++ 記憶の中へ
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■ 修了式 2000年03月30日(木)
 保育園の修了式。海渡もすみれ組を修了して、中村保育園を今日で退園することとなった。1歳9ヶ月で入園してから、あっという間の2年間だった。やっとはいはいで移動していた1歳9ヶ月の海渡。今では危なっかしいけれども走り回り手遊びをしたり、歌を歌ったり、運動会や発表会にも堂々と参加できた。これもみな、1歳の時の「れんげ組」と2歳の「すみれ組」の先生方、そして暖かく見守ってくださった中村保育園のたくさんの先生方のおかげだと感謝の気持ちでいっぱいだ。

 当の海渡は今日で中村保育園がおしまいで、4月から新しい保育園に行くことなどもちろん分かっていない。いつもと変わらない笑顔で先生と「握手でさようなら、バイバイ」をして別れた。海渡の記憶の中にこの保育園での生活や先生のことがかすかにでも残ってくれるだろうか?

■ いかん 2000年03月25日(土)
 近頃、海渡は「いかん」ということをよく言うようになった。「だめ」「いや」と並んでこの「いかん」の登場で、ますます自己主張も激しくなり、なかなかいうことを聞かなくなってきた。

■ 1回だけね 2000年03月24日(金)
 工事中で使えなくなっていた保育園の園庭が使えるようになった。以前はお迎えに行って正門から出ようとすると、すぐに遊具に乗りたがって帰るのに時間がかかったが、今日は「1回だけね」と言ったら自分も指を一本立てて「っかいだけね」と言い、本当に1回であっさりとくじらの滑り台から降りた。「1回だけ」の意味をちゃんと分かっていたのかな。帰りに寄ったスーパーでも「お菓子、1個だけね」というとペコちゃんキャンデーを1本だけ持って、レジへ持って行って台の上に置いている。レジ係の人がビニール袋に入れてくれて、受け取るといつものように深深とお辞儀をして「〜とお(ありがとう)」と言った。

■ 龍平の卒業式 2000年03月18日(土)
 今日は長男、龍平の小学校卒業式。涙涙の幼稚園の卒園式の時とは違って結構平気なつもりだったのに、やっぱり式の途中で目頭が熱くなってしまった。

■ 地域の保育園の説明会 2000年03月17日(金)
 今日は、海渡が転園する保育園の入園説明会があった。

 その後、今度入園する子供のうち、うちともう一人障害のある子のお母さん、
在園児の中の障害児のお母さん二人の計4人の母親が園長代理と主任保母さん、そして現場で担任となる保育士さんを交えて話し合いが行われた。本来なら年長児一人、年中児一人、そして海渡を含む年少児二人というクラス分けとなるところだが、それぞれのクラスで障害児一人一人に副担任をつけることが保育士の数の都合上できないということで、4人とも年少児のクラスにまとめられて、担任以外にもう一人の保育士(事実上、障害児担当の先生となる)をつけることになったそうだ。4人の年齢も障害の種類、程度も違う障害児を一度に一クラスで???と驚いたが、保育士の人数上、やむをえないそうだ。障害児4人を担当する先生は保育歴10年以上、在園の障害児を担当しており、しっかりした優しそうな先生だった。

 それでも一クラスに4人まとめての保育はいったいどういうことになるのか、不安は残るけれど、今年度はこういう形でやるしかないということなので、まかせるしかない。

■ 大事を取ってお休み 2000年03月15日(水)
 夜中に起きることもなく、朝もケロリとしていた海渡。熱も無かった。
ただ、昨日39度の熱があったので、大事をとって保育園は休んだ。午前中は普段と変わりなく遊んでいたが、時折微熱があった。

■ 発熱 2000年03月14日(火)
 朝、車で保育園へ行く途中、右折するため交差点の中で止まっていたら助手席のチャイルドシートで座っていた海渡が突然前を指差し
「ママ、あお!」
と言った。指差しているのは信号機の青だった。信号の赤や青を特に教えたことは無かったのでびっくり。そう言えば、「あお!」と言う直前も外を指差しては
「・・・か、か」と言うので何のことかなぁと思っていたけど、「赤信号」のことだったんだ。お部屋に入りさっそく高木先生と木村先生にそのことを報告するとふたりとも「うわぁ!」と喜んでくださって「(保育園で)お散歩の時に『信号が赤だよ』とか『青だから渡るよ』と言っているので覚えたのかしら」とおっしゃった。
 こうして時々びっくりさせてくれる海渡だ。

 ところが、4時に仕事が終わって迎えに行くと、どうも表情がおかしい。いつもならすっごくいい笑顔で荷物を持って駆けてくるのに、今日は泣きそうな顔をしている。おでこを触ると熱かったので体温計を借りて計ってみると39度近くになってびっくり。返りの車の中でもぐったりとして元気が無かった。帰宅して5時にもう一度計るとまた39度あったので座薬を入れ、小児科へ。ところが、座薬が効いたのか、さっきの園でのぐったりとは打って変わって、元気?に動き回るようになり、診察の結果もたいしたことはなくただの風邪ということだった。夕食もパクパク食べて、遊んでいる。夜中はどうかな。

■ 嘔吐 2000年03月13日(月)
 昨日の夕方、ついさっきまで元気だった海渡が、急に元気がなくなり、台所の入口で座りこんでいる。動かずになにか言いたそうだったので「どうしたの?」と聞くと服の胸元を指差した。吐いたものがついている。「ゲボしたの?」と拭いてやると、その手をひっぱって居間へ行き、指差すほうを見るとカーペットカバーの上にも吐いたものがあった。そしておなかをしきりに叩いて「イタイ」と言った。
「おなか、痛いの?気持ち悪い?」布団を敷いてやるとすぐに横になったがしばら くして起きあがったかと思ったら、いきなり大量に吐き出した。昼に食べたスパゲッティが消化しきれずに出てきた。その後も、2度吐き、夕食をとうとう食べずに寝てしまった。熱はなかった。2、3日前から咳が出ていたので風邪気味だったのだが、本格的に風邪症状が出てきたのだろうか。

 今朝は、ケロリと起きたが、食欲が無いのか、大好きなご飯も押し返して食べない。熱は無いので保育園に連れていったが、一日中熱が出たと連絡があるんじゃなかろうかと気が気でなかった。お迎えに行くとお給食でやはり吐いてすぐに寝てしまったそうだ。熱は出なかったらしい。

■ げんきげんき 2000年03月12日(日)
 「カイトくん、げんき?」と聞いてガッツポーズで「ンキ、ンキ」と答えてくれるのはとっても可愛いのだが、最近、もうひとつひんぱんにやってくれるのが、「べ〜」と舌を出すこと。トイレのあと「早くパンツはきなさいよ」と言ったら、この「べ〜」が返ってきた。「なにそれ?どこで覚えてきたの!」多分、保育園でしょう(笑)

 0歳児クラスにいる子供(ほとんどは1歳過ぎている)でも時折保育士に向かって「ばか」が出るくらいだから、2歳児クラス(ほとんど3歳過ぎている)の子供たちが「べ〜」とやっていても不思議ではない。しっかり覚えて家で応用?しているのでしょう。まさか先生にもやっているのでは???不安。

■ まぶしい 2000年03月10日(金)
 毎日4時に保育園の仕事を終えて、海渡と一緒に車で帰宅している。この4時ころというのは、運転していて西日がまともに当たってとてもまぶしい。助手席のチャイルドシートに座っている海渡も当然まぶしいわけで、毎日「まぶしいねぇ」と声をかけていたのだが、今日、車に乗って走り出すやいなや大きな声で
「まぶち〜」と海渡が言ったのでびっくりした。あんまりびっくりして、思わずブレーキを踏みそうになってしまった(笑)

■ ガッツポーズ 2000年03月06日(月)
 今日も元気に保育園へ。製作にお散歩に、意欲的に取り組んでいる。
言葉のほうは、家ではいつもなにやらしゃべっている。発音が正確じゃないのでなにを言っているのかわからないことのほうが多いが、一生懸命聞いてあげると彼も、何度も何度も一生懸命しゃべってくれる。「ああ、○○ね」と分かってあげることが出来たときの海渡はとても満足そうな表情をする。きっと伝えたいことが一杯彼の中にはあるんだろうなと思う。

 最近、海渡がよくやるポーズにガッツポーズに似た仕草を何度もしながら「ンキンキ」というのがある。最初は何のことだか理解できなかったのだが、「元気、元気」と言っているのがやっと分かった。「ママ、んき、んき」と言って可愛いガッツポーズを何度もしている。私のほうが「カイトくん、げんき?」と聞いてもこのポーズで答えてくれる。とっても可愛いので、何度も聞いてしまう(笑)

■ お手伝い 2000年03月05日(日)
 我が家では長男と長女には決まった家事の手伝いがある。
 長男はお風呂掃除と家族全員の布団敷き、長女は夕食後の食器洗いと金魚のエサやりとハムスターの世話。海渡には特に決まったお手伝いは無かったのだけれど、自分だけなにもしないのはいけないと思ったのかどうか、夕食後に食器をひとつひとつキッチンに運ぶようになった。私がやらせたわけでもなく、自分で運ぶようになったのだ。ひとつひとつ、両手で持ってキッチンに行き、汁が残っていると流しの中に捨て、調理台に並べる。一度、横を向いて乗せようとしてお茶碗を落として割ってしまい、べそをかいたが、またがんばってやってくれた。もちろん、終わったあとは「上手だったね、ありがとうね」と言って、ぎゅっと抱きしめてやる。そうすると海渡は、もう照れて照れて・・・でもとっても嬉しそうなのだ。

■ 一緒にごみだし 2000年03月04日(土)
 今日は保育園はお休み。なのに、休みの日に限って海渡は早起きだ。保育園のある日は8時まで寝ていたりするのに、7時前には起き出した。今日は分別ごみを出す日なので、もっと寝ていてほしかったのに(ブツブツ) お兄ちゃんとお姉ちゃんが登校してから、分別ごみ(空き缶やら空きビン類)を出しに行こうとして海渡に「ちょっとごみ置いてくるから待っててね」と言ったが、ついてこようとする。

 「海渡くんは、待ってて」と何度言っても分からないようなので、仕方がないので 連れていくことにした。マンションの5階からエレベーターで降りて、所定の場所へ行き、色や素材ごとに仕分けしておいているのを海渡はじっと見ていた。2回目はもうお部屋で待ってるかなと思ったら、また付いて来る気らしいので海渡にもゴミを持ってもらうことにした。お兄ちゃんお姉ちゃんが使ったバレーシューズをビニール袋に入れて持たせたところ、大張り切りでやる気満万。ニコニコだ。エレベーターを降りて、袋を引きずらないように一生懸命持ち上げて歩いている。入れる箱の中に袋ごといれようとしたので、「こうやってひとつずつだしてね」と言うと、ちゃんと袋を下において中の靴をひとつずつ箱の中に入れ出した。見ていたお母さんたちに誉められてニコニコだった。

■ ひなまつり 2000年03月03日(金)
 長女麻梨香のひなまつりのお祝いをした。ひなけーキを見て、海渡は大きな声で「ンキー!ントー!」と叫んだあとで「#$%&¥ユー!」と歌い出した。つまり「ケーキだ!おめでとー!」と叫んだあと「ハッピーバースデー、ツーユー」と歌っているのだ(笑) たまたまケーキの上に乗っているぼんぼりの中がろうそくになっていたので、歌が終わるとご丁寧に「ふー!」と吹き消すところまでやってくれた。「ケーキ」イコール「お誕生日」と思いこんでいるらしい。

■ もうすぐ地域の保育園 2000年03月02日(木)
 新年度進級に向けての準備ということで、すみれ組のお友達は3月から今までのブレザーの下に新しい制服を着て、お揃いの帽子をかぶり、ランドセル型のリュックを背負って登園している。ぱっと見ると、2歳児のすみれ組さんじゃなくって年少さんに見えてしまう。海渡は新年度は転園ということで、もちろん制服もリュックも無い。みんなと違うのでお着替えのときなんかに泣くかな?と思ったけれど、先生のお話によると案外ケロリとして平気だったそうだ。同じように制服の無い子もいるらしくて、その子は泣いてしまったそうでちょっと可愛そう。お友達の制服姿を見ると、ああ、本当に来月から海渡はここにはいないんだと改めて気づき、ちょっと淋しくなってしまった。

 夕方、来月から海渡が入園する保育園が、うちともう一人入園する障害のある子の保護者と入園に向けての話し合いを持ちたい考えているとの情報が、先に入園している障害児のお母さんから入った。いよいよ来月と押し迫ってきて、私もいろいろと不安があったので、ちょうど良かった。今度の保育園で3歳児は「連絡帳」があるのかどうかも聞きたい。海渡はまだ片言しか言葉が無いので保育園でのことは海渡の口からは聞けない。出来れば、連絡帳があって、1行でもいいからその日の海渡の様子を書いてもらえたらと思っているんだけど、わがままな相談かな?

■ 中村保育園もあと1ヶ月 2000年03月01日(水)
 今日から3月。海渡が中村保育園に通うのも、残すところこの1ヶ月だけとなった。来月からいよいよ地元である近所の保育園に通うこととなる。3歳児クラスということで今までのような未満児とは違って担任も恐らく一人になるだろうし、お友達も全く違う子ども達ばかりになる。担任の先生が海渡のことを理解してくれるかどうかがとても不安だ。今の所、体験入園の話もないし、入園式がいつなのか、説明会の知らせも無い。

 ところで、今通っている保育園では麻疹(はしか)が大流行中だ。幸い海渡は予防接種を1歳の時に打ってあるので安心はしているが、聞くところによると接種していても感染する場合もあるらしい。2歳児でも感染した子が出たらしいので、抵抗力の弱い海渡ももしかすると可能性ありだろうか。

 海渡はこのごろ「お手伝い」に目覚めたらしく、せっせと家事に協力してくれている。別に教えたわけではないのに、突然食事の後で食器をひとつひとつ台所まで運んでくれるようになったのだ。汁などが残っていると流し台の中に捨ててから横の調理台に並べる。にこにこと楽しそうにやっている。洗濯物なども干していると籠の中から出してくれたり、布団を敷いていると一生懸命真似して引っ張ったり。これは今から教えれば、将来我が家の有望なホームヘルパーになれるかな?



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