++ 記憶の中へ
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■ 就学時健診と就学問題その9 2002年10月24日(木)
 今日は、学区の小学校の就学時健康診断。
 学区の小学校は、特殊学級が今年無くなってしまい、普通学級は来年度は海渡を入れると38人という大人数になってしまう上、学童もありません。多分、学区の小学校には海渡は通えないだろうと思う気持ちがあって、今日の就学時健診は気の重いものでした。

 保育園からバスで海渡を含め6人の園児を小学校に送り、小学校で親と合流することになっています。海渡は小学校の門のところに座り、私を見つけるとニコニコと走ってきました。受付を済ませ、通学帽のサイズを調べ、1年生の教室へと案内されます。教室の机にはひらがなでそれぞれ名前が書いてあり、海渡は一番前。これから何が始まるのか、不安と緊張でいっぱいになっているのが見ていて分かります。でも、廊下で並んでいるお世話係りの6年生のなかにお姉ちゃんを発見して、「あ、まりちゃん、いる!」と大きな声を出しました。麻梨香が小さく手を振り、そばにいた友達が

「海ちゃ〜ん」「海渡く〜ん」

と声をかけてくれて、少しリラックスできたみたい。

 最初は内科検診。
 海渡がダウン症だということはすでに連絡済だったらしく、小学校の先生が何か小さな声でささやいて、お医者さんがうなづいていました。そして、他の子どもよりも念入りに心臓に聴診器を当てていました。そして、「染色体、調べてあるんだね? 産まれてからずっとかかっているところはある?」など聞かれました。

 次は、歯科。
 海渡のかかりつけの歯医者さんの先生でした。先生は海渡のことを覚えていて、海渡も慣れているのでスムーズに終わりました。

 その後、学校の配慮からかお世話係りの姉の麻梨香にまかせ、保護者は+入学後の説明会のために会議室に集まりました。
 海渡がこの後、受けるのは 視力と聴力と適応検査です。聴力はきっと理解できるだろうけれど、視力は意味がわかるかどうか、多分測定できないだろうなと思っていました。適応検査はどうも、先生の質問に答えるというものらしいのですが、娘が昨年お世話係りをしていたときに聞こえたそうなんですが、「お名前は?」とか「きょうだいは何人?」というものらしいです。海渡にはきっと難しいでしょう。

 入学後の説明会で新一年生の数が増えて、現在41名であることが分かりました。41名というのは、2クラスに分けられるギリギリの人数です。つまり、20人学級と21人学級になります。これは意外でした。ずっと海渡を入れて38名と聞いていたので、この大人数の普通学級に海渡を入れるのはどうかと、この学校を断念せざるを得ない理由のひとつだったのです。20人か21人の学級なら、もしかして?とほんの少し希望が沸いてきました。

 説明会が終わり、健康診断の結果表が手渡されました。
 海渡は驚いたことに、視力が左右とも「A」(1.0〜1.5)とあります。そして、聴力の方が「測定困難」でした。
 教室に戻って、長女に「海ちゃん、視力測れたの?」と聞くと、「うん、最初は固まっちゃってたけど、あたしがこうやってやるんだよって教えたら、すぐできたよ。海ちゃん、あたしが見えないのも見えてる」と言いました。娘は視力が悪く、勉強の時は眼鏡をかけています。立ち会った先生も、「上手でしたよ。」とおっしゃっていて、ちょっとびっくりです。

 聴力の方は、ヘッドホンをして音が聞こえたらボタンを押すというものだったらしいのですが、普通の子どもでも分からない子が多いそうで、少しデシベルを上げるとボタンを押していたので大丈夫でしょうということでした。耳に関しては、耳鼻科で「ABR」でも異常が無かったので、心配していませんでした。適応検査だけが立ち会った先生に話が聞けず、どんな風だったのか分かりません。娘の担任の先生が担当だったので、今月の授業参観で聞いてみることにします。
 無事に就学時健診も終わりました。海渡はちょっと緊張気味だったけれど、知っているお友達もいたし、私やお姉ちゃん、よく遊んでくれるお姉ちゃんの友だちもいて、後半はとてもリラックスしていました。

 私は、娘の担任の先生が手が空いていそうなときを見計らって、今日のもうひとつの目的である来年度のことを聞いてみました。すると、現在県に特殊学級の新設を申請をしているということが分かりました。海渡ひとりでは申請できないので、もうひとりいたということになりますが、詳しいことは分かりませんでした。

 このときに分かったのは、学校としては特殊学級が新設できるよういろいろと働きかけており、たとえ普通学級に海渡が入ることになったとしても、それを拒否することはないし、普通学級に入ったら海渡をどのようにサポートしていくかを考えて行くし、学校や先生が大変じゃないかとか迷惑がかかるんじゃないかとかは、お母さんは考えなくていいですという、大変ありがたいものでした。

 また、養護の先生も、海ちゃんは堂々と小学校に来てくださいよ、特殊学級ができなければ、できるまで待てばいいじゃないですか、と言ってくださり、話をしているうちに思わず涙があふれてきてしまいました。人前で泣いたのは、病院で告知を受けたあと励ましてくれた看護婦さんの前で泣いたとき以来かもしれません。

 他にも勇気付けてくださる先生がいて、何だか学校全体で海渡のことを歓迎して待っていてくれているということが分かって、嬉しくなりました。

 就学時健診のことや就学のことを考えると、あんなに不安と憂鬱でいっぱいだったのに、一気に気持ちが明るくなり、学区の小学校に通えるかもしれないという希望が見えてきました。

 まだまだどうなるか分かりませんが、たとえ特殊学級ができなくても、20人か21人の少人数のクラスなら、普通学級でも何とかやれるかもしれないと思えてきて、今までの不安が嘘のように消えていくのが実感できました。

 この日、海渡は学校で何をしたのか、お父さんに身振り手振りでお話していました。
 

 


 


■ 言葉と心(6歳3ヶ月) 2002年10月20日(日)
 何を言っているのか分からないことが多い海渡語だけれど、ときどき驚くほど自然な会話ができることがあります。

 今日は朝から曇り空でいつ雨が降り出すか分からないどんよりしたお天気でした。午後になって、雨が振り出しました。
 海渡が私のところに寄ってきて、

「おかあさん、あめ、ふってる」

と言いました。なめらかなはっきりとした言葉でした。

 雨の中、いっしょにスーパーへ行きました。行きなれたスーパーなので海渡と別行動になっても、不安はありません。ひとりでウロウロしていてもたいてい「おかあさ〜ん」と向こうから探しにくるからです。今日も店内に入ると、私は海渡より先に歩き始めました。すると海渡が後ろから私を呼びました。

「おかあさん、海ちゃん、おかし見てくる」

と。私が「うん、いいよ」と言い終わらないうちに、お菓子売り場の方向へ走って行きました。しばらくすると、小さなポケット菓子をきょうだいの分を入れて3つと、そして多分私の分の「抹茶アイス」を持って駆け寄ってきました。

「海ちゃん、アイスはいいよ。返してきてね」

と言うと、海渡は素直にアイスクリーム売り場に戻しに走って行きました。

 何を言っているのか分からない言葉もたくさんありますが、確実に語彙が増え、言葉も出て会話がちゃんとできているんだなぁと実感しました。

 そして、お菓子をちゃんと兄と姉の分を忘れず、私の分まで選んで(しかも私の大好きな抹茶味)来てくれる気持ちの優しさに嬉しくなりました。

■ 静かな夜 2002年10月18日(金)
 海渡のパパは障害者の作業所で指導員をしています。
 今月に入ってから、「グループホーム」での泊まりの勤務を週に1〜2回することになり、今日も泊まり勤務となりました。(グループホームというのは、障害のある人たちが文字通りグループでひとつの家に協同で生活することです。そこで一緒に寝泊りして家事などサポートする人のことを「世話人」というらしいのですが、海渡のパパも週に1、2回だけですが、その「世話人」ということになります。)

 父親のいない4人だけの夕食がすんで、見たいテレビが終わると長男と長女はそれぞれの自分の部屋に行ってしまいました。私と海渡だけが居間に残りました。

「海ちゃん、お風呂はいろか」
「うん、おふろ」

やけに素直に海渡はお風呂へ直行していきます。発音のはっきりしない海渡のおしゃべりを聞きながら、海渡とふたりだけの時間が過ぎていきます。用意しておいたパジャマを自分でさっさと着た海渡は

「オーラ(コーラ)、くーしゃい(ください)」

と言いました。「海ちゃん、アイスクリーム食べよか」
海渡の顔が嬉しさでいっぱいになりました。ひとつのカップアイスを一緒に食べていると不思議な気持ちになります。海渡がもし、いなかったら私はこの時間何をしているのだろう。上の子どもたちは、もう母親にまとわりつくこともなく自分の部屋で好きなことをしている。もうパジャマを着る手伝いをすることもなく、寝かしつけることもない。海渡がいなかったら、私はどんな生活をしているのだろう。アイスクリームを美味しそうに口へ運ぶ海渡が、ぼんやりしている私の口元へスプーンを持ってきて

「おかあさん・・・・」

と言って食べさせてくれました。もう、海渡がいない生活は想像できないし、ばかげたことなのに、海渡と二人きりの夜がものすごく静かで、それでふとそんなことを考えてしまったのでしょう。

海渡もいつか親元を離れて「グループホーム」で暮らすようになるかもしれません。その頃には長男も長女も大人になっていて、この家にはもういないかもしれません。海ちゃんも行ってしまったら寂しいなぁ・・・自立して仲間と暮らしていけるのならそれが一番いいはずなのに、何だかちょっと寂しい。

アイスクリームを食べた海渡は満足して、その後自分からお布団に入ってすぐに眠ってしまいました。ひとりになっちゃったなぁ、久しぶりに一人でゆっくりしようかなと思っていたら、長男が「ぽんぽこ」を見るために居間に戻ってきてしまいました。ゆっくりひとりっきりはあと2時間あまりお預けかな。


■ 母の都合と子の成長 2002年10月15日(火)
 私は、海渡が生まれて1歳9ヶ月で保育園に預けて以来、ずっと仕事をしています。昨年、1年間だけ在宅での仕事でしたが、それ以来はずっと外へ出る仕事だったため、朝は分刻みの戦いです。

 上の子どもたちはもう放っておいても大丈夫ですが、問題は朝寝坊の海渡です。彼は母の都合などまったく気にしていません(泣)あくまでもマイペースで起き、着替え(させてもらう)、ご飯も起きてから体のエンジンがかからないと食べられないので、当然遅くなります。食べるのも遅いのに、その上しっかり最後まで食べないと気がすまないのでとにかく時間がかかります。私はついついイライラしながら「早く、早く食べて」と彼の横で通園バッグ片手にウロウロしながら待っているということもしばしば。

 8時半きっかりにテレビのスイッチを切り、出かけます。時には、ぐずる海渡を引きずるように出かける日もあるし、あんまり海渡がのんびりしていると、怒って外へ追い立てるときもあります。どうしても時間が無いときは、おんぶしてダッシュです。海渡は歩くのも遅いので、駐車場までの時間が惜しいのです。体の大きな子をおぶっている図ははたから見ると異様でしょうね。それでも遅刻するかもしれないとなると、20キロ以上ある海渡をおぶって前かがみで歩きます。すると、海渡が背中で言います。

「おかあさん、よーいどん!」

 こんなことしていちゃ、海渡のためにもよくないなぁとは思っているのですが、とにかく時間がありません・・・・・。おかげで、今まで無遅刻で通してきましたが・・・・。

 今朝も、海渡はのんびりと起きてきました。しばらく、テレビを見ながらゴロゴロしてから、朝ごはんを食べ始めました。しかし、あと10分で8時半です。

「海ちゃん、時間が無いから急いで食べてね」

 いつものように、言いたくはないけれどつい出てしまう言葉。海渡はこの言葉にはいつも全く反応しません。いつも知らん顔して、マイペース。それが、今日は

「うん!」

と大きくうなづいたかと思うと、本当に大急ぎでご飯をかきこみ始めました。
そして

「ごちそうさまでった!」

と大きな声で言ったかと思うと、椅子からおりてスタスタと玄関へ歩いていきました。なんだか、あまりにいつもと違う展開に驚き戸惑う私・・・・

 子どもって、ある日突然びっくりするような成長を見せてくれるものですが、今日の海渡は本当に今までのぐずぐずは何だったの?というぐらいの成長ぶり。いえ、単なるきまぐれでしょうか。それとも、ずっと「海ちゃんは保育園、お母さんはお仕事」と言い続け、あと6ヶ月で卒園という時期に来て、やっと自分が行くべき場所と母の都合が分かったのだろうか。

 どちらにしても、どうかずっと今日のような朝が続きますように・・・・・

 
 

■ 言葉 2002年10月14日(月)
 近頃の海渡の言葉の出方は目覚しいものがある。
 家ではいつも何かしゃべっている。自己主張も激しく、

「これは、海ちゃんの!」
「うるさいなぁ!」
「行こうぜ!」
「オッケー!」

などは、頻繁に聞く言葉だ。長いおしゃべりも増えてきているが、これがまったく「宇宙語」というか、何を言っているのかさっぱり分からない。

「おかあさん、あのねぇ、海ちゃんねぇ」までは分かるのだが、その後は

「★△○※〜!?◎×■※○!・・・、ね?分かった?」

となる。まったく日本語に聞こえないのだ。「分かった?」といわれても答えようがないほど意味不明。本人はちゃんと意味のある言葉をしゃべっているのか、それとも周りの人を真似してぺらぺらと気の向くままに音を発しているだけなのか、さっぱり分からない。時々、何か訴えようとしているのだということがわかるときもある。どうしても伝えたいときは、ジェスチャー交じりとなり、そうなると半分くらい意味が分かるときもある。

 来年、就学を控えて、あまりに言葉が通じないようではお友だちと遊ぶにも困るだろうと思うと、やはり、手話なりマカトンなり何か言葉を補助するものを教えておいたほうがいいのだろうか。

 こちらの言うことは何とか分かるのだから、海渡から回りに伝える言葉とそれを補う方法。簡単な手話なら海渡は覚えられるだろうか。

■ 体重 2002年10月13日(日)
 食欲の秋・・・・のせいなのかどうか、海渡はここのところ食欲旺盛です。
身長は少しずつ確実に伸びるけれど、体重は横ばい状態が長く続き、その後少し増えて、また横ばい・・・それが、今までの海渡の体重の増え方でした。

 ところが、この夏にたった1ヶ月で体重が1キロアップしてからは、次の1ヶ月で0.4キロ増と、かなり増え方が著しいのです。なんか、お腹が出てきているなぁ、まあダウンちゃんはカエル腹っていうし、こんなもんかなぁと思っていたら、ある日海渡の画像を見て気づきました。ほっぺがふっくらしているのです。

 そういえば、最近よく食べます。
 保育園から帰って、夕食までの間におやつを食べて、そして夕食もしっかり出されたものは全部たいらげるという具合です。保育園で3時におやつを食べているので、家に帰ってからのおやつが余分なのです。

 しかし、保育園のおやつというのが本当に軽いものなので、5時過ぎにはもう「おなか、空いたなぁ」の連発です。仕方が無いので、お菓子などを与えてしまうのですが、やっぱりこれがダメなのかなぁ・・・・

 それと、やはり健常児とは運動量が違うので、どうしても運動不足気味となります。おまけに保育園へは車で送り迎えだし、マンションは5階なのでエレベーターを使います。やっぱりどう考えても運動不足。

 これから、ますます寒くなって運動量が減り、食べる量が増えたらいったいどうなっちゃうんだろう???これは本気で考えないとマズイかも。

■ 保育園最後の運動会 2002年10月05日(土)
 今日は、保育園生活最後の運動会。
 1歳児から通った名古屋市の保育園とあわせて5回目の運動会(正確には一度だけ姉の小学校と運動会が重なってお休みしているので、参加しているのは4回目)だ。

 今回は年長さんということで、かけっこあり、リレーあり、鼓笛隊ありと忙しい(笑)

 昨年は先生に手を引かれて走った「かけっこ」。
 今年は、グランドを1週、ビリだけれど海渡ひとりでゴールまで走りとおした。これには驚いて、お友達の

「海ちゃん、がんばれ〜」

の声援とともにゴールを切ったときは、思わず涙がこみあげてしまった。
 海渡は走っている間中、嬉しそうでずっと笑顔のまま。最高の笑顔だった。

 一番、心配だったのはなんと言っても「鼓笛隊」。
 海渡は小太鼓なのだが、果たしてちゃんと音楽にあわせて叩けるのか、フォーメーション通りに移動できるのか????もう不安で不安で仕方がなかった。

 でも、いざ始まってみたら、ぜんぜんOKでした!

 ちゃんと叩くところ、スティックを鳴らすところ、止めるところ、海渡は分かっていて、しっかりと役目を果たしていた。もっとも海渡ともう一人のダウンちゃんのゆうちゃんの後ろをしっかりと先生がフォローしていた(笑)

 移動は先生が誘導してくれたり、引っ張ってくれたり、海渡とゆうちゃんはその指示に従って動いていた。ふたりとも間違えることなく、立派に演技できた。「ちゃんとやってたよね〜」ゆうちゃんのお母さんと笑顔で喜び合った。

 もうひとつの不安は、リレー。
 「かけっこ」と違って、チームの勝敗がかかっている。親子で交互に走るので海渡の遅れは私が頑張って取り戻すしかないのだが、何しろ「かけっこ」でもダントツのビリだった海渡なので、私がいくら頑張っても大して差は縮まらないはず(笑)実際、海渡のチームはこれまたダントツの1週遅れのビリになってしまった。それでも、アンカーだったよそのお父さんは笑顔で両手をあげて堂々とゴールしてくださった。もちろん、拍手がいっぱい。

 「海ちゃん、運動会頑張ったね」

と言うと、海渡は笑顔で「うん!」と満足そうにうなづいた。
 一生懸命最後まで走った「かけっこ」、「海ちゃん、がんばれ〜」の声援、鼓笛隊、リレー、海渡の中にたくさんの思い出ができただろうか。

 来年はどこの小学校で運動会の日を迎えるのだろうか。

 

■ 養護学校見学 2002年10月02日(水)
 養護学校へ見学に行ってきた。
 車で約30分の道のり。

 子どもの現在の発達の様子を聞かれたあと、1年生から3年生までの授業の様子を見学させていただいた。

 広い部屋で1年生が段ボールの箱を使って遊んでいた。もちろん、複数の先生方もいっしょ。海渡はその様子をみてじっとしていられなくなり、私たちの「いいよ」の声とともにその中に飛び込んでいった。

 段ボールの箱をいくつも積み重ねて遊ぶ海渡。他の子どもが寄ってくるとなにやら言葉で説明していた。うまくたくさん積み重ねると手を叩いて喜んでいた。

 次に2年生の国語の授業の様子を見学した。
 一クラス5人で、先生は1人か2人。子どもたちのレベルに合わせた授業ということで、ひらがなカードを使って言葉を作っているクラスもあれば、同じクラスのお友だちの苗字と名前のカードあわせをしているクラスもあった。

 どこの授業の先生も、大きな声ではっきりとしゃべっているのが印象的だった。

 普通の小学校しか知らなかった私にとっては、その違いに驚くことが多かったけれど、子どもたちはみな生き生きとして楽しそうだった。でも、当たり前のことと分かっていながら、この場所には障害のある子どもしかいないということが、とても違和感というか不思議な感覚がどうしてもつきまとってしまう。小学部、中学部、高等部と12年間、健常の子どもたちのいない場所での生活を続けるというのが、今の私にはまだしっくりこないのだ。

 ここへ入学すれば、理解ある先生方に見守られて、海渡はきっと穏やかでのんびりと過ごすことができるだろう。今までお友だちについていくのが精一杯、お友だちのようにやれないことも多かったけれど、ここでは海渡のペースで歩んで行けばいい。

 どちらが海渡にとって幸せなのかな・・・・

 ただ、養護学校だと春休み、夏休み、冬休みに学童に入れる可能性が少なく、今の生活のことを考えるとやはり難しい。

■ おっきーぶー 2002年10月01日(火)
 何をしていたときか思い出せないのだけれど、家の中でしゃがむように座っていた私がしりもちをついたとき、海渡が笑いながら言った。

「おっきーぶー、みたい」

 おっきーぶー???
 おっきーぶー、初めて聞いた言葉。「おっきーぶーってなに?」何度聞いても、海渡は「おっきーぶー」と繰り返すだけ。

 おっきーぶー、おっきーぶー、いったい何のことだろう。
 かなり考えて、気づいた。

「大きなカブ!」

 海渡はにっこり笑って、「おっきーぶー」。大きなカブを引き抜こうとしてしりもちをついたところを言っているんだとようやく気がついた。少し前、保育園でこの「大きなカブ」のオペレッタを練習して、近所の老人施設へ行ったときに上演している。何度も保育園で練習したので、もうすっかりセリフも演技も覚えてしまい、家でも何度も上演してくれた。でも、「おおきなカブ」というタイトルは言ったことがなかった。いきなり、演技が始まるので

「ああ、また大きなカブだね」

と家族は分かっていたのだ。

 海渡語はとても難しい。海渡が言っている言葉で私が一番知りたいのは、お友達の名前である。「○○くん、××くん」とたくさんのお友だちの名前が出るのだが、今ひとつはっきりしない。海渡が名前を覚えるくらいだから、きっと一緒に遊んだりしているんだろう。早く、誰のことなのか知りたい・・・・。




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