Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年02月28日(木) そろそろ限界

今日もまた、朝から晩まで働いた。
月曜日からずっとこの調子。
ただでさえ虚弱体質気味の僕は、そろそろ限界だ。
しかも…。

しかも、明日は昼からのはずだったのに、
朝から行かなければならなくなった。
クライアントの都合らしい。
ごねてみようかとも思ったが、
考えてみればそれだけ早く終わるわけだし、
休みの時間も長くなるのだ。
それに、夜に働くのは昼に働くよりも疲れる。
なぜかは分からないが。

それだけで終われば良かったのだが、
なんと生徒が「明日も来て欲しい」と言い出した。
尊敬されているのかなんなのか分からないが、
クライアントの意向だ。逆らうわけにはいくまい。
まあ、逆らってもいいのだが、
この際、徹底的に自分をいじめるのも悪くないだろう。
明後日からは休みなのだから…。

しかし、こうやって日記を書くことで、
睡眠時間はどんどん減っている。
現在の推定睡眠時間は4時間だ。
4時間でどれだけ疲れが癒せる?
僕は前世紀の偉人のように、強い意志と目的を持って生活しているわけではない。
若さだけに頼っていては、近い未来、力つきるに違いない。
…とは言え、仕事そのものは楽だし、力つきても倒れはしないと思うが。

今日は、取り立てて変わったことはしなかった。
6時に起きて、7時に家を出て、
適当に時間を調整して8時半に関内の仕事場に到着。
昼に休憩して、5時までセットアップの作業に勤しむ。
それからまた時間を調整して、生徒の家に7時半に到着。
授業をやって、少し一緒にドラマを見て、
給料をもらって11時。家に帰ったのは12時前。
で、食事と風呂、その他で現在は2時だ。
だから、推定睡眠時間は4時間というわけだ。
明日も基本的に同じ生活になるはずだからだ。

今日は、教育について。
家庭教師をやっていて思うのは、
教えることそのものは難しくないということだ。
相手が分かっていなくても、教えることはできる。
それで自分だけは満足することができる。
当然、それでは教える意味などないのだが。

難しいのは、相手が理解できるように教えること。
そして事物となって表れる表象の陰にある真実を教えることだ。
後者は僕自身が理解できていないのでともかくとして、
前者が僕にとって大きな課題だ。
文部科学省の「教養」が新聞で批判されていたが、
僕はあのくらい具体的でいいと思う。
あまり抽象的な理想を掲げても現場ではとても対応できないし、
何より多くの人間に理解できなくなってしまう。
そして、ただでさえ理解しづらいものを教えるということは、困難を極める。

ダメだ…。まぶたが重たい。
僕の身体が休息を要求している。
不十分だが、少し眠ることとしよう…。



2002年02月27日(水) 疲れた…

バイト、疲れた…。
まだ、14日あるうち、3日しか終わっていない。
まだまだこれからだというのに…。

明日も朝は早い。
6時起きだ。
明後日もやっぱり仕事がある。
さすがに、これだけ続くとうんざりしてしまう。

ようやく、毎日日記が続かない人たちの気持ちが分かってきた。
僕のように毎日気楽に過ごしている人間とは違って、
みんな毎日疲れ果てて生活しているはずなのだ。
これが当然なのだろうが、僕にはつらすぎる…。
こんな調子で、果たして社会人として生活していけるのだろうか…?

ただ、僕の給料は、
諸手当を含めると日給9600円。
まあ、諸手当と言っても交通費だけだが。
で、これを一ヶ月に換算すると、土日を引いて約20日。
すると、192000円になる。
ん?結構高いかと思っていたが、まあ、普通か。
初任給でも、税金を引く前ならこのくらいはあるだろう。
しかし、社会人でもないのに得られる額としては大きい。
まあ、毎日900円の交通費がかかっていることを忘れてはならないが。
20日にしたら18000円だからバカにならない。
まあ、さっきも書いたように、実際は14日だから
12600円だが。

それはそれとして、
3日も同じ仕事をやっていると、
さすがに不器用な僕でも慣れてくる。
もともとパソコンが関係する仕事には早く慣れるのだが。
で、慣れてくると、早く仕事ができるのはいいのだが、飽きる。
この調子でこれからしばらく続くと考えるとなかなかうんざりする。
仕事をやっている間はひたすら機械のように仕事をこなし、
疲れなど忘れているのだが、
家に帰ってくるとそういうわけにもいかない。

昨日の夜は、今日が遅出だったためにゆっくり寝られるはずだった。
ところが、そこになぜか置かれていたシドニー・シェルダンの小説…。
この人は「ミスターベストセラー」と呼ばれる有名な小説家らしいのだが、
そんなことはどうでもいい。
とにかく、その小説が本当におもしろかったのだ。
で、少しでも寝たいというときに、2時間も時間を費やしてしまった。
こういう睡眠時間が惜しいときでなければかなりお薦めの小説だ。
本の題名は「ゲームの達人」というものだが、
ストーリーなどよく分からなくても、その文を読んでいるだけで楽しいはずだ。
これならどれを手にとっても、きっと期待を裏切らない。そんな気がする。
ただ、この「ゲームの達人」は暗い。
そういうのがいやな人にはお勧めできない。

問題なのは、そのあとだ。
2時間もの時間を費やしたあと、
僕は自分のあまりの情けなさに頭に血が上ってしまった。
疲れると感情的になるのは僕の悪い癖だ。
なんとしても直さねばなるまい。
幸い、家族はみんな寝ていたし、正真正銘悪いのは自分だけだから
当たり散らしたりせずに済んだのだが。

それにしても、
疲れているとあらゆるものが刺激的に感じる。
単調な作業を繰り返したあとの休み時間。
そのときに漫画を読んだのだが、これが時間を忘れるほどおもしろい。
別にたいした漫画ではないはずなのだが。
それに、ゲームをやっていても、マクドナルドのハンバーガーを食べていても、
1つ1つのことに喜びを感じる。
これで僕は確信した。
何らかのマイナス要因がなければ、プラスになるようなことがあっても、
人間はそれをプラスとは思えないのだ。
普段つらい生活を送っているから、
何かいいことがあったときに楽しいと感じるのだ。
普段の僕のように、常に満足した状態にあっては、
本当に楽しいとは思えないだろう。
しかし、つらい思いがなければ満足できないのであれば、
僕は長く続く、不十分な満足の方がいいと思うのだが。
まあ、それは人それぞれだろう。
つらくてもその先に幸せがあれば、そちらの方がいいと考える人の方が
多いのかも知れない。

まあ、それはそれとして疲れた…。
早く寝なければ身が保たない…。



2002年02月26日(火) ハードスケジュール

今日は、朝からセットアップの仕事をして、
それから生徒の家に直行して家庭教師をやった。
家を出たのが7時で、帰ったのは11時だ。
なかなかきつい一日だった。
明日は11時半に家を出ればいいのでやや楽だが、
明後日はまた7時に家を出て11時に帰らねばならない。
セットアップに生徒の試験が重なったのは不運だった。
まあ、その分給料は増えるのだが。
自作パソコンは、少し奮発できるかも知れない。
その状況によって、
光デジタル出力のついたサウンドボード、
液晶モニター、その他を考えることにしよう。
まあ、今回稼げるはずの12万円あまりのお金を、
すべて貯めるのも悪くはないかも知れない。

朝、いつも小田急線に乗るので、
普段乗り慣れない横浜線に乗るのは少し大変だった。
乗ったら乗ったで、微妙に違う感じがした。
やっぱり、なんだか違うものだ。

関内では、おもしろい現象が起きていた。
現象と言っては失礼かも知れないが、
朝の8時頃、関内付近ではたくさんのサラリーマンが列をなして
横浜スタジアムの横を歩いていくのだ。
スタジアムで野球の試合が行われるときも
かなり多くの人が集まるが、それとは雰囲気がまったく違う。

仕事だが、仕事そのものはそれほど問題はない。
マニュアルが不十分だし、まだ完全に慣れたわけではないが、
まあ、何とかなるレベルのものだろう。
要するに、新品のパソコンを設定し直し、
役所で使える状態にして梱包し直すのが仕事だ。
一緒に仕事をした人が言っていたが、
こんなことは自動でもできる。
しかし、それを言ってしまったら僕の収入が断たれてしまう。
それにしても、ここで方法を改善することによって、
いったいどれだけのコストダウンが見込めるのだろうか。
80%減は間違いないと思うが。

昼食の時に少し困った。
食事を買ってきてもらったのはいいが、
昨日会ったばかりの人たちと、それも上司に当たる人たちと、
簡単にうち解けられるほど、僕はコミュニケーション能力に秀でてはいない。
そのため、1時間の休憩時間、気まずい時間を過ごすところだった。
結局、外を散歩してくることにしたのだが。

それから、仕事を終わったあと。
5時に仕事が終わり、6時には長津田に到着する。
そこからたった2駅の生徒の家。
しかし、授業開始時間は7時半だ。
仕方ないので長津田の街を歩き回り、
コンビニで立ち読みなんかをして時間をつぶした。
ネクタイを締めたスーツ姿で立ち読みをしているのも
なかなか違和感のある光景だろうな…。

家庭教師の仕事は、相変わらず謎だった。
こんなことでいいのかと自分を責めてしまう。
僕は、なぜか単語を調べていた…。
僕ばかりが使っていては、生徒のGenius(英和辞書)が泣くと思うのだが…。

しかし、そのあとに少し幸せなことがあった。
なんと、つい最近動き出したばかりの
小田急の最新車両、3000系に乗ることができたのだ。
さすが小田急の最新車両。
乗った瞬間に違うと思わせてくれる工夫に満ちていた。
まあ、疲れていたので細かいところまで見てはいないが。

ああ、眠くなってきた。
朝の6時に起きたのだから、もう19時間になる。
休みの日、正午に起きたとしたら朝の7時に相当する。
…我ながらわけの分からない例えだが。
いつもは生徒の家でコーヒーを飲んで頭が冴えているのだが、
さすがに今日は疲れている。

考えたこと…。
毎日何か書こうかと思っているのだが…。
両方書かないと、題名から見てもおかしいし…。
しかし、脳味噌はすでに半分睡眠モードだ。

睡眠と言えば、
レム睡眠とノンレム睡眠。
で、特命リサーチ。
見たい夢を見るというのだが、僕のように夢を見ない人間はどうなるのだろう?
ちゃんと眠る前に念じてみたが、まったく夢を見なかった。
夢のない人間は夢を見ないのか?

…無理があるが、今日はやはり限界だ。



2002年02月25日(月) サラリーマン生活スタート

今日からアルバイトがスタートした。
背広を着て9時から5時まで働く。
顧客はなんと横浜市。

みなさん、地方自治体のことを、
「税金泥棒」だなんて言ったことはありませんか?
行ってみて分かりました。それは違います。
税金泥棒は国だけです。
横浜市ほどの地方自治体でも、実体はひどいもんです。

まず、OSがWindows NT。
Windows XPが出たこのご時世に、だ。
それから、インストールするソフトが古い!
なんと、Office XPが出たこの時代に、
Office 95だ!
僕が使っているパソコンは相当古いが、
それでもOffice 97を使っている。
世の中一般で一番多いのはOffice 2000だろう。
そのご時世に、あえて95を使うとは…。

ワープロソフトは、なぜかOfficeをインストールするのに別扱い。
一太郎だ!
ちょっと待て!2月の中旬に
一太郎は12が出たはずだぞ!
12−8は4だぞ!
いったいいつの時代の代物だ!?

パソコンはパソコンで、確かに本体は新しい。
ノートパソコンなのだが、
それでも僕が使っているパソコンの2倍以上のクロックスピードだ。
ノートにダブルスコア食らってしまうこのパソコンって一体…。
まあ、それはそれとして、本体の性能はいい。
しかし、その装備は謎だ。
Designed for Windows XPの言葉と明らかに矛盾するような分厚いボディ!
その厚みは、まさにWindows 95時代のそれだ!
さらに赤外線ポートとシリアルポートをデフォルトで装備!
店に行けば分かるが、もはや赤外線ポートもシリアルポートも、
ノートどころかデスクトップにも搭載されていない。
まあ、もともと赤外線ポートはデスクトップには搭載されていなかったが。
そして、Designed for Windows XPなのに
IEEE1394ポートなどという高級な代物はない。

とにかく、妙だ。
何もかもがアンバランスだ。
Windows NTというのは僕の想像以上に古く、
なんと、8ギガバイト以上の大容量ディスクをサポートしていなかった。
今時、8ギガを切るようなパソコンなんてないぞ…。
ノートパソコンでも20ギガが標準だ。
まあ、このとき使っていたパソコンは15ギガだったが。
ということで、普通にインストールしても、
起動時にMissing Operating Systemと表示されるだけ。
まあ、これはWindows 98SEがプリインストールされているのが
原因かも知れないが。
なぜDesigned for Windows XPというシールが貼ってあるのに
Windows 98SEが入っているのだろう?
世の中、謎がいっぱいだ。

しかし、だいたい対処法はつかめた。
対処法をつかむために一日つぶしたというのは
少々問題があるかも知れないが、とにかく対処法はつかめたのだ。
明日からは順調に作業が進むだろう。
しかし、Windows NTをインストールしなければならない端末は50台。
契約期間は14日もあるのだ。
間違いなく3日で飽きる仕事だ。
残りはいったい何をすればいいのか…。
まあいい。金のためだ。この程度のことがなんだ!
世の中はガテン系の仕事で魂を削っている人間もいるのだ!
そういう点で言えば、まだこの仕事は単純労働とは言え、
スキルを必要とする知能労働で単純なガテン系の仕事よりも給料はいい。

ちなみに、ガテン系の仕事というのは
俗に肉体労働をさすらしい。
イメージにもっともふさわしいのは引っ越し屋だ。
俗に、と言ったが、いったいどの程度の範囲で使われているのかは知らない。
もしかしたら誰も知らないかも…。

さすがに、音楽を聴きながら、
しかもその音楽にドルビーヘッドホン効果をかけながらだと、
処理が重くてたまらない。
MIDI音源が生きていればMIDIを聴けばいいのだが…。
IBMのパソコンでMU100BというMIDI音源をシリアル接続している。
これが、YAMAHAのサイトでダウンロードしてきたドライバを
インストールしても使えないのだ。
いったいどういうことなのだろう?
Windows 2000は良くないのだろうか…?

ただ、Windows 2000は本当にフリーズしない。
これは嬉しい。
アプリケーション単独で落ちることはあるが、
そのときにWindowsを巻き添えにしたりしないのだ。
あくまでも落ちるときは単独だ。
腐ったミカンは早々に処分するという的確な処置をする。

ああ、眠い…。
そろそろ寝ることにするか…。
明日も早いことだし、何より仕事が2件入っている。
そのセットアップの仕事と家庭教師。
1日に2つの仕事をするなんて、たぶん生まれて初めてだ。
これを見た多くの人は、なんて甘い生活をしているんだと思うんだろうな…。
もっとも、見た人の中で多くの人がそう思うかも知れないが、
見る人そのものはそう多くない可能性が高い。
まあ、こんなひねりも何もない文章を書いた時点で
その辺のことには期待してはいないが。

今日、考えたこと、何かあるかな…。
カズンのCDはスピーカで聴くよりヘッドホンで聴く方がいいってことくらいかな?
…こんなの、考えたことのうちに入らないか。

そうだな…。
社会の中で生き抜く術ということがあるな。
と言っても、本当にたいしたことではない。
社会で生き抜く術というのは、
世の中で非難される事柄に隠れているのではないかということだ。
イエスマンと非難されることがあるが、
物事を無難にやり過ごすならイエスマンになるのが一番かも知れないし、
上意下達はもっとも組織を運用しやすいやり方だろう。

それから、自分の意見を言うべきか否かということも問題だ。
今回の僕のように、
その場でもっとも下の立場にある人間が
ある程度のスキルを持っていた場合、それを上の人間に言うべきかどうかだ。
もちろん、仕事をする上ではそういうことを言った方がいいに決まっている。
いいに決まっているという表現が説得力を欠くならば、
メリット、デメリットを列挙すれば結果は自明であると言い換えてもいい。
この長所短所列挙法はシステム工学の中でも、基礎の基礎に位置する。
しかし、それだけに汎用性が高く、様々なシチュエーションで思考の助けになる。

自分が分かっていて上の人間が分かっていないのであれば
当然教える方がいいのだが、
しかし、ここで組織の力関係というのが表れる。
事実、僕と一緒に派遣されてきた人はあえてなにも言わなかった。
僕も少し口を出してしまったが、だいぶ押さえたつもりだ。
例え仕事が滞っても、むやみに上の意志をねじ曲げてはならないだろう。
それが派遣社員というものであり、歯車というものである。
歯車は、力をなるべく減衰させずに伝えるのが宿命だ。
ここで力というのは上の意志であり、この場合、歯車自身は力を生み出さない。
本来、派遣社員の意志が反映されることはないということだ。
もちろん、技術職であればまた全然違うが。
残念ながら、自分の意見を堂々と述べられるほどのスキルを、
僕は持ち合わせていない。

つまり、日本の会社で生き抜いたり高く評価されるためには、
旧態依然としたシステムを身につけることが必要になるわけだ。
もちろん、こんなシステムの寿命は長くあるまい。
それに、一流企業ではすでにこんなシステムはほとんど存在しないだろう。
それでも、今は必要なのだ。
これが、中央教育審議会の言う「生きる力」だろうか?

とにかく、派遣社員は普通のアルバイトと違って、
企業の中に深く食い込むことができる。
そのため、ある程度は企業の事情を知ることができる。
もっとも、所詮僕は学生だし、「厳しさ」を知ることはできないが。

そう言えば、酒の席に参加しなければいけないという話を最近よく聞く。
僕はまだ二十歳で、本来ならば酒が飲めるようになったばかりのはずなのにだ。
そうしないと、社会でやっていけないというのだ。
そんなことを社会に出たこともない学生の友人に言われるのだが、
社会というのはそういうものなのだろうか?
もし社会というのが、酒を飲めなければ生きていけない世界なのであれば、
僕に生きる余地はなさそうだ。

エタノールパッチテストの結果、僕は酒が飲めないわけではないらしい。
だから、いざとなったら飲んでしまうかも知れない。
しかし、僕は理性を失うのがいやだ。
酒なんて飲んでいなくても、ちょっと感情的になると
すぐ冷静にものを考えられなくなる。
それで酒を飲んだりしたらいったいどうなるのか…。

もちろん、相手にもよる。
僕自信より早く僕の身体を気遣ってくれるような相手であれば、
一緒にお酒を飲んでもいいと思う。
幸い、そういう相手はいないわけではない。
そんな人と酒を飲むという話にはならないと思うが。
しかし、空のグラスを見るやいなや酒を注ぎ込もうとするような奴とは
絶対に飲みたくはない。
そういう奴もまたいるのだ。
それ以外に、そのときの状況に応じて
器用に切り替える友人もいるが、
こんな人間こそもっとも信用できない。
そのときになってみないとどっちに属する人間なのか分からないからだ。
ちなみに、無理矢理酒を飲ませるような人間は、
初めから信用するわけはないので信用できるもできないもない。

今日は一段と日記が長い気がする。
我ながら毎日毎日よく書くものだ。
このエンピツは、長い日記が書きやすいのかも知れない。



2002年02月24日(日) 家庭教師

今日は、生徒の試験前のために臨時の家庭教師の仕事が入った。
…という風に書いて思ったのだが、
他の人の日記を読んでも、
こうやって本当に日々の生活を書いている人は実に珍しい。
ほとんどが自分の意見、私感などを書いている。
まあ、自分は自分流に行くさ。

普段は電車で行くのだが、
今日は弟がバイクで送ってくれると言うのでバイクに乗せてもらった。
お金の節約になるかと思ったが、
燃料をよこせと言われて、
紆余曲折を経た後、
600円と言われて1000円を出してしまった。
まあ、小銭がなかったから札を出したのだが…。
最初の「節約」という目標はどこに消えたのだろう?
まあ、僕には一応30万円くらい貯金があるが、
弟には借金しかない。
資金がマイナスなのだ。
そんなやつに少しくらい資金援助をしても、まあ罰は当たらないだろう。
ちなみに、「罰」と書いて「ばち」と読む。

そもそも起きたのが午後1時だったので
書くことは他にはそれほどない。
ただ、PSOneシリーズのクロノクロスと聖剣伝説を買ってしまったということが
あえて言えば挙げられるだろうか。
クロノクロスはともかく、聖剣伝説は本当に意味不明だ。
買うなら普通の物にしよう。
PSOneシリーズには説明書がないのだ。
これでは分からない。
あとでWeb上で確認しようと思うが、明日は朝早くからバイトなので
そんな時間があったら寝るべきだ。

僕はコーヒーを飲まないとものを考えられないということに最近気づいた。
ということで、今日考えたことというのは特にない。
ウィークデーの場合は、忘れているだけでだいたい何か考えているのだが、
今日はそういうこともなかった。

ちなみに、ベートーベンが散歩をしながら作曲したというのは
有名(?)な話だが、
別にベートーベンでなくても、少し体を動かした方が考えが進みやすい。
脳に血が巡りやすくなるのかも知れない。
なかなか考え事をしていてうまくいかないな、と思うときは
散歩やサイクリングをするといい。
サイクリングは、車の来ないところが理想だ。
幸運にも、我が家の近くにはサイクリングロードがあり、
僕はいつもその道を使っている。
少し風が強いが、きちんと舗装されていて走りやすい。
あえて難を言えば、その道沿いに流れている川が汚くて
コンクリートで無粋に固めてあることか…。
いわゆるコンクリート三面張りというやつだ。
まあ、川底もコンクリートで固めてあるのかどうかは知らないが。

それで弟に乗せてもらったバイクなのだが、
これは怖い。
たぶん、前に乗って普通に運転するよりも、後部座席の方が怖い。
大きな自転車だなどと思っていると
そのスピード感に驚かされてしまう。
バイクを大きな自転車だなどという奴はあまりいないかも知れないが。

明日はいよいよバイトのスタートだ。
横浜でセットアップ業務。
3月14日までウィークデーはずっとだ。

で、出勤表のプリントアウトができない。
…どうしろって言うんだ!
まあ、しょうがないからあっちで適当に書いてもらうか…。
ちくしょう…。
「出勤表をプリントアウトしてください。」とか言うなら、
その出勤表くらいちゃんと準備しておいて欲しいものだ。
もっとも、その出勤表を早めに確認せず、
文句を言わなかった自分も自分だが。
もう遅いが、文句を言っておくか…。



2002年02月23日(土) 完全自殺マニュアル

今日は、昼まで寝て、それから完全自殺マニュアルを読んだ。
著者自身が端書きで書いているが、これはまさにマニュアルである。
感情的な表現や著者自身の意見は控えめにし、
自殺がいいか悪いかは別として、とにかく自殺の方法が記されている。
もちろん、その自殺の方法がいいか悪いかは書いてあるのだが。
自殺についての本ではなく、自殺する方法についての本である。

飛び降り、首吊り、服毒、その他様々なことが書いてあった。
別に自殺するつもりはないが、
一番いいのは電車への飛び込みだろうか?
普段、中央線が人身事故で止まったりすると非常に頭に来るのだが、
自分でやるならこれだろう。
人間1人にできることなど、例え命を懸けてもたかが知れている。
しかし、人間1人の力は限られていても、
社会構造をうまく利用すれば大きな力を行使できる。
権力者になるのはそのもっとも効率的な手段だろう。
しかし、自殺も安直ではあるが良い手段だ。
まあ、自分が死んでしまうという、文字通り致命的な欠点があって
実用に堪えないが。

とにかく、電車に飛び込めば、
簡単に、社会に大きな影響を与えることができる。
人間がその身1つで起こせる被害としては
これより大きなものはあまりないだろう。
被害額としては、繁華街で包丁を振り回し
片っ端から通行人を刺し殺すよりも大きなものになるのではなかろうか?

ちなみに、完全自殺マニュアルでもっともメッセージ性が強いとしているのは
焼身自殺である。
3メートルにもなろうかという轟炎に包まれた人間が大きな声で叫んでいれば、
耳を傾けない者はいないだろう。
その代わり、その苦痛も並大抵のものではないようだ。

この「エンピツ」に自殺したいという内容の日記を書いている人は、
是非参考にすべき本であると思う。
ただ、人1人が死ぬということは膨大な被害を生む。
人は基本的に死なない、というのが社会設計の仮定にあるからだ。
どのような手段を使っても、
自分一人が死ぬことで多大な迷惑がかかることを覚悟すべきである。
例えどんなに嫌われている人であっても、
行方不明になったら捜索しないわけにはいかない。

あと、誰かに復讐したいのであれば、自殺による方法は避けるべきだ。
相手を殺すのも、考え方にもよるが、あまりよくないと思う。
自分が死んでしまっては復讐が成ったのかどうか分からないし、
相手を殺すだけなんて、そんなあっさりしたことではとても復讐とは言えまい。
自分が死んだあとも霊魂となってこの世に残り、
相手が苦しむ姿を見届けられる自信があるのであれば、
別に自殺しても構わないと思うが。

倫理的問題を抜きにしても、
自殺することによって得られる利益はそれほどないと思う。
苦痛からの転身を図るのであれば有効であろうが、
幸運なことに、僕の人生は苦痛とは縁がない。
こちらのことは推量することすらできない。

とまあ、これだけ書いてはみたものの、
おそらく自殺志願者は他人の日記など読まないだろう。
こんなものを読むだけの心の余裕があるなら
自殺以外の方法を考える余裕もあるはずだからだ。

それにしても、
ああやって自殺の意志を示すことによって、いったい何を狙っているのだろうか?
自己満足であれば公開する必要はないはずだ。
それとも、自殺の意志を不特定の人間に示すことで満足するのだろうか?
そんなことをしても、匿名のネットでは意味がないと思うのだが…。
意味があるかどうかは本人次第だから、このあたりは
なんとも言えないところがあるのだが。
どんなに理不尽であっても、人によってはそれで満足するという
場合もあるものだ。



2002年02月22日(金) もくもく

今日は、新木場のDIYショップ、
その名も「もくもく」に行ってきた。
新木場で「もくもく」なのだから、当然(?)、木材ばかりを扱っている。
だいたい店の3分の2が木材で占められているという感じで、
DIYショップと言っても東急ハンズのような店と比べると雰囲気がだいぶ違う。
ちなみに、店の感じだが、木材は安いが加工品は高い。
「感じ」と言っているのに価格の話になるのはどういう精神構造をしているのか、
自分のことながら不思議に思う。

知り合いの先輩と行ったのだが、
店中をかなり長い時間歩き回り、かなり疲れた。
にもかかわらず、今度は石材屋に行きたいと言っている。
新木場があまりに遠く、たどり着く前に力つき果てそうになっていたのに
なかなか元気な人だ。

今日はその先輩と落ち合い、
ネットゲームで哀れな子羊を20機程度撃破し、
25回くらい撃破されてから大学へと向かった。
昨日の日記に書いたとおり、レポートを提出しなければならないからだ。
ちなみに、新木場と大学はかなり近い。
根性があれば、たぶん歩いていける。自分で歩こうとは思わないが。
電車なら150円で行ける。

東京駅までは、電車内が暖房のかけすぎではあったが、
とにかく普通にたどり着くことができた。
ところが、先輩はその先の通路で体力を大きく削り取られることになってしまったのである。
ディズニーランドに行ったことのある方はご存知かと思うが、
これがかの有名な東京駅京葉線ホームへの魔の通路である。
動く歩道というエネルギーの無駄遣いの象徴が
多少その通路に挑む者を助けてくれるが、通る人間は脆弱な都会人である。
通路を通り抜け、地下深くに潜行した頃には
その少ない体力は大きく削り取られ、自らの敗北を悟るのである。

大学では、その先輩がかなりたくさんの写真を撮っていた。
大学がどんな風に写っているのか、ちょっと楽しみだ。
写真部の友人に批評してもらうのもいいかも。
ただ、逆光でも構わず撮っていたし、
かなり長い間接写モードであることに気づいていなかったりしたから、
芸術作品としてはあまり優秀ではないかも知れない。
まあ、元からそういう意図はなかったと思うが…。

しかし、大学を見物する先輩と一緒に歩いて思ったのだが、
僕は自分の行っている大学のことを本当に知らなかった。
大学構内のいろいろなところに、謎の建物、妙な石碑、
唐突に現れるトイレなど、不可思議な代物がいっぱいある。
ほぼ50メートル間隔でトイレが現れるこの大学に、
さらに隠されたトイレがあったとは…。
おそらく、学内の人間でもあのトイレの存在を知る者はそうはいないだろう。
正門から見れば見えるはずなのだが…。
ちなみに、そのトイレのすぐ近く、およそ5メートルほどのところに
もう1つトイレが存在する。
なんのためにそれほどたくさんのトイレを設置したのか…謎だ。
しかも、センター試験のシーズンにはその上さらに
たくさんの仮設トイレが設置される。
なぜにこの大学はこれほどトイレが好きなのか。謎である。

トイレが優遇されているのは、数だけではない。
その広さも、なかなかのものである。
今まで2年間この大学にいて、5人使えるトイレに5人いるところを見たことがない。
もともと人が少ない大学なのだ。
そのたくさんのトイレの中でも、図書館のトイレの広大さは特筆に値する。
概算で8畳程度の広さがあると思われる。
これほどまでに広いと、隣の女子トイレはいったいどういう構造になっているのか
かなり興味を覚える。
本来女子トイレであるべき場所まで男子トイレとなっている。それほどまでに広いのだ。
もちろん、確認することなど出来はしないが…。
この偉業を成し遂げる勇者の登場を待つしかないだろう。

22行にわたってトイレのことを書いてしまった…。
今日一日、これほどまでにトイレについて語った人間は
おそらくそう多くはないだろう。
別に誇れることではないが。

残念ながら、この先輩はこの誇るべきトイレを確認しなかった。
大学には重要文化財も存在するが、個人的には
このトイレこそ誇るべき文化財であると考える。
これだけの近さにこれだけの数のトイレがあることは、
利便性を考えると非常に…。
…非常に、どうであると言うべきなのだろうか。
優秀か?…どうも違う気がする。
便利か?…それでは表現が重複する。
奇妙か?…そうだ。文脈からは多少違和感があるが、
奇妙であるとするのがもっとも適切だ。

とにかく、トイレを確認せずに大学を去ってしまった先輩と僕は、
新木場へと向かうことになった。
トイレを見ずしてこの大学を見たことにはならない、というのが僕の考えなのだが、どうだろうか?
その先輩は70枚もの写真を撮影していたのだが、
トイレの写真は一枚もなかったのだ。
なんということだ…。このようなことが許されるのか?
まあ、普通の人間はトイレの写真を撮ったりはしないと思うが。

そしてついに新木場にたどり着いた。
東京駅での長大な乗り換えに、
先輩の足はもはや崩壊寸前となっていた。
しかし、それでも彼はもくもくを目指して進んだ。
すべてはもくもくのために!
彼は、この日一日と交通費1300円をもくもくに捧げたのだ。
ちなみに、僕は定期券を持っていたので
交通費は300円しかかからなかった。

ここで、僕は冒険を試みた。
Suicaイオカードを作成したのだ。
2000円を支払い、無事購入に成功した。
ここに至るまでには、数え切れないほどの挫折の歴史があった。
一度などは、「Suicaイオカードをください」と発声しておきながら、
購入に失敗したのだ。
この慨嘆すべき失敗は、そのときの財布に2000円という資金が存在しなかったことが
主要な原因である。
それ以外にも、窓口に人がいたので面倒くさくなって断念した、
とっとと帰りたくなって引き返した、
などなど、多くの失敗を乗り越え、今日の成功を勝ち取ったのである。
この筆舌に尽くしがたい戦いの歴史をこれ以上語ることは、
僕の心に羞恥の念を覚えさせるのでやめることにする。

もくもくにおいて、先輩は多くの木材の比較検討を試みた。
今にも折れそうな脚を引きずり、辛酸を舐める思いで店内を疾駆したのである。
その結果、6000円程度の黒檀を断念し、
400円の黒檀5個を購入した。
冷静な分析を加えれば、残念ながら多くを捧げただけの成果は
得られなかったと言えるだろう。
しかし、成果を得られなかったことや
もくもくの実体を実際に確かめたことによって、
あらゆるソースから得られる情報よりも優れた情報を、
確実に得ることができたのである。
例え、東急ハンズに同様の黒檀が販売されていたとしても、
それは変わらぬ事実なのである。

ちなみに、僕にとっても非常におもしろい経験であった。
こんなことでもなければ、木材をじっと見る機会などないからだ。
次に石材屋に行くことにでもなれば、石材をじっと見ることになるのだろうか。

このように探求と思索の一日を過ごしたが、
僕は僕自身の目的を決して見失うことはなかった。
先輩の再三の指摘によって思い出した、などということは断じてない。
読んでいる方はおそらく忘れ去っていると思われるが、
そもそも僕は、レポートを出すために大学に行ったのだ。
いくら僕が暇人でも、毎日行っている大学に
わざわざ再発見のためだけに出かけたりはしない。
確かに正門から大学に入り、
教務課のある建物の周りをぐるりと一周してから
やっと建物内部に入り、教務課にレポートを提出した。
それは事実であるが、だからと言って
その間レポート提出を忘れていたわけでないのである。

この先輩は今、
買ってきた黒檀をスピーカの下に置いて制震材としている。
「とても勘当している」というメッセージを送ってきた。
まだ21なのに子どもがいて、しかも勘当するような事態になっているとは知らなかった。
実際は感動しているのではないか、という推測が容易に成り立つのであるが、
ここは、あえてその推測を後回しにすることに意義があると考える。

ちなみに、他の人の日記を見たが、
僕のこの日記は、ある程度独自性を主張できる内容だろう。
この文体の人は、僕が見た限りではいなかった。

僕がここの日記の特徴だと思ったことは、
詩と自殺願望が多いことである。
自殺願望がある人って珍しくないんだな、と思った。
ちなみに、自殺願望の強い詩というのもあるが、
あまりに悲観的で、読んでいると悲しくなる。



2002年02月21日(木) アクセス解析

ここを使っている人は知っていると思うが、
実はこの日記帳、簡易アクセス解析がついている。
それを見ると、ランダムジャンプでここを見てくれている人が
意外と多いことが分かる。
まあ、見てくれても、量が多くてうんざりして
二度見に来る気にはならないだろうが…。

今日はフランス語の試験と
比較教育制度論の授業があった。
フランス語の試験は…まあ、大丈夫だろう。
優を取れるかどうかは分からないが。

それより、比較教育制度論。
教職の科目は、当たり前だが、担当の教官が教育学者なのだ。
しかも、実はこの教官、比較教育学が専門なのだ。
ということで、かなり詳細なことについて学ぶことができた…気がする。
ただ、さすがに学生がこの比較教育のまねごとをやるとお粗末なもので、
僕も含め、発表はろくなものではなかった。

明日は、教育行政学のレポートを提出しなければならない。
締め切りは3月4日なのだが、
2月25日からずっとウィークデーはアルバイトをやるのだ。
ということで、結局ウィークデーで空いているのは
明日が最後。
よってレポートも明日出さねばならないということだ。
プリンタのインクが切れているのは不安だが…。



2002年02月20日(水) 故障

最近、パソコンに次々と異常が起こっている。
まず、Dドライブを認識しなくなった。
接続を確認し、認識したと思ったらインターネットに接続できなくなった。
認証に失敗するというエラーだ。
結局、何度もパスワードを入力し直したら接続できるようになった。
原因はよく分からない。

その問題が解決したと思ったら、
今度はローマ字入力ができなくなった。
日記が書けないかと、本気で心配してしまった。
結局、我が愛するIME、ATOKのローマ字設定を、
一度他のものに変え、それから元の設定に戻したら無事に使えるようになった。

ちなみに、IMEというと
M$-IMEをイメージする人が多いようだが、
IMEは、Input Method Editerの略で、別にM$の専売特許ではない。
ただ、世の中ではこのIMEに対する誤解が広まっているためか、
かな漢字変換ソフトに対してはFEPという呼称が広まっているようだ。
本格的な処理の前処理をするソフトウェアが、
どうしてかな漢字変換ソフトの呼称になったのか…。
おそらくは語感から来る勘違いだと思うが…。

M$によって駆逐されてしまった用語としては、
DOCというのも挙げられるらしい。
今では、慣れたPCユーザなら十中八九、
DOCはWord用の拡張子と答えるだろう。
しかし、このDOCという拡張子、昔はUNIXで使われていたらしいのだ。
だがそれも、今ではWordのDOCと区別するため使われていないとか。
…別に、M$が横暴だとか、そういうことを言うつもりはない。
多くの人間に選ばれた方が勝ち残り、
わずかな人間にしか支持されなければ廃れるのは世の定めだ。

今日は、教育方法学で模擬授業をやった。
結果は、ひどいものだった。
自分で何をしゃべっているのか分からないという感じだ。
学習指導案なんて見ない方が良かったかも知れない。

その後のフランス語の試験は、まあ、できただろう。
それほど問題はない、はずだ。



2002年02月19日(火) 試験の合間

今日は、たまたま試験が1つもなかった。
本当は1つ、線形代数の試験があったのだが、
授業に全然出ていないので試験を受けても無駄だ、と判断し、
行かないことにした。
というよりも、今日そんな試験を受けて、
夜に家庭教師をやったら、
朝、一限の講義なんて受けられない。
ちなみに、他課程の線形代数なので、
もしちゃんと履修したとしても、交渉しなければ
単位取得は難しいだろう。
交渉して単位を取得できたという話は聞いたのだが、
単位を取るために教官と交渉、なんてやりたくはない。
必修だが、そうまでして単位が欲しいとも思わない。
例えそれで大学を卒業できなかったとしても知ったことか。
プライドはないが、面倒くさいのはごめんだ。

だいたい、こんな風に文章が攻撃的になる日は疲れている。
日記を書くと、自分のことがよく分かるので非常にいい。
ただ、分かったところでなんの解決にもならないし、
得られるものも特にないのだが。
どうせ寝て起きれば関係ないのだから…。

僕は非常にプラス思考で行動しているつもりなのだが、
他の人にはマイナス思考だと言われることがある。
「どうせ」とか「結局」とか、そういう言葉遣いをするから
マイナス思考だと言うのだが、
人間には自ずから限界というものがある。
人間の可能性が無限大ということには、
あまりある時間と強靱な精神が伴う。これが最低の条件だ。
それに恵まれた環境、本人の資質や能力が加わる。
さらに運がなければ以上のすべてが備わった人間でも
人生の落伍者として生きるしか道はあるまい。
これはプラス思考とかマイナス思考とか言う以前の問題だ。
例えプラス思考だろうがマイナス思考だろうが、
新聞などの情報を見る限り、
世の中にはそういう人間が確実に存在する。
ほとんどの人間は失敗した人間であり、
成功者と呼ばれる人間はほんの一握りだ。
これは事実だろう。
プラス思考だろうがマイナス思考だろうが、
事実は決して曲げることはできない。
哲学や理論は事実を優越してはなるまい。
ただ科学論によると、理論が事実の見え方を変えることはあるようだが。

で、事実をいかに捉えるか、ということが重要になる。
ここから先に思考法の考え方が出てくるわけだ。
冷静に捉えれば悲観的にならざるを得ない世の中だが、
いいところを見れば決して悪くはない。
努力をしない人間だって報われているし、
致命的な理不尽はそれほど存在しない。
致命的でない理不尽なら無数に存在するが、
その辺はプラス思考なのだから、気にしなければいいだろう。

服装のことを言われたのだが、
センスのない人間が努力をしても
他人から見たらお粗末な格好しかできないということも、
主観の問題ではっきりとはしないが、僕の知る限りでは事実と言っていい。
そもそも、服にお金をかけるという発想がないのに
ファッションのことを考えろ、ということに無理がある。
なんでも、そのせいで損をすることが必ずある、
というのが友人の主張なのだが、
おそらく服にまともに投資すれば、そんな損をはるかに超える金額になるだろう。
金額に換算できないような大きな損をするとは思えない。
金に代えられない事柄は決して金額で考えるべきではないが、
この問題がそうとは考えられない。
要するに、主観で判断して「気にくわない」と言っているような気がしてならないのだ。

つきあう友人が悪いのか、
僕はこのように服装に関して指摘されることが非常に多い。
街を歩いていて後ろ指を指されるような格好ではないのに、だ。
もちろん、僕だけではなく、指摘してくる友人もそれは認めている。
自分だけがそう思っているのは、事実その通りということにはならないだろう。
上記のプラス思考で、僕はこのような指摘を好意から来ていると解釈している。
それは間違いではないだろうし、例え間違っていても問題はないだろう。
しかし、好意から来ているとは言え、
興味もない服に何万もの金を投資する気にはなれない。
だいたい、高価な服は自己満足のために着るものだ、というのが僕の考えだ。
この考え方を変える気は、今のところない。

他のことでもこのような考え方で行動していて、
それは、他人から見て好ましくない行動として現れることがあるようだ。
たとえば、できもしない努力はしない、ということなど…。
二十歳になるまで生活してきて、
明確でない目標のために努力することはできない、
ということを僕は認識した。
他人はともかく、僕はできない、ということは事実だ。
未来永劫変わらないとは思いたくないが、
今は少なくともそうだし、変わらなければならない必然性もない。
未来に対する漠然とした不安感では、僕は変わることはできないだろう。
ひたすら自分に暗示をかけ続け、不安感をあおれば変われるかも知れない。
しかし、それはプラス思考の人間がすることか、と思うし、
精神の不安定などマイナス要素も多そうだ。
あえてそんなことをやる必要はないだろう。

明確でない目標のために努力できないのならば、
努力しようと努力するのも無駄だ。意味を持たない。
どうせできないのだから、する必要はない。
これがマイナス思考と取られるが、できないのは上記の通り事実だ。
ならば、その時間を有効に使う方がいいだろう。
有効に使うこともできなければ、自分がいいと思うように使えばいい。

人間は常に向上心を持つべきだが、
完璧な人間になれる、と考えるのは僕の性に合わない。
思うことは悪くない。
高い目標を掲げれば、それに近づくことが大きな進歩となる。
しかし、実現不可能な目標を掲げることは
僕は個人的に気に入らない。
できないことを目標とすることは無駄に思えるのだ。
他人がするのは構わない。
尊敬するし、憧憬も抱く。しかし、自分でしようとは思わない。
ちなみに、憧憬は「しょうけい」と読むのが正式な読み方だが、
慣用的に「どうけい」も用いられる。
変換する際は「どうけい」の方が便利だ。
知っておくと何らかの得をする可能性がある。損をすることはあるまい。

量としては十分だが、気分がいいのでもう少し書くことにする。
で、いきなり変な話だが、
最近、街で見る人々のマナーが悪くなったような気がする。
たまたま僕の目に映る人にマナーの悪い人が多くなっただけの可能性もあるが、
駅のホームでたばこを吸い、駅員に注意されたら
線路にたばこの吸い殻を落とす、という人を見かけたのは初めてだ。
しかも、当然のように威嚇的な格好をしている。
例え一般的にファッションとして優れているとされていても、
僕はそのような格好をどうしても好きにはなれない。

もちろん、自分のマナーが完璧だとは思わない。
しかし、そのような人のマナーが悪いのもまた事実だろう。
注意をすべきなのかも知れないが、こういう問題は何とかならないのだろうか。
マナーを守るだけの知能がないわけではない、とするのが常識的な推論だろう。
とすると、良識が伴っていないということになる。
他人のことを考える良識を持って欲しいものだ…。

ところで、他人のことを考えるならともかく、
他人の身になって考える、ということができる人はいるのだろうか?
僕もやってみたことはあるが、立場の近い人ならばともかく、
僕とは考え方の違う人の身になって考えることなどできなかった。
そのときの僕は冷静ではなかった。
少し考えれば、できないのは当たり前だ。
脳の情報はその人固有のものであり、
自分と共通の情報はごくごくわずかだ。
しかも、そのわずかな情報も違う形で認識している可能性が大いにある。
そのような状況で、他人の身になることなど無理だ。
「自分がその人だったら」という仮定がせいぜいだろう。

しかし、僕は一般の人間よりも、価値観の違いが若干多い。
たとえば、基本的にプライドというものを持ち合わせない。
街行く人が敵意を持った視線で見てきたとしても、
それで喧嘩しようとは思わない。
他人が高価なアクセサリで着飾っていても、自分がそうしようとは思わない。
他人が必要なものには多少コストパフォーマンスを無視して投資しようと考えても、
自分は必要なものでもケチる。
この程度ならまだ良くある程度だろうが、
単位を取れなくても、卒業できなくても、試験の成績が悪くても、
それが結果ならば仕方ないとか、
他人がやることは基本的に許せるが、自分が自分のルールに沿わないことをするのは
ほとんどの場合許せないとか、そういうことはかなり違う。
この自分のルールというのも他人とは違う。
酒は飲まない、というのはよく批判されるが、
得があるとは思えないし、損も多い。
賭けも嫌いだ。賭けの期待値は、最高で100%だ。
公営ギャンブルに至っては50%程度と言う。
期待値が100%を越えるものでなければ投資をしないのは
当然の発想と自分では思うし、論理的だと思うのだが、
他の人はそうは思わないらしい。
あと、論理的な思考が好きで、感情的な思考が嫌いだ。
これは、論理的な思考を好む人、感情的な思考を好む人、
双方から批判を受ける。
感情的な思考を好む人から批判されるのは当然だが、
論理的な思考を好む人からは、その思考が不十分とされるのだ。
これは大いに反省すべき点であると考えている。
この日記は、論理的な思考の訓練のつもりでもある。
単純に、書いていて楽しい、というのもあるが。
そのため、矛盾や不十分な点があれば、是非指摘していただきたい。
もちろんそれ以外にも、ご意見、ご感想等、遠慮なく…。

ようやく満足してきた。
明日は模擬授業もあることだし、早いし、
そろそろ寝ることにするか…。

ちなみに前日のパソコンの故障だが、
筐体を開き、ハードディスクを接続し直したら直った。
原因はよく分からないが、対処法から逆に考えると、
おそらくは接触不良だろう。
接触不良が起きたそもそもの原因は不明だが、
僕はハードディスクを固定せず、遊離させた状態で使っている。
いつ接触不良が起きても不思議はない状況だ。
そのあたりが原因と推定できる。



2002年02月18日(月) パソコンの故障

パソコンが故障した。
ゲームをやっていたらいきなりDドライブを認識しなくなった。
Dドライブには、システム用のデータ以外、
ほとんどすべてのデータが入れてある。
OSを入れ替えてもすぐに使えるようにするためだが、
それが使えなくなってしまった。
この問題はとりあえず明日に回すことにした…。

この日は一限から試験だった。
地域都市計画…。
簡単な試験だったし、講義もしっかり聞いていたので
できないはずはなかったのだが…。

実は、この試験を受ける前に、
別の試験の成績を聞きに行ったのだ。
そうしたらかなり丁寧に解説してくれて、
おかげでこの試験の勉強が全然できなかったのだ。
簡単だと高をくくっていたので
それまでも全然勉強していなかったということで、
かなり苦労した。
ぎりぎり及第くらいは取れたと思うのだが…。

ソフトウェア工学は、思ったよりも難しかった。
トップを狙うつもりでいたが、
どうやら順位の発表などはしないらしい。
得点を見ればだいたいどの程度のレベルか分かると思うのだが、
トップかどうかはちょっと分からない…。
しかも、試験の出来を考えると
ちょっとトップを取れるかどうかは怪しい。
満点は取れなかった可能性がある。

それが11時半に終わり、
4時間と20分もあとに次の試験があった。
元々好きな科目ではなかったので完全にやる気がなかったが、
それ以上に問題が簡単だったので、
なんとかその場で思い出すことができた。
しかし、同じ項目を二度数えるという
馬鹿馬鹿しいミスでほとんどの問題を間違えたので、
たぶん不可だろう。
まあいい。この程度で卒業できなくなるわけではない。
しかし、成績なんていいに越したことはないのだから、
少しは勉強しておいた方がいいのだろうか…?



2002年02月17日(日) 何もしていない休日

昨日と同様、今日もほとんど何もしていない。
明日は試験なんだから、
勉強しても良さそうなものだが…。
正直言って、専門科目は何を勉強していいのか分からない。
別に暗記しなければいけないこともないし…。
いくら僕の頭が悪くても、
講義中に習った数少ない項目くらいは覚えている。
専門科目は高校までのように
むやみやたらに暗記するようなものではないのだ。
第一、試験前になってあわてて覚えているようでは
とても「専門」の知識として使うことはできない。

もちろん、これは基礎だから言えることであって、
ちょっとでも内容に深入りすれば、
とたんにボリュームはふくれあがる。
しかし、そんな細かいことを試験で問うても仕方ないということなのか、
それとも学生が答えられないということなのか、
分からないが、とにかくうちの大学では
そういう細かい問題は出ない。

明日は一限からだ…。
とっとと寝ないと…。



2002年02月16日(土) 休日の日記

いつもそうなのだが、休日は本当に書くことがない。
特に昨日は、朝の5時くらいまでメッセンジャーをやっていて、
起きたのは昼の3時。

そのメッセンジャーの相手に、
古渕のジャスコでセールをやっていると言われて行ってみたのだが、
すでにめぼしい品は売り切れてしまっていた…。
残念。

フィギュアスケートを見たが、
あの優勝者の演技は本当にすごかった。
フィギュアスケートは、演技半分競技半分という感じだから、
本物のダンサーには勝てない、などと思っていたが、
もっとずっとレベルが高いのだと知った。
ジャンプに関しては予備知識があったので
よく回るなあ、としか思わなかったが。

まだ少し試験が残っているが、
残りの科目は対策のしようがない。
いったい何をすればいいのだろうか…。
用語の解説と言っていたが、
化学熱力学、用語の解説以外は何も書かずに
単位を取ったことだってあるし、
きっと何とかなるだろう。

休みの日も楽でいいが、
頭が回らなくて日記がろくに書けない…。
やはり頭は使わなければダメになってしまうものらしい。
湯冷めしてしまうのでもう寝ることにする。



2002年02月15日(金) 朝日新聞で発見

きっとこの日は、僕以外にも新規登録者が増加したことだろう。
僕はいいサイトを見つけられて嬉しいが、
サーバ管理者の方はアクセス増加に頭を抱えているのかも知れない。

…と言うのも、このサイトが朝日新聞の紙上で
紹介されたからだ。
「このサイト」というのはもちろん、僕の日記などではなく、
この「エンピツ」というサイトのことである。

実は、僕は元々自分で日記を書いていて、
ここにはまた新しく日記を書いている。
もしかしたら両方見てくれる奇特な方がいるかも知れないし、
内容は重複しない方がいいと考えるとちょっと大変だ。
まあ、今日は試験で十分に頭を使って、
まだ機能が停止しているわけではないので
1日中遊んだ日と比べるとだいぶ脳味噌の調子はいい気がするが。

ここに保存できる日記のサイズは5メガバイト、
一日の限界は16キロバイトだそうだ。
僕も自分では長い文章を書く方だと思っているが、
一度に16キロバイトを越える文章を書いたことは
今まで数えるほどしかない。
16キロバイトというと、改行コードなどを省き、
文字だけの文書だと考えるとなんと8000字に相当する。
大学のレポートでもこれほどの量は書いたことがない。
メールでは何度か書いたことがあるが、
送られた相手はさぞがし迷惑だったことだろう…。
「全部読んだぞ!」という誇らしげなメールが返ってきたことを思い出す。
これだけの量になると、書くより読む方が大変だろう。

ちなみに、冷静に考えていただくとすぐに分かるのだが、
8000字というのはA4用紙5枚分に相当する。
レポートとしてはたいした量でもない、のかも知れない。
しかし、僕の行っている大学ではこの量のレポートは出ないのだ。
理由は推して知るべしとだけ言っておく。

これでは全然日記ではないので今日のことを少し。
今日は、試験だった。
多くの大学生が楽しい春休みを過ごしている中、
一部の大学生はまだ必死に試験をやっているのだ。
もっとも、その代わりに彼らが講義を受けている土曜日などは
僕たちは休みだったりするのだが。

で、なんと一限に出なかった。
…情けないことに起きられなかったのだ。
朝、起きられずに講義に出なかったことはあるが、
試験を受けなかったのは初めてだ。
朝、目が覚めたと油断した瞬間に眠りに落ちたらしい。
まあ、受けても単位取得の希望はない教科で、
応募しなければ当たらない、宝くじのような気分で
試験を受けるつもりだったのでどうでもいいのだが。

今日は、昨日の余韻のようにカップルが多かった。
しかし、昨日も思ったのだが、
なぜかお互いを見ていないカップルが多い。
いったいどういうことなのだろうか?
隣に彼氏が座っているというのに
眠ってしまって僕の方に倒れてきた人がいたのには困った。
まあ、嬉しくなかったと言うと嘘になるが…。
当たり前だが、そうやって倒れかかってくるのは
男女が逆転するとひどく迷惑らしい。
前に女子高生の投書が新聞に載っていた。


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