日記王(ニッキング)
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2002年12月29日(日) 忘年会三種盛り合わせ

サッカリン(以下サ)「いや〜今年も終わりですねぇ。」
zygen(以下Z)「早かったっすね〜。」
タクノ(以下タ)「…おい。」
サ「荒淫矢の如しっつーしな!ゲハハ。」
タ「オイってば!!」
Z「何ですか?彼女と盛りすぎて熟睡してしまい思いっきり遅刻したタクノさん。」
タ「遅刻はしたけどそんな理由じゃないぞ!」
サ「じゃあ寝ないでヤってたんだ。流石だね。チンコが乾く暇もないんでしょ。」
タ「何もかもが違うわ!俺が言いたいのは人数の事だ人数。」
サ「人数が何か?」
タ「総勢8人集まったのに何で3人しか登場しないんだよ。」
Z「それはですねぇ…」
サ「私の文章力がないのでまとめきれないんです。即ち『それは何かの間違いです』ってことで。」
タ「関係ないだろが!そんな昔の傷を掘り返すなよ。」
Z「その件に関してはあの学園祭実行委員の人が一枚上手というか大学生活全てを総括してくれましたよね。」
タ「そこまで言うかよ!それに俺は間違っていなかったし…」
サ「まあまあ、タクノが悪いとか実行委員が間違っていなかったとか昔の話は置いといてだね…」
タ「全編俺が悪いことになるじゃねーか!」
Z「黙れ!この腐れチンポ野郎!!」
タ「な…!」
サ「オイオイそれは言い過ぎじゃないかい。いくらお金が無いったってきっちり避妊具買ってるタクノさんだよ?サガミオリジナルからゴルゴコンドームまで試したタクノさんだよ?一度使ったのを洗ってもう1回使ってるエコロジストですよ?」
タ「そんな『うすいさちよ』みたいなことはしてねぇ!」
Z「それがっすね、『盛岡のバキと梢』の異名をとる程の荒々しさで夜な夜な群発地震を起こして『高松のボルケーノ』状態かと思いきや結構セックスレスで、業を煮やした彼女の方から誘ってというか求めてくるそうなんですよ実際。」
サ「ニャニヲ〜!!??それはアレですか、彼女いる者の余裕ですか?猪木の物真似で彼女ゲットしたからっていい気になりやがってこの野郎!」
タ「いや、物真似が直接の理由じゃないし…それにほら、サッカリンにもとっておきの物真似あるじゃん。」
サ「だったらアンタが『吐瀉時の音真似』でメロメロになる女紹介してくれよ。丹波文七よろしく股を濡らして待ってる女をよぉ!…ところでタクノ君。」
タ「突如何よ。」
サ「高松は好きですか?」
タ「ハァ?」
サ「それじゃあ君ン家はどこですか?」
タ「いや…」
サ「君ン家は…大学より高松に近いな!」
タ「4倍以上距離あるし、そのネタやりたかっただけだろが!」
Z「まあそんなタクノもエコルセのおかげで下半身は仮面を被っていないわけですけどね。」
タ「使ってねぇ!」
サ「そんな矯正リンガーなタクノさんもどうせ幸せなクリスマスを送って幸せな正月を送るんでしょうね。」
タ「そんなのも使ってねぇし。」
サ「いやいや私もですね、いやらしい除夜の鐘とかいやらしい餅つきとかそんなベタなネタは言わないで…」
Z「言ってたじゃないスか。」
サ「それは何かの間違いです。」
タ「ダー!まだ言うか!!」
サ「おや?そのダーはアレですか?彼女を射止めた十八番ですか?」
タ「………」
Z「今度は黙秘のようです。じゃあタクノが彼女に送ったクリスマスプレゼントの話でも…」
サ「アレでしょ?エロコスチュームとかでしょ?」
タ「違うわ!」
サ「じゃあジョークたすき?」
タ「なんでハンズで売ってるようなのバッカリなんだよ!服だよ服!」
Z「月に1度は女体盛りのカップルなのに服とはねぇ。」
タ「反論する気にもならん…」
サ「といったところで忘年会お開き、また来年。ありがとうございました。」
タ「笑点かよ…」


2002年12月17日(火) 今日の飯:野菜炒め

 帰省ラッシュが近づいているせいか、『マスターカード』のCMが頻繁に流れていますけど、母親が子供に白々しいことを言わせているなぁ…なんて事は別に良いんです。言わせられていると分かっていても嬉しいものでしょうし、自発的にあんな事言うガキなんかもっと嫌いです。
 それよりも親が気をつけるべき事は、テレビ放送局が違う環境に帰省した際に見たい番組が見られず子供が帰るとゴネるのを未然に防ぐことです。
「ポケモンが見たいんだよ〜見たいよ〜帰りたいよ〜」
「そんなワガママ言わないで!ほらお祖母ちゃんがせっかく作ってくれたご馳走じゃないの!」
「魚なんて骨がいっぱいで食べれないよ!フキだって苦いし!」
「ゴメンねぇ…年寄りの料理だから…」と婆さん悲しい顔。
とか、
「祖父ちゃんと山に行かないか?キツネもいるぞ」
「やだ、寒い」黙々とゲームボーイアドバンスにふける子供。爺さんションボリ。
とかそんな事になるので、やるなら徹底的に根回しし、テレビはTHEテレビジョンでも買って録画セットし、GBAは没収しておくべきでしょう。年末年始のガキは祖父母を『お金をくれる皺人形』としか思っていませんので注意が必要です。
 挙げ句、中学生にでもなれば生活費だけ置いてけよ等と言って帰省について行きもしなくなり、そのくせお年玉は回収してこい等と曰うようになることは目に見えているので、そんな子供は死ねばいいんだ死ねば。俺だったら足の爪先からカンナで指が半分無くなるまで削ってやりますが。麻酔無しで。
 3世代が暮らすこと自体が特異となり、核家族という言葉自体が言われなくなった昨今、一同勢揃いするのは墓の中だけのようです。あ、墓も兄弟は入れないんだ。

 マザボ、CPU、メモリ購入。CD-Rを忘れてた。ヤマハのヤツを買って遊んでみようかな。


2002年12月16日(月) 16キロのおかもち

 おかもちと言っても、橋田ファミリーで趣味が野草を食べる事な渋い俳優さんでは無くてですね、渡る世間は鬼ばかりで岡本信人が持っているあの出前を入れる箱です。ネタの説明をしている上に厳密に言うと岡本信人は厨房にいるので出前は他の人がやるっつーかそもそも幸楽が出前をやっていなかった時期があってだな…(昼間の再放送を見ていたことがバレバレ)

 手始めにPCケースを買ってきたのですが、現物は『コレ』。ちょっと人気があって品薄です。分厚いスチール製なので共振に強く、静音性に優れる…というふれ込みですが、とにかく重い。重みも一役かっているらしいのですが、この重さは犯罪です。
 今年の夏に同じくオウルテックの『コイツ』を手に持って運んだ時に懲りたのですが、送料には代えられないので意地でも運んでやろうと思ったのですよ。
 で、秋葉原駅の改札をくぐる前に嫌気がさしました。ツクモの店員も「お持ち帰りですね」とか言わないで気を利かして「送りますか?」とか言えよ。そしたらこっちも「いくら程掛かりますか」とか話を持っていくだろうに、人の体見て判断しないでください。虚弱児なんです。
 道中なにがキツイかって、電車の乗り換えもさることながら、駅から家までの自転車でした。重い物を持ってふらついてる様は『少林寺三十六房』みたいです。帰って重さを量ってみたら16キロ…数字では少なく見えますが重いんだって。持ち手もチャチいし。
 おかげで左腕が使い物になりません。画像のスクロールとページ送りが出来ないじゃありませんか。右は忙しいのに。


2002年12月15日(日) ラメーン

 自転車を30分程こいで、辛いラーメンを食べてきました。5段階の辛さがあり、『普通』『中辛』『大辛』『激辛』『天国』とあります。激辛までは食べたことがあったので、今回は『天国』に挑戦しました。
しました。
た…
赤?!
 赤いんです。共産圏ですかここは。それよりも、唐辛子の粉でとろみが付いたスープなんて初めて見ました。隣で食べてた人もちょっとざわついてるし。
 辛いのは見た目だけかも…なんて思いながら一口食べてみると、見た目通りでした。乾燥した唐辛子を使っているので辛みが柔らかいのですが、普通の人はまず食べられないでしょ。私は辛い物好きなのでスープまで完食してきました。
 で、何が『天国』なのかって翌日のトイレが天国なんだよな…。尿にまでカプサイシンが来ているのか尿道までヒリつくし、アナルがジンジンする様はエロマンガにおける最後のページによくある後日談みたいです。するってぇと僕はうつむき加減で顔を赤らめながら恥ずかしそうに「もう1回…ね…」とか言えばいいんですか?それとも極(以下削除)


2002年12月14日(土) 日比谷線の方が金かかる罠

 午後から秋葉原で価格調査。何か交通費だけでパーツが買えなくもないような気がしないでもないですが、それはそれ、自分へのご褒美です。何かの。
 飲まず食わずで歩いていたら頭が痛くなってきたのと、カスミンの録画予約を忘れたので早めに帰りました。

 最近ちっとも本を買えていません。実家に帰った時のリバウンドがちょっと怖い。

 都会は「もやし」も高いのか。スパセンなら2キロ300円だっつーのに。昔、小学校の栄養士だった女が公金を横領するために週に3日はもやし料理にして浮いたお金を横取りしていたって事件ありましたな。「子供なんてもやし食ってりゃいいのよ」とは容疑者の弁です。どっちの料理ショーの「技もやし」職人はちょっと危ない人っぽかったですね。
 もやし随想録でした。


2002年12月13日(金) 交通費がかさむばかり

 100円から讃岐うどんが楽しめるという『はなまるうどん』を食べるべく渋谷をうろついてました。実家から戻る際に地図を忘れてしまったので、うろ覚えのまま歩いていたので案の定見つかるはずもなく、道玄坂を登っていると…っつーか今思えばこの時点で激しく道間違ってるのな。
 そしてふと見上げた看板に目を向けると『でび』だって。末期生ダラのあだ花という印象しかなかったのですが、せっかくだから食ってみようと思い入店。スープはあっさりとした豚骨。麺はストレートで割りと好みの食感。しかしパンチが弱く、良くも悪くも渋谷っぽいというかなんというか(田舎者のいうことかよ)。
 うどん屋は確か渋谷区役所の近くだったよな…と思い、坂を登ったり下ったりしていると程なくして区役所発見。しかしうどん屋は見当たらない。諦めて引き返そうとするとデカ目の看板がありそこにはしっかり『はなまるうどん』と書かれている始末。人に聞いたら恥かく所だった。
 100円うどんといってもかけうどん小が100円なのであって、中が200円、大が300円。その他色々メニューがあり、だいたい3〜400円ぐらいが相場なのでしょうか。安くしようと思えばトコトン安くなりますし、ゴージャスに行こうと思えば好きなだけ天ぷら入れればよろしかろう、私はせっかくだからかけうどんの大を注文。
 すると店員さんが「3玉ですがよろしいですか?」と聞いてきます。「どうせ小さい玉なんだからいいか…」とタカをくくっていましたので、構わないと言い出来上がりを待っていると、手に持たれたドンブリが明らかに他と違い、プチ洗面器。そこに入ったうどん玉はしっかりと3玉あり、スーパーなどで売っている3玉1パックのうどんが丸ごと入っているかの量。ここはテレビチャンピオンですか?でも美味しかったから良し。久しぶりに満腹に食ったな…

 次に新宿に移動し、ヨドバシで価格調査。ポイントが18%還元のルーター『BR1500H』を購入。今のところ不具合無し。大した使い方してませんので当たり前といえば当たり前か。値段は総じて一長一短。悪かぁないがね、物量は圧倒されます。

 渋谷に戻り、京王井の頭線に乗って『なんでんかんでん』で晩飯。並んでるかと思いきやそうでもなく…開店前だからな。味は…豚骨嫌いには辛いかも。それよりもホームページのセンスはどうにかならないかな。
 『魁龍』の豚骨を食べたことがある身としてはたいていの豚骨は食べられますが、アレは凄い。獣の匂いがする…マジで。

 こんだけ食べましたので、やっぱりお腹壊しまして…翌朝6時まで腹が痛かったよ…赤痢かね。


2002年12月10日(火) 今日の飯:シチュー

 平日昼間でなけりゃまず食べられないであろう『ラーメン博物館』の『すみれ』に行って味噌ラーメン食ってきました。休日だったら2時間待ちもざらな店ですが、私は開店直後に行ったので並ばずに済んだものの、食ってる間にあれよあれよという間に行列が出来ていました。美味しかったですが、あんなに並ぶ程のものでもないような気がします。高いしね。
 『しなそばや』にも行きました。中華風のひやむぎを食べているような感じです。けなしている訳じゃないですが、そうとしか例えようがないです。美味しかったですが、「帰っていいよ」という程のものでもないような気がします。高いしね。
 最後は『蜂屋』でシメ。この味は他ではちょっと食べられない味で(旭川に本店あるがな)、個性的…というか個性的すぎるのかちっとも客が来ません。美味しいのに。

 美味しいと言えば、昼間にやってる『美味しんぼ』の再放送で思いっきり「牛の脳」食ってましたが、アレって放送して良いの?なんか字幕入れたほうが良かったのでは。もしくはその部分をバッサリ切って『放送に不適切なものを食べています』とかやればいいのか?それを佐川一政氏にやって頂くとか。カニバッていきまっしょい。田中麗奈なら食べれそう(黙ってください)。

 引っ越しの見積もりに来た人がおばさんで、部屋を見ていった言葉で何やらトーンが違った一言。
「パソコンが…2台?!」
…今どきザラだろ?1KアパートでもLAN組むだろ?(最近のメーカーデスクトップは『家族ボタン』なるモノが付いて4人で使い回すというのに)

 アニメ版『ガンパレードマーチ』が放送を待たずしてグダグダになってきているので安心して帰省出来ます。なんかBSデジタル入れば万事解決しそうな気がするのは気のせいだろうか。

 肉のないシチューはやっぱり味気ないもんでした。


2002年12月07日(土) 総括

 職場の決定は思いがけない話だった。まさかとは思っていたが…というのが最初聞いた時の正直な感想だった。100%望んだ結果ではないものの、新しい生活を前にして期待に胸膨らませていた事も偽りない事であったし、何よりも周りの家族や友人が祝ってくれた事が嬉しかった。新生活への不安をそっちのけにしてくれる程だった。初めて一人で眠る夜も涙は出なかった。絶対に泣くと思っていたのに。

 仕事は忙しい方だったと思う。入社して1週間程は定時に帰してくれるとの事だったが、3日目から8時、9時と増えていき1週間を待たずして帰宅は平均11時となった。でも、それはそれで良いと思っていた。良いというよりはむしろ『そういうもの』だと思っていた。既卒者を中途半端な時期に雇用したのだから、頑張って当然、他人(ひと)より稼いでナンボという気構えで臨んでいた。

 工場の人数はそこそこ多いが私が所属している開発は人数が少なく、一人が平行して3,4機種を抱えている状況で、なおかつ短納期で試作を1ステップ飛ばして量産するという無茶な事をしていた。下請けの柔軟な対応と短い納期は昨今珍しい事ではないし、テレビなどのメディアでは最早風化しつつある話だ。先日も『路上格闘者』シリーズを作っている会社が「試作で出た赤字はそっちで全部被れ」とか言ってきたりと厳しい状況。その話は蹴ったそうですが、兎に角全員忙しかった。

 そんな中に私は入社する事となった。当初は工場の方に半年程研修させるかもという話だったが最初から開発にねじ込まれた。私が付く事になった人は開発に入って3年目で高卒。「俺が入った頃はAC・DCも解らなかったよ」とは本人の弁だが、その前に検査部で7年のキャリアがあるのは後から別の人に聞いた話である。
 もう一人、入社して半年の人がいましたがその人は契約社員で院卒、研究室は半導体系でトランジスタの扱いにもそこそこ長けており、何よりも派遣会社に所属した時点で3ヶ月の研修を受けていた。私はこの人に随分助けられたが、10月末日をもって契約が切れ、別の会社へと去った。

 私が付く事になった人(以後『高卒』と表記する)は、初日から私に回路図と配線図を見せて電気を説いた。しかしそれは『説く』というものとは程遠く、むしろ自己満足な『リサイタル』だった。レーザー系の研究室だった私は電気回路に関して全く疎く、リサイタルに暖簾に腕押し状態の私に対する高卒の態度はだんだんと冷めたものになっていった。
 後から聞いた話だが、高卒と派遣は私がもっとデキると思っていたらしい。三端子レギュレーターの存在も教えない大学教育に何を期待しているのか。コンデンサの仕組みや極板間の力云々についての授業はありますが、回路を設計する際の使い方なんてのは1分もない。そんな状態の私に回路素子を渡して「結線して」と言い放ち1日放置されても何が何やらさっぱりで終いにゃ泣きたくなってくる始末。こっそり派遣に教えてもらい完成させましたが、調べる方法もない私がどうやって回路を組めばいいというのだろう。

 入社して間もなく、よく「教えないから自分で勉強しろ」という内容の話を手を変え品を変えて何度もされた。自分でやらなきゃ覚えない、というのが相手の言い分だったが、確かに自発的にやらなければ知識は身に付かない。私もそう思う。でも、仕事の流れや機微というのは独学とかそういう話ではないと思う。誰かの下に付いて覚えていくのではないだろうか。入社して1月半後、私は取締役から携帯端末写真印刷機の回路図と接続図を振られた。為す術もなかった。

 電気回路についても勉強した。2ヶ月で本に費やした金額は3万円近かった。11時過ぎに帰宅してご飯を作りシャワーを浴びると日付は変わる。そこから勉強を始めて、寝るのは1時半か2時。それでも8時頃には会社に行かねばならないのだがそんな生活サイクルでも慣れるもので、なんとかやっていた。

 それでも実用段階になるには程遠く、本を理解するための本を読むという状況だった。毎日高卒から「〜〜解る?」と聞かれ、答えられないと「勉強してないな〜」と冷やかされる。仕事をしたいのに突如始まる電気回路説法。派遣は派遣で私に同情しておきながら、契約事項で残業出来ずに6時に帰る身分を棚に上げて他人には「○○(私の名前)君は勉強しないとダメっすよ!」と酔った勢いでクダを巻き次の会社へ去って行った。
 11月を過ぎたあたり、配線図の件で不覚にも人前で泣いてしまった。人前では泣くまいと決めていたが、こらえきれなかった。上からの仕事の振り方よりも、高卒の「じゃあいいよ俺やるから」という言葉に自分が情けなくて仕方がなかった。今にして思えばそれ程自分を責める事でもなかったのだが、そんな余裕があるはずもない。その日は帰ってからも涙が止まらなかった。

 翌日、私は明るく会社に行った。部長からは来ないかと思ったといわれたが、笑顔で否定した。そうでもしないとやっていられなかった。でも、それをきっかけにみんなとの距離が近くなり、状況は好転した。かに見えた。

 取締役は誰もが嫌っていた。性格的な事もさることながら仕事の振り方が酷く、自分がやって出来ない事は他人(部下)に丸投げして責任を押しつけるのだ。そんな話を聞くにつけ、暗くなっていると突然仕事が回ってきた。先に書いた携帯端末…がそれで、私の知らない所で担当にされ、納期も知らされず、顔を見れば「まだ出来ないの?」とせっ突いてくる。しかも部長には「勉強のために口出し無用」とか言ってある。それを知ったのはそんな私の状況を見るに見かねた部長からである。
 ネジ止めした基板がお気に召さなかったらしくボロカスに怒鳴られ、言いすぎたと思ったのかその日の午後になぐさめに来たり、かと思いきや次の日にはいつも通り私の知らない所で話を進めていたりと、先が暗い毎日であったし、「空いた時間に装置を1日1個覚えろ」とか言われましたが、毎日毎日誰かの補佐に回るので、常に忙しいピークを渡り歩く私に空いた時間などある筈もなく、無責任な発言に辟易することしきりだった。

 この頃からであろうか。眠れなくなり、帰っては椅子に座って壁を見つめ、涙も枯れ、玄関で足がすくむようになったのは。電話も取れなくなり、家族との連絡さえも一切取れなくなっていた。

 会社内に理解してくれる人が全く居なかったわけではなかった。部長、課長共に温かくいい人であったし、係長も私の状況を理解してくれていた。開発という部署自体、アットホームで好きだった。しかしみんな忙しく、出張も多いので目の届く部分が少ない。自分で何とかするしかない。

 入社して少し経った頃、誰かに「こっちに友達とかは居るの?」と聞かれた事がある。今思えば、友達と愚痴でもこぼしあって息抜きしたらどうだ?、というつもりで言ったんだと思う。確かに「一生懸命やりすぎだ」とよくたしなめられていた。明らかに余裕がなかったのだろう、今も昔も。
 自分の『ものさし』を他人に押しつけるのは悪い事だが、自分の『ものさし』を明示しない事も良くないのではないか。 周りが私に全てを押しつけているのではなく、私自身が勝手に全てを背負い込んでいるだけではないのか。社会とはすべからく生身の人間が相手であり、自分一人で藻掻いてもしょうがない。どうせ誰も分かってくれないと心を閉ざし、助けてくれ、手伝ってくれと口に出さず、伝えずして解ってくれ等と言う方がそれこそ勝手な話ではないのか。

 意を決して、取締役に言いに行きました。


 潰されました。


 会社辞めました。


 先日、母親に会いました。
 涙なんて、とうの昔に枯れたと思っていたのに。


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