来月、いよいよ参院選が行われる。と言っても、どことなくシラケた感じがあるよな。 昨年「政権交代」があり、有権者は鳩山政権に多大なる期待を寄せていた。ところが、「普天間問題」が引き金となって、鳩山総理と小沢民主党幹事長がダブル辞任。かわって菅さんが総理に就任すると、支持率はV字回復となったが、支持率って一体何なんだと思う。トップの顔が変わっただけで、まだ何の実績もないのに。期待感だけで、支持率はそんなにコロコロ変わるものなのだろうか。 「普天間問題」だって何も解決してないのにね。「普天間問題」に関して言えば、今回の「日米合意」という結果を、国民は一体どうとらえているのか。沖縄県民以外はやはり他人事でしかないのかな。民主党政権になってからのこの問題の迷走ぶりには目を覆いたくもなるが、じゃあ、自民党政権の頃の方がよかったかと言うと、そんなことはない。俺は、民主党政権になって、少しはマシになったとは思っている。「普天間問題」が国民的関心事となっただけでも(それが一時的だったにせよ)政権交代はあってよかったんだと思う。日本が正真正銘の独立国ではなく、アメリカの属国であることが白日の下に晒されたということだけでも、意味はあったんだろう。ただ国民的議論は中途半端で終わってしまったけどね。鳩山さんの総理としての資質にも疑問符はあったが、俺には鳩山さんに同情する部分もある。鳩山さんを総理に担ぎ上げるだけ担ぎ上げ、本来であれば支えなくちゃいけない立場の人間が、最後には鳩山さんだけに責任を被せて、知らぬフリを決め込む。まったく政治家たちの厚顔には反吐が出るぜ。 でもって、参院選。今回、民主党に投票したくはない。けど、民主党に投票しないってことはつまり自民党を利することにしかならない。現在のシステムではそれが現実であり、そこが問題ということでもある。選択肢はいくつかあるようで、事実上2つから1つを選べという現実。あと選挙結果によっては、民主党と自民党の大連立などという悪夢も現実になりかねない。ということで、非常に悩ましい選択を迫られているってわけさ。
名古屋南文化小劇場に、浪曲師・国本武春さんの公演を観に行ってきた。 第1部は浪曲「紺屋高尾」。古典落語の演目のひとつとしても知られているが、花魁の最高位である高尾大夫と一介の紺屋職人との純愛物語が、沢村豊子さんの三味線と武春さんの語りとで、鮮やかに表現された。 第2部は、三味線弾き語りスタイルで、「忠臣蔵」などが演じられた。武春さんの軽妙なおしゃべりも加わって、とても楽しいひとときを過ごした。 私自身、音楽的活動のなかで、語り物も多く取り入れているが、客席との間合いなど難しい側面も少なくないと感ずる。やはり武春さんは場数も半端ではなく、随所に名人芸を披露してくれる。そもそもプロの浪曲師と比べること自体に無理があるが、自分なりに研究し、私は私なりのスタイルを構築していけたらと思う。
2010年06月13日(日) |
篠笛体験 & 金山セッション |
あるフリーペーパーに掲載されていたイベント情報を見て、今日の午前中、沙羅とともに瑞穂区内の中学校で行われた<篠笛体験>に行ってきた。まず、プラスチックの篠笛と教則本を購入。基本的な吹き方を教えていただき、童謡『ひらいたひらいた』を練習。そして、最後には、『ひらいたひらいた』の演奏発表。うまくいかないところも多かったが、一応の形にはなったのかな。かっこよく吹けるようになるにはまだまだ程遠いが、面白かったな。
一度家に帰り、午後は金山の某・カラオケボックスへ。沙羅はアコーディオンを、俺はミンミンとピアニカを持って、出掛けた。カラオケに行くのに何故楽器持参なのかって普通は思うよね? 実は、我々の目的はカラオケではなく、セッション。本当は鶴舞公園で行われる予定だったが、雨のため、場所をカラオケルームに変更という次第。 沖縄曲を中心に4時間弱、ギター、三線、ハーモニカ、鳴り物などが入ってのセッションを楽しんだ。十数人での演奏はさすがに音の厚みがあって、とってもパワフル。それぞれの個性も随所に聴かれたが、おおぜいで演奏することである種のグルーブ感が生まれた感じだね。我々<沙羅双樹ふたたび>を中心に『竹田の子守唄(元唄)』『美しき天然』『辺野古節』の3曲をチンドン・バージョンで演奏することもでき、うれしかったな。楽しい時間はあっという間に過ぎ、後には爽快感と心地いい疲れとが残った。
2010年6月1日、舞踏家・大野一雄さんが亡くなられた(享年103歳)。土方巽さん(故人)とともに暗黒舞踏という新たなスタイルを確立し、世界的にも「BUTOH」の名を知らしめた人物だ。最晩年はアルツハイマーを発病、闘病しながらも生涯現役を貫いた。 大野さんの舞踏は二回観たことがある。初めて観たのは、大野さんがおそらく80代の頃だったと思うが、匂い立つような色を感じさせる、強烈な舞台であった。二回目は既にアルツハイマー発病した後のことだったが、踊らずにはいられない、自然と身体が踊り出してしまうとでもいうべきか、初期衝動のようなものを感じたし、その凄味に圧倒されたね。 かつて演劇をやっていた私にとって、大野一雄さんは憧れという以上に、その生きざまも含めて遙か高みに存在するアーティストであった。今はただ、大野さんのご冥福をお祈りするばかりだ。
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