ダウン症の子供は見かけより、いろんなことを理解している・・・というのはよく聞く言葉だ。確かに、実際の年齢より小柄な子が多いので、その分まわりから幼いという印象を受けたり、いつもニコニコしているので何にも理解していないとみられがちなのだと思う。
海渡も、聞いていないようでしっかり聞いていて、見ていないようでしっかり見ていて、さらには出来ないようで本当はちゃんと出来る・・・ということがよくある。
先日、バースデーカードを送ってくださった補助の先生へのお礼のハガキになんと海渡が「せんせい」と何も見ずに書いて、びっくり。自分の名前くらいは何とか書ける(簡単には読めないんだけど)が、それ以外で思ったことを文字に書いたことがなかったので、本当に驚いた。さらに、そのハガキを「これどうするか分かる?」と聞いたら「ポスト」と即答した。 また、新しく買い換えたパジャマが前ボタン式で「ボタン やだな」と言ってなかなか自分でボタンかけをしようとしなかったのに、ある日自分で一生懸命ボタンかけをしている。 私がそれに気づくと、体の向きを変えて隠すようにして悪戦苦闘モード。パジャマのボタンはとても小さくて固めなので、海渡の指の力ではかなり難しい。それでも背中を丸めて真剣な背中?で挑戦している。「できた!」と振り返ったパジャマのボタンは、二個しかかけていなくて、しかも掛け違いでずれていた。でも、めちゃくちゃ得意げな笑顔。
さらに、人の話を全然聞いていない、あるいは理解していないようで、自分勝手なおしゃべりばかりしていたと思ったら、ふいに「え?」と首を突っ込んできたりする。海渡は聞いていないふりをしながら、ちゃんと周りの会話を聞いている。 長男とお寿司の話をしていたら、いきなり振り向いて「ボク とろね」と言ってみたり(笑)とろが何か知らないと思うんだけど・・・・
海渡の本当の力って、どれくらいあるんだろう。 「ボク できない」と言いながら、実はけっこういろいろなことができるような気がする。私の思い込みに過ぎないのかもしれないけれど、周りの大人が思う以上の力が本当はあるのだと思う。
ダウン症の子どもは周りの期待にこたえようと無理をして、ストレスやプレッシャーに押しつぶされてしまうというパターンがよくあると聞く。でも、多分海渡は、自分の力を出し惜しみしつつ、甘えるところはしっかりと甘えながらも、意外なところでちょっぴり実力を披露してみんなをびっくりさせながら、あくまでもマイペースで生きているような気がする(笑)
意外と、したたかで賢いのかも・・・・・(笑)
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今日、海渡がらみの書類のことで役場に出かけた。 書類の手続きをしてもらいながら、海渡の話になって、私が「用事でどこかへ出かけたくても『イヤ』って言うので・・・」と言うと相手の女性職員が
「あら、『イヤ』って言えるんですねぇ」
と感心したように言った。一瞬、返事に困った(苦笑)
『イヤ』どころか、一日中うるさいくらいしゃべって(発音は不明瞭)るんですけど・・・・・。
こういうことは、けっこうよくある。 ダウン症だと聞いただけで何もできない重度の知的障害児と思い込む人もいる。薬を飲んだり、手術で治ると思っている人もいる(先天的な染色体異常なので、何をしても『治る』ということはありません)。障害の程度は人それぞれで、まれだけれど大学を卒業した人もいれば、大人になっても言葉の無い人もいる。
そういえば、海渡の保育園のことで役場に何度も足を運んだとき、当時1歳になるかならないかの海渡を見て、役場の人が「笑うんですねぇ」とか「手が動く」とか感心されたことがあった・・・・・(苦笑) だからそれを思えば今日、役場の女性が「『イヤ』って言えるんですねぇ」と言うのも、理解できないわけではない。意志表示ができるんですね、の意味かもしれない。
でも、やっぱり、あまり気持ちの良いものではない。 それに、役場という行政の中で仕事をしているのなら、療育手帳も持参していて判定も記載されているのだし、もう少しこの判定ならこういうレベルかなという認識はあってもいいんじゃないかなぁとも思う。
いちいちこういうことが気になるのは、スイミングスクールのことがあったりして、私が必要以上に反応しすぎているのかも(苦笑)
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■ 1番好きな先生は・・・・ |
2004年07月27日(火) |
1年生のとき、海渡は特学(特殊学級)の担任の先生が大好きだった。 家の中でも、海渡の口から先生の名前がよく出ていた。
2年生になって、大好きだった特学の先生が転任してしまった。そして、よその小学校から来た先生が新しい担任になった。担任が変っても海渡は前の先生の名前をよく口にした。「海ちゃん、××先生はもういないよ」と言うと「いるよ」と答えていた。しばらくすると前の先生のことを言わなくなってきた。そのかわり、親学級である普通学級の先生(1年から持ち上がり)の名前を口にすることが多くなった。特学の新しい先生の名前を何度教えても、自分からは言おうとしなかった。海渡のなかでは、新しい先生はまだ海渡にとって1番の先生ではなかった。
それでも、1学期も終わり近づく頃、ポツポツと新しい先生の名前が出るようになった。そして、夏休みに入って、たまたま新聞に載っていたどこかの中学校の教室の写真を見て
「がっこう ○○せんせい(特学の担任)」
と言った。初めは何と言っているのか聞き取れなかったのだが、もう一度言うのを聞いたら確かに新しい先生の名前を言っていた。そこで、2年生になってから初めてこの質問をしてみた。
「海ちゃん、学校の先生で誰が一番好き?」
「○○せんせい(特学担任)」
(おぉ!)「じゃ、次は?」
「※※せんせい(普通学級の先生)」
(なるほど)「じゃ、次は?」
「△△せんせい(養護の先生)」
(へぇ〜)「じゃ、次は?」
「こうちょうせんせ」
(え?)「海ちゃん、校長先生好きなの??」
「うん」
ちょっと意外だった(笑)(スミマセン)
海渡の中で、大好きな先生が普通学級の先生から、特学の担任の先生に逆転したらしい。先生に順番をつけちゃいけないんだろうけど、でも、海渡にとって特学の担任の先生は特別な先生であり、一番好きな先生であるということは大きな意味を持っているのだ。
今度の出校日の連絡帳に今日のことを書いたら、先生めちゃくちゃ喜ぶだろうな・・・と今から楽しみだ。
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海渡が生まれてからこれまで、さまざまな「場所」で海渡の受け入れをお願いする場面があったけれど、思い返してみるとそのほとんどで拒否されていることに気づいた。
1歳のとき、家から一番近い保育園で入園を断られたのが初めての受け入れ拒否だった。保育園側が言う断りの理由は、以前、ダウン症の子どもを受け入れたことがあるが、とても大変だった・・・というものだった。おまけに、保育園を管轄している役場の偉い人に呼び出され「障害児は回りに迷惑をかける」と言われた。
小学校就学では、特殊学級がないという理由で、遠まわしに学区外の小学校へ行かれてはと言われた(その後いろいろあって、無事特殊学級を新設してもらって入学することができた)。
やっと小学校に入学できたと思ったら、今度は学童で障害を理由に断られた。30人定員のところ登録児童が7人しかおらず、指導員が2人いて、子どもは普段は3〜4人くらいしかいない。でも、見ていられないから・・・というのが受け入れできない理由だった。知っているよその子どもさんがきょうだいそろって学童に入ったというのを聞くと、普通の子どもは電話一つですぐに入れるんだなぁと思ったものだった。
そして、今回のスイミングスクール。 はっきりと受け入れを断られたわけではないけれど、私にとっては同じことだった。
時々、健常者の世界には、海渡の居場所はないのかなと思うことがある。
ノーマライゼーションとかバリアーフリーとか、耳障りの良い言葉がどんどん増えてきているけれど、実際はこんなもの。まだまだ、障害を持った子どもが健常の子どもと同じように暮らせる社会ではないのだ。
以前、海渡を連れて散歩に行ったり、スーパーに行ったりしているのを見た児童相談所の先生に
「今のお母さん方は立派ですよね。(障害のある)お子さんとどんどん外へ出ている。以前は、家の中から出さなかったものです」
と言われて、目が点になったことがあった。自分の子供連れて歩くのは普通のこと。それを立派だとか偉いとか言われてもちっとも嬉しくなかった。
それでも、何年か経つうちに町の保育園のうち1ヶ所だけが障害児を受け入れたり(1箇所だけじゃ困るんですが)、役場の対応も徐々に理解を示してくれるようにはなってきて、それなりにノーマライゼーションの風を微風ながら感じることもある。
私にできることは何なのかと考えるとき、やっぱり海渡と普通に暮らしていくこと、笑顔で毎日を楽しく暮らすことなんじゃないかなぁと思う。それができないこともあるんで矛盾しているようだけれど、ごく普通の暮らしをしていることで、障害を持っていてもそれが当たり前のことであり、当たり前に暮らせるし、当たり前に暮らしたいんだよということを身をもって示していくしかないのだと思う。
障害を持った子供達が、当たり前に保育園、小学校、学童、お稽古事に行ける世の中になってほしい。
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■ 素直になれなくて・・・・・ |
2004年07月23日(金) |
・・・なんてシカゴの曲が昔あったけど、近頃の海渡はまさにこの心情らしい。
何だか知らないけれど、反抗的。言うこときかない。 言われていることはわかっているけど、どうも素直になれないらしい。
例えば、テレビの前でコーラを飲んで、そのまま空のコップをそばに置いたので「コップ、台所に戻してきてね」と言っても、絶対に持っていかない。返事もしない。もう一度言われても、知らん顔。「持って行きなさいよ(怒)」ときつく言っても、それでも持っていかない。 そしてだいぶたって、台所で洗い物をしていると、いつの間にか海渡がそばにやってきて、コップを突き出して無言で立っている。コップを持っていかなきゃいけないということはわかっているのだ。
さっきは、エアコンがきいているのにベランダのサッシを開けたままにしたので「海ちゃん、ベランダ閉めてね」と言ったら、知らん顔。姉も熱風が入るので「海ちゃん、閉めてよ」と抗議するが、無視。ダイニングの椅子に座って電卓を触っているので、「海ちゃん、言われたことわかっているでしょう?ちゃんと閉めてきてちょうだい」と電卓を取り上げた。するとムッとして、そばの鏡に手を伸ばした。鏡を取り上げると、今度はフキンをつかんで見つめている。
こちらも意地になって知らん顔していたら、少しして立ち上がってベランダのサッシをそっと閉めていた。まったく、素直じゃないんだから・・・・。でも、ちょっと可愛い・・・・(笑)
それにしても、ちょっと注意されるとぷいっと黙って家から出て行ってしまうし、それを叱るとまたふくれっつらするし、本当にやりにくくなってきた。この間は、ビデオを借りて、まっすぐ家に帰らずにランチに寄ったら機嫌悪くなってテーブルの下に潜り込み、大好きなお子様ランチが来たのに素直に出てこれなくなって、食べ損なったこともあった。
知的には幼くても、気持ちは8歳の海渡。 8歳の男の子って、こんなもんなのかな。 これも一つの成長の証なんだろうか・・・・。
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先生によって通知表がこんなに違うとは思ってもみなかった。 昨年は、通知表を開くと左側に紙が一枚貼ってあって、各教科の所見が書かれていて、右側は真っ白という通知表だった。あらかじめ「右側には何も書いてませんから」というのは聞いていたけれど、実際見てみるとちょっぴり淋しいものだった。この真っ白な右側に何かほんの少し、書いてくれれば・・・・と思ったものだった。先生のマメさとか性格もあるんでしょうね。
今年の通知表は、左側は教科の所見(教科数が少なくなっていたが)なのは変わりないけれど、右側にもいろいろな項目があり、何より身辺自立に対する達成度の欄があったのが嬉しかった。まだ○がつく項目が少なかったけれど、どういう身辺自立に関する遅れがあるかよくわかってありがたかった。
それから、今年は夏休みの宿題が出た。 昨年は期待に反して何もなかったので、40日間遊んでいるわけにもいかず、ドリルやワークを私と夫で選んで買ってやらせ、それを始業式に提出した。先生から何かコメントがあるかと思ったが、サインも何もなく、やっぱりちょっぴり淋しい思いをした。
今年の宿題は、先生がワークなどから選んでコピーして、海渡用に表紙を作って閉じてくださったものだった。自分専用というのが嬉しいらしく、また表紙のスイカを食べている男の子のイラストが気に入ったようで、ニコニコ笑顔で見せてくれた。
そして、朝「○○先生の宿題やるよ」というと、張り切って取り組んでくれている(今のところ)。私が買い与えたワークよりも、先生が作ってくれた宿題のほうがそれは嬉しいでしょう。先生が○付けもしてくれることを知っているので、提出する楽しみもあるのだと思う。
子どものやる気は、こういう風に生まれるんだなぁとあらためて思う。
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今朝10時、海渡の特殊学級の担任の先生から電話がありました。 夏休みなのに何だろうと思っていると、海渡に代わってほしいということでした。
海渡は神妙な顔をして受話器を耳にあてていましたが、しばらくして「はい。おかあさん」と受話器を私に手渡してくれました。私が代わると
「今日は、海渡くんのお誕生日ですから・・・」
昨日の連絡帳にもお祝いメッセージが書いてありましたが、きっとどうしても当日、海渡に伝えてあげたいと思ってくださったのでしょう。海渡は学校の先生からの電話ということでちょっと緊張した顔で受話器を握っていましたが、いったいどんな言葉をかけてもらったのでしょう。 1歳から通った保育園から数えて7年間、先生から誕生日のお祝いの電話をいただいたのは初めてのことでした。
今日は、海渡の8回目の誕生日です。 朝、まだ眠っている海渡に「おめでとう」と言いました。
海渡が生まれたのも、今日と同じくらい暑い夏の早朝でした。 幸せの中にいたのは1日だけで、翌日にはダウン症の告知がありました。 その瞬間、映画のワンシーンのように、時間が止まりました。言葉を失った私たち夫婦に、若いドクターがゆっくりと言葉を選びながら、丁寧にダウン症について話してくれました。
あの日から、8年が過ぎました。 悲しいこと辛いこと、たくさんの涙、確かにあったはずだけれど、海渡の笑顔を見るとそれらはすべて夢のことのように思えます。なぜあんなに泣いたのだろう、なぜあんなに哀しかったのだろうと、不思議な気持ちにすらなります。あの頃の哀しみすべてを喜びに変えてくれるほどに海渡の存在は大きなものであり、かけがえのない大切なもの。
元気にここまで大きくなってくれて本当にありがとう。
そして、先生、わざわざありがとうございました。
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■ スイミングスクール |
2004年07月20日(火) |
今日、ホームセンターに行ったら、隣接するフィットネスクラブのキッズ向けスイミングスクール無料体験募集中のポスターが目に留まった。前々からスイミングに興味があったのでダメ元で受付に行き
「ダウン症という障害があるんですけど、障害を持っていると入会できませんか」
と聞いてみた。意外にも返事は
「そんなことないですよ。他にも障害を持った子どもさんがいますよ」
ということで、入会金の話やら購入するものの話まで進み、とりあえず無料体験に来てくださいということになり、日にちも決まった。 そして、そういうお子さんなら人数の少ないクラスのほうがいいですね、と嬉しい配慮までしてくれて事務所に連絡してくれたのだが、そのときに事務所の方から一度話を伺いたいと言われた。
受付で障害のある子もいると言うのはどうも、心臓に障害がある子がいるということだったらしく、ダウン症の子をみるのは初めてなので、話を聞きたいということだった。要するに知的障害児が初めてということで不安なのかな、だったら当然かもしれないと思い、合併症はないこと、簡単な会話ならできること、多動でないこと、集団行動は取れることなど話した。すると
「目つきや表情はどうなんでしょうか」
というようなことを言う。初め、何を聞きたいのか「?」で、視線がきちんと合うのか、表情で感情を表現できるのか(コミュニケーション?)ということかと思い
「視線は合います。よほど怖い先生でないかぎり、普通に子どもが好きな先生ならコミュニケーションは取れると思いますけど」と言うと、
「コーチたちはダウン病(正しくは症・症候群)のことを誰も知らなくて、なんか目つきや表情が違うらしいと言うんですが・・・あの、その、いじめる子や乱暴な子もいますし・・・」
と、ここまで聞いて、ダウン症特有の顔のことを言っているのだと分かった。つまり、ダウン症特有の目つきや顔の表情が普通と違うのが不安なのかイヤなのか、海渡の顔を見て他の子がいじめると困るということなのか、鈍い私もだんだん不愉快な気分になってきた。そして、再度顔のことを言うので、海渡の写真が貼ってある療育手帳を見せた。障害者割引以外で、アカの他人に手帳を見せるのは初めてだ。手にとってそれを見て
「無料体験する前に、一度ご本人さんも見学してもらって、それから無料体験されてはどうですか?」
と言う。
入会するまえにどんなものか知るための無料体験なのに、それの前にまた見学というのは、これって遠まわしに「遠慮してほしい」ということだろうか。それとも一度どんな顔なのか、本人を見てみたいということだろうか。
スイミングは顔で泳ぐのか? 顔が普通じゃないといけないのか? 顔のせいでいじめられるのか?
私の頭の中はそんな言葉がエンドレスでぐるぐる〜。 自慢じゃないが海渡は「きゃー、海ちゃん、可愛い!」と上級生の女の子に言われている。顔が変だとか、目つきが変だとかは言われたことはない。もっとも私がそう思っているだけで、海渡の顔が変だと思っている人はいるのかもしれないが・・・・。
なんか家に帰ってから怒りがこみ上げてきて、もう無料体験もやめようか、それとも堂々と見学→無料体験→入会しようかと悩んでいる。 ま、海渡に合わないと思ったら入会はもちろんナシなんだけれど・・・
今まで、海渡がダウン症ということでいろいろと辛いこと、悲しいこと、腹の立つことがあったけれど、今回のことはそのベスト3に入るかもしれない(爆)
こんなことを考えながらさてどうしようかと思案中・・・
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暑さを避けて夕方公園へ遊びに出た海渡を、6時過ぎに迎えに行った。 固定されたゆりかごに乗っていたのは、海渡と同じクラスの男の子3人。 話をしているうちに海渡の兄のことから高校の話になり、男の子の一人が
「ボク、もうどこの高校行くか、決めてあるんだ」
と言う。小学2年生で?びっくりしてどこの高校?と聞くと
「愛工大名電!」
ときっぱり(笑) そう、ここは野球王国愛知(笑)
「そうか、野球やりたいんだね、イチローも出てるしね名電」
「うん。中京もあるけどさ」
そうかぁ、もう将来の夢を持って、進路まで考えている子もいるんだ。
昔、海渡がまだ赤ちゃんだった頃、ケーキ屋さんになるのが夢だと言っていた長女に
「ケーキ屋さんになったら、海ちゃんを助手にしてあげてね」
と冗談交じりで言ったことがある。そうしたら、当時幼稚園年長か小学校1年生くらいだった長女に
「なんで? 海ちゃんは自分がやりたいことは自分で決めるよ!」
と言われて、ハッとしたことを覚えている。
自分がやりたいことは自分で決める。 自分の夢は自分で決める。
そうだよねぇ。海渡には海渡の夢があるんだよね、親が勝手に決めてはいけないし、逆に可能性を摘むようなことをしてもいけない。
海渡の夢はなんなのだろう・・・・・今の海渡からは全く想像がつかないけれど、いつの日か、海渡が何になりたいと言っても「叶うといいね」と言ってあげたい。
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7月21日は海渡の8回目の誕生日。 1ヶ月以上前からプレゼントは何がいいか聞いているのですが、そのたびに違うものが出てきます(苦笑)
今までのプレゼント候補としては
カービィかドンキーコンガ2のソフト アイトーイカメラとソフトどれか 「おかあさんといっしょ」のファミリーコンサートビデオ
この中で、海渡が一番今欲しがっているのが「おかあさんといっしょ」のビデオなんです。NHKのお子様向け番組のキャラがほとんど出ているステージのコンサートビデオで、海渡は「ぐーちょこらんたん、ぐーちょこらんたん」とうるさい(苦笑)
ゲームのソフトに比べればちょっぴり安いし、歌やダンスを覚えてくれるし、これでいいかなぁ・・・と思いつつ、8歳という年齢を考えるとちょっとあまりに低年齢向けでうーんと考える部分もちょっとあります。
でも、実年齢8歳でも知的には3歳ちょっとなわけで、そう考えるとピッタリなんでしょうねぇ。レンタルビデオを借りるときもファミリーコンサートのビデオばかり借りている海渡。歌も台詞もダンスもギャグも全部覚えてしまって、一人舞台を見せてくれています(外でやられるとちょっと困る)。
・・・といろいろ考えたんですが、本日「Amazon.co.jp」にて注文しました。夏休み中はこれで歌いまくり、踊りまくってダイエットしてくれることを期待しています(笑)
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■ 授業参観と学級懇談会 |
2004年07月09日(金) |
今日は、特殊学級での授業参観。 授業前、保健室で友達と遊んでいた海渡は、ピンクのブタのぬいぐるみを抱っこしていました。連絡帳にも書いてあったのですが、なぜかこのピンクのブタのぬいぐるみがお気に入りだそうです。
授業が始まるのでブタのぬいぐるみをもとあったところへ戻して教室へやってきたのはいいのですが、ご機嫌ななめ。どうも、ブタのぬいぐるみを取り上げられたことが原因らしいので、取りに行って一緒に勉強することにしたら急に元気になりました。
数字を書いたカードを使った算数のカルタをしました。「6」と「9」がなかなか区別がつかなかったのに、今日はほとんどわかるようになっていました。また、時計や月を意識して12までの数を教えているのですが、10から12までもきちんと分かるようでした。
ひらがなのカルタを使っての言葉作りも意欲的に取り組んでいて、気づいたら30分間も集中して勉強していたことになり、びっくりしました。海渡の集中力はせいぜい10分か15分くらいと思っていたので、教材ややり方次第でこんなに長いこと集中できるんだと思いました。そばで見守っていてくれたピンクのブタのぬいぐるみのおかげかもしれません(笑) 先生との息もぴったりあってきて、先生を信頼している様子もみえました。
授業参観のあとは、普通学級で学級懇談会です。他の子供達は一斉下校ですが、海渡は一人で家にいるわけにもいかないので私と残ることにしたのですが、なぜかみんなと帰れないと知るやしくしくと泣き出してしまいました。でも、特学の先生が職員室へ行こうと誘ってくれたとたんにニコニコ(苦笑)
懇談会では普段のクラスの様子に加えて夏休みの諸注意、お母さん方から子どもに関する相談などでした。算数の勉強が進まないとか、ゲームにあけくれるとか、言うことをちっともきかないとか、そんな子どもらしい内容でした。
私の番が来て、最近海渡の行動範囲が広がって、決められた場所から出て行ってしまうこともあるので、もし、もしも、どこかで一人で困っている海渡を見つけたら一声かけて欲しいというお願いをしました。家に閉じ込めておくわけにもいかず、かといってずっと後をついて歩くわけにもいかず、気をつけてはいるのですが・・・とお願いしました。
もちろん、これで大丈夫一安心というわけではないのですが、やはりお友達のお家の方にはいつどこで助けていただくことになるか分からないので、機会あるごとにこういうお願いをすることはこれからも必要かもしれないと思っています。
懇談会が終わって職員室へ行くと、先生に甘えている海渡がいました。私が小学生の頃は職員室は怖くて苦手なところでしたが、海渡にとっては楽しい遊び場の一つなのかもしれません。羨ましいことです(笑)
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土曜日の午後、海渡と私とお父さんだけで出かけることになりました。 上の子たちの3時のおやつ用に冷蔵庫にシュークリームが入っていたのですが、夕方帰宅してみたら、シュークリームが2個残っていました。
パックにシュークリームは6個入っていました。海渡がいたら、当然シュークリームは一人2つずつ。でも、海渡は私たちと出かけたのだから、3つずつ食べてしまっても良かったのに、海ちゃんの分と上の子たちが残しておいてくれたのでした。
夕食のとき、
「どっちが(兄と姉)、海ちゃんの分も残しておこうと言ったの?」
と聞いたら、娘が
「お兄ちゃん」
と言いました。
やっぱりな、と私(笑)
普段、娘は海渡のことをよく可愛がってくれて遊んでくれるけれど、けっこうドライな面があります。こういう場合、海渡の分まで残しておこうとはあまり考えないタイプです。どうせ、どっかでもっといい物食べてるよと思うらしいのです。(それは結構当たっていますが)
長男は、普段は海渡の相手をわざわざすることはないけれど、こういうときは「海ちゃんの分」を必ず残しておいてくれます。何を分けるにしても、長男は3人分均等に分けます。自分は年上だとか、体が大きいから取り分も多いはずだとかは決して考えません。必ず、3等分。ちなみに、娘は自分の分がなくなると、海渡の分を狙うとんでもないヤツです。
良かったね、海ちゃん、優しい兄ちゃんがいて・・・・・。
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■ 一人でお風呂禁止 |
2004年07月02日(金) |
夜、珍しくお風呂に一人で入るという海渡。 男の子だし、いつか私は一緒に入ることができなくなるのだから、一人で入れるようになれるのなら早いほうがいいと、こういうときは一人で入らせている。十分ではないけれど、体もシャンプーも一人でできるようになって、これならこのさきどんどん一人で入れようかな〜なんて考えていたらとんでもないことになってしまった。
しばらくしてから、お風呂の様子を見に行くと・・・・・
なななんと、シャンプーとボディソープのボトルが口が開いたまま湯船の中で浮かんでいる。お湯は濁った色になって泡だっている。そして、シャンプーとボディソープの入り混じった何ともいえない香りが充満している。確かシャンプーもボディソープも補充したばかりで、満タンに入っていたはず・・・・
「すぐに出なさい!!」
と雷を落とす。シャワーでぬるぬるの体を洗い流し、湯船のお湯を抜いた。
「これじゃあ、パパもママもお兄ちゃんもお姉ちゃんも入れないでしょう!」
居間へ連れて行って、体を拭いている間、お父さんにも叱られて海渡はしゅんとなった。「ごめんなさいは?」と言われると素直に「ごめん・・・さい」と謝った。何度も同じことで叱られているので、こちらも本当に嫌になる。そこで、
「当分の間、一人でお風呂に入ってはいけません」
ということになった。海渡は意味が分かっているのかいないのか、知らん顔している。
「どうして、あんなことしたの?」
と答えを期待せずに聞いたら
「しゃぼんだま」
と言った。そういえば、お風呂に入ったときに時々シャボン玉の容器にシャンプーを入れて一緒にしゃぼん玉で遊ぶことがある。そのときはいつも、小さな容器のシャボン玉液がなくなるとおしまいにしていた。どうやら、海渡はすぐになくなってしまう小さな容器ではなくて、湯船いっぱいにしゃぼん玉液を作りたかったらしい。
シャンプーとボディソープのボトル2本分を湯船に入れたら、きっとたくさんシャボン玉が作れると思ったんだろう。大きくなって、いろんな知恵がついてきたのね・・・・。
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顔の発疹が収まったと思ったら、今度は右足の太ももの裏側に赤い発疹が出ていた。形や大きさがどうも顔と違う。それと、2,3日前から鼻の穴の脇に傷が出来ていて、治りが悪くどうも「とびひ」のような気がするので、またまた皮膚科へ。
顔は毛虫だったけど、足のは他の虫刺されらしい。公園などで草むらの中に入っていくことがあり、そこで刺されたのではないかということ。 また、鼻の穴の脇の傷はやはり「とびひ」だった。ごく小さいので学校もプールもOKということでホッとした。プール大好きの海渡なので、この暑いなか自分だけ入れないというのは可哀相だもんね。
抗生物質の入った飲み薬と塗り薬をもらった。 それにしても、ここのところ肌トラブルがよく続く。顔の発疹のあとはだいぶひいてきたけれど、でも触るとザラザラと発疹の跡が残っている。首や腕、足、体にもあちこちポツポツとあるし、今回の右足の裏側はけっこうひどい。ダウン症児はけっこう皮膚が弱い。海渡はその中でもかなり皮膚は丈夫なほうだと思っていた。でも、毎年この季節になると、あちこちにトラブルが出る。とにかく、蚊や虫に刺されやすく、腫れやすい。皮膚が敏感なようでいて、虫に刺されているということには鈍感なのか、蚊が留まっていても気づかないらしい。夏は虫よけスプレーが必需品の海渡なのに、私が忘れたりして、虫刺されや発疹だらけの海渡の体を見ては「ごめんね」と呟くんだよね・・・・。
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