夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2010年07月31日(土) 今あえて問う、カネミ油症事件

 先月TBS系列のニュース番組の特集で「カネミ油症事件」が取り上げられていたが、その内容が私にはいろんな意味でショッキングであった。その後、自分なりに調べてもみた。
 カネミ油症事件は、1968年に、福岡市北九州市に本社を置くカネミ倉庫㈱が製造販売した米ぬか油を食した人たちが、身体の吹き出物、手足の痛みや痺れなど、様々な健康障害を訴えたことで発覚した、日本最大級の食品公害事件である。被害者が出た地域は、福岡・長崎・高知・山口・広島等、西日本一帯に広がり、被害届を出したのは1万4千人余りにのぼった。
 発生から40年以上を経た「カネミ油症事件」だが、今日なお被害に苦しむ人たちがいるということを私は知ることなく過ごしてきた。被害とは、単に健康被害にとどまらない。健康障害を抱えているために仕事が制限され、生活が困難になる。治療法が確立されておらず、安心して受けられる医療体制が構築されていない。また、その健康被害は孫子の代にまで及んでいるという。水俣病などと同様に、被害者に対する差別という問題もはらんでいる。にもかかわらず、加害企業(カネミ倉庫㈱、カネカ㈱)や国の責任は十分に果たされておらず、認定制度や補償制度の不備という問題もある。さらには、いわゆる「仮払金返還問題」(注1)がこの問題を複雑にさせてきた。
 40年もの間、放置され、捨て置かれたこの問題は、この国の政治の不在を雄弁に語っているとも言える。遅きに失したとはいえ、今からでも早急に被害者への救済策を具体化し、実施していく必要がある。そして、一般市民もこうした問題に目を見開いていかなくてはなるまい。自分はたまたまそうした被害に遭うことはなかったかもしれないが、いつどのような形で理不尽な事柄が自分の身に降りかかってくるかもしれないのだ。世の中のあらゆる場面で起きているおかしなことに対して、アンテナを張り巡らしていきたいものである。

(注1)
1970年、被害者は食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(現・カネカ)・国の三者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者には先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。なお、カネカは仮払い金の返還を請求する権利を有していたが、被害者がカネカに責任がないことを認める代償として仮払い金の返還請求権を行使しないという内容で和解に至った。



2010年07月27日(火) 永訣の朝

 今夜は、本郷「アルマジロ」のアコースティックナイトに一人出掛けていった。<沙羅双樹ふたたび>でエントリーしていたのだが、沙羅の体調不良により、エントリー変更。俺<夏撃波>で3曲を演奏。
 まずは、クラリネットで『ロンドンデリーの歌』(アイルランド民謡)を演奏してみたが、途中呼吸が苦しくなったりして、思い通りの演奏ができなかった。
 2曲目は、『夏まつり』(井上陽水)をサウンドホース&ギターの演奏で歌った。
 最後は、ミンミンを演奏しながら、宮沢賢治の詩『永訣の朝』を朗読。
 クラリネットがうまく吹けなかったのが残念ではあったが、他はまぁまぁの出来だったかな。



2010年07月25日(日) 名駅薪能2010

 夏バテ気味の私であったが、名古屋駅桜通口駅前広場で行われた「名駅薪能」を観に行ってきたよ。今年は「全国学生能楽コンクール」優勝グループによるエキシビション演技も併せて行われた。
 能を観るのも久しぶり。楽しみにしていたが、あまりの暑さと疲れとで、集中できず、だいぶ居眠りしてしまったよ。もったいないことしたな。
 
 それにしても、能の舞台空間というのは、現代的視点からすれば、斬新だよな。今更ながら再確認したのは、能の舞台には大道具とかセットというようなものがほとんどないという点だ。何もない空間が一瞬にして意味ある空間に変容するわけだ。何もないのにあたかも何かがあるように感ずる。その場にいる人間(観客)が皆おなじ幻を見ているとも言える。観客が共通の幻想を見るという点は現代演劇にも言えることだが、能は特にその原始的な形態と言えるだろう。また、中世に始まった形式でもある能の舞台は、私たちを異空間に誘ってくれる。
 なかなか観る機会に恵まれないが、また能楽を観てみたいな。



2010年07月24日(土) 辺野古節

 今夜、沙羅とともに、栄の沖縄居酒屋「結」に出掛けていった。今日は、名古屋三線クラブのメンバーによる発表の場が設定されていた。当然ながら三線をフィーチャーした演奏が大半を占めていたが、我ら<沙羅双樹ふたたび>はギター、ミンミン、アコーディオン、ピアノ等を使って楽曲を発表。
 まずは、私のクラリネット演奏からスタート。クラリネット歴1年弱だが、まだ1曲すら満足に吹けない状態。今回は「恥はかき捨て」とばかりに演奏。やはり聴き苦しい点は多々あったが、それが現時点での実力なのだろう。
 2曲目は、沙羅のピアノ&ヴォーカルで、『Key To The Highway』というブルースのナンバー。私は、ギターで参加。沙羅は「ヴォーカルに自信がない」と言っていたが、ブルースを自分のものにして歌うというのは並大抵のことではない。
 3曲目は、沙羅のアコーディオンと私のミンミン&ヴォーカルで『辺野古節』(ソウル・フラワー・ユニオン)を演奏。続けて4曲目も、ソウル・フラワー・ユニオンの曲で『そら』。こちらは、沙羅のアコーディオン&ヴォーカル、私のギター&ヴォーカルで演奏。ソウル・フラワーの曲は、哀調を帯びつつも心を元気にしてくれる名曲揃いだと思う。
 5曲目は、アンコールに応える形で、ビリー・ジョエルの『Goodnight Saigon』を演奏。沙羅のピアノにのせて、私がヴォーカルをとった。ベトナム戦争がモチーフとなった曲だ。
 それから最後は、私一人で、ミンミンの演奏にのせて、宮沢賢治の詩『永訣の朝』を朗読。初公開ながら、まずまずの出来。
 「結」は気楽に居られる店であり、その安心感からリラックスして演奏できたように思うね。



2010年07月07日(水) 七夕のスローブルース

 2ヶ月ぶりに、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加してきた。
 今回は、3曲プラス1曲を演奏。1ステージ目は、オリジナル曲のメドレーで<星ヶ丘3部作>を披露。自作詩『現代能・隅田川』を朗読した後で、中島みゆきの『うらみ・ます』を演奏。2ステージ目では、『朝日楼』(浅川マキ)を演奏。
 久しぶりのステージで若干の緊張もあり、ミスもあった。やはりブランクがあるといろいろとね。ソロも久しぶりな気がしたが、デュオとはまた別の楽しみがあるものだとあらためて思ったね。



2010年07月03日(土) モア・エ・トワ & ノースリーブス(?)

 栄の沖縄居酒屋「結」に出掛けた。
 今夜、モア・エ・トワ(トモちゃん&キューちゃん)とタカ&ヨッシーのジョイント・ライブがあった。
 モア・エ・トワは、70年代和製フォーク、それも男女デュオの曲をカバーするというコンセプトの2人組。ユニット名のモア・エ・トワは、トワ・エ・モア(70年代フォーク・デュオのひとつ)をパロったもの。昔懐かしのフォークを聴き、しばしタイムスリップ。
 タカ&ヨッシーは、内外のブルースやロックのカバーやオリジナルも演奏していたが、ブルージーでカッコよかった。途中、マッキーがピアノで参加し、さりげなく卓越した演奏を披露。ノースリーブで颯爽と現れたマッキーの爽やかなお色気にも男達は反応。いずれにしてもカッコよかったな。
 2組の演奏後は、腕に覚えある人々のセッションが始まって、ついつい長居して、あげく終電を逃し、タクシーで帰宅することとなった。



2010年07月02日(金) 宝石

 今夜、矢場町「クラブクアトロ」にタテタカコのライブを観に行ってきた。
 タテさんのことを知るきっかけとなったのは、是枝裕和監督の映画『誰も知らない』(柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞)だ。あの映画自体が非常に優れた作品であるが、挿入歌でタテさんの『宝石』という曲がとても効果的に使われていたように思った。あの映画は絶対のおすすめなので、DVDででも観ていただきたいと思う。
 今回のライブでも『宝石』は演奏されたが、映画のワンシーンが鮮やかに甦ってきて、感動的だった。最新アルバムからも何曲か演奏されたが、ストレートに心に響いてくる曲ばかりだった。ほどよい緊張感が会場を包んでる感じ、その雰囲気もよかった。
 タテさんのステージは数年前に一度観ており、その時はその時で感動的であったが、今回はそれを上回る感動を覚え、即座に最新CDを購入。タテさんのサインをもらいながら、少しだけ言葉を交わした。
 タテさんの歌、また聴きに行きたい、すぐにでもまた聴きたい。そんなふうに思わされるライブだった。


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