++ 記憶の中へ
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■ ひらがなを書いた! 2002年11月30日(土)
 今日、初めて海渡がひらがなを書いてくれました。

 今まで、紙にちょこちょこ細かい模様を書いていたことはありましたが、多分それは文字のつもりだろうということは分かっていましたが、まだ本当に書けるようになっているとは思っていませんでした。

 保育園の連絡帳に「今日は、ワークの『ふ』と『お』をやりました。頑張っていました」と書いてあっても、きっと先生が海渡の手を取ってワークに書いているんだろうと思っていました。だから、先生に「海渡が自分で書いているんですか?」と尋ねることもありませんでした。

 ところが、今日、ベネッセの「じゃんぷ」についているワークに海渡が、姉に言われるまま『た』と『つ』を書いていたのです。

「ママ!海ちゃんがひらがな書いた!」

と娘が言ってもすぐには信じられませんでした。ワークにはしっかりと『つ』の字と『た』の字が書いてありました。「ホントに海ちゃんが書いたの?」
と娘に確かめると

「そうだよ。自分で書いたよ。書き順は滅茶苦茶だったけどね」

と言いました。半信半疑で

「海ちゃん、この字書いてみて」

と簡単そうな『り』の字を指差しました。すると海渡は、お手本を見ながら、しっかりと『り』を書きました。左側の少し下をはねるところもしっかりと書いてあります。 

 こんなにしっかりと、お手本を見ながらひらがなが書けるようになっていたなんて!!! 

 いったい私は海渡の何を見ていたのだろうかと悔やみました。
 読めないんだもの、書けるはずがないと思い込んでいました。
 連絡帳にその日練習した字が書いてあっても、「ああ、今日はこの字を練習したのね」と思うだけで、海渡を褒めることもしませんでした。

 きっと、エンピツを持って、みんなと同じようにお手本を見ながら一生懸命書いていたのでしょう。上手に書けなくてかんしゃくを起こしたり、がっかりしたり、上手く書けて先生に褒められたり・・・・そんなことを全然気づかずに今日はじめて海渡が文字を書けることに気づくなんて・・・・・

 嬉しさと自分への愚かさと両方一度に味わったこの日。
 そして、愚かな思い込みで子どもの可能性や力に気づかないこともあるんだと知りました。


■ 生活科・総合学習発表会 2002年11月24日(日)
 今日は、長女の小学校の「生活科・総合学習発表会」があり、夫と海渡と3人で行って来ました。何度も来たことのある小学校。海渡は着くなりニワトリが見たくて、まっすぐに鶏小屋へ走って行きました。鶏小屋のある中庭は1年生の教室が面しています。その隣は2年生、その隣は空き教室を利用した学習室、その隣は保健室。できれば、その学習室が○○学級となって、自由に隣の1年生の教室から出入りできるといいなぁ、もし2クラスになるのならその間に○○学級が出来たら・・・・と、私は勝手に教室の窓を見ながら思いを巡らせていました。

 長女の発表は、音楽室で世界の国旗のついての発表でした。一番前の席に座り、海渡は長女の姿が見えると

「あ、まりちゃ〜ん!!」

と大声援。デジカメを渡すと、慣れた手つきで撮り始めました。長女の友だちも海渡がデジカメでよく写真を撮っているのを知っているので、ピースサインを見せてポーズをとります。海渡はカメラを縦にしたり横にしたりして、カシャカシャ撮っていました。



 左側が麻梨香。(撮影 海渡)


 発表が終わって、体育館の脇から校庭へ出ようとしたところで、校長先生にばったり会いました。校長先生とはあの挨拶の日以来話をしたことはなく、県に特殊学級の申請をしていることは他の先生から聞いているので、どう挨拶しようか迷っていたら、校長先生の方から「海渡くん、こんにちは」と挨拶をしてくれました。海渡に「こんにちは、は?」と促すと、照れくさそうに「こんにちは」と言いました。校長先生は

「海渡くん、きのうの福祉祭りで踊っていたね。上手だったね〜」

と、褒めてくださいました。そして、「みんなと同じことが出来るというのはいいことですね」と・・・・その後

「実は、県のほうに(特殊学級の新設の)申請を出してあるんですよ。まだ、返事はないんですけどね。」

と小さな声で教えてくださいました。

「ありがとうございます。良い結果が出ることを待っています。そのときには、またいろいろとよろしくお願いします」

そう言って頭を下げると、校長先生も軽く頭を下げられてそのまま分かれました。9月に挨拶に行って、他の小学校の特殊学級へ行った方が海渡のためではないですかと言われたときとは、ちょっと印象が違うように思いましたが、とりあえずは海渡の受け入れのために一歩進んでいるんだということがはっきり分かって、少し気持ちも軽くなりました。



■ やっと見れた「大きなカブ」 2002年11月23日(土)
 11月23日は、住んでいる町の総合福祉センターで「福祉まつり」がありました。毎年、町の保育園や小・中学校から発表会のような出し物があり、今年は海渡の保育園から年長児のお遊戯を発表しました。

 そこで、海渡の「大きなカブ」を初めて見ることができました。
 家で何度も海渡が演技をしてくれるのですが、一度も本物を見たことがなかったのです。海渡はもう初めからニコニコと嬉しそうで、演技もばっちり。
 老人施設や、保育園で何度も演技をしているので慣れているらしく、迷ったり、間違えることもなく、前で出るときも後ろへ下がるときも余裕がありました。



ほぼ中央でこちらを向いているのが海渡です。

 ああ、それにしても、安物のカメラでなく、ビデオカメラが欲しいと真剣に思うほどの上出来でした。来年はゼッタイにビデオカメラを買うぞ〜と心に誓う母でした(笑)


■ 言葉(6歳4ヶ月) 2002年11月20日(水)
 以前、飼い猫のルフィがつまみ食いをして、パパが叱ろうとしたら海渡の「お父さん、叱らないで〜」の一言で叱れなくなってしまったことがあったのですが、また同じようなことが起きました。

 キッチンでまたまたつまみ食いをしたので、つかまえてショボンとしているルフィにお説教していると、海渡がやってきて言ったのです。

「おかあさん、ルフィちゃん、怒ったら、いやよ〜」

 なぜか女言葉(笑)でも、この言葉を聞いて、私もう叱れなくなってしまいました(笑)

 海渡は普段は何言っているのか分からないくらい発音があやふやなのですが、時々びっくりするくらいはっきりとモノを言うことがあります。
 たとえば、水曜日の朝、毎週水曜日はパパが遅出なのを知っていて、いつもなら私と保育園へ出かける8時30分になっても動かず、言うのです。

「海ちゃんは、お父さんと、ほいくえん、行きたいの!」

これにはびっくりしました(笑)こんなにしっかり日本語がしゃべれるんだと思いました。発音滅茶苦茶の海渡と、しっかりしゃべる海渡。

 これだけははっきり言うぞ!みたいな迫力を感じます(笑)




■ 懐かしい再会〜増田太郎さんとエルム〜 2002年11月08日(金)
 先日、とあるショッピングセンターの書店に立ち寄ったときのこと、新刊コーナーで一冊の本が目に止まりました。

 本のタイトルは「毎日が歌ってる」 著者は、増田太郎さん。

 一気に私の記憶は7年前へタイムスリップしました。
 7年前、海渡もまだ産まれておらず、インターネットも知らなかった私は、長男の発達の遅れに関する情報を得るために、MS-DOSしか動かないノートパソコンでパソコン通信にはまっていました。

 たまたま、NIFTY-Serve(現@nifty)の「障害児教育フォーラム」の電子会議室の中で、英会話テキストの英文入力をしてくれるボランティアの募集をしていたのが増田太郎さんで、そのボランティアをやらせていただいたのが私でした。増田さんは視覚障害があり、入力した英文メールを音声パソコンで聞きながら勉強するためでした。

 どれだけの期間英文入力のメールのやりとりをしたのか、今ではもうはっきりとは覚えていないのですが、やりとりするメールの中で増田さんからバンドを組んで音楽をやっていることを教えていただき、一本のカセットテープと盲導犬エルムと増田さんご自身が写っている写真を何枚か送ってくださいました。
 ラブラドールレトリバーのエルムは凛々しくて賢そうな犬で、増田さんは人懐こい素敵な笑顔の青年でした。「MISTRAL」というバンド名がついたカセットテープには、シンプルだけれど優しく力強い増田さんの歌声がぎっしり詰まっていました。

 その後、海渡が産まれて、それを知らせたときの増田さんからの返事のメールには、ありきたりな慰めの言葉や励ましの言葉でない、けれど心にずっしりと響く言葉が書かれてありました。それからライブをしたり、CDを出したりと精力的に活動されてゆき、私の方も海渡のことや仕事に追われて、だんだんと疎遠になっていきました。
 でも、写真やテープはその後も大事にしまってあり、時折海渡がエルムの写真を見つけては「ワンワン」と眺めていました。
 
 そして、あれから7年たって、書店で思いがけず懐かしい再会をしたのです。早速本を買い、音楽活動も様々な紆余曲折がありながらも順調に進んで、NHKの「みんなのうた」で増田さんが作った曲が流れたり、テレビやラジオにも出演されていることを知りました。そして、9年半連れ添った盲導犬エルムの死。

 懐かしさと嬉しさと驚きでいっぱいになって、メールを送ったところ、私のことも海渡のことも覚えているという嬉しいメールが届きました。今度、《47都道府県すべてを周るライブツアー》をするそうで、7年前と同じく明るい気さくなメールでした。

 「毎日が歌ってる」の中には、養護学校でライブを行ったことや、街中で出会う「ちょボラ」(ちょこっとボランティア)な人たちの楽しいやりとりや、上手なちょボラの方法なども書かれていました。
 なにより、増田さんの素直でまっすぐな気持ちが伝わってくる、結果じゃなくてその過程を楽しんで行こうという姿勢に、感動しました。

 そして、おかあさんに向けての「いつも、いっつもありがとう」の言葉。ライブの後の「生まれてきて良かった」という言葉に、母親である私はつい目頭が熱くなってしまいました(笑)

 障害者の成功物語という内容でもないし、ましてや感動秘話の類の本でもありません。挫折も困難も素直にまっすぐ受け止めて、常に自分らしく生きていきたいという一人の人間の姿が新鮮で素敵です。そして「読むライブ」とサブタイトルがついているだけあって、読んだ後とても爽やかな気持ちになれるのも不思議でした。
 懐かしい「MISTRAL」のテープ、ここのところ暇さえあれば聞いています。この7年、私も海渡が生まれていろんなことがあり、ついつい悲観的な考えに傾きやすいのですが、増田さんのように今を楽しんじゃうくらいの前向きな気持ちを持とうと改めて思うようになりました。

 増田さん、ライブ頑張ってください。応援しています。
 そして、エルムのご冥福を心から祈ります。

 増田太郎さんのHPはこちら
 http://taro.giganet.net/
 



■ あたりまえの風景 2002年11月07日(木)
 海渡の保育園へお迎えに行って、その帰りがけのことです。一人の女の子が門のところで、すれ違いざまに海渡に言いました。

「海ちゃん、バイバイ、また明日ね」

振り返りながら海渡が言いました。

「バイバイ、またね〜」

 この何気ない、当たり前の会話。あまりに自然で何気なかったので、すぐに忘れてしまいそうな出来事ですが、妙に心に残っています。
 
 言った女の子も海渡ももう記憶に残っていないでしょうが、こんなごく当たり前の風景がずっとこの先も続くといいなぁ、そんな風に思わせてくれる一瞬でした。

■ 養護学校体験入学 就学問題その10 2002年11月06日(水)
 10月に夫と海渡と3人で養護学校へ見学に行き、詳しいお話をうかがってきましたが、今回は養護学校が主催している「体験入学」に保育園のお友だちのゆうちゃん親子と参加してきました。

 行ってみたら、海渡と私がお世話になった自主療育グループ「AKAGUMI」のメンバーも4家族ほど来ていました。どういうわけか、海渡と同じ平成8年生まれはとても多くて、AKAGUMIの先生や先輩方も「こんなにたくさん一度に同じ年生まれのダウンちゃんが入ってきたのは初めて」と言うほどでした。「ダウンちゃんの当たり年だね」なんて話していたのを懐かしく思い出します。

 さて、体験入学は実際に各教室を見学して回ったあと体育館で1年生の「遊びの時間」に参加させていただき、その後養護学校の先生との個別相談というスケジュールでした。

 どの教室へ行っても、海渡は友だちのゆうちゃんとぴったりくっついて一緒に行動していました。本当に仲の良いふたりです。
 「遊びの時間」では、簡単なお遊戯を教えてもらって保護者も一緒に踊りました。ダンス分野は得意の海渡ですから、それはそれは楽しそうに踊っていました。お遊戯のあとは自由遊びとなり、三輪車やトランポリン、足で蹴って動かす車や、トンネルなど海渡やその他の子どもたちも思う存分遊びまくり、その間私たちはAKAGUMIのメンバーたちといろいろと積もる話を重ねました。

 中には、海渡と同じ年でもうひらがなが読める子もいたりして、今更ながらダウン症の個人差のある発達に驚いています。みな、一応は地域の小学校の特殊学級へという進路は決めているものの、いつ養護学校へお世話になるか分からないという気持ちは持っているわけで、この学校へ通う子どもたちの笑顔を見て安心する部分も大きかったと思います。

 帰りは一緒にお昼を食べて、またまた四方山話に花を咲かせました。
 海渡も思いっきり遊べて、同じダウン症のお友だちにもあえて、本当に楽しそうでした。よほど疲れたのか、夕方にお昼寝をしてしまいました。
 
 

■ 心から出た言葉 2002年11月04日(月)
 我が家では、土日などお休みの日の夕食はお父さんが作ります。
 今日も、夕方お父さんがキッチンで夕食を作り、私は居間で海渡の遊びに付き合っていました。すると

「あっーー!」

とお父さんの叫ぶ声。居間の脇にある食卓テーブルの横でお父さんが

「イカの刺身が減ってる!」

と叫びました。テーブルの上のお皿からイカが少し無くなっていたのです。犯人は飼っている猫のルフィ。居間のすみでルフィは、イカを食べていました。私が飛んでいくと、「ニャー」と言いながらイカを残してものすごいスピードで疾走。パソコンデスクの下にもぐりこみました。お父さんがかがみこんでルフィを引きずり出し、さあ、どうしてやろうと・・・。居間の真ん中にルフィの脇の下を抱く格好でぶらさげてきたところで、海渡が言いました。

「とうさん、しからないでー」

「え?」それを聞いたお父さん、びっくりしてしばしフリーズ。

「海渡、今、叱らないでって言ったのか?」

 もうそれ以上ルフィを叱れなくなってしました。海渡のおかげでルフィは開放されました。

 きっと、海渡はルフィがどれだけ叱られるかと想像して、たまらなくかわいそうになったのでしょう。普段でもテレビで乱闘シーンが出てくると「かわいそうねぇ」と言いますが、海渡の心が人(あるいは猫)の痛みが分かるように育っているんだなぁと思わせてくれる海渡の言葉でした。

 このまま、人の痛みが分かる心を大事にして、まっすぐな大人になってくれるといいなぁ。

 






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