++ 記憶の中へ
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■ 秋を見つけに・・・校外学習の付き添い 2003年10月21日(火)

 生活科の授業の延長で、東山動植物園に1年生と2年生が行くことになりました。木の実など秋を見つけることと、小動物に触れ合うことが目標です。校外授業ということですが、大型バスでお弁当を持ってですから、ほとんど遠足気分。私は、海渡の付き添いということで、たくさんの子どもたちといっしょに参加することになりました。もちろん、親は私だけです。

 お父さんと来る動物園はいつも途中で歩けなくなり抱っこになったり、おんぶになったりしますが、今日は違っていました。一番最後を遅れながらも坂道も階段も全部自分ひとりで歩き通しました。

 みんなと一緒だとこんなに違うんだということを実感。

 しゃがみこんだり、ベンチに座ってしまうことはあっても、一度もおんぶと言わなかったのは本当に助かりました。さすがに28キロをおんぶして歩く体力は私にはありません・・・・。

 いつもは動物園ばかりで植物園には寄らないのですが、自然が満喫できて動物園より楽しかった。海渡は必ず見る「ゾウ」のことは一言も言わないし、100円入れて動く乗り物にも、ジュースの自販機を見ても欲しいと駄々をこねず、本当に友達といるときは違う面をたくさん見せてくれます。

 その逆に、家族と一緒のときは甘え放題だったのね(笑)
 
 

■ 一人で帰ってきちゃいました 2003年10月17日(金)
 
 「ひとりで」

 そう言いながら、海渡は毎朝ひとりで家を出て行きます。
 私は、尾行する怪しいオバサン化して、こっそりと分団の最後につき、校門を入って1年生の校舎の方角へ海渡が歩いていくのを見届けてから帰宅しています。

 今日は、学校の都合で3時間授業。12時15分頃一斉下校です。12時を回ってそろそろ迎えに行こうかなと思った矢先、インターフォンが鳴りました。インターフォンの受話器を取って「はい」と言っても、人の気配はするのに声がしません。海渡だ、と確信してドアを開けると、ニッと笑った海渡が立っていました。

 「予定よりも早かったんだね。海ちゃん、ひとりでエレベータあがってこれたんだねぇ」

 な〜んか妙だなぁ、今帰ってきたということは学校を出たのは12時前ということになる。3時間授業で、給食を食べてそれから全員が校庭に並ぶのに、こんなに早く帰ってこれるかな〜と??? 

 それに、帽子をかぶっていません。途中で落としたのなら、一斉下校だから上級生が拾ってくれるはずだと思うんだけど・・・学校へ忘れてきたのかな????

 が、まあ大して気にとめず洗濯物を二人で入れてたたんでいたら、電話がなりました。小学校の普通学級の担任の先生からです。

 つまり・・・・海渡は、たったひとりっきりで学校から帰ってきてしまったということが分かりました。そして、学校では大騒ぎで先生たちが学校中を探し回っているということらしい・・・・・(大汗)

 3時間授業という不規則な形だったこともあり、一斉下校だということを海渡自身がよくわかっていなかったこともあって、どうやら海渡はいつもとおり外へ出てみたら誰もいないのでみんな帰ってしまったと勘違いしたらしく、たった一人で下校してしまったらしいのです。

 普通学級の先生と電話しているあいだにインターフォンが鳴り、出てみるとこんどは特殊学級の先生でした。道路の方へ歩いていったのではないか、まさか川に落ちてはいないかと探しながら訪ねてくださったのです。当の海渡はようやく事の重大さに気づいたらしく、隣の部屋に隠れてしまいました。海渡が無事に帰ってきていたと知って、先生はようやく安堵して戻っていかれました。

 どうも、帰ってきてからの海渡の様子が変だと思いました。なんかいつもと違うし、帽子もないし・・・・海渡自身も勝手な行動をとるつもりはなくて、多分置いていかれちゃったと思ってあわてて一人で帰ってきたんだと思うのです。でも、無事でよかったです。

 それにしても、いざとなればひとりで帰ってこれるんだということがわかりました。でも、もうたったひとりきりでは帰ってこないでね〜。

 
 

■ 交流会 2003年10月15日(水)

 今日は、隣の学区の小学校の特殊学級と交流会。
 特学の先生が車で連れて行ってくれることになっている。どんな様子なのかは多分、あまり知ることはできないけれど、同じ1年生がいるはずだから楽しく遊んでいるかなぁと思う。

 私の風邪もちょっと落ち着いてきて、やっと仕事もひと段落。

 

■ 3連休3日目 2003年10月13日(月)

 私、風邪です。
 おまけに朝から大雨。
 明日からまた学校だし、今日は一日のんびりしようということで(きのうもだったけれど)、家の中で過ごした。海渡のお友達がひとり来てくれた。

 私の風邪はだんだん辛くなり、夜は仕事をやめて、早めに寝てしまった。




■ 3連休2日目 2003年10月12日(日)
 
 今日は、お父さんが仕事でいなかったので、一日中家の中で遊んだ。
 私の仕事も重なっており、長男と長女と遊んでいることをいいことに、中断させられながら、私はパソコンに向かっていた。

 でも、なかなか集中できなくて、なんとなく中途半端であまりはかどらなかった。

 海渡の風邪もひどくならず、鼻水が少し出る。
 私のほうが、喉が痛いんだけど・・・・やな予感。



■ 3連休初日 2003年10月11日(土)

 小学校で風邪が流行っているらしい。
 海渡のお友達のお母さんから聞いて、養護の先生からも聞いて、じゃあ気をつけなきゃ・・・と言っていたら、海渡が鼻水たら〜り・・・・。

 なんとなく熱っぽい気もするけれど、風邪薬を飲ませて、3連休初日の今日は、とある町の産業祭りに行ってきた。
 昨年も行ってきたけれど、ミニ動物園、ミニSL、金魚すくいなどなどけっこう遊べるお祭りだ。海渡は「ひよこ、さわれるよ」という言葉に釣られて楽しみにやってきた。早速、着くなりミニ動物園へ。

 ひよこ、うさぎ、カメ、モルモット、山羊、羊、ポニーなどが自由に触れるように柵で囲ってあった。海渡はまず、ひよこに直進。その後、うさぎの柵にはいったが、無防備に口元へ指を持っていって噛まれそうになってから近づかなかった。次に山羊の柵へ行ったが、ここでも柵に近づきすぎて、シャツの裾をパクリとくわえられたかと思うとムシャムシャ食べられそうになり、あわててひっぱっていたらもう一頭やってきて、パクリムシャムシャ。これには私も焦って、思いっきりひっぱたら、ずるっと抜けた。もちろん、海渡はそれ以来、山羊には近づかない。

 ミニSLにも乗って、建物の中へ入ったらたまたまタイミング悪く、着ぐるみの熊さんがこともあろうに子どもを追っかけていた。もちろん、子どもは笑っていてふざけていたんだけれど、それを見た海渡は恐怖で固まってしまい、回れ右してしまった。

 ウサギにかみつかれそうになり、山羊に食べられそうになり、熊に襲われそうになって海渡にはさんざんだったけれど、まあ楽しかったかな???



■ ちょっぴりの優しさ 2003年10月08日(水)
 
 小学校での生活も落ち着いてきたのか、海渡はよく先生のお手伝いをしているようです。人が喜んでくれるお手伝いをすることが大好きな海渡。
 先日の連絡帳には、教室の電球を代える先生に雑巾を渡してあげる役目を喜んでしていたこと、給食の準備のとき、牛乳をみんなに配る役目を喜んでしていると書いてありました。

 お手伝いなどは家でもよくやってくれているので、不思議ではなかったのですが、今日の連絡帳には、一緒にトイレに行った特学の先生が手を洗ったのを見て、自分のハンカチを差し出したということが書いてありました。

 ひらがなを覚えてくれることや、足し算を覚えてくれること、上手にしゃべれる言葉が一つ増えることもとっても嬉しいけれど、それよりもこんな風に人のために何かしてあげることができることのほうが何十倍も嬉しい。

 そして、自分の名前が書けなくても、人に親切にしてあげることが出来る子に育ってくれたことにホッとしています。

 毎日勉強を教えてくれる先生には申し訳ないのですが、勉強なんかできなくてもいいよ、そういうココロが育ってくれれば・・・なんて、連絡帳を見ながらこっそりつぶやいてしまいました。



■ 笑ってよ、ゆっぴぃ 2003年10月04日(土)
 
 「笑ってよ、ゆっぴぃ」の石井めぐみさんの講演があるという催し物に参加してきました。「こころの健康フェスティバルあいち」というイベントで、主に心の病気や障がいがテーマです。

 社協のバスで参加したので、朝9時から3時半までのほぼ一日がかり。
 メインはやっぱり一番最後のプログラム、石井めぐみさんの講演。テレビで放映された「ゆっぴぃのばんそうこう」や著書「笑ってよ、ゆっぴぃ」でおなじみの女優さんですので座席もたくさん埋まっていました。

 難産のために重度の障がいを負ったゆっぴぃ君を健常児に少しでも近づけるためリハビリに明け暮れた日々のことから、障がいを持ったままのゆっぴぃ君を受け入れるまでに至る気持ち、そして世の中の人にもっともっと障がい者を知ってほしい受け入れてほしいという気持ちを一生懸命語っていました。

 少しでも健常児に近づけるためにリハビリにがんばるゆっぴぃ君を愛していた自分、でも重い障がいを持ったままのありのままのゆっぴぃ君でいいんだということに気づいた自分。そしてゆっぴぃ君が生まれてきた意味、障がいを持ったまま生きる、生きていくことの意味。

 障がいを持って産まれた子どもを受容するまでの過程は、同じ母親として共感する部分がありました。もう遠い日になっていた海渡が産まれた頃を思い出してほんの少し切なくなりました。

 残念ながらゆっぴぃ君は5歳で亡くなってしまい、もう障がい児の母親でなくなってしまったのに、こうして今でも障がいを持つ人を世の中の人にもっともっと知ってほしいと活動していることは本当にすごいと思います。
 これから先もずっと活動していってほしいなと思います。

 石井めぐみさんは、多分こういう講演は何十回とされてきたと思うのですが、その切羽詰ったような一生懸命な語り口にはちょっと驚きました。もっと穏やかなおっとりした人かなと思っていたので。福祉関連の教育テレビでもけっこう熱っぽく語ってますね。

 そういえば、ダウン症のレイラ君のお母さんで歌手の水越けい子さんはどうしちゃったんだろう。最近、テレビでも見ていないけれど。レイラ君は元気なのかな〜。結構、芸能人の方にも障がいを持って産まれた子どもさんって多いと思うんだけれど、なかなか公表する人はいないですね。最近では、子どもさんがLDだという五十嵐めぐみさんがよくテレビや雑誌などで語っているみたいですけど。

 海渡は講演のあいだずっと隣で聞いていたんですが、さすがに1時間以上はきつかったらしく、もぞもぞ動いたり私にだっこされて甘えたりしていました。でも、「帰ろう」とか声を出したり席を立ったりはしなかったので、本当によく我慢したと思います。

 両となりの父と母があまりに真剣に聞いていたので、何も言えなかったのかも(笑)


  

■ 自立と甘えと 2003年10月03日(金)
 
 「今日はひとりで行くの?お母さんと?」

 朝、こう尋ねると海渡は決まって「ひとりで」と言う。
 そして「行ってきま〜す」という声とともに、ひとりで意気揚々と出かけていく。

 が、ここのところ、尾行すべくエレベーターで下へ降りていくと、集合場所の公園へ行かず、反対側の緊急車両のスペースやエレベーターホールのあたりをうろうろしていることが二日ほど続いた。

 たまたまなのかもしれないけれど、私が降りてきたのを知っても怒ったりがっかりせず嬉しそうなところを見ると、ちょっとホッとしているところもあるんだろうか。
 それとも、誰かが降りてくるのを待っていたのか、公園へ行くまでちょっと遊んでみようかなという余裕が出てきているんだろうか。

 どちらにしても、お供をすることを許されて今朝は一緒に歩いた。
 しかし、私からつないだ手はしっかりと振り払われた。

 ひとりで行きたい、でも一緒もちょっと嬉しい、自立と甘えの間で揺れる海渡の心が見えた気がした。



 

 

■ 空を見なよ 2003年10月02日(木)
 
 昨日、海渡を迎えにいく途中、空を覆いつくすほどのうろこ雲がものすごくきれいで何度も立ち止まっては眺めていた。真っ青な空と無数の白いうろこの波のコントラストが美しい。急に、シャ乱Qの「空を見なよ」が浮かんできた。サビしか知らないんだけど(笑)

 学校にたどり着くと校門から子どもたちが続々と流れてきた。海渡が出てくるのを待っていたが、一向に表れない。そのうちに、子どもたちの列がぶっつりと途切れて誰も出てこなくなってしまった。門の中をのぞいてももう誰も出てくる気配がない。

 入れ違いになっちゃったのかな?それとも何かあったのかな?
 急に不安になって、門を入り海渡の教室の方角へ歩いていくと、海渡と数人の子どもたちと1組の先生が歩いてくるのが見えた。

 「何かあったんですか?」

恐る恐る尋ねると、いえそこで海ちゃんが止まっちゃって・・・・と言う。ああ、また何か気に入らなくて石になっちゃったのかなと思ったら・・・

「どうしたの?って海ちゃんに聞いたら、空をじっと見て『くも』って言うんです。ずっと空を見上げて雲を見ていたらしいんです」

 私がうろこ雲に感動して見とれていたのと同じように、海渡も空を見上げていたのだった。何だか変なところが似ているなぁと苦笑してしまう。


 その後、ついでに最近の海渡の様子を聞くことができた。

 特学の担任の先生が大好きな海渡は、職員室にもよく会いに?行く。
 ある日、職員室に行ったら先生がいなかったのか、入れなかったのか、ドアの前で座り込んでしょんぼりしていたらしい。通りかかったほかの先生が何度も「どうしたの?」と尋ねたが、何も答えない。そのうちに、特学の先生が現れた。すると、海渡はやっと現れた先生を見るなり、大粒の涙をこぼしたそうだ。
 また、あるときは先生を探し回って学校中を歩いていたことがあったらしい。他の先生がそれを知って、特学の先生に伝えてやっと再会?できて嬉しそうだったとか。特学の先生は、そこまで自分を慕ってくれる海渡が可愛くて仕方がないらしい。

 話を聞いていたら、ちょっぴり嫉妬を感じてしまった(笑)
 親の私にだって、会えたからといって涙こぼして喜んだことはない。

 そんなに特学の先生が好きなんだとあらためて知った。
 考えてみれば海渡にとってはわけの分からない小学校という世界にたった一人で放り出されたのだ。保育園の時は担任が二人いて、一人は海渡やそのほかの障がいを持つ子どもの面倒をみてくれていた。また、同じ障害をもつ友達もいた。
 しかし、小学校では障がいを持つのは海渡ひとり。そのなかで特学の先生は入学してからずっと、一日中ではないにしても、自分と1対1で相手をしてくれている。一方、1年1組の先生は40人の児童の相手に忙しそうだ。甘えたくても、かまってほしくても、次々と子どもたちが先生の周りに集まって、海渡が入り込む余地はなかなか無いだろう。

 海渡にしてみれば、特学の先生が唯一の頼りなのかもしれない。
 健常の子どもたちに混じって小学校で生活していく、一人だけ障がいを持つ海渡の精神的なよりどころなのかもしれない。先生の存在は海渡のなかではとても大きなものなのだろう。

 私と会えて涙はこぼさないけれど、純真無垢な笑顔を見せてくれる海渡。
 手をつないで帰る道、空を見上げるとさっきと同じうろこ雲があった。数分前、別々に見ていた空を今度は二人で見上げている。

 海渡なりにいろいろあるんだろうな、でも、海渡なりにがんばっているんだよね。うろこ雲を眺めながら、そんなことを考えた。

 

■ お父さんは甘い 2003年10月01日(水)
 
 今日は水曜日なので、お父さんといっしょに登校。
 ちなみに、歯磨きの後の仕上げ磨きもお父さん(笑) 
ていうか、たまたま海渡が歯磨きしていて

「ママ〜」(by しあげはおか〜さん)

と呼んだら、お父さんがそばにいただけなんだけど(笑)

 今日も「ひとりで」と言って、とりあえず玄関からひとりで出ていきました。お父さんはゴミ袋を二つ持って(燃えないゴミの日だったんで)尾行開始。

 30分以上、いつもよりずいぶんしてから帰宅したお父さんによると、まず集合場所の公園でブランコに乗って、班長さんが呼んでもなかなかブランコから降りようとしなかったらしい。班長さんが何度呼んでも並ばないので、しびれを切らしたお父さん尾行をやめて注意した。けれど、なお降りようとしなかった。班長さんに先に行ってもらうことにして、海渡と二人でぶらぶらと学校へ行ったとのこと。学校についたらもうチャイムが鳴っていたらしいです。

 お父さんはどうも、海渡に甘い。
 私だったら、叱って無理やりブランコから引きずりおろします。
 そして、列に並ばせます。間違っても先に行ってもらうということはしないのですが、お父さんはそこまではしない・・・・。
 他の子どもたちの手前というのがあるのか、海渡がいつになく頑固だったのか分かりませんが、私からみると海渡はお父さんをナメてるな・・・と(笑)

 本気で怒るのも、叩く(お尻ペンです。虐待じゃありません^^;)のもいつも私だから、海渡はお父さんは怖くないのかもしれないし、甘えが通じるのかもしれません。まあね、小さいうちはこれでもいいんですけどね。

 いつだったか、海渡に

「おとうさんとおかあさんと、どっちがコワイ?」

と聞いたら、ニコニコしながら

「ママ」

と即答で言いました。

 でもその笑顔がまた可愛くて仕方がないんですけど(親ばか)。
 



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