++ 記憶の中へ
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■ ダイエット宣言 2003年09月29日(月)
 海渡の身長は121センチ、なのに体重は27キロ。
 身長は7歳児の標準ですが、体重は3キロほどオーバーしています。
おなかは出てるし、顔も丸くなってきたし、後ろから見るとお尻も目だってきたような・・・・。走る姿もドタドタ・・・・。

 これでも生まれた時は、身長47センチ、体重2394グラムのガリガリのおちびさんでした。その後、しばらくは標準よりは小さめでしたが、3歳くらいから身長も体重も健常の子どもと変わらないほどに成長してくれました。小さめがフツウのダウンちゃんの中では、とび抜けて大きい海渡です。実年齢より2歳3歳小さいのが当たり前のダウンちゃんの集まりなどでは、3年生くらいに見られることもあるほど。小学校の1年1組の中でも海渡よりも小さい子もいるくらい海渡は体格には恵まれています。そして、今まではどちらかと言うとスリムなほうでした。だから、後ろ姿などを見ているとダウンちゃんには見えないこともありました。

 あれ?と思ったのが去年、6歳の夏。ちょっとお腹が出てる?と思ったころ、今まで体重の増えは2ヶ月に0.5キロとか、3ヶ月でやっと1キロ増えたとかだったのが、いきなり1ヶ月で2キロ近く増えたのです。

 ほっそりしていたあごのラインが丸くなってきて、首が太くなってきました。一時的なものかと思っていたのですが、ちょっとすっきりしたかなと思ってもまたお腹がぽっこり出ている・・・。その繰り返しで、確実に標準体重よりじわじわとオーバーしていく体重。

 それでも、まだ肥満には入っていないと思うのですが、体重が増えればただでさえ筋肉が弱いのに、ますます動きにくくなり、動かなければますます太りやすくなります。おまけにズボンがどれも合わなくて不経済!丈は詰めないといけないくらいなのに、お腹周りが入らないなんてどいういうこと?と海渡に言っても始まらない・・・・。

 朝ごはん、給食、おやつ、夕食を食べたらその後は間食する習慣は無いし、おやつをダラダラ食べることもないから、やはり運動不足と食事そのものの量でしょうね。兄や姉と同じ量食べてたらそりゃ太るよね。

 ダウンちゃんは噛まずに飲み込みやすいので、それもあるんだろうなぁ。

 これ以上太ると健康にも良くないし、洋服買いかえるのも不経済だし、第一見た目も悪い。ということで、ダイエットに挑戦しようかと思います。

 目標は標準体重になるまで。
 子どもに負担にならないよう、がんばります。

 
 

■ おもちゃ図書館で遊びまくり 2003年09月27日(土)
 
 今日は、月1回のおもちゃ図書館「ちゃお」に行ってきました。
 おもちゃ図書館というのは、障がい児のためにおもちゃで
遊びながら心身の発達を助けようという場です。
もともとはスウェーデンの障がい児を持つ母親が始めたこと
だそうです。

 ここには、保育園で一緒だった同じダウン症のゆうたんが
来るので、海渡は朝から「ちゃお、いこう、ちゃお、いこう」
と嬉しそうでした。
 ダウン症以外にも、自閉症のお子さん、目の不自由なお子
さんなどたくさんの障がいを持つ子どもたちとそのきょうだい、
ボランティアの方々がいてとても暖かくてにぎやかな場所です。

 なにより、私たち母親にとっては、悩みごと相談、情報収集、
ストレス発散という心のリフレッシュをさせてくれる貴重な場
でもあります(笑)
 障がい児を持つ母親どうしの悩みや胸のうちを、ここなら遠慮
せず思いっきり吐き出せます。学校でのこと、近所のこと、家庭
でのこと、1ヶ月分しゃべってすっきりして、また明日からガン
バロウという気持ちになります。

 子どもは子どもどうし、言葉がいらないもの同士で思いっきり
遊びます。健常の同級生の子どもたちとはまた違った特別な安心
感があるのだと思うのですが、海渡はほんとうに嬉しそうにゆう
たんとず〜っとくっついて遊んでいました。けんかしたり、おも
ちゃを取り合ったりしながら、それでもいつのまにかまたくっつ
いてじゃれあっている、そんなふたりです。

 おもちゃ図書館のあとは、行きつけのショッピングセンターで
思いがけずハム太郎ショーを見ることができました。
 ところが、海渡と私が座って見ている前に突然後ろからやって
きて立ちはだかった姉弟がいました。当然、見えません。孫が可
愛いのはわかるけど「もっと前に行きなさい」と人の前にわざわ
ざ立たせるおばあちゃん、なんか間違ってませんか???

 海渡は怒りもせずに姉弟の隙間から見ていましたが、私は内心
ムカムカ。そしたらその姉弟の弟のほうに抽選券のくじが当たっ
て1等賞がもらえることになりました。喜んでハム太郎から大き
な袋をもらってきた弟、ベッカムのポスターもついてて大喜びの
おばあちゃん・・・。

 世の中の不条理を知った日でした・・・(笑)

 海渡は怒りもせず、すねもせず、ハム太郎が見れて大満足。
ニコニコとずっと笑顔でした。おかあさんはまだまだ人間ができ
ていないね、海渡(笑)


 

■ ひとりで・・・・ 2003年09月25日(木)
 
 最近、海渡はよくこの言葉を言います。

 「ひとりで」

 学校で、一人で体操服に着替えていたり、給食のとき自分からトレイを持って並んでいたり、言われなくてもすすんで行動していることが増えてきて先生をびっくりさせているそうです。

 今朝も、レインコートを着せると「ひとりで」と言い残して、自分の傘を持ちさっさとエレベータホールに向かって行ってしまいました。こっそり様子を見ていると、エレベータのドアが開き、中から女の子の「あれ?今日ひとり?」という声がしました。海渡の「うん」という声がします。

 次のエレベータに乗り、尾行することにしました。後ろから気づかずについていきましたが、やはり水たまりで止まってしまうので、注意したために尾行がばれてしまいました。でも、海渡は特に怒ることもなく並んで歩き出しました。

「レインコート脱がないといけないから、今日は教室まで行っていい?」
「うん、いいよ」

 子供にいい?とお伺いをたてるのも変ですが、一応本人ひとりで行くつもりだったので、その気持ちを尊重しての言葉です(笑)

 昇降口の前、子供たちはみな自分の傘をすぼめて地面にたててくるくる回して水気を切っています。海渡も当たり前のようにすぼめた傘を立ててくるくる回しています。そして、傘かけに傘をたてて、座って長靴を脱ぎました。長靴を自分の靴入れに入れて、その隣にある私のスリッパを出してきて

「はい、どうぞ」

と言いました。まさか、私のスリッパを出してくれるとは思ってもいなかったのでちょっと面食らいました。以前なら、靴を入れるのも上履きを出すのもいちいち声をかけないと動かなかったのに、さっさと自分から動いている海渡。上履きをはいて、自分の教室に行くと帽子、水筒、ランドセルとおろしてロッカーにしまい、レインコートも自分で脱ぎました。濡れたレインコートを空いている椅子にかけて、「じゃあ、お母さん帰るね」というと「うん」と言いながら、隣の1組の教室へ入っていきました。

 ここから、私の知らない海渡の生活が始まります。


 「ひとりで」はお風呂に入るときにも言うようになりました。
 夕食後、「さあ、おふろ」と言いながら洗面所へ行くので、当たり前のようについていくと、洋服を脱ぎながら指を1本立て「ひとりでいくから」と言います。細かいところや背中はひとりで洗えないものの、ちゃんとボディソープで洗うことはできます。シャンプーも自分で髪につけてゴシゴシ洗うことができます。でも、途中で泡が目に入りそうになって「ママーー」と叫ぶんですが。
 シャワーで髪のシャンプーを洗い流してやり、体に残っているせっけんも流してやると、満足そうに出てきます。

 時々甘えながら、でも何でもひとりでやりたい、やりとげたい海渡。

 もっと小さい頃にひとりでズボンを履きたがった「ひとりでやりたい」時期とはまたちょっと違う、いまの「ひとりで」。
 時々「ひとりで」のあとに「いーねんせい(いちねんせい)」という言葉がつくことがあります。多分、小学校1年生という彼なりのプライドがあるのでしょう。1年生だから何でもひとりでできる。そして、おともだちもみんなひとりでやっている・・・ここからくる「ひとりで」なんだと思います。

 今、この大事な時を上手に乗り越えていくとものすごく大きな自信を持たせてあげられるような気がします。

 失敗してもいいから、何度でもやりなおせばいいんだから、どんどんチャレンジしてたくさんの「ひとりで」を増やしてほしい。

 体がぐんぐん伸びる時期があるように、心がぐ〜んと延びる時期も必ずあるんだなぁと実感している今日この頃です。




 

■ 海渡の心の中 2003年09月24日(水)
 
 ふと、ほんとうにごくたまに海渡が健常児だったら今頃どんなおしゃべりを聞かせてくれているだろうと思うことがあります。毎日通っている小学校のどこが面白くて、何が楽しくて、先生のどんなお話があったのか、どんなふうにお話してくれるんだろう。

 そして、今海渡は何を考えて、何を思って、毎日小学校へ通っているんだろう。保育園のときは、ずっと年長になっても登園するのを嫌がることがありました。帽子や荷物さえ持とうとしなかったり、園についても車から降りなかったりしたことも何度もありました。

 それが、小学校になったとたん、一度も自分の荷物のランドセルを嫌がったことがありません。甘えて玄関まで自分で来ないことはあっても、一度外へ出てしまえばもうやる気満々です。川に浮かぶアメンボや水溜りに夢中になって足が止まることはあっても、それは学校へ行きたくないということではありません。

 どう想像しても、保育園よりも小学校のほうがルールは多いし、覚えなければいけないことがたくさんあるし、大人の勝手な判断で言うと保育園のほうが楽しいような気がするのです。

 小学校というところは、それほどに魅力的な場所なんでしょうか。

 学校の中で、先生の指示に従えなくて石のようになってしまうことはあってもそれが翌日の登校拒否につながったり、帰宅してから不機嫌になったり不安定になるということもありません。

 毎日、迎えに行ってその日その日、出会った道の途中で、私を見つけるなり全速力で走ってくる海渡。抱きつかんばかりに両腕を広げて大きな口を開けて飛びっきりの笑顔で走ってくる海渡。
 海渡のその表情だけを見ている限り、海渡は思いっきり小学校の生活を楽しんでいることが手に取るようにわかります。お友達大好き、せんせい大好き、べんきょう大好きと言う海渡。

 それだけで、充分なのかな。
 そう思う反面、もっといろんなお話を聞かせてくれたら・・・とも思ってしまう。楽しいことだけじゃなくて、「学校のこういうところは大変なんだよ」なんて苦労話をしてくれたら面白いだろうなと思ったりします。実際、海渡がおしゃべりもパワーも数段勝る健常児に混じって小学校生活を送るというのは計り知れない苦労や努力が必要だと思います。どんなふうにそういう場面を過ごしているのだろうと、思ったりします。

 海渡は毎日、幸せなのかな。

 相田みつをの言葉にこんなのがあります。

「しあわせは いつも 自分の心がきめる」

 海渡はちゃんと自分のしあわせを、自分の心できめることができているのかもしれません。それも、自分の気づかないうちに・・・・。

 それだけで、やっぱり充分なのかもしれません。
 

■ 秋の動物園 2003年09月23日(火)

 がんばった運動会のご褒美に・・・ということでもないんだけど、ずっと行きたがっていた名古屋市の東山動物園へ行ってきました。
 
 「動物園、行くよ」

この一言で、海渡は大張り切りでオモチャを片付け、トイレへ走っていきました(お出かけの前は必ずトイレへ行くように言っているので)。
 高1の長男、中1の長女はやっぱりパス。お父さんと私と海渡の3人だけの動物園です。

 ちなみに東山動物園は障害者手帳(愛護手帳、療育手帳)等を持っていると本人と介護者2名が無料になるので、海渡と行くときは私とお父さんも無料になります。最近有料になった駐車場も手帳があれば半額の400円になります。でも、昨日は事情があって役場に手帳を提出してあったので持っていませんでした。ダメもとで理由を言って代わりにと障害者医療証を出したところ、快く入場させてくれました。駐車場は全額払いましたが(笑)

 動物園の海渡のお目当ては、とにかくゾウさん。
 実は、レンタルビデオを借りるときも動物特にゾウのものばかりで、このあいだは「これ!」と言って持ってきたのが、「ぞうれっしゃがやってきた」というアニメでした。このアニメ、どちらかというと悲惨なお話です。舞台は偶然にもこの名古屋の東山動物園。
 戦争で動物園の動物たちを射殺したり毒殺したりするなかで、関係者の苦労と努力でゾウ2頭だけを生き延びさせるお話です。その後、東京の子供たちがゾウを見るために夜行列車に乗って、東山動物園へやってくるようになったというお話。

 当然、動物たちが殺されるシーンもあるわけだし、お話的にも難しいし、長い。海渡にはまだ無理だろうと思ったのですが、海渡は「これ!」と言ってきかず、借りることにしました。そして、思いがけず、最初から最後まで真剣に見ていました。物語を理解しているとは到底思えませんので、ただゾウが出てくるシーンを喜んでいるのだと思うのですが、それでも難しい大人どうしの会話のシーンもじっと見つめていました。そして、1度だけでなく何度も見たがります。

 今日、その舞台となった東山動物園へ来て、多分アニメと同じゾウ舎の前で無邪気に喜んでいる海渡。何度もゾウに「おーい」と声をかけていました。今日は涼しいせいか、ゾウもよく動いていて鎖でつないである古タイヤを放り投げたり、鎖をジャラジャラさせて遊んでいました。

 歩いていて時々頭上を通るモノレールが気になる海渡はとうとう「のりたいなぁ」と何度もつぶやくようになりました。座り込んで「乗りたいなぁ」とつぶやく海渡に根負けして、駐車場に近い植物園までの片道乗ることにしました。モノレールに乗れるとなったらそれまで時々座り込んでいたのが、がぜん張り切りだして歩けるようになり、駅までの階段も自分で上りました。乗っている間はおおはしゃぎで「ママ、見て見て」と大喜び。しかし、片道10分もないのですぐに植物園に到着してしまい、降りるのを嫌がるので無理やり抱きかかえて下ろしました。その後もむっすりとご機嫌ななめでしたが、デジカメを持たせて何とか駐車場まで歩き出しました。

 久しぶりの動物園は時折、夏の名残の日差しがあるものの、落ち葉も見られて秋の気配でいっぱいでした。今度これるのはいつかな?

 

 

 

■ 小学校初めての運動会 2003年09月20日(土)
 
 心配だったお天気は曇り。それでも時々薄日が差して風もなく運動会にはちょうどいい日和でした。長男は来年度の進路コースの説明会で高校へ、長女は部活で中学校へ行っていたので、お昼はお弁当を食べに小学校へ集合することにして、夫と二人で小学校へ行きました。

 小学校の運動場に着くと、すでに入場行進が終わっていて、縦割り班ごとに並んでいました。海渡は班長さんのすぐ後ろ。校長先生のお話や来賓の方のお話が退屈そうで落ち着きがありません。でも、私とお父さんの姿を見つけてにっこり。急に「気をつけ」の姿勢になったりおどけてみせたり。
 ラジオ体操が終わって、退場するときになって、全員が後ろを向きました。そして、班長さんが一番前に走って行きました。そうすると、海渡が一番後ろになってしまいます。一番後ろで大丈夫かなぁと不安になっていたら、海渡の前にいた恐らく1年生の男の子がさっと海渡の後ろに回り、海渡の腰を両手で支えるようにして「退場」の号令とともに海渡を押しながら駆け足になりました。なるほど、ちゃんと海渡の後ろにいくように決まっていたわけです。しかも、背中を押すのではなくて、腰なら海渡も嫌がらず、一緒になって走りやすい。上手に考えてあるなぁと感心しました。

 班ごとに座る席には図工の時に補助してくださっている海渡の大好きな先生がずっとついていて下さっていました。一緒に目の前を走る子たちを応援しています。海渡も大好きな先生が隣についてくれているので、嬉しそう。

 海渡が出場するのは、障害物競走、徒競走、玉入れ、ねずみの餅引き(つなひきに似た競技)などですが、どれも海渡が取り組みやすいように配慮されていて、上級生や同じ1年生がうまく海渡をフォローしてくれていました。もともと、1年生から6年生までの縦割り班ごとに出場する競技が多いので、自然と上級生が下級生をフォローするようになっていることが良かったようです。
 先生も前々から、海渡がいるから負けるだとか言わないようにと上級生たちに指導していたようです。

 1年生の徒競走(かけっこ)では、海渡はスタートから出遅れて完全なビリで走っていましたが、それでもニッコニコの笑顔で、来賓席の前では片手を挙げてアピールも忘れません(笑)おまけにビリなのに、ゴールテープまで張ってくれて本人大満足でテープを切ってゴールしました。「海ちゃん、がんばれー」の声援もたくさんありました。

 玉入れは1〜3年生までの合同なので、海渡が押されて転ばないょうに補助の先生がそばでガードしてくれていました。ありがとうございます、先生。海渡の投げる玉ははるか頭上の籠には全然届かないで、海渡の頭のすぐ上でポトンと落ちていました。それでも、何度も拾って何度も投げていました。精一杯投げていました。

 あいにく、運動会が始まって1時間ほどで小雨が降り出し、強くはならないものの止む気配もなく、ずっと降り続いていました。何度もプログラムが変更になり、職員や来賓の競技が削られ、児童と保護者全員のマイムマイムも無くなって、児童が出る競技だけをすませて、午前中ですべて終えることになりました。雨で濡れながらの閉会式も終わり、体育館でお弁当となりました。

 海渡を迎えに特学の教室に行くと、特学の担任の先生と今日一日、補助についてくださっている先生が着替えを手伝ってくれていました。今日一日のお礼を言って、補助の先生に「海渡がしゃべっていること、分かりますか?」と聞くと

「大体わかりますよ。私がわからないときは、海ちゃんはゼスチャーで教えてくれます」

ということでした。海渡はこの先生が大好きなので、きっと一生懸命思っていることを伝えようと身振り手振りでお話しているのでしょう。

 あいにく、2年連続で体育館でのお弁当になってしまいましたが、お兄ちゃんとお姉ちゃんも揃って、海渡は満足そうに大きなおにぎりをほおばっていました。

 もちろん、タコさんウインナーもね(笑)




■ 3度目は・・・・ 2003年09月19日(金)
 
 昨日、通学班とともにひとりで登校した(と思っている)海渡ですが、今日はどうかな???

 今朝7時半、朝食を食べ終えた海渡がカセットデッキにビデオテープをセットしようとしていました。あと20分あるとはいえビデオの途中ですんなり動くとも思えないので、

「海ちゃん、もう公園(集合場所)へ行く? 今日はどうする?ひとりで行くの?」

と聞いてみました。すると「いく!」と言って立ち上がり、すでに玄関へ。まだ準備の出来てなかった私は、あわてて「あとですぐ行くから先に行っててね」と言いました。すると、たまたま出勤するお父さんが「じゃあ、お父さんと一緒に公園へ行こうか」と助け舟を出してくれました。ところが、

「海ちゃんは、ひとりでいくの」

と指を一本立てて言ったかと思うと、あっけにとられる父と母を残して飛び出して行きました。

 お父さんがすぐ後を追って公園までついていき、その後私が降りてバトンタッチしたのですが、お父さんによると外へ出るやいなや持っていた体操服の入った袋をぼとんと落として拾わずに走って行ってしまったそうです。

 体操服、いらないと思ったのか、気づかなかったのかはわかりません。ダウン症の海渡は指の筋肉が弱いので、公園へ行くことに夢中になって落としたことに気づかなかったのかもしれないし・・・いらんと思ったのかも?

 お父さんが行ってしまって、公園には私と海渡だけになりました。
 固定されたゆりかご型の遊具に向かい合ってすわり、おしゃべりしました。

「お弁当は何がいい?」

「おいぎりとぉ、ウインナー!」

「そか、おにぎりとウインナーね」

「タコさん」

「そか、タコさんウインナーね」

「うん!」満面の笑顔。

 子供たちが、少しずつ増えてきました。
 しばらく遊んで、出発の時間になって、もう一度

「今日はどうするの?お母さん帰っていい?」

と聞くと・・・・

「ママと・・・いっしょ・・・」

 どうやら、今日は一緒がいいそうです。一緒に遊んでいるうちに、ちょっと甘え心がでちゃったかな(笑)




■ 2度目の「ひとりで行けるもん」 2003年09月18日(木)
 
 入学当初からずっと付き添ってきた登下校。
 今朝、2度目の「ひとりで行ける」コールがありました。運動会の練習でお疲れモードの海渡は、今朝布団から中々出ることができず、最後までせかされて動いていました。洗面所で海渡の歯磨きをしたあと、家を出る前に洗濯物を洗濯機に入れてセットしておこうと思い、海渡に先に玄関へ行くように言いました。すると、それまでぐずぐずしていた海渡の何が気が変わったのか、

「ひとりで行くから」

と言って、玄関へ走り出しました。
 あわてて、後を追い「本当にひとりで行けるの?」とたずねると「うん」と言って、またまたエレベーターのほうへ走っていきました。エレベータに乗り、下へ降りていくのを確認すると、私は階段で1階へ。

 1階に下りて外へ出ると、集合場所の公園へ歩いていく海渡がいました。公園へつくと、たまたま空いていたブランコのひとつにランドセルのまますわりました。でも、もう時間がありません。班長さんが呼んでいるので、海渡にそう言うと、私が来ていたのに気づいてちょっとびっくりしていましたが、それでもブランコから動こうとしませんでした。

「海ちゃん、今日ひとりで行くんじゃなかった?それとも、お母さん一緒に行こうか?」と聞きました。

 すると、海渡は「ううん」と首を振りました。「じゃあ、がんばってひとりで行ってね」

と腕をとってブランコから立たせました。海渡はあきらめたのか決心したのか、そのまま列のほうへ歩き出しました。私はここで帰る振りをすることにして「バイバイ」と後ろから声をかけましたが、海渡はこちらを振り向くこともなく、列に入りそのままみんなと歩き出しました。

 私は列の一番後ろについて歩くことにしました。海渡は後ろを振り向くこともなく、私はもう家に帰っていないと思い込んでいるようでした。止まることもなく、でも足を速めることもなく、同じペースで歩いています。

 橋の上もそのまま素通りして、橋を降りたあといつものように、道の真ん中に寄っていきましたが、班長さんに声をかけられて引き寄せられるように列に戻っていきました。

 入学当初のころにように、歌を歌ったり、両手を大きく動かして手遊びするということも、好きな食べ物の名前を大きな声で言うこともなく、ただ黙々と歩いていました。一度も立ち止まらず。
 張り切っているふうでもなく、やる気満々元気いっぱいというふうでもなく、こんなの当たり前と言っているような海渡の後ろ姿でした。

 校門へ入ってそのまままっすぐに自分の教室のあるほうへ歩いていく海渡が小さくなるまで見送って、私はやっと安心して帰ることにしました。

 尾行するように後ろからついていないとまだまだ不安ですが、それでも初めての「ひとりで行けるもん」は大成功。あまりにフツウに歩いていて、ちょっと拍子抜けの感もありますが、意外と親がついていなくてもちゃんとできるもんなんだなぁと実感しました。また、そんな日は必ず来るんだなぁと確信した朝でした。






■ 運動会 2003年09月12日(金)

 いま頃の小学校では、どこも運動会の練習で忙しいでしょうね。
 海渡も毎日、運動会の練習をがんばっているようです。
 残暑が厳しくて、暑い運動場で先生に注意されながらも石にならずに、何とか1時間もたせているらしいです。

 海渡の小学校では、運動会は縦割りグループで行います。その縦割りグループをさらに紅白に分け、種目全部に点数をつけて、最後のトータルで勝ち負けを競います。

 だから、海渡がいるグループははっきり言ってハンディありすぎです。
 海渡が出る種目は多分得点にはつながらないだろうし、逆にお荷物になってしまうかも。それを考えると海渡のグループのほかの子に対して、申し訳ないなぁという気持ちになります。

 特学の先生は、他の子にはきちんと話してあると言ってましたが、それでもやっぱりね・・・・・。
 運動会ってやっぱり、勝った負けたの世界だし、やっぱりみんな勝ちたいだろうし、負けたくないもんね。

 海渡の好きな「お遊戯」系の種目がないので、どこまでやれるかわかりませんが、「ウォーターボーイズ」じゃないけど「がんばろう」よりも「楽しもう」という気持ちでやってほしいです。



■ ともだち 2003年09月11日(木)

 昨日、珍しく同じクラスの男の子が三人遊びに来ました。
 どちらかというと女の子が来ることが多く、男の子はいつも誰かがひとりで来ることが多かったので、三人いっぺんにというのはちょっと驚きました。

 テレビの前に「64」がセットしてあったので、自然とゲームをすることになりました。1対1だと強気の海渡も、相手が三人だとなんだかやけにおとなしいのです。嫌そうではないのですが、じっとみんなの会話を聞いているという風です。

 男の子三人の会話は、やっぱり男の子っぽい(笑)

「早っ!」「やべぇ!」「なんだぁ!」「ちぇ!」「すげぇ」

なんて荒っぽい言葉がぽんぽん飛び出してきます。そして、海渡が時々使う乱暴な言葉のイントネーションがまったく同じ。そうか、学校で彼らから学習していたのね。

 5時きっかりに彼らは帰っていきました。「海ちゃん、また明日ね」と口々に言い、最後に「お邪魔しました」の言葉も忘れずに。どちらかというと女の子たちよりも礼儀正しいかな。

 残された海渡は、しばらく一人でゲームをしていましたが、飽きるとぬいぐるみで遊びだしました。それを見て、彼らはもうぬいぐるみでは遊ばないんだろうなぁと思いました。彼らの会話を聞いていると、やっぱり海渡とは全然違う、年齢相応の話をしています。そのうち、どんどん話す内容が違ってくるのかなぁとも思い、ちょっと淋しいものを感じました。

 女の子はどちらかというと「遊んであげる」という感じで、海渡に合わせてくれるのですが、男の子はなかなかそういうふうにはいかないのかもしれません。

 でも、やっぱり同じ男の子どうしの友達っていいよね。


■ 朝から雷一発 2003年09月08日(月)
 
 月曜日は荷物がいっぱい。
 ランドセル、水筒に加えて、上履きの袋、体操服の袋、歯磨き用のコップ袋、今日はそれに先週持たせ忘れた鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)という大きな荷物があります。
 全部持ちきれないので、久しぶりに教室まで行こうかな・・・と下駄箱のところまで一緒に行きました。すると、海渡は上履きに履き替えると、いつもならさっさと自分だけ行ってしまうのに、今日は私の持っている荷物を全部受け取り、「じゃね」とでも言うような顔をします。

 おお、ここでもこんなに成長したのね、としばし感動した私。

 じゃ、本人の気持ちを汲んでここで帰ろうかな・・・と思ったのですが、そのとき、先日、特学の先生から、朝の荷物を上級生にまかせてしまって自分では片付けないという電話をもらったことを思い出しました。
 急に不安に駆られ海渡の後をそっと追うと・・・・

 なんと、1年生の手前の2年生の教室の前で自分の荷物を全部山のように置き去りにして、手ぶらで歩いていく海渡がいるではありませんか!

 ここで、母怒り爆発! 「海渡っ!!」 と一発雷。

 びっくりした海渡が振り向き、私の姿を見るとあわてて戻ってきて、自分の荷物を引きずるようにして持って行こうとしています。

 「全部持ちなさい! どうしてこんなことするの! 自分の荷物はどこへしまうの?!」

 海渡はあわてて、自分のロッカーへ荷物をしまいだしました。
 私がランドセルから提出物を取り出して「これを先生に渡してきて」と袋を持たせると、海渡は隣の1組の教室へ走って行きました。

 後を追うと、海渡は先生に袋を渡すとなぜか私のほうへは戻ってこず、教室の一番後ろへ走っていきます。私が今あったことを先生に話すと思ったのでしょう。正解。先生にことの始終を話すと、海渡は後ろで「やっぱり」という顔をしています。でも顔は笑っている。

 荷物を自分のロッカーの前に置いて、中にしまわないとかなら分かるけど、なんで2年生の教室の前にご丁寧に山にして置いていくのか・・・・要領がいいというか、図々しいと言うか・・・・


 帰宅した海渡に「朝、荷物はちゃんと自分のロッカーにしまわないとダメだよ」ともう一度言いました。海渡は急に神妙な顔つきになって「はーい」と言いました。

 わかってるのかなぁ、本当に。

 

■ ちょっぴりの成長とちょっぴりのため息と 2003年09月04日(木)

 入学して半年めにして初めて、海渡は「がっこう、一人で行く」と自己主張しました。「ひとりでいくから、おかあさん、こないで」とろれつのまわらない言葉で言い、玄関では片手の手のひらを私に向けてストップの合図をしました。

 本当に、一人で行けそうな様子でした。海渡もその気になっていました。
 でも、班長さんは私が行かなかったらずっと待っているだろうし、海渡には説明できないので、少し遅れてこっそり集合場所へついていきました。

 海渡は公園に着くと、ベンチにランドセルを下ろそうとしています。
 今日はそんな時間はもう無いのに! 私はせっかく海渡が一人で行く気になっていたので迷ったのですが、出て行って遊べないことをいいました。
 案の定、海渡はすねてしまい、一人で行く気になっていた気持ちもしぼんでしまったらしく、ベンチに座って動きません。

 初めての一人で登校は後日へ持ち越しとなりました。

 学校へ送り届けて、家に戻って1時間ほどしたら、学校から電話があり、昨日に続いておもらしをしたので心配だということ、朝、学校へ着いてかばんなどを自分でしまわないので、家でもちょっと注意してほしいなどのお話が特学の担任からありました。

 一気に落ちこみました。
 が、こんなことでいちいちへこんでいても仕方ないので、気を取り直して迎えに行ったときにちょっと先生とお話してきました。
 まあ、実際に会って話せばそれほど大したことでなく、ゆっくりやっていきましょうということになりました。

 そして、ついでに毎日の国語と算数でどういう勉強をしたのか、ちょっと一言でいいので連絡帳に書いてほしいということもお願いしてきました。そんなにどんどん進んでいるわけでなく、毎日同じことの繰り返しだということですが、それでも何を使ってどんなことを勉強したのかが分かれば、家での話題や復習などもできるので・・・。
 ちなみに、今日は国語はカルタとり、算数は三角や四角などの図形を勉強したそうです。

 先は長いもんね、ゆっくり行こうか。
 でも、朝確かに「ひとりでいく」と言い、その気だった海渡。
 あの一言だけでも、その後のことが帳消しになるくらい嬉しいよ。

 

 
 

■ 学童とデイサービス 2003年09月02日(火)

 2学期二日目、朝はやっぱり起きられませんでした(笑)
 昨夜は9時過ぎに寝たのに、起きたのは7時20分頃。それも無理やり起こして・・・。やっぱりこうなるのかな。子供によって必要な睡眠時間ってあるみたいで、長男は小さい頃から、遅めに寝ても朝は7時頃にはすんなり起きられる子で、朝私が起こしたという記憶はありません。小・中学校とも時間になると自分で起きてきました。今もそう。
 逆に長女は、たっぷり寝ないとダメなタイプで、小さい頃から7時にはもう「眠い、眠い」と言って、何にも言わなくても早寝して、でも朝も自分で早く起きていました。

 海渡は基本的にはたっぷり寝ないともたないタイプなんだけど、どうしても家族に付き合っていると寝るのが遅くなってしまう。理想的なのは9時には寝て7時に起きる生活。でも、居間で9時からドラマや映画を誰かが見ているともうダメ。となりの和室で一人だけ寝るなんてことは無理なことなんだよね。何とかしたいんだけど。

 さて、昨日9月になったことだし、もう一度学童の申し込みというかその後どんなふうになっているか、学童の事務所へ行ってきました。しかし、やっぱり受け入れはダメでした。指導員は2人いるけれど、一人が学年によってバラバラに下校する子供を学校の途中まで迎えに行っている間、学童の中は指導員一人になってしまう、その間他の子供(といってもせいぜい5〜6人ですが)と海渡をみていられないということらしいです。海渡は多動じゃないし、5〜6人プラス海渡なら見ていられない人数でもないと思うのですが、万が一ということを考えると不安なんでしょうか。受け入れ態勢がないというのは、そういうことらしいです。途中で指導員を増やすことはできないので、年度が替わるときに申し込んではともう一人の人が言いましたが、こんなに人数が少ない学童に海渡のために役場が一人指導員を増やすとは思えず、きっと来年度申し込んでも望みは無いような気がします。

 そこで、今度は夏休みに一度見学に行った知的障害児・者デイサービスに連絡してみました。見学に行ったときは定員がいっぱいでしたが、9月から体制が変わるのでまた連絡してくださいと言われていたのです。
 今現在は、定員いっぱいというよりも調整中ということで、何とか期待が持てそうな感触でした。海渡の場合のデイサービス利用とは、学校まで車で迎えに来てくれて、施設(というよりも普通の家)の中ですごし、あらかじめ決めた時間(8時まで)にまた車で自宅まで送り届けてくれるというものです。もちろん、送迎も有料ですが、送り迎えをしてくれるというのは本当にありがたい。デイサービスに行く日は、私は海渡を学校まで迎えにいくことを気にせずに仕事ができます。学童だって、海渡の場合は私が学校まで迎えに行って、学童のある隣の学区の小学校まで送らなければならないことを考えると、本当にありがたいサービスです。
 ただ、毎日というわけにはいかないようで、大体2日から3日までの利用になるようです。また、支援費サービスといっても自己負担金もあるわけで、それがどの程度の額になるのかはまだわかりません。とりあえず、役場に支援費制度を利用するために、申請書を出さなければなりません。

 まだこの先どうなるか分からないけれど、利用できる福祉サービスはどんどん利用していこうと思っています。


 

 

■ 大張り切りの2学期スタート 2003年09月01日(月)

 今朝の海渡は驚異の6時起き!
 起きて、そのまま寝ないように大好きな「のんたん」のビデオを速攻でつけました(笑)

 「のんたん」で目が覚めた海渡は、「今日から学校だよ」の一声で「やったあ!」と大張り切り。ごはんをさっさと食べたら、まだ集合までに30分以上もあるのに、帽子をななめにかぶり(正確には頭に乗せ)、水筒を首にかけ、ランドセルを一生懸命背負おうとしています。「まだ早いよ」と言っても下ろそうとしないので、早めに出ることにしました。

 集合場所の公園はまだ誰もいません。
 ベンチにランドセルや水筒を下ろすと、海渡はブランコへ一直線。いつもギリギリに来るので遊べないのですが、今日はたっぷり遊べます。
 しばらくすると、マンションの玄関のほうから

「あー、海ちゃん、はやーい!」

という声が聞こえたのを皮切りに、続々と子供たちが出てきました。
懐かしい子供たちの毎朝の風景。みんな日焼けしています。

 小学校への道も海渡は足取り軽く、るんるん気分。
 私もそれを見て、るんるん(古い)
 途中で、トカゲを発見してしばし道草。全員がトカゲを囲んで観察(笑)
 余裕の2学期初日の登校でした。

 今日は一斉下校でしたが、私が時間を間違えて、玄関を出ようとしたら、班長さんと一緒に海渡が帰ってきてしまいました。ドアを開ける前から環境の「おかあさーん」の声が聞こえてきました。

 ドアを開けると、よほど楽しかったのか満足そうな笑顔の海渡がいました。こんな笑顔で毎日帰ってきてくれるといいな。最高の幸せだな・・・と思った私。ささやかな幸せを感じた日でした。





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