++ 記憶の中へ
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■ 忘れかけていた思い 2006年06月28日(水)
 スーパーへ行く道すがら、小学校の低学年くらいの男の子のグループが、白いヘルメットをかぶって自転車で走っている姿をよく目にする。するとなぜか、ふいに長いこと忘れかけていた思いがゆっくりとよみがえってくる。

 海渡が赤ちゃんの頃は、紙オムツのテレビコマーシャルを見るのが辛かったし、もう少し大きくなるとドラマに出てくる子役の子どもを見るのが苦しかった。

 海渡がダウン症じゃなかったら、健常児だったら・・・
 海渡が小さかった頃はよくそんなことを考えていた。考えてもどうしようもないことなのに、普通の子としての海渡を想像している自分がいた・・・。

 それでも、何年も時を重ねているうちに、気がつくとダウン症を持った海渡が海渡そのものであり、それどころかダウン症であるということすら忘れているようになった。そして今はありのままの海渡を見つめて暮らしている。

 もう、紙おむつのコマーシャルを見ても、テレビドラマで子役を見ても、役所で心無い対応をされても辛くも苦しくもない。

 けれど、あの自転車の男の子たちを見かけるたびに感じる、胸の奥のツンとする思いは何なんだろう・・・・忘れたと思っていた思いがまだどこかにほんの少しだけ残っているのだろうか。

 この気持ちは、一生消えずに永遠に心の中で眠り続けるのだろうか。

 それでも、私は構わないと思う。
 
 その思いを再び簡単に心の中に閉じ込めてしまえるくらいに、今の海渡が大好きだし、ありのままの海渡が本当の海渡だとわかっているから。


■ 児童デイ申請 2006年06月27日(火)
 いい児童デイが見つかったので友人と役場に申請に行ってきました。私は新規で友人は日数延長のため。(6日間もらっていたけれど使える児童デイがなかったので今回が初めての利用)

 7月から夏休みということで、申請日数は20日間。
ちなみにN市は30日間でもOKで、反対側の市では役所で「ヘルプサービスよりデイを使ってほしい」と25日間出してくれるらしい。そこで、私と友人はひかえめに20日間で申請しました。

 ところが、いきなり却下。じゃあ何日ならいいのか訊くと「18日が限度」と言う。「じゃあ18日でいいです」と言ったら、出るわ出るわそれでも出せない理由。

1 海渡君もY君も意思の疎通はできますよね?
 (児童デイに入れるほど重度じゃないと意味?)

2 そんなにデイに行かせたら、お母さんとのふれあいはいつするんです?

3 お兄ちゃんやお姉ちゃんがいるでしょう?
 (きょうだいに面倒みてもらえば?ということ)

4 出校日やプールもあるでしょう?

5 熱だって出るときあるでしょう?うちの子も今日熱出しているんですよ。

7 どうしてもそれだけ欲しいなら、外出介護は0時間にします。必要ないでしょ?

8 ショートステイを使えば?(ショートは緊急用だし、デイのようには過ごせないんじゃない?)

9 予算がない(最後はいつもこれですか?)


 ここで、私も仕事しないと生活できないし(うちの町は母親の就労目的ではヘルパーやこういう福祉制度使えません)、小学4年生になるのにいつまでも母親べったりでもいけないし、長い夏休みにヘルパーさんと過ごすのも限界がある、何より児童デイでは、療育的なこと、自立支援、社会性の訓練など、親だけヘルパーだけでは教えられないことが学べる、健常児は4年生ともなれば自転車に乗って一人で遊びに出かけられるし、友達の家に行ったりもできる、習い事にも行けるけれど、この子たちは学校と家以外居場所がない、そういう意味で海渡にとっては児童デイが必要だと思っている、熱があれば休ませるし、決して親が楽したいために行かせるのではない、と訴えました。

 このやりとりを、役場のカウンターの奥の職員が見てクスクス笑っていたと友人が言っていました(怒)

 結局、8月の何日に、どうしてデイに行かせるのか理由を書いた表を作成して持ってきてください。お母さんのライフスタイルを見て上のものと相談します、ということになりました。

 7月は、友人が6日貰っているので(まだ事業所も決まっていないのになぜか、同じ係りの人がくれたそうです)Y君といっしょに行くのにうちだけ3日か4日ではおかしい、6日欲しい(それでも少ないけど)と言ったら、しぶしぶ「じゃあ6日で申請してください」となった。

 7月は6日で申請して、7月末にまた8月の予定表持って日数延長に来てくだいということらしい。

 私が児童デイに海渡を行かせたい理由と日数、間違ってるるでしょうか?


■ 心のなか 2006年06月26日(月)
昨日の「心の基地」にもつながるんだけれど・・・・

 海渡はあまり学校のことを訊いても、答えてくれる子ではありません。よほど印象に残ったことがあれば、話してくれますが普段は本当に何にも教えてくれません。
 
それが、先日の連絡帳に海渡が職員室にいる時のことが書いてあったので、そういえば前もよく職員室にいたなぁと思い、なにげなく

「海ちゃん、職員室好きなの?」

と訊いたら

「うん」

と言いました。そして


「○○せんせい、いなかった」

というのです。
○○先生というのは、昨年までの海渡の特学の担任の先生です。
海渡はこの先生が大好きでした。

4年生になって新しい先生になって3ヶ月が過ぎようとしています。
前の○○先生は中学校へ行かれたことも話してあり、海渡なりに納得していると思っていました。そして、新しい先生にもそれなりに慣れたかなぁ、と思っていたのでこの言葉にはびっくりしてしまいました。

「海ちゃん、職員室で○○先生探してるの?」

「うん」

「そうかあ、でも、○○先生は別の学校でお仕事しているんだよ」

そう言うと

「ちゅうがっこうでしょ」

と言いました。

中学校へ変わって行ったということを知っているのに、小学校の職員室で○○先生を探しているのでしょうか。それとも、職員室へ入るたびにふっと思い出すのでしょうか。

1年生のときの先生も海渡は大好きでした。でも、2年生になったら移動で海渡の前からいなくなり、そして○○先生と出会いました。そして、やっぱりある日海渡の前からいなくなりました。それは仕方のないことであり、これから何度も繰り返されること。

今度は新しい先生と新しい思い出を作っていくことになります。
多分、海渡もそれを現実としてありのまま受け入れていることと思います。それでも、やはり思い出し、先生の姿を探し、やはりいなかったと確認していくことはそれはそれで、次に進んでいく大事な作業なんだと思います。

素敵な先生にたくさんめぐり合い、たくさん思い出を作って、めぐり合ったその数だけ別れがある・・・・

海渡はそんなこと考えてもいないでしょうけれど、心のなかで少しずつ出会いと別れの折り合いをつけていくのでしょう。

今は、まだまだその折り合いの途中かもしれないけれど、いつか○○先生よりも新しい先生が心のなかでいっぱいになるといいな。

心の基地、ゆっくりゆっくり作っていこうね。
ゆっくり作れば、きっと立派な基地が出来上がるよ。



■ 心の基地 2006年06月25日(日)
 いろいろと思うところがあって、最近ダウン症関連の本を読んでいる。今読んでいるのがこの本。

ダウン症ハンドブック
池田 由紀江 (2005/04)
日本文化科学社


 その中の「仲間関係・集団適応」の項目にこんな内容があった。
 要約すると

「ダウン症の子ども達は、学校の中で、友達よりもまず教師との関係を求めがちなことがあり、最初のころは友達ができてもその関係が広がっていかないと言った様子がよく見られる。」

「集団への適応性では、集団の規模にもよるけれど、慣れるまで意外と時間がかかる場合があり、新しいクラスやグループなどの集団に適応していく場合、友達よりも教師とのかかわりを強く求める傾向がある。従って、まず担任などの教師との信頼関係や共感関係を構築することが大切。ダウン症の子ども達に、先生はいざというときに助けてくれる、あるいは自分の側にいてくれるといった安心感をもたせることができれば、集団に慣れていくことも早くなると思われる。当初の教師との関係づくりが大切。」というもの。


 いざとなれば先生が自分を助けてくれるという信頼と安心感があるからこそ、勇気を持って集団の中に入っていける・・・・あれ、これってなにかに似ている・・・・そう、母子分離だわ。

 幼い子どもは、自分を守ってくれる母親の手からなかなか離れられない。けれど、何かあれば必ず母親が自分を守ってくれる助けてくれるという安心感をしっかりと持てるようになると、その時初めて母親の腕の中から離れて他の子ども達の中へ入っていける、という。

 学校では先生との間で同じことがあるのね。
 家では母親が心のよりどころであるのと同じように、学校では先生が心のよりどころ、心の基地になるんだろう。

 4年生になって担任の先生が代わり、きっと海渡の中では心の基地をまた最初から作り直しているのだろう。

 今、海渡の基地はどこまで出来ているのだろう、もう完成かな、そこから飛び立つ準備はできたのかな・・・・毎朝元気に登校する海渡の後ろ思い浮かべながら、そう思う。



■ 児童デイ見学・・・再び 2006年06月24日(土)
 ネットで見つけたとある児童デイサービス。
 一緒に探していた友人が問い合わせてみると送迎もやってくれると言う。そこで、早速子ども達を連れて見学に行ってきた。
 
 そこは、静かな住宅街の中のおしゃれな一軒家。

 普通の家で言うリビングルームと続きの和室、リビングに面したカウンター式のキッチン・・・先日見学したところはデイサービスをやるために建てた施設というイメージがあったが、ここは居心地の良い家庭的な雰囲気がある。

 が、逆にそれが「よその家に来た?」と思ったのか、子ども達は和室に入ったきり、指導員さんと先に来ていた2人の子どもたちのいるリビングに入っていけない。

 海渡たちがまず馴染めないと話しにならないので、ちょっと不安を感じたが、とりあえず話を聞くことにした。

 送迎はもちろん問題なし、曜日も選べる、土曜日も夏休みも朝から夕方までOK、遊ぶだけでなく創作的活動、料理、自立活動、社会適応訓練、リトミックなどなど、移動介護だけではやれないことをやってくださる。なんてありがたい・・・・

 何より、4月に立ち上げたばかりということで、指導員さんたちに未来に向けての熱意と期待感をものすごく感じる。
 ゆくゆくは中学生、高校生も受け入れるようにして、就労に向けての支援もやっていきたいということで、小学校を卒業するまでの3年間しか通えない、その先はまたあっちこっち探さないといけないと思っていた私と友人は身を乗り出して、「本当ですか?」(苦笑)

 また、話をしてくれた方の従兄弟が偶然にもダウン症ということで、より親身に話を聞いてくれたのが嬉しかった。やっぱり身内に同じ障害を持った人がいるということはぐーーんとお互いの距離が縮まったような親近感を持つ。

 とりあえず、私は児童デイの申請(役所で事業所が決まっていないと出せないと言われていた)を急遽しなくては。

 話を終えて1階へ戻ると、子ども達はすっかり指導員さんや先にいた2人の男の子とも馴染んでいて、ブロックで遊んでいた。「さあ帰るよ」と言ってもなかなか動こうとしないほど楽しいらしく、

「また、来ようね」

と前回の見学の時には言わなかった言葉を言うと、素直に立ち上がった。できれば、週1日か2日と毎週土曜日を来れるようにして、その後の夏休みにつなげていければいいなぁ。

 男性と女性の指導員さんも、子どもたちに自然に触れ合ったり言葉をかけたりしていて、いい感じ。

 大好きな場所になるといいね、海渡。



■ 英語はバッチリ 2006年06月21日(水)
 海渡は英語が大好き。
 「英語であそぼ」も「えいごりあん」もずっーーと見ている。
 学校では、外国人の先生の授業もあり、海渡の英語の発音は家中の誰よりも素晴らしい。
 今日、テレビに写る犬を見て、海渡が突然

「犬は えいごで DOG!」

と言った。ドッグではなくて、ドォッグである。

おおお、母は感激して

「すごい!じゃあ、ネコは?」

海渡は自信たっぷりに答えた。

「ネコは ニャアンコ!!」

・・・・・海ちゃん、面白すぎ。



■ ちょっと感激ちょっと怖い 2006年06月20日(火)
 この春から在宅の仕事をやめて、パートに出ています。
 歩いて5分、慣れた入力の仕事、人間関係良好、子育てに理解がある・・・とまたとない職場です。
 ただ、問題は海渡の下校時間。
 ヘルパーさんやおばあちゃん、総動員で対処しています。

 さて、今日は長女が試験前で早く帰るというので、ヘルパーさんもおばあちゃんにも頼まずにいました。

 5時過ぎ、仕事を終えて帰宅すると、海渡はリビングでゲームの真っ最中。私をチラッと見て、またゲームに夢中。
 ふと、テーブルを見ると、ふたのあいたマーガリン、食パンの袋、コカコーラのペットボトル、そしてドアの開いたままのオーブントースター・・・。

「海ちゃん、パン焼いて食べたの?」

「うん、おなかすいたもん」

 あとで長女に聞いたら、全部海渡が一人でやったということでした。
 うちは、お菓子の買い置きは置いていないので、お腹がすいたら食パンか、おにぎりくらいしかありません。手っ取り早くパンを焼いたのでしょう。普段はあまりパンは食べない海渡ですが、よほどお腹がすいていたらしい。

 それにしても、海渡は食べ物がからむとものすごい想像力と行動力を発揮してくれます。

 そのうち、ラーメン作って食べようとか思うのかな・・・・それはそれでちょっと怖い・・・

■ 児童デイ見学 2006年06月19日(月)
 今日は、友人と児童デイの見学に行ってきた。
 となりの市なので、電話でこの地域まで送迎できるか友人が聞いたところ、とりあえず子どもを連れて一度来て欲しいと。


 でも、結局送迎は無理だった・・・・。お母さんが送迎してくださるか、その児童デイと併設されている移動介護を使い、しかも公共交通機関で来て欲しいと・・・・そんなの行くだけで1時間以上かかってしまう。無理な話しだ。だったら最初からそう言ってくれればいいのに、淡い期待をして子どもたちも楽しそうに遊んでいたのに、ここにはもう来ることはないと思うとちょっとかわいそうな気持ちになった。

 やっぱり、移動介護しか余暇活動の選択肢はないのかな。
 移動介護に不満があるわけではない。ヘルパーさんは本当によくやってくれるし、海渡も楽しませてもらっている。ヘルパーさんたちには感謝の気持ちでいっぱいだ。これからもどんどん使っていきたいと思っている。

 それでも、やっぱり決まった場所で、なかまとともに創作活動、音楽活動、料理などが体験できる児童デイは魅力的な存在だ。

 でも・・・ないものねだりはしょうがないね。
 今ある環境で工夫して楽しまないと・・・・
テーマ:知的障害児のいる暮らし


■ 仲良くけんかしな 2006年06月18日(日)
 海渡が好きなアニメに「トムとジェリー」があります。
 難しい台詞のないドタバタストーリーなんですが、そのドタバタの描写はけっこうヘビーです。
 だって、銃や斧や包丁の類がガンガン出てくるし、頭が吹っ飛ぶ、身体がバラバラになるなんて日常茶飯事・・・・

 こういうの見せるのはどうかなぁと思っていたのですが、あまりにその描写が現実離れしているせいか、海渡はいたって平和主義。なんたって、やられてもやり返せない軟弱者に育ってしまいました。

 今日、一緒にトムとジェリーを見ていたら、海渡が

「ダメだよ、ダメだよ、かわいそう」

と言いました。トムにやっつけられてばかりいるジェリーが強い従兄弟に応援を頼み、その従兄弟がトムをこてんぱんにやっつけるシーンでした。

 トムがジェリーをやっつけるから、ジェリーの従兄弟がトムに仕返しをしているのですが、それをトムがかわいそうと海渡は言うのです。

 ここでひとつ、疑問が・・・・
 じゃあ、いつもトムにやられているジェリーはかわいそうじゃないのかな? ジェリーにやられているトムはかわいそうじゃないのかな?

 トムがジェリーにやっつけられていても、ジェリーがトムにやっつけられていても、海渡はぴょんぴょん跳ねたり、表情をくるくる変えながらまさに手に汗握るという感じで見ていますが「かわいそう」とは言わないんですよね。どちらかと言えばドキドキを楽しんでいる感じ。

 トムとジェリーはけんかばかりしているけれど、本当は仲良しだということをちゃんと知っているのかな?
 だから、トムとジェリーがお互いにどんなにひどいことをやってもやられても、安心して見ていられるのかな?

 「ネズミだって生き物さ ネコだって生き物さ

  トムとジェリー 仲良くけんかしな」


 奥の深い言葉だわ・・・・


■ 不思議な遊び 2006年06月10日(土)
 海渡は時々不思議な遊びをします。
 絵本やゲームのマニュアル、昔の教科書など、ひたすら積み重ねます。積んで、積んで、積んで・・・・後から崩すということはしません。


 積んでいるときの表情は真剣そのもの。話しかけても無言か、そっけなく、他では見れないほどの集中力です。 

 この遊び?は学校でもよくやるようで、4年生になった今はどうかわかりませんが、去年は先生が「本の整理」と呼んでいました。

 これは、止めさせることができません。
 無理やり止めさせると機嫌が悪くります。でも、自分で決めたところまで積めば納得するようで、時間が迫っていても忍耐強く待っていればある程度のところでサッとやめます。

 この遊び、何なんでしょうね。
 本を積む動作に集中することによって、心が落ち着くのかもしれません。でも、これをやるがために、ボロボロの本も捨てられずにいます。恐ろしいことに、積んでいる間に無くなっている本に気づいて「ない!」(高さが違うので気づくらしい)と言い出したりするのです。

 ただ、それも何日かするとそのうち忘れてしまって、また違う本をせっせと積んでいます。

■ きょうだい 2006年06月09日(金)
 ポケモンのフィギュアで遊んでいたときのこと。
 大中小、いろんなサイズのピカチュウを並べて海渡が、

 「きょうだいみたい」


 と言いました。


 びっくりして父さんに「今、きょうだいって言ったよ。そんな言葉知ってたんだね」と喜んで報告しました。

 そして・・・

「海ちゃん、海ちゃんのきょうだいはだれ?」

と訊いてみました。(海渡には兄と姉がいます)

 そしたら・・・


「おらん」


 そ、そんな・・・
 海渡は「きょうだい」の意味を正しく理解していなかったのでした(泣)


 もちろん、海渡の大好きな大好きなお姉ちゃんとお兄ちゃんが海渡の「きょうだい」であることを、わかりやすく話してきかせましたが、いまひとつ不思議そうな表情・・・・どこまでわかってくれたのでしょう。


■ 家族の時間 2006年06月07日(水)
 この4月、中学生だった長女が高校生になり、高校生だった長男が社会人になった。そして、在宅で仕事をしていた私は近所へパートに出るようになり、生活が少しずつ変化してきた。



 今までは、晩ごはんは家族みんなで食べるのが当たり前だった。
 7時に子ども達3人といっしょに先に食べていれば、そのうちお父さんが帰ってきて、家族5人での晩ご飯となる。

 受験生だった長女は普通だったら塾なんかに言って夕食の時間がバラバラになったりするんだろうけど、幸い長女は塾に行かなかったので高校に入学するまで7時前には「いただきま〜す」となった。そうして、海渡は、8時にはお風呂に入って、9時過ぎには布団に入るという生活だった。

 でも、今じゃ7時半になっても誰も帰ってこない(泣)

 海渡と2人だけ・・・
 社会人になった長男はその日の仕事次第で残業になれば8時半位になったりする。長女は部活があるので毎日7時から7時半頃に帰ってくるようになった。結局、8時頃に晩ご飯だったりするのだ。

 みんなを待って晩御飯にするとそのままお風呂に入るのが遅れて、どうしても寝るのも遅くなる。
 待たずに、海渡と2人で食べるのも寂しいし、第一何回もご飯のしたくをするのが面倒だし、あとで誰かが食べていれば海渡も欲しくなってしまうし・・・・

 家族がそれぞれ成長して、それぞれの生活の事情をかかえていくようになると、必然的に夕食の時間がバラバラになっていくのは仕方がないことなのだとわかっているけれどね。

 まあ、4年生になって9時過ぎに寝かせようというのが、もうそろそろ無理があるのだろうか。最近では、10時から11時までの間に寝ている海渡。たとえ、8時に寝ても9時に寝ても、朝7時に起きられない海渡。10時間は寝ないと身体がもたないので、そんなときは学校で寝ているらしいけど・・・・

 年が離れたきょうだいがいる家庭だと、こういうときはどうしているのかな。 



■ キモチノスイッチ 2006年06月06日(火)
 大好きなことをしている途中で、それを止めるのはとても難しいことだと思います。

 海渡も毎日そんな場面を繰り返しています。
 
 たとえば、毎朝の通学団の集合場所が公園なので、海渡はいつもブランコに乗ります。
 ところが、班長さんの集合の声とともにブランコから降りなければなりません。それが海渡にはとても難しい。

 学校に行かなければならないことはわかっている。
 ブランコから降りなければならない。
 でも、もう少し乗っていたい・・・・

 そんなとき、班長さんが10数えてくれると、海渡はその間に気持ちのスイッチを切り替えられるようです。1から10まで数える間に、自分で自分の気持ちに折り合いをつけるのでしょう。

 家でも、ゲームをしていてそれをやめなければならないとき、10から逆にカウントダウンしていくと、今まで知らん顔していたのに、「10、9、8・・・・」くらいで腰が上がり、「7、6、5・・・」になったら、自分でスイッチに手を伸ばすようになりました。

 「止めなさい」と言われて止めるよりも、10数えるうちにというのはきっと、止めさせられたという感じじゃなくて、自分の意思でキモチノスイッチをオフにしたという気持ちになれるのがいいのかなと思います。

 ダウン症の子ども(おとなも?)は頑固だと言われることが多いのですが、その理由を言葉で言えないということともに、気持ちの切り替えが上手にできない、つまりキモチノスイッチを自分で上手にオンオフできないということもあるのだと思います。

 その子によってスイッチは違うかもしれないけれど、きっとどの子にもあるんじゃないかな。


■ 言葉 2006年06月05日(月)
 最近、また面白い言い回しをするようになりました。
 たとえば、今日いつもと違うちょっと大きなショッピングセンターに行ったのですが、お店に入るときに海渡が言いました。
 「めちゃ、デカい!」

 「め・・・めちゃ???」

 いやあ、びっくりしました。
 「すげぇ!」とかは時々言うことがありましたが、「めちゃ」が出るとは・・・・。
 そのうち、「うざい」とか言うようになるんでしょうか?

 また、家でごろごろしているので

「疲れてるの?」

と聞いたら

「きのうからね〜」

意味わかって言ってるのかな??

 また、ある時は

「海ちゃん、お風呂だよ〜」

「今、忙しいの」

「何で忙しいの?」

「仕事!」

 ・・・って、やってることは絵本をひたすら積み重ねているだけ。

 何だか知らないけど、海渡の言葉は面白いのです。


■ 嘘はやめます(^^;) 2006年06月04日(日)
 海渡は人が言うことに対して疑うということを知りません。
 言われたことは、そのまま100パーセント信じます。


 テレビで「鬼の洗濯岩」という観光名所を紹介していました。
 何気なく、私が

 「海ちゃん、ここで鬼がパンツ洗ってたんだって」

と言うと、海渡はじっと画面を見つめて

 「鬼さん? 雷さん?」

と訊きかえしてきました。しかも、真剣な表情で・・・・
 あまりに真剣な表情だったので、つい

 「え?え〜と・・・・両方・・・かな」

と思わず、答えてしまった私。

 「ふううううん・・・・」

と、驚いたような不思議な面持ちで画面をみつめる海渡。
 こんなに、あっさりと信じてしまうとは・・・・

 そういえば、何年か前、海渡がもっともっと小さかった頃

 「雨はね、雲の上で雷さんがバケツからお水をまいてるんだよ」

と言ったら、びっくりして

 「そうかああ!」

と納得していましたっけ・・・・・(苦笑)

 でも、今は小学4年生だし、あんまりうかつに嘘・・・じゃなくて、冗談を言うのはやめようと思いました。


■ 行方不明事件回想録・・・? 2006年06月01日(木)
 海渡は、1年も前のショッピングセンターから行方不明になったときのことを、最近になって話してくれることがあります。
 もう、忘れているだろうと思っていたのに、意外にもはっきりと覚えていて驚かされます。
 「海ちゃん、あのときどうして○○○○(ショッピングセンター)から出て行ったの?」

 「海ちゃん、父さん、さがしてたの。
  あめ、ふってた。
  とうさーん、とうさーん、って言った。
  (そうしたら)○○さん(ヘルパーさん)、来た」

 なるほど、雨の中を「とうさーん」と呼びながら歩いていたら、なぜか父さんじゃなくてヘルパーの○○さんが現れたということらしい(^^;)

 「それで、○○さんの車でおまわりさんのとこ行ったんだね」

 「そう。父さん、来た」

 「そうだね、この間コンビニのとこで○○君のお母さんに会ったのはどうして?」

 「海ちゃん、あーちゃんち、行きたかったもん。」

「そうかあ、あーちゃん(おばあちゃん)ち行こうと思ったのに、コンビニの前に来ちゃって、○○君のお母さんに会って、おうちに連れて行ってもらったんだね。」

 「そう。足、ふきふき(拭く真似)
  つめた〜いお茶 (飲む真似)
  お菓子たべた、絵本 (読む真似)
  また、父さん来た! (びっくりした表情)」

 そりゃ、行くよ(__;)

 でも、3度目の逆方向へ向かったことは、未だに話してくれません。
 きっと1ヶ月くらいたって、ほとぼりが冷めたころ、真相が明かされるんでしょうねぇ。

 




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