夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年12月29日(日) 皆さん、よいお年を!

 明日は東京、大晦日・正月は故郷・山梨に帰る。それで今日は部屋の大掃除を始めたわけだが、収拾がつかなくて困った、困った。まあ、正月休み中に何とかなればいいか。

 明日は、東京・新宿へ。昼は、浪曲師・国本武春らによる『ミラクル忠臣蔵』を観に行く。それと夜は、浅川マキのライブがある。今年の遊び納めってわけだ。まあ、実家ではおとなしくしてるけどね。

 それにしても、もうすぐ新年なんて未だに実感が湧いてこない。でも、確かに一年の終わりを迎えているんだな。これが、おそらく今年最後の日記となるだろう。

 今年一年無事にここまでやってこれたのも、「曽根攻を支える人々」(?)の皆様のお陰と感謝しております。皆様方も、どうぞよいお年をお迎え下さい。



2002年12月28日(土) マイノリティー

 昨日で年内の仕事は終了し、9連休に突入した。休み中は、東京で1日遊んでから故郷の山梨に数日帰省(寄生?)の予定。実家に帰る時の気分は何とも複雑なのだけれど・・・。
 それはさておき、今日は今年最後の(たぶん)病院通い。久しぶりに漢方医の診察を受ける。かのドクトルとは10年近いつきあいとなろうか。もともと胃腸はじめ消化器系が弱い私であるが、ちょっと疲れが溜まると弱い部分にどうしてもしわ寄せがくるというもの。で、たまにそのドクトルの診察を受ける。ドクトル曰く、「昔より表情がいいというのか、余裕みたいなものが感じられる」。そうだよな、20代の頃には一つひとつのことを重く背負い込み過ぎていたからね。ぶざまなところも多々あった。でも、一方で私はその頃の自分がいとおしくさえ感じられる。なんだかんだ言っても、今はだいぶ楽に生きている気がする。だからといって、すべてに満足はしていないし、20代の頃には考えもしなかった悩みも一方で出てきた。それっていまひとつ言葉になりきらないものなのだが・・・。

 夕方、自分が出演している芝居のビデオ2本(『檻と盆栽』『幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜』)と「劇団夢の遊眠社」の公演ビデオ(『贋作・桜の森の満開の下』)を観た。
 まず、自分の出演しているものに関しては、気恥ずかしい思いがする。特に、『檻と盆栽』での私の芝居なんぞ下手で下手で見ていられねえって感じだね。
 一方、他人様の出ているものは冷静に見られる。野田秀樹演出の芝居を生で観たことはない。ビデオでもキチンと観るのは初めてだ。で、その感想だが・・・。軽妙な動きといい、機関銃のようにあふれ出す言葉遊びといい、面白いことは面白い。でも、個人的には趣味じゃないんだな。たぶん軽薄より重厚を求めているんだろうな。骨太というのか、泥臭さというのか・・・。
 つまんない芝居は吐いて捨てるほどあるだろうけど、私はどちらかというと「その芝居のよいところを見よう」とする傾向がある。それでも救いようのない芝居はあるけどね。観た後に「よかった」と感ずるかどうか、その良さとはどの程度のものか、といった点については、最後のところでは個人の嗜好の部分が大きいと思う。

 嗜好という話が出たついでに、今日は、私の嫌いなテレビドラマについて綴っておきたい。テレビドラマなんて普段はあまり見ないし、多くは駄作だと思っている(なかには秀作もあるが)。でも、駄作であっても、「愛すべき駄作」と「胸くそ悪い駄作」とははっきり区別しておきたい。その基準というのは「笑えるかどうか」という点が大きい。例えば、『真珠夫人』は「愛すべき駄作」だと思う(ばかばかしくても笑える要素がたっぷりだ)。
 一方、「胸くそ悪い」の代表が『渡る世間は鬼ばかり』ではなかろうか。あれを見ている人には申し訳ないが、あんなものを見ている人の気が知れない。どっちにしろ私は今後も見ることはないのだし、いちいち目くじら立ててまで言わなくてもいいのかもしれないけど・・・。
 でもね、「私、実は芝居やってるんです」と私が第三者に話しかけた際に、例えば「私、劇団四季をよく観るんです」とか「私、お芝居は、トレンディードラマや『渡る世間』ぐらいしか知らないんです」などと返ってきたら(実際あった)、私には後につなげるべき言葉が見つからないのだ(「劇団四季」はまあしょうがないとして、『渡る世間』なんぞと一緒にされた日にゃ〜)。尤も「pH-7」の芝居がイヤだという人もいるだろうし、それとて致し方ないことと思うのだけれども。
 他人様のことを悪く言ってしまったが、相手からすれば、私の方こそおかしいのかもしれない。だいたい私は、大多数が愛するものよりも、少数者が偏愛するもののほうを好む傾向が強い。別に少数者になろうとしているわけではないのだが、気がつけば少数の側にいることが多い。

 とりとめなく書き始めた日記だが、なかなか終われなくなってしまった。ということで、今日はこれにて。



2002年12月25日(水) 書物の森

 今日一日も終わり、年内はあと2日出勤すればいいわけね。あとには、9連休が待っている。でも、いまひとつピンときてない。もうすぐ新年になるんだな。
 今日は、午後から市内某所にて研修。その帰りに愛知県図書館に寄って、6冊の本を借りてきた。6冊とも、たまたま戯曲だ。ちなみに紹介すると、唐十郎『少女仮面/唐版・風の又三郎』、斎藤憐『サロメの純情〜浅草オペラ事始め』、堤春恵『仮名手本ハムレット』、松尾スズキ『ヘブンズサイン』、高取英『ドグラ・マグラ月蝕版』、チョン・ウィシン『ザ・寺山』といったところだ。
 ここんとこ本もたくさん購入しており、持ち金は減っていく一方。でも本は読みたいし・・・。借りる分には懐は痛まないではないか。そんな単純なことすら忘れかけていた。で、今日は図書館に寄ったのだが、本に囲まれた環境は私の心に潤いを与えてくれる。書物は、私を見知らぬ世界に誘う。私は日常の場所にいながらにして、世界の果てまで旅することができる。ほら、世界が私を呼んでいるよ。ちょっとそこまで「旅」してくるぜ。



2002年12月24日(火) サイレント・ナイト

 3連休が瞬く間に過ぎ去り、年内の仕事もあと4日を残すのみとなった。今日はクリスマス・イブ。特に予定もないけど、こんな日に会議だなんて。それに明日参加する研修(名古屋市内で行われる)の資料づくりもしなければならず、会議終了後も残業。特に仕事が詰まっているわけではないが、休み前にある程度片づく仕事は済ませて、すっきりした気持ちで正月を迎えたい。でも、早く帰りたい気持ちに抗えず、最低限の仕事だけ終えて帰宅。
 巷では、クリスマス・ケーキの購入を呼びかけるサンタ姿のケーキ店店員の姿を目にした。クリスマスといい、バレンタインデーといい、毎年必ずやってくるこのような商業主義に毒された日を、私は苦々しい思いで迎える。

 この時期になると必ず流れるメロディーと言えば、山下達郎の『クリスマス・イブ』。山下達郎ってホントいいよな〜。ひとつには音楽的にいいよな〜ってことだけど、それ以上に毎年印税が入ってきていいよな〜ってことだね。
 2匹目のドジョウを密かに狙ってる私でもあった。



2002年12月22日(日) 月日は百代の過客にして

 今朝10時の時報を合図に、私は自宅電話のリダイヤル・ボタンを押す。だが、受話器からは「この電話は只今大変混み合っております。しばらく後におかけ直し下さい」とのアナウンス。
 来年3月のローリング・ストーンズのコンサート・チケットを予約するため、何度も電話するが、なかなか通じない。やっとつながったのが10時45分。結局、3月21日の大阪ドームでのコンサート・チケットをゲットした。

 今日は、劇団pH-7の忘年会。思えば、今年ほど芝居づいていた年はなかったように思う。特に、ここ1週間ほどは一流の舞台を多く観ることができたように思う。今年一年、いろいろあったように思うが、アッという間の一年だった。なんだかんだ言っても、幸せな一年だったとも思う。
 それにしても、酒があまり飲めなくなったなあ。ホントはもっと味わうように飲みたいのだけれど。年はとりたくないものよのう。などと嘆いてみてもしかたないか。
 今年もあと1週間程だな。やり残したことも多かったように思うが、それはまあ来年以降にやればいいだけのこと。これからも、まだ人生は続いていく・・・。



2002年12月21日(土) ザ・チェーホフ

 鈴木忠志演出によるSPAC公演『ザ・チェーホフ』を、静岡芸術劇場に観に行ってきた。日本において、チェーホフは翻訳劇ではおそらくシェークスピアに次いで上演されることの多い作家だと思うのだが、私はこれまで「チェーホフもの」を観たことがなかった。
 『ザ・チェーホフ』は、チェーホフの3つの戯曲『イワーノフ』『桜の園』『ワーニャ伯父さん』をモチーフとしたオムニバスだが、演出的にも面白く、役者もまずまずの出来だったように思う(セリフの言い方がどことなく「クセック」のようでもあった)。でも何よりも私は、チェーホフの戯曲に垣間見られる人生観に対してある種の共感を覚えるのだ。意味の崩壊した世界に存在しつづける人間の孤独・疎外感・喪失感・・・、しかし、そのなかでも人間は生きていかなくてはならないのだ。そんなメッセージを私は受け取るのであった。また、チェーホフを読んでみたくなった。
 



2002年12月19日(木) ザ・カブキ

 一宮市民会館までバレエを観に行ってきた。世界的に有名な振付師であるモーリス・べジャールが東京バレエ団のために創作した「ザ・カブキ」である。
 現代の東京に暮らす若者が江戸時代にタイムスリップし、やがて自らが大星由良之助(大石内蔵助)となって主君の敵・高師直(吉良上野介)を討つことになる、というストーリー展開だ。言うまでもなく「仮名手本忠臣蔵」をバレエの様式を用いて大胆に表現した作品だ。よく知ったストーリーということもあるが、踊りがしっかりしており、2時間程の舞台を大変面白く観た。

 今日は、バレエを観に行くために休みを取った。だいぶ疲れがたまってて(遊び疲れかな?)昼過ぎまで寝ていた。
 明日は仕事の後、職場の忘年会だ。まあ、酒は程々にしておこう。



2002年12月18日(水) サティスファクション

 バンド結成40周年の世界最強ロック・グループが来年3月に来日する。その名は、ローリング・ストーンズ。老いてますます意気盛ん、齢60を過ぎてなお転がり続ける彼らである。
 途中ブランクがあったとはいえ、40年というのは大したものだ。その間には、多くのロック・ミュージシャンが惜しまれながらこの世を去った。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、そしてジョン・レノン、彼らは死んで伝説の人となった。一方、ミック・ジャガーも、キース・リチャーズも、生きながらえて、永遠の不良少年であり続けた。
 ストーンズのサウンドをぜひ生で聴いてみたい。俺は、特にキースのギターが好きなんだな。よし、電話予約するぞ。
 とか言ってる俺も、昔は(中学・高校時代)ストーンズに代表されるロック・ミュージックを毛嫌いしていた。「あんな不良の音楽に近づいてはいけない」と頑なに信じていた。なぜかビートルズやプレスリーは許容範囲だったけどね。洋楽では、サイモン&ガーファンクルとか、ビリー・ジョエルとかを聴いていたっけ。それによくわかりもしないのにちょっと背伸びしてモダン・ジャズなんかを聴いてもいた。でも、どちらかと言うと邦楽のほうを聴いていて(と言っても、まだ純邦楽には目覚めていなかった)、フォーク・ニューミュージックが好きだった。
 そんな俺も大学に入ると、周りがロックの話で盛り上がっているのについていけず、さみしい思いをしたことが何度かあった。で、とりあえず片っ端からロックを聴き始めたのだが、「ミイラ捕りがミイラになってしまった」わけで、当然ながらストーンズ・サウンドにもはまってしまった。
 
 前の職場の同僚にストーンズ・フリークがいて、仕事上では恩義ある方(俺より10歳くらい上)なのだが、共通の趣味である音楽の話になると何時間でも話し続けた。そこでは年の差なんて関係なく、お互い少年少女に若返った気分で語らったものだ。今夜も彼女に電話してみると、ストーンズの話題に終始した。やはり同好の士とはよいものだ。彼女は最近アコースティック・ギターを始めたらしい。俺もそろそろ新しい楽器に挑戦してみようかな。なんせ俺の身近には三味線も三線もウクレレもあるのだから。
 遊ぶことに関してはまったくもって余念がないが、やはり遊びたいその欲求が俺の元気の素になっているに違いない。
 



2002年12月17日(火) ロック歌舞伎、ふたたび

 今日、スーパー一座によるロック歌舞伎公演『けいせい黄金鯱』を再び観に行った。この前観た時、立ち回りがあまりに見事だったので、ぜひもう一度観てみたいものだと思った。スーパー一座の公演はいつも大抵2度ぐらい観るのだが、今回も足が大須演芸場に向いてしまった。1列目のかぶりつきで観たのだが、今回は十分堪能できた。3時間20分の舞台、息をもつかせぬ物語の展開は面白く、役者も今回は非常にノッていたようだ。カーテンコールの時に、おひねりを舞台に投げ入れたった。
 終演後、楽屋に立ち寄り、ベテランの座員たちと歓談。しばし昔を懐かしんだりして・・・。pH-7とはまた雰囲気も違うが、スーパー一座も私にとってはかけがえのない思い出の場所だ。あの過去があって、現在の私があるのだ。未だ来ぬ明日という日を、私はどのように迎えようか。しかるに、明日という日は約束されていない。だからこそ、今この一瞬を私はしっかりつかまえようと思う。



2002年12月16日(月) はずれくじ

 人生とは・・・。人生とは、はずれくじを引き続けるようなものなのかもしれない。そんなことを思いながらも、私は宝くじを買い続ける。そして、当選発表の日まで見果てぬ夢を見続ける。夢を見ている間は、とても幸せだ。
 けれども夢は儚く消え去り、再び現実の世界に引き戻される。こんなはずじゃない。このままじゃ終わらせない。今に見ていろ。そんな思いを胸のうちにしまい込んで、現実を生き続ける。逃れようのない現実。だからこそ逃げ出したくなる現実でもあった。絶え間なく繰り返される日々の生活。あまりに見慣れた日常の風景・・・。
 夢は、私の心のすき間にいつだって入り込んでくるのだ。そして、私の耳元で甘い誘惑の言葉をささやく。でも、私は今日もこうして同じ道を歩いていくのだ。行かなくちゃ。やっぱり行かなくちゃいけない。現実を捨て去って生きるわけにはいかないのだ。
 だからと言って、全てを諦めたわけではない。私は微かな希望を持ち続ける。夢が現実になる瞬間の喜びを待望している。けれど・・・。けれど、夢が現実に叶った時、それはもはや現実であって夢ではない。夢は、まるでシャボン玉のようだ。気がついた時には、影も形もありはしない。そして・・・。そして、それがまた、人生というものに違いないのだ・・・。



2002年12月15日(日) タガンカ劇場(ロシア)公演「マラー/サド」を観て

 タガンカ劇場(ロシアの劇団)公演「マラー/サド」を観に、静岡芸術劇場まで行って来た。とてもエキサイティングで面白い芝居だった。
 フランスのある精神病院が、物語の舞台だ。この病院では、治療の一環として患者に演劇をさせていた。患者のひとり・サド侯爵が書き下ろしたマラー(フランス革命の指導者)暗殺劇を、患者達が鉄格子の中で演じ始める・・・。アクロバティックな動きやタップダンスなども盛り込んだミュージカル仕立ての芝居だが、見せ場もたっぷりとあり、観ていて飽きることがなかった。
 ミュージカルと聞くと、私はつい「劇団○○」のつまらぬミュージカルを思い出してしまうのだが、世の中に面白いミュージカルのあることも再確認できてよかった。いつかブロードウェイのミュージカルも観てみたいものだ(蛇足だが、東京・中野に「中野ブロードウェイ」というアーケード街があったなあ。今もあるのかなあ)。

 私は、能も、歌舞伎も、オペラも、シェークスピア劇も、現代演劇も、それぞれに好きだし、いずれの舞台にも立ってみたい思いはある。ジャンルが問題なのではなく、その芝居が面白いかどうかという点が重要なのだ。まず、演劇表現として自立しているかが問われているのだ。
 その点では、特に新劇あるいは「社会派」と呼ばれる芝居には大いに不満が残る(燐光群のような例外はあるが)。私は決して「社会派」を毛嫌いしているのではない。いや、むしろ「社会的なテーマ」を含んだ芝居は好きな方だ。しかるに、現実には「えせ社会派」(テーマの奥行きを感じさせず、演劇表現としても自立していない芝居)の何と多いことか。私はただホンモノの芝居が観たいだけなのさ。まあ、私が満足のいく芝居を書けばいいのかもしれないけれど・・・。
 話はどんどん横道に逸れていきそうだが、とにかく面白い芝居が観られた時っていうのはとても気分がよい。私自身、次の舞台がいつになるのかわからないが、役者として舞台に立つ時には一人でも多くのお客様に満足して帰っていただけるようにしたいものである。と、今日の日記はここまでにしておこう。



2002年12月14日(土) 映画「AIKI」と、ロック歌舞伎「けいせい黄金鯱」と

 今日の夜、以前よりスーパー一座によるロック歌舞伎を観にいくことにしていたわけだが、その前に気になっていた映画を観ることにした。天願大介監督による『AIKI』という映画がそれだ。
 この物語は、実在するデンマーク人武道家がモデルとなっているが、映画では日本人の若者として登場してくる。ボクシングに情熱を傾けていた青年が、ある日交通事故に遭って脊椎を損傷。下半身麻痺により車いす生活を余儀なくされた。自暴自棄になっていた彼だったが、<AIKI>=大東流合気柔術と出会って入門、次第に自信を取り戻していく・・・。ストーリーをごく簡単に説明すると、そんなふうになってしまって、お涙頂戴の「障害者もの」と誤解されそうだが、決して「安っぽい感動」を押しつけるような映画ではない。「障害者」が主人公として登場するので、「障害者」の現実の生活も映し出されてくるが、単に「障害者」のドラマではないのだ。誰もが人生のある時期にぶつかる壁にいかに対峙するかが描かれており、普遍的なテーマを含んだ「青春映画」に仕上がっている。決してきれいごとで終わらせまいとする制作側の心意気も感じられた作品であった。
 主な登場人物の他に、三上寛、佐野史郎、田口トモロヲ、永瀬正敏、それと神戸浩といった面々がチョイ役で出演していて、それも面白かった。
 それより何より、天願大介監督のことについて触れておきたい。今村昌平監督を父に持つ天願監督だが、なかなかユニークな存在である。1983年に寺山修司が監督を務めた映画『さらば箱舟』に美術スタッフとして参加している。また、「濱マイク」シリーズでは林海象監督とともに脚本を手がけている。監督としても数本撮っているが、特筆すべきは障害者プロレス団体「ドッグレックス」を追ったドキュメンタリー映画『無敵のハンディキャップ』を発表したことであろう。「障害者プロレス」を通じて、そこにかかわる障害者と周囲との関係を浮き彫りにしようと試みたこの作品は、大変面白かった。
 今回の『AIKI』は、実在の人物をモデルにしながらも、フィクションだった。重いテーマを含みながらも、見終わった後に清涼感の残る「青春映画」だと感じた。

 さて、映画鑑賞の後は、軽めの夕食をはさみ、ロック歌舞伎を観に大須演芸場に向かった。スーパー一座はかつて私も所属した劇団、それゆえ贔屓目に見ている面もあるが、同時に他劇団より一層厳しく見る面もあるようだ。
 今回の『けいせい黄金鯱』は、並木五瓶(18世紀末に活躍)による原作を元にして、スーパー一座主宰の岩田信市さんが台本を担当している。いつもながら、台本の面白さには文句のつけようがない。音響、照明、その他の仕掛けも見事であった。今年は、宙乗りもあったことだし。でも、何より目を瞠ったのは、立ち回りの何とも見事なこと。それに随所に見どころもあった。新人が新人らしからぬセリフの言い回し(歌舞伎ならではの独特の言い回しは思いのほか難しいのだが)をしたかと思えば、ベテラン陣の「間の取り方」も絶妙であった。と、ここまではいいことずくめのようだが、終演後何故か私は物足りなさを感じていた。
 全体としてみれば、確かに面白かった。ただ3時間超の舞台の中で、役者の緊張感が途切れる場面がチラホラと見えた。そんな場面を目にすると、観る側としては気持ちが急速に醒めていってしまう。幸いと言うべきか、その後ですぐまた物語世界に入り込むきっかけをつかむことはできたのだが。それから、終わり方がやや淡白な気がしないでもなかった。
 あらためて思うのは、芝居というのはナマものだという実感である。その一瞬が勝負、まさに真剣勝負なのである。

 明日は、静岡まで芝居を観に行ってまいります。今宵はこれにて失礼いたしまする。
 
 



2002年12月13日(金) 能オペラ「藤戸」、それから・・・

 今日、仕事を定時で切り上げて、東別院ホールで上演された能オペラ「藤戸」(声藝舎オペラアンサンブル)を観に行った。今朝の中日新聞に掲載された広告でその公演を知り、衝動的に観に行ったわけだ。「能」と「オペラ」の融合、そして「平家物語」に題材をとった「藤戸」という演目、ということで、非常に興味深かった。その一方で、期待を裏切られる不安も感じていた。
 結論的に言えば、そこそこ面白く観られた。ただ、本編の前にあった導入部(本編を暗示するような、独唱・重唱・合唱や器楽演奏によって効果をもたらそうという異図らしかったが)に関しては逆効果で(演者はあれでもきっと緊張はしているのだろうが、観客の側からはほとんど舞台での緊迫感が感じられなかった)まったく不要と私には感じられた。「声楽」として聴けば、高いレベルではあったろうが、「能」でも「オペラ」でも全くない導入部には失望を覚えた。よっぽど途中退場しようかと思ったほどだ。その導入部は15分ほどで終わり、一時休憩に入った。
 気を取り直して、本編を観た。本編は「オペラ」として十分鑑賞にたえうるものであった(最初から本編を見せろよ、と言いたかったね)。やはり声楽の部分がしっかりしているのが大きい。声がしっかり届いてくる。その声にしっかり感情が乗っかっている。演じている人はきっと気持ちいいだろうな、と感じさせられた。それは、観る側にとっても心地いいものだった。やはり、演じている側がどこまでいきいきとして舞台上に存在しているか、という点が大きいと思う。ただ、東別院ホールが能オペラ「藤戸」の舞台として適当とは到底思えなかった。どこかで日常を引きずってしまい、演じられている非日常世界に入り込みづらい雰囲気がある。それであっても、演者の息づかいがこちらまでしっかりと伝わってきていた。その点では、十分評価すべきだろう。

 さて、今月から来月にかけて観劇の予定が目白押しだ。
 まず、明日はスーパー一座によるロック歌舞伎「けいせい黄金鯱」を観に行く。それに明後日は、静岡芸術劇場までタガンカ劇場公演「マラー/サド」(ロシア語による上演)を観にいく。そして、翌週21日には同じく静岡芸術劇場に、鈴木忠志演出による「ザ・チェーホフ決定版」を見に行くことになった。静岡芸術劇場での公演については、エッちゃん(pH-7女優・上田エツコ)が「ロシア芸術」ファンの私に紹介してくれたのだが、結局2公演観に行くことにした。
 それと、19日に東京バレエ団公演「ザ・カブキ」(一宮市民会館)も観に行くのだ。
 今年の最後は、30日。これは、演劇ではないのだが、東京・新宿PIT INNでの浅川マキ(その昔、寺山修司の芝居や映画にも出演したことがある)のライブに行く。
 年明けて1月18日には、東京で「万有引力」の芝居と、障害者プロレスの興行を観る。実は、翌19日に「花組芝居」も観るつもりにしていたが、チケットが手に入らず、それは断念した。
 とまあ、ここまでは確定しているのだが、おそらくあと2,3追加されるだろう。何が私をそうまでさせるのかはわからないが、20代の頃あまり遊べなかった分をここで一挙に取り返そうとしているかのようだ。

 今年も瞬く間に過ぎようとしている・・・。



2002年12月12日(木) グッド・ラック

 2002年もあと半月ほどを残すのみとなった。
 今日は、来るべき2003年のpH-7の活動についての話し合いがなされた。そこでは、個々人が今後どのようなかかわりを持っていくのかについて、それぞれの思いも語られた。他の人がどのような発言をしたかについては、今の時点では差し控えておこう。ただ、私自身のかかわり方については、お話ししておいてもよいと思う。
 来年も、pH-7は(どのような形になるかは別として)春と秋に公演を行う可能性が高い。そこで、私はどうするかだが、はっきりしているのは来年上半期(6月まで)に行われる公演には出演できないという点だ。そして、夏以降の公演に出演できるかは、来年4月の時点でしか結論が出せない。
 くれぐれも誤解しないでほしいのだが、別に芝居が嫌になったわけでもないし、今のところ劇団を離れる気もない。むしろ、舞台に立ちたくてウズウズしているくらいなのだ。それでは、なぜかというと、職場(福祉施設)の仕事との兼ね合いということになる。
 来年4月に人事異動が行われることはほぼ間違いなく、私がその対象になる可能性も決して低くはない、という事情がある。異動といっても、勤務先は現在と同じ天白区内で動くだけなのだが、問題はその勤務時間にある。もし他の現場に移るとなると(現在の職場ではいわゆる「9時・5時」という形態だが)「ローテーション勤務」、つまり夜勤があったり、土日出勤もあるという状況に変化する。そうなると、役者を続けることは事実上無理になる。実際異動するのが私になるのかどうかは、4月の段階でははっきりするのだが、はっきりしたことが言えない現在の状況のなかで判断して「春公演」は断念せざるを得ない。もし異動がなければ、「秋公演」には出たいと思っているのだが。
 「今の職場を辞める気はないのか」とは菱田さんからも聞かれたのだが、「宝くじに当たって巨万の富を得ることでもないかぎり、職場は辞めない」と答えた。言うまでもなく、宝くじの1等に当たる可能性よりも、異動の可能性の方がはるかに高い。今はただ、芝居が続けられる状況が得られるよう、ひたすら祈るしかない。どうか、宝くじの1等・前後賞が当たりますように。
 
 来年という年がどんな年になるのかはわからない。他の劇団員たちも、それぞれの思いを抱えつつ、自らの道を歩んでいくことだろう。私はただ皆の幸運を祈るばかりだ。
 と同時に、私自身、ぜひ実りある1年にしたい。それにしても、またひとつ年とるのかよ。まったく嫌になっちまうぜ。でも、時間は誰にも止めようもない。素敵な素敵な中年男になれるよう日々精進するのみである。



2002年12月08日(日) 12月の雨

 昨日、「幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜」の精算会があり、総括が行われた。様々な問題があぶり出されたが、そこでは私に向けられた問題もあった。そこで指摘された点については、真摯に受け止めるしかないと思う。いずれにしても、これで今回の公演にかかわることは一通り終わったわけだ。完全に日常に戻ることになるんだな。

 今日は、ものすごく寒い。コタツを出さなくては凍えそうだったので、とにかくコタツを出せるだけのスペースを作って、そこにコタツを置いた。掃除も、整理・整頓も、ほとんどやっていないに等しいけどね。
 あんまり寒いんで動く気にもなれない。気をつけないとこのまま冬ごもりしてしまいそうだ。
 これから季節は真冬へと向かって行くが、凍えてばかりいないで、時には厳しい寒さに立ち向かうことも必要かもしれない。

 そう言えば、今日はジョン・レノンが凶弾に倒れた日(古くは、「真珠湾攻撃」があった日だ)。死後20年以上を経てなお人々の記憶の中に深く刻み込まれている。彼の音楽は歌い継がれ、彼の存在は伝説として語り継がれている・・・。



2002年12月05日(木) バラシ、それは忘れた頃にやってくる・・・

 公演終了後、10日が経過した。でも、実感としては1ヶ月以上が過ぎ去ったかのように思われる。
 今日は、バラシの日。職場の仕事が終わってからのバラシは少しきつい。けれども、久しぶりにアトリエに行くのがうれしくもあり、役者・スタッフと会えるのもうれしかった。今日一日で作業はだいぶ進んだので、作業そのものはたぶん明日で終わるだろう。明後日、総括という運びか?
 
 帰宅してメール・チェックすると、「劇団態変」からメルマガが配信されていた。何でも、来年2月に可児市で公演を行う(「マハラバ伝説」の再演)とのこと。かつて茨城県に実在した身障者たちのコミューン「マハラバ村」をモチーフとした作品のようだ。のちに「マハラバ村」を出た横塚晃一氏、横田弘氏らによって構成された「青い芝の会」は、70年代、障害者の当事者運動として大きなインパクトを与えた。私は、70年代における「青い芝」の運動は日本が世界に誇りうるものだと認識している(いつか「青い芝」についてじっくり取り上げてみたい)。
 のちに「青い芝」に連なる「マハラバ村」を題材とした作品を、かつて「青い芝」にもかかわりのあった金満里氏が作・演出として取り組まれている。それを、「態変」の役者たちがいかに演ずるのか。これは観ないわけにはいかないと思った。

 その前に12月、1月と、私のなかではすでに観劇計画が目白押しだ。
 今月は、19日に東京バレエ団(モーリス・べジャール振付)公演「ザ・カブキ」を一宮まで観に行くことになっている。これは世界的な振付師・べジャールによるバレエで「忠臣蔵」をモチーフとしている。それとほぼ同時期にスーパー一座(かつて私も在籍した)によるロック歌舞伎を観る予定だ。
 年明けの1月、またしても東京に芝居を観に行こうと画策している。18日に「ドッグレックス」(障害者プロレス)の興行があるのでそれを観たいのと、同じ時期に「万有引力」「花組芝居」の公演があるのでハシゴしようかと思案している。
 芝居からは離れるが、3月にローリング・ストーンズが来日するらしい。できれば、彼らのコンサートにも行っておきたい。
 と、まあ、遊ぶことには余念のない私であった・・・。



2002年12月03日(火) 宝くじが当たったら・・・

 年末ジャンボ宝くじを買ったぜ!
 毎年買ってるのに当たったためしがない。まあ、中途半端に当たるくらいなら、当たらなくてもいいから、大きく当たってほしいよな。
 億単位で当たったら・・・。そうだな、たぶん仕事は辞めるかな? 今の仕事が特別嫌なわけではない。職場の人間関係には恵まれているほうだと思うし・・・。生活の糧を得るためにあくせく働くことにも、それなりに意味があると思う。でも、短い人生の中でやってみたいことはあまりに多い(列挙したらキリがない)。時間はいくらあっても足りないと感じられる。もちろん、今の仕事があるお陰で、私は多くのものを得ている。だが、同時にそれによって束縛されていることも多い。言うまでもなく、そんなことは世の中の多くの人にあてはまることでもあるけれど。
 実際にはなかなか「1等」「前後賞」は当たってくれない。だから、折り合いをつけながら、日々の暮らしを送っている。そりゃ〜、不満を言い出したら、キリはない。それでも、人は生きていかなくてはならないのだ。そうした人々の営みの中に音楽が生まれ、文学が息づき、芸術が育まれる。そして・・・。人生とは、ドラマである。
 世界が我々の舞台であり、我々は今この一瞬を生き続ける役者である。

 
 



2002年12月01日(日) 私は独身!

 みち様、さおり様、ご成婚おめでとうございます。
 おふたりの手による素晴らしい舞台セットに囲まれて芝居できることの幸せを常々感じている私です。いつも裏方でがんばってくださってるご両人が、今日は主役でしたね。どうぞ末永くお幸せに。

 かく言う私は、30代半ばにして独身、「国際独身者同盟」の一メンバーとして今も地下活動(アングラ)を続けている(?)。別に確たる主義があって独身であるわけではない。今日までたまたま縁に恵まれなかったというにすぎなかった。相手がいれば今すぐにでも結婚しようとも思うし、一方で無理して結婚しなくてもいいとも思う。
 私は謙虚な人間ではあるが、その一方で結構わがままな面も持ち合わせていると思う(協調性がないというのとは違う。ていうか協調性はあるほうだ)。知人・友人という間柄でいる限りにおいて「いい人」であったはずが、恋人(あるいは結婚相手)になった途端「曽根さんてそんな人だったの?」なんて失望されることもきっと多いだろう(私自身は別に何も変わっていないのにね)。私のわがままな一面をもひっくるめて、それでも「あなたって、いい人ね」とか「あなたといると気持ちが落ち着く」とか、そんなセリフが言える女性がいるといいのだけれど。
 いずれにせよ、私はこれからも我が道を探し求めてさすらっていくだけさ。
 


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