北野武・監督による映画『座頭市』を観てきた。 結論的に言えば、黒澤映画の「二番煎じ」との印象が否めなかった。タップのリズムを導入するなど工夫のあとは見られたが、映画全体の出来はいまひとつのように思った。 それと気になったのは、「めくら」という言葉の使い方である。「めくら」は差別用語だから不適切、ということを言いたいのではない。問題は、「めくら」という言葉を敢えて用いるだけの「思想」が表現者の側に果たしてあったのか、という点である。北野武演ずる「座頭市」が「悪党」の目を斬りつけ吐きかけた言葉、「めくらになって惨めな人生を送れ」といった意味合いの言葉のなかに、薄っぺらな「思想」が透けて見えた。「視覚障害者」イコール「惨め」と言ってるようなものではないか。その程度の表現のために「めくら」という言葉を敢えて使ったのだろうか。表現者として想像力に欠けるのではないか、というふうに私は観たのだが、どうであろうか。
今日は、早番のお仕事を終えた後、伝馬町の「ぽえ茶」(詩の朗読会)会場へ急行するが、朗読会は終わってしまっていた。その代わりと言うわけではないが、そこから朗読仲間とカラオケに行った。2時間の予定を1時間延長して、3時間歌いきった。
ついこの前10月になったばかりと思ったら、もうすぐ11月なんだね。去年の大晦日「紅白歌合戦」で中島みゆきが「地上の星」を歌ったのを観たばかりなのに、2003年もあと2ヶ月とはね。 気がつけば、俺もあと2,3年すると40に手が届いてしまうんだな。いつまでも若いわけじゃないってことはわかりきっている。でも、この年になって俺は一体何を手にして、何を失ったのだろうか。 少年の頃見た夢、思い描いた理想と、30代後半の俺をめぐる現実。どこまで俺は思い通りの人生を歩んできただろうか。重松清の『かかしの夏休み』には、どこにでもいそうな40歳前後の男性が登場し、その年代にありがちな悩みを持ちながら現実を生きる姿が映し出されている。どこか俺自身とも重なるところがあって感情移入しながら一気に読んだ。 また、タイプは違うけど、馳星周『虚の王』(渋谷を舞台としたハードボイルド)も一気に読んだ。これも面白かった。『かかしの夏休み』も『虚の王』もともに現代の世相を見事に切り取っていると思うよ。一読をおすすめする。 まあ、秋の夜長、本を読むのもいいものだよ。
今夜、腹話術師・いっこく堂のショーを名古屋市民会館まで観に行ってきた。テレビですっかりおなじみということもあって新鮮味はなかったけど、それでも十分に楽しめた。文楽の人形遣いとはまた違うのだけれど、いっこく堂の人形たちもいっこく堂の手にかかると生命が吹き込まれたかのように動き始めるのだ。家に帰ってひとり腹話術に挑戦してみるが、何だかとても淋しく、また「こんなとこ、他人に見られたくないな」なんて思ったりしてね。まあ、表現ということ自体、そういった側面はあるんだけどね。
2003年10月12日(日) |
悩み多き者よ2003 |
今池のライブハウス「源」に、斉藤哲夫ライブ(元「はちみつぱい」の渡辺勝が共演)を聴きに行った。20人も入れば満員といった感じの狭い空間でのライブ。私の好きな「悩み多き者よ」は70年代フォークの典型みたいな歌で、歌詞が哲学的。以下、引用する。
悩み多き者よ 時代は変わっている すべてのことが あらゆるものが 悲しみの朝に 苦しみの夜に たえず時はめぐり繰り返されている
ああ人生は一片の木の葉のように ああ風が吹けば何もかも終わりなのさ (斉藤哲夫「悩み多き者よ」より)
哲夫さんはライブの後、急いで東京に帰り、翌日はお仕事だそうな。生活のために仕事をしながらも、好きなライブを続けているってことなのね。見た目は「普通のおっさん」然とした哲夫さんだが、自分のスタイルで歌い続けているっていう姿勢は好印象だった。
名駅・シネマスコーレに映画を観に行った。 昼には、今年亡くなられたレニ・リーフェンシュタール監督(享年101歳)の『ワンダー・アンダー・ウォーター』と『アフリカへの想い』を観た。100歳で完成を見た『ワンダー・アンダー・ウォーター』で、彼女は水中世界の美を追求している。71歳の時に、年齢を51歳と偽ってライセンスを取得し、水中写真を撮り続けたという。また、1975年以来彼女が25年ぶりにアフリカを訪れたときの映像が『アフリカへの想い』(レイ・ミュラー監督)としてまとめられた。彼女のエネルギッシュな生き方には驚かされるばかりだ。 けれども、彼女はその生涯を通じて「ナチの同調者」との烙印から逃れることができなかった。ダンサー・映画女優を経て映画監督となった彼女は、ヒトラーからの依頼により1934年ナチ党大会の記録映画『意志の勝利』を、また36年ベルリン・オリンピックを撮った『民族の祭典』『美の祭典』を発表。いずれもニュース記録以上の美的映像として仕上がり、高い評価を受けた。だが、その高評価は戦後一転し、「ナチの同調者」として彼女は批判にさらされることとなった。 1993年に発表されたレイ・ミュラー監督のドキュメンタリー映画『レニ』(レニへのインタビューを中心に構成されている)のなかでの彼女の発言等から判断すれば、彼女は自分が撮った映像がプロパガンダに利用されることに対してあまりに無自覚であり無防備であったと考えられる。美しい映像を創り出すことにおいて一流の才能を持ったはずの彼女には、表現者が最低限持つべき「社会的責任」の意識が欠落していた。自らの表現が他にいかなる影響を及ぼすか、その問いかけが表現者にはあってしかるべき、と私は考えるのだが・・・。
夜、パレスチナ映画『ガザ回廊』を観、足立正生氏(映画監督。「日本赤軍」の活動家でもあった)と若松孝二氏(映画監督。「シネマスコーレ」のオーナーであり、「日本赤軍」のシンパでもあった)のシンポジウムを聴く。 結局、20世紀中に「パレスチナ問題」の解決を見ることはなかった。そればかりか今世紀に入ってから、情勢はますます深刻になっているのではないか。イスラエル当局の無法ぶり、それを支持するアメリカ政府、無関心な国際社会・・・、パレスチナ人はやり場のない怒りを石つぶてにこめるしかないのだろう。 インティファーダ(抵抗)。映画のなかで、顔立ちはまだ幼いパレスチナ人の少年が強い意志をもって自らの決意を語っている。「こんな幼い少年がなんて立派な」と思うと同時に、「本当はもっとのほほんと少年時代を送れるといいのに」とも思う。彼らはいわば「少年時代」を奪われているのだ。 世紀を越えて「問題」は山積したままだ。
2003年10月08日(水) |
御園座 DE 歌舞伎見物 |
今夜、御園座に歌舞伎を観に行った。今秋の顔見世興行は、二代目中村魁春襲名披露も兼ねていた。 「夜の部」の演目は、「一条大蔵卿」(一条大蔵卿を演ずるのは、「鬼平犯科帳」でもおなじみの中村吉右衛門)、「かさね」(魁春と片岡仁左衛門が共演)、「大津絵道成寺」(中村雁治郎五変化)、合間に「二代目中村魁春襲名披露口上」があった。吉右衛門はちょっと期待はずれ、仁左衛門はほぼ期待どおり、雁治郎は期待以上の舞台だった。 「大津絵道成寺」は、女形舞踊の最高峰「娘道成寺」のパロディだが、雁治郎が早変わりで5つの役を見事に演じ分けていた。昨年ゴシップもあった雁治郎だが、70歳とは思えぬキレのよい動きは小気味よく、色気がにじみ出ていた。揺るぎない存在感を示した舞台と言えよう。「今日は、雁治郎を観られただけでも十分満足した」と言ってもよかった。 歌舞伎は繊細ななかにもダイナミックなやつがいい、と個人的には思っている。
2003年10月04日(土) |
ジェニン・ジェニン 夏撃波・過激派(?) |
いま名駅西の映画館・シネマスコーレでは、「パレスチナ映画祭」なるものが開催されており、今夜は第1日目ということで、ドキュメンタリー映画「ジェニン・ジェニン」の上映と、重信メイさん(「日本赤軍」のリーダー・重信房子の娘)の講演会が行われた。
「ジェニン・ジェニン」は、2002年4月にイスラエル軍がパレスチナ自治領のジェニンにある難民キャンプを攻撃し住民の虐殺があったとされる事件を追ったドキュメンタリーである。隠し撮りカメラで虐殺現場をとらえた映像は、イスラエル当局に押収される危機に直面し、制作者が自宅で銃殺されるという痛ましい出来事もあったという。パレスチナの今日を映し出した映像は、そこで日常的に繰り返される暴力と悲劇とをさらけ出し、イスラエル当局の無法ぶり、それを支持するアメリカの姿勢、無関心な国際社会をあぶり出してもいる。
上映後、重信メイさんの公演を聴く。「重信房子の娘」として生まれアラブ社会で育ったメイさんの目から見たパレスチナについての話が中心だった。 それにしても、「重信房子の娘」として生まれ落ちた時から運命づけられた人生というのか、他では決してあり得ない経験を伴った人生が待ち受けていたというわけだよね。 いや、待てよ。多かれ少なかれ、人はそれぞれに運命を負って生きているに違いないのだと思い直す。メイさんの場合は、それが際立っていたというに過ぎないのだ。 命はひとつ、人生は一回、だから捨てないようにね(フォークシンガー・加川良の「教訓Ⅰ」という曲の一節)、ということだと思うよ。
2003年10月01日(水) |
白石加代子「百物語」 |
10月になってしまった。2003年もあと3ヶ月ということか。今日も昨日と変わらぬ一日、そんなふうに思って毎日をやりすごしているうちに、確実に時間は経ってしまったんだな。
今日は、名古屋市中心部で研修があった。研修終了後、アートピアホール(ナディアパーク内)へ白石加代子の「百物語」を観に行った。朗読劇のようなものとでも言えばよいのか。サキ『開いた窓』、ヒュー・ウォルポール『銀の仮面』、夢枕獏『踊るお人形』の3作をやってた。前2作はいまひとつの感もあったが、夢枕作品では白石の本領が発揮されていたように思う。何役も見事に演じ分け、観客を白石の作りだす世界に引き込んでいった。力もいい具合に抜けていて、さすがは名女優だね。いい勉強になったよ。 舞台からは遠ざかるばかりの日々だが、再び舞台に立ちたいものよのう。
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