■ ひとつの言葉の意味 |
2004年05月31日(月) |
数日前の日記で、海渡が何気に「ママ、だいすきだよ」と言ってくれると書きましたが、この「ママ、だいすき」には同じ言葉でありながら、実はその時によって、いろんな意味があります。3パターンくらいあるんですよね、実は・・・ 分かりやすく強引に分けると
「愛情の共有」の場合、 「愛情の確認」の場合、 「不安の解消」の場合・・・みたいな。
「愛情の共有」というのは、前の日記に書いたような「本当に、ママ、大好きだよ・・・」という素直な満ち足りた気持ちそのものの「だいすき」。これはとっても分かりやすく、海渡が言った瞬間、ふんわりとした暖かい空気のオーラに包まれるような感じがします。
「愛情の確認」というのは、海渡がしでかしたイタズラなどで、私が苛立っているときとか、怒っているときとかにそばによって来て「ママ、だいすき」と言います。このときに邪険な態度をとったり無視すると(たいていそうしてしまうことが多いのですが)、その後さらにとんでもないことをしてくれます(泣) なので最終的には海渡を抱きしめてやることで解決します。
「不安の解消」というのは、私が仕事で忙しくて相手にしてあげられないとき、いい加減な中途半端なやり方で相手をしてしまうときに何となく不安げに「ママ、だいすき」と言ってきます。ちょっと「愛情の確認」と似ていますが、微妙に違うんです(苦笑)
長女は私がむっつりしていると、「ママ、怒ってるの?」とはっきり聞いてきました。長男は、何も言わずに擦り寄ってくる子でした。そして、海渡はたったひとつの同じ言葉だけで、私の愛情を確かめたり、自分の気持ちを表現したりします。 海渡にとっての「ママ、だいすき」はいろんな意味のある大事な言葉なんだと思います。そして、この言葉を発するときの海渡の気持ちは、私の想像以上にさまざまな深い思いがあるのだと思います。
言葉や知的にハンディのある子供達は、数少ない語彙を一生懸命駆使して自分の気持ちを訴えたり、相手の気持ちを確かめたりします。自由に言葉を操れない海渡の普段の言葉の使い方を見ているとそれがよく分かります。 そして、もしかしたら「ママ、だいすき」以外にも、いろんな意味や違う意味のある言葉が海渡にはあるのかもしれないと思いました。そして、それらがもしあるとするなら、もっともっとそれらを知りたいと思います。
言葉が言えないときは、表情やしぐさを見てこちらの想像力を総動員して海渡の気持ちを知ろうとしてきましたが、言葉が言えるようになったらそこで安心してしまわずに、今度はその言葉に込められた海渡の気持ちをもっと深く知らなければいけないと思いました。
言霊という言葉がありますが、海渡を含めて子どもたちが発する言葉にはみんな魂があるんだとつくづく思います。
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■ 入ったのか落ちたのか |
2004年05月30日(日) |
日曜日の昼下がり、海渡はうちへ遊びに来た友達と公園に行った。 しばらくして友達が戻ってきて「海ちゃんがいなくなった」と言った。 あらら、また公園から出て行っちゃったのね。
公園に行くと、砂場に穴が掘ってあって、友達が言うには「穴掘ってて、お水が・・・・」と言うと口ごもってどうもはっきりしない。公園を出て毎朝歩く通学路の方へ行ってしまって帰って来ないらしい。
砂場の穴と友達が「水」と言った状況から判断するしかないのだけれど、どうも海渡は水を探しに行ったような気がする。大好きな絵本に砂場に掘った穴に水を入れるというのもあったし、どこからか水たまりがあると思ったのかもしれない。
でも、あいにくここ数日は良いお天気で水たまりなんかない。 あるとすれば「側溝」か「川」だ。まさか川に水を取りには行かないと思うが、万が一を考えるとちょっとゾッとした。
友達が通学路より一本手前の道を指差して「こっちに歩いて行った」と言うので、同じ道を歩いていくとずっと向こう、川の手前の小道からひょっこり海渡が出てきた。しかも、裸足だ。
近寄ると足はどろんこ、運動靴は側溝のそばにやっぱりどろんこになって置いてあった。どうも状況から見て側溝からはいあがったらしい。側溝というのは、深さ数センチほどの生活用水が排出されている小さな水の流れで、一見透き通って見えるが底にはヘドロらしきものや得体の知れない藻のようなものがいっぱい生えていて、はっきり言って汚い。海渡はここへ入ったのか、落ちたのか、どっちからしい。
落ちたのなら、膝や太もも、腕にかすり傷があってもおかしくないのに、無傷のところを見ると、やっぱり靴のまま入ったんだろうなぁ・・・入ったはいいけれどヘドロでぬるぬるドロドロで気持ち悪くなって出て、どろんこになって濡れた靴を脱いで歩いていたところを私に見つかったということか・・・。
「海ちゃん、水に入ってはいけません。汚い水を触るのもダメです。分かった?」
海渡は、黙ったまま。もしかしてと思い
「それとも、落ちちゃったの?」
と聞いても黙ったまま。やっぱり入ったんだろうなぁ・・・・ああ。
でも、川でなくて本当に良かった。
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■ 初めて友達の家へ・・・ |
2004年05月29日(土) |
この間のこと、海渡は多分、生まれて初めてひとりで友達の家に遊びに行ってしまった。と言っても、誘われるまま同じマンションのその子の家に上がりこんでしまったんだけど、それでも友達の家に行くというのは海渡にとってははじめての経験。
公園で同じクラスの女の子と二人で遊んでいたはずなのに、ベランダから見たらいないので同じマンションのその女の子の家に聞きに行ったら、ちゃっかりあがり込んでその子のお兄ちゃんたちとゲームをしていた。
お母さんが「いいよいいよ、このままもっと遊んで行けば?」と心温かい言葉をかけてくれたけれど、初めてのことでもあるし、興奮しておもらしすると困るので(苦笑)、今回はこのまま連れて帰ることにした。
呼ばれて部屋からすんなりと出てきた海渡に「おじゃましました、は?」と言うと
「・・・・・ました」
とはにかみながら頭を下げた。
すぐ階下の自分の家に戻るあいだ、やはり初めてのことで嬉しかったのかやけにニコニコとハイテンション。
「海ちゃん、おもしろかった?」
「うん」
「何して遊んだの?」
「ゲーム」(コントローラを操作する手振り)
「良かったね」
「うん」
海渡は嬉しいとぴょんぴょんと跳ねるクセがある。このときもずっと私の手を握りながら、ぴょんぴょんとウサギのように跳ねていた。
海渡は多分、ずっと以前から友達の家に遊びに行きたいと思っていたんだろうな。 友達がうちへ遊びに来てくれることはよくあるけれど、今度は友達の家で遊ばせてもらってもいいのかな? きちんと挨拶ができるか、おしっこがしたくなったとき、ちゃんと言えるのか、時間になったら帰ってこられるのか(迎えに行けばすむことだけど)、迷惑をかけるようなことをしないだろうか、不安はいろいろあるけれど、友達のおうちの方にも協力をお願いして、少しずつ海渡の世界を広げてあげたいと思う。
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中2の長女の授業参観に行くには海渡を連れていかねばならない。 長女が小学校のときは、海渡も当たり前のように連れていき、長女の友達や先生方から可愛がられていたけれど、中学は他の小学校から来ている子も多いので半数以上は海渡のことを知らない。ちょっと不安・・・・
「授業参観に海ちゃんも連れて行っていい?」
と長女に聞くと
「いいよ。どうして聞くの?」
との答え。難しいお年頃だし、小学校とは違うのでどうかなと思ったんだけど、考えすぎだったみたい。
2時に車で小学校へ海渡を迎えに行き、そのまま中学校へ直行。やっぱりつまらなかった社会科の授業参観(笑) 海渡も授業中はつまらなさそうに廊下に座っていたけれど、授業が終わると女の子たちに囲まれて「かわいい〜」とチヤホヤされてご機嫌。その中には海渡のことを知らなかった女の子たちもいて、何となくホッとした。その後、海渡は中学校の帰りの会(というのか?)を廊下側の窓から顔だけ乗せて興味深そうに最後まで見ていた。
部活動参観まで見て、「まりちゃん、いた」とご機嫌でした。良かった。 でも、やっぱり海渡をつれての参観は気を使うし、さっさと移動できないし、疲れるわ。
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■ ある日の夕食時の会話 |
2004年05月27日(木) |
「あさって、授業参観だよ。来るの?」
夕食のとき、中2の長女が言いました。
「行けない。だって、2時からでしょ? 金曜日は2時に小学校へ海ちゃんを迎えに行かないといけないもの。」
「ふーん・・・」
「来て欲しい?」
「べつに・・・」
長女はあっさり言って、黙々とご飯を口へ運んでいます。話を聞いていたお父さんが
「こういうときこそ、支援費制度を利用して、ヘルパーさんに小学校へ迎えに行ってもらって家で留守番するなり、デイサービスへ連れて行ってもらうなりするといいんだよな」
と言いました。
「そうだね、でも・・・」と私。
「でも?」
「そこまでして中学の授業参観に行きたいと思わないんだよね・・・」
「なんちゅう親だ」
そりゃそうだ(笑) すると長女が
「大丈夫。あんまりつまんない授業だとお母さんたち帰っちゃうから、めちゃくちゃ面白い授業にしてってみんなと先生に言ってあるから」
なんちゅう生徒だ(笑)
「授業参観は行けないけど、海ちゃんを迎えにいって海ちゃんといっしょに部活動参観は見に行けるよ。授業より部活のほうが見てみたいな」
私が言うと、長女は「うーーん」と難しい顔。テニス部に入っていますが、いつも絶対見にきちゃダメ、試合も応援に来ちゃダメと常日頃から言っているのです。どうもまだプレーする姿を見られるのが恥ずかしいらしいのですが、もう2年生。少しはマシになっているでしょう???
まだはっきりとした返事はもらってませんが、まあ、どっちにしても海渡が出かけるのを嫌だと言ったら・・・・行けないんだけどねぇ。
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海渡は、時々なんでもないときに
「ママ、だいすきだよ・・・」
とにっこり微笑みながら言ってくれることがある。
普通、小学校2年生になる男の子って、面と向かって母親にこういうことは言わないんじゃないかなぁ? 言うのかな?
ふと感じたことを純粋な気持ちでそのまま伝えてくれたんだと思う。何かを買ってほしいとか、やってほしいとかじゃなくて、そのとき一瞬感じたそのままの気持ちなんだと思う。知的にハンディがあるからこそ、素直にまっすぐに何の臆面もなく言えることなのかもしれない。
「おともだちにも、だいすきって言うの?」 と訊いたら
「いわなーい」 と言った。
「じゃあ、お父さんには?」 と再び訊くと
「パパは、オハヨー」 と(笑)
毎朝、海渡が起きたときパパが大きな声で「おはよう!」と言うので、きっとそのことを言っているのだろう。
そうか、「だいすき」はママだけなのね(笑) なんだか、私だけささやかなプレゼントをもらったみたい(笑)
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土曜日か日曜日に「ぴちぴちぴっち」という女の子向けのアニメがやっている。その中の男の子の名前が「カイト」で、同じ「カイト」(漢字が違うけど)の海渡はそれが気になるらしく、最後まで見ていることが多い。
近頃、「カイト」という名前が増えてきたような気がする。 2年前くらい前、男の子の名づけベスト3に「カイト」(海斗か海人)が入っていると知ったときはちょっとびっくりした。
普段でも、子どものたくさんいるところで、「カイト、カイト」と自分の子供を呼んでいる人がいて、思わず振り返ったりすることもある。自販機でコーラを買って取り出そうと海渡が手を伸ばしたら、隣の小さな男の子も手を出し、その子のお母さんが「カイト!止めなさい」と言って、こちらがびっくりしたこともある。
海渡が生まれたころは、そんなに「カイト」と言う名前は周りにいなかったし、名づけ本で初めて見たときは、ものすごく新鮮に感じたものだった。あとで知ったのだが、その頃テレビでやっていた「ビーチボーイズ」というドラマの中の主人公?が「カイト(海斗?)」だったらしい。 よく海渡の名前を「ビーチボーイズからとったんですか?」と聞かれたっけ(苦笑)
海渡の名前の由来は、Webサイトのトップページにもあるとおり、障害も国境も関係なく海を渡る風のように羽ばたいてほしいという願いがこもっている。ただ、お腹にいたときは障害のことは気づいていなかったので、そのときは国境を越えてどこまでも自由な心をもって欲しいという思いがあっただけだった。生後翌日にダウン症と告知されて、それからは国境も障害も関係なく、海を渡る風や鳥のように自由に羽ばたき、おおらかにたくましく生きていける人になってほしいと願うようになった。
最近の海渡は自由きままでおおらかすぎるような気がしないでもないけれどね(笑)
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海渡を連れてスーパーへ買い物に行った。 スーパーへは小さい頃から連れて行っているので、レジでお金を払わなければいけないこともよく分かっていて、お菓子など勝手に開けるということは一度もしたことがない。店の中の様子もよく知っていて、どこかへいなくなってしまってもたいていお菓子売り場あたりでうろうろしている。
きのうもスーパーへ入ってすっといなくなったと思ったら、お菓子をふたつ持って戻ってきた。家で留守番している姉と自分の分らしい。お菓子を私に見せて「いい?」という表情だったので、「いいよ」と言うとカートのカゴにお菓子を入れてまたどこかへ行ってしまった。
買い物が終わって、さあ海渡はまだあそこかなとお菓子売り場へ行ってみると、ななんと、スーパーのカゴが二つ床の上に置いてあってどちらも3分の1ほどの量のお菓子が入っているじゃーありませんか!!!
2年生にもなってまだこんなことするなんて! 溜息とともにふつふつと怒りが・・・ふと見ると向こうの通路に海渡発見!呼び戻して
「海ちゃん、何これ! どうするのこんなに!」と一発。
しかし、海渡は悪びれる様子もおろおろする様子もなく、きょとんとしている。そして、私が押しているカートのカゴを指差して
「海ちゃんのはこっち」 と言った。
「じゃあ、これは誰の分なの?」 と言うと
「・・・・パパとにいちゃん・・・・」 と小さな声で言った。
そうか、パパと兄ちゃんの分のお菓子をカゴに入れていたのか、でもこれはあまりにひどい。私はこのたくさんの量のお菓子を全部また陳列棚に戻さないといけないことを考えると思わず溜息が出た。小さい頃はこういうことしたこともあったけど、まさかまだやるなんて・・・ショックだ・・・あぁ
がっくりしながら一つずつ戻していると、3〜5歳くらいの女の子二人がやってきて、両手に持っているお菓子を床の二つのカゴのなかへポイっと放り投げた。
「は???」
すると、女の子の後ろからかなり高齢のおじいちゃんがやってきて
「どれ、お菓子はこれで全部か?」
と言うと女の子といっしょにお菓子のどっさり入ったカゴを持ってレジの方へ歩いていってしまった。
呆然とそれを見送ったあと私は、ハッと気づいた。
「ごめんね〜、海ちゃんがやったんじゃなかったんだね。ごめんね。」
海渡はどうもまだ様子が飲み込めていないようで、やっぱりきょとんとしたままだった。私はあんなことをするのは、海渡以外にあり得ないと思い込んで、海渡がやったんだと決め付けて叱ってしまった。「海ちゃんのはこっち」とちゃんと言葉で説明していたのに、まったく聞く耳を持ってなかった。
海渡も多分、お菓子の入ったカゴが不思議だったんだろう。 自分の分とお姉ちゃんの分はさっき買ったから、じゃあこれはパパと兄ちゃんだと単純に思って「これはパパと兄ちゃん」と口から出たんだと思う。
母の後悔を知ってか知らずか、海渡は何事もなかったように嬉しそうににこにこと笑顔で私のカートを押してくれた。
ああ、本当にごめんね。
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■ ノーマライゼーション |
2004年05月23日(日) |
入会している親の会の会報に載っていた文章です。忘れないために。
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ノーマライゼーションとは、一日の普通のリズム 朝、ベッドから起きること たとえ君に重い知的障害があり、身体障害者であっても 洋服を着ること そして家を出、学校か、勤めに行く ずっと家にいるだけではない 朝、君はこれからの一日を思い 夕方、君は自分のやり遂げたことをふりかえる 一日は終わりなく続く単調な24時間ではない 君はあたりまえの時間に食べ、普通の服を着る 幼児でないなら、スプーンだけで食べたりしない ベッドではなく ちゃんとテーブルについて食べる 職員の都合で、 まだ日の暮れぬうちに夕食をしたりはしない
ノーマライゼーションとは、一週間の普通のリズム 君は自分の住まいから仕事場に働きに行く そして、別のところに遊びに行く 週末は楽しい集いがある そして、月曜日にはまた学校や職場に行く
ノーマライゼーションとは、一年の普通のリズム 決まりきった毎日に変化をつける長い休みもある 季節によってさまざまな食物、仕事、行事、スポーツ、 余暇の活動が楽しめる この季節の変化の中でわたし達は豊かに育てられる
ノーマライゼーションとは、 あたりまえの成長の過程をたどること 子どもの頃は夏のキャンプに行く 青年期にはおしゃれや 髪型、音楽、異性の友達に興味を持つ 大人になると、人生は仕事や責任でいっぱい 老年期はなつかしい思い出と、 経験から生まれた知恵にあふれる
ノーマライゼーションとは、自由と希望を持ち、 周りの人もそれを認め、尊重してくれること 大人は、好きな所に住み、 自分にあった仕事を自分でみつける 家にいてただテレビを見ていないで 友達とボーリングに行く
ノーマライゼーションとは、 男性、女性どちらもいる世界に住むこと 子どもも大人も、異性との良い関係を育む 十代になると、異性との交際に興味を持つ そして大人になると、恋に落ち、結婚しようと思う
ノーマライゼーションとは、 平均的経済水準を保証されること 誰もが、基本的な公的財政援助を受けられ、 そのために責任を果たす 児童手当、老齢年金、 最低賃金基準法のような保証を受け、 経済的安定をはかる 自分で自由に使えるお金があって 必要なものや好きなものが買える
ノーマライゼーションとは、 普通の地域の普通の家に住むこと 知恵遅れだからといって 20人、50人、100人の他人と 大きな施設に住むことはない それは地域社会から孤立してしまうことだから 普通の場所で、普通の大きさの家に住めば、 地域の人たちの中にうまくとけ込める
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スウェーデンのベンクトニィリエの言葉 「やさしい隣人達ー共に暮らす地域の温かさ」より 日本知的障害者福祉連盟選書 監修 渡辺 勘持
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海渡は外出先で興味のあるもの、好きなものを見つけると、なかなかその場から離れなくなる。これがハンパな時間じゃなくて、30分だとか1時間だとかの長時間、平気でその場から動かなくなる。
一番よくあるパターンが、ショッピングセンターの中のビデオショップの前のモニターのサンプルビデオ。玩具売り場に置いてあるアニメビデオや、ファンシーショップでやってるサンリオのビデオとかも要注意だ。
とにかく、エンドレスで流しているので、キリがない。 おまけに、海渡は何度でも同じものを見たがる。さっき見たよ、また最初から同じのがやるんだよと言っても、おかまいなしに同じビデオを見つめているのだ(泣)
端から見ていると、海渡と同じように年齢の違う子供達が寄ってきて一緒に見ているのだが、たいていの子どもは一度終わってまた初めから始まるとその場から去る。あるいは、途中でも親に促されたり、少し注意されると名残惜しそうにはしても親の元へ行く。だけど、海渡の場合は、ぜっ〜〜たいにその場から離れない。何を言っても、食べ物で釣っても、怖い声と顔で脅しても心ここにあらず、目だけがモニターを見つめている。こうなると、飽きるまでつきあうか、抱きかかえて連れて行くしかない。
冬場、特に年末に困るのが、ダンシングサンタ。これを見つけるとまたまた30分は離れない。他の子どもも寄ってきて見ているけれど、ものの数分、いや数十秒で飽きて離れていくのに、海渡はいつまでもいつまでもサンタを見ている。もっと小さい頃は、サンタが踊っている間、ずっと同じように腰を振って踊っていた(汗)
子どもの日に行った動物園では、爬虫類コーナーで動きの面白いトカゲの前で30分動かなかった。ひたすらトカゲを見つめていた。他の子どもが寄ってきて、一緒に見ているけれど、みんなアッというまにいなくなる。なんで、あんなトカゲに30分も付き合えるのか不思議だ。
耳鼻科に通っていたときは、待合室に置いてあった熱帯魚の水槽の掃除の業者が来たとき、その清掃作業の一部始終を全部観察していた。ほかの子どもも興味本位でやってくるが、全部見ていたのは海渡だけだった。業者さんが帰っていくまで、邪魔にならないように時々場所を移動するものの目は業者さんの手を追っているのだ。
なんで、よその子のように声をかけられてさっと動けないのか。 2歳、3歳くらいの小さい子でも、親に言われるとアンパンマンのビデオの前から、しぶしぶでも離れていくのに・・・・なかには、なかなか離れなくて親も諦めモードで付き合っている親子もいるが、それでも海渡よりはうんと早くにそこからいなくなる。
そうしうしつこい性格なのか、知的障害からきているものなのか、はたまた親である私のしつけの失敗パターンの一つなのか、なんなんだろう・・・・けっこう、外出時のゆううつの一つなのだ。
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ゆうべのこと、台風2号の影響からか雨脚がひどくなってきました。海渡が
「あめ ふってるねぇ」と言ったので、私が
「もっと、たくさん降るよ」と言うと
「なんで〜??」と聞いてきました。そこで、
「あのね、雷様が雲の上でね、バケツの水をバシャー、バシャーってやってるの」
すると海渡は目と口を真ん丸く開けて私の顔をじーーーと見つめて
「そっかあああ!」
と・・・・納得してしまいました。
まさか、ここまで素直に信じてくれるとは。 ごめんね、海渡、お母さんウソついちゃったよ(笑)
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先日の連絡帳に、遠足で海渡が乗った二人乗りの「スカイサイクル」のことをイラスト付きで先生が書いてくださっていた。見上げるほどうんと高いところにあるレールの上をペダルを漕いで進む乗り物だ。夫に話したら、
「よ、よく海渡を乗せられたなぁ」
と感心していた。つまり、多分、安全ベルトか何かついているだろうから、きっと大丈夫だとはわかっていながらも、もしかしたら海渡が怖がって立ち上がるんじゃないかとか、何か突拍子もないことをするんじゃないかと、きっと親である自分ならよその子と二人だけでは怖くて乗せられないということなのだ(笑)
私も、海渡が子どもだけでスカイサイクルに乗ったということを知ったときにはびっくりした(苦笑) この間の動物園でのジェットコースターでさえ、父親がついているとはいえ、私も夫もかなり不安でおっかなびっくりだったのだ。
親は、ついつい怖くて子どもに新しいことに挑戦させることをためらってしまう。
私はいまだに海渡がジャングルジムに登るのを見るのが怖くて怖くて仕方がない。ちょっと高い位置にある滑り台でさえ、海渡がてっぺんでふらふらしているのを見ると、心臓が止まりそうになる。顔は笑っていながらも、心の中は、お願いだからもう滑ってきて〜と懇願モードになっている。
これを心配しすぎ、過保護というのだろうな・・・
いつも見ていないと不安というのも障害児の親にはよくあることだ。でもいつもいつも、子どもを自分の視野の中にだけ入れておくのも限界がある。 だから、今回の遠足のときのように、ポンと他人の手の中にまかせてしまう勇気も必要なんだと思う。
実は、同じように人手にまかせる勇気が足りなくて、支援費制度をなかなか使えないでいたりする。障害児デイサービス、ガイドヘルパーなどなど、今は親がひとりで障害児を抱え込まないですむように、行政、民間などの支援サービスができつつある。
いつ親が病に倒れるかもしれないし、いつか、親は先に死ぬ。そのときになって、他人の手を借りるときに子どもが怖がったり、慣れなくてかわいそうな思いをしなくてすむように、今から親から離れる訓練が必要なのだ。親の会などでは「宿泊訓練」という名の練習もある。
知らない人にはついていかない、と子どもに教える現代で、障害のある子供達には知らない人にも慣れてもらい、指示が聞けるようになってもらわないといけない。
海渡にもそろそろ、そんな場を作ることが必要だと感じている。 あと必要なのは、きっと親である私の勇気だけなんだけどね。
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■ あったかい会話 その2 |
2004年05月19日(水) |
きのう、登校のためにマンションのエレベータに乗ったとき、通学班の班長(6年生)さんも乗り合わせていた。 時々、彼は何気なく海渡の手を触ったりする。このときも、何気なく海渡の顔を覗き込んで、さらっと言った。
「海ちゃん、よだれ出てるよ。拭いてもらや」
海渡の口元を見たら、よだれが泡のようになって口の下にいっぱいついていた。すぐにティッシュで拭いてやって、きれいさっぱりした顔になって、もう一度班長さんの方を見てニッコリ笑った。
普通、子どもはよその子の「鼻水」とか「よだれ」を汚がったりすることが多い。露骨に「うわぁ」と言って飛びのく子もいたりする。
特に、ダウン症の子どもは体質的に鼻水やよだれが出やすく、一般にこういうものはあまり見て気持ちの良いものでもないし、正直な子どもたちが「汚い」と言うのもよくわかるので、けっこう親は神経質になっていたりする。
だから、このときの班長さんの言葉は、ほんのちょっとした何気ない気持ちから出た言葉なんだろうけれど、ものすごく嬉しかった。心の中がじわ〜っと暖かくなった。狭いエレベータの中で一緒に乗り合わせた子供達も見ていたと思う。もし、「うわ、よだれが出てるよ、汚い」と彼が言ったならどういうことになっていただろう。みんな、どう思っただろう。
そう思うと、彼の優しさが嬉しい。 海渡は本当に、いい環境にいるんだなと改めて思った。
ありがとう。
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■ あったかい会話 その1 |
2004年05月18日(火) |
今日、海渡の小学校は「なかま遠足」だった。 全校児童、1〜6年までの縦割グループごとに分かれて行動する。
海渡がいる班は、先生がついているとはいえ、上級生の苦労が目に見えるようで、本当に感謝しきれないくらい。迎えに行って帰りのマンションのエレベータの中で同じ班の子が笑いながら
「今日ね、海ちゃん、スカイサイクルに乗って、降りたとき『はぁ〜っ』て(疲れきったように)言うんだよ。ぜんぜん漕いでないのにさ」
と言った。どうも、スカイサイクルと言うモノレールのような二人乗りの遊具に乗り、二人でペダルを漕いで進むのに、海渡は彼まかせにして全然ペダルを漕がなかったらしい。そして、降りて「はぁ〜っ」と疲れきったように大きな息をしたらしいのだ。力を入れて漕ぐような乗り物は、三輪車はおろか自転車にも乗れない海渡には多分、2分の1の力を出して漕ぐことはできない。多分、同じなかの班の彼は自分ひとりで一生懸命頑張ってペダルを漕いだんだろうなぁ・・・・「海ちゃんも漕いでよ〜」とか何とか言いながら。 海渡の溜息は、きっと初めて乗ったスカイサイクルの高さに驚いて、緊張しすぎて出たため息だったんだろう。
それでも、笑顔で「ぜんぜん漕いでないのにさ」と言う彼には、全く悪意もうらみも感じられず、「ほんと、まいったよ」というニュアンスがあって、ごめんね〜という気持ちとありがとうという気持ちと半分ずつ感じた。
ほんとうに、ごめんね、そして、ありがとう。
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給食の準備の時、お当番さんは専用のエプロンを着ます。エプロンというよりは前ボタン式の割烹着。それに丸い総ゴムの帽子をかぶり、マスクをかけます。1週間使ったエプロンは金曜日に持ち帰って洗い、アイロンをかけて、月曜日にまた学校へ持っていきます。
月曜日や金曜日の送り迎えのとき、ランドセルにエプロンの入った袋をぶら下げている1年生を見ると、ああ、あの子1週間給食当番だったのね・・・と気づきます。
海渡は1年生のとき、このエプロンを一度も持ち帰ったことがありませんでした。大きな食缶から一人分ずつ器に盛ったり、お皿におかずを一人ずつ盛り付けたりはとても危なっかしくてまかせられません。だから、エプロンを持ち帰らないということは、お当番のお仕事がまだまだできないということでもありました。
それが、先週の金曜日、エプロンを持ち帰ってきたのです。
「海ちゃん、給食のお当番、できるの?」
私、びっくりして海渡に聞きました。海渡はエプロンに気づき、私からひったくるように奪い取って着始め、帽子をかぶり、前のボタンをはめようとしましたが、これはちょっと固くてとめられませんでした。
「どんなことしてるの?」
と何度も聞きましたが、エプロンを着て嬉しそうににこにこするだけで答えてくれませんでした。
今朝、アイロンをかけたエプロンを袋に入れて、ランドセルにぶら下げました。
「海ちゃん、エプロンつけといたからね。みんなといっしょだね」
と言うと、めちゃくちゃ嬉しそうに笑い、「海ちゃんの」と言って、エプロンにほおずり・・・(よだれがついて汚れるからやめて)
エプロンをぶら下げて歩く海渡は嬉しそうでした。同じクラスの女の子に
「海ちゃんてお給食の当番、何してるの?」
と聞いたら
「牛乳くばり。海ちゃんはいつも牛乳だよ」
と答えてくれました。そか、やっぱり牛乳か(笑) でも、牛乳配りも立派なお給食の当番だもんね。
だんだんと上手になって、違うこともできるようになって、しっかりお当番できるといいね。
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キッチンの米びつのお米が少なくなっているのを見つけた海渡。
「おかあさん おこめ ないよ」
とびっくりしたような顔で教えてくれた。
「ああ、そうだね、もうすぐ無くなるね」
と何気なく答えて、それっきり忘れていた。
何時間か後、スーパーに一緒に行って、レジのそばのお米コーナーで米袋を見つけた海渡が大きな声で
「おかあさん おこめ あった おこめ かわないと」
と言って、10キロの米袋を一生懸命持ち上げようとしている(汗)
私はすっかりお米のこと忘れていたのに、ちゃんと覚えていて教えてくれた。買わないとごはんが食べられないと思ったんだろう。ごはん命の海渡にとってはお米がないと大変だ。稲穂が実る頃、田んぼの稲を「お米になるんだよ」と教えると「ごはん」と言う海渡なのだ(笑)
スーパーでお米を持ち上げようとした海渡の様子が、おかしくておかしくて、今でも思い出すと笑ってしまう(笑)
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きのう一日微熱もなく元気だったので、今日から登校しました。 結局、一番具合が悪そうだったのは、やはりシロップを飲んでからの数時間でした。多分、あれは大人の風邪薬に睡眠剤が入っているように、眠りを促す薬だったんでしょう。飲んで多分30分くらいで眠ってしまったし、目が覚めてからもまるで麻酔から覚めたあとのようにボーっとしていたし、昼寝したのに夜は7時半に眠ってしまったし・・・・。
昨日、たまたま知人が所用で訪ねてきて誤飲の話になったのですが、彼女の子どもは重度の自閉症なんですが、中学生のとき大人の瓶入りの風邪薬の錠剤を3分の2誤飲したことがあって胃洗浄に走ったことがあるそうです。こうなると命にかかわってくるので、本当に誤飲は恐ろしいと思いました。
海渡はようやくシロップを全部飲んだことを告白しました。
「だって はくちょん した」
ということらしいです。くしゃみが出たから、薬を飲んだということらしいです。それなら何で、わざわざお兄ちゃんの部屋へこっそり持っていって飲んだのかという疑問が残りますが、このへんはやはり黙って全部飲んじゃいけないということがわずかながらでも知っていたのではないかと思います。
要するに、確信犯じゃないか・・・・
こうなると、きちんと冷蔵庫にしまっても、遅かれ早かれこういうことをしたかもしれないなぁと思うようになりました。 それにしても、苦い粉薬は飲まずに甘いシロップだけ飲んだところをみると、薬はやっぱりほどほどに苦いほうがいいんでしょうね。
余談ですが、ネットで「誤飲」を調べていて知ったのですが、欧米では幼児用の飲み薬の容器に、日本のようにアニメや可愛らしいキャラクターが使われていることはまずないそうです。あれでは、子どもに「飲んでいいよ」と言っているようなものだそうな。さらに、大人は子どもの前で安易に薬を飲むところを見せないそうです。真似するからでしょうね。
先の自閉症の子どもを持つ知人は、家中の薬は全部鍵付きのロッカーにしまい、その鍵は自分が肌身離さず持っていたそうです。海渡の場合、苦い錠剤は飲まなくても糖衣錠だと危ないからやっぱりこれくらいしないといけないのかも。
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お恥ずかしい話ですが、私の不注意で海渡が薬を誤飲してしまいました。 病院でもらった3日分の風邪薬のうちのシロップを、一度に全部飲んでしまったのです。
「咳止めと、解熱剤と、痰を切る薬出しておくから」 と言われて出されたのは、3日分の粉薬と小さな容器に入ったシロップ。
昼食の後、粉薬1袋とシロップひと目盛り分飲ませて、そのままテーブルの上に置きっぱなしだった。いつもは悪くなるといけないからシロップは冷蔵庫に入れるのに、入れなきゃと思いつつそのままにしてしまった。今までにもそういうことは時々あったけれど、海渡は薬に対しては興味を持っていないし、一度も黙って薬を飲もうとしたことはなかったので油断していたんだと思う。
2時ごろ、海渡はビデオを見ながら横になっているうちに寝てしまった。 その後、お兄ちゃんの部屋で、中身がからっぽになったシロップの容器を見つけた。あたりにはこぼした形跡がないので、多分、全部飲んでしまったに違いない。
焦った・・・・
普段昼寝なんかしないし、今回の風邪も軽く、病院でも元気そうだったので昼寝をするのが少し意外だった。やはり、寝てしまったのはシロップを全部飲んでしまったからだろうか。 そういえば、私はこのシロップの内容が何なのか知らなかった。この病院は赤ちゃんの頃から通っているけれど、大ていいつもこのシロップが出てくる。咳が出るだけとか、熱っぽいだけで他の症状があってもなくても、粉薬といっしょにこのシロップがいつもついてくる。粉薬は症状によって中身の色が変わることがあったけれど、シロップはいつも同じ色で同じ量だ。
そして、このシロップが何なのか一度も訊いたことがなかった。先生からも薬に関しては、どれがどういう薬で何に効くかと言う説明もないし、受付でも飲み方しか教えてくれない。処方箋もなく、私は出された薬をそのまま素直に海渡に飲ませていたのだった。
とりあえず病院に電話してみたが、誰も出ない。午前中の診察は終わって、夕方からの診察まで誰もいないのだろうか。
3時に海渡は目を覚ましたけれど、起き上がってこない。いつまでもだるそうにぐずぐずしており、微熱もある。それから1時間ほど目が覚めているのに、起き上がらずごろごろしていた。もちろん、シロップを飲んだことを訊いてみたけれど、飲んだとも飲んでないとも言わない。「甘くておいしかった?」「お薬、飲んだ人、手をあげて」にも乗ってこない。
4時半頃になってようやく起きて遊び出したので、少し安心したものの何となくボーっとしているような気がする。熱のせい?とにかく、夕方もう一度病院へ連れて行こうと思って、大事なことに気づいた。水曜日の午後は休診だった。
5時、もう一度病院に電話をしたら、年配の女性が出た。先生の奥さんらしい。ことの次第を説明すると、しばらく待たされて
「意識がないとか、ぐったりしているんじゃないのでしたら、水分を多めに摂らせてください。」
それだけだった。
「意識はあるし、今はもうぐったりはしていないんですけど、ちょっと心配で・・・あのぉ、シロップの中身は何でしょうか?」と思い切って訊いたら、受話器を押さえて「薬の中身は何でしょうかだって」と誰かに訊いている。電話の遠くで、先生の声がした。
「そんなもん、※※※(多分、カルテ)見な分からん!」
とっても不機嫌そう・・・・ もちろん、奥さんはその通りには言わず
「今は元気なんですよね? だったら多めに水分を摂っていただければいいと思いますので・・・・」
もう、電話切りました・・・・
とりあえず、様子をみることにしよう。 それにしても、ショックだ・・・・ 今まで赤ちゃんの頃から薬を飲ませてきて、一度もこういうことが起きなかったのは、彼なりに徐々に、薬の意味や一度に少しだけ飲むということを理解してきたからだと思っていた。まさか7歳になってこんなことがあるなんて思いもよらなかった・・・・
とりあえず、そのあとは微熱が出たり平熱に戻ったりして、元気とはいえないけれど、大丈夫なよう。夕食後(食欲がなくやっとそうめんを少しだけ食べた)7時半頃にはまた寝てしまった。とにかく、眠たくて仕方がないらしい。
このまま、大丈夫でありますように・・・・ きっと、明日も学校はお休みだわ・・・・・
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■ 久々に小児科受診 |
2004年05月12日(水) |
昨日、学校から帰っておやつを食べたあと、何だか海渡の目がうるんでいることに気づいた。おまけに鼻水も出ていてそのせいか口で息をして、だるそうだ。そういえば、朝変な咳をしていたっけ。
おでこを触ってみると、やっぱり熱い。 熱を測ったら37度ちょっと・・・・ その後は、体温計では変化はないけれど、おでこを触ると微妙にいつもより熱っぽい感じがする。
今朝は、熱は無かったものの咳が出るので、急ぎの仕事も来ていないことだし、念のために学校は休ませることにした。連絡帳にその旨書いて班長さんに渡した。そうしたら、8時10分頃、特学の担任の先生から電話がかかってきた。つまり班長さんが学校に着いて、先生に連絡帳を渡して恐らくすぐに、うちへ電話をかけてくれたことになる。海渡の具合をとても心配してくださって、そんなに大げさに連絡帳に書いたつもりは無かったんだけど、かえって恐縮してしまったわ(笑)
久々の小児科で、以前のように、待合室においてある大きなプラスチック製のアンパンマンの人形の鼻を押していた。壊れているのか何もしゃべってくれず、海渡はちょっとがっかりしていた。小さな頃はなんとも思わなかったけれど、2年生になり、大きな体格でニコニコというか、ワクワクしながらアンパンマンの鼻を押す様子は、ちょっと(^^;)でした。
久々だったので、先生も大きくなった海渡にびっくりして、「なんかすごく大きくなったなぁ」と・・・・
大きくなったのは、いいんだけど、体重が増えた分、薬の量も増えて、ちょっと可愛そうな・・・・
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今朝、飼っている猫のルフィ(2歳メス)が、リビングに置いてある海渡のランドセルで爪とぎをしてくれた(泣)
バリバリっという音と、お父さんの叱り声が聞こえたのは、私がベランダで布団を干しているほんの数分の間のこと。 あわてて見に行くと、青いランドセルにはルフィの爪がくい込んでできた穴が点々と開いている。まだあと5年使うのに〜!
ミニテーブルの下に潜り込んだルフィを覗き込んで「こらっ!」と叱り、小言を言うだけではおさまらず、頭をポンと叩いたら隣の部屋から海渡が起きてきた。
「見て、ルフィが海ちゃんのランドセル、こんなにしちゃったよ」
とランドセルを見せた。海渡は、じっとランドセルを見つめていたけれど、まだ眠いのかボーっとしている。「ほら、海ちゃんも もうしちゃだめだよってルフィに言って」とルフィを抱きかかえて海渡の前に差し出した。
海渡は今度はルフィをじっと見つめて、ニッコリ微笑むと頭を撫でた。
海渡は絶対、猫を怒らない。私が叱っていると「かわいそう」と言って涙ぐんだりするのだ。自分のランドセルに傷をつけられても、叱るのはかわいそうだと思うらしい。
私が「もう爪とぎされないようにしなくちゃね」とランドセルの上にぬいぐるみを乗せてみたり、絵本を乗せたりしていたら、海渡が絵本をどかして、ランドセルを裏返しにした。
あ・・・・ そうか、裏返しに置いておけばいいのね・・・・(^^;)
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先日、普通学級の学級写真を持ち帰ってきた。 海渡を入れて40人の子供達が写っている。去年もらった学級写真と見比べてみると、子供達の成長に驚くばかりだ。
あどけなさの残る幼い面影だった去年に比べて、どの子もどの子も1年間の成長のしるしがはっきりと見て取れる。男の子はたくましくなっているし、女の子は落ち着いて大人っぽくさえ見える。
海渡はどうかというと、これが去年と変わらないように幼いままに写っている。毎日見ている親だからか、健常児の成長のスピードに比べるとあまりにゆっくりだからかなのかよく分からないけれど・・・・
それでも、去年のわけの分からないキョトンとした表情がほんのちょっとだけかしこまって見えるかな(笑)
みんな1年分成長したんだよね。
学級写真て不思議だ。 子どもの頃、自分の学級写真なんて面白くもなんともなかったのに、親になってわが子の学級写真を見ることが、嬉しかったり、驚いたり、切なかったり、こんなにもいろんな思いがあふれてくるものなんだと初めて気付いた。
そして、海渡の周りに当たり前のように立っている子供達の顔を一人ずつ眺めながら、みんなどんな大人になるのかなぁと思いをめぐらす。
大人になって、いつかハンディを持った人に出会ったら、海渡のことを思い出してくれるといいなぁと思う。
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学校の歯科検診で、虫歯ゼロという結果をもらったのだけれど、癒合歯があるのでレントゲンを撮ったほうがいいというアドバイスを受け、歯科へ連れていった。
診てもらったら、癒合歯ではなかった。 でも、2年前に一度はグラグラになって、抜けるかと思ったのになぜか抜けずに隣の歯とくっついてしまっている。とりあえずレントゲンを撮ったら、もうその乳歯の奥に出られない状態の大きな永久歯がある。このままでは歯並びに影響してくるので抜きましょうということになってしまった。
え?また来るの?面倒だなぁと思っていたら、その場で抜くことに(汗) 麻酔の注射器が出てきたときは、思わず後ずさりしてしまった。そして、その注射している時間の長いこと長いこと。その間、海渡は泣いたり暴れたりせず、ただただじっと我慢していた。でも、相当緊張していたらしく、先生が
「肩の力を抜いて、楽にしてください」
と言っていた。でも、海渡にはきっと意味わかってない(笑)
その後、銀色に光るペンチが出てきたときには、私はもう見ていられなかった。親知らずを抜いたことがあり、抜歯がどれほど大変か知っているので、この先どうなるのか考えただけでも恐ろしい・・・・ところが、もともとぐらついていた乳歯だったからか、すぐに歯は抜けたらしく目の前にあったトレーの上に小さな歯がコロンと置かれた。
あっという間に抜歯は終わった。 抜けたところは大きな真っ赤な穴が開いている。 解放された海渡はふーっと大きな溜息を肩でついて、血に染まったガーゼをかみながら、ニッと笑った。ちょっと、怖い・・・(汗)
その後、家に戻って海渡は歯を抜く様子を
「シュポコーン て ぬけた」
と身振り手振りを交えて語ってくれました(笑)
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■ 母がいるときといないとき |
2004年05月07日(金) |
今朝、久しぶりに海渡ひとりで家を出た。 私は、怪しいオバサン化して遅れてエレベータに乗る。すると、同じ登校班で同じクラスの女の子Nちゃんに会った。「海ちゃんね、今日ひとりで行ったの」と言うと、Nちゃんは全てを察したらしくエレベータを降りるやいなや走り出して、海渡に追いつき一緒に歩いてくれている。本当に友達はありがたい。
公園につくと、私は海渡に見つからないように草葉の影から見守る。 上級生が「海ちゃん、おはよう!」と次々と声をかけてくれる。海渡も大きな声で「おはよ!」と返事をする。すると、上級生が「海ちゃん、おりこう!」とほめてくれている。心が暖かくなる瞬間。
いつも、私がいっしょのときは上級生たちも遠慮している風なところがあるけれど、私がいないと海渡によく声をかけてくれて遊んでくれる。特にやっぱり女の子がよく相手をしてくれて、海渡もそれが嬉しいのかたくさん声を出している。
こういうとき、母親の私がいるときと、いないときの海渡の微妙な様子の違いがわかって興味深い。やっぱり母親がいないときのほうが、のびのびと羽根が伸ばせるんだろう。怒る人もいないし・・・ 私がいたらいたで甘えん坊になるんだけど、いなかったらいないなりに楽しいらしい。 ま、母親っていうのは、こういうもんだよね。
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■ 分かりやすい説明 |
2004年05月06日(木) |
学校から帰って、友達と公園へ行った海渡。 しばらくして、ベランダからのぞいたら、ちょうど戻ってくる海渡を発見。眺めていると、途中で立ち止まって足元を見ている。
そして、いきなり靴を脱ぎだした。 石ころでも入っていたのか、座って履きなおすと思っていたら、両足とも靴を脱ぎ、靴を置いたまま靴下で歩いてくる(汗)
「海ちゃ〜ん、靴を持ってきなさ〜〜い!!!」
上から叫んだら、海渡はびっくりして立ち止まり、見上げて私を見つけると靴のところまで戻った。履くのかと思ったら、両方の靴を両手にぶら下げて歩いてきた。
靴をぶら下げて帰ってきた海渡に
「どうして靴脱いじゃったの?」
「ビチョビチョ・・・」
「濡れたの? どうして?」返事を期待せずに訊くと
「じゃーーんぷ じゃぷーーん した」
ピョンとジャンプしながら教えてくれた。 叱るのを忘れて笑ってしまった。連休中に降った雨でできた水たまりに、多分飛び込んだのだろう。
「そか、ジャンプして、ジャップーンって、お水に入っちゃったのね」
海渡は自分の言ったことをわかってもらえて、にっこり笑った。
こういうときは、やっぱり運動靴が濡れるから水たまりに入ったらダメと注意しないといけないんだろうなと思いつつ、きちんと状況を説明してくれたことが嬉しくて仕方のない母でした。
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■ ジェットコースターデビュー |
2004年05月05日(水) |
3日に予定していた動物園。あいにくの雨で翌日の4日も行けず、結局ゴールデンウィーク最終日の「子どもの日」にやっと行くことができました。本当は、翌日仕事、学校のある最終日は避けたかったんですけど・・・しんどいし(本音)
海渡はとにかく大張り切り(笑) 海渡は嬉しいとジャンプする癖?があり、私とパパに手をつないでもらってピョンピョン跳ねまくり。あんまりはしゃぐと最後まで体力が持たないよと言っていたら、本当に終わりのほうで動けなくなり、最後はパパにおんぶされることになってしまいました。
朝早く行ったせいか、動物たちも比較的よく動いていてコアラが動いていたのはラッキーでした。赤ちゃんを抱っこしたコアラも見れました。キリン、ゾウ、ペンギン、トラ、ライオンと海渡の大好きな動物たちもたくさん見ることができ、海渡は大満足。
このあたりまでデジカメでたくさん写真を撮ったのですが、私のミスで削除してしまいました。残念。後半のものはサイトの「Album」でアップしてありますが、動物と一緒のところがないし(笑)、やたらアップばかりで、動物園での画像には見えない(汗)
ひととおり動物を見て、さあ帰ろうと思っていたら、海渡が空を指差し「あれ」と言いました。何かと思ったら遊園地の観覧車。しまった、遊園地には寄らずに帰りたかったのに・・・・しかたなく、観覧車に乗って帰ろうということで遊園地に行くと、ナント「ジェットコースター」に乗ると言ってききません。「これ怖いんだよ」と脅かしても「いいの!」と乗る気満々。乗って動き出して「降りる〜」と言い出すのが一番不安だったのですが、動いているコースターを見ても「乗る」と言い張るのでお父さんと乗ることにしました。
お父さんによると動き出してカタカタ登っていったときは「怖いよ、怖いよ」と言っていたらしいのですが、その後はもう何も言わず(言えず?)だったとか。降りてきた海渡は気分爽快、すっきりの笑顔でした。
家に戻ってからも、ジェットコースターに乗っている様子を再現してくれました。これからは、動物園に行くたびにジェットコースターももれなくついてくるのね・・・・・ここのジェットコースターはコースもゆるいし、距離もないので、子ども向きなので、海渡にはちょうどいいかもしれません。ゴーカートも大好きな海渡、やっぱり男の子なんだね・・・・
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後日談。 翌日、小学校で先生の前でジェットコースターに乗っている様子を体を使って再現したそうです。また、ジェットコースターに乗っているとことから見た風景を絵に描いてくれたそうです。よっぽど印象的だったんでしょう。
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海渡の小学校には縦割り活動の時間「なかま」が週に2回ある。 要するに、1年生から6年生までの縦割りでグループを作って活動する時間のことだ。運動会や遠足、合唱大会などもこの「なかま」で活動している。
上級生が下級生の面倒をみたり、下級生にもできる遊びやゲームを決めたりと、上級生たちにはなかなか難しいだろうけれど、少子化で年下の子と触れ合う機会がめっきり減った昨今、有意義な活動だと思う。
ただ、海渡の班になった上級生は今まで以上に大変だ。
なんせ、一番下の1年生よりもさらに小さい子と変わらないくらいの海渡なので、まず何をするにしてもルールを理解しにくいだろうし、だいたい大きい子の言っている言葉の意味もどこまでわかっているのか怪しい。
リーダーさん、苦労しているだろうなぁと思う。
そうしたら、先日の水曜日、朝登校に付き添っていたオットの話で嬉しいことがあった。登校班の中に海渡と同じ「なかま」の子が二人いて、「今日のなかまで海ちゃんのやれること、なにやろうかな」という話になったらしい。「○○やろうか?」「うーん、それは海ちゃんには難しいよ」「じゃあ、○○は?」「それも難しいなぁ」そんな話をずっとしていて、「そうだ、丸い円を囲んでやるサッカーなら海ちゃんにもやれるよ」と話がまとまったらしい。
そういう、いい話はもっと早く教えてよ、お父さん。
その日、結局どんな遊びをしたのかは分からないけれど、でも、海渡のやれそうなことを一生懸命考えてくれる上級生がいるということが、本当に嬉しい。
小さい子、弱い子を邪魔に思ったり、排除するのではなく、どうしたら彼らがいっしょになってやれるかということを考えてくれる子どもたち。 君たちみたいな子どもがいっぱい増えて、大人になって日本中にたくさんいてくれたら、ハンディを持った人たちにとっては、きっと住みやすい世の中になると思うし、ハンディを持った人たちが住みやすい世の中というのは、きっと誰にとっても住みやすい世の中になるんだと確信している。
週休2日制による授業時間の削減で、今まで何度も無くなりかけた「なかま」活動。お母さんたちの強い要望で何とか続いている。私は算数や国語の時間を削ってでも、この「なかま」を続けてほしいなと思っている。
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