中一になる海渡の姉は、海渡にいろんなことを教えてくれます。 今日は「ゲッチュ!」を特訓。何度か教え込むと「ママに見せておいで」とデビュー?させます。
海渡は私のところに来て、親指と人差し指を立ててひとこと
「げっちゅう!」
こんなくだらないことでも、とりあえず褒めてあげます。あんまり嬉しそうにやってくれるから。姉がしこんだ芸はほかにもあります。「あい〜ん」「さんぺーです」「ファイトマネセンパイ」(@笑う犬の情熱?)、「何でだろう〜」・・・書いてたら情けなくなってきました・・・・。
でも、言葉を教えてくれたり、ゲームのルールを教えてくれたり、流行の歌を教えてくれたり、絵本を読んでくれたり、お風呂に入れてくれたり・・・お姉ちゃんに助けられることたくさんあって、本当に感謝しています。
「どうして海ちゃんは他の子みたいに歩かないの?」 「どうして海ちゃんはしゃべらないの?」
海渡が小さかったころは、姉もまだまだ小さくて、こんな疑問をたくさん投げかけてきました。今はもう海渡の発達のことで尋ねてくることはなくなり、逆に私の方が「海ちゃん、中学いけるかなぁ」と問いかけると「大丈夫、大丈夫」と励ましてくれるようになりました。
海渡の障害についてどう思っているのか、あらたまって言うことはないけれど、ありのままの海渡をまるごと受け入れてくれる姉。
先日、「私の家族」というプリントに海渡のことを書いていました。海渡の好きなもの、好きなこと、特技、そして海渡に対するコメント。いったいどんなことを書いたのか、聞いても教えてくれません。
娘のことだから、さらっと書いているのでしょうが、とっても気になるのです。いつか見せてくれるかなぁ・・・・それとも永遠の秘密でしょうか。
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今朝の海渡はオドロキの6時起き。 また、学校でお昼寝するんじゃないかとちょっと不安です(笑)
この頃の海渡はちょっぴり成長のしるしをところどころで見せてくれます。たとえば、朝いっしょに小学校へ行くとき必ず私と手をつないでいたのに、今日私からつなごうとしたら自分の手を隠したりするんですね。そんなとき、ほんのほんのほんのちょ〜っぴり、ジリツの一歩を踏み出したんだなぁって実感します。オオゲサだけど。
何気に「海ちゃん、もうお母さんがいなくてもひとりで学校行けるよね」と言うと「あたりまえさ」というような顔でこちらを見もしないで「うん!」なんて言っています。
小学校へ着いて「じゃあ、お母さん帰るね、いい?」と言うと、やっぱりこちらを振り向きもしないで「うん!」と返事してランドセルのベルトを両手でつかんだままどんどん歩いて行きます。まだまだ頼りない小さな後姿なんだけど、でもその後ろ姿を見て、障害があっても子どもは確実に成長していき、そして少しずつ親から離れていくんだなぁとつくづく思うわけです。
そんなセンチメンタルな気分に浸っていたら、海渡の周りにお友達が集まってきました。そのうちの誰かが海渡の手を取ろうとしました。すると、海渡はその手を振り払い小走りに走っていきました。水曜日のお父さんの話でも、海渡の周りにお世話好きな女の子が駆け寄ってくると、海渡はその女の子たちの手を振り払うようにしていることが増えているそうです。
お姫様お嬢様がどっとお世話してくれるお殿様状態が嬉しそうな海渡だったのに、さすがに「これじゃイカン」と思ったのか、ただ単にうっとおしくなった(多分こっち)のかわかりませんが、良い傾向です。身勝手なようだけど、本当に本当に必要なときだけ、手を貸してほしいんです。そういうときは必ずこれからたくさんあると思うから。
でも・・・昨日の連絡帳に「疲れると甘えたくなってしまうようです」と書いてあったとおり、まだまだ甘えん坊海渡としっかり海渡の間を行き来しているようです。朝の「しっかり海渡」がどこまで持続するかわかりませんが、本当の自立のときまで、のんびりゆっくりやっていこうね。
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今日は水曜日なので海渡はお父さんと一緒に小学校へ行きました。 集合場所へ行くついでにゴミ捨てもやってくれて、おお助かり(笑)
水曜日はお父さんの帰りが早いので、久しぶりに外で晩御飯を食べることになり、その前に「アルペン」で長女のテニスラケットを見ることになりました。中学の部活に軟式テニスを選んだのはいいのですが、長女はもちろん私もお父さんもテニスのことはまったく知りません。ラケット売り場の前で長女に「とりあえず・・・・何色にする?」としか言えない母(笑) 店長さんがやってきていろいろアドバイスしてもらってやっと決めました。ガットを張ってもらうので明日引き取りにくるということでテニスシューズだけ持ち帰り。
そのあと、何を食べに行くかということになり、長男が「かっぱ寿司」とぽつんと言ったら、海渡が「かっぱ」に反応してしまい「かっぱ、かっぱ」と大喜び・・・・。「かっぱ寿司」と言うのは1皿100円の回転寿司のことです。「やったあ、かっぱだあ、かっぱだあ」と大喜びの海渡。100円の回転寿司でこんなに喜ぶなんて・・・・
家族5人で43皿・・・・一番たくさん食べたのは、長男(笑) 育ち盛りの15歳、しかも身長180センチですから当然と言えば当然かもしれません。海渡は喜んだほどはたくさん食べられなくて2、3皿かな。
帰りの車の中で、こともあろうにおしっことうんちと両方もよおしてしまった海渡。うちに帰ると大急ぎでトイレへ行って、その後洗面所へ走って行きました。何しているのかと思ったら、汚れてしまったパンツを自分で洗っていました。おしっこやうんちをもらしてしまうと、こうして自分でパンツを洗っていることがあります。海渡なりに申し訳ないという気持ちがあるのでしょう。
お風呂に入って寝る前、小学校から持ち帰った絵本を読んであげようとランドセルから出して、その本を見て笑ってしまいました。本のタイトルが
「がまんだがまんだ うんちっち」作 うめだしゅんさく
だったのです。小学校の帰りにうんちがしたくなった主人公の男の子のお話でした。海渡は他人事のように思えなかったのか、真剣な表情で聞いていました。主人公の男の子はいろんな方法を考えたけれど(お友達の家でトイレを借りようとしたり、スーパーのトイレに行ったり)どうしても我慢できなくて野原の中で用を足してしまいました。そして「お母さん、パンツ汚してごめんなさい」とつぶやきました。
海渡は友達の家のトイレを借りるとか、スーパーに寄ってトイレに行くとかの知恵もないから、どうなるかは想像できるのですが、それにしてもありそうでなかなかないお話だし、また海渡にとってはタイムリー(笑)なお話でした。
お食事中の方、ごめんなさい。
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■ お手伝い@ひとりでできるもん |
2003年05月27日(火) |
海渡はお手伝い大好きです。 洗濯物たたみに、布団敷き、お風呂掃除、お米とぎ、お皿洗い・・・このへんのことはまあ、根気と忍耐を養う(私の)つもりでやらせたりはしますが、一番困るのが夕食の準備を手伝いたがるときです。
今日も揚げ物をしていて、てんぷら油の中に切ったサツマイモを入れたがるのでやめさせるのに苦労しました。やっぱり揚げ物している間はそばに来てほしくないし、これだけは手伝ってほしくないのです。
ところが、私の気付かないうちにサツマイモの切れ端を握り締め、熱くなったてんぷら油の中にいれようとしています。あわてて「ダメダメ、おててがアッチッチになるからいいよ。」と言って、サツマイモを没収したところ、黙ってキッチンから出て行き、そのまま向かいの洗面所に入るとドアを閉めてしまいました。
案の定聞こえてくるのは嗚咽・・・泣き声とかならまだいいのですが、「うっうっ・・・」と声を押し殺すような嗚咽には参りました・・・・。
しょうがないので、洗面所に入り
「お母さんね、海ちゃんの手がアッチッチになって怪我をすると悲しいの」
と海渡の前に座って言いました。「怪我をするよ」とか「痛いよ」と言うよりこの「あなたが怪我をするとお母さんが悲しい」と言うのは、海渡にはわかりやすいようですぐに理解して抱きついてきました。そして立ち上がると居間に戻り、テーブルの上にあったバナナをむきながら一本持ってきて
「これ、ママの」
と差し出してくれました。バナナをくれるのは嬉しいけれど、今は食べたくない私(苦笑)・・・そこで
「じゃあ、海ちゃん、このバナナ切ってくれる?」
と言うと、海渡の顔がぱあっと明るくなり、「よおし、やるぞ〜」とガッツポーズ。ヨーグルトにお砂糖を入れて、切ったバナナを混ぜてもらいました。
おお張り切りでバナナを切り、ヨーグルトに混ぜる海渡。
出来上がって、「GOOD!」と親指を立てる。こういうところはいっちょまえ(笑)
お手伝いのなかでもお料理は特に好きな海渡。 もう少ししたら毎日お母さんと一緒に夕食の準備ができるようになるかな? それもいいかも(笑)
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■ お姉ちゃんがお迎え |
2003年05月26日(月) |
4日ぶりの登校です。 昨夜は「明日からまた学校行こうね」というと「うん」と言っていたのに、いざとなると「しまじろう」が最後まで見たくてぐずぐずしていました。「おはスタ」が終わった段階で9チャンネルに回しておくのを忘れて「しまじろう」が始まってしまったのでした(笑)
9チャンネルなら「ミッフィー」が終わったところできりよくテレビを消すことが出来るのですが、「しまじろう」だと見ている途中でテレビを消さなければならずこれがなかなか難しいのでした(笑)
今日も雨。 海渡はちょっとふてくされていましたが、それでも列から離れずに歩きました。学校の教室について「じゃあ、お母さん帰るね」と言うと、目で「ダメ」と訴えます。「お母さん、おうちでお仕事あるから帰るね」と言うとちょっと不満そうな顔をしましたが、後を追うことはしませんでした。
さて、今日は長女の中学校の授業参観と部活動懇談会の日です。部活動懇談会の途中で帰らないと海渡のお迎えに間に合わないなと考えていたら、授業参観が終わって帰宅する長女がそばにやってきたので、モノは試しとばかりに
「部活動参観の途中で帰らないと海ちゃんの下校時間に間に合わないんだけど、お母さんの代わりに迎えに行ってくれない?」
すると娘は
「あ、面白そう!OK、OK! 最後まで部活の話聞いてきてね」
とあっさり帰っていきました。懇談会の途中でふと、いくら姉でも中学生じゃまずかったかなと思いましたが、私よりも海渡のことを知っているほどの姉ですから、ま、いいかな・・・・(笑)
帰宅するともう2人とも帰っていて、置いておいたおやつを食べていました。娘に聞くと学校の中まで迎えに行って、先生(娘の6年生の時の担任でもあるので)にも会ってきたよ、とのことでした。また、遊びにおいでねといわれたそうです。
下校中どうだったか聞くと
「海ちゃんとね、水たまりでいっぱい遊んだよ。面白かった!」
・・・・って、あんたが一緒になって遊んでどーするのよ!
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■ 海渡のお気に入り |
2003年05月25日(日) |
上の子ふたりに比べると、海渡のおもちゃは少ない方だと思います。 知的障害があるせいなのか、性格からなのかわかりませんが、男の子が欲しがる「戦闘モノ」にもあまり興味を持ちません。たとえば、長男が6歳のころは「〇〇レンジャー」シリーズのおもちゃをよく買いましたが、海渡は今テレビで放映されている「アバレンジャー」には全く興味を示しません。
「正義の味方」だとか「悪者」の意味がまだ理解できないというのもありますが、戦いのシーンは「かわいそう」「痛そう」と言って見るのを怖がります。おもちゃコーナーにいってもそういう類のものが置いてあるコーナーは素通りです。
海渡の家での遊びは、現代っ子らしくゲーム。そして、ぬいぐるみです。 ゲームとぬいぐるみというのは、ちょっとかけ離れているんですが、ゲームは兄と姉の影響です。64のマリオシリーズ、カービィ、ポケモンなどがお気に入り。コントローラさばきは私より上手です。
それから、ぬいぐるみたち。 ミッキーマウス、ドラえもん、ハム太郎、チョッパー、コラショ・・・と一通りの人気キャラに加えて、訳のわからないゲームの景品たち。 下の画像が海渡のお気に入りたちです。写っていないけれど、ハム太郎やミッキーマウスもいます。
保育園に通っていた頃、1歳、2歳の頃のおたより帳にも
「お人形に布団をかぶせたり、髪をとかしたりしています」
と書いてあるほどですから、まだ歩けない頃からお人形やぬいぐるみが好きだったようです。
ぬいぐるみの中でも特に一番のお気に入りが、右端に写っているくたびれたくまのぬいぐるみです。中一になる長女が幼稚園か小学校低学年の頃に100円かそこらで買った中古品?です。これがなぜか海渡のお気に入りで、娘がつけた「ふぅちゃん」という名前で呼んで、可愛がります。どうしても離さなくて、保育園へ一緒に連れていったときもありました。
これらのぬいぐるみを前へならえと並べたり、一列に寝かしたり、「かくれんぼ」と言いながらあちこちに隠れさせたり・・・いろいろ工夫?して遊んでいます。
もっともっと大きくなってぬいぐるみが好きなのも困るけど、今は海渡の大切な心の友達のようです。
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昨日丸一日熱がなく、今朝も元気に目覚めた海渡。 風邪で39度も熱があったとは思えないほど元気です。咳もないし、鼻水もないので本等に風邪だったのかと思うほどの回復振り。
元気を取り戻した海渡は、朝からどこかへ出かけたくてうずうずしていて、独り言のように「シーパー、シーパー」(休日によく出かける大型スーパーのこと)とつぶやいては、私やお父さんのほうをチラッと見ていたりします。
「じゃあ、お昼ご飯食べてから出かけようね」
のひと言で、「やったあ!」とガッツポーズ。
お昼の仕度ができたので海渡に「お兄ちゃんとお姉ちゃんにご飯だよって言っておいで」と言うと、「はーい」と返事をしながらリビングを飛び出していきました。ところが、お姉ちゃんはすぐ来たのに、お兄ちゃんがなかなか来ません。
「海ちゃん、お兄ちゃんにご飯だよって言った?」と聞くと
「言ったよ!」
と速攻で返事が返ってきました。その言い方が、ちゃんと言われたとおりに言ってきたのに、なんだよ!っていう感情がこもっていて、お兄ちゃんを除く全員が大笑いしてしまいました。
「なんか、今の言い方って、フツーの子みたい」
っていうことなんですね。普通の子っていうのも変ですが、生意気ざかりのごくフツーの6歳のオトコノコが唇尖らせて親に文句言っているみたいで、
「ああ、海ちゃんもこんな言い方できるようになったんだね」
って、私もお父さんも、お姉ちゃんも海渡の小さな成長?を同時に思ったわけです(笑)
「でも、海ちゃんが言うと可愛い!」とお姉ちゃん。
海渡が生意気な口を利いただけで、家族中がハッピーになれるというのも障害児をもった家族のささやかな幸せ、いえ特権かもしれません。
何も知らないお兄ちゃんがのっそり現われて、お昼ご飯になりこの話はおしまいです。 お昼ごはんを食べてから海渡のリクエスト通り大型スーパーに行き、マクドナルドでハッピーセットを食べて、ご機嫌の海渡でした。
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■ 子どもの薬あれこれ |
2003年05月22日(木) |
海渡は朝になっても熱が下がらず、ぐったりとしていました。 夜中も何度も起きてぐずったり、吐いたりとあまりよい状態ではありませんでした。 午前10時を回るころに熱が下がってきて37度台になり、機嫌も良くなってきたので病院へ連れていきました。結局、風邪との診断でした。
今日処方してもらった薬は粉薬のみ。今までは粉と飲み薬の2種類もらっていたのですが、小学生になったからか体重のせいか?よくわかりません。
子どもって、薬を飲むのが平気か、大嫌いか極端に分かれるんじゃないでしょうか。我が家の3人の子どもたちも薬の飲み方、飲ませ方はいろいろでした。
まず、長男は一番苦労しました。高1になった今でもそれは続いていますが、とにかく薬大嫌い。甘いシロップ状なら何とか少しずつ飲めるのですが、粉はまず飲めませんでした。海渡と同じ小児科がかかりつけで、やっぱり粉と水薬と両方出してくれましたが、水薬は何とか飲んでも粉はぜったいに飲まない。ヨーグルトに混ぜても、もちろんジュースに混ぜてもどうしても飲めないのです。もう体が受け付けないという感じ(笑)病院へ連れて行ってせっかく薬をもらっても、そのほとんどを捨ててしまうという状態でした。
大きくなった今も粉は飲むのに1時間かかります。少しずつに分けて飲むから(笑)一気に全部口へ入れてぐっと水で飲み干すということができないんですね。錠剤、カプセルも二つとか三つとか一気に飲めず、一粒ずつ飲んでます。
長女は、まず体が丈夫でほとんど病院のお世話になったことがないのですが、薬はいやいやながらもガマンして飲むことができました。なぜ飲むのか、ということをきちんと説明してやればきちんと飲むことが出来る子でした。粉も何とか、口にざざっといれて、大急ぎでお水で流し込んでいました。ただ、やっぱり錠剤やカプセルの場合、長男と同じく一粒ずつしか飲めないですね。これは、かなり大人にならないとできないことなのかなぁと思っています。
海渡は、これが不思議なくらい薬がへっちゃらな子で、2〜3歳ころから粉薬なら自分で上を向いて口に開けてしまいます。見ている私のほうがあわててしまうほど。これは保育園の影響です。1歳から保育園に行っていたので、給食後に他の子どもが薬を飲む風景を見ているからだと思います。
私は保育園でパートをしていたことがあるのですが、どの子もとても素直に上手に薬を飲むので驚いた覚えがあります。保育士さんの飲ませ方もまた上手なのですが、小さな子も粉薬を口に開けてもらって上手に飲んでいました。私は家では粉は水かジュースに混ぜて飲ませていたので、ある日海渡が自分で口にあけたのには仰天しました。
だから、海渡に関しては薬で悩んだことはないのですが、久しぶりに今日粉薬をもらって海渡に飲ませたら、ちょっと嫌な顔をしてごっくんしなかったのです。あれ?とそのときは思ったのですが、2度目の薬の時間のとき、海渡は薬を見て
「くしゅり、だめ、すっぱい(苦い?)」
と言いました。あんなに平気で飲んでいたのに???まさか、飲むのを嫌がるとは思ってもみませんでしたので、「薬飲まないとお熱下がらないよ。お熱出たら、お父さんもお母さんもおにいちゃんもおねえちゃんもみんな薬のんでいるよ」と言うと、少し考えてからガッツポーズをして
「よーし、のむぞ〜」
と言ったかと思うと、あ〜んと口を開けました。私は気が変わらないうちにと大急ぎで粉を全部口に入れ、お水を渡しました。ところが、ごっくんできません。「ごっくんしてごらん」と促すとようやく、無理やりごっくんと飲み干しました。その後は今度はOKサイン。さっきのガッツポーズといい、こういうことだけ上手にやれるんだから・・・(笑)
年齢と共に薬が飲めるようになると思っていたら、だんだん嫌いになることもあるんだとちょっと今後のことが不安。 3回目の薬は寝る前と思っていたら、その前に眠ってしまいました。
やっぱり、熱はまだあります。明日は地域の親の会の集まりに出る予定だったんだけど、キャンセルかな・・・・・
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■ 遠足と「なかま」 そして夜発熱 |
2003年05月21日(水) |
初めての遠足は途中から雷雨というおまけつきでした。 それでも、降り出したのは1時ごろだったので、午前中はしっかり遊んでお弁当もみんなと食べられたそうです。
このみんなというのは、1年から6年までの縦割りのグループで「なかま」と呼ばれているもので、海渡の小学校独特のものです。 全学年10数班のグループで編成されていて、6年生がリーダーとなり、週2〜3回「なかま活動」として遊んだり、ゲームをしたりして過ごしています。合唱大会やこういう遠足なども「なかま」単位で行うので、リーダーの6年生は責任重大。
でも、この「なかま」のおかげで、上級生は下級生の面倒をみ、下級生は上級生を慕い、尊敬していくようになるし、全校生徒が顔見知りという連帯感も生まれてきます。一時、週休二日制の導入とともに、なかま活動の時間を作るのが難しくなり廃止する声もあったのですが、保護者の「続けてほしい」という意見に支えられて、時間は少なくなったものの今も続いています。
海渡は1班になり、上級生のお兄ちゃん、お姉ちゃんに可愛がられています。1年1組には39人のお友達がいて、「なかま」ではまた学年の違うお友達がいて、いろんなお友達のなかで海渡は成長していっているように思います。
遠足から帰った海渡に「何が一番面白かった?」と聞きました。
「おにぎり!」 「・・・・・・あ、そう。次は?」 「ういんなー!」
・・・お弁当が一番楽しかったようです・・・(笑) 先生のお話によると、滑り台やゴーカートも楽しんでいたようです。 でも、久しぶりの母のお弁当、よっぽど嬉しかったのかな。
今日、元気に登校して元気に帰ってきました。 でも、晩ごはんの最中に「のど、いたい・・・」とポツンと言いました。 また大きいまま食べたのね、よく噛んでね、と言うと、お茶を飲んで「なおった!」とにっこり。でも、後から考えるとこのとき、喉が炎症を起こして痛かったようです。
ご飯を残してごろごろしているので、おかしいなと思っておでこを触ると熱い。熱を測ると38度ありました。
入学して以来今日までずっとがんばってきたから、疲れが出ちゃったんだね。思えば、毎年4月は体調を崩して熱ばかり出していたのに、今年は4月5月と熱を出さずに頑張ってきました。
ちょっとここらで一休みしようか。
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昨日、迎えに行ったとき元気な笑顔を見せてくれた海渡。 朝5時半に起きた割には元気だなと思っていたら、とんでもありませんでした。
なななんと、学校で3時間目と4時間目に寝ていたのです。
3時間目は「どうとく」4時間目は「せいかつ(昔の理科と社会がいっしょになったもの)」です。
「海ちゃん、学校でお昼寝したの?」 「うん、した」 「どうやって?」 「こうやって」
海渡はカーペットの上でうつぶせになり、よくカエルが道端で車にひかれてぺっちゃんこになっているような格好をしました。まさか、床の上で寝たの??
中一の娘にお昼寝の話をすると大声で笑って
「海ちゃん、ナイス!」
今朝、小学校へ一緒に行って1組の先生に聞いてみると、1時間目と2時間目、特殊学級の方でカルタとりやゲームなどでいっぱい遊んで・・・いえ勉強して、それがものすごく楽しかったらしく、海渡はとっても満足そうな様子だったそうです。3時間目は1組に戻って「どうとく」。これは教科書を読んで先生のお話を聞くという授業で、朝5時半に起きて睡眠不足だった上に、しっかり遊んで、いえ勉強した海渡には教科書を読む先生の声が子守唄に聞こえたのでしょう。隣の女の子が
「せんせい、海ちゃん、寝てます」
ぐっすりではなく、うとうとしていたそうですが、その後しっかり目覚めたのは、給食の時。そして、しっかり寝てしっかり食べた海渡は、5時間目の「おんがく」の授業では元気いっぱい、ノリノリだったそうです。
どうりでご機嫌で帰ってきたはずだ・・・・
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土曜日も日曜日も、私とお父さんともに仕事があって、海渡にとってはすごく可哀相な2日間となりました。 でも、土曜日は2年生が2人遊びに来てくれ、日曜日は同級生の男の子が一人遊びに来てくれたので、その間は海渡はとても嬉しそうに遊んでいました。もちろん、まともに相手はできませんので、ときどき私が口を出します。(そういえば、長男のときもこんな感じだったなぁ)
どこへも行かずに過ごしたから疲れもなかったのか、今朝海渡は5時半に起きました。あまりに早いので、熱でもあるのかと思ったほど。 こんなに早く起きたのだから登校はばっちりかなと思っていたら甘かった。テレビの「しまじろう」を最後まで見ていたくて、終わり頃にスイッチを消したのが気に入らなかったらしく、ここでちょっとぐずぐず。
靴をはくときにうまく履けないと言って、ぐずぐず。 マンション下に下りて、班長さんが並んでといっているのに、わざと知らん顔して私に無理やり連れて行かれて滑ってしりもちついて、ぐずぐず。
歩き出したとたんに転んで膝を擦りむいてぐずぐず・・・いえ大騒ぎ。 それでも、引っ張っていくと何とか歩き出しましたが、涙がボロボロ出ていてそれが恥ずかしいのか、ほんとは一番前なのに一番後ろについて歩いていきました。
あれだけぐずぐずしていたのに、おまけにしりもちついたり、転んだり、ちょっと前ならもう座り込むか「おんぶ」と言い出すのに、それでも歩き続けていました。
「海ちゃん、明日遠足だよ。お母さんお弁当作るね」
そう言うと、ニッと微笑んで「やった!」と小さくガッツポーズ。
やれやれ、やっと気持ちが切り替わったようです。 明日ははじめての遠足。 晴れるといいね。
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■ 1メートル20センチの風景になりそう |
2003年05月18日(日) |
今日、一ヶ月ぶりに海渡の身長を測ってみました。 一ヶ月前に測ったときは、117センチ。今日は、なんと119センチ。120センチに手が届きそうです。産まれたときは2394グラムという低体重児だったのが嘘のような成長ぶり。これは、ダウンちゃんにありがちな心臓などに合併症が何もなかったおかげと、上の子たちも3000グラム以内で生まれたのに、その後は標準を大きく越えていくので体質かなと思います。
海渡はダウン症としてはもちろん、健常児としても大きい方で、ほぼ標準の体格をしています。同年齢のダウンちゃんはみな頭一つ分ほど小柄で細い子が多いので、ダウンちゃんの集まりに行くと海渡は年齢よりずいぶん大きく見られます。体格に比べて、精神的にはやっぱりとても幼くて赤ちゃんみたいなので、そのギャップが大きいですけどね・・・・
知的にはゆっくり大きくなっていくんだから、体もゆっくり大きくなればいいのに・・・・
入退院を繰り返しやすいダウン症なのに大きな病気もせず、病院といえば風邪をひいたときに行くぐらい、それもここのところお医者さんにはご無沙汰です。嬉しいことです。
海渡がデジカメで撮った画像をサイトにアップしてありますが、これらには「1メートル10センチの風景」というタイトルがつけてあります。今日、身長を測ってみて、もうすぐ「1メートル20センチの風景」になっちゃうなと思いました。
仕事がひと段落してもう少しゆっくりできるようになったら、また海渡とデジカメ持って散歩に行こうかな。
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今朝も海渡といっしょに小学校へ登校しました。そして、そのままあさがおの様子を見てきました。他の子たちが「芽がでたよ!」と言っていたので、海渡のもそろそろかなと思っていたら、れんらく帳に「芽がでました」と書いてあったのです。
教室の前の中庭の花壇の中にずらりと並んだ青いプランター。 せいかつ科の時間にみんなと一緒に蒔いたあさがおの種。
ほとんどの子が5つ蒔いたうちの3つから4つの芽が出て、可愛い双葉になっていました。海渡のはどうかなと思って見てみると、1つだけ、双葉がありました。
「海ちゃんのは、まだ1個だけなの」
と女の子が教えてくれました。 私は、せいかつ科の時間に種まきが終わって、先生がみんなに話していたことを思い出しました。
「早く芽が出る子のもあるし、ゆっくりの芽もあります。芽が出てくる時期はみんな違っているよ。でもね、ちゃんと出てくるから毎日お水をあげてね」
ゆっくりの芽・・・・なんか、海ちゃんみたいだなぁと思いながら聞いていましたが、まさに海渡のあさがおは海渡と同じゆっくりタイプみたいです(笑)海渡はニコニコとあさがおの芽を眺めていました。
「ゆっくりでいいよね」
ゆっくり芽が出て、ゆっくり花が咲けばいいよね。 私は、海渡と手をつないで立ち上がりました。
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■ 海ちゃん、えらかったね(涙) |
2003年05月15日(木) |
今日は、長男の高校へPTA総会とクラス懇談会に出かけてきました。 海渡のお迎えが間に合わないので、実家の母に頼んでおいたのですが、夕方帰宅してみると、母が
「可哀相だったよ。迎えに行ったらみんなの後を離れて、一番最後によたよた歩いている子がいてね、海渡だったんだけど、雨がザーザー降ってるのに、片手に袋を二つ持って、もう片方の手に、かぶってくればいいのに帽子と上着を持っていて、それをずるずるひきずってるんだよ。両手が荷物でふさがってるから傘がさせなくて半開きの中途半端なまま、あごのところに挟んでるんだけど、開いてないからびしょ濡れだったよ。雨が降っているのに両手に荷物持って傘なんかさせないんだから、首にかけるとか肩にかけるとか上着は着せるとか(学校が)してくれればいいのに」
と今日の海渡の様子を教えてくれました。
母の話を聞いて、私には雨の中両手に荷物を持って、あごで半開きの傘をはさんでさして、よたよたと歩いている海渡の姿が目に浮かびました。
学校を出るときは荷物は肩にかかっていたかもしれないし、帽子はちゃんとかぶっていたかもしれないし、上着はいつものようにランドセルにかけてきたのかもしれません。
どうしてそんな状態になってしまったのかわかりませんが、それでもそんな格好で、びしょ濡れになりながら、家に帰ろうと一生懸命歩いていた海渡を思うと「がんばったね、えらかったね」という言葉しか思いつきませんでした。
海渡を抱きしめて、その言葉を言うと海渡はにっこり笑って
「うん!」
と答えてくれました。
親が思う以上に成長しているんだね、だって、1年生なんだもんね。
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昨日の本の続きなのですが、もう1冊の「あなたを産んでよかった」は著者マーサ・ベックがハーバード大学で博士号を目指して勉強しているときに妊娠して、羊水検査によって胎児がダウン症であると告知され、それを受け入れて出産するまでが描かれています。ほとんどがその過程なので、実際にダウン症のアダムが登場する場面は後ろのほうにほんの少しだけです。
アダムが生まれたとき、夫であるジョンが
「奇跡が起こるかもしれないと、本当は思っていたんだ。神様があの子を治してくれるんじゃないかって・・・」
と言います。マーサはちょっと考えてから
「きっと、治す必要はなかったのよ」
と答えるシーンがあります。
このことばには驚きました。 ダウン症の子を持って、6年たってやっと私も「そうかもしれない」と思えることを、生まれてすぐに言えるというのはすごいことです。 しかし、その後発達の遅れや、言葉をなかなか発しないアダムに失望したりもするのですが・・・。
アダムの成長がほんの少ししか描かれていないのが残念ですが、そのアダムが登場する10ページ足らずの中で、著者は今まで宝物だと思っていたのがゴミくずで、じつはゴミだと思っていたもののなかに宝物があることに気付いたと書いています。知的障害児である息子が家族のカウンセラーの役割を果たしてくれ、真実について学び、価値観が大きく変わったと。著者の友人がアダムのことを
「犬にノミがついているように、アダムには天使がついている」
といったというくだりにはうなづくと同時に笑ってしまいました。
さて、我が家の天使ですが・・・
水曜日、朝の海渡の付き添いはお父さんの役目です。 海渡は、私のことは「ママ」って呼ぶのに、父親のことは「おとうさん」と呼びます。「ママ」と「おとうさん」・・・海渡の中には微妙な違いがあるのでしょうか。
さて、心配性なのか「おとうさん」は、海渡が教室に入ってランドセルをおろして、自分の席に座るのを見届けてから帰ってきます。帰った「おとうさん」に「どうだった?」と聞くのがいつものパターン。
「公園(集合場所)に行ったら遊具に座ったまま動かなくなったんで、みんなには先に行ってもらって、2人で歩いて行ったよ、途中で追いついたけど」
やっぱり。最近、朝集合場所の公園に着くと、みんなと同じように遊びたがるのです。ブランコに乗りたいのはわかるけど、遅めに出る海渡にはそんな時間はありません。だいたい、公園に着いたらすぐ班長さんの集合がかかるんだから。
さて、帰りは雨が降って風も強かったので、学校まで迎えに行きました。 下駄箱の外に1年生が並んでいるのに海渡の姿はなし。しばらくして、中からやっと特殊学級の先生と一緒に出てきました。帰りの支度にまた時間がかかっていたそうです。人に頼らずに自分でやれるようにと、帰りの支度を全部海渡にまかせているので、ものすごく時間がかかるのです。 特に今日は、5時間目あたりからぐずぐず言ってなかなか動けなかったらしいです。うちに帰れるのにぐずぐず言っているとは・・・
他の子がみんな行ってしまったので、ためしに「海ちゃん、一人でおうちに帰れるかな? おかあさん、海ちゃんの後ろから歩くね」と言って、海渡の後ろにつきました。海渡は、そのまま歩き出し、小さな門から出て通学路を黙々と歩き出しました。途中、十字路があると立ち止まっています。小さな橋も渡って、迷うことなく集合場所の公園に辿り着きました。一度も私を見ることなく、不安そうな様子がなかったので、これなら万が一私が迎えに出るのが遅れても大丈夫かなと、ちょっと安心しました。
天使というにはあまりにワガママで生意気ですが、どうやら今日も楽しい一日だったようです。
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今日、ネットで注文してあった2冊の本が届きました。
「神様がくれた赤ん坊 茉莉子の赤いランドセル」宇都宮直子著 「あなたを産んでよかった」 マーサ・ベック著
前者のほうは既に出版されている「神様がくれた赤ん坊」と「神様がくれた赤ん坊 茉莉子は小学1年生」の2冊を持っています。 「茉莉子の赤いランドセル」は「神様がくれた赤ん坊 茉莉子は小学1年生」に「その後」として3年生までの様子が書き加えられていました。
「あなたを産んでよかった」は、著者はアメリカの人。羊水検査で99パーセントお腹の子どもがダウン症だと分かっていながら出産したいきさつが書かれていました。
どちらも、心に残る内容でした。 その中で、特に忘れられない一節・・・・
「友達と茉莉子の成長は違っているから、これからは興味や関心の対象が離れてゆくばかりだろう。今でも、子どもたちは茉莉子の知らない流行歌を歌い、野球やサッカーの話をし、好きな異性のことも話したりしている。 知子は娘がそれにまったくついてゆけなくても、その場においていたかった。九歳の子どもたちのする話は、九歳の子どもたちの中でしか聞けない。そして、茉莉子はまぎれもなく九歳の女の子だった。」
宇都宮直子著 講談社文庫 「神様がくれた赤ん坊 茉莉子の赤いランドセル」より
海渡を地域の小学校へ行かせたい、友達の中で過ごさせてやりたいと願った私の思いは、実はこういうことだったんだと気付かされた一瞬でした。
茉莉子ちゃんは知的には優秀な子で言葉もごく普通におしゃべりしているし、漢字のドリルは90点が取れるほどレベルの高い子です。それに比べたら海渡は6歳の今の時点でみんなの会話にはついてゆけません。それでも、同じ6歳の子どもたちの中でしか体験できないことを体験し、感じられないことを 感じさせてあげたい。このときに感じたこと、体験したこと、さまざまな思い出はきっと一生の宝物になるでしょう。
茉莉子ちゃんは、今月30日で13歳になるそうです。 どんな中学生に成長しているのか、我が子のように気になります(笑)
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今日、小学校へ迎えに行くと、遥か向こうから海渡が歩いてきました。海渡も私の姿に気付いたようです。海渡はいつものように、
「ママ〜っ!」
と大きな声をあげながら思いっきりこちらへ駆けてきました。
いつもなら、私のところまで走ってくると、そのまま抱きついてきます。それどころか、ちょっとこの間まで保育園でお友達が見ていようとも
「だっこ〜」
と甘えてきた海渡ですから、人前で抱きついてくるなんて全然平気です。
ところが、今日の海渡は違っていました。
「ママ〜っ!」と思いっきりそれも両手を広げるように走ってきて、私の目の前に来たらピタッと止まってしまったのです。
あらら??私の方が拍子抜け・・・
海渡は私の前に来ると、ちょっとだけ私の腕に触ったかと思うと、そのまま歩き出しました。どうやら、たくさんの同級生、上級生が見ているのに気付いて、抱きつくのが恥ずかしくなったようです。
ちょっとだけ、精神的に大きくなったのかな。少しずつおとなに近づいているんだね。こういうココロの成長も嬉しいものです。
でも、ちょっぴり淋しい・・・。
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海渡はすこしずつ読めるひらがなが増えてきています。 健常の子どものように「これなんて読むの?」ということは聞いてきませんが、絵本やゲームのマニュアル本などを持ってきて見出しなどの文字を指差すことがあります。読んでやると、すぐ次の見出しを指差します。文字に興味があるようですが、もっともっと覚えたいという貪欲さはありません。
あくまでも海渡らしく、マイペースに、ひとつずつゆっくり時間をかけて頭の中にインプットしているようです。 読める文字はいまのところ、あ、い、か、す、と、や、ゆ、ら、り、ん などでしょうか。もう少しあるような気もします。
「め」と「ぬ」、「わ」と「れ」、「な」と「ふ」などはやっぱり混乱するようです。ものの名前やキャラクターの名前などはものすごく早く覚えるのに、文字というのはやはり覚えにくいのかなぁと思います。数字は「1」、「5」、「9」はわかるようです。
気長に気長に覚えていくのでしょうね。
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■ 入学して1ヶ月経ちました |
2003年05月09日(金) |
期待よりも不安の方が大きかった地元小学校への就学。 特殊学級を新設していただき、きっと海渡にとって、ベストな環境のもと楽しい小学校生活が送れると思っていた1年生としての生活も早1ヶ月経ちました。
海渡自身は、小学校生活を楽しんでいます。 保育園へ行くのは嫌がっていたこともあったし、保育園の帽子もかぶるのを嫌がり、自分の荷物もなかなか持とうとしなかったのに、小学校のランドセルや帽子、体操服のはいったバッグ、上履き入れ、全部自分で持とうとします。
登校。水たまりや小さな川や側溝に気持ちが奪われ、足が止まりがちになりながらも学校へ歩いていきます。保育園時代、車から降りてすぐ「だっこ」「おんぶ」をせがんでいたときもあったのに、今は一度も言いません。
下校。とびっきりの笑顔で元気に歩いて帰ってきます。転んで泣きべそかいていたりしても、「がっこう、おもしろかった」と言う海渡。
もちろん、学校のなかではいろんな問題を起こしてくれます。 放課が終わってもなかなか教室に戻らなかったり、言うことをきかなくて座り込んだり、廊下を水浸しにしたり・・・・・・・・ 1年1組の先生、特殊学級の担任の先生には私が多分知っている以上のいろんなご迷惑をかけていると思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
でも、海渡は毎日毎日、元気いっぱいに嬉しそうに学校へ行っています。 小学校生活に慣れ、小学校のルールを覚え、少しずつ先生に迷惑をかけることが少なくなることを期待しつつ、今は、海渡が喜んで小学校へ通っていることを幸せに感じています。
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■ おっきい門とちっちゃい門 |
2003年05月08日(木) |
海渡の小学校の正門は車専用に鉄の柵を大きく広げた門と、子どもたちの登下校用に小さく開いた小さな門があります。
海渡が就学する前、小学生だったお姉ちゃんの行事で小学校へ来るときや選挙の投票で来るときは、車のときも歩きのときもこの大きな門から出入りしていました。
でも、入学したら学校のルールに従って海渡は小さな門から出入りしなければいけません。海渡にはこれがなかなか理解できませんでした。 障害があっても守らなければならないルールはやっぱり守らなければいけません。
下校のとき、海渡は大きな門から出ようとして、お友達が教えてくれたり、止めてくれるということが何度かあったそうです。そのときにたまたまバランスを崩して転んでしまうことがあり、膝小僧を擦りむいて血がにじんでいることもありました。ある日、とうとう転んだまま動かなくなって、先生方に迷惑をかけてしまいました。
私は家に戻ってから、海渡と向かい合い、真剣な表情で大きな声とジェスチャーで
「おお〜きな門は、ブッブーって車が通る門、 海ちゃんやお友達は、ちっちゃ〜な門をこうやって歩くの。 おおっきい門だと車にバンって当たっちゃってものすごく痛いの。 だから、海ちゃんは、ちっちゃ〜い門から出ようね。わかった?」
いつにもなく、真剣な母に驚いたのか、海渡は神妙な顔で「うん」とうなづきました。
翌日、学校へ迎えに行く途中、ニコニコと歩いてくる海渡に聞きました。
「海ちゃん、大きい門と小さい門とどっちから出たの?」
すると、海渡は笑顔でさらっと言いました。
「ちっちゃい」
おおお! やった! それ以来、海渡は門のことを聞くと「ちっちゃい」と答えてくれ、実際に私が迎えに行って、門を出るときも小さいほうの門へ行くようになりました。
普通の子どもなら一度聞けば理解できて毎回同じ行動ができることも、海渡にはそうできないことが、これからもたくさんあると思います。でも、ひとつひとつ丁寧に教えていけば、必ずわかってくれます。毎日の積み重ねと子どもと真剣に向き合うこと・・・なかなか忙しい日常ではできないことですが、やっぱりそれしかないんですよね。
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■ 靴とランドセルと |
2003年05月07日(水) |
海渡の小学校での靴入れは、1年生と2年生の下駄箱が並んだ一番左端の上から二番目。一見、とてもわかりやすい場所です。
でも、わかりやすい場所が出し入れしやすい、履き替えやすい場所だとは限らないんですね。40人の一年生がいっせいに靴箱に来ると、そこは海渡にとってはとっても危険な場所になります。1年生はみな運動靴を靴入れから出してタタキに置き、上履きを立ったまま起用に脱いで靴入れに入れると、また立ったまま運動靴を履いてつま先をトントンしながら外へ飛び出して行きます。そのスピードとスムーズな動き、器用さは素晴らしいのひと言です。
海渡は押されるとすぐにバランスをくずして倒れるので、みんなが靴を履き替えて出ていくのを隅っこに立って待ち、誰もいなくなってからやっと自分の靴入れから靴を出してゆっくりゆっくり履き替えます。 しかも、立ったまま履き替えるということがまだできないので、脱ぐときは壁につかまりながら、履くときは座り込んでということになります。ただでさえ靴の履き替えは時間がかかるのに、みんなが出て行ってしまってから履き替えていては、遊ぶ時間もその分少なくなるし、放課ならまだしも外へ出て並んだり、集合となったら、みんなを待たせてしまうことになります。
そこで、さっそく先生に靴入れの場所を移動していただくことにしました。一番右側の2年生の靴箱の一番下。1年生がどっと1年生の靴箱に殺到しても、そこなら空いているし、座り込んで履き替えるスペースもあります。
海渡が場所を変えることを嫌がるかとも思ったのですが、そのほうがゆっくり履き替えることが出来ると気づいたらしく、スムーズに移動できました。
そして、ランドセル。 机が最前列の海渡にとって、一番後ろのロッカーへ行ってランドセルを持ってまた狭い通路を通って一番前に来るのは時間がかかるし、危険もあるので、すぐお隣の特殊学級のいっぱい開いているロッカーを海渡のランドセル置き場にしてはどうかとお話がありました。
もともとは、海渡は特殊学級に在籍しているので、特殊学級のロッカーにランドセルを置くのが本当なのを、私がみんなと同じところへとお願いしてあったのです。でも、みんなと同じにこだわって危険が伴ったり、時間がかかりすぎるようでは、これまた困ります。私は、あくまでも海渡が嫌がらなければということで変えてみることに同意しました。これも海渡はすんなりと了解しました。
きっと、海渡にはランドセルの置き場が自分だけ変わっても、1年1組には自分の居場所がしっかりあるということが分かっているのだと思います。 親が思うよりも、子どもはそういうことにこだわらないのかもしれません。また、今までの先生の指導もあって、形より大事なものがあるということが自然にみんなの心にあるのだと思います。
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■ たのしいせいかつ科 あさがおの種まき編 |
2003年05月06日(火) |
「せいかつ科」の時間、私は小学校で海渡の補助をすることになっています。これは入学前からの打ち合わせで決めてあったことで、海渡がどんなふうに授業をしているか堂々と?見に行けて、口も出せる、手も出せるとあって結構楽しみな時間となっています。
この日は、2回目のせいかつ科の補助でしたが、初めてのときは1時間目だったこともあって、海渡といっしょに登校してそのまま「朝の会」も見学しました。
そのとき、感動したのは、健康観察?だったか、日直さんがみんなの体調を調べて表に書き、それを職員室の前の壁にかけて、黒板に欠席人数を書きにいくときのことです。
海渡は特殊学級の児童ですから、自分のカードを持っていくことになっていて、先生がそのカードを渡すと、1組の日直さんと一緒に教室から出て行きました。私は、嬉しそうにカードをもらって走り出ていく海渡のあとをついていくことにしました。
職員室の前に着くと、カードをフックにかけ、日直さんが黒板に書いたあとで自分もチョークを持ち、特殊学級の欄に「1」「0」という数字を書いたのです。正確には海渡は「0」「0」と書くのですが(笑)
それらを海渡は自分の役目としてやっているそうで、ものすごく嬉しそうに張り切ってやっている姿にびっくりしました。どちらかというと動作ののろい海渡がものすごい勢いで飛び出して、目を輝かせながらフックにかけ、チョークを探していました。
この役目を海渡自身にさせてくださって、教えてくださった先生にも感謝ですが、きちんとこなしている海渡も立派だし、責任ある自分の役目があるとこんなに張り切るんだということを知ることができたことも嬉しかったです。学校に来て良かったと感じた日でした。
さて、実は私は以前海渡が通っていた名古屋市の私立保育園で、1年半ほど保育士さんの補助として働いていたことがあります。このうち1年ほどを年中児のクラスで毎日を過ごしました。このクラスの中に障害を持った子がいて、主に私はその子の補助をしていたのですが、今海渡の補助のために教室にいるとあのときの懐かしい日々とダブってきて不思議な感覚になります。
年齢も違うし、保育園と小学校という違いもありますが、子どもたちの生き生きとした表情と、たくさんの子どもたちが存在する教室の独特のざわめき、笑い声、歓声は、日常とは全く違う不思議な空間です。
保育園で私が補助をしていた子は言葉のない知的障害の男の子でしたが、頑固なところなど今の海渡と似ている部分もありました。(当時の海渡は2歳児で頑固のガの字もない今の姿が想像できない素直な子でしたが)
同じ補助をするのでも、親である今はまた違った思いがありますね。 まあ、これは仕方のないことかもしれませんが・・・・
あさがおの種まきは私がそばで先生の指示をわかりやすく説明したせいもあって、スムーズにできました。どんな芽がでて、どんな花が咲くかな?
世界に一つだけの花だね。
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先日叱られたからかどうか、昨日の海渡は「お手伝いモード」全開です。 和室に三人分の布団を敷くのですが、これはいつもお兄ちゃんの役目です。 いつもお兄ちゃんが敷いているのを見て、手を出して邪魔(本人は手伝っている)するので兄ちゃんに足で押しやられたり、布団をかぶせられたりして遊ばれています。
この日、海渡はお兄ちゃんが毎日やっているのをそのまままねして、重ねてあった重い布団を引きずって、ウンウン言いながら最後までやり遂げました。
「わあ、すごいね。海ちゃんが敷いてくれたの?」
というと、もう大大得意な顔で「うん!!」と大きな声で言いました。
「すごいねぇ、お兄ちゃんみたいだねぇ、さすが1年生だね」
おだてまくり、ほめまくりの母(笑)
毎日こんなふうにはやってくれないでしょうけれど、もうそろそろ海渡にも決まったお手伝いをやらせてもいいかな?
ちなみに、お風呂掃除は長女の役目です。お兄ちゃんが布団敷き。 風呂掃除とゴミ捨てと布団敷きのどれがいいか、子どもたちに選ばせた結果なのです。ちなみに残ったゴミ捨てはお父さんの役目になりました(笑)
海渡には何がいいかなぁと考えていたのですが、やっぱり筋力トレーニングにもなる布団敷きがベストかな?
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