2006年05月31日(水) |
星ヶ丘三部作メドレー |
このところ、なかなか「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加できない。フラストレーションがたまっていたが、今日は何とか参加できた。参加者は少なかったけど、ね。 今日、私はまず『星ヶ丘の星』『夏撃波とスローブルースのテーマ』『星ヶ丘ロケンロール』の自作3曲のメドレーを演奏。また、女子レスリング・トヨタワールドカップのテーマソング『レスリングマーチ』を披露。そして、『青空と小鳥と終身刑』(南正人)の叩き語り。2巡目では、『サルビアの花』(早川義夫)を演奏した。
2006年05月25日(木) |
MJQ(遠藤ミチロウ) |
今池「TOKUZO」にMJQのライブを観に行ってきた。元「ザ・スターリン」の遠藤ミチロウ率いるトリオだ。55歳にして未だ衰えを感じさせないパワー、表現衝動の強さはハンパではない。遠藤ミチロウにはスキャンダラスなイメージがつきまとうが、意外にもその表現は文学的だ。彼のライブには何度でも行きたいと思った。
今日は、私の誕生日。今年もまた、ボブ・ディランと一緒に一つ年をとったよ。ついに私も40歳。「不惑」とは程遠い、惑いっぱなしの40代だ。
「2006 女子レスリング トヨタワールドカップ 名古屋」が、名古屋市稲永スポーツセンターにて開催された。レスリング自体を生で観るのは初めてだが、今回は世界レベルの国際大会。6ケ国による国別対抗戦だが、日本チームは優勝候補の筆頭だ。 私も日本チームを応援したいとは思うのだが、一斉に声を合わせて「ニッポン、ニッポン」というふうには応援したくない。「君が代」が流れた時にも、起立はしなかった。あくまで自分勝手に応援させてくれと思うのだ。 これって、最近の「愛国心論議」に通じないだろうか。愛国心というものは決して強制されるべきものではなく、個々人のうちから自然にわきあがってくるものが尊重されるべきではないか。「愛国心」が強制される時、少なくとも私は反発を覚える。 私がレスリング日本チームを応援する気持ち、それも「愛国心」と言えなくもないが、むしろ「自分が生まれ育った場所への愛着」に近い気がする。そして、そのこと自体、どうこう言われる筋合いのものでもないと思う。少なくとも、思想・信条の自由だけは奪われたくない。 レスリングから思わぬ話に展開した。最終的に日本チームが圧倒的強さを示した優勝だった。でも、仮に日本チームが敗れても、レスリングの試合自体、とても面白く観戦できたと思うよ。スポーツの醍醐味って、そのスポーツ自体が持っている魅力だと思うからね。
(追記) 大会のテーマソング『レスリング・マーチ』が会場で度々かかっていたので、いい加減覚えてしまった。帰りにCDを購入して復習。近々どこかで演奏しようと考えている。
2006年05月19日(金) |
かきつばた(知立・無量寿寺) |
中日新聞に掲載された知立の「かきつばたまつり」の記事と写真を見て、心ひかれた私。デュオ・パートナーを誘って、知立・八橋の無量寿寺へと向かった。八橋の無量寿寺は、平安の歌人“在原業平”が、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と、句頭に「かきつばた」の5文字をいれて詠んだように伊勢物語の昔から知られるかきつばたの名勝地。3万本ものかきつばたが一面に咲き誇る景色は壮観だ。小雨が降っていたが、逆に風情があってよかった。かきつばたにはかきつばたならではの美しさがあるのだと、あらためて気づかされた。
長谷川節子さんよりお誘いがあり、愛知詩人会議・主催の朗読会に参加。私が普段参加している「朗読会」とは雰囲気が違う、恐らくは一般的イメージに近い「朗読会」であった。勝手が違い、やりづらさを感じたが、いつもどおりの「朗読」に徹することにした。自作詩『嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜』を「朗読」するも笑いがこない。でも、まあ、いいことにした。いろいろ勉強にはなったね。
2006年05月10日(水) |
GW後の「スローブルース」にて |
久しぶりに(と言っても、2週間ぶりか)、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加。あいにくの雨、ゴールデンウィーク明けということもあってか、参加者少数。参加者が少ないと、持ち時間は多くなるけど、さみしいものだ。 私は、『愛のメモリー』(松崎しげる)、『星ヶ丘ロケンロール』(オリジナル)、『星ヶ丘の星』(オリジナル)、『朝日楼』(浅川マキ)を演奏した他、自作詩『嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜』を朗読した。
2006年05月05日(金) |
『アッシリア皇帝と建築家』 |
クセックACT公演『アッシリア皇帝と建築家』を愛知県芸術劇場(小ホール)まで観に行ってきた。 主にスペインの作家の作品を上演し続けているクセックの芝居を私は毎年のように観ている。クセックが取り上げる作品からは文学性の高さがうかがわれ、また舞台表現としてのレベルの高さも感じられる。今回も決して悪くはなかったし、それなりに面白かった。ただ、リズムがいまひとつとの感想を持った。原作のよさを十分に伝えきれていないのではないかとも感じた。一方で、クセックは非常に難しい表現に挑戦しようとしているのかもしれないなどとも思った。本当のところはわからないが、なんとなくスッキリしない感じがあった。 きっと来年もまたクセックの芝居は観ると思う。名古屋を代表する劇団のひとつには違いないから。
江南市の曼荼羅寺公園で「藤まつり」が開催されているとの情報が、沙羅さんからもたらされた。二人とも藤が好きなので、一緒に出かけることにした。 会場に着くと、たくさんの屋台。メインステージらしき場所からは演歌の調べ。カラオケに合わせて素人の「のど自慢」といった趣向か。その「ステージプログラム」はいかがなものかと思ったが、美しく咲き誇った藤の花はよかった。ひとくちに藤と言っても、色も形もさまざま。ひとつひとつがそれぞれに美しかった。
鶴舞「K.D.Japon」に「百鬼どんどろ 岡本芳一ソロ公演 卍(まんじ)」を観に行ってきた。信州伊那谷を拠点に等身大人形・仮面等を使った独自のスタイルの舞台表現で世界各国のフェスティバルに招待されるなど、高い評価を受けている岡本芳一さんによるソロ公演である。 これが私にはとても面白かった。岡本さんは人形遣いであると同時に自らも演者となって、倒錯したエロスと情念を思わせる舞台を展開。人形や仮面は岡本さんの手によって命を吹き込まれ、妙にリアルに感じられた。それが岡本さんの身体表現とあいまって、独特の世界を作り出していた。現代風の文楽のようでもあり、仮面劇のようでもあり、また暗黒舞踏を思わせる場面もあった。おどろおどろしさの点では「劇団pHー7」とも共通するが、日本の古典的な物語世界をも思わせる展開は「スーパー一座」の「ロック歌舞伎」とも通ずるものを感じた。私は、それを「ロック文楽」と名づけてみたいと思った。
2006年05月02日(火) |
詩「嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜」 |
「うんこ、出んのだわ」 「えっ」 「うんこ、おとついからずっと出んのだわ」 山本秀雄さんは私の顔を見るなり、 「おはよう」のあいさつもないままに、 「うんこ、出んのだわ」 その後も立て続けに、 「うんこ、出んのだけど、大丈夫かな?」 ご丁寧に食事の時にも、 「曽根さん、うんこ出んもんだで、食べれえせんのだわ」 などと言うものだから、 同じ食卓を囲んでいた和子さんが怒り出す。 「山本さん、みんなが食べているのに、なんで『うんこ、うんこ』言うの。気分、悪いわ」 「そんなこと言ったって、出んから『うんこ、出ん』言っとるんだわ。そんな怒らんでもええがね」 「何言っとりゃ〜すか、このおたんちんが」 「おたんちんじゃにゃ〜わ」 「おたんちんだわ。おみゃ〜さんみたぁのがおるもんで、世界はいつまでも平和にならんのだわ。たいがいにしとかないかんわ」 その時こらえきれずに二郎がケタケタ笑い出す。 「何がおかしいんじゃ、二郎。人がうんこ出んで苦しんどるのがそんなおかしいんか。もう、ええわ。みんな、どっかいなくなってまえばええんじゃ」 そう言って自分の部屋に入ったまま、出てこようとしない山本さん。 和子さんが山本さんの部屋の前に行き、ドア越しに、 「山本さん、わし、言いすぎたわ。ごめんな。許したってもらえんかね」 ドアがガラッと開いて、 「まあ、ええよ。和子さんがそこまで言うんなら、曽根さんに免じて許したるわ」 私は笑いをこらえながら、心のなかで突っ込みを入れる。 「『曽根さんに免じて』って、わけわからんわ」 結局その日、山本さんは、うんこが出ないままに夜を迎える。 「おやすみ」 「おやすみ」 「おやすみ」 「おやすみ」・・・
夜中に、目がさめて、トイレの前まで行くと、中から山本さんの弾んだような歌声が聞こえてくる。
おいらはドラマー、やくざなドラマー おいらが叩けば、嵐を呼ぶぜ
水洗の流れる音が聞こえたかと思うと、ガラガラッと戸が開いて、山本さんのゆるんだ顔がのぞいた。 「うんこ、出たよ。たくさん出たで、具合ええよ」 「よかったね、山本さん」 「みんなにも報告してくるわ」 「え〜っ、山本さん、まだ夜中だからみんな寝てるよ」 「おっ、そうか。じゃあ、朝ごはんの時でもええか」 「それもやめたほうが・・・」と言いかけたが、何となく言いそびれてしまった。 「山本さん、まだ朝まで時間あるから、眠ったらいいよ」 「そうだな。じゃ、おやすみ」 「おやすみなさい」
おいらはドラマー、やくざなドラマー フン、フン、フン、フ、フン、フン、フン、フ・・・
窓の外、真夜中の空にぽっかり浮かんだ、まあるい月。 山本さんの歌声が、楽しげにいつまでも響いていた・・・
*先日、夜中に目が覚めると、不意に「うんこ、出んのだわ」という言葉が浮かび、そこから一気に詩を書き上げた。最初は『うんこ、出んのだわ』という題名を仮につけていたのだが、何となくしっくりこなかった。二日ほど間をおくと、新たなアイデアが浮かんだので、修正を加え、『嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜』と改題した。 福祉の仕事に従事するようになって通算すれば約15年。その経験のなかから今回の『嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜』という詩が生まれたと言っていい(現実の出来事をつなぎ合わせてデフォルメしている。また、登場人物は私=曽根を除いてみな実在しない人物、と考えていただきたい)。とりわけ、「知的障害」をもつ人数人と送った共同生活の日々は、私の心に多くのものを刻み込んだ。 気がつけば、私もいつの間にか、名古屋弁を自然にしゃべっているではないか。予想すらしなかった事態に、私自身、とても驚いている。
2006年05月01日(月) |
「水俣病公式確認50年」 |
水俣病公式確認50年にあたり、犠牲者慰霊式(5月1日)が行われた。式において小池百合子環境大臣が被害者に対して謝罪を行ったが、結局小泉純一郎首相の参列はなかった。これまでも慰霊式に首相が参列した例はない。だが、水俣病関西訴訟最高裁判決(04年10月)で国の責任が認められ、しかも公式発見50年という節目の年である。小泉首相に水俣に来てほしいと願うのは、被害者のみならず地元の素朴な思いであろう。 「公害問題の原点」などとも言われる「水俣病問題」だが、実のところは「地方の一地域で起きた不幸な出来事」ぐらいの認識でとらえられ、黙殺され続けたのではなかろうか。しかし、同じような過ちが繰り返されぬ保証はなく、次なる被害者は自分自身かもしれないのだ。 ニュースで報道された小池環境大臣の謝罪の言葉が空々しく聞こえてしまうのは、たぶん私だけではあるまい。
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