昼、ブロードウェイ・ミュージカル『ウェスト・サイド・ストーリー』(ミラノ・スカラ座バージョン)の来日公演を観てきた。芝居好きの私も、実はミュージカルが苦手。今まで観てきたミュージカルの代表が「劇団四季」。「四季」のミュージカルって、「地に足がついていない」というか「身の丈に合っていない」というのか「押しつけがましい」という印象が強くて、それがそのままミュージカルへのアレルギーにつながっているんだろうな。 で、今回の『ウェスト・サイド・ストーリー』だが、「劇団四季」のミュージカルなどとは違い、ごく自然な感じで演じられているとの印象を持った。この「ごく自然な感じ」というのは難しいことではあるが、「自然に」演じられることにより観客の側も物語に入り込めるのだと思う。ブロードウェイ・ミュージカルの最高傑作の魅力を損なうことなく演じられていたかが、おそらく成否の分かれ目であろう。 今回、『ウェスト・サイド・ストーリー』がよく出来た作品であるとの認識をあらためて強く持った。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにしながら、設定をニューヨークのウェストサイドに置き換えたとされるミュージカルだが、その面白さはシェークスピア作品に決してひけをとっていない。ギャング同士の抗争のはざまに揺れる男女の恋の物語がメインであるが、背景にアメリカの社会病理、とりわけ人種問題が浮かび上がってくる。大上段に構えて「社会問題」を訴えるタイプの芝居と異なり、ステージそのものの面白さと相まって心に何かを残してくれるのだ。まあ、今回はホンの力が大きかったと思う。少なくともホンの魅力を損なわない舞台であったとは言えるが、演者に対してはもっと多くを注文したかったな。
夕方、今池「TOKUZO」にて「シカラムータの突然変異」ライブを楽しんだ。「ソウル・フラワー・ユニオン」などにも参加していた大熊亘(クラリネット奏者)をリーダーとした「チンドン・パンク・ジャズ」集団のライブは楽しかった。でも、「ソウル・フラワー」の中川敬のボーカルを聴きたいという思いにとらわれたな。
それにしても、もう8月も終わり、夏は去りゆこうとしている。それとも、まだこれから暑さが到来するのかな? やれやれ、時が過ぎゆくのは早いものよのう。
2003年08月29日(金) |
映画ってホント素晴らしいですね! |
今日は、映画を2本(?)観てきた。ひとつはアメリカのドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』(矢場町・ヘラルドシネプラザ)、もうひとつは山村浩二監督による短編アニメ集(今池・シネマテーク)。
前者は、自らも映画女優であるロザンナ・アークェット監督が同業の女優へのインタビューを通じて、ハリウッドの風潮(「女優の場合、40歳代を迎えると突然お払い箱になってしまう」)や、家庭と仕事の両立とか今後の生き方などの悩みを抱えながらも力強く生きようとする女優の生きざまをとらえている。映画女優は一方において憧れの的であり特異な存在ではあるが、他方でごく普通の女性が持つのと同様な悩みを抱えながら生きている。「若さ」に高い価値を求める社会にあって、特に40歳代を迎えた女性は生きづらさを感じずにはいられない。 そこでは、女性に向けられる社会のまなざしが浮き彫りにされるが、同時に社会が個人というものをどのように見ているのかという点にも気づかされる。男性=加害者、女性=被害者という構図は一面においては紛れもない真実ではあるが、一方で加害者と被害者の関係というものは決して固定的なものではなく、加害者であったはずの男性が被害者に「転落」することだってあるし、女性の間だけでも加害・被害の関係が存在したりもする。つまり、何を言いたいかって言うと、「女性問題」と思われていることが、実は男性にとっても本来は切実な問題ではないかってこと。 性別の違い、年齢の違い、「民族」「国籍」等の違い、障害の有無、などと人間は一人ひとり違い、そのことこそが素晴らしいことなのだ。そうした価値観を共有できたなら、素晴らしい世界が生まれるに違いないのだが・・・。なかなか壮大なテーマに行き着いてしまったようだ。
ヤマムラ・アニメーションにも触れておこう。宮崎駿監督の登場により日本のアニメの歴史が大きく変わったことに違いはないが(今年、『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞・長編アニメ部門の栄光に輝いた)、その陰に隠れてしまった山村浩二監督の活躍を見逃してはならない(『頭山』が今年のアカデミー賞・短編部門にノミネートされた)。多彩なアニメ技法と意表を突く展開で観る者をヤマムラ・ワールドに引きずり込んでしまう。一つひとつの作品が数分で完結するのだが、短いなかにぎっしりと詰まった中味は十分に味わい深く、満足のいく内容である。宮崎アニメの素晴らしさは今更言うまでもないが、それとはまた別の才能が日本アニメ界に存在することを認識したのであった。 うまく言い表せなくてもどかしいのだが、初めて寺山修司の映画作品に出会ったときの鮮烈な印象、それに似た感動を味わった。おわかりかな? ますますわからなかったりして。まあ、ぜひ観てみてよ。
と映画三昧の一日だったが、明日はミュージカル『ウェスト・サイド・ストーリー』を観に行って、夜はライブを観に行くぜ。 で、明後日はまたお仕事。いやいや、今は楽しいことだけかんがえようっと。 では、さよなら、さよなら、さよなら。
2003年08月22日(金) |
太陽が身を焦がすぜ〜 |
今日は、本当に夏らしい一日だった。 午前中はウダウダしてたけど、午後からは出掛けたよ。
日中は、今池・シネマテークで映画『蒸発旅日記』を観た。漫画家・つげ義春のエッセイを山田勇男監督が映画化したものだ。山田監督は、かつて寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷の団員であり、寺山映画のスタッフでもあったという人物。10年ほど前に劇場公開された山田作品『アンモナイトのささやきを聞いた』は面白かったし、評価も高かったようだ。だから、その山田監督がつげワールドをどう見せてくれるのかと楽しみにしていた。予告編も面白そうだったし・・・。 でも、実際本編を観てみるともの足りない感じがした。予告編の方がよっぽど面白かったよ。寺山修司の影響はところどころ感じられたが、何か中途半端に映った。それとつげ義春の魅力がほとんど引き出されていないように感じられた。原作はとてもいいはずなのに残念だった。 「蒸発」というのは潜在的な願望としてあるんだよな。人は社会生活を送るなかで知らず知らずのうちにあらゆることに拘束されるようになる。そうした拘束が時として非常に窮屈に感じられ、現実に自分が置かれた状況から逃げ出したい衝動に駆られることもある。現在の場所とは違うどこかで、今とはまったく違う何かをつかみとれるのではないかと思ってみたり。人間てやつは漠たる不安を内に抱え込んでいる存在なんだろうな。時々思い出したかのようにつげ作品に触れてみると毎回違った感じ方をするのだが、どこかで共鳴するんだよね。
夕方、名古屋ブルーノートで行われたセルジオ・メンデスのライブに行った。セルジオ・メンデスと言えば、ブラジル音楽界のスーパースター、「マシュ・ケ・ナダ」の世界的ヒット(1966年)で知られる。私、ブラジル音楽も好きなんだ。とか言うと節操ないみたいに聞こえるかもしれないけど、でもね、いいものはいいのだからしょうがない(ジャンルは関係ないんだ)。「マシュ・ケ・ナダ」は特にノリがよくていいよ。 o oooo aria aio opa opa opa〜 それにしても、名古屋ブルーノートに初めて行ったけど、私がよく行くライブハウスとは雰囲気がまったく違うね。チケット代も飲食代も高いし、そのためか年齢層高いし、ちょっとハイソを装った雰囲気だったよ。私みたいに軽装(チノパンにTシャツ)で来ている人は見かけなかったからね。
ブルーノートを出て雑踏を歩いていると、向こうから和服美人が手を振って微笑みながら私のほうに寄って来るではないか。一瞬気がつかなかったが、スーパー一座の女優Yさん(主演級)ではないか。10分ほど立ち話。こんな時にも私たちの会話のほとんどは、芝居の話だ。でもね、同好の士とはよいものだ。お互い、どこかで通じ合うものがあるんだよね。年末にはスーパー一座のロック歌舞伎、観に行くぜ〜。まだ、しばらく間があるけどね。
今夏めずらしいくらいの暑い今日一日だった・・・。
2003年08月19日(火) |
ジャグリングに初挑戦! |
今日、仕事はお休みだったのですが、午前中は歯医者さんへ。毎度のことながら口を開けて診てもらうのですが、うら若き女性の歯科衛生士さんに私めの汚い口の中を見せるなんて、恥ずかしくてしょうがないです(男性の歯科医師相手なら平気)。うわべだけ繕ってみたところで(別に繕っていないか)、恥部は隠しようもないのですから。まあ、自意識過剰になるよりは、人間なんてそんなものよと開き直ってしまいましょ。気にしたってしょうがないし、すべてはなるようにしかならないのだから。
で、午後はお楽しみ、遊びの時間。クラウン(道化師)のパフォーマンス集団「プレジャー企画」が、ジャグリングやバルーン(風船)のパフォーマンスを手ほどきしてくれる、そんな体験講座が今日行われるとの情報を得て行ってまいりました。 時間は1時間半ぐらいで短かったのですが、もうちょっと練習すれば何とかなりそうなくらいまで(?)上達しましたぜ(私は、「シガーボックス」に挑戦してみました)。こんなことも芸の肥やしにでもなればいいなあ、なんてことを思っていますけどね。まあ、単純に楽しかったです。
仕事は相変わらず忙しいが、その合間を縫って最近は映画を観る機会が多い。 最近観たなかで印象に残っているのが、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』と『白百合クラブ東京へ行く』だ。 前者は、制作中止に追い込まれたテリー・ギリアム監督の映画『ドン・キホーテ』の制作現場を追ったドキュメンタリー。ロケ地での洪水等の被害や主演の入院等、多くの災難に追い込まれながらも映画『ドン・キホーテ』にかける夢を追い求めようとするギリアム監督の姿そのものが、まるでドン・キホーテそのもののように映った。それと、このドキュメンタリー自体がとてもドラマチックで映画的。未完の『ドン・キホーテ』の見事なまでの「予告編」となっており、映画『ドン・キホーテ』が完成した折にはぜひ観たいものだという思いを起こさせた。 後者は、第二次世界大戦直後に石垣島で結成し今日まで57年に亘る活動を続けている楽団「白百合クラブ」が初の東京公演(ザ・ブームとも共演)を行うまでのプロセスを追い続けたドキュメンタリー。年老いてなお心から音楽を愛し、ステージでいきいきとしてパフォーマンスを繰り広げている姿は、観る者に元気を与えてくれる。 以上の2作品はまったく傾向の違った作品に仕上がっているが、ともに訴えかけてくるのは「生きている以上は夢を持ち続けよう」という力強いメッセージではないかと思う。 私もまだまだこの先ひと花、ふた花咲かせなければ。そんな思いを持ち続けていきたいものである。
2003年08月13日(水) |
ナゴヤ・ブルージー・ナイト |
音楽の趣味が合う女友達(かつての仕事仲間)と木村充揮ソロ・ライブ(新栄「アポロハウス」)に行った。木村充揮と言えば、元「憂歌団」のボーカリストであり、日本語ブルースの草分け的存在である。大阪的なノリと言うのか、お客との掛け合い漫才のようなMCも彼ならではの味ではあるが、渾身の力を込めて彼独特のダミ声で歌う姿はとてもソウルフルかつブルージーである。 日本の風土に根ざしたディープな日本語ブルースを歌い始めたのが、在日コリアンというルーツを持ちながらコテコテの関西人でもある木村だった。不思議と言えば不思議だが、歴史的必然と言えば必然であったかもしれない。 やはり魂に訴えかけてくるような歌というものは、聴いていてホント気持ちいいもんだね。歌に救われることって多いな〜ってホント思うよ(芝居によって救われることもあれば、もちろん人によって救われることもあるけど)。 そして、ライブが終わった後は、旨い酒だね。ほろ酔い気分で、憂歌団の「嫌んなった」を歌えば、幸せやね。
嫌んなった〜 もう駄目さ〜 だけどクサるのはやめとこ〜 陽の目を見るかも この俺だって〜
2003年08月12日(火) |
自分が自分であるために |
せっかくの5連休、どこかに遊びに行きたい気持ちもありながら、日頃の疲れがドッと出て、今日も自宅でウダウダ。 でも、本を読んだよ。阪井由佳子『親子じゃないけど家族です〜私が始めたデイケアハウス』をイッキに読み、いま鷲田清一『老いの空白』の冒頭を読み始めている(厳密には、他にも何冊か並行して読み進めているが)。 ひとの支えあいというものが介護というかたちでしか表象されないというのは、<老い>にとって不幸なことである。(中略)じぶんはお荷物、厄介者でしかないのではないか・・・と思いつめながら生きるというのは苦しいことである。が、この時代に、そういう思いにとらわれることなく老いえているひとが、はたしてどれくらいいるだろう。(中略)<老い>の場所はない、ほとんど空白になっているというのが、寂しいけれどいまの<老い>のかたちなのではないか。そういえば、「居場所」というものに、この時代、老人だけでなく若者もまた渇いている。(鷲田前掲書より引用)
う〜ん、日頃私が感じていたことがそこに書かれていた。そうなのだ。<老い>が介護問題だけに矮小化されて語られてあることへの違和感。単にケアの対象としてしかとらえられていない高齢者に対する社会のまなざし。そこには、<老い>をいかに主体的に生きるべきかという視点が欠如している。「老人福祉」の名の下に行われていることのなかに違和感を覚えることも少なくない(老人を「子供扱い」しているとしか思えない場面はたくさんある)。まあ、私のフィールド(?)とも言うべき「障害者福祉」の現場においても同様のことは言えるのだが。
阪井前掲書も共感しながら読んだ。富山の「デイケアハウスにぎやか」の代表でもある著者が、知り合いの身障者に「自立とは何か?」と質問したところ、「自分が自分であること」という答えが返ってきたという。だが、他人の手を借りながらも主体性を持って生きるということは現状かなりの困難を伴っているとも言える。 例えば、「障害者施設」で生活する一人ひとりの障害者に対して、施設は本人の希望や意思とは関係なく「支援計画」なるものを決定する。障害者一人ひとりの思いに寄り添うことなく、逆に施設側の都合を押しつけるということも少なくないというのが現状だろう。もちろん、それでいいわけはない。けれども、この問題の根は実に深いのだ。意外と知られていないことだが、「福祉の現場」において<主体的に生きる>という視点は絶望的なまでに欠如していると言わざるを得ない。年をとろうが、障害があろうが、本人が自らの生き方を選び取っていくべきなのだ。そのことに対する自覚を持つことが「福祉」に携わる人間に最低限必要なことだと、私は思う。 偉そうなことばかりは言えないけれど、少なくとも他人の痛みに対して常に想像力を働かせていきたい。それと、自分が決して譲れないという部分を大事にしたいとも思うのだ。
2003年08月10日(日) |
何もできなかった・・・ |
今日から連休に入った。予想していたとおり、ホッとして疲れが出たのか、今日は一日爆睡。目覚めても、何ひとつやる気が起きなかった。かくして何もせぬうちに一日は終わってしまった。 思えば、この1ヶ月余り、新たな職場での仕事に戸惑いながら過ごしてきた。何だか訳もわからぬうちにアッと言う間に1日が過ぎ、1週間が過ぎ、といったふうであった。 ホントはもっと余裕がほしいのだけれど、人事異動に伴い、生活パターンの変更を余儀なくされ、その生活に身も心もついていけていない状況にある。今は気持ちの上でも苦しいが、いや苦しいがゆえに逆に自分らしさを失わずにいきたいと思うのであった。
2003年08月03日(日) |
むすめ歌舞伎、大野一雄、スーパー一座・・・ |
8月になってから、だいぶ夏らしくなり、と言うか、急に暑くなり、身体がついていかない。ついでに歯痛で夜も眠れず、痛み止めも効かずに、苦痛の表情を隠しきれない。 そんな不快な状況にありながら、今日は芝居見物なぞに出掛けてしまった。午前中は「名古屋むすめ歌舞伎」公演を千種文化小劇場へ、午後「大野一雄」小公演を愛知県芸術文化センター(アートスペースA)へ、夕方「スーパー一座」の大須オペラ公演を大須演芸場へ、それぞれ観に行った。3つの公演とも、それぞれに素晴らしい公演であった。
まず、「名古屋むすめ歌舞伎」。今年は歌舞伎発祥400年にあたるようだが、7年ほど前初めて歌舞伎の面白さに目覚めさせてくれたのが「名古屋むすめ歌舞伎」だった。文字通りの「むすめさん」も「かつての、むすめさん」(失礼!)も含めて女性ばかりで演ずる歌舞伎集団だが、ベテラン勢の立ち居振舞いはご立派としか言いようがない。今回はいつもに比べてこぢんまりとした印象が強かったが、それでもまあまあ満足のいく内容であった。
さて、順番から言えば、大野一雄に触れるべきところだが、それは後に十分触れたい。先に、「スーパー一座」の大須オペラについて。 毎回それなりに面白くハズレはないのだが、今回は特に面白かった。特に、今日は千秋楽ということもあったのだが、演者も観客もノリにノッて劇場全体が異様な盛り上がりを見せていた。途中休憩をはさみ、2時間超の舞台をパワフルに演じきっていた。実は観ている間歯痛に喘いでいたりもしたのだが、舞台の面白さに腹の底から笑っていた。
さてさて、大野一雄について触れよう。96歳にして現役の舞踏家、故・土方巽とともに舞踏の第一人者とされる人物である。 10年ぐらい前だったろうか、大阪で「劇団態変」(身障者舞踏集団)と共演した大野一雄の踊りを観た。80歳代後半とは思えぬ身体のキレ、大野が醸し出す濃厚な空気に感じ入った。 大野は2000年に入院生活を送り、以後車いす生活を送っているという。身体は以前のようには動かなくなってしまったが、ひとたび舞台に立てば自然と踊り始めるのだ。下肢の自由は利かず、「指先を動かすだけの」踊り。果たしてあれを踊りと呼ぶべきか、異論もあるかもしれない。だが、私は大野の今日の「踊り」こそが「究極の、踊り」と呼ぶべきものであり、大野こそは「全身舞踏家」であると確信を持った。 大野の指先は表情を持ち、指一本で周りの空気を動かすのだ。大野の精神は所狭しと駆けめぐっているかのようだった。大野自身の生きている証を、燃え尽きることのない情熱を、その生きざまを目の当たりにしたように思った。 息子の慶人(舞踏家でもある)らに支えられて踊る姿は、文楽の人形遣いによって魂を吹き込まれた人形の踊りのようでもあった。 会場全体が感動にうち震えているかのようであった。私も、感動のあまり、絶句してしまった。ここまでの感動には、そう簡単には出会えない。その「歴史的場面」に居合わせることのできた歓びをかみしめている。 と、今日は何とも素敵な一日だった。ただひとつ、歯痛に苦しめられたことを除けば。
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