2008年12月28日(日) |
<四面楚歌>2008年忘年会 |
今日は、2008年最後の<四面楚歌>の練習日。pHー7アトリエを借りて、たっぷり6時間。脱線しながら、思わぬ発見もありながら、約6時間の練習時間は瞬く間に過ぎた。 練習後は、近くの居酒屋で乾杯。と言っても、俺だけは車を運転するため、酒は飲まずにいた。しらふだけど、ナチュラル・ハイでいい気分。2009年、この4人でもライブやりたいな。なかなか集まるのが難しいけど、一緒に音楽を楽しめる仲間は貴重だぜ。
2008年12月22日(月) |
<沙羅双樹ふたたび・うたの宅配便vol.2> |
昨年に引き続き、三重県鈴鹿市のAさん(沙羅の友人)宅に押しかけて、<沙羅双樹ふたたび>の演奏を聴いていただいた。名づけて<沙羅双樹ふたたび・うたの宅配便vol.2>。 今回披露の曲は、『雪の華』(中島美嘉)、『愛は私の胸の中』(喜納昌吉)、『夢の島』(どんと)、『Paint It Black』(ローリング・ストーンズ)、『寝顔を見せて』(ソウルフラワーユニオン)、『荒野の風』(ヒートウェイヴ)の6曲。それと、沙羅がピアノ・ソロで、『St.Louis Blues』を演奏。うまく演奏できたものもあれば、あまりうまくいかないものもあったが、でも、楽しかった。 演奏後は、おいしい料理とお酒で、夜更けまで語り合った。
2008年12月17日(水) |
<スーパー一座>有終の美 |
よく義理人情の世界と云われている歌舞伎の 物語が実はすべて謀叛が根底にあったのです。 たとえその謀叛人が悪人であろうとも、すくな くとも今の体制をひっくり返そうとねらってい る革命児なのです。歌舞伎とはそうゆうものだ ったのだ、と改めて知りました。江戸人にとっ て反逆こそが無意識の中での願望だったのです。 (大須師走歌舞伎公演パンフレット より)
今回で最終公演を迎える<スーパー一座>のロック歌舞伎を観に行ってきた。 今公演は『御贔屓勧進帳』『十六夜清心月現薊双葉(いざよい・せいしん・つきにあらわるあざみのふたば)』の二本立て。『御贔屓勧進帳』はユーモラスな作風の『勧進帳』、『十六夜清心』は河竹黙阿弥によって書かれたものをベースにした江戸のピカレスク・ロマンとでも言うべき作品。反逆精神が底に流れる歌舞伎の面白さを<スーパー一座>によって教えられてきたように思う。ワクワクしながら観たロック歌舞伎も今回が最後と思うと、とてもさみしい。けれども、芝居とは夢まぼろしのように儚げなものなのだとも思い直す。一瞬のきらめきがこの上なく美しいのだとも。 さらば<スーパー一座>。思い出はあまりに美しいぜ。
2008年12月16日(火) |
シャイン・ア・ライト |
マーティン・スコセッシ監督による音楽ドキュメンタリー映画『SHINE A LIGHT』を観に行ってきた。収容人数2800のニューヨーク・ビーコン・シアターで行われたローリング・ストーンズのライブの模様を中心に構成されたドキュメンタリーだが、臨場感あふれる映像には思わず圧倒される。特に、ブルース界の重鎮・バディー・ガイとストーンズの共演のシーンには、ストーンズ・ファンならずとも大いに感動させられるのではないだろうか。 ストーンズを撮った映画で、後にも先にもこれ以上の作品は出ないのではないか。そんな感想を抱かせるほどに、すぐれた作品である。だまされたと思って、一度ご覧あそばせ。
2008年12月14日(日) |
<ぐるぐる詩の輪> in jaaja |
詩の朗読会<ぐるぐる詩の輪> が本日開催されるとの情報を得、覚王山「喫茶jaaja」に沙羅とともに出掛ける。 <沙羅双樹ふたたび>で「夢の島」(どんと)を演奏。また、マサルさんが死の直前に残された言葉に触発され、沙羅が作った詩を朗読。 参加者はさほど多くはなかったが、日曜の昼下がりのまったりとしたひとときであった。
みなが同じ喜びの道を歩んでいけるように。 心はどんな線引きもせず未来へ、ただ未来へ 続く祈りの静かな形でいいんだ。病気よ来い! 苦労よ来い! 仲間もたくさん集まってるぜい。 まさる
12月9日、歌舞伎昌三こと岡田昌さんが亡くなられた(享年47歳)。「末期ガン」の告知を受けて4年、力強く生きてこられたが、ついに命尽き、息を引き取った。冒頭の言葉は、マサルさんが最後に書き残したものだという。その言葉の重みをいま強く感じている。 マサルさんとはさほど深い付き合いがあったわけではない。お会いしたのも、「pHー7プロデュース・ダンス公演」と数回の「ソウル・フラワー・ユニオン(orモノノケ・サミット)」ライブ、それと山口洋ライブ(in亀山「月の庭」)の時くらいだ。だから、舞踏家・歌舞伎昌三としての顔と、オーガニック・レストラン「月の庭」店主としての顔を少しばかり知っている程度とも言える。そして、末期ガンに冒されていたということも。この人のどこにエネルギーが宿っているのかと、不思議にも思っていた。もしかすると、末期ガンというのも何かの間違いに違いないとさえ思って、半ば信じてもいた。けれども、ついにその日を迎えてしまった。
12日、葬儀に参列し、出棺に立ち会うことができた。出棺を前にマサルさんの息子・ミッキーが三線片手に歌い上げた『満月の夕』はこの上なく素晴らしく、思わずもらい泣きしてしまった。 マサルさんが亡くなられたのは悲しいことではあるが、悲しいというだけではない。多くの贈り物を残して、マサルさんは旅立たれたのだと思っている。
2008年12月08日(月) |
ギブ・ピース・ア・チャンス |
東区泉「アンティーク・ノエル」で行われた、ジョン・レノン&ジョージ・ハリスンの追悼ライブ「ギブ・ピース・ア・チャンス」に行って来た。毎年12月8日前後にはジョン・レノンの追悼イベントが各地で催されるが、そんなイベントに参加してみたいとは思っていた。 地下鉄・高岳駅から地図を頼りにお店を探しながら歩くこと約10分、「アンティーク・ノエル」に辿り着いた。カウンターに腰掛け、カクテル(本日のスペシャル「ジョン・レモン」、何のことはない、「レモン・サワー」ではないか)とピザ(ジョンの顔に見立てた「ジョン・レノン・ピザ」)を注文していると、そのうちにライブがスタート。4組のアマチュア・バンドによるビートルズ&ジョン・レノンのカバーの演奏が繰り広げられた。 演奏に関してさほど期待はしていなかったものの、1組約40分のステージは正直つらかったな。3曲くらいまでなら素人さんの演奏もそれなりに聴く姿勢は持てると思うのだが・・・。 ビートルズ・ナンバーの完成度の高さは今更言うまでもない。よく知られた名曲であるが故に、逆に難しいとも思う。完全コピーを目指すなら演奏力が問われるし、オリジナリティーを追求するならアレンジ力が問われてくる。 私自身、ビートルズ・ナンバーもカバーしていきたいと思っている。完全コピーをしたい等という欲求は持たない私は、夏撃波流のビートルズを表現したいと常々思っている。まぁ、演奏したい曲はビートルズに限らず数多いが、なかなか演奏力が追いついていかないのが現状だ。衝動を力に変えて超・音楽を展開していくより能のない私である。
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