うちによく遊びに来てくれるA君。 ひ弱な感じがするけれど優しそうな男の子だ。テレビゲームが大好きで、うちに来るときは必ず何かソフトを持ってくる。
初めは仲良くゲームをしているのだが、ゲームを始めて数分でA君のイラついた声がするようになった。海渡がA君の言うことを理解できないのか、わかっていてもきかないのか、A君の指示通りのことをしないらしい。
A君の声ははたで聞いていてもものすごく不愉快そうだ。イライラを通り越して怒っている。彼が遊びに来るたびにすぐにこんな調子で、私も海渡に注意したりしていたのだが、どうもそれほどのことでなくてもA君はイライラすることに気づいた。
海渡は知的障害があるので、A君と対等の会話も成立しないし、A君の言うことを全部は理解できない。A君は海渡が知的に遅れていることをよくわかっていない風なところもあり、どうして自分の言うことがわからないのかというところでイライラしているようでもある。でも、それにしては自分の感情のぶつけ方が横で聞いていても不快になるほど暗いものを感じた。おとなしく気弱そうなA君は、もしかして自分もあんなふうに言われることがあるのかもしれない。
そんなとき、B君が遊びにきた。3人でゲームをすることになった。 そして、またA君が海渡に対してイライラをぶつけるようになった。それを見ていたB君が言った。
「そんなに怒らなくてもいいのに」
B君は、よほどA君の怒り方が気になったのだろう。 A君が答えた。
「怒ってやるもん」
それを聞いた私はさすがにカチンときた。思わず言ってしまった。
「A君、いつも海渡に怒っているけれど、海ちゃんは普通に言えば分かると思うよ。そんなに怒らないでくれる?仲良くしてくれる?」
A君は黙ったまま何も答えなかった。言い過ぎたかな?わかってもらえなかったかな?もう来てくれないかな? でも、言わずにいられなかった。
数日して、A君とB君二人そろって遊びに来た。 この日、A君は海渡に気を使っているのか、妙に優しかった。もしかしたら私に気を使っていたのかもしれない。 チラシで紙飛行機を折っていた3人は公園へ行くことになった。海渡は自分も一緒に行くのが当然と言うように二人の後を追って行こうとした。もう4時を回って外は薄暗く、かなり肌寒くなっている。私は海渡を止めようか迷ったが、行かせることにした。喜んで嬉しそうに二人を追いかける海渡。公園へ遊びに行くときはいつも私が一緒だけれど、今日はまず海渡だけで行かせてベランダからしばらく様子を見ていた。二人の後を追いかけて走りまわる海渡を見ていると、ともだちのありがたさ大切さをひしひしと感じる。
いつまでも海渡だけにしてはおけないので、私も公園へ出ていくと、海渡はまた嬉しそうな笑顔で二人に寄り添った。「ボクたちはともだちなんだよ」と言いたそうな顔だった。A君とB君がジャングルジムのてっぺんまでいとも簡単によじ登っていくのを見て、海渡も負けじと登ろうとするが到底無理だ。それでもまだよじ登ろうとする。それを見たB君が
「海ちゃんはいいよ、あがってこなくても。」と言った。海渡がまだ登ろう とするのを見て、今度はB君は私に
「海ちゃんのお母さん、海ちゃんに上がらなくていいって言って」
と言った。B君には海渡のことがわかっているようだった。
3人ゆりかごに乗り、椅子に立ち上がって「せーーの」と言いながら、紙飛行機を飛ばす。何度も何度も。紙飛行機はてんでんばらばらに空を切り、ばらばらに地面に着地した。A君とB君はゆりかごの椅子から飛び降りて、紙飛行機を拾いに行く。海渡は飛び降りることができないので、まず椅子から降り、その次にゆりかごから降りようともたもたしている。すると、A君が海渡の紙飛行機を拾い上げ、無言で海渡に渡した。海渡は笑って受け取り
「あ〜がと(ありがと)」
と短く言った。
それを見て、ホッとした。わかってくれたんだなと感じ、また、A君の気持ちがうれしかった。
海渡のともだちが海渡を理解するには彼らなりの時間がいるし、やり方がある。でも、彼らなりに海渡のことを理解し、受け入れてくれるときが必ず来るのだ。言葉で海渡のことを説明することも必要かもしれないけれど、一緒に過ごすうちに自然と分かり合え、受け入れられるときが来るんだなと思う。
薄暗くなりかけた公園で、いつまでも紙飛行機を飛ばす子どもたちを見て思う。できれば、いつまでもこんな風に遊んで、笑って、時にはけんかして、このままの気持ちで大人になってほしいと・・・・。
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今日は、小学校で「総合学習発表会」がありました。 海渡たち1年生は「秋、見つけた」というテーマで「秋」を題材にいろんな発表をしてくれました。
41人全員の落ち葉のファッションショーは楽しかったです。 海渡も落ち葉でデコレーションした帽子と衣装で教室に作られたファッションショー用の舞台にお友達に手を引かれて歩いたのですが、どうも恥ずかしいのと緊張したのとでどうしていいのか分からない風でした(笑)
二度目は初回よりリラックスしていましたが、ポーズを決めたり音楽に合わせての振り付けなどはできませんでした。でも、恥ずかしそうな笑顔が可愛かった(笑)
グループごとの発表は、海渡にもできることを担当にしてくれた先生の配慮もあり、生き生きとして嬉しそうでした。他のお友達の発表も楽しそうに見ることができて、何よりみんなの中に自然にいる海渡の様子が実感できてそれだけで嬉しくなる一日でした。
明日は地域の福祉まつりがあります。今日の代休もあって3連休が待ってます。
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町の小中学校の特殊学級に在籍する子どもたちと先生、保護者で交流遠足がありました。今回で2度目の試みだそうで、もちろん私と海渡は初めての参加でした。
保育園でいっしょだったゆうちゃんと会えるのが楽しみで、海渡は朝からニコニコと満面の笑顔。バスに乗り込むとさっそくゆうちゃんを見つけて隣の席へ座りました。ゆうちゃんも海渡と同じダウン症なので、そんなにおしゃべりは得意ではありません。こんな二人が隣同士に座ってどんな会話をするのか、後ろの座席に座ったゆうちゃんのお母さんと私が興味深く聞いていると、二人の会話?が聞こえてきました。
「かいちゃん、▲☆■○◎〜!!★★」 「ゆうちゃん、☆◎●◎□〜」
残念ながら、二人だけにしか分かりませんでした。
バスが発車してから降りるまでの1時間あまり、ずっとこんな調子。 降りてからもとにかくいつもいっしょにくっついて、時には「かいと」「ゆうた」とお互い呼び捨てにしあって、笑い転げたり、どっちかが泣きべそかいたり、怒ったり、またげらげらと笑ったり、片方がリーダーシップとっていると思うと、その逆になったりし・・・・。
ふたりいっしょのときは、健常の子どもや大人を相手にしているときとは違って、言葉も関係ない、発達の遅れもIQも関係ない、ものすご〜くリラックスできる特別な時間(とき)なんだろうなと思います。
海渡にとって、ゆうちゃんは「親友」だったり、いっしょに悪戯をする「連れ」だったり、ときには何かを教えてくれる「兄」であったりその逆の「弟」であったりします。
健常の友達も大切だけれど、こんなおともだちもとても大切なかけがえのない存在です。いつまでもいつまでも、こんなふうにじゃれあう子猫のように遊べる友達同士だといいね。成長して、少年になったらいったいどんな会話をしているんだろう? お互いに好きな女の子の話なんかするんでしょうか。そんな日がくることを今から楽しみにしています。
初めての交流遠足、色づき始めた紅葉のように、心があったかくなる一日でした。
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高校生の長男から交通事故にあったと電話が入ったのは、あと10分で海渡と登校しようという朝のあわただしい時間だった。 警察の人がもう来ているというので、すぐに行かなくてはならない・・・・でも、海渡の学校どうしよう。そのとき中学生の長女が目の前に現れた。今日は月曜日なので部活がない。海渡と同じ時間に家を出て行くことになっている。
「兄ちゃん、事故にあったんだって、お母さん行かないといかんから、海ちゃんを公園まで連れていって班長さんに今日はお母さんが一緒に行かれないって言っといて」
「分かった」
娘は事の重大さを理解して、すぐに返事をしてくれた。 幸い、事故は大きなものでなく、長男の怪我も大したものではなかった。
ところが、海渡のほうが大変だった。 朝、長女が班長さんに海渡を預けたあと、海渡は班長さんがどう誘っても動こうとせず、みんなと一緒に学校へ行かなかったのだ。マンションのベランダから様子を察した班長さんのお母さんが小学校へ電話してくださり、特学の先生が迎えに来てくれて、ようやく動き出したらしい。
先生がおっしゃるには、いつもと違う雰囲気が分かったのではないか、海渡なりに兄ちゃんが心配だったのではないかということだけれど、本人の口からは何も聞けないので海渡がなぜ今日は動かなかったのか真相は分からない。
確かに、朝、海渡の前で長女に事情を話したけれど海渡がそれをどこまで理解していたのか。海渡にとっては、私がどこかへ行ってしまい、代わりに姉が公園へ一緒に来て、班長さんに何か言って自転車で行ってしまったということだけが全てだ。
帰宅してから、海渡に
「兄ちゃんね、今日、自動車とぶつかって、痛い痛いになって、病院行ったんだよ」
と言うと、海渡は悲しそうな顔をして黙ってしまった。ああ、分かるんだ。
「でもね、今はもう元気だよ。こっち来てごらん」
長男の部屋へ連れて行った。ノックをして長男が現れると海渡はめちゃくちゃに嬉しそうに大きな口を開けて笑顔になった。言葉では何も言えなかったけれど、その笑顔だけで海渡の気持ちが分かった。
「兄ちゃんが自動車にぶつかって心配で仕方がなかったんだって。ほらね海ちゃん、兄ちゃん元気でしょ?」
長男も「なんだ」と言わんばかりの笑顔になった。
その後は、いつもの海渡になっていた。
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■ 越智さんのコンサートその後 |
2003年11月14日(金) |
5日にダウン症のピアニスト越智さんのコンサートが小学校で行われました。その後、1年生のクラスでは簡単な感想文を書いたそうです。
コンサート会場の体育館に行く前、先生は子どもたちに越智さんや越智さんが働いている作業所のパン屋さんのパネルを見せたそうです。先生が越智さんが海渡と同じしょうがいを持っていることを言う前に、子どもたちのほうから「海ちゃんに似ている」という声があったそうです。
越智さんはダウン症の割りにスラッとしているし、あまりダウン症っぽくないのでちょっとびっくりしました。そこで先生は海渡と越智さんは同じしょうがいを持っていることを話されたそうです。
きのう、海渡が持ってきたプリントに数人の子どもの感想文が載っていました。そのなかに、
「かいちゃんとおなじしょうがいのひとが、おんがくができるなんておもいませんでした。かいちゃんも、なったらいいです」
というようなことを書いてくれた子がいました。こどもらしい素直な感情から海ちゃんもあんなふうになったらいいよと思ってくれたのでしょう。 しょうがいがあってもあんなに素晴らしい演奏ができるということに子どもたちはみなびっくりしたようです。
越智さんのおかげで、子どもたちはハンディのある人たちに対して理屈じゃなくて、感性で感じ取り、理解してくれたような気がします。
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■ 今度はひとりで登校未遂? |
2003年11月13日(木) |
以前、学校から一人で帰ってきちゃった海渡。騒ぎの大きさを自覚したのか先生の配慮のおかげか、あれ以来同じことはしていません。 ところが、危なく今度は一人で登校してしまいそうになりました。
いつになく早起きした海渡。私が「おはスタ」が終わったのを区切りに「早めに行ってブランコ乗ろうか?」と声をかけたのが甘かった。朝食も済んでごろごろしていた海渡は飛び起きて
「ひとり!(一人で行く)」
と言い残して元気に玄関を出ていきました。ベランダから海渡が公園へ走っていくのを見届けて、私もゴミを持ってエレベータへ。外に出てゴミを捨てていると上の方からお父さんの声が・・・・
「海渡〜!一人で行ったらいかん!」
私が上をみあげると5階のベランダからお父さんが
「公園を出て学校の方へ行こうとしているぞ!」
と叫んでます・・・・(汗)
ゴミを放り投げ、あわてて公園へ走って行くと、学校へ通じる出口の塀に隠れた海渡がこっちを見ていました。
「海ちゃん、一人で行っちゃダメだよ。みんなと行かないと」 「・・・・」 「学校へ行こうと思ったの?」 「うん、○○せんせー」
どうやら、早く学校へ行って○○先生に会いにいくつもりだったようです。やれやれ・・・・・・・
「あんまり早く行っても門が開いてないよ。入れないよ。みんなと一緒に行こうね」 「うん・・・・・」
ほっんとに、集団行動のできないヤツだ、と思いつつ、よく一人で行こうと思いついたものだと感心するやらあきれるやら。
お願いだからあんまり勝手なことをしないでね〜。
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以前、眼科を受診してうまく視力が測定できなかったので、もう一度小児に詳しい先生がいる時間に受診してきました。 今回は、指で指し示す方法ではなく、最初から切れ目のついたプラスチックのボードを使って測りました。今度はばっちり。
結果、眼振(眼球が本人の意思に関係なく動いてしまう)があるため視力が出にくいらしく、今のところ0.2から0.3くらいの視力だということでした。これにはちょっとショック。
眼振は生まれてすぐから気づいていましたが、1歳くらいのときの検査ではそれほどひどいものではないということで、その後だんだんおさまってきたのであまり気にしていませんでした。成長するにしたがって目立たなくなり、治ったのかなと思っていたのですが、やはり専門家から見るとまだあるようです。ただ、普段から寄り眼になることがあるのでそれが眼振のためなのかなと思います。
とりあえず、もう少し詳しく調べてから眼振があっても視力をもう少し出せるようしていきましょうということで、今度精密検査を受けることになりました。
それにしても、不思議なのは昨年の就学児検診ではお姉ちゃんの付き添いできちんと視力測定ができて、そのときの結果は「A」だったということです。1.0以上あるという結果で、ダウン症にしては眼は良いんだと思い込んでいたのですが、この1年で急に低下したということなのか、「A」という測定結果そのものが間違いだったのか・・・・。
お姉ちゃんに何度聞いても「ちゃんと検査できたよ」と言うので、間違いではないと思うのですが。学校では、離れた場所の文字がわかるのに、絵本などをとても近づけて読むこともあるそうです。
まあ、どちらにしてももう一度精密検査を受けて、その後は治療するなり訓練するなりすることにしましょう。
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■ ダウン症のピアニスト越智さんのコンサート |
2003年11月05日(水) |
ダウン症(染色体異常による知的障害)というしょうがいを持ちながら、ピアニストとして素晴らしい演奏をされる越智章人さんのコンサートが海渡の小学校でありました。
実は越智さんのコンサートは2度目です。 初めて聴いたのは6年ほど前、まだ海渡が赤ちゃんの頃でした。料金を払ってのコンサートとはいえ知的障害があるのですから、いったいどんな演奏をするのか期待と不安でいっぱいでした。ところが、聴いてみてびっくりで、本当にプロ顔負け(プロなんだから当たり前)素晴らしい演奏なのです。
楽譜が読めない越智さんは曲を全て暗記していて、作曲された曲もすべて頭の中に入っています。私はピアノのことはよく分かりませんが、筋力の弱さからくる不器用さのあるダウン症でありながら、あれだけの指の動きができるということがまず驚きでした。絶対音感が備わっているということにも驚かされました。
知的障害というハンディはあっても、これだけの才能を秘めた可能性があるということに深く感動したことを覚えています。
あれから6年たって、不思議なめぐりあわせでまたまた親子で越智さんのピアノを聴けることになりました。今度は海渡は一年生のお友達といっしょです。自作曲に混じって、ジプリの「さんぽ」、「大きな古時計」、ビートルズの「オブラディオブラダ」など、越智さんの通う作業所の仲間たちとの演奏もありました。もちろん、知っている曲は大合唱です。
最後の曲は「世界にひとつだけの花」。 そして、アンコールはNHK「生き物地球紀行のテーマ」と「BELIEVE」。
その後、先生方の計らいで校長室で越智さんたちとお話する機会があり、越智さんのお母さんとも少しお話できました。海渡は人見知りが強いので、いつもの笑顔はなくずっと黙ったまま。赤ちゃんの時のコンサートでは、越智さんに握手してもらったこともあったのに・・・・。
「この方は何がお得意?」
越智さんのお母さんにそう訊かれて、答えに困ってしまいました。 音楽は踊るくらいしかできないし、歌も何言ってるかわからない、もちろん勉強は問題外だし、いったい何が得意?
越智さんがピアノを弾きだしたのは小学校の3年生になるかならないかの頃だそうです。海渡もその頃までに何か得意なものができるだろうか? それを見つけて伸ばしてあげることが私にできるだろうか?
絵を描いたり、ダンスをしたり、デジカメで写真を撮ったり、パソコンをしたり、海渡は今はなんにでも興味を持っています。その中からいつか越智さんみたいに才能を見つけて伸ばして、花を咲かせることができたら・・・ そんなことを考えた一日でした。本当に素晴らしかったです、越智さんのピアノ。
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