++ 記憶の中へ
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■ 腹痛で休日診療所へ 2002年03月31日(日)
 この週末が一番の桜の見ごろらしい東海地方。
 海渡と麻梨香を連れて、津島市の天王川公園へ行ってきた。いろんな出店が出ていたので、海渡はひとつひとつのお店で興味津々。中でも、金魚すくいとボールすくいが気に入ったようで、お店にへばりついて動かない。ボールすくいのお店では店のひとが若いお姉さんだったせいか、なにやら話し掛けている。あんまり動かないので、ボールすくいを一度だけいっしょにやり、お約束の「サメつり」も一回やって、おもちゃのバットとボールを当ててゴキゲンだった。

 なのに、帰宅して3時半ごろお昼寝をしたと思ったら、4時半に泣きながら起きて、そのあとはお腹を押さえてうなり声をあげ泣いている。お腹が痛いらしいがどんなふうに痛いのかは言えず、ただただ激しく泣くばかり。下痢かもしれないと思い、正露丸を飲ませてみた。海渡は素直に薬を飲んで「なおった」と言った。
 でも、すぐにまた痛みが襲ってきて、うんうん唸りながら泣いている。収まったと思っても、すぐにまた痛むらしいので、これはただ事ではないと「休日診療所」へ行くことにした。

 思えば、子ども3人いながら休日診療所へ行ったのはこれが初めてだ。10年くらい前、長男の龍平が小さかった頃高熱が出て、一度だけ日赤の救急外来へ行ったことがあったっきりだ。

 6時からの受付で、一番に診てもらった。その頃には、海渡はかなり症状は落ち着いていたが、ぐったりとして少し熱もあった。診察室に入ると、右側にベッドがあった。問診表には「腹痛」と書いておいたので、そのままベッドに寝かせるのかと思ったら椅子に座らせるよう促された。海渡はぐずるかと思ったが、素直に椅子に座った。お昼寝から覚めて、それからのことを説明すると、先生は海渡の上着をめくって、聴診器を胸とお腹にあてた。そして

「胃腸風邪の引き始めだね」

って・・・・。え? それだけの診察で???
 喉も診ていないし、背中からの音も聞いていない、腹痛だと言っているのにベッドに寝かせてお腹の触診もしない。ちょっと胸とお腹に聴診器を当てただけだ。

 「唸りながらお腹を痛がって、こんなのは初めてなんですけど」と言っても

「薬出しておくから、明日、掛かり付けの病院へ行ってください」

で、おしまいだった。「その薬は、お腹の薬ですか?」と聞くと、チラッと私を見て「菌を押さえる薬です」・・・・なんか、納得いかない気分だったが、海渡ももう痛がっていないので、薬をもらってそのまま帰宅。

 海渡にもらった薬を飲ませると、そのまま眠ってしまい、時々起きてはお腹をさすりながら苦しそうな表情を見せていた。それでも、夕方ほどではなく、お腹をさすってあげるとホッとしたような顔をして、またそのまま眠りについた。

 明日からまた保育園、お休みかな。

■ 愛知県教職員異動 2002年03月30日(土)
 今朝の新聞に愛知県の教職員異動が載っていた。
 今度小6になる娘が通う小学校を見てみると、一人の先生が異動となっているが、転入される先生がいない。

 娘の個人懇談の時に、先生にそれとなく来年度特殊学級が存続されるかどうか聞いたところ、どうも来年度は無くなりそうな感じを受けた。特殊がなくなるということは職員を一人減らさなければならないということをおっしゃっていたので、今度の異動で一人だけ減って、増加がないということは、特殊がなくなるという意味にとれる。

 ということは、再来年度、海渡が入学の年には特殊学級が無いということになる。全学年1クラスずつしかない小さな学校なので、特殊学級に該当する児童も当然ながら少ない。

 こうなると海渡は普通学級で入学するか、隣の学区の小学校(特殊学級がある)へ行くか、養護学校ということになる。学区の小学校は障害のある子どもにはとても理解を示して下さっているので受け入れで拒否されることは恐らくないと思うが、教育委員会が何て言うか・・・・・

 今年の秋は忙しくなりそう・・・・


■ こどもちゃれんじ 2002年03月29日(金)
 1歳9ヶ月から保育園へ通い、療育もお稽古ごとも何も行っていない海渡の唯一の「お勉強」(?)と言えるのがベネッセの「こどもちゃれんじ」だ。

 「ぷち」「ぽけっと」「ほっぷ」「すてっぷ」と続いて、いよいよ「じゃんぷ」の年齢になった。「ぷち」や「ぽけっと」「ほっぷ」あたりならまだついていけたのだが、「すてっぷ」あたりから「文字」や「数字」が出てきて、正直言って「じゃんぷ」はほとんどついていけない内容。

 もう止めようか迷っていたら、「じゃんぷ」4月号が届いてしまった・・・・海渡は「しまじろう!」と言って大喜び。この笑顔を見るとやっぱり続けようかなぁと思う。

 「ワーク」はやっぱり難しい。それでもやる気満々なので、いっしょに何とかやっている。保育園でも年長になると、文字や数字の書き方も入ってきて、大変だろうな・・・・。
 

 

 
 

■ ちょっと嬉しかったこと 2002年03月28日(木)
 毎日、夕方5時過ぎになるとマンションの前を通る一人の女性がいる。恐らく知的障害を持っているのだと思うけれど、いったい何歳なのか年齢は分からない。高校生くらいの頃からうちのマンションにも出入りしていて、小さな子どもを見るといろいろと話し掛けて、けっこう有名人だ(笑)

 小さな子どもが好きなのはいいけれど、子どもが持っているお菓子を「ちょうだい」と言ってひょいと子どもの手から取ってしまうことがあった。その頃は私もその子のことがよく分からなかったから、当時、長女か長男が持っていたお菓子を取って行った彼女に
「小さい子のお菓子を取っちゃダメじゃない」
とごく普通に注意したことがある。彼女は反省するふうでもなくケロリとして関係ないことをものすごい早口で喋り始めた。そのとき、初めて障害のある子なんだとわかった。

 あの頃多分養護学校に通っていた彼女は、今は作業所で働いているらしい。そして彼女の自宅と、通っている作業所の中間にうちのマンションがある。作業所の帰り道、マンションの前や駐車場で私と海渡が保育園から帰ってきた時間と重なるときがあり、そんなときは決まって走りよってきてあれこれ話をする。たいてい一方的に彼女が話し掛けてきて、会話にはなりにくいのだけれど、それでも彼女は満足らしい。

 おとといも保育園の帰り、海渡をおぶって駐車場を歩いていたら駆け寄ってきて話し掛けてきた。適当にあいづちを打っていると、持っていたスーパーの袋から小さな菓子袋を取り出して

「海ちゃん、せんべ食べる?」

とそれまで私に話し掛けていたのとは全然違う、優しい声で海渡におせんべいの入った小さな袋をふたつ差し出した。海渡は具合が悪かったので私の背中に頭をもたれさせたままおせんべいの袋を受け取った。彼女は海渡の様子を見て「○○病院行った?」と一言。海渡が病気なのだと思ったのだろう。「あそこは小児科はやってないの」と答えると「やってるよ。書いてある」と言う。確かに10年以上前は小児科もあったらしいが、今は内科だけで看板の小児科の文字は白く塗りつぶしてある。恐らく彼女は、子どもの頃その病院で診てもらったことがあるのだろう。

「あそこの先生は優しいよ」
「看護婦さんも優しいよ」

 彼女なりに、海渡を心配してくれているのだ。
 10年以上前、小さな子どものお菓子を取り上げていた彼女が、今小さな子にお菓子を分けてくれて、おまけにからだを気遣ってくれている。他人事ながら、ここまで成長した彼女に、何だか嬉しくなった。


■ 意外と元気 2002年03月27日(水)
 夜中に熱で起きることもなく、朝も機嫌よく起きた海渡。
 熱は平熱にもどっている。仕事のめどもたってきたし、雨で部活が中止になった長男もいるし長女もいるので、無理に保育園に出さずに家でゆっくりさせることにした。

 しか〜し、熱の下がった海渡がじっとしているわけはない。
 そこで、長女の麻梨香にベビーシッターを頼むことにした。とりあえず仕事が片付くまでは見ていてもらわなければならないので、バイト代を払うということで契約成立。一緒にビデオを見たり、手遊びをしたり、積み木で遊んだり、猫とじゃれあったり、しっかり面倒見てもらいました。ありがとう、麻梨香。

 それにしても、海渡は元気だった。お昼もラーメンをペロリだし、ちっともじっとしていなくて、昨日の熱はなんだったんだろう。

■ 久しぶりの発熱 2002年03月26日(火)
 小学校も中学校も春休みにはいって、海渡が保育園へ行く時間になっても兄と姉がいる。そんな状態で海渡が保育園へ行く気になってくれるのかどうか不安だったけれど、仕事が入っているので何が何でも行ってもらわねばならない。海渡がいると仕事はまずはかどらないのだ(泣)

 兄と姉の間に寝転がって

「保育園、お休みだも〜ん」

言っていた海渡だが、母の気迫に押されたのか時間になるとすんなりと家を出てくれていた。

 今日も割合スムーズに登園した海渡だったけれど、お迎えに行ったらどうも元気がない。お部屋を出たらいつもは走りまわってなかなか帰ろうとしないのに、お部屋を出たとたんぐずぐずと立ち止まり一歩も動かない。抱っこをせがんでいるふうだったので、そのほうが早く帰れると思い、抱っこして車まで歩いた。保育園の前を流れる川に小石を投げるのが大好きな海渡が、川に見向きもしない。

 車が駐車場についても元気がないので、そのまま抱っこで家へ帰った。
 帰宅後もごろごろしだして、姉のマリカが「海ちゃん、なんかおかしい」と言い出した。おでこを触るといつもよりほんの少し熱い。測ってみると37.7度だった。ちょうどかかりつけの小児科の午後の診察が始まる時間だったので、そのまま病院へ連れて行った。

 結局、ただの風邪ということだった。帰宅後はおにぎりを食べて、横になるとそのまま寝てしまった。明日は保育園お休みかな。





■ パズル 2002年03月18日(月)
 

昨日のジャスコの買い物で、海渡は13ピースのアンパンマンのパズルを買った。ジグゾーパズルというにはあまりに低レベルなものだけれど、一見して海渡にはまだ無理だろうなと感じた。でも、乾電池を買うためにレジで並んでいる私のもとへニコニコとパズルを持ってきた海渡に「戻しておいで」とも言えず、せっかく並んだレジを離れるのもイヤだったし、398円と値段が手ごろだったので(←これが一番大きい理由かも)そのままお金を払った。もちろん、海渡は大喜び。

 帰宅して早速パズルで遊び始めた。
 まず、私が縁のほうから「ここ、赤いでしょ?だから赤いところに合わせて〜」と言いながらお手本を示しながら組み立てた。海渡は、時折「うん」と答えながら
真剣に私の手元を見つめていた。一度組立て終ると、すぐにやりたがったが、バラバラにするともう何が何だかわからない。
 「じゃあ、これはどこ?」と一片を取ってみせると、「ここ」とすぐに答えた。
「じゃあ、これは?」と順に見せていくと、大体半分くらいは分かるようだ。
そのうち自分でやりだした。しかし、場所は合っているものの、ピースを微妙にずらしてぴったりはめ込むことができず、バンバンと叩いて無理やりはめ込もうとする。もちろん、叩いてうまくはまるわけがなく「できん!」と怒り出す。

 「少しずつこうやって動かして、やってごらん」と言っても「できん!」と言う。海渡の手を持ってピースの上に置き、ずらしながらピタッとはめてやると「やったー!」と大喜びでガッツポーズ。そんなことを2〜3回繰り返し、少しずつやれるようになってきた。まだ、一人で全部はできず、途中で助けてあげるけれど、何度も何度も挑戦している。

 初めに、これは海渡には無理だと思ったパズルだけれど、親が思っているより子どもはやれるものなんだと反省。

■ きょうされん愛知県大会プレ企画 2002年03月17日(日)
 名古屋市の精神障害者の作業所で指導員をしている夫の仕事の関係で、きょうされん(旧称 共同作業所全国連絡会)全国大会in愛知のプレ企画に行ってきた。場所は西区ジャスコワンダーシティ横の住宅展示場。バトントワラーや歌などの催しものがあったのだけど、参加は夫にまかせて、私と海渡と長女はジャスコへ買い物(^^;)
 実は、お世話になっているMLの夢吉さんとま〜君親子とも会うことになっていて、ひさしぶりにま〜君にも会えた。抹茶味がお好みとは知らなかった。渋いねぇま〜君。今日はいろいろとありがとうございました、夢吉さん。

■ おもちゃ図書館「ちゃお」 2002年03月16日(土)
 ひさしぶりに、佐織町のおもちゃ図書館「ちゃお」へ顔を出した。
 たまたま、海部・津島障害児ネットワーク「ぴーかーぶー」の方たちもみえていて、いろんな情報を得ることもできたし、おしゃべりもできてすごく実りある時間が過ごせた。やっぱり、地元の会にはマメに顔を出さないといけないなぁと実感した。

 海渡は知らない大人たちに囲まれたときは固まってしまったが、おもちゃの方に連れていくと、もう私には見向きもせず遊びに夢中になっていた。ボールプールや大きなリハビリ用のボール、その他のたくさんのおもちゃで遊んで大満足の様子。

 帰りは本物の図書館へ行って、大好きな紙芝居をふたつ借りた。

■ いたずら 2002年03月15日(金)
 「海渡データ」に「いたずら」というページを作ったばかりだが、夕べ新たないたずらが発覚。
 脱水が終った洗濯機の中から、姉、麻梨香のゲームボーイポケットが出てきたのだ。しかもソフトが挿入されたままだ。液晶画面は、まるで波が揺れるオブジェのように、綺麗な波模様を描いている。もちろん、スイッチをオンにしてもうんともすんとも言ってくれない。

 そういえば、お風呂に入るときトレーナーを脱がせて洗濯機に入れたら、海渡が何か言いそうになったような記憶が・・・・・あのとき、すでに洗濯機の中にゲームボーイポケットが入っていたのだろうか。それとも、もっと後のことなのだろうか。

 どっちにしても、ゲームボーイポケットは昇天してしまった。
 お父さんが麻梨香に「お前の一番大事なものを洗っちゃったぞ」と言うと、麻梨香は一瞬ギョッとして「お財布?」って・・・・あんたの一番大事なモノってお金なのか?

 ゲームボーイポケットと分かって、意外にも麻梨香は素っ気無く「ふーん」と言ったきりだった。怒りまくって海渡に何か言うかと思ったが、あまりにあっさりした反応にホッとするやら複雑な心境。新しいのを買ってくれとも言わず(もうすぐ誕生日なのだけど)さっさと自分の部屋に戻っていった。

 海渡・・・命拾いしたね。

■ お風呂 2002年03月14日(木)
 ここのところ、海渡をお風呂に入れるのに苦労している。
 以前なら、
「お風呂入ろうか」
と言えば
「おふろ、おふろ」
と口ずさみながら、さっさと自分から洗面所へ行ったのに、今は
「やだも〜ん」
と憎たらしいことを言い、しかもご丁寧に「べーー」とくる。ずっと入浴剤を振り入れるのがお気に入りで、それでかなりごまかして来たが、それにも飽きてしまい、もう何を言っても「やだ」「いや」「べー」のどれか・・・・・

 体重も20キロ近くあり、もう力ずくで言うことを聞かせるのもしんどくなってきた。最後の手段?というわけでもないが、
「じゃあ、お母さんはいっちゃうね、バイバイ」
と言うと、しばらくしてやってくることもある。が、全然知らん顔のまま私が上がってしまうこともある。そうなると、お姉ちゃんが入るときにいっしょに入れてもらうことになるが(お姉ちゃんの機嫌が良いと海渡の体や髪を洗ってくれる)、それでもダメなときもある。本当に困ったもんだ。

■ 夜泣き 2002年03月12日(火)
 夜中の1時頃、眠っていたはずの海渡がぐずぐず泣き出した。隣の居間で仕事をしていた私が様子をみに行くと、布団の上に座ってえんえん泣いている。また、つま先を気にしているようでもあるし、歯が痛い(最近歯が痛いというジェスチャーをよくする)ような風でもある。とりあえず、小児用バッファリンを飲ませたが、泣いたために鼻が詰まって、それでまた苦しくて泣き出すので、寝付くまで座ったまま抱っこすることになった。

 しばらく抱っこしていると寝付いたので、ぞのまま添い寝をした。寝顔を見つめながら、いつまでこんな風に一緒に眠れるのかなぁと思う。長男も長女も、添い寝をしてあげるとそれはそれは嬉しそうな、安心しきった表情をして私の顔をニコニコしながら見つめたっけ。そして幸せそうにすんなりと眠りにつく。母親になって良かったと思う瞬間。この子を産んで良かったと思う瞬間。
 それがあと何年かしたらなくなってしまうなんて、想像するとちょっと淋しい。


 

 

■ 言葉 2002年03月09日(土)
 夕べから私の体調が悪く(風邪かなぁ?)、今日もめまいがしてフラフラ状態だったので、どこへも出かけられない。そこで、近所のスーパーへ行くと言うお父さんの言葉を聞きつけて、海渡が後を付いて行こうとした。
「海渡、一緒に行くんなら靴下と上着をきておいで」
と言われた海渡は大喜びでキッチンにいた私のところへやってきて、こう言った。

「あのね、おとうさん、海ちゃん、ブッブー(車)、ベルズ(スーパーの名前)、行く!」

 単語の羅列だけれど、十分意味は通じた(笑)
 
 

■ 手話 2002年03月08日(金)
 海渡の保育園では、29日が卒園式。
 在園児も卒園式の歌の練習をしているようで、海渡も「そして、ありがとう」という歌とその手話を練習しているらしい。
「海ちゃん、そしてありがとうの(手話)やってみせて」
と言うと両手を出して左右に広げ、片方の手を垂直にしてもう片方の手のひらにトントンとする。手話で「ありがとう」の意味らしい。連絡帳によると「上手に歌の手話をしてくれます」と書いてあるのだが、私にはそこまでしか見せてくれない。

 入園したてのころは「先生とお友達」の手話も教えてもらってきて、家でよくやっていた。手話がどんな意味があるのか、なぜ手話があるのか、海渡にはよくわからないかもしれないけれど、いつか役に立つ時がくるかもしれない。

 今日、麻梨香の小学校の合唱大会があり、最後の班が坂本龍一の「ビリーブ」を手話で歌っていた。この地域では、他の保育園などもよく手話を教えていて、けっこう身近に手話と親しんでいる。


■ ボタン・・・その後 2002年03月07日(木)
 昨日、お迎えに行ったら、たまたまゆうちゃんのお母さんと一緒だった。
 「ゆうちゃん、ぼたんはずせるんだね〜」
と言うと、
「でも、真ん中のボタンだけで、その1個をはずすのにものすごく時間がかかるのよ」
と言っていた。やはり努力と忍耐の賜物であった。

 とりあえず、おしっこが一人で行ける海渡は、今は「着脱」が目標だ。
 がんばろうね、海渡。

■ ボタンかけ 2002年03月06日(水)
 海渡はいまだボタンをかけたり、はずしたりが出来ない。
 出来ないというより、やろうともしないというほうが正しい。
「やってごらん」
と促すのだが、ほんの少しやりかけて
「できな〜い」
といつも甘えてくるのだ。

 昨日の連絡帳に、ゆうちゃんが自分で制服を脱いで、遊び着に着替えて外へ行こうとして、それを見た海渡がゆうちゃんに自分のボタンはずしをやってもらおうとしたと書いてあった。
 ゆうちゃんも海渡と同じダウン症である。ゆうちゃんにはすぐ下に弟がいるので、何でも弟と競って覚えていくのだろう。それに引き換え、海渡は回りはかなり年の離れた兄姉と両親である。忙しい私も「まりか、海渡の制服脱がせやって」と頼んだり、朝も制服を着るのを嫌がるとさっさと着せてしまったりする。
 ボタンかけやボタンはずしが出来るようにと目標を持っていても、ついつい手を出してしまう自分を見つけて、ちょっと落ち込んでいる。

 
 

■ 爪噛み 2002年03月03日(日)
 夜、何気なく海渡の様子を見ていたら、テレビを見ながら爪を噛んでいるのを見てしまった。
 足の爪が伸びて切ってやることはあるが、手の指の爪を切ったことがここのところない。指の爪を見てもいつも短いのだ。初めは保育園で切ってもらっているのかとも思ったのだが、忙しい保育の時間にそんなことは考えにくい。
 うちの子どもたちは、3人とも指しゃぶりが全くなく、口に指を持っていく姿を見たことが無かったのだが、そういえば、海渡はごくたまにテレビを見ているときなど、口の中に指を入れていることがある。吸っている風でもなく、気にもしなかったのだが、もしかしたら爪を噛んでいたのかもしれない。

 爪噛みっていうのは、どうなんだろう。
 一時的なものなのか、何か原因があるのだろうか。
 私自身、爪を噛む癖が無いので、その原因(あればだけど)心境がよくわからない。

■ 足の指が痛い 2002年03月01日(金)
 朝起きて、しきりに足の指の付け根を痛がる。
 海渡はときどき、こうやって足の指を痛がるのだが、ひどい時は夜中に泣いて「痛い、痛い」と訴えることもある。靴が小さいわけでもないし、どこにも傷はないし、なぜ痛いのか分からないまま。
 一度、かかりつけの小児科で診てもらったこともあるが、そのときはケロリとしてどこを触っても痛がらなかったので、レントゲンも撮らずにシップ薬だけもらって帰されてしまった。どうしても痛がったら、シップ薬をつけてやればそれで満足してしまうこともあるという。つまり、精神的なものということか。

 今朝も少しさすってやるだけで、すぐにケロリとしていた。
 



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