが。
どんな人間であれ、行動は行動だ。
誰がやったからって、その本質は変わらない。
殺人は誰がやったって殺人なのだ。

眠い。寝よう…。

2003.02.20 (Thu) 3:38



2003年02月18日(火) 向かう先には

2003.02.19 (Wed) 1:02 Viewer: 19 Access: 6251(+26) Letters: 1454
これから、どうなるのだろうか。
彼女と一緒の教室も、これが最後だったのかな…。
試験中にもかかわらず、
何度か彼女の方を見てしまった。
今日は、今まで見たことのない服を着ていた。
結局、話はできなかった。

その彼女と同じ研究室の友人が、
たまには遊びに来たらどうだと言ってくれた。
考えもしなかったが、確かにいいかも知れない。
今までと同じ環境を願うからいけないのだ…。

今日は、国際マーケティング論の試験だった。
まあ、たいして難しい内容ではなかった。
この科目に限ったことではないが、
専門科目はどれも、
基礎教養科目と比べるとずっと易しい。
そうしないと学生が着いてこられないのかもしれないが。
これはいいことなのだろうか。
難しいから優れているとは言いきれないが、
自分たちの能力が足りないばかりに、
僕たちは不十分な講義を受けているのかも知れない。
少なくとも、彼女はそれを感じているようだ。
そうは言わないが、言葉の端々から不満を感じ取れる。

僕の知る限り、優れた人間は得てしてそういうものだ。
自分の能力を生かせる環境を求める。
自分の能力をさらに高められる環境を求める。
結局、どれほど優れた人間でも、
それを生かせる環境がなければ何もできないのは自明だ。

明日、彼女に会えるかも知れないと思ったが、
日程を見る限り、明日試験があるのは僕だけのようだ。
実感を抱くのはまだ先だ。
これからは、会いたくても会えない日々が始まるのだ。
それだけならまだいい…。
顔を見ることすらままならない日が始まるのだ。
想いが募るか、忘れ去るか…。

それにしても、
彼女を含め、最近女性と話すと、
みんなとても楽しそうに話しているように見える。
女性というのはそもそもそういうものなのだろうか。
僕なんかと話すのが、そんなに楽しいのか?と思ってしまうほどだ。
しかも、勢いがすさまじい。
僕は割とよくしゃべる方だが、
自分から話を切り出すことはあまりない。
そうすると相手から話が始まるわけだが、
始まったら止まらない。
口を挟む隙間もないほどだ。
この歳になって気づくのも情けないものがあるが、
女性のしゃべる勢いというのは、
男には止められないものがある…。

これから先、
大学生活はどうなるのだろう?
4年次には、ほとんど講義はない。
その時点で、今までとはまったく違う生活になるわけだ。
これから、徐々に今の環境が失われていくのかも知れない。
さて、どうなることやら…。

これからは、強い目的意識を要求される。
でなければ、何もできない。
まわりはもはや、僕の進むべき道を
何も示してはくれない。
僕は、自分で道を探し出し、
自分で選び取らなければならない。
あらゆる選択ができるようになった代わりに、
その選択肢はすべて、自分で見つけださなければならないのだ。

それにしても最近、
自信は持てるようになった。
しかしその自信は、どうもニセモノのような気がする。
精一杯強がっているだけで、
能力が伴っていないのではないかと思えるのだ。
本当に自信があるなら、
態度に示さなくても、あくまで謙虚にあることができるはずだ。
しかし、最近はどうも、
誇示せずにいられないようなところがある。
ただ黙っていられないだけかと思っていたが、
実のところ、不安に思っているのかも知れない。
他の人に常に認めてもらわないと、
自分に価値などないと感じてしまうのかも知れない。

明日はかなり早い。
そろそろ寝ることにしよう…。

2003.02.19 (Wed) 1:53



2003年02月17日(月) 生活を失うとき

2003.02.18 (Tue) 1:24 Viewer: 18 Access: 6225 (+27) Letters: 4806
今日は、線形代数の試験があった。
少し早めに行って、勉強をしていたのだが、
数学の勉強を30分したところで、
それほど効果があるはずもなく…。
まあ、試験の内容が簡単だったので、
それでも、やらないよりマシ、という程度の効果は出たが。
はっきり言って、やる気なんて欠片もなかったので、
土日とも、何の勉強もしなかった。
…大学生活の日記じゃないな。こんなの。
普通の大学生は、確かに普段は勉強しない人が多いが、
試験前くらいは勉強するものだ。
誤解なきよう…。
ちなみに、何度も何度も書いているが、
普段からちゃんと勉強する人だっている。

試験は簡単だったのだが、
それ以上に勉強していなかったので、
半分くらいしか解けなかった。
単位が出るかどうかは微妙なところだ。
下駄を履かせてくれるはずのレポートを出さなかったというのもある。
ただ、補講もあるので、何とかなると信じたい。
なんせ、必修だ。
これを落とせば、下手をすれば、
大学院への推薦どころか、一気に卒業も危うくなる。

それから、実は一般教養系科目の単位も足りていない。
朝、早起きできないからと言って、
1年生の頃、捨てまくったのがたたったのだ。
まさか、一般教養が足りなくなるとは思わなかった…。

その試験が終われば大学に用はないのだが、
一応、その場に残っていた。
…もう、友人と会う機会も少ない。
隠すこともないだろう。

警告する。
今まで僕は、知っている人が読みに来るからと、
遠慮していた。
僕のことを直接知っている人は、
この日記をブックマークから外すことを勧める。
もう、遠慮はしない。
この日記で気持ちを隠すようになって、
いつしか、実生活にまで影響が出てしまった。
ずっと心の中にしまい込んで、
やりたいことも、思っていることも、
何もかも隠していては、何もできない…。

彼女と会いたかったのだ。
もう、彼女と会える機会なんて、数えるほどしかない。
今までの、何の苦労もなく会える環境に慣れすぎて、
顔を合わすことすらできない未来の状況が、
イメージできていなかった。
プラス思考が裏目に出てしまった。

僕が試験を終えたとき、彼女は図書館にいるはずだった。
試験のない時は、彼女は図書館で勉強していることが多いからだ。
そちらへ向かおうとしたら、いきなり彼女が建物に入ってきた。
僕の顔を見ると、軽く手を振ってくれた。
まさか、君に会いたかったなんて言うわけにもいかず、
僕はしどろもどろになりながら適当なことを言って、
その場を通り過ぎた。

…冗談じゃない。これで終わりだって?
建物を出たところで、僕はそこから引き返した。
今さら細かいことを気にしてどうすると言うのだ。
幸い、彼女はまだ教室に入らず、その場にいた。
僕は、「試験の調子はどう?」などと、
かなり無意味な質問をした。

あまり良くない、と言っていた。
彼女の場合、単位として許せるのは優だけで、
最悪でも良らしいから…。
可をもらうくらいなら、不可の方がいいのかも知れない。
うちの大学は、不可になると、不可という単位がつくのではなく、
何の単位も出ない。
つまり、もう一度履修して、良い成績を取ることが可能なのだ。

結局、たいした話はできなかった。
試験の話に終始しただけだった。
でも、何の話もしないよりは、ずいぶんマシだ。
これで終わりと思うと、あまりに寂しすぎるが…。
同じゼミになったやつが、うらやましくてたまらない。

僕が今のゼミを選んだのは、
それなりの将来設計があったからだ。
知識情報設計研究室という名で、
人工知能の研究などをしている。
コンピュータの勉強をするには、かなり適した環境と言えるだろう。
流通の色が濃いうちの大学で、
情報関係を専攻できそうな研究室はここしかなかったのだ。

一方彼女は、
うちの大学の中でも、もっとも流通の色の濃いゼミを選んだ。
他の研究室がソフトウェア開発を
ゼミの一環として取り入れるという話をする中で、
その研究室は、そういう話は一切なかった。
研究そのものは実に有意義なものであり、
教授の実力も業績も優れたものだが、
僕の意図する目的とは、まったくかみ合わない研究内容なのだ。

…それでも、そのゼミに行こうかと思った。
もちろん、それだけの教授がいれば人気もあるわけで、
僕がそこのゼミに行けたかどうかは知らないが、
それでも、行きたいと思った。
1年間、彼女と一緒に過ごせれば、
僕の足りない脳味噌からひねり出した将来設計など、
捨ててもいいと思った。

だいたい、Javaを選んだわけだが、
この言語は、未来が危ない。
下手をすれば淘汰されて、身につけた知識が
何の役にも立たなくなる可能性がある。
コンピュータ言語というのは、
ある程度その内容を理解しておけば他にも応用できるものだが、
それにしたって大きなマイナスだ。
はっきり言って、その危険性について、
調査などまったくしていない。
方法が分からないし、調査をしたところで
所詮未来予測など曖昧なものだ。
それが正確に分かるならば、誰も無駄な苦労などしない。

そうして専門の知識を学びながら
派遣社員として現場の経験も積もうと思った。
しかしこれだって、果たしてゼミで専門の勉強をする必要があるのか、
かなり疑問の余地はある。
必要ならば、大学でやらなくたって
身に付くことかも知れないからだ。

結局のところ、将来設計と言ったってこの程度だ。
この程度のことが、本当に彼女よりも優先すべきことだったのか?
もう、分からなくなってしまった。
いや、理想通りに進むことが分かっていたとしても、
それを捨ててもいいと思った。
彼女と共に過ごせるのなら、
1年をムダにすることくらい、何だと言うのだ?
確かに、僕の未来には大きな損失かも知れない。
だが、僕は僕の未来のためだけに生きてるわけじゃない。
僕は今を生きているのだ。
大事なのは将来だけじゃない。

彼女のゼミでは、
研究室に入る際、研究テーマを明確に示せと言われたらしい。
…僕に示せるはずもなかっただろう。
彼女と一緒にいたかっただけで、
その教授の研究に興味を持ったわけではなかったからだ。
でも、それでも何とかできたと思う。
研究しようと思えるテーマではないが、
流通分野は今まで大学で学んできたことではあるし、
他人事としてみれば、十分興味深いことではあったからだ。
今の僕にとって、
流通の学問は、心理学や医学と同程度の価値はある。
お話として聞く分には、おもしろいと思う。

僕の文章は、
上っ面だけを見ると、比較的よくできているように見えるらしい。
それは、前にも書いたように、
内容を理解していないにも関わらず、
論述の試験でほとんど優を取ってきたことからも分かる。
…そりゃあ、まあ、
毎日毎日こんな日記を書いていて、
他の学生とまったく差がついていなかったら、
少なくともこの日記を書いている1つの目的、
論理的で客観的な表現に慣れる、
という目的は、まったく達成できていないことになってしまう。

僕は、科学の入門書程度の本なら、
割とよく読んでいる方だ。
図書館の貸し出し冊数は、おそらく全学生でトップではないだろうか。
昔は慣れなくて、何を書いているのか理解するのに時間がかかったが、
今はもう、電車の中で斜め読みするだけでも、
概ね理解できるようになった。
このような科学で用いられる客観的な表現には
慣れたつもりだ。

…それでも、先程述べた、
彼女のゼミの教授には通用しなかったかもしれない。
論述で可を取ったのは、
後にも先にも、その教授の科目だけだ。
もっとも、それは1年生の前期だったから、というのもあるかも知れないが。
それでも何とかできたと思うのは、
結局、そのときに僕に、強い意志が伴ったからだろう、と思うからだ。
前にも書いたが、能力を生かすのは、
その人の精神、意志の強さだ。
漠然とした将来設計よりも、
ただ、彼女と一緒にいたいと思うことの方が、
意志の源泉としては、より強力だったに違いないのだ。

…今になってこんなことを言っても、何にもならない。
結果として、僕はこの道を選ばなかったのだ。
その要因はいろいろある。
興味がないということもあったし、
友人がそのゼミに行こうとしていて、その友人は僕と違って、
本気でその分野を学ぼうとしていたというのもあった。
教授の性格が、僕に合いそうになかったというのもある。
平たく言えば、酒が好きそうなのだ。
さらに、その研究室の助手が大嫌いだったというのもある。

しかし、そんなことはどれも些細なことだ。
興味なんか関係ない。彼女がいればそれでよかった。
友人なんて、蹴落としてもよかった。
彼女と一緒にいられるのなら、
それで友人の夢がつぶれたとしても、僕の知ったことではなかった。
教授の性格なんて、我慢すればいいことだ。
助手にしても同じことだ。
言うことを聞かなければ、そのうち干渉されることもなくなるだろう。
確かに、生活は最悪なものとなっただろう。
興味のないテーマを、好きになれない教授の下、
大嫌いな助手に指導されて、
友人の夢を叩きつぶした罪悪感に苛まれながら、
ずっと研究し続けなければならなかったのだ。

それでもよかった。
すべての人、…たぶん彼女にも不幸をもたらす選択だったが、
それでもよかった。
選ばなかったのは、見通しの甘さがあったからに過ぎない。
どこかで今の状況に甘んじていた。
話そうと思えばいつでも話せる。
顔を見るくらい、何でもないことだと。
呼べば笑いかけてくれる。
今まで僕は、彼女の中で、
少なくとも1人の友人として、ある程度の位置を占めていたはずだ。
何の根拠もなく、この状況が続くと思っていた。
感覚的に、そんな風に思っていた。

そんなわけはない。
一度は心を通じ合わせた恋人たちだって、
距離が離れるだけで、心まで離れてしまうではないか。
ましてや、こんな関係の僕たちが、
会う機会を失ったら、もはやそれはただの他人だ。
時候の挨拶を送れば返してくれるかも知れない。
でもそれは、今までの関係とは明らかに異質のものだ。

そうだ。夢の時間は終わりだ。
ずいぶん前に気づいていたはずなのに、
ずっと気持ちを隠して、逃げ続けているうちに、
見失ってしまっていた。

たぶん、こんなに強い感情を抱いたのは、
物心つくかつかないかの子どもの頃はいざ知らず、
記憶に残っている中では、初めてだ。
どちらかと言えば冷静で客観的な考え方が好きだったので、
感情的な混乱は、それだけで僕を戸惑わせた。
何をしていいのか分からなかった。

いつしか、そんなことも忘れ去ってしまった。
気持ちを隠し、自分は冷静だと言い聞かせ、
ゲームに現を抜かしているうちに、
あらゆる感情は消えてしまった。
今はもう、その残骸に縋り付き、
過去はよかったと懐古しているに過ぎない…。

何があったわけでもない。
ただ、静かに失うだけ。
きっと苦しみは、細波のように、静かに押し寄せる。
少しずつ、でも確実に…。

知らなければ、失うこともなかった。
僕は今の環境に満足していたし、
望むものなんてなかった。
彼女を知ったことは、僕にとって不幸だったのか?
僕はつかの間の幸せを得て、
それを失うことで、絶望の底にたたき落とされる運命にある。
それ以前と何が変わったわけでもない。
なのに、すべてが色あせて見える。
稚拙な例えだが、
蛍光灯に慣れていたところに突如、太陽の光を得て、
その太陽の光に酔いしれていたところで、突然太陽を失う…。
そんな感じだ。

ちなみに、失うのは彼女だけではない。
今までの人間関係の多くは消えるだろう。
環境が変わる以上、仕方のないことだ。
この今日の日記で、
おそらくはこの日記を読みに来ている、友人の信頼も失うことだろう。

失うことを恐れては何もできない。
正論だが、しかし、
やはり失うのは怖いよ…。
できることなら、何も失いたくない。
もう得られるものなんてないんだから、
あとはもう、失うしかないのだけど…。

2003.02.18 (Tue) 2:45



2003年02月16日(日) 日経と朝日

2003.02.17 (Mon) 2:03 Viewer: 23 Access: 6198(+46) Letters: 913
新聞を変えたいと言ったら、
母が日本経済新聞のサンプルを頼んでくれた。
どうやら、朝日新聞の販売店で
日経も扱っているらしい。
幸運だった。

朝日新聞は、記事の1つ1つに
思想が混じり込んでいるような印象を受けて、
どうも好きになれない。
紙面全体から、朝日の主張、というのを感じる気がするのだ。
意識してそういうふうに編成しているのかも知れない。

その点、日経は極めて冷静で、
主観的な印象をほとんど受けない。
無色透明でバランスの取れた印象を受ける。
読んでいてつまらないかも知れないが、
ニュースというのは、情報源だ。
情報の最大の価値は正確さ、詳細さであって、
見ておもしろいかどうかではない。

その点、テレビのニュースは
見ておもしろいものばかりが流行しているようで
どうも気に入らない。
視聴者の声を代弁する必要などないのだ。
なぜなら、必要な情報が提供されていれば、
あとは視聴者が自分で考えればいいからだ。
視聴者が考えるべき部分まで
出演者が安易な言葉で語るのは、
視聴者に思考放棄を促す姿勢としか思えない。
バラエティ番組などはもっとその姿勢が強い。
おそらくは、見ていて疲れない番組を作ろうとしているのだと思うが、
そうすることで、質がどんどん低下しているように思えてならない。

それにしても、最近は本当にテレビを見なくなった。
テレビを見ないと世の中から離れているような気になるのはなぜだろうか。
やはり、テレビは世の中との最大の接点なのかも知れない。
となると、その影響は、
今、僕が思っている以上に大きなものなのかも知れない。

明日もまた試験だ。
少し、早起きしようと思う。
その程度の対策で、どうにかなるといいのだが…。
でも、ダメならそのときはそのときだ。
再試があったはずだし、それで何とかしよう。

2月の下旬はプログラムの課題がある。
なんとかこなしていかなければ…。
目標の見えないこの時期でも、
やるべきことをやることはできる。
考えるだけでは先に進めない。
やって損になることではないはずだから、
とにかくやるだけやってみなければ。

2003.02.17 (Mon) 2:39



2003年02月15日(土) 日記内容の考察

2003.02.16 (Sun) 1:37 Viewer: 19 Access: 6152(+27) Letters: 1139
昨日の日記、脳陵とか書いていたが、
これは脳梁と書くのが正しい。
違和感は感じていたのだが、
ネットで検索したら結構出てきたので
これで合っていると思ってしまったのだ。
誤字でヒットするページなんて、いくらでもあるというのに…。
やはり、「脳梁」くらい収録されている辞書を
入手した方がいいのだろうか。
…って、なんてこった。
Yahoo!の辞書に収録されている…。
昨日の日記は、あえて修正しないことにしよう。
何度でも、気にするようにした方がいい…。
指摘していただいた憂凪さん、ありがとうございました。

今は、非常に眠い。
日が昇るまで映画を見ていて、
それからあまり寝ずに、12時前には起きてしまったので、
睡眠時間が足りていないのだ。

さらに、書くこともない。
と言っても、いくらなんでも
誤字の修正だけじゃあまりにひどいので…。

こういうときのために
ネタを蓄えておくといいのかも知れない…。
だいたいの場合、思いついたその日に、
どんなに長くなってもすべて書いてしまう。

ゲームばっかりやってるから、
ゲームの話を書けばいいのかも知れないが、
それってかなり道を踏み外しているような気がするし…。
だいたい、読んで楽しいとは思えない。
今の日記だって、読んで楽しくはないだろうが。

結局、いろいろ考えていても、
こうやってPCの前に座ったとき
思い出せないのが、最大の原因なのだ。
だから、このときに思い出せるようにするか、
でなければ新しくなにかをひねり出すしかない。

と言っても、この環境、
極めて刺激に乏しい。
インターネットで何かないか調べることもあるが、
こういうものは、素人が漠然と使っても、
なにも分からないものだ。
ニュースネタってのもどうかと思うし…。

こうしている間にも
どんどん時間は過ぎていく。
無理をして書くくらいなら、寝た方がいいだろうか…。

結論。
日記なんて、無理して書くものではない。
なにも書けないなら、そのまま寝てしまうべきだ。
考察にもなんにもなっちゃいないが。

でもまあ、
遅れはあるにせよ、まいにちまいにち必ず日記を書き続けて、
実は今日で1年になる。
記念の日にしてはずいぶんと情けない内容の日記だが。

1年前の日記を読んでみる。
…1年前も、寝過ごして試験を受けられなかったとか書いてある。
要するに、まったく進歩していないわけだ。

そう言えば、
友人からC言語のプログラムを書いてほしいと頼まれていたな。
ちょっと書いておこうか…。
書いてくれたら1000円出すとか言っていたが、
1000円出すくらいなら、勉強した方が早いような気がするが。
要求されているのは、そうたいした内容ではない。

2003.02.16 (Sun) 2:37



2003年02月14日(金) 聖人の日

2003.02.14 (Fri) 22:37 Viewer: 16 Access: 6125 Letters: 3499
今年もまた、僕には無縁の日がやってきた。
まったく、なにが楽しいのか…。

…と、書くつもりだった。
そうしたら、チョコレートをもらえた。
正真正銘、立派な義理チョコだが、
それでこんなに嬉しいとは…。
う〜ん、やはり情けないと思うべきなのかな…。

たぶん、くれた本人だって、
僕がそんなに喜ぶとは思っていなかったに違いない。
もらった瞬間に僕の顔には
満面の笑みが浮かんでいたはずだが、
一緒にもらっていた友人が、
なぜか狂喜乱舞していたので
僕の姿はかすれてしまったはずだ。

普通に考えれば、
大きな紙袋を持って
男女問わず片っ端から配りまくっていれば
それほど喜ぶはずもないのだが、
なぜか、とても嬉しかった。
これだから感情というやつは手に負えない。
僕には、自分の感情すら理解不能だ。

ここ数日、もやがかかったように嫌な気分だった。
でも、ただこれだけのことで、そのすべてが消し飛んだのだ。
最近は本当によく思うが、
僕はどうしてこう、単純なのだろう。
心残りも少しあるが、今やたいしたことではない。
…そうだ。たいしたことではないんだ。
いい加減捨て去れ。でなければもう、立ち直れはしない。

今日は、3つの試験があった。
流通情報システム設計論、流通政策論、人間工学だ。
流通情報システム設計論は、半分くらいは情報システムの話だった。
従って、僕の得意分野だ。
講義で聞いたことなんてほとんど関係なく、
自分の既存の知識のみで答えた。
…記述問題なんて、大抵そうやって対処しているが。
しかし、こういう問題をやっていていつも思うのだが、
どう読み返してみても、この日記の方がまだよく書けている。
試験となると、どうしてあれほどまでに書けなくなるのだろう。
それでも、前と比べればマシになったが。
ちなみに、試験以上に書けないのがレポートだ。
どうやら日記とは質的にまったく異なるらしく、
書いても書いても、まったく上達しない。
しかし、どう見てもこの日記よりひどいできの
答案で優を取れるのだから、
この日記もそれなりに書けているのだろうか?
それとも、単に採点が甘すぎるだけなのか…。

流通政策論は、常識の話かと思ったら、
一応、専門の内容だった。
300字程度と言われていたのに少々書きすぎてしまったかも知れないが、
たぶん、問題はないだろう。
出席は足りないが、おそらく良くらいはつくに違いない。
選択式だったが、自分の答えた問題しか覚えていない。
物流のモーダルシフトについて、その必要性を述べよ。
という問題と、
業種店と業態店の違いを述べよ。
という問題だ。

物流のモーダルシフトというのは、
トラック多いね、うっとうしいね。
だったら他にもあるだろ?電車とか船とかさぁ。
…という話だ。もちろん、見て分かるように
かなり端折ってはいるが。
こいつの必要性について述べるのだから、
トラックがなぜうっとうしいかについて述べれば問題はなかろう。
はっきり言って、電車にも船にも
物流手段として積極的に使っていくほどの利点はない。
トラックと比べて公害が少ないとか、
そんなのばっかりだ。

業種店と業態店というのは、
昔ながらの八百屋、魚屋、肉屋などが業種店で、
スーパーマーケット、百貨店、カテゴリーキラー、
家電量販店、ショッピングモールなどが業種店だ。
カテゴリーキラーというのは、
ドラマやマンガでまれに見ることがある。
ずいぶん偉そうに、「今の時代を切り開くのはカテゴリーキラーだ!」とか
言われることがあるが、そんなたいしたものでもない。
洋服の青山とか、マツモトキヨシとか、あんなやつだ。

ここまで書いて、
メッセンジャーで話しかけられた。
あとの記録のために残しておくとするが、
最近話しかけられることの多い、月影さんだ。
名前から考えて、ほぼ100%ハンドルネームだ。
これが本名であるとは極めて考えにくい。

で、ゲームに入って
アイテムをもらったわけだが、
さすがにそれで嬉しいとは思わなかった。
どうやら、まだ現実の世界に心が残っているらしい。
ああ、ちなみに、その月影さんというのは
ウソをついているのでない限り、女性だ。
基本的にネットワークゲームというのは、
そのつきまとうイメージから想像がつくように、
男性プレーヤーが圧倒的に多い。
しかし僕がやっているゲームは
コミュニティ的な要素が極めて強いため、
やや女性が取っつきやすくなっているらしい。
対人恐怖症の引きこもりでは、
おそらくこのゲームで要求されるコミュニケーションは取れない。
そうすると、最悪の場合、
自動操作のロボットプログラムと誤認されて、
アカウントをブロックされることになるらしい。
コミュニティ要素が強いとは言え、ネットワークゲームはネットワークゲームなので
やはり変態の話題には事欠かない。
セクハラとか言う以前のレベルの、
一般常識が欠如した発言をする者も
若干ながら存在する。
女性であるにもかかわらず、男のキャラクターを使う人がいるくらいだ。

そのあと、寝ようと思ったのだが、
その前に、メディアプレーヤをアップグレードしたので、
ハードディスクを検索して、メディアファイルをすべてリストアップした。
…と言っても、メディアプレーヤにそういう機能があるから、
僕はクリックしただけだが。
そのハードディスクに、映像データが保管されていた。

とある映画だったわけだが、
それを見て、僕は少し、
自分の意志というのを取り戻した気がする。
それに込められたメッセージは、
僕が見る限りでは単純だ。
すなわち、「なにもできないと嘆く前に、精一杯やってみろ」と。
雫と聖司、と書けば、知っている人にはすぐ分かるだろう。
2次元のアニメーションに強い抵抗を持っていたり、
日本語が理解できなかったり、
そういう特殊な事情がない限り、
どのような人でも心を揺さぶられる作品だと思う。

このあたりが、この作者の転機だったような気がする。
これ以降、物語は複雑化し、
多様なメッセージが盛り込まれた代わりに分かりづらくなった。
この作品からすでに言えることだが、
見て感銘を受けるが、見ていて疲れる。
2度目、3度目を見る前には心構えをしたくなる。

この作品に限ったことではないが、
どうも僕は、主人公が女性である方が
感情移入をしやすい傾向にある。
と言うよりも、主人公が女性でないと、
完全に感覚的にずれていて、
他人事として見てしまう傾向が強い。
なんせ、つい最近まで、
映画ってのは第三者の視点から見るものだと思っていたくらいだ。
主人公に感情移入するなんて、
まったく感覚が分からなかった。

僕は精神的な部分を見たとき、
もしかしたら、少し女性的な部分があるのかも知れない。
極端な例を言えば、
誰かと誰かがつき合ったり離れたりしているわけだが、
そういう話を聞くと、どうも女性の立場の方が
よく理解できるような気がするのだ。
…単に僕が女性に甘く見るだけかも知れないし、
僕が知っているのはたまたま、わがままな男ばかりなのかも知れないが。

もしそうなら、
僕には女性的な特質があるのかも知れない。
男にはあり得ないと言っていいほどの、圧倒的に広い視野。
そしてそれに対する観察眼、注意力。
さらに同時進行的な思考。つまり、複数のことを同時に考えること。
ただまあ、これは、
精神的なものと言うよりも脳構造に起因するらしいから
必ずしも精神的な問題とは言えない。
ちなみに、ここで言う脳構造とは、
脳陵における情報量の違いだ。
脳陵とは右脳と左脳を繋ぐ神経組織のことだが、
これが男性と女性とでは構造が大きく異なり、
女性の方がこの部分の神経繊維が多く、
扱える情報量が多いとされている。
だから、実際に物事を考える左脳に対して、
感覚の右脳から多くの情報が送られ、
結果として男性より多くの感覚的情報を扱えるようになる。
ただし、その分判断自体が感覚的、感情的になる傾向があるようだが、
それがよいか悪いかはその時々によるだろう。

で、ここで言う特質とは、
このような脳構造に起因するものではなく、
もっと文化的なものだ。
つまり、女性はこう考えるべきだ、男性はこう考えるべきだ、
とされているその思考法が、
女性に近いのかも知れない、と少し思ったのだ。
勘違いである可能性が極めて大きく、
ほぼ間違いなく、こんなことはあり得ない、とは思うが。

ただ、普通に考えれば分かるだろ、
というような女性の心理を
理解していない男があまりに多すぎる気はする。
でもこれも、僕の感覚が女性に近いと言うより、
僕の知っている男がまともに頭を使っていないだけ、
という可能性が大きい。

ああ、疲れた。
寝よう…。

2003.02.15 (Sat) 7:02

そう言えば、サンジョルジュの日の方がいいとか
言ってる人がいたな…。
本を贈る日らしいのだが、さすがにそれは無理があるだろう…。



2003年02月13日(木) 絶望的な欠如

2003.02.14 (Fri) 0:44 Viewer: 18 Access: 6098(+27) Letters: 2406
はは…。寝過ごした。
テストだっての。
これで2単位パァかよ。
冗談じゃねえな。

ゲームをやっていたわけでもないのに、
普通に寝て、普通に寝過ごした。
睡眠時間も、6時間にちょっと足りない程度だから
十分とは言えないかも知れないが、
それでも、足りないことはなかったはずだ。
どうやら、PHS程度の音で起きられた
今までの方がおかしかったらしい。
こんな時になって起きられなくならなくてもいいのに…。

昨日の夜、布団に入ってふと思ったこと。
世の中は、構成員すべての価値観によって動いている。
自分の価値観は確かに大事だが、
それが世の中の価値観と食い違った場合、
どうすべきなのだろうか。

僕は思うのだが、
自分の価値観というのは、
往々にして誤りを犯す。
所詮自分1人の価値観だからだ。
それに対して、社会の価値観というのは、
先人の知恵、多くの人たちの意志が関与している。
だから、衆愚と言えることもあるかも知れないが、
一般には、自分1人で考えるよりも、
ずっとよい価値観であることが多いだろう。
もちろん、よいと言っても、
それは何なのか一概に言えないものがあるが、
ここでは、「悪くない」ことだと思えばいいと思う。
良いことがなんなのかは難しいが、悪いことがなんなのかは
比較的単純だ。

個人の信念も大事かも知れない。
自分の信じるもののために突き進むのもいいだろう。
しかし、それでも大事なのは、世の中の価値観ではないだろうか。
もっと言えば、自分の価値観として、
世の中の価値観を大事にする、ということを
持っておくべきではないだろうか。
美意識なんてものは、往々にして
世の中の常識と食い違う。
自分の信じるように生きて、
まわりから嫌われているのでは、何のための信念か分かるまい。
もちろん、嫌われても信念を貫くと言うのならば
なにも言うことはないが。
ただ、そのような人がいたら、
僕自身、その人を嫌うことだろう。
他人に対して嫌悪感は持たないようにしているが、
自分以外の価値観を受け容れない人間は別だ。

…にしても、今日のことでつくづく思った。
僕は、正直言って能力は低くない。
比較的プラス思考をする方だし、
自分というものに対して、ある程度の自信がある。
他の人にできないことだってある程度はできるし、
様々な観点から見て、あらゆる点で他人より
劣るということはないはずだ。
この日記だって、評価して読みに来てくれている人だっている。
優れているとは言えないまでも、
決して劣っているとは言えないはずだ。

だが、それでも僕は、他の人に勝てない。
例え能力で上回っていても、
僕にはどうしても必要なものが欠けているのだ。

それは、精神力。強い心…。
なにかをなす動機となる、強い感情がないのだ。
どれほどの能力を持っていようと、
やらなければできない。
逆もまたしかりだ。
たいした能力なんてなくても、やればできることだってある。
なんとしてでもなにかをやり遂げようとする
強い意志が決定的に欠けているのだ。
その必要性すら、感覚的には認識できない。

こんなもの、理論的に理解したところで何の意味もない。
確かに必要だろう。
そう思ったところで、意志というのが湧いて来るものではない。
社会人になるには、まだまだ不足している部分は多いだろう。
しかしなによりも、他のどんなことよりも足りないのは、
強い意志、成し遂げようとする精神ではないだろうか。

つい最近まで、そんなことはなかった。
強いとは言えなかったが、確かに明確な意志があった。
なにかがあったら、何とかしようと思えた。
無気力で無感動ではあったが、
それでも目の前の突発的な状況くらい、
どうにかすることができた。
なのに、今はなにもできない。
いったいなぜ、そしてなにを失って、こうなってしまったのだろう。
挑戦し、絶望し、あきらめたからだろうか。
結局、自分にはできないと悟ってしまったから、
他のことも、できなくなってしまったのだろうか。
あらゆることに対して、価値を感じなくなってしまったのだろうか。

昨日、図書館で彼女を見かけた。
後ろ姿を見たとき、かつての強い気持ちを一瞬、思い出した。
しかしもう、僕にはなにもできなかった。
例え彼女がそう思わなくても、
僕にはもう、資格がない。
それが分かってしまったから、なにもできなくなったのだろうか。
目標を見つけた。手に入れたいと思った。
何とか追いすがった。しかし届かなかった…。
だから、もうなにもできないのかも知れない。

本当は分かっている。
僕はまだなにもしていないということを。
できるはずなのに、していないのだ。
向かっていこうとする気力、
自分の気持ちを行動に移すだけの意志。
いつから、失ったのか。
半年前に、放り捨ててしまったのかも知れない。
すべてをたたきつけて、かわされてしまった。

僕の能力は確かに低くない。
でも、彼女よりは劣る。
ましてや、僕にはもう、
その能力を使えるだけの気力がない。
僕自身は何の努力もしていないが、
教育行政が巨資を投じてきたおかげで、
僕にはある程度の知識が身に付いている。
知識を使う術だって、不十分ながら理解している。
僕は今まで、人間関係には恵まれてきた。
多くの人たちが、僕に、そういう術を示してくれた。
考え方と言ってもいいし、もっと大げさに言えば哲学と言ってもいい。
でも、もう使えない。
それだけのものを持っていても、
僕にはもう、どうしようもないのだ。

だって、なにをしろと言うんだ?
たった1人の心も動かせない人間に、
いったいなにができると言うのか。

結局、自信と言っても、
自分で身につけたものじゃない。
他人から与えられたものだ。
そして、他人から与えられたものだからこそ、
自分で生み出したものではないからこそ、
僕は強く信じることができる。
結局、自分を信じることなんて、できてはいないのだ…。

2003.02.14 (Fri) 1:19



2003年02月12日(水) 優れたものを見つけだせ

2003.02.13 (Thu) 1:01 Viewer: 15 Access: 6072 Letters: 2643
この日は、前半の更新をしていたから、
見てくれた人が少し増えたようだ。
前回更新してから今日までに、
延べ150人の人が見に来てくれたようだ。
…僕も偉くなったものだ。
もっとも、150人のうち、
自分で踏んだ分はかなりの数になるとは思うが。

今日は、試験があった。
応用化学だ。
結果としてはあまりできなかったのだが、
出席点で下駄を履かせてくれる上、
220点満点の試験で
60点取れば可なのだから
問題はないと思う。
27.2%を答えられればよいのだ。

明日は知識情報処理。
だが、持ち込みがOKだったかどうかすら覚えていない。
完全にやる気などないのだ。
こんなことで大丈夫なのだろうか。
気管支炎になってしまった友人と比べればマシだとは思うが…。
本当につらそうで、
今日の試験もさっさと終わらせて帰ってしまった。
まともにやれば時間ぎりぎりまでかかりそうな試験だったのだが、
単位を確保できるところまで書いて、
あとは帰ってしまったのだろう。

友人に言うと嘘つき呼ばわりされるのだが、
僕は、プラス思考を身上としている。
それは、1つには単にそちらの方がよいと思うからだし、
それ以外にも、昨日の分に書いたように、
現状に対して不満を述べる必要がまったくないという要因も挙げられる。

だいたい、不満を述べることにいったいなんの意味があるのだろう?
ちょっと前にも書いたような気がするが、
改めて思ってしまう。
確かに、不満を述べて、
代替案を示し、その検討を行えば、
現状をより良くする手だてになるかも知れない。
しかし、それは今まで多くの人が取り組んできたことで、
今の社会はその多くの人の苦労が
実を結んだものだと、僕は思う。
完璧とは言わないが、かなり恵まれていることは否定のしようがないと思う。
いったい、今のこの状況の、なにを否定しろと言うのだ?

そうであれば、
現状の良い点を見つけだして、
それを評価することの方が、よほど良いと思うのだ。
その方が、精神衛生的にもずっといいと思う。
人にしろ社会にしろ、
悪いところを見つけだしてそれを糾弾する態度は、
とても美しいとは思えない。
その点、優れた点、見るべき点を見つけだし、
それを指摘し、評価することは、極めて有意義だと思う。
もちろん、評価すること自体有意義だし、
そのようなことをする人が多くないことも価値を高めている。
これらの評価によって、良い点が周知され、
さらなる改善が図りやすくなることだろう。
悪い点の指摘と違って、このような指摘は
無責任な批判にはなり得ない。
なぜなら、悪い点を認識しただけではなんにもならないが、
良い点を認識すれば、それを維持するだけで価値があるからだ。
もちろん、維持だけするという保守的な態度はなにも生み出さないが、
それでも、価値のあることを正しく認識することは重要だと思う。
認識すれば、失うことがなくなるからだ。
悪い点ばかりに目を付けて、
先人たちが苦労の末に築き上げた今の世界を
みすみす失ってしまうわけにはいかないだろう。
正しい点は、いつまでも評価しなければならない。
忘れてしまったら、それはもうないのと同じだ。

眠いと、どうも抽象的になる。
抽象的な文章は分かりづらいと、
分かっているつもりなのだが…。

大学の講義を聞いているとよく思うのだが、
抽象的な話になるのは、
本質を理解していない証拠なのかも知れない。
本当に物事を理解しているのならば、
その物事に関する具体的なことをいくらでも言えるはずだ。
いくらでも例を挙げ、それに対して説明を加えることができるはずだ。
僕にとある先輩がいるが、
その人は、自分の理解したことを、
僕に分かりやすく示してくれた。
そうすることで、自分自身の理解も図っていたのだ。
それで僕が理解できなかった場合、
僕の能力の不足ということもありうるが、
大概は、それはその先輩の理解が不足している、ということが言えるのだ。

その点、僕はプログラムは好きだ。
プログラムは、完全に論理的で
これ以上ないほど具体的な形で、
その人間の理解が示される。
その内容はコンピュータという「偉大なるバカ」にも
認識可能であり、
同一のコードは必ず同一の処理を示す。
そこに感情の入る余地はない。
人間が願おうが願うまいが、
コンピュータはそこに示されたコードのみを忠実に実行する。

このような論理的なことを好む一方で
感情の重要性を、認識しないわけにはいかないと感じている。
人間のすべての行動は感情に基づくもので、
極言すれば、快を求め、不快を避けるものだ。
どのような人間でも、この部分に違いはないだろう。
あえて不快な行動をとるとすれば、
それは、その後に快が存在する。もしくは、より大きな不快が存在するのだろう。

だが、今さらどうしようもない。
僕には感情にまかせて行動するような発想はない。
だから、他者に頼るのだ。
他の人は、それを持っている。
僕は、それを見て、真似をして、
なんとか意志を持とうと思っているのだ。
だが、所詮は偽りであり、
障害を乗り越えられるものではない。

でも、きっと何とかなるだろう。
確かに、困難を乗り越える強い意志はない。
しかし、人間は時には敗北し、屈するものだ。
だからと言って、その人の人生が終わるわけではないし、
糧になることだってある。
そこからなにが得られるか。
そうなったら、それを考えればいい。

直接関係ないが、
コーヒーを飲むと眠くならないのは、
プラス思考の賜なのではないかと思うことがある。
効くと思っているから効くのだ。
どんな人であれ、カフェインで眠くならないなんて嘘だと思っていたら
なかなか効果を現すものではないだろう。
しかし、逆ならば話は別だ。
きっと僕のように、飲んで5分で効果を発揮し
半日でもなんでも、効果は持続することだろう。
これだって、1つの意志なのかも知れない。
苦しみに耐えて進む強さがなくても、
その場から良い点を見つけだして、そちらへ進むことができれば
道は開けるものなのかも知れない。

結局のところ、
人はどうあっても進まなければならないのだ。
人生の歩みを止めるものは、そう多くない。
自分で自分の命を絶ちきる人もいるが、
それは歩みを止めたのではなく、
自分で自分を、殺しているのだ。
どうあっても、進むことはできるだろう。
時間が進む限り、人はきっと、
どこかへ向かって進んでいるのだ。
そして、どこへ行ってもムダなどないのだと思う。
…きっと。そう信じたい。

2003.02.13 (Thu) 1:40



2003年02月11日(火) 心の源

2003.02.12 (Wed) 23:53 Viewer: 6 Letters: 1968
う〜ん、見に来てくれている人の数が
どんどん減っているのが分かる。
日記は更新頻度が命、なのだろうか。

今日は、生徒が風邪を引いてしまったとかで、
家庭教師はやらなかった。
で、徹夜してずっとゲームをやっていた。
…あいたたた。
そろそろ人生考え直した方がいいね。
今日はゲームはやっていないが、
テスト前なのに
更新していない日記をひたすら書いているのもどうかと思う…。

8日の分から書いているのだが、
それを書き始めたのがだいたい19時。
今が24時近くだから、
概略5時間ぶっ通しで
ひたすら日記を書き続けていたことになる。
我ながらすさまじい時間の使い方だ。

と言ってももちろん
ずっと日記を書いていたわけではない。
それだったら、全部合わせて10000字にも
満たない程度しか書けないはずはない。
知り合いとメッセンジャーで話していたのだ。
本当に、人と話すということは
いつまでたっても飽きない。
どの人でもそうなのではないだろうか。
なにをやっていても飽きるという人でも、
友達と話していて話すのに飽きるという人はまずいまい。
なぜなのだろう?

もしかしたら、不安なのかも知れない。
常にその友達が離れていくのを不安に思っていて、
話すことで、離れていかないと思えて安心するのかも知れない。
だから、あまりに関係が安定しすぎると
不安もなくなって、飽きてしまうのかも知れない。
人の動機は常に強い感情だが、
不安だって十分その動機になりうるし、
不安だからって悪いと決めつけることはない。
不安を抱くことで、何とかしようと思うことができるのかも知れないのだ。

僕は普段、
生活をする上で強い感情を抱くことなどなくなってしまった。
しかし、人と話すと、
その感情の欠片を手にすることができるようになる。
だから懸命に、いろいろな人と話をしているのかも知れない。
精神のエネルギー源である感情に飢えていて、
それをなんとか手に入れようと、必死になっているのかも知れない。

前は、そんなことはなかった。
1人でもそれなりのことはできたし、
強く他人に依存することなどなかった。
しかし今は、他の人がいなければなにもすることができない。
逆に、周りに人がいて、
その人たちがただそこに存在するだけで、
多くのことができるようになった。
これはいいことなのかどうか…。

人は、これほどまでに他人に依存しているものなのだろうか。
僕は、人に頼り過ぎなのではないだろうか。
勉強するにしてもなんにしても、
1人ではとてもやる気がしない。
だからこそ、周囲に人のいる大学の図書館だとか、
自習室だとかでないと、まともに作業すらできないのだ。
電車の中ですらそうだ。
さすがに本を読むくらい、自分1人でも苦に思うことはないが、
それでも、電車の中だと、遥かに集中できる。
時が経つのを忘れるくらい集中できるのは、
なによりも電車の中だ。
講義にしたってそうだ。
前の方の席に座って、多くの人の目が、
ほんのわずかにしろ自分に注がれていることを意識していれば、
それだけ、積極的になれる。

今は、僕の人生の中で、
もっとも人間関係に恵まれているのかも知れない。
質的な面で不満に思ったことは一度もないが、
僕には友達がずっと少なかった。
でも今は、インターネット上のつきあいも含めれば、
とっさに数え切れないほどの知人がいる。
だからこそ、彼らに依存してしまうのかも知れない。
彼らは僕が望むものを与えてくれる。
いずれそれらを失ったとき、
僕は絶望に打ちひしがれるのかも知れない。
でも、今は分からない。
苦しみは、苦しんでみなければ理解できないのだ。

僕は、漠然とした恐怖を感じる。
もやもやしているだけで、それほどたいした圧迫感もない。
僕は、苦しみというのを知らない。
誰しもが一度は経験しているはずの、
つらい体験、苦しい体験がない。
だから、僕は恐いのだ。
今のこの環境を失うこと、他の人が必死に耐え抜いている苦しみの中へ
僕が放り込まれることが。
だから、僕には、
僕と同じような幸せな環境にいながら、
その環境を批判する人の気持ちが理解できないのだ。
これだけ恵まれていながら、いったいなにを不満に思うのか。
この人には、今のこの環境を失う恐怖などないのか。

とは言え、実感など湧かない。
きっと、心のどこかで、
永遠にこの恵まれた状態が続くと高をくくっている。
本当はいろいろなものを抱えているのに、
失うものなどなにもないと思っている。
だから、本気で幸せをつかむ気になれないのかも知れない。
例え相手がどう思おうとも、強引に奪い去ってやろうと思えないのかも知れない。
…それは違うか。ただ、勇気がないだけか。

あと1日。
もう1日分書けば、遅れていた分を取り戻せる。
眠くなって、すっかり文章が大仰になっている…。

2003.02.13 (Thu) 0:58



2003年02月10日(月) 最後の講義

2003.02.12 (Wed) 20:52 Viewer: 11 Letters: 1559
昨日は徹夜だったので、非常に眠い。
え?なんでかって?
そりゃ、ゲームをやってたからに決まってるじゃないか。
…ダメだ。終わってる。

クラッとして、
そのまま眠りそうになる。
まだ、この月曜日分以外にも、
火曜日と水曜日の分もあるのだ。
寝ているわけにはいかない…。
昨日の17時くらいに起きたので、
起きてから28時間になるのか…。
カフェインドーピングが効いて
先ほどまでは元気があったが、
さすがに眠さも限界に近づいてきた。
カフェインのドーピングは非常に効果的なのだが、
あとに疲れが残るような気がする。

というわけで、
ちょっとネットで遊んでみた。
気づけば22時だ。
でもこれで、少しは目が覚めた。
自分の脳味噌の構造がよく分からないが、
まあ、いいとしよう。

この日は、最後の講義があった。
4限の線形代数は演習。
ほとんど分からず、かなり強い危機感を覚えたが、
今さらどうしようもない…。
5限は流通統計管理論。
相変わらずよく分からない話だった。
いったいあれでどんな試験にするつもりなのだろう?

この日ではなかったと思うが、
ゼミで一緒の人と、パンの好みの話をした。
結果的に意気投合してよく覚えているのだが、
僕は、基本的に食パンが嫌いだ。
唾液が少ないのかなんなのか知らないが、
どうも口の中がベタベタするような気がするのだ。

その点、8枚スライスはいい。
薄くて食べた気はしないが、
それでも、サッパリしていて後味がいい。
という点で、その人と合意したのだ。

で、缶コーヒーも
僕は甘いものが好きだ。
缶コーヒーは甘くて嫌だという人ばかりで
甘いものが好きだという人には会ったことがないが、
少なくとも僕は好きだ。

で、思うのだが、
缶コーヒーも8枚切りのパンも、
好きだという人は少ないが、
売られている以上、売れているのだろうか。
こんなものに、人には言えないような
後ろめたさを感じるものなのだろうか。
コーヒーは苦い方がうまいと言っていた方が
かっこいいのだろうか?

甘いコーヒーが好きなのは
味以外にも理由があって、
前から何度も何度も書いているように、
僕はカフェインを摂取すると、
半日は寝ないようになる。
眠ろうとしても眠れなくなるのだ。
ちなみに、今は起きてから30時間ほど経過しているが、
先ほど少し眠気に襲われただけで、
今は眠さを感じない。
12時間ほど前に飲んだコーヒーが、
いまだに効果を持続しているようだ。

そして、甘いということは
糖分が多量に含まれているということだ。
そして、糖分は脳のエネルギー源になるわけで、
カフェインで活性化した上に
エネルギーまで注げる甘い缶コーヒーは
一石二鳥というわけだ。
…もっとも、脳は極めてグルメであることで知られていて、
エネルギー源としてはブドウ糖以外一切受け付けないらしい。
コーヒーの甘みは、果たして脳のエネルギー源になりうるのかどうか、
よく分からない…。

もうひとつ。
電車の車内というのは、実に独特の環境だと思う、
ということだ。
不正行為が起きたとき、
電車内には実質、それをとがめるものはほとんどない。
人の目なんて気にしなければそれまでだ。
走行中の電車の中なんて、
やろうと思えば好き放題できてしまうわけだ。
このような特殊な環境は、他にあるのだろうか?
他の交通機関でも同様と言えるのだろうか。
少し、気になった。

もちろん、とがめようと思えばとがめられるわけだが、
そうすると、その不正行為を行っている者から
逆恨みを受ける可能性があり、
しかもトラブルに巻き込まれることになって、
多くの時間を浪費する。
その場にいる多くの人のためだが、
それをとがめ立てしたところで自分にはなんの利益もない。

と、思ったのだが、
考えるのが疲れた…。
月曜日分はこのくらいで…。

2003.02.12 (Wed) 23:40



2003年02月09日(日) 自分の評価

2003.02.12 (Wed) 19:31 Viewer: 11 Letters: 3554
日記を更新しないと
確実に見に来る人が減る。
マイエンピツから来る人がいかに多いかということが分かる。
マイエンピツというのはこの日記サイト「エンピツ」の機能で、
自分の気に入った日記を登録しておける上、
その最新の日記のタイトルを表示してくれる。
また、更新時間も示してくれる。
だから、更新されるとそれが分かるようになっているのだ。
現在僕が登録しているのは7人。
そのうち6人が女性であることに、
あまり意味はないと思う…。

そう言えば、このエンピツもそうなのだが、
一般にコミュニティなどでは女性の方が多い傾向にある気がする。
例えば、僕がよく利用している
ハピタンの場合、
総登録者数が57485人であるのに対して、
女性が34407人を占め、男性が19743人となっている。
数が合わないが、それ以外は「秘密」なのだそうだ。
とにかく、女性が59.85%を占めているのだ。
全員が本物とは限らないが、それでも半数は超えていることだろう。

別にそんなことを言わなくても当たり前かも知れないが、
コミュニティなどで仲間を捜したがるのは
女性の方が多いのかも知れない。
じゃ、男の僕はなに?と思うが、
まあ、あくまでも傾向だから、
別に男であっても構わないと思うが…。

ところで最近、まわりの人たち、
特に女性が、僕を見る目が変わってきたような気がする。
はっきり言って、高校までは歯牙にもかけられていなかった。
別に劣等感を抱いているわけではなく、
とにかく話す機会が少なかったのだ。
それに対して、大学に入ると、
話す機会が多くなったし、何となく認められている実感を持てるようになった。

たぶんこれは、僕自身が変わったわけではない。
社会全体の傾向か、うちの大学だけなのかは分からないが、
とにかく、彼女たちが僕を見る目、というのが変化したのだと思う。
はっきり言って、僕を見て、見た目がかっこいいと思う人はいないだろう。
顔の構造がどうとか言うよりも、
僕はとにかく、格好に気を使わないのだ。
使えないと言った方がいいかも知れない。
かっこいいとかそういう美的感覚が、僕にはサッパリ理解できないのだ。

話し方も、僕は「知的」ということが
非常に重要だと思っているので
例え暗いイメージを与えようとも、
むやみにはしゃいだりはしないようにしている。
「…ようにしている」だけで、
実際ははしゃいでいることも多々あるのだが。
だから、格好で差がつかない高校でも、
あまりよいイメージは持たれなかったのだろう。

そして、僕は大学に入ってもあまり変わっていない。
高校の頃はまわりに僕より優秀なやつがやたらといたので、
むしろ大学に入ってからの方が、
「まじめ」という印象が強くなったと思う。
にもかかわらず、周囲との人間関係がこれだけ変わってきた。
これはもう、自分ではなく、相手の考え方が変わったとしか思えない。

たぶん、見た目よりも内実を重視するようになったのだ。
僕は、見た目は下の下のレベルだと思っているが、
内実はそれほどひどくはないと、自分では思っている。
…最近はひどいものだが。
でも、卒論を選ぶときに楽なものを選ぶ、
とかいう、大学へ来る目的を見失っているとしか
思えない人と比べれば、ずっとマシだと思う。
こういうときに下と比べても仕方がないのだが…。

僕の卒論のテーマは、
交通流のシミュレーションだ。
シミュレーションは今、大流行の分野で、
他大学であれば希望する学生はたくさんいるはずだ。
にもかかわらず、このテーマを選択したのは僕1人しかいなかった。
僕がいる大学は流通がメインであり、
情報分野は副次的なものだという要因はあるが、
それにしたって僕1人というのはどういうことだろうか。
こんな花形分野を選ぶ以上、
競争は必至だと思って、
前々から教官に連絡を取ったり(4月の日記参照)していたが、
なんのことはない。結局希望者は僕1人だったわけだ。
ちなみに、この日の日記に
ロジスティクス工学科云々ということが書いてあるが、
結局カタカナの学科名はだめだと文部科学省に蹴られたため、
この名称は使えなくなったらしい。
…なんなんだ。
学術的な正確さより、見た目を重視するのだろうか。
官僚も変なところでこだわり派だ。
まあ、僕もカタカナの学科名なんて
安っぽくて嫌だが、この場合、れっきとした根拠がある。

面倒だが少し書いておく。
今は流通情報工学課程という名前だ。
課程と学科は、基礎教養担当の教官などのシステムが
若干異なる。
課程と銘打っている場合、基礎教養に関しては
所属課程に関係なく、すべての教官がすべての学生を教える。
だから例えば、文学などは大学の全学生が集まることになる。
と言っても、人気がないので20人程度だが…。

これを大学統合に伴って学科に再編することになった。
おそらく、教官の数に余裕があるのだろう。
それはいいのだが、ここで問題が出てきた。
流通と言うと、専門的には若干範囲が狭いのだ。
僕たちが学んでいるのはあくまでもロジスティクスであり、
流通のイメージとはかなり異なる。
例えば、一般に言う「流通業」については、
ほとんど学ばないと言っても過言ではない。
そもそもそういう分野ではないのだ。
そうではなくて、流通過程をいかにして構築するか、
その設計、管理、改善の手法がメインなのだ。
そして、その際に欠かすことのできない情報技術についても学ぶ。
トラックの配送計画だとか、
そのためのコンピュータによるシステムとか、
こういうものが、流通という言葉からイメージされるとは考えにくい。
例えなじみがなくても、ロジスティクスという
新しい言葉がふさわしいのだ。
…ちなみに、専門用語としてはかなり昔から使われているもので
由来までさかのぼると第2次世界大戦まで行ってしまう。
従って、新しいとは言えないかも知れない。

こんなことを長々と書いても仕方ない気もするが、
トラックの配送計画がなぜ重要なのか、ということだが、
これは要するに、コストダウンに限界が見えてきた、ということだ。
製造や販売におけるコストダウンは、
戦後、ほぼ一貫して挑戦が続けられてきた。
その結果、効率はすばらしく向上し、
優秀な成果を上げている。
だから、より一層のコストダウンは極めて難しい状況にあるのだ。

そこで登場するのがロジスティクスを始めとした、
流通段階でのコストダウンだ。
もちろん、コストダウンのみを目的としているわけではないが、
重要な目的であることは確かだ。
流通については、とにかくものを運べばいいという発想で
今まであまり問題にされなかった。
そのために、ほとんど効率の向上が見られないまま、
現在に至っている。
従って、他の分野が大きくコストダウンを達成した現在、
この流通部門が大きくクローズアップされつつあるのだ。
専門家だけが勝手に言っているだけではなく、
経営者もかなり意識しているということが、
日本経済新聞などによる情報から読みとることができる。
平たく言えば、削れるところがなくなってきたから、
今まで手をつけてこなかった部分も何とかしましょうということだ。

話が大きく逸れたが、
僕を見る目、という話だ。
おそらく、今までより多くの人が
見た目ではなく内実で判断するようになったのだと思う。
その結果、今までよりもずっと人間関係が良くなったのだろう。
なんかずいぶん自意識過剰のようだが、
これは内実に自信があると言うよりも、
見た目が良くて評価されているということがあり得ないから
結果として内実が評価されていると言うしかない、
ということだ。

ただ、コミュニケーションについては
これまでもずいぶんといろいろ調べてきた。
多くの人に話を聞いたし、
僕なりにいろいろ考えてみた。
その成果も、多少は現れているのかも知れない。
結果を一言で言ってしまえば
人の話をよく聞く、ということだが、
回り道をした甲斐はあったと思う。
こういう教訓のような言葉は、
なかなか理屈だけでは承服しがたいものだ。

それに、友人に恵まれたのも大きい。
一緒にいるだけで、僕自身の魅力まで高めてくれるような
実に魅力的な友人がいてくれる。
それもきっと、今の僕がここにあるために、
必要だったのだと思う。
そう言えばその友人、気管支炎で熱が出たまま
ずっと治らないと言っていた。
大丈夫なのだろうか…。

まだまだ月曜、火曜、水曜の日記があるので、
この日の分はこのくらいにしておくことにする。

2003.02.12 (Wed) 20:50



2003年02月08日(土) それぞれの価値観

2003.02.10 (Mon) 22:08 Viewer: 25 Letters: 1403
今に始まったことではないが、
いつも休みになると更新が滞る…。
ゲームもほどほどにしなければ。

というわけなので、
見事にゲームしかしていない。
どうやら、僕の脳内には、
試験という事柄はあまり重要なこととして
インプットされていないようだ。
水曜日の応用化学の試験よりも、
むしろプログラムの方が重要だったり…。
電車の中でもJavaのテキストばかり読んでいるし。
500ページもある分厚いテキストは、
電車の中で読むにはあまり適さないのだが、
内容はちょうどいいのだ。

前は、家でじっくり読んでも理解できなかった。
しかし、最近は比較的集中しにくいと思われる
電車の中でも
かなり内容を理解できるようになった。
おそらく、かなり成長しているのだろう。
今のところ、一緒にゼミを受けている他の学生よりも
理解度は上のようだ。

と、ここまで書いて、
水曜日になってしまった。
これは土曜日の日記なのに。
やれやれだ。
最近、よく「やれやれ」って言っている気がする。
あまりいいことではないかも知れない。

それで価値観のことだが、
結局僕にとっては、試験よりもプログラムの方が重要らしい。
特に線形代数などは、必修だから落とすわけにはいかないのだが、
どうも危機感が足りない…。

最近、このような価値観のズレをよく感じる。
本来重要と思うべき点を重要と思えず、
どうでもいいと思われることが妙に気になる。
しかし、全体としては、あらゆることに関する興味が希薄になっている。
いったいなんなのか…。

人にはみんな、それぞれの価値観があり、
それは1つとして同じものはないはずだ。
だが、それらがすべて尊重される世の中とは、言えない気がする。
人の価値観は、その人自身を形作る
重要な要因だが、その要因に善し悪しがある気がしてならないのだ。
大学の講義や勉強を重要と思う価値観はよい価値観で、
それよりもゲームの方が大事だと思う価値観は悪い価値観だとされている気がする。
いったい、なにを根拠としてそのようなことを言っているのだろう?
その人個人の幸せを言うのであれば、
価値観はどうあってもよいはずだ。
つまり、自分にとって不都合な価値観は
認めないとする考え方が、横行しているような気がしてならない。

僕は、どのような価値観でも
基本的に受け容れることがしている。
もちろん、容認できる限度というのがあり、
例えば、電車の席に寝そべり、
大声で叫びながら駅構内を歩き回るような
脳の容積が不足していると思われる
子どもなどは、受け容れることはできないが。
その子どもたちは高校生くらいに見えた。
だから、本来なら大学生である僕が
子どもなどと言えたものではないが、
その知的レベルは明らかに子どもと言うにふさわしかった。
僕は塾の講師として中学生を教えたこともあるが、
その中学生の方が遥かに理知的で、常識をわきまえていた。
チープな言い方だが、親の顔が見てみたいものだ。

ちなみに、正真正銘本物の子どもも、
やはり僕には受け容れがたいものがある。
正直に言って、子どもの意見に耳を傾けるべきものは
そう多くないような気がする。
あまりに知識が不十分だし、
思慮も浅い場合が多いような気がする。
まあ、それほど機会があるわけでもないし、
それほど問題ではないと思うが。
自分の子どもだったら…。どうなのだろう?
僕には、よく分からない。

2003.02.12 (Wed) 19:29



2003年02月07日(金) レポートコピーの代償

2003.02.08 (Sat) 1:30 Access: 5908 Viewer: 29 Letters: 4890
ようやく追いついた。
ずっと1日遅れで日記を更新していたから…。

今日はコーヒーを少し多めに飲んだので
ちっとも眠くない。
もう1時半になるが、頭がさえ渡っている。

朝、目覚ましの音にまったく気づかなかった。
昨日もまったく同じだったので、
これは何らかの原因が考えられる。
対策を練る必要があるだろう。
明日は休みだが、
目覚ましで起きてみることにする。
これで今日のように、まるで記憶すらないようだったら、
PHSの目覚ましは不十分ということになる。

今日、2月8日は知人の誕生日だ。
いったい何ができるだろう…?
僕にできることなんて、本当に限られている。
こういうとき、しみじみと思ってしまう。

朝、起きられなかったので、
2限には出席できなかった。
3限から出席したのだが、
この3限の講義、実は結構おもしろい。
先週休んでしまったことが悔やまれる。
先週は、今週よりもひどく、
起きるのがあまりに遅かったため、
すべての講義に出席できなかったのだ。
気にはならないが、やはり目に見えないところで、
疲労が蓄積しているのかも知れない。
少なくとも、冬休み直後と比べると、
だいぶ余裕がない…。
ああいう長い休みも、時には必要ということか。

3限の講義は流通政策論。
今日は、流通政策の面から見た環境問題についてだった。
主にモーダルシフトの必要性について、
…話をしたかったらしい。
が、石原都知事の外形標準課税など、
あまり関係のない話へどんどん逸れて、
メインの話はそれほど多くなかった。

4限は人間工学。
この講義の主眼は、当初から
多角的な視点というのが中心だった。
人間を中心とした、独創的な発想が求められていた。
だがこれ、求める方も難しい。
実際、ちゃんと講義が成立しているとは
言いがたかったような気がした。
所詮、教官の能力には限界があるのだ。

そう言えば、
火曜日の2限、計算物理学というおもしろい授業があるのだが、
僕のいる大学では、ほとんどの学生がプログラムを書けない。
だが、この講義はプログラムが単位取得の条件になっている。
はっきり言って、僕には余裕のプログラムなので
Javaアプレットで図示などをして遊んでいるのだが、
他の学生はとてもそんなことはしていられないので、
結果として、何とかしてプログラムを入手しようと動く。
ここで現れたのが、前から何度か書いている彼女だ。

自分で言うのも変だが、
僕はもともと態度が大きく、能力以上に口が回るので、
僕のプログラミングの能力は、
事実以上に高く評価されている。
だが、彼女は僕の上を行く。
…卒論で1年間取り組んできたのだから、当然と言えば当然だが。
で、まあ、
ここで普通だったらみんな僕の方に来そうなものだが、
上にも書いているとおり、僕はJavaアプレットを使った。
この大学では、Javaはカリキュラムに組み込まれていない。
従って、他の学生はJavaを書くどころか、判読すら不能だ。
しかも、わざわざアプレットにして提出するような
奇特なことを何十人もの人がしたら
コピーしたことがすぐに分かってしまう。

そこに、至極真っ当なプログラムを書く彼女が現れた。
しかも、彼女は僕と違って、いちいちやることが早い。
期限の遥か前に、レポートを完成させてしまった。
そして、僕と違って、いちいち人を疑ったりしない。
その結果、彼女は自分のレポートを人に見せてしまったわけだ。

そこから、爆発的な速さで彼女のレポートは駆けめぐった。
もともと、彼女のレポートは非常によく書けている。
少なくとも、僕には書けないレベルだ。
論文を経験しているからか、そもそも努力の積み重ねが桁違いだからなのか、
そのあたりはよく分からない。
しかし、僕だって文章力にはそれなりの自信がある。
自慢にもならないようなことだが、
僕はすべての論述の試験を、ほとんど勉強などせずに、
文章力だけで優を取ってきた。
ちゃんと勉強をしたが文章が得意でない、
という人よりも、勉強なんてろくにしていない僕がよい成績を取っているのだ。
従って、僕の文章がよいかどうかは知らないが、
ある程度の評価をされていることは、成績を見れば分かる。
で、勉強なんてしなくても優を取れる僕よりも、
明らかに優れたレポートを目の前に示された人はどうするか?

…残念ながら、ここからの行動は自明と言わざるを得ないだろう。
論旨は明確、プログラムも完璧。
それ以上、何ができると言うのか?

要するに、彼女とほとんど同じレポートを出した人が、
大量に現れたわけだ。
その数、実に受講者全体の3分の2!
いや、まあ、よく書けているのは確かに分かる。
誰だって、それを見れば、それを自分のレポートにしたくなるだろう。
しかし、3分の2もの人が誘惑に負けたってのは
いったいどういうことだと言いたい…。
プログラムだけならまだしも(それだってひどいが)、
説明から考察まで、ほとんどまる写しだったと言うのだ。
コピー防止のために手書きを義務づけているような
大規模大学ではないのだから、
そんなことをしたら、さすがにバレるだろう…。

さすがにこれは異常事態だ。
結果、その3分の2の人たちは、
全員単位認定されないことに決まった。
…彼女も含めて。
自分のレポートを少し見せてしまったという
小さな過失から、単位を失うところまで行ってしまったわけだ。
彼女の場合、単位を1つ2つ落としたところで
他の科目を余裕で取れるので、たいした問題ではないようだが…。
それにしたってひどすぎる。

結果的に、Javaを使うことにした僕の判断は、
もうひとつの効果を生むことになった。
すなわち、コピー防止だ。
Javaを使っている限り、Javaを知らない人にコピーされることはない。
変数などの形式はCと似ているから、
ある程度Cの知識があればJavaのプログラムもいじれるはずなのだが、
Javaの変数には、Cと少々違った命名規則がある。
絶対ではないが、あまり略称を使ったりしない、など、
いくつかあるのだ。
僕は偶然ではあるが、クラス名と同じ名前の変数を使ったり、
初めからJavaに組み込まれている変数名なのかどうか
判別しにくいような変数名を用いたりしている。
例えば、Dimensionというクラスがある。
これは、アプレットの領域サイズをカプセル化したものだ。
Dimensionクラスのインスタンスは、
widthとheightというフィールドを持ち、各々が幅と高さに相当する。
…たぶん、知らない人が見ても分からないだろう。
Cしか知らない人に、あえてこのような分野に
足を踏み入れさせるような変数名をつけているのだ。
ちなみに、作った変数名はdimensionで、
頭文字が大文字か小文字か、という点が異なる。
こんなこと、知らない人には分からないだろう。
もちろん次元を表すのだが、
C言語の場合、こういう変数はdとかdimとかにするのが普通だ。
円などの半径も、C言語だったらrと表記する場合が多い。
だが、Javaではradiusが一般的だろう。
少なくとも、僕が見たテキストではそうだった。
このように、極力略称を避ける傾向にあるのだ。
その理由はもちろん、可読性の向上のためだ。
もともとJavaのソースコードは、
述語論理の応用と言っていいくらい、自然言語に近い。
英語と述語論理の分かる人なら、
何をやっているのかだいたい読みとれるほどなのだそうだ。
もちろん、優れたプログラマが、適切な配慮をしたソースの場合は、だが。
変数名なんて適当につけたって、動かないことはない。
だが、それでは読んだときに読みにくくなるおそれがあるのだ。

さらに僕は、アプレットを使っている。
しかも、AWT、Abstruct Window Toolkitも使っている。
これは、チェックボックスやテキストフィールド、テキストエリア、
スクロールバー、などをまとめた、
ウインドウ表示のためのパーツだ。
これには、テキストリスナ、アクションリスナなどのインタフェース、
および、そのインタフェースで定義されたメソッドの実装が必要で、
自慢じゃないが、このプログラムを理解できるのは、
大学中を探しても、教官と彼女くらいだろうと思う。
いや、もともと簡単にプログラムを作るための機能なので
たいして難しくはないのだが、「見た目」は難しい。

最初の1行、
public class SphereVolume extends Applet implements TextLister, ActionLister{
という文を見ただけで、
知らない人は逃げたくなるのではないだろうか?
僕だって正確に理解しているわけではないが、
「パッケージ外からもアクセス可能なクラス”SphereVolume”は、Appletクラスを拡張し、
TextListerインタフェース、およびActionListerインタフェースを実装する。」
という意味になる。
最後の中カッコはこのSphereVolumeクラスのスタートを意味し、
終了するときにはこの中カッコを閉じる。
ちなみに、”Applet”のあとに”and”という一文を挟めば、
文法的に、一応英語として読めることになる。
classのあとにカンマがないとダメかな…?

これ以上説明しても、
分かっている人は初めから分かっているし、
分からない人にはどうせ分かるわけもないのだが、
TextListerインタフェースには、textValueChanged(TextEvent)という
抽象メソッドが定義されていて、
ActionListerインタフェースには、actionPerformed(ActionEvent)という
抽象メソッドが定義されている。
従って、TextListerインタフェースとActionListerインタフェースを使用する際には、
これらのメソッドを実装しなければならない。
実装しない限り、このソースコードをコンパイルすることはできず、
動作させることができない。
これらのメソッドを実装している、ということを
明示的に示したのが冒頭の一文だ。
要するに、こういう機能があるってことを、
最初の一文だけで分かるようにしているのだ。
なぜか?
それは、さっきも書いたように、可読性向上のためだ。
ソースコードは、暗号のようになりやすい。
100%論理的な文章なんて、
人間にはそもそもそぐわないのだ。
これを、少しでも扱いやすくしようと様々な工夫がなされているのだ。

まあ、いいか。
やっぱり、ある程度物事に対する思い入れというのがないと
なかなか文章は書けないようだ。

ところで、何かのテレビで見たのだが、
きれいに歩くためには、
まるで操り人形のように、頭の上から釣られている
イメージを持つといいらしい。
確かに、そういうイメージを持つと、
背筋を伸ばしてきれいに歩くことができる気がしてきた。
しかし、それと同時にそのイメージは、
まるで自分が操り人形にでもなったかのような連想を抱かせた。
誰かの手の内で踊るマリオネット。
東京駅を歩く多くの人が皆、
誰かの操り人形のように見えてきた。

…もうひとつ。
僕はゼミでJavaを学んでいるわけだが、
もともとPCに触れる機会が多いこともあり、
今のところ、僕が一番Javaに慣れていることは
自他共に認める事実と言っていいようだ。
だが、一緒にやっている人と話していて思った。
その人は「がんばる」と簡単に言う。
確かに、見ているといつもがんばっている。
これが、僕にはできない。
どんなに僕に適性や才能があって、
その人に負ける要素などないとしても、
ただこの一点、がんばれるかどうかという点でだけ劣るのならば、
僕はその人に勝つことはできないだろう。
不器用でも、努力を積み上げていけば、
口先だけの人間に負けるようなことなど、あり得ないだろう。

久しぶりに結構書いた気がする…。
それでも4400字程度か。
一時期、毎日8000字も書いていた時期があったが、
今になってみると、そのときの自分が信じられない。
やはり休みの時期は、何かと余裕があるのだろう…。

2003.02.08 (Sat) 3:30



2003年02月06日(木) 社会不適合者

2003.02.08 (Sat) 0:56 Viewer: 20 Letters: 1174
この日は、1限に講義があったのだが、
目覚ましに反応した記憶すらない。
ということで、起きた頃には、講義の始まった時間だった。

が、あとから大変な事実が発覚。
なんと、その日の1限は講義ではなく試験だったらしいのだ。
ということで、めでたく2単位を失ってしまった。
こ、こんなあっさり単位を逃すとは…。
しかも、ずいぶん簡単な問題だったらしい。
僕は、理屈をこねるのが得意で
論述問題だったら、例え勉強していなくても
優を逃したことはない。
それなのに、実に惜しいことをした…。

この日はこれ以外講義はなかったので
早々にあきらめて、大学には行かなかった。
これで、残り少ない日々を、簡単に1日失ってしまったわけだ。

その後、家庭教師をやった。
しかし、どうやら生徒は完全にあきらめてしまったらしい。
席について、おとなしく授業を聞くというのが
どうしても合わないらしい。
それでよく、高校まで行けたものだ。
話してみると、明らかに頭は悪くない。
微分の説明をしたのだが、導関数を導く基礎問題を理解するのに、
1時間で十分だった。
この説明は、高校の場合、
平均変化率の説明から始めて、
50分授業で3回から4回、つまり、3時間あまりが費やされる。
それをこれだけの時間で理解できるのだから、
勉強さえすればできることは分かっているのだ。
それだけに、もったいないと思う。

ただし、微分に限ったことではなく、
数学の基礎というのは一般に、
かなり多めに時間が費やされる。
確実に理解できるようにとの配慮だろう。
だから、そういう意味では、
基礎問題を早く理解できることにそこまでの価値はないかも知れない。
でも、数学のこの部分でこける人はあまりいないと思う。
発展させるときに分からなくなるのだ。
しかし、そこから授業はスピードアップする。
これが問題だと思うのだが…。

帰りの駅で、
階段を上った瞬間、電車の扉が閉まり、
走り去ってしまった。
次の電車が来るまで、僕はひたすら数を数えていた。
単純な作業だが、意外と時間をつぶすにはいいようだ。
まあ、時間がもったいないので、
寒い駅のホームでなければ、
Javaのテキストを読むようにしているのだが。
さすがに、目を通しただけではなかなか分からない。
だから、何度も何度も読み返すようにしている。
最近、ようやく動的配列とハッシュ表がなんなのか、
分かるようになってきた気がする。

この家庭教師をしたあとの帰り道では、
いつも遠い空を想う…。
この寒さから、寂しさから、救ってほしいと願う。
僕にはその資格がないことも、
そもそもそんなことがあり得ないということも、
分かりすぎるほど分かっているのに。

今日はコーヒーの飲み過ぎで興奮気味だ。
早めに寝るつもりだったが、
もう1日分、更新しようと思う。

2003.02.08 (Sat) 1:18



2003年02月05日(水) 不満に意義などあるのか

2003.02.07 (Fri) 1:13 Viewer: 30 Letters: 1442
水曜日。
2限からあったが、確か休んでしまったはずだ。
最近、こういうのが多すぎる…。
休みの日に夜型になったまま、
修正できていないようだ。
こうやって日記に時間をかけていると、
明日も起きられないのかも知れない。

3限は応用化学。
確か、NMRとESRの話だ。
Nuclear Magnetic ResonanceとElectolon Spin Resonanceの略だったと思う。
…試験に出るはずだから、
このくらいは覚えておくべきなのだが、自信がない。
ノートを読んでおけば単位を取れると言っていたが、
いったいどんな試験にするつもりなのだろう?

4限はゼミ。
相変わらずJavaの勉強だ。
とりあえず、サーバサイドは置いておいて、
今の課題に取り組むこととなった。
すなわち、C言語で書かれたシミュレーションプログラムを
Javaに変換する作業だ。
一緒にやっている人たちは、
クラスやオブジェクトの概念を理解するのに手間取っているようだ。
慣れれば極めて便利なものだと気づくと思うが…。
たぶん、今後もずっと一緒にやっていくことになる。
早いところ、慣れてほしいものだ。
さすがにこの時期、ゼミの話題も就職活動が中心だ。
僕も、何か情報収集をした方がいいのだろうか。

そのまま、計算物理学の課題も
ついでにそこでやっていて、5時半頃まで研究室にいた。

電車の中だったか新聞だったか忘れたが、
子供を産むのが大変だと載っていた。
新聞だったような気がする。
でも、子供を産まない人が増えているというのは
今が幸せな証拠ではないだろうか?
子どもを欲しがるのは、自分の夢を託すためではないだろうか。
自分にできなかったことを、子どもに成し遂げてほしいのだ。
あるいは、自分を癒してくれる存在にいてほしいのだ。

つまり、そのような子どもを必要としないということは、
自分にできなかったことを誰かになしてもらう必要がないということ。
つまり、自分のなしたいことが自分でできているということ。
そして、癒してくれる存在を必要としないということは、
癒しそのものを必要としていないか、子ども以外の何者かが
そのような存在となっているのだ。

これが幸せでなくて何だろう?
あえて子どもを使わずとも、
現代人は幸せを手にする術を持っているのだ。
だからこそ、あえて子どもを必要としないのだ。
僕は、そう思う。

子どもが少ないのは、
あえて未来に希望をゆだねなくても、
今が十分な環境にあるということ。
幸せになるのは、遠い未来ではない。
今なのだ。

現状に不満を述べて何になる?
このくらい、楽観的に見ていないと、
できることすらできやしないだろう。
今の日本が、歴史を概観した結果、
相対的に恵まれた環境にあるのは間違いないのだ。
食うに困る人間なんてほとんどいない。
強い意志と、それに裏付けされた行動さえあれば
かなり多くのことを成し遂げることができる。
生まれた瞬間、人生が決められているわけではない。

人は、少なくとも僕の周りの人は、
自分の周囲の環境から不満足な点を見いだし、
それを批判することを得意としている。
だが、批判をしたことで、いったいなんになると言うのだろう?
僕はキリスト教徒ではないが、
それでも、自分に与えられた環境に対して感謝すべきではないかと言いたい。
少なくとも、僕はそうしている。

その日にあったことと、
その日に考えたことのセットがパターンになってきた。
こんな感じでいいだろうか…。

2003.02.07 (Fri) 1:49



2003年02月04日(火) 異文化コミュニケーションの限界

2003.02.07 (Fri) 0:41 Viewer: 32 Letters: 922
時間的にまずいのだが、
さすがにこれだけ更新しないで放置しておくのは
気に入らないので、ちょっとだけでも更新することにする。

この日は、2限から講義を受けた。
最後の、火曜の2限。
これで、終わりだ。

少々無理をしてしまった。
これでもう、機会を失うと思うと…。

それにしても、時間が経つと、やはり忘れる。
この日はいったい何があったのだろう?

とりあえず、3限には国際交通経済学の試験があった。
問題が多くて大変だったが、
それはみんなも同じなので、
僕が落ちれば多くの人が落ちるし、
ほとんどの人が通るようなら、僕も通ることだろう。

それから、帰りは友人と2人で帰ったのだが、
そのとき、その友人が香港の人に話しかけられていた。
ホテルの場所を知りたがっていたようだが、
僕は中国語はもちろん、英語だってほとんど分からないので、
意図はほとんど理解できなかった。
それでも、小学生の頃から英会話をやっていたし、
アメリカにホームステイしたこともあるので、
その場に一緒にいた友人よりは、英語が耳に慣れているはずだ。
まあ、ホームステイした中学2年の頃より、
英語力は低下していると思うが。

双方とも、必死にコミュニケーションを取ろうとしていた。
しかし、端から見ていた僕には、
お互いに、ほとんど意図を理解していたようには思えなかった。
それでも肝心な部分だけは何とか伝わったから
話としては成立している。そんな感じだった。

異文化コミュニケーションとか、
コミュニケーションを取ろうとする意志が大事だ、などと言っても、
言葉の壁というのは高く険しい。
単にがんばれば越えられるものではない。
やはり、コミュニケーションにおいて重要なのは方法論なのだ。
僕も、いろいろな人に聞いたり、自分で考察を深めたりして、
前と比べればずいぶんマシになったと思う。

この日は、家庭教師はやらなかった。
生徒から連絡があって、
木曜日にずらすことにしたのだ。
あとから聞いたところによると、
合唱祭とそのうち上げと、それからバイトがあったらしい。
なかなか忙しい生活を送っている。
ゲームに時間を費やしている僕とはずいぶんと違う。

2003.02.07 (Fri) 0:56



2003年02月03日(月) 試験の日程表

2003.02.05 (Wed) 0:47 Access: 5786 Viewer: 8 Letters: 1621
さて、月曜日の分か。
文体は、面倒だから元に戻すことにする。

この日は、思い切り大学をサボってしまった。
線形代数は必修だと言うのに…。
果たしてこれで、単位取得などできるのだろうか?
こんなことで卒業できないなんて
笑い話にもならない。
5限は…。
もう、どうでもいい。

このあたりから、
生活のリズムがガタガタになっている。
昼に寝て、夜に起きる生活だ。
火曜日に一気に修正しようとしたが、
少々無理があり、朝、少し寝てしまった。
火曜日は遅れたくないというのに…。
結果として遅れることはなかったが、
それでも、自分の意志の弱さに、愕然としてしまった。
とりあえず、大学に行っておくと
次の日からはまあまあ、朝は起きられるので
明日以降は何とかなると思うのだが…。

それにしても、1時に寝ないといけないのに、
どう見ても、間に合いそうにない時間に日記を書いている。
相変わらずゲームをやっているという…。
ダメだな、こりゃ。
ちなみに今日は、オンラインではない普通のゲームだ。
どっちも一緒だが…。

月曜日…。
他には何もなかったと思う。
そう言えば、コロンビアが墜落したのはこの日だったか。
いや、日曜日だったかも知れない。
さすがにニュースそのものは知っているが、
それがいつなのかまでははっきりしない…。
感覚がずれてきている。
かなり危険な兆候だ。

来週から試験が始まるのだが、
この時期に、弟が風邪を引いてしまった。
弟に風邪をうつされると、
思い切り試験にぶつかる。
大丈夫だろうか…。
ちょっと前に引いたばかりだから、大丈夫だと思いたいが…。
とりあえず、徹夜のゲームだけはやめるようにしなければ。
身体を気遣うに越したことはないだろう。

そうだ。ここらで1つ、
試験日程を確認しておこう。
そうでもしないと、試験直前まで放置しそうだ。


12日(水) 3,応用化学
13日(木) なし
14日(金) 2,流通情報システム設計論
3,流通政策論
4,人間工学
17日(月) 3,線形代数(必修)
18日(火) 4,国際マーケティング論
19日(水) 2,流通統計管理論


試験日程の最初から最後まで、
比較的ばらついた状態になっている。

まあ、こんなものか。
わざわざホームページビルダーなんて使ってしまった。
Tableはずいぶん複雑なタグが必要なようだ。
こんなの、手打ちじゃやっていられない…。

2003.02.05 (Wed) 1:12

ちょっと追加です。
驚くべきことに、前日までの書き方を気に入ったと言ってくださる方が…。
ということで、明日からまた、
前日までの調子で書こうと思います。
節操ないですね…。
いいんです。こんなものは。
要は僕が楽しければいいんです。(爆)

にしても、日記を書くときは、
ちゃんとBBSを確認しないといけませんね…。



2003年02月02日(日) 日本武尊の妻

2003.02.04 (Tue) 5:34 Letters: 787
日曜日の分ですね。
ゲームばっかりやってると、日付の感覚が失せてきます。
まあ、寝ている時間が不規則なのもあるんですけどね。
一緒にやっている人は、23時にはやめるようにしています。
その人と一緒にやめるようにすれば、
最低限の抑制にはなるんですけどね。

で、ゲームで徹夜しました。
かなり廃人への道をひた走っていますね。
ひたすら転がり落ちているとも言えます。

ダメだ…。眠いです。
とりあえず、ちょっとだけ…。
書いたら30分仮眠ですね…。

日本武尊の妻と名乗る人と
4時間くらいずっとしゃべってました。
…な〜んて、こんなことばっかり書いてるから
この日記が意味不明になるんですね。
別に、たいした意味はありません。
ゲームのキャラクターの名前が、そういう名前だったってことです。
一応、その名前そのものは書かないことにします。
いないとは思いますが、
その名前を見て、嫌がらせをしようって人が
いないとも限らないので…。
事故というのは大抵、起こるはずがないと思っていたことが起こるものですから。
警戒するに越したことはありません。

だいたい、インターネットでは
かなり個人情報に対して警戒をしますが、
これは過剰な警戒と言えなくもありません。
顔写真を載せるのがまずいなら、
テレビに映ってしまったら、
それはインターネット以上に、世の中に広まります。
でも、テレビに映るってことを気にする人は少ないですからね。
でもこの場合、
テレビに映ってもいいんだからインターネットもいいや、
と思うのではなくて、
インターネットですらこれほど警戒しているのだから、
むやみにテレビなんかに映るべきじゃない、と思うべきでしょうね。
まあ、要はその人の考え方だから、
僕があれこれ言うべき問題ではないのかも知れませんが。

こんなものかな…。
さて、少し寝よう…。

2003.02.04 (Tue) 6:29



2003年02月01日(土) 不満のはけ口

2003.02.04 (Tue) 5:03 Letters: 1708
土曜日ですね…。
土日はもう、ひたすらゲームの日々だったので、
日記に書くことなんて何もありません。

でもそれじゃ日記にならないので、
ここのところ3週間くらいそうなんですが、
適当に何かを書いて、埋めようと思います。

最近、どうも文章を書くのが下手になったような気がします。
前は、書こうと思ったら
どう書けばいいのかだいたいイメージできたんですが、
最近はまったく分かりません。
この日記だって、
どういう感じにしていきたいのかという
概観はあるんですが、
それに沿った文章が、まったく書けないんです。
それもこれも、分かりづらい日記を書き続けてきたせいかもしれませんが。
文章というのは、
書けばいいというものではないのかもしれませんね。
他の人の日記を見ると、
その文章から明確に読みとれる、
読者に対するイメージ。
それが、僕の文章にはありません。

なんて言うのかな…。
子どもがその日あったことを、
一生懸命母親に伝えるイメージと言えばいいでしょうか。
自分の意志を、相手に伝えようとしている
その熱意が現れていないのです。
伝えるつもりなど、ないからなのかも知れませんね。
もともと、人に伝えるために書いているわけではありませんからね。
伝えたい意志などないのに、
強い意志のこもった文章を書こうとしているのかも知れません。
その日にあったことと言っても、
何もなかったって、最初に書いてしまっていますからね。

最近は、欲求不満もありません。
不満があっても、ここに書いてしまうと
だいたいすっきりするので…。
もしかしたら、それもよくないのかも知れませんね。
不満を抱えたまま、ジッとこらえていた方が
何かをする強い力になりうるのかも知れません。
毎日毎日発散していては、
とても蓄えることなどできないかも…。

おかげでストレスはないんですが、
ストレスがないということは刺激がないということで、
日々ボーっとした生活を送っています。
ボーっとしていると記憶力も低下するわけで、
だいたい、半日位すると
記憶がだいぶ飛んでしまいます。
ということで、土曜日ともなると
何がなんだかサッパリ思い出せないわけです。

ゲームしかしていないので、ゲームの話を。
オンラインゲームは、新しい人間関係を築けるのは確かにいいと思います。
しかし、この日記を見てもらえば分かると思いますが、
そのおかげで日常生活はガタガタです。
もちろん、ゲームのせいではなく、これは僕のせいです。
普通の人は、ゲームをしながら、ちゃんと生活しています。
あくまでもゲームが生活に付随しているのです。
それが逆転してしまう怖さが、あります。
今はまだ自覚があるからマシと言えますが、
これがなくなれば、もう転落するしかないでしょう。

それで、ゲームと言っても
1つの社会ですから、
そこにはやはり常識などの枠組みが存在します。
だから、新しい人間関係と言っても、
なかなかその人というのは見えてきません。
基本的に文字と、キャラクターの動きだけで
コミュニケーションするわけですから。
それでも、長く話していたりすると、
いろいろなことが分かってきます。
いろんな人の姿を見るのは、とても楽しいですね…。
楽しいだけでなく、勉強にもなるし、
実際僕は、知らない人とのつきあい方というのを
ここからずいぶん学べたと思っています。
ただ、そんなことばっかりやっているわけにもいかないんですよね。
卒論だって、試験だってレポートだってあります。
大学に入学した以上、
何かを学んで卒業しなければならないんです。

今日、16時に起きたので、
徹夜をして大学に行こうと思ったんですが、
少々ムチャだったかも知れません。
16時に起きている時点で相当無謀ですが…。
ちなみに、「今日」というのは月曜日のことです。
今、5時25分なので、
まだ起きてから13時間程度のはずです。
それなのに、相当な眠さを感じます。
これは、まずいかも知れません。
講義は、2限、3限、4限…。
聞くだけならできそうですが、それでは意味がないですし…。

とりあえず、このくらいで終わりにします。
かくことがないのに書き続けても仕方がないですしね。

2003.02.04 (Tue) 5:28


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