■ がちゃがちゃぱん |
2005年04月26日(火) |
夕方のこと、海渡が
「きょう、がちゃがちゃぱん、やるよ」
と言った。
「がちゃがちゃ・・・ぱん?」
「ちがう、がちゃがちゃぱん!!!」
何だろう? 何だろう? ぱん? ガチャガチャ?
うーーーんと、悩んで悩んで分かった。 毎週、火曜日7時からのアニメ 「焼きたて!!じゃパン」 のことだった。
「焼きたて!!じゃパン」がなぜ 「がちゃがちゃぱん」 になっちゃうのか不思議。
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■ ヘルパーさんといっしょ お留守番編 |
2005年04月21日(木) |
授業参観の日、海渡は参観終了後、迎えに来たヘルパーさんと帰宅した。 この春から、支援費制度の児童居宅介護等事業を利用して、ホームヘルパーさんに時々来てもらっている。
ヘルパーステーションに電話1本すればヘルパーさんが来てくれるこの支援費制度。利用できるようになるまでには、手続きがいろいろと必要で、面倒だった。
まず、役所に受給者証の申請をしなければいけない。担当者と本人(海渡)が面接をして、どれくらいの時間が必要かを設定する。この時間の設定というのが、難しい。
児童居宅介護には、身体介護と移動介護などがあり、身体介護は食事や排泄の介護(補助)、移動介護は外出時の介護(補助)となっている。 海渡の場合、まだ食事や排泄の後始末が完全に一人ではできないこともあり身体介護が必要で、身体介護有りの移動介護を申請することにした。身体介護と移動介護にそれぞれ一ヶ月何時間必要かと言われても、どう決めればいいのかさっぱりわからなかった。
結局、役所の人に時間を設定してもらった。この時間の設定の仕方は、使い方や子どもの状態、役所の人の判断ひとつでいろいろ・・・らしい。地域によって、同じように申請してももらえた時間が倍違っていたりする。 とりあえず、海渡が申請できたのは、身体介護有りの移動介護と、短期入所(ショートステイ)。
次に、利用する事業所を自分で探さなければならない。これがけっこう大変。どこの事業所がどういいのか、どんなヘルパーさんがいるのか、まったく分からないのだ。Webサイトがあって、どんなヘルパーさんがいるのか紹介されているとものすごく参考になるのだけれど、なかなかそんなところは少ない。だいたい事業所自体がこんな田舎にはものすごく少ないのだ。仕方がないので、利用したことのあるほかの障害児をもつお母さんからの情報を頼りに、少ない中から選んでいるのが実情。事業所がなんとか決まったら、電話予約をして受給者証を持って契約に行く。
ここでも、本人と面接をしてどんな常態か細かくチェックする。契約を結んだら、いよいよ利用可能となる。私の場合は、利用する1週間くらい前に電話で連絡をして、ヘルパーさんを派遣してもらうパターンが多い。
授業参観の日は、小学校へヘルパーさんに迎えに来てもらい、他の子どもたちにもヘルパーさんのことを知ってもらえることを考えて、一斉下校で一緒に帰ってもらった。学校へ迎えに来てもらうのは初めてのことだったので、PTA総会の前で忙しい中、先生方にヘルパーさんと会っていただいた。
海渡がヘルパーさんと一緒に帰ってくれて、私はPTA総会や学級懇談会にゆっくり参加できるようになった。1年生や2年生の頃は私のそばですわらせて待たせたり、職員室で先生に見ていてもらったりしたので、いろいろ気になっていたのだ。
帰宅すると、海渡はヘルパーさんといっしょに、ななんと洗濯物をたたんでいた・・・・か、家族中のパンツもあるというのに・・・・ まさか、こんなことをしているとは思いもしなかったので、学校へ行く前に洗濯物を取り込んでたたんでおくべきだったと後悔・・・。
ヘルパーさんは、お孫さんもみえる女性で海渡にとってはおばあちゃんに近い感覚らしい。初めて会って、まだ3回目だけれど、すっかり慣れて来てくれる日はとても喜んでいるので、この先もどんどん、ヘルパーさんに助けていただこうと思っている。
始まって2年しか経っていない支援費制度は、実は早くも財政不足で破綻寸前。今後は介護保険と一緒になるとか、本人の負担額が増えるとか、不安も限りなくある。 でも、とにかく使わなければその必要性も認められないし、不備の改善もされていかないので、今後もどんどん使い続けるつもり。
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3年生になって初めての授業参観があった。 科目は社会科。3年生になると生活科が社会と理科に分かれる。
社会と理科・・・難しそうだなぁ、海渡はどこまで授業聞けるかなと、心配していたら、連絡帳に、今日の社会の授業参観に、1、2年生で図工の授業で海渡の補助だったI先生がついてくださると書いてあった。
41人いるからT.Tになるのかなと思っていたら、教室でI先生から「海ちゃんの補助です」と聞いて、びっくり。廊下で特殊学級の担任の先生から、社会と理科はずっとI先生が海渡の補助に入ってくださると聞いて、さらにびっくり。おまけにI先生が補助につけない科目は転任してみえたばかりの教務主任の先生がついてくださるそうで、つまり、海渡が普通学級で授業を受けるときは、必ず誰か先生が海渡の補助についてくださるということがわかった。
黒板の前で先生がお話することは、テンポが早く、話の内容も難しくて海渡ひとりだと半分も理解できない。きっと5分もしないうちに海渡はみんなについていけなくなっていたと思う。
でも、補助の先生がわかりやすく、今先生がお話していること、みんなに指示していることを海渡を教えてくれて、海渡も積極的に補助の先生の言うことに耳を傾け、授業に取り組んでいた。
補助の先生のおかげで、みんなと同じように授業に参加できて、課題に取り組めた海渡は廊下で見ていた私に、自信満々の笑顔でクレヨンで書き上げた地図を見せてくれた。
3年生になっていろいろ数え上げていた不安がすーーっと消えるような気がして、ホッとすると同時に海渡一人のためにここまで配慮してくださった学校に本当に感謝している。
良かったねぇ、海ちゃん。
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海渡は3年生になった。
3年生になって・・・・ 普通学級の担任の先生が替わったこと。 普通学級の教室が違う棟の校舎になったこと。 普通学級と特殊学級の場所がうんと離れてしまったこと。 ランドセルを置く場所が特殊学級から普通学級になったこと。 校長先生が替わったこと。
どれだけ海渡に理解できるのかなと思ったけれど、意外にもすんなりとこれらの変化を受け止めて、受け入れているようだ。
2年生の終わりに、特殊学級を校舎が違う普通学級のそばへ移してもらえるかもしれないという話もあったけれど、3年生になってみると、そのまま今までと同じ場所だった。でも、ランドセルを普通学級のみんなと同じロッカーに置かせてもらえることになった。
毎朝、普通学級へ行き、朝の会をして国語と算数だけ特殊学級へ教科書を持って、移動している。その他の授業や、給食、帰りの会は普通学級で。
今までのように、息抜きに簡単に特殊学級へ行けなくなってしまって、どうなるんだろうと思ったけれど、今のところ大丈夫なようだ。普通学級の隣が空き教室なので、いざとなったらそこへ行けるのかもしれない。
替わった担任の先生も1、2年生の頃から可愛がってもらっている先生なので、違和感なくなじんでいるようだ。
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