特学の先生が出張などでみえないとき、海渡は補助の先生にそばについてもらいながら普通学級の授業を受けることがあります。
先日もそんな日があったようで、普通学級でやった九九のプリントを持ち帰りました。 百ます計算の掛け算バージョンで、たてとよこにランダムに書いてある数字を掛け算するというものです。これをみんなはタイムを計って計算します。時々、白紙のままのプリントを持ち帰ることがありましたが、この日の海渡のプリントには、ますの中に数字が書き込んでありました。
海渡は掛け算ができません。 スタートの合図とともに、漢字の書き取りのように立て一列に一番上に書いてある数字を書いていったのでしょう。同じ数字が一番下まで書いてあります。文字を書くということがあまり好きでない海渡ですが、最後のひとますまでしっかりと同じ数字が書いてありました。
タイム欄には「5分28秒」と書いてありました。
5分半も海渡が一生懸命数字を書いたということに驚きました。 みんながスタートの合図とともに、一生懸命掛け算プリントをしているのを見て、自分もやらなくてはと思ったのだと思います。
足し算も引き算も掛け算も割り算もできないけれど、みんなが一生懸命やっているのを見て、自分なりにできることをやったということに、親バカですけれど、ちょっと感動しました。いつもいつもこんな風に頑張っている訳ではないのでしょうが・・・・
プリントには、大きな大きな花丸が書いてありました。 九九ができた花丸ではなくて、一生懸命頑張った花丸です。
「すごいねぇ!」
と言うと、海渡はちょっと得意げに私を見ずに笑いました。 みんなと同じことはできなくても、同じように頑張ることはできるんだよね。
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海渡はポケモン大好き。 今ブームの「たまごっち」や「ムシキング」にはまったく興味を示さない。
男の子にありがちな、ミニカーやプラレール、仮面ライダー系、なんたらレンジャー系にも一切興味がない。もうず〜っとポケモンひとすじ!
6歳上の姉、9歳上の兄が海渡が生まれたときからすでにポケモンのゲームがうちにあり、海渡はそれらを見ながら大きくなった。マリオのゲームもあるけれど、やはりアニメの影響が大きいのだろう。 今でも、ポケモンのアニメは3人そろって仲良く見ている←これでいいのか高3と中3の上二人!
欲しがるおもちゃもポケモン一色である。 欲しがる絵本もポケモン一色。 読めないのにデータブックが我が家にはたくさんある。
特に困るのが、ポケモンのゲームソフトだ。 兄や姉が持っているものは、必ず欲しがるので、結局、近所の中古ソフト屋さんで安く買ってやるはめになる。
ポケモンの世界はややこしい。
100も200も超えるポケモンは進化すると見た目も変わるし名前も変わる。 ピカチュウやニャースくらいなら知っていた私も今や、すっかり海渡に追い越された。
「○○は進化すると〜、××になる」
といわれてもさっぱり分からない。
キューブのポケモンのゲームソフトをあまりに欲しがるので、仕方なく根負けして誕生日に買ってあげたのだが、これがRPGゲームなのでちっとも先に進めず、ずっと同じところをぐるぐる回ってそのうち怒り出すしまつ。見ているうちに可哀想にもなり、仕方なく私が進めてやることになった。(ちなみにお父さんはゲームオンチ)
分かる人にはお分かりでしょうが「ダークルギア」というソフト。 攻略本買いました。自分用に←ないとやれません。 おかげで、私はポケモンに詳しいオバサンになりました(^^;)
しかし、攻略本さえあれば大丈夫と思ったのが甘かった。ポケモンの一つ一つの特徴や細かいデータを知らないと駄目だということにしばらくして気が付いた。
海渡に教えるには、あまりにも複雑するということも分かった。 ゲームの進め方、対戦の仕方も海渡には分からないだろう。
まあ、いいか適当で・・・・←いいのか?
はぁ(溜息) ポケモンっていつアニメが終わるんでしょうか。 いつかそのうち卒業できるもんでしょうか。
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■ 先は長い・・・・ |
2005年10月24日(月) |
海渡は紐結びができない。 ちょうちょ結びはもちろんのこと、かた結びもできない・・・・というか、やらせたことがないというのが正しいかも。 だいたい、生活の中で紐を結ぶというシチュエーションがない。 運動靴はマジックテープだし、小学校の給食のエプロンは前ボタン、頭はシャワーキャップのような帽子だし、上靴も体育館シューズもそのまま履けるバレーシューズだ。
中学校の給食エプロンも小学校同様に紐結びが不要なタイプだし、上履きなんかつっかけサンダルなので小学校のバレーシューズを履くよりも簡単だ。体育館シューズは・・・
そうだ、体育館シューズは紐靴だった!
と言うことは、中学に入るまでには紐結びができないと、海渡は中学校で体育館シューズをはくたびに人に靴の紐を結んでもらわなければならないということになってしまう。 夫にそのことを言うと、
「そんなもん、紐じゃない靴にしてもらえばいいんじゃないか?」
と言う。実は、ある先輩ママからも同じことを言われた。紐靴じゃなくてもマジックテープやバレーシューズタイプを履けばいいこと・・・と。それを聞いたときは、そうか、そういう考えもアリかなと思ったけれど、できないよりはできたほうがいいんじゃないかとも思う。 大人になってからはどうなんだろう?
実は夫は普段は精神障害者の作業所の指導員をしているのだが、週末は知的障害者のヘルパーとしてアルバイトもしていて、大人のダウン症の人と接する機会がある。大人のダウン症の人たちは紐結びができるのかどうか聞いてみた。
「担当したことのある○○君は、頭のバンダナ結ぶのできなかったなぁ」
ダウン症は指先の筋肉も弱く、不器用な人が多いので紐結ぶはたぶん苦手な人が多いのだと思う。つまり、海渡もこのままでは紐が結べない大人になる可能性もある。
今度は、養護学校に通っているダウン症の子どもを持つ友人に紐が結べるかどうか尋ねてみたところ、なんと彼女の子どもは紐結びができるという。ちなみに手帳の判定で言うと最重度のダウンちゃんである。
「す、すごい!」 「すごいでしょ〜(^^)」
何でも、養護学校では小学部1年から「紐結び」の練習があるんだそうだ。 入学当初はマジックテープの給食エプロンを、ある学年になるとわざわざ紐を縫い付けて、後ろで結ぶ練習をするんだとか。さすが養護学校!
と感心していてもなんなので、まあ時期を見て海渡もチャレンジしてみようかなぁと思いつつ、マジックテープでいいじゃない?という思いもチラっと(苦笑)
まあ無理強いせず、いざとなったらマジックテープもアリだしという気持ちで時期を見て教えてみることにしよう。 普通の子どもならいつの間にかできていることが、障害があるがゆえに根気良く教えないと身に付かないことが、実は他にもたくさんある。
ズボンのホック、名札などの安全ピンの付け外し、ジャンパーなどのファスナーの最初の部分、裏返しになった洋服の戻し方・・・
中学は学生服なので、カッターシャツの細かいボタンや学生服の固いボタンかけ、ズボンのチャックやホックも手早くできるようにならないと。こういうのは、意識して練習させないと本当にできないままになりそう(汗) まだあと3年ある・・・いや、もう3年しかない?
洋服がたためるくらいで満足していてはいけないのだ。先は長い。
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長女は中学3年生。最後の学校祭も終わり、ただいま中間試験の真っ最中。 この間、クラスのみんなで卒業写真をどんなものにするかの話し合いがあったそうだ。
その話し合いから、男子と女子と制服を取り替えて卒業写真を撮ろうということになったらしい。まったく、どこからそんな発想が出てくるんだろう???? 女子はともかく男子がよく納得したものだ。
だって、セーラー服ですよ、セーラー服!
サイズが近い子男子と女子が交換することになったと言う(そりゃそうだろうねぇ)。 そのとき、ふと「K君」のことが気になった。
「K君」は、特殊学級に在籍する子で主要な教科以外は普通学級で過ごしている。娘の話にもよく登場する「K君」。彼がごく当たり前にクラスメイトとして存在し、みんなの中に溶け込んでいるのは毎日の娘の話からもよくわかる。そんな娘の話を他人の子どものことなのに時には嬉しかったり、時にはホッとしたりしながら聞いている。
制服を交換すると聞いて、ちょっと気になって恐る恐る娘に
「ねぇ、K君の制服も誰か女の子と交換するの? その子、イヤだとか言わなかった?」
と聞いてみた。
「なんで? ○○ちゃんと交換するよ」
いともあっさり答えた娘。そうだよね、変なこと聞いてごめん。
「K君は幸せだよね」
「はあ?」
娘は「何言ってるの?」と言いたげな顔で自分の部屋へ戻って行った。
長女のクラスは小さなトラブルはありながらも、男子も女子もみんな仲が良く、まとまっている。不登校気味の子もいるのだが、学校祭にはその子の分の衣装もみんなで作ったり、「K君」の授業中の突拍子も無い「発言」に盛り上がったり、話を聞いていても本当にみんなが助け合い、認め合うという雰囲気がある。
そんな中で3年間過ごすことができた「K君」、よそ様の子どもさんながら本当に良かったねぇと思う。海渡もそんな中学校生活が送れたら・・・・・
私はいつも娘の「K君」の話に海渡を重ね合わせている。
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海渡は支援費制度の居宅介護を利用して、たくさんのヘルパーさんのお世話になっている。今までお世話になったヘルパーさんをざっと数えたら10人以上になり、改めていろんな人にかかわってもらって来たんだなぁと実感する。
海渡の場合、2か所の事業所と契約しており、目的や場所によって使い分けている。片方は社会福祉法人が運営している事業所で、もう片方はNPO法人が運営しており、それぞれに特色がある。
主に放課後活動を目的として週3日ヘルパーさんに来てもらい、3日のうちの1日は自宅か公園で、あとの2日は地域の児童館で遊んでもらっている。これはすべて親である私が考えたことであり、海渡自身の意志ではない。
けれどある日、もしかしてこれは海渡の気持ちとしてはどうなんだろう・・・と思うことがあった。
ヘルパーさんが来る日は、朝、海渡にあらかじめ伝えておく。
「今日は、ヘルパーの○○さんが来てくれるよ」
ところが、どうも海渡の反応が今ひとつ・・・。もともと、朝はエンジンのかかりが遅く、テンションも低めでボーっとしているのだが、それにしてもあまりに反応が無いので、もしかして嬉しくないのか?負担なのか?とあれこれ悩む日が続いていた。
自宅にヘルパーさんが来ても、それほど大喜びするわけでもなく、かと言って嫌がる風でもない。ヘルパーさんが来ることに慣れてしまっているのかもしれない。 海渡はけっこうポーカーフェイスのところがあるので、表情だけ見ていると嬉しいんだか嬉しくないんだか理解不能のこともあるので、意外と知らん顔しながら喜んでいるのかもしれない。
そこで、児童館から一緒に帰ってきたヘルパーさんにそれとなく様子を聞いてみると、もう元気いっぱい児童館の中で遊び、動き回っていて、帰るのを嫌がることもあると言う。 また、学校でもヘルパーさんが今日来てくれるんだね、という話を先生がするととても嬉しそうに「そうだよ!」と返事をするというお話もあった。
何だ・・・取り越し苦労だったのね(^^;)
はじめのうちは、いつもと違うヘルパーさんだと緊張したり、なかなか打ち解けてくれなかったりもあったようだけれど、これだけいろんなヘルパーさんと関わっていると、だんだんと見慣れないヘルパーさんが来ても平気になってきているようで、人が変われば遊び方も違い、それはそれで楽しいのかもしれない。
親と離れて第三者と過ごすことは自立に向けての一歩の一つ、大人になってから親以外の人と動かなければならなくなったときに、拒絶反応を示したり、嫌がって何もできなくなってしまっては困るという思いから、子どものうちに他人(ヘルパーさん)と関わっていくことに慣れてほしいと思って始めてみた支援費制度、今のところ大正解だったと思う。
それに、どうしても家に閉じこもりがちになる放課後、ヘルパーさんとなら家のそばの公園だけじゃなく、いろんな場所に遊びに行けるし、他の子どもたちとの関わりも増えて良かったと思っている。
ただ、障害者自立支援法の成立に伴い、どこまで今までと同じように利用していけるのか、不安も多い。使いづらくなったり、今以上に負担額が増える(しかも今度の法案は障害者本人から1割負担させようとしている=支払う能力がないとサービスは受けれない!)ようなら利用する回数を減らしたり制限することもあり得る。こんなの改正じゃないと思うのは私だけだろうか。
今はただ、このヘルパーさんたちとの関わりがずっとこの先も続くことを願っている。
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■ 久しぶりの学校で |
2005年10月13日(木) |
授業参観のため、久しぶりに小学校へ行きました。 最近は、通学団について小学校へ行くこともなくなり、2学期になって初めて教室まで入っていきました。
授業参観が体育だったので、体育館で参観。その後、気づくと海渡の姿がありません。 障害児学級へ見に行くと、先生と二人着替えをしているところでした。そばのテーブルの上にはきれいにたたまれた海渡の洋服が。
聞けば、海渡が自分で丁寧にたたんだのだとか!
正直言って、家でそんな姿を見たことは無いデス。 やるときはやるのね!とちょっと我が子を見直しました。
帰りの会をするために普通学級へ戻り、自分の席に座る海渡を見ていると、なんだかしばらく見ないうちに落ち着いてきたなぁと実感しました。先生のお話を聞いているのかいないのかはわかりませんが(多分聞いてない?)、配られるプリントを誰に言われるでもなく半分に折ってランドセルにしまったりしていました。
何でもないようなことなんだけど、ちょっぴり嬉しい母でした。
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