午前中は、天白区の某公園でデュオでの練習。おじさん・おばさんから小学生まで近くに寄ってきては、我々の演奏を聴いていく。気恥ずかしさはあるが、好意的に反応してくれるのはうれしい。特に子ども達の反応は素直でストレート、好奇心の塊だね。アコーディオンやピアニカに興味を示すことが多いかな。
夕方からは、鶴舞「K.D.Japon」へ。 メンバー11人を擁する楽団<ヒネモス>による「どっかの国のお祭り」と銘打ったライブがあった。リコーダー、ピアニカ、チューバ、サックス、トロンボーン、フィドル、チェロ、アコーディオン、トイピアノ、のこぎり、多種多様な玩具が一緒くたになって奏でられる不思議なサウンド。どっかにありそうで、どこにもない国の音楽だね。11人が入り乱れながら、それぞれいくつもの楽器を担当。みんながみんな、何もしていない瞬間がない。忙しく動き回っているが、とても楽しそう。こんなバンドもいいな。 そして、対バンの、<jaaja>。彼らのサウンドは、俺にとってストライクゾーンのど真ん中だったよ。実は、フロントマンの長谷川雄一さんとはお互いに面識はあった。詩人でもあり、詩の朗読イベントで一緒になったこともあるのだが、彼がこんな音楽をやるとはよく知らなかった。バンドの音もジプシー・ミュージックっぽくてすごく好みなのだが、長谷川さんの歌声にはホント魅了されたよ。あえて言うなら、知久寿焼さん(元<たま>)と忌野清志郎さんを足して2で割ったようなインパクトがあったな。わかるかな? とにかくハマリにハマッたよ。 我々<沙羅双樹ふたたび>も音楽の楽しさ、素晴らしさを感じてもらえるような演奏ができたらいいのだけれど。なかなか難しいけどね。
2011年04月29日(金) |
フォーク・デイ・キャンプリー2011 |
今日の昼間、鶴舞公園に出掛けてきた。 「フォーク・デイ・キャンプリー2011」というアコースティックの野外コンサートがあり、友人のまなみさんとToshiさんも出演するという(ユニット名<Mana&T>)。6月のライヴで対バンしてくれる3人組MaMa&Tのうちの二人だ。彼らは、アメリカン・フォーク中心に15分程度のステージ。気候もよく、休日気分で心地よく聴くことができた。 彼らの前後に出演した人たちの演奏も聴いたが、オリジナルを演奏する組もあれば、カバー主体の組もあった。ピーター・ポール&マリーなどアメリカン・フォークやカントリーなどのカバーを演奏するユニットが続いたが、演奏レベルが高いユニットもあれば、演奏自体を楽しんでいるユニットもあり、いずれも楽しく聴くことができたよ。
2011年04月23日(土) |
4.23 MaMa&T in あらたると |
友人のMaMa&T のライヴを聴きに、今池「あらたると」に出掛けていった。実は、来る6月19日に我々<沙羅双樹ふたたび>が「あらたると」でライヴをやることが決定。その対バンが、MaMa&T 。 で、今夜のライヴは、沖縄曲に特化。まっちゃんのギター、Toshiさんのギター&マンドリン、まなみさんのヴォーカルで、つまり三線を使わず、沖縄曲をやるというのだ。三線の独得の響きが入ればこそ沖縄の雰囲気を醸し出すことができるというものであろうが、今回はその三線が一切入らないというのだ。ところが、ところが、このトリオの演奏は、見事に沖縄を感じさせてくれた。 我々<沙羅双樹ふたたび>も、ギターとアコーディオンだけでアイルランドを感じさせられるよう、頑張ってみようかな? まぁ、遠い目標だな。
2011年04月22日(金) |
クレズマー・ウェディング |
岡林和歌さん(クラリネット奏者)から「今度、クレズマー、やるんですよ」とお聞きして、岡崎シビックセンター・コロネットまでクラシックのコンサートを聴きに行ってきた。 M・カーティスの「クレズマー・ウェディング」という曲を、クラリネット四重奏で聴いたよ。クレズマーは、東欧系ユダヤ(イディッシュ)、アシュケナジムの民謡をルーツに持つ音楽ジャンルのひとつだが、そうしたルーツ・ミュージックに大いに関心があったので、興味深く聴かせていただいた。 クラリネット四重奏というのもこれまであまり馴染みはなかったが、それぞれの演奏者の個性も感じられ、面白かったね。
2011年04月21日(木) |
ワタル世間は春まつり |
今夜、栄「DOXY」で行われた<ワタル世間は春まつり>なるライヴに行ってきた。出演は、大熊ワタル、こぐれみわぞう、上村美保子、JIGEN、河村博司の5人衆、名づけて<珍多摩FIVE>。私の大好きなバンド<ソウルフラワーユニオン>にも絡む5人だ。 大熊さんのクラリネットにはいつもながらに魅了されるが、みわぞうさんのチンドン太鼓やパーカッションの格好良さにも目を奪われた。美保子さんの明るいキャラとそのヴォーカルも、JIGENの格好いいベースもいいが、河村さんのヴォーカルが凄くよかったな。控えめながら芯のある歌声、俺は好きだな。 途中休憩をはさみながらの2部制のライヴだったが(休憩中の、5人衆によるオークションも面白かった)、凄く元気をもらったな。いい音楽は生きる活力を与えてくれるよね。 俺も、自らが楽しみながらも、人の心にしっかり届く音楽をやっていきたいって思ったよ。
毎度のことながら年度末・年度始めと気ぜわしい日々を送ってきた。加えて、東日本大震災もあって、暗い気分で過ごす時が多かったような・・・。大規模地震、そしてあまりにショッキングな津波の映像、さらには現実のものになってしまった原発の恐怖。自然に対する脅威を呼び覚まされ、また原子力という制御不能なものを持ってしまった文明をこの際徹底的に見直さなければと考えさせられた。 個人的には、仕事中に胸をひどく締めつけられるような症状に襲われ、緊急通院する事態も起こった。心筋梗塞か、あるいは重篤な病かと、精神的にも追い詰められたが、数日後に「肋間神経痛」に類似した症状と判明(これは病院ではわからず、行きつけの鍼灸院でわかったことなのだが)。徐々に快復はしてきたが・・・。
ところで、「こんな時期にこそ音楽(お笑い・芸能・祭り等と言い換えてもいいが)が必要ではないか」(反対に、自粛すべきという意見もあるだろうが)という意見を聞くが、俺はこの意見に基本的には賛成だ。 基本的に、と言った。この先の意見は俺の好みの問題かも知れないが(また、俺のような感じ方は少数派に属するのかも知れないが)、一方でこんな時期だからこそ聴きたくない音楽というのもある。 「がんばろう東北」「がんばろうニッポン」という言葉に俺は若干の違和感を持ってしまうのだが、いわゆる「がんばろうソング」には違和感を通り越して腹立たしささえ感じてしまうことがある。「がんばろう」的メッセージの薄っぺら加減が透けて見えてくるような音楽には耳を塞ぎたくなってしまう。少数かも知れないが、俺と同様な感じ方をする人は一定数存在すると思う。 こんな時期だからこそ、それぞれの表現に対して、その姿勢が問われているのだとも思う。このあたりはきわめてナイーブ問題だとは思うが、表現者やそれに関係する人には特に自覚的であって欲しいと思う(俺自身はプロの表現者ではないし、周りへの影響力も少ないが、たとえそうあっても、アマチュアとて例外ではないと思っている)。
さて、話したいことはまだあった。 今年1月、チンドン太鼓をやってる友人Tさんから「きっと好きだと思うから聴いてみて」と、<踊ろうマチルダ>のCDを手渡された。期待感を持って聴いて、そして、完全にはまってしまった。 <踊ろうマチルダ>は釣部修宏(ツルベ・ノブヒロ)の一人ユニットだが、世界のルーツミュージックをベースにした独自の世界観を感じさせる作品といい、二十代らしからぬブルージーなヴォーカルといい、好きな要素が満載だった。 この2〜3ヶ月、<踊ろうマチルダ>の楽曲を聴きまくった。心の支えにもなっていた。話を蒸し返すようだが、そこには軽薄な「がんばろう」的メッセージはない。人生の起伏を、時に激しく、時にロマンチックに、時にリリカルに、歌いかける。それが、俺にはすごく届いてくるんだな。
で、今夜は待ちに待った<踊ろうマチルダ>のライヴだったというわけだ。いやぁ、ここまでが長かったな。 ライヴ会場は、今池「TOKUZO」。「きっとマイナーなアーティストだから、そんなに客は入っていないだろう」ってタカをくくっていたのだが、ざっと見て150人くらいはいたかな? 会場にぎっしり人が入っている感じで、ライヴが始まってからの盛り上がりがハンパじゃなかった。 CDでは何回も聴いていたが、やはり生音・生声は何ものにも代え難い。ギネスやスコッチウィスキーなんかを飲みながら、<踊ろうマチルダ>の世界にどっぷり入り込んだ。気持ちよく酔い、最高な夜だったゼ。
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