夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年04月30日(金) クセックACT『ドン・ペルリンプリンの恋』

 今夜、クセックACT公演『ドン・ペルリンプリンの恋』を観てきた。
 このところ毎年欠かさず観ている「クセック」の公演であるが、今回はガルシア・ロルカの作品を下敷きに構成された舞台だというので、期待は大いに高まる(私、ロルカが好きなんです)。と同時に、「期待はずれだったら、どうしよう」という不安も少しあった。「クセック」の公演は毎回ある水準は保っているとは思うのだが、年々パワーダウンしているようにも感じていた。
 今夜の公演を観て、当初の不安は消し飛んだ。照明をはじめ効果的な舞台の設定、心憎い演出が随所に見られ、そのなかで役者たちも自在に動いていたように感じられた。
 あの独特な発声や身体表現は一度でいいから体験してみたい。そして、願わくば、スペイン公演なんてこともやってみたいよな~。
 「動く絵画」とも称される「クセック」の舞台であるが、今回はそんな「クセック」流の美学が見事に表現されていたように思う。



2004年04月26日(月) B級遊撃隊『Sの背骨』

 名古屋を代表する劇団のひとつ、B級遊撃隊の『Sの背骨』(アトリエ公演)を観に行って来た。「ナンセンス不条理劇」というスタイルを確立している同劇団の公演を観るのは、これが2回目。
 前回観たのが、確か2年前。愛知県芸術劇場小ホールでの、『ミノタウロスの悪夢』の公演であった。『ミノタウロス~』はホンとしても非常にすぐれた作品で、その舞台も完成度は高かったように思う。以来、「B級」は私にとって気になる劇団のひとつとなった。
 そんなわけで、今回の公演も期待する気持が大きかったのだが、率直な話、あまり面白くなかった。『Sの背骨』も『ミノタウロス~』と同様に「ナンセンス不条理劇」のテイストが感じられるのだが、観ている私の側に訴えてくる力が非常に弱かった。今回の『Sの背骨』には「リアリティー」が感じられないのだ。その要因は、ホンの力だったり、役者の力だったりするのだが・・・。
 そういえば、『ミノタウロス~』の時には、今回演出に専念している神谷と、劇作家の佃の掛け合いがテンポよく、芝居のなかでひとつのリズムを作り出していたのだが、そうした芝居のリズムという点が今回は軽視されているようにも思われた(というか、佃ー神谷コンビの絶妙な間は真似できるものではないが)。
 でも、「B級」の芝居にはこれからも期待を寄せたいし、きっとまたすぐれた作品を見せてくれることと思う。



2004年04月25日(日) 詩、プロレス、そして演劇

 今日は、午後から朗読会「ぽえ茶」(at「神宮茶屋」)に参加。参加者5名だったので、結構やりたい放題だった。私自身、何をやったんだっけ? まず最初は「勝手に観光協会」(みうらじゅんがやっている企画)の歌詞を読んだり、歌ったりして。2巡目は、「イラク人質事件」被害者の高遠菜穂子さんのお母様・京子さんが書かれた詩『空は希望』と夏撃波自作の『たたかう蝶』(もともとは、女子格闘家・しなしさとこさんに捧げた詩であったが、私なりの「反戦歌」にもなっている)を朗読。3~5巡目は、10年前の作品(私小説?『モノローグ・第2章』、紀行文?『水俣を行く・上』、詩『国境の町で』)を朗読した。
 さてさて、来月23日には、みおよしきさんと「詩のセッション」をやることになっている。「ぽえ茶」終了後、みおさんにある企画を持ちかけ、了承していただいた。目下、計画進行中だが、完成すれば、まさしく「セッション」の名にふさわしい企画になるものと確信している。
 とにかく、5月23日は熱田神宮そばの喫茶店「神宮茶屋」へご来場のほどを!

 みおさんと打ち合わせ後、急いで名古屋国際会議場イベントホールへと向かう。18時ゴング、「闘龍門」名古屋興行は予想以上の盛り上がりを見せていた。他団体に比べ女性客も多く、会場全体の盛り上がりからもこの団体の勢いを実感した。
 試合のほうは、前半が少したるい感じはあったが、後半は「闘龍門」の最強決定戦・決勝トーナメントとあって見応え十分であった。勝ち残ったCIMA、望月両選手からは力強さが感じられたし、ドラゴン・キッドの動きは往年のタイガー・マスク(初代)を彷彿させるものがあった。私もついつい試合に引き込まれ、歓声を投げかけていた。
 試合の合間には、女性アカペラ・グループ「Q.T.Honey」がステキな歌声を聴かせてくれた。

 全試合終了が21時すぎ。そこから急いで「pHー7地下劇場」へと向かう。そこでは、公演最終日の打ち上げが行われていた。役者にとってはいちばんの「至福の時」だ。
 今でも、私は役者だった頃のことを思い出す。苦しいことの多かった稽古を思えば、本番は非常に楽しく、公演終了後の「打ち上げ」は安堵する気持とともに幸福感に包まれていた。できることなら、またあの場所に戻りたいと思う。
 「打ち上げ」が終わり、女優の一人に車で送ってもらう(が、色っぽい話は一切ありません)。あとで気がついたのだが、彼女の車の中にケイタイを落としてしまったらしい。自分では気づかなかったが、私も相当酔っていたようだ。
 でもね、その後で「劇団pHー7」をモチーフに詩を書いたんだよね。これは、もちろん「詩のセッション」(5月23日)で発表するんだけどね。
 これからまだまだ詩を書き続けなくてはいけないのだが、いい詩ができあがる予感があるよ。23日にはギターも弾くことになっているので、こちらも磨きをかけておかなければ。今はとてもワクワクした気持でいっぱいだ。



2004年04月24日(土) 2日続きの「舞踏劇」

 「劇団pHー7」の舞踏劇『澱の匂い』を2日続けて観た。昨夜は上手(かみて)の方に、今夜は下手(しもて)の方に座って観劇。
 今回の作品、私の好みにすごく合っていたこともあるが、いつも以上に役者全員が輝いて見えた。「アングラ版・『千と千尋の神隠し』」「シンクロナイズド・スイミング・暗黒舞踏ヴァージョン」「pHー7の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』」などと、勝手に評している。
 H・アール・カオスのダンス・テクニックには及ばないものの、独特の美意識に貫かれた濃密な演劇空間を見事に創り出していたという点において、どこに出しても恥ずかしくないと思う。作品的にとても素晴らしかっただけに、観客動員が少ないのは残念でならない。作品の質に観客動員が比例するわけではない。でも、劇団存続のためには観客動員は不可欠な条件でもある。「pHー7」は20周年の節目にあたり、素晴らしい作品を生みだしたが、劇団にとってアキレス腱ともいうべき観客動員に課題を残した。
 私もいつかまた「pHー7」の舞台に立ちたいと思ってはいるのだが・・・。



2004年04月22日(木) 2日続きの「朗読」

 21日夜、千種のオーガニック・レストラン「空色曲玉」で、朗読会「詩の夕べ」が催された。「ぽえ茶」や「詩のあるくちびる」が比較的参加者が固定しているのに対し、「詩の夕べ」は毎回違うメンバーが来ていて、その度に雰囲気も微妙に違ったりして面白い。
 まずは、一人ひとりの「朗読」。そこで、私は塔和子さんの詩を読み、自作の詩「たたかう蝶」を朗読した。その後の「自己紹介」の際に、映画『息子のまなざし』をモチーフに書いた「詩」を「朗読」(演劇っぽく)。
 一巡したところで、「春」をテーマにして参加者全員が「一行詩」のようなものをその場で書き、それをつなげて一編の詩を作った(「チェーン・ポエム」という遊び)。結構つながるものなんだな、これが。
 とても心地よい気分で家路についた。

 22日夜、こんどは八事「POPCORN」で朗読会「詩のあるくちびる」に参加。参加者は10人足らずと少なめではあった。
 今回、私は10年前に書いた短編の「私小説」・『モノローグ第1章』を朗読した。参加者が少なかったので、2巡目で石原吉郎の詩「脱走」を「朗読」(演劇っぽく)した。
 私は事情の許す限り「朗読会」に出るようにしているが、「ぽえ茶」、「詩の夕べ」、「詩のあるくちびる」、とそれぞれに場の雰囲気が違う。それぞれに好きではあるのだが、私はその場の空気を感じながら、そこで読むべき詩を無意識のうちに選択している。
 3つの「朗読会」のなかで、「くちびる」は表現者と観客の距離が最も遠いように感じられる。たぶん「POPCORN」という場所の「広さ」とか「雰囲気」が関係しているのだろうが、その距離感がいい意味で緊迫感をもたらしているようにも思うのだ。
 3つの「朗読会」の他でも「発表」の場があれば、ぜひ出向いていって表現したいと思ってる昨今の私である。

 さて、ここでひとつ告知があります。5月23日(日)の午後3時より、熱田神宮近くの喫茶店「神宮茶屋」で「みおよしき&夏撃波」による「詩のセッション」があります。一風変わったコンサートみたいな感じになるものと予想しておりますが・・・。詳細は、下記のホームページ等でお確かめ下さい(「みおよしき」HP、「林本ひろみ」HPなどでも告知しています)。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~pocom/img-keep/live.jpg

   



2004年04月18日(日) 春の祭典in近畿(其の3)

 「旅の終わりに」の巻

 「春の祭典in近畿」ツアーも今日で最終日。楽しい時間は速く過ぎ去ってしまうものだ。

 さて、今日は早朝にホテルをチェックアウトし、大きな荷物は駅のコインロッカーに入れ、南海高野線で高野山(和歌山県)へと出掛けた。奥の院、苅萱堂、金剛峯寺、壇上伽藍、大門、霊宝館などを駆け足でまわる。

 昼過ぎには高野山を発ち、再び大阪に舞い戻る。「DEEP 14TH IMPACT」という格闘技イベントを観るために、梅田ステラホールへと急ぐ。男子の総合格闘技に挟まって、今日は女子格闘技界を代表する2人(ライト級のしなしさとこ選手、ミドル級の辻結花選手)によるエキシビション・マッチがある。通常の試合と異なり、女子格闘技のPRという意味合いで行われる一戦だ。通常の試合で見られるような、ある種殺気だった空気はなく、リラックスしながらやってる感じだった。
 全試合終了後、しなしさんを囲んでファンの人達による食事会があった。しなしさんから「いつもステキな詩(これまでに何編か、しなしさんに捧げる詩を書いてきた)をありがとうございます」と言われ、有頂天になっている私だった。彼女と何を話したのかは、あまり覚えていない。彼女をいざ目の前にしてしまうと気恥ずかしくなってしまうのだった。これがファン心理というものだろうか。
 楽しいひとときは瞬く間に過ぎ去り、「ファンの集い」はお開き。夜9時ぐらいに大阪を出て、新幹線で名古屋に戻ってきた。
 明日からまた果てしない日常が始まる。楽しい思いを残しつつ、「春の祭典」は終わりを告げたのだった。



2004年04月17日(土) 春の祭典in近畿(其の2)

 「一粒で二度おいしい」の巻

 大阪での夜を過ごし、朝早々と奈良県・吉野に向けて出発。吉野といえば「千本桜」の名で知られる桜の名所。ただ、インターネットで調べてみると、下千本・中千本・上千本は「葉桜状態」、奧千本も「散りはじめ」とのこと。桜の見頃は過ぎてしまったようだが、とにかく行ってみようと、近鉄吉野線で吉野まで移動、そこからロープウェイで吉野山駅へ。奧千本までひたすら歩き続けるが、なかなか到着しない。そんな私の脇を、客をおおぜい乗せたバスが何台も通り過ぎていった。
 いろんなところに立ち寄りながら4時間ほどで奧千本に到着。桜はだいぶ散ってしまっていたが、わずかに残る花びらがそよ風に舞い、春の日ざしにきらめきながら、ゆっくりと落下していくさまは、とても美しく感動的だった。満開の桜とは趣が異なるが、やわらかな木漏れ陽のなかで心癒される思いだった。

 さて、昼過ぎに吉野を発ち大阪に舞い戻った私は、「大阪プロレス」の興行が行われるIMPホールへと急ぐ。私は、ストロング・スタイルのプロレスよりも「空中殺法」などがふんだんに盛り込まれたメキシカン・スタイルのほうが好きだ。笑いの要素を取り入れながら熱い闘いを展開し、ルチャリブレの面白さを披露してくれる「大阪プロレス」のスタイルは、私の好みに非常に合っているようだ。
 6人タッグマッチでの、「えべっさん」と「くいしんぼう仮面」(いずれも覆面レスラー)のかけあいは会場全体を笑いの渦に巻き込んでいた。かと思うと、「ビリケン・キッド&タイガースマスク」対「ツバサ&ガルーダ」のタッグ・マッチは手に汗握る熱戦だったし、シングルのタイトルマッチではチャンピオン「村浜武洋」が「大王カルト」に敗れるという波乱があり、さらにメインイベントで「獣神サンダー・ライガー」(新日本プロレスより参戦)が大阪プロレスきっての悪漢ファイター「ビッグボス・マグマ」にまさかの敗退を喫した。帰り際に「スペル・デルフィン」(大阪プロレス社長兼レスラー)と握手を交わし、ホテルへと帰ってきた。



2004年04月16日(金) 春の祭典in近畿(其の1)

 「H・アール・カオスは凄いゾ~!」の巻

 宿直勤務を終えた私は、いったん帰宅し、ひと息ついてから大阪に向け出発した。心斎橋にホテルをとり、荷物を置いて、難波周辺を歩く。
 戎橋(グリコのマークが燦然と輝いてる所)のたもとにある「キリンプラザ大阪」にて、H・アール・カオス「春の祭典」公演を観た。2月に東京での公演(「人工楽園」)を観て以来、H・アール・カオスのステージを心待ちにしていた。先に結論を言ってしまうと、今回の公演も期待を裏切らない舞台であった。
 もっと広いホールを想像していたが、定員100名弱の小劇場だった。私は最前列に席をとり、開演を待つ。足元から30㎝ほど先は段差無しのステージだ。こんな間近で観られるとはとても幸せだと思った。
 前半は、トップダンサー・白河直子によるソロ・ダンス。さすがに一つひとつの動きにムダがなく、キレがいい。15分ほどだったろうか、けっこう激しい動きの連続なのだが、匂い立つような濃密な舞台空間を創り出していた。私のすぐ目の前で、足を高く蹴り上げるシーンがあったのだが、カミソリのようなキレの鋭さを感じさせる動きだった。白河がとてもとても大きく見えた。
 休憩を挟んで、後半は「春の祭典」。ストラヴィンスキーの「春の祭典」をバックに、白河をはじめ5人のダンサーがステージ狭しと踊り回る。ダンサーの一挙手一投足から目が離せない。天井から吊り下げられたイスと絡みながらの踊りは動きとして非常に面白く、途中ダンサー自らも宙づりになりながら目にも止まらぬ速さで回転した場面があり、圧巻だった。それと、白河が舞台下手に置かれたバス・タブに沈み、そのすぐ後に髪を振り乱して激しく動くシーンも、「春の祭典」のハイライトと言っていいだろう。
 卓越したダンス・テクニックに加え、濃密な物語性を感じさせる演出が素晴らしかった。その美意識は、「劇団pHー7」のそれによく似ているとも思った。
 そう言えば、「pHー7」の舞踏劇「澱の匂い」も今日が初日のはず。私は、次週に観に行くことにしているが、こちらも素晴らしい舞台になるものと期待している。



2004年04月13日(火) ボ・ディドリー

 夕方、今池・ボトムラインへ、友人Yさんとボ・ディドリーのライブに出掛ける。10年くらい前、ボ・ディドリーが新栄のダイヤモンド・ホールに来た時にもYさんと出掛けたんだよな。
 御年75歳のボ・ディドリーは、50年ぐらいのキャリアを持つロックンロールの帝王で、長年にわたり多くのミュージシャンに影響を与え続けてきた。はじめて生で聴いたのが約10年前、60代前半のボ・ディドリーはとてもパンチの効いた演奏をしていた。独特のギター・スタイルといい、音楽の幅の広さ(ブルース、R&B、レゲエ、ロックンロールなど)といい、そのパワフルな演奏には人々を陶酔させる魔法の力があった。
 今回、「これが見納めになるかも」などと不謹慎なことを考えながら、ライブに出掛けた。でも、ボ・ディドリーも寄る年波には勝てなかったということなのか、声にハリがなかったし、1時間ちょっとでアンコールもなくライブ終了。少しさみしかったな。
 ・・・人生はあまりに短く、歳月は人を待たない。



2004年04月12日(月) 「人道支援」

 今日も、イラクでの「日本人人質事件」について触れたい。
 一時は「人質解放声明」も出され、事件は解決されたかに思われたが、依然「解放」の情報はなく、膠着状態が続いている。
 それにしても、政府の対応には首を傾げざるを得ない。福田官房長官や川口外務大臣の鉄面皮を見る度にゾッとするのは、たぶん私ばかりではないだろう。「人質」のご家族の発言の端々にも、政府に対する不信感が滲み出ている。
 小泉首相にしても、何故ご家族に会おうとしないのか。もし「自衛隊撤退」をしないという確たる信念があるのなら、ご家族に会ってそのことを納得していただこうと努めるのが、誠意ある対応というものではないか。反対の声も強かった「自衛隊イラク派遣」を強行した小泉にそんな期待はできないことはわかっているんだけどね。小泉は、アメリカの顔色を窺っているだけで、国民のことなど眼中にないに違いない。
 けれども、「人道復興支援」の名目でイラク入りした自衛隊が、現地住民に届く支援を行っているとは到底思えない。「即時撤退」を拒否するだけの立派な活動など、何ひとつできていないのではないか。その一方で、草の根の人道支援を実践しようとしていた方々、イラクの現状を世界に発信しようとした方々が「人質」になってしまった今回の事態を思う時、あくまでメンツにこだわり、民間人を「見殺し」にしようとしている人々の姿におぞましさを感じざるを得ない。
 私は、近日中に3人の「解放」が確認されるものと期待をもっている。けれども、3人の「解放」が確認されたからといって、「一件落着」とはならないとも思っている。依然「戦争状態」にあるイラクの現状を思えば、「ブッシュの戦争」がいかに愚かな行為であったか、また、その「不正義」に荷担する日本政府の「選択」が誤りであったことは、火を見るより明らかである。
 それと忘れてはならないのが、「イラク戦争」での一番の被害者は罪なきイラク民衆に他ならないということ。ブッシュがイラクに対して行ったことは「アメリカの敵」を増やしたことでしかなかった。そして、その上に小泉は「日本人の敵」をつくり出す結果を生み出した。イラク民衆が「暴徒化」したとしても、アメリカや日本にはそのことを責める資格などないのだ。そして、あまりに不幸な形として今回の「人質事件」が起きてしまった。ブッシュや小泉のメンツのために「人質」が見殺しにされるようなことは、断じて許されることではない。
 「報復の連鎖」に終止符を打つ。そのために何ができるのか、人類の叡知が試されている・・・。



2004年04月08日(木) 「イラクの日本人人質事件」に思う

 イラクで3人の日本人民間人が拘束され、「自衛隊の即時撤退に応じなければ殺害する」との脅迫がなされた。「大義なきアメリカのイラク介入」とそれに追随する「自衛隊派遣」がこのような事態を招いたのは明白であるが、そのことについて小泉首相はじめ政権側にいる人間は責任をとろうとしていないようだ。
 「テロに屈しない」「自衛隊の撤退は考えていない」などと強気の発言の一方で、解決の手だては見いだされていないようだ。このままでは、民間人3人(草の根の人道支援をされてきた「日本の誇り」ではないか)を見殺しにするだけではないか。小泉首相や政権側にいる人間には彼らなりの考えはあるのかもしれない。けれども、今回の人質事件では何より人命がかかっている。小泉首相には「自衛隊の即時撤退」という「苦渋の決断」を強く望みたい。自国民の生命と安全を守れずして、「イラクの復興支援」などということはありえないのだと、心してほしいものである。



2004年04月06日(火) プロレスリング・ノア

 今日、仕事はお休み。朝から昼過ぎまで眠ったにもかかわらず、まだだるい感じが残っている。
 それでも、夕方には、名古屋国際会議場イベントホールへと出掛けていった。そこで、三沢光晴率いるプロレス団体「ノア」の興行が行われていた。
 メインやセミ・ファイナルでは、三沢光晴、小橋健太、秋山準といった「ノア」を代表する選手たちが熱戦を展開。全部で7試合あったが、どれも見応えのある試合ばかりであった。第1試合では、故・力道山の次男、百田光雄(55歳)もなかなか熱いファイトを見せていたよ。
 今月は、まだこれから「大阪プロレス」や「闘龍門」も観戦するし、総合格闘技の試合(「DEEP」)も大阪で観る予定にしている。こんな頻度でプロレスや格闘技を観る経験ははじめてだけどね。そういえば、芝居にしたって今年はいつにないハイペースで観ている。ここまできたら、「依存症」的と言ってもいいくらいだ。その分、アルコール摂取量は大幅に減ってるから、う~ん、やはり「依存症」と言うべきか。でも、たとえ「依存症」であろうと、私はそれを「治療」しようなどとは決して思わないのだ。その「病気」を自分のなかでうまく飼いならしていけばいい、と考えている。まあ、半分開き直りに聞こえなくもないだろうけどね。



2004年04月04日(日) 「雨の柳ヶ瀬」(?)、そして「澱の匂い」

 岐阜在住の詩人・みおよしき氏より誘いを受け、岐阜までギター持参で「花見」に出掛けた。「満開の桜の下で詩を詠もう!」ということだったが、あいにくの雨のため、「花見」の宴は断念。予定を変更して、カラオケボックスでポエトリー・リーディング等を行うことになった。
 参加者5人での宴会で、私はギターかき鳴らしながら歌い、また、「雨の柳ヶ瀬」なる妄想的即興詩を詠んだりもした。「花見」が満足にできなかったのは残念だったが、楽しいひとときを過ごすことができた。

 夕方、名古屋に戻り、「劇団pHー7」稽古場へ。今夜、舞踏劇「澱の匂い」公演に向けての「衣装・メイク合わせ」を含めた「通し稽古」が行われた。期待をはるかに上回る出来で、本番が楽しみになってきた。まあ、好き嫌いははっきり分かれる芝居だと思うが、「アングラ芝居」や「暗黒舞踏」が好きだという方なら(そんなに多くはないかな?)お薦めできる作品だと思う。できるだけ多くの方に観ていただきたいものである。



2004年04月03日(土) 映画『ふくろう』

 年度始め、職場は体制も一部変わり、少しバタついていますね。季節の変わり目ということも相まって、私はちょっと疲れ気味です。
 と言いながら、夕方、名駅・シネマスコーレに映画『ふくろう』を観に行ってきました。「新藤兼人監督(91歳)が、満州引揚者の、その後の入植先になった開拓村を舞台に撮った」とされる映画です。国策に翻弄された母娘が出てきますが、悲惨さを前面に出すことなく、ブラックユーモアたっぷりの「復讐のコメディ」として描かれていました。何より大竹しのぶの存在感に支えられた映画だったと思います。


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