夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年01月23日(火) 大エルミタージュ美術館展

 名古屋市美術館で開催中の「大エルミタージュ美術館展」を観に行ってきた。
 数年前ロシアを旅した折、エルミタージュ美術館に立ち寄り、その収蔵品に圧倒され、美術館の建築そのものにも圧倒されたものだった。
 今回、名古屋美術館にやってきた絵画を観て思ったのは、「やはり超一流の名画というものには、人の心に大いに迫ってくる力強さが備わっている」ということであった。単に上手いというだけではない迫力が感じられるのだ。
 エルミタージュ美術館まで足を運んで名画の数々に触れられれば、さらに大きな感動が得られること間違いない。「大エルミタージュ美術館展」と銘打っていても、今回の展示はほんのごく一部の作品。それに、エルミタージュ美術館の建物自体が超一流の芸術品なのだ。機会があれば、エルミタージュを訪れることをぜひお薦めしたい。



2007年01月17日(水) あけおめ、スローブルース

 今夜、2007年になって初めて星ヶ丘のライブハウス「スローブルース」に行って来た。
 今日の出演者の平均年齢はグッと下がった感じ。インストで『雪の華』(中島美嘉)を演奏していた若者をつかまえて、私の出番の時にギターを弾いてもらった。で、私はギターをバックに『雪の華』を歌ったわけだが、ピアノ伴奏とも若干雰囲気が違って、それはそれで楽しく歌わせてもらえた。その他、『サッポロ SNOWY』『たかが愛』(ともに、中島みゆき)をこちらは一人でギター弾き語り。
 ちょっと疲れ気味ではあったが、「スローブルース」でのひとときは私の活力源でもある。今年も、「スローブルース」には大いに世話になりそうだ。



2007年01月14日(日) 『北枕を小脇にかかえて』

   この芝居は特定の誰かの追悼公演ではない
  けれど、久しぶりに一人で勝負してみようと
  思い立ったその最初の動機は、何人かの死に
  よっている。僕と同時代を生き共に汗をかい
  た数名の人の死は、とても大きいものであっ
  たから。それで何がどう変わるものではない
  にせよ、僕は「人の死」を直接的に題材にし
  たいと思ったのだ。生と、死と、両者をつな
  ぐものとしての性、を。(中略)
   人の死にまつわるいくつかのテキストと格
  闘してしみじみ実感するのは、生命の軽さ、
  はかなさ、もろさである。現生人類は約20万
  年前エチオピアの地に誕生したと最新のDNA 
  研究は伝えているが、それからどれだけの人
  の死を経て我々は生きているのだろう。人は
  簡単に死ぬ。そのはかない事、早春の雪原に
  一瞬生まれるという蜻蛉のごときではないか。
   しかし。だからこそ尊いのだ、と僕は思う。
  生命の軽さと尊さは同値であろう。この事を、
  僕らは決して忘れてはならない。
  (『北枕を小脇にかかえて』公演パンフより)

 <夜の建築事務所>プロデュースの一人芝居『北枕を小脇にかかえて』を、新栄「pHー7地下劇場」に観に行ってきた。檜垣萱の一人芝居を、今回は灯乃湿が演出している。檜垣、灯乃がそれぞれ書いたものの他、いくつかの文献(詩集や哲学書など)からの引用などを再構成し、ひとつの芝居として成立させていた。
 冒頭に掲げた一文には檜垣のこの芝居にかける思いが綴られているが、実際の芝居からもそうした思いの一端を感じることができた。一般的には決して観やすい類の芝居ではなかったかもしれない(私にとっては、好きなタイプの芝居)。けれども、広い意味でのテーマは観客一人ひとりに伝わったのではないだろうか。
 死と、生と、性。大変広く普遍的なテーマであるが、よく考え練られたものが観客の前に差し出されたように思われた。とてもいい芝居だった。



2007年01月09日(火) <沙羅双樹ふたたび>稽古始め

 今日は、「男女二楽坊?」・<沙羅双樹ふたたび>の稽古始め。
 昨年から練習している曲とともに、新たな曲にも挑戦。結成時(約2年前)から練習し続けて未だに陽の目を見ない曲もある一方で、演奏してみたい曲は増える一方。これまではフォークやロックが主なレパートリーであったが、スタンダードやクラシック、その他にも手を広げることになりそうだ。今日は、アイリッシュ・ミュージックにも取り組んできたことだし、明日のことは私たちにもよくわからない。
 まあ、やりたいようにやるだけさ。それが、<沙羅双樹ふたたび>の流儀と言えるのかもしれない。



2007年01月08日(月) 樋口涼二郎一座公演

 今日は、大曽根にある大衆演劇の劇場「鈴蘭南座」に出かけていった。
 劇場入口で1700円の前売券を見せて中に入ると、畳敷きの客席に50名弱の観客が座布団に腰掛け、開演を待っていた。年齢層はだいぶ高い。座布団レンタル代50円を払い、適当な場所に陣取った。
 正月公演は、樋口涼二郎一座。唄と踊りのショー、それにオリジナルのお芝居(その名も「奥飛騨慕情」)。ある程度予想のつく展開ながら、気がつけば、私も芝居に入り込んでしまっていた。「予定調和」には違いないが、十分に楽しんで、アッという間の3時間だった。



2007年01月06日(土) 笑門来福

   尾張万歳は、地元の伝承によれば,鎌倉時代,
  正応の年号(1288〜1293)の時に,現在
  の名古屋市東区矢田町にある長母寺の開山,無住
  国師が『法華経万歳』を作ったのが始まりとされ
  る。
   室町時代には,長母寺の領内であった知多半島
  にまで広がっていった。江戸時代になって四つの
  儀式的演目『六条万歳』『神力万歳』『地割万歳』
  『御城万歳』が加わり”五万歳”として尾張万歳
  の基本ができあがったとされる。この”五万歳”
  は宗教的・儀式的色彩が強いものであった
  が,一方では近世を通じて『福倉持倉(ふくくら
  もくら)』『入込(いりこみ)』『三曲万歳(さ
  んきょくまんざい)』『御殿万歳(ごてんまんざ
  い)』などの娯楽的な要素を持った演目が加わり
  芸能性が高められていった。多く,尾張万歳は農
  民たちの農閑期の出稼ぎ芸として行われるように
  なったため,家々の軒先で演ずる門付(かどづけ)
  万歳や得意先の座敷の上で演ずる檀那場(だんな
  ば)万歳という形で,正月を中心に,関西,中部,
  関東地方一円の津図浦々をまわり稼ぎをするよう
  になって尾張地方にとどまらず活動範囲も広がり
  全国に知られていった。
   明治維新後は,遊芸稼人の鑑札を受け,さらに
  娯楽性加えられ,各地を巡業する一座も出現する
  ようになってくる。のちに漫才(まんざい)と文
  字を変え,演芸館やラジオなどで大流行するもの
  のルーツとなった。
   尾張万歳は,扇子を持った太夫と鼓を持った才
  蔵との二人一組で,才蔵の鼓にあわせて太夫が祝
  言を述べて舞ったり,言葉の掛け合いをしたりす
  るのが基本となっている。演目によって,太夫一
  人に才蔵が複数ついたり,三味線と胡弓が加わる
  ものもある。
   (尾張万歳保存会ホームページより)

 昼過ぎ、徳川園に出かけ、そこで尾張万歳を観た。これが思いのほか面白かった。現在の漫才のルーツとも言われるが、とても素朴な笑いというのか、ほんわかとした笑いを醸す芸能なのだ。明治以降、三河万歳が神道色の強いものになった一方、尾張万歳はより芸能的に変化を遂げたという。また、小沢昭一『日本の放浪芸』(岩波現代文庫,2006)などによれば、万歳は日本各地にあるともいう。いずれにしても一見の価値はあると思う。

 尾張万歳の実演が終わってからは徳川美術館を観てまわり、その後、近くの喫茶店「ぱんとまいむ」で開催の「ぱんとまいむ寄席」を観に行った。素人に毛が生えた程度とタカをくくっていたが、さにあらず。竜宮亭無眠、道落亭かね平、川の家河太朗のお三方は、なかなかにレベルが高い。たっぷり笑ってワンコインていうのは非常に安い。
 毎月第一土曜日の夕方に開催の「ぱんとまいむ寄席」、こちらもまた一見の価値あり。

 といった具合で、とてもよく笑った一日。「笑う門には福来る」の言葉通り、この一年、幸福でありますように。福の神の皆々様、よろしゅう頼んまっせ。



2007年01月04日(木) <沙羅双樹ふたたび>2007新年会 

 昨日まで仕事だった私、今日になってやっと、<沙羅双樹ふたたび>のパートナー・沙羅さんと今年初めての顔合わせ。
 日本酒(「久保田萬寿」)と餅とほうとう(山梨の郷土料理)を携えて、沙羅さん宅におジャマした。沙羅さんもおせち料理でもてなしてくれ、今年も昨年に引き続き固いパートナーシップで<沙羅双樹ふたたび>を盛り上げていくことを確認。
「まぁ、難しい話は後にして、まずは呑もうやないか」という点では見事に一致して、酒盛りを敢行。てなことは何も新年に限った話ではない。<沙羅双樹ふたたび>解散の危機っちゅう話は今んとこなしで、まずはめでたし、めでたし。
 <沙羅双樹ふたたび>は今年も前進あるのみ、というか後退しては後がない。日々精進してまいる所存でありまっせ。



2007年01月03日(水) 『獄窓記』『累犯障害者』

  鬼となり この手で消した 命の火
   明日は命日 遺族を思う

  残されし 母は世間の 中傷に
   耐えつつわれを 励ましに来る

  以前より 優しい目付きに なったねと
   面会の母 われ見て微笑む

  出所日の 話題弾める 人の輪を
   そっと離れる 無期囚のわれ

  ハハキトク たった五文字の 電報を
   何度も眺める われは無期囚

   (山本譲司『獄窓記』より)


 年末から年明けにかけて何冊かの本を乱読しているが、なかで山本譲司(秘書給与事件で実刑判決を受けた元衆議院議員)の著作は衝撃的で、一気に読み上げてしまった。
 『獄窓記』(ポプラ社.2003)は、著者自身の獄中体験を通じて刑務所の実情や秘書制度などについてリポートしたドキュメンタリー。冒頭に記載した短歌は、刑務所内の機関誌に掲載された受刑者たちの作品だ。『獄窓記』では、障害を持つ受刑者の実情にも触れられている。

  「(前略)山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、
  俺たち障害者は、生まれながらに罰を受けてるよう
  なもんだってね。だから、罰を受ける場所はどこだ
  っていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていい
  んだ」
   (山本譲司『獄窓記』より)

 著者が獄中で出会った障害者の語ったショッキングなひとこと。その言葉からは障害を持つ人たちの深い孤立感、絶望感が伝わってくる。
 また、最新作『累犯障害者』(新潮社.2006)では、「障害者が起こした事件」の現場を訪ね歩き、「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」「障害者一家による障害者の監禁致死事件」など驚愕の事実にスポットを当てている。何故に犯罪を犯さずにいられなかったのか、障害者をめぐる社会の側の問題があぶり出される。福祉の仕事に従事する私たちに対する警告の書とも言える。
 問題解決は決して簡単ではなく、非常に重い現実を突きつけられた形となったわけだが、そうした現実から目を逸らすことなく見つめていきたいと思った。



2007年01月01日(月) 明けまして、2007年

 新年あけましておめでとうございます。
 と言っても、あまり正月という気分でもない。何せ元旦の今日、私は午後から仕事だ。
 勤務先である知的障害者入所施設には、正月もそこで過ごす十名ほどの入所者が残っている。それぞれに事情はあるが、施設で迎える正月を彼らはどんな思いで過ごすのだろうか。近所の神社に初詣に出かけたりはするものの、他にこれといって予定はなく、元旦の午後は静かに流れる。
 私は三が日とも仕事になっているので、気持ちの上でゆったりできるのは4日以降ということになろうか。
 ともかくも、2007年はスタートした。


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